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先週の寒波では裏の畑が雪で埋まってしまった。里山の傍の、市内では比較的雪の多いところだけれど、12月にこんなに降るのは珍しい。

各地の豪雪のニュースも伝わって来た。雪には特別の風情があるとはいえ風情を超えた雪の量に、そこに住まわれている方のご心痛が思われる。心からお見舞い申し上げます。


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ここ数日の暖かさで雪は消えたものの、ふたたびの寒波に地面には一面の霜。今年は寒い年末年始となりそうだ。



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おとといは大掃除の手伝いのために実家に帰った。本当は先週に泊りがけで帰るつもりだったのだけれど、この雪では峠越えが難しそうなので寒さが緩んだのを幸いに日帰りでばたばたと往復してきた。外回りを手伝う予定だったのに、見るともう玄関はすっかりきれいになっていた。


それではとお墓の掃除をして農協のマーケットに買い出しに出かけると、年越しに向けて鏡餅やお飾りなどが並び、お正月用の花を抱えたレジ待ちの人でにぎわっていた。あわただしさの中にも新しい年への漲る思いが感じられ、年越しモードに俄然スイッチが入った。実家用の食材あれこれ、自宅用に小さな鏡餅と田づくりなどお正月の準備品を大量に買い込んで意気揚々と実家へ戻り、その勢いのまま帰宅した。


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ところで、お正月飾りにはゆずり葉が欠かせない。常緑樹でありながら、若葉に座を譲るように、春に古い葉が落ちて新しい葉と入れ替わる「譲り葉」。そのことを去年のブログに書いたが、なんとそのゆずり葉の木を庭の植え込みの中で見つけた。高さは1メートルくらい。おそらく鳥が種を運んでくれたのだろう。いつ頃から生えていたのか、家族のだれも気付いていなかった。すぐ目の前に、こんなに大きく育っていたのに。見たいと思わなければ見えないということを改めて思う。



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家から道を少し下った先にゆずり葉の大木があったことも今回知った。近くで良く見ると枝先に黒くて丸い実が見える。たぶんこの木が庭で育っているゆずり葉の親なのだろう。いつの間にか結ばれた縁にこの木も特別な一本となった。


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気づいていないものが他にもあるかもと植え込みを覗くと、落ちた種から芽吹き、茎を伸ばしている椿の幼木(?)を見つけた。紫陽花の根元では植えたはずのない万両が赤い実をつやつやとつけていた。厳冬のこの時期でも見えないところでひっそりと息づいているもののあることに胸を打たれている。



行く年と来る年の(あひ)行き来するひそやけき葉よそよゆずりの葉

ゆずり葉は譲り葉不意に現はれて老いの準備をせよとささやく



今年最後のブログとなりました。訪れてくださってありがとうございます。皆さまどうぞ良い年をお迎え下さい。


# by minaminouozafk | 2022-12-29 08:42 | Comments(0)


 志垣澄幸さんの個人誌「日向通信」をご紹介します。「日向通信」は、「ひむかつうしん」と読みます。ひむか。ひゅうがでも、ひなたでもなく、ひむか。これは日本の古層に響いている、宮崎県の呼称です。



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 志垣澄幸さんは、1934年(昭和9)に台北市で生まれ、戦後の「引き揚げ」により、母方の故郷である宮崎に移住しました。現在も宮崎にお住まいです。「日向通信」という誌名は、宮崎に生活の根を下ろして以来、ゆっくりと根を広げて現在にいたった志垣さんが、その土地から〈今〉に向かって発信する媒体名として、とてもしっくりきます。



 この37号の目次は、次のとおりです。冒頭の数字は、説明のためにこちらでつけたものです。

  1 故郷への回帰

  2 作品70首 陣取り合戦

  3 桜花を詠んだ歌

  4 あとがき


 1と3は、評論。1は、牧水の旅を考察しています。どれほど牧水を読み、牧水と関われば、このように牧水を言語化することができるのでしょうか。誰でも自分のことゆえに摑めず言葉にできない自分の部分があるかと思います。牧水も例外ではなかったでしょう。著者は牧水のその部分を問題提起し、考察し、大切なものを置くような手つきで解き明かしていきます。


 3は、桜を詠んだ歌のアンソロジーを解説付きで読むようです。楽しさと、発見の刺激に満ちています。ここでは考察の対象となった歌人の名前をあげてみましょう。登場順に、紀貫之、在原業平、承均法師、藤原因香、山川登美子、岡本かの子、斎藤史、上田三四二、馬場あき子、岡野弘彦、竹山広、森岡貞香、山埜井喜美枝、岡野弘彦、伊藤一彦、岡井隆、島田修二、山中智恵子、河野裕子、前川佐美雄、とこんな具合です。



 これら二編の論考のあいだに、歌作品70首が力強く並んでいます。タイトルの「陣取り合戦」は、次の歌によります。


  狭きこの星の陣取り合戦にあくなくウクライナへの砲撃つづく


「陣取り合戦」は、広場さえあればどこでもできる子どもの遊び。その遊び方には土地土地のバリエーションがあるでしょうか。ウクライナへの侵攻を子どもの遊びである「陣取り合戦」をもって詠んだところに批判がこもると読みました。また、「ウクライナへの砲撃」の句にも、言葉の選択への厳しさがあるように思います。「ウクライナへの侵攻」では不十分なのです。


 どの一首にも、流れていかない芯となる語句や立ち止まってしまう物の見方があり引きつけられます。



  いつまでも絶えざる戦この星の極地の氷溶けつづけをり

  天界より降りてきたりし雨水が声なく庭のくぼみ残る

  幕がおりれば舞台より死者が立ちあがるやうにはいかぬ人生といふは


 たとえば、上の三首は、印象鮮明な固有名詞が使われているわけではなく、辞書を必要とするような難しい語句の使用もありません。その上で、一首の底に問いの潜在を感じさせる歌ではないでしょうか。



 4のあとがきのページは20ページ目にあたります。短歌個人誌にしてこの重量感です。実は、ほかに、上掲の目次にない内容があります。順当にページを開けば、読者まず、表紙の裏側の防人の歌に出合います。


  わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず(巻204322


著者は、この歌の語句や意味、歌のつくりなどを自身の言葉で解説したあとに、次のように続けています。


こうした防人のうたを読むと、ロシアの侵略に対してウクライナの男性たちがそれに応じるため妻子と別れて戦場に行くさまを思い出してしまう。/いつの時代も戦争は多くの人々を悲しませるのである。


防人の歌の古典を〈いにしへ〉に封じ込めてしまわずに、現在に取り返して〈いま〉の中で感じていることが、読みながらこちらに伝わってくる解釈鑑賞文です。著者の体験を通して著わされた言葉の厳粛さにしずかな気持ちになりました。



 また、この「日向通信」では、触れられていないのですが、昨年刊行された志垣澄幸第14歌集『鳥語降る』(本阿弥書店)は、今年の詩歌文学館賞受賞歌集となりました。おめでとうございます。



 さて、昨日の早苗さんに続き、宮崎から発信を続ける歌人のご紹介ということになりましたが、これは嬉しい!偶然です。私の場合、志垣澄幸さんのことは、活字になった作品で存じ上げるだけで、お目にかかったことはありません。ただ、今年最後の水曜日には、この「日向通信」を、と思っていました。ここに書かせてくださりありがとうございました。



 今日は今年最後の水曜日です。今日までお読みくださった皆様、ありがとうございます。皆様にとりまして、さらにさらに佳い日々でありますように。



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その日より鳥のことばを気にかける必ずわれに降るとなけれど



# by minaminouozafk | 2022-12-28 14:00 | Comments(0)

 2022年最後のブログ登板となりました。今日は伊藤一彦さんの第16歌集『言霊の風」をご紹介いたします。


伊藤一彦第16歌集『言霊の風』  藤野早苗_f0371014_11131257.jpeg


 こちら、発行は912日。もう3か月以上前です。私の手元に届いたのが918日。台風ナンマドル接近で中止となった「第19回筑紫歌壇賞贈賞式」が開催されるはずだった日。すごい喪失感で落ち込んでいた時に届いたこの一冊にとても慰められました。その感動をきちんと伝えたい、と思っているうちに時間ばかりが経過してとうとう年の瀬。うまく書けるかどうかわからないけど、頑張ってみようと思います。


 『言霊の風」には2018年から2022年春までの自選作品480首が収録されています。〈1.2018年〉、〈Ⅱ.2019年〉、〈Ⅲ.2020年〉、〈Ⅳ.20212022年〉の四部構成になっています。


・人の世を映さぬ天上おもひつつ元旦の酒しづかに捧ぐ


 巻頭歌。伊藤さんの2018年はかくも穏やかに明けてゆきます。「人の世を映さぬ天上」とは慌ただしい人界とは異なる静謐な天上界でしょうか。宮崎の突き抜けるような冬晴れの青が浮かびます。


・明るさに怯むほどなり人声(ひとごえ)も光をおびて空(くう)を行き来す

・古くして古色を見せぬ空の下それぞれの郷(さと)それぞれの人

・日本列島くちなはならば九州は尾つぽなるらむ 淋漓たれ尾は


 巻頭一連「空」にはこのような作品が続きます。産土宮崎で暮らす矜持がゆったりとした韻律でスケール大きく詠まれています。日向一彦の本領です。また宮崎は「神話の源流」。こんな作品もありました。


・宮崎はわれの子宮か立春の空気つめたきをふるはせ歩む

・イザナミが先に声かけて何ゆゑによくなかりしか 水蛭子(ひるこ)よ怒れ


 宮崎に帰ることを「帰宮」と書いて「きぐう」と言うらしいのですが、知人が「ききゅう」の方がいいとおっしゃったのだそうです。そうか、それはまるで母胎回帰だなと、そういう思いで詠まれたのが1首目。2首目は『古事記』イザナミの国産みの場面ですが、今のジェンダー平等観が背景に見えて、歌の心もアップデートが必要なんだと確認できた1首です。


 伊藤さんの詠む宮崎は明るくてやさしくて、とても慕わしい場所、という印象ですが、今回この歌集ではそうではない表情も描かれていて考えさせられました。


・小暗さが隠すものあれば明るさが隠すものあり貧困、破婚

・宮崎の人はお人好しといふ批評聞きつつ微傷なきにしもあらず


 「明るくてのんびり屋」という印象の宮崎人ですが、その実、自死率も高く、貧困、離婚も少なくはないそうです。「お人好し」という言葉にも「微傷なきにしもあらず」と遠慮しながら異を唱えるあたり、やはり宮崎の人はやさしすぎるなあと思うのでした。


 宮崎と言えば、伊藤一彦と言えば、やはり牧水。小枝子との顛末を詠んだ作品にも心惹かれましたが、まるで牧水が憑依したかのような、こんな歌が印象に残りました。


・瀬物より底物がよし冬の夜のひとりの酒の肴にせむは


 「目のなき魚」を思って酌む夜の独り酒。下戸の私でも一献……と思ってしまいます。伊藤さんのお酒の歌、やはりいい。


・どの花も伽藍に勝ると思ふなり屈み見てゐるこの小さきも

・雲の間(ま)に月あかり見ゆ四苦ならず四恩におもふ生老病死

・貰ひたるものばかりなり返礼の微笑して行く照葉樹林を


 宮崎の自然との交歓を詠んだ作品に満ちた部。そして本歌集必読の部へ移ります。


・睡眠の女神のかほを知りゐるは熟睡(うまい)のひとか不眠のひとか

・一行の文も書き得ぬ鬱の身を連れ出し月の光を呑ます

・さなかには姿の見えぬ鬱にして過ぎたる後はさらに見えざる

・魚のやうにベッドに伏して娘より背にうけてゐるアロマセラピー


 20202月、新型コロナウイルス感染拡大により世界は一変しました。社会構造が大きく変わり、非日常が日常になってゆく中で、心身のバランスを損なう人も少なくありませんでした。伊藤さんもそういう一時期を経験されたようで、カウンセラーとして長く人間と関わり続けた方らしく世の中の「気」をいつとは知らず引き受けてしまわれたのかと心配していました。けれど、月に、お嬢さんに癒され、完全復調。「月の光を呑ます」は「月語」を解する伊藤さんならではの表現であるなあと感動しました。


・生きものを賊(そこな)ひ生きる人間が損(そこな)はれゆくをいきものが見る

・片雲のどれもかがやく秋の空 人は暗すぎる人は重すぎる

・新しき〈我〉と知り合ふ毎日が老人にもある 黒鶫来る


 コロナ禍を通じて、哲学的な眼差しが光ります(伊藤さんは哲学科出身)。2首目の45句の字余り、3首目の結句の付け方など、私などが言うまでもないことですが、歌が本当に上手い方だなと思います。気持ちが韻律を生む。韻律に気持ちが乗る。この境地、いつか達してみたいです。


・芒野のなかにぐんぐん入りゆけば追ひてくるなり白の化身が


 部最後の作品。「白の化身」はもちろん芒のことでしょうが、それ以上に不可視の強迫的な存在を感じさせます。不穏な余韻を持って「にんげんの凶年」(にんげんの凶年の世となりにけり鳥はかはらず歌ひ花笑まふ)を詠んだ部は閉じられるのでした。


・新月の暗香(あんかう) それ以上近づき来るなと閉ざす闇あり


 2021年はいまだコロナ禍緊急事態宣言下にあり、さまざまな行動制約がありました。「それ以上近づき来るな」というソーシャルディスタンスは「闇」。実際、マスクをすること(口元が見えない)、触れ合えないことが子どもたちのアタッチメント形成に大きな支障をきたしているようです。こうした制限、中でも不要不急の外出自粛の日々は自然と作者を宮崎再認識へと誘います。「みやざき今昔」と題された一連はまさしく伊藤さんの子宮であるかの地を訪い直し、問い直した作品。日向に生きる誇りを歌い、生き難い時代を生きる言挙げに満ちた一連でした。


・牧歌的で言霊ふくんだ風のやうと日向弁聞きき石牟礼道子は


 「みやざき今昔」の中で「日向衆闇かぐら」と詞書が付された1首。この歌が本歌集タイトルの由来です。このことについて、伊藤さんは後記で、まず石牟礼さんの言葉を引かれています。


・ことばというものは、言霊、いったん言葉となって発せられたならば、魂を持つものだと固く思いこんでいるわたしは、魂のうすいような、饒舌すぎる東京弁に、詩的飢餓感をおぼえていたものですから、それこそ南の風のように、ほとほとと渡ってくる日向弁をきくと、心がうるおって、いい夢を見るんじゃないかと、その夜は胸の中で鈴が鳴っているような気持ちになるのでした。


 あの石牟礼道子氏の心をかくかように捉えた日向弁。それについて伊藤氏は次のように記しています。


・それにしても石牟礼氏が日向弁について語っている文章は、日ごろ日向弁を話している私からすると、恥ずかしく照れくさい。「言霊を含んだ風のよう」の言葉には驚いた。それで先のような一首を私は詠んだのだった。したがって、本書のタイトルは石牟礼氏にいただいたものといっていい。天国の石牟礼氏に有難うと申し上げたい。そして、いわば野天の冷たいコンクリートのような世にむけて「言霊の風」が私の歌にも吹き、読者にもほとほとと届くようなことがあったら嬉しいと思う。


 2022年春までの作品を収録する本歌集部後半にはロシアによるウクライナ侵攻に取材した作品もあります。結局、収束を待たず、コロナ禍以前への復帰が始まった日々も含め、世界が「野天の冷たいコンクリート」化に雪崩を打って進んでいます。


・人類にオウンゴールありくれなゐの千入(ちしほ)の空に今日がつつまる

・勝負(かちまけ)なく生死(いきしに)もなく白雲はかがやき流る有か無かの世を


 歌集掉尾の一連「オウンゴール」より。人類の行く末を案じ、予見し、それでも絶望ではなく希望を信じたいという日向一彦。その詩人の魂を運ぶ『言霊の風』に吹かれてみたいと思うのでした。




  あなたこそが空なり日向一彦よ青よりほかになき青の空


*伊藤さんは本歌集に収録されている作品により、今年第58回短歌研究賞を受賞されました。おめでとうございます。

2月、「言霊の風」に吹かれに「若山牧水賞」贈賞式を拝見してまいります。奥田亡羊さん、おめでとうございます。



 2022年、間もなく終わりますね。みなさまがよき年をお迎えになりますようお祈り申し上げます。

「南の魚座 福岡短歌日乗」、来年もバトンを繋ぎます。


# by minaminouozafk | 2022-12-27 11:10 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(0)

 

 近くの中浜市場の魚屋さんが次々と閉店してしまってここ最近お魚難民だった。わざわざデパートや生協などで買っていたのだか、常連ではないのでもどかしく、刺身を家でいただくことはほとんどなかった。11月半ばゴールデンウィーク頃まで通っていた魚屋さんの跡がきれいになって、あたらしく何か開店するのかしら…とは思っていた。 


 たぶん戦後の闇市からと思われる中浜市場、30年ちょっと前は魚屋さんが7軒入っていた。ここ10年ほどのあいだに2軒になってしまい、肉屋も1軒、八百屋はゼロだ。


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 しかし去年あたりから小さなかわいい花屋、カフェ、スマホの修理屋さんなど新たな展開をみせている。馴染みの魚屋さんのあとは何のお店かしらとぼんやり思っていた。


たしか美味しい刺身が食べたいとわざわざ山陰に出かけた翌々日。馴染みの魚屋さんのあとに電気がついている。


  蛍光灯の明かりにスポットライト、もしかして魚屋さん?っと思い市場の奥にすすむ。予想的中。壁も白くリフォームしたせいか清潔感がただよう。冷蔵、冷凍ケースのそば発泡スチロールのトロ箱がならぶ。大きな鱧は売約済み、トロ箱のなかの甘鯛は大1000円、小700円とアバウトなお値段。魚屋の店主はあきらかに私より若く、とっても元気。


 魚屋さんがあるとは思わなかったので、エコバッグはいろいろな食品でいっぱい。とりあえず甘鯛の大を一匹いただく。三枚におろしてもらって、身はあんかけにして、アラはお吸い物に。本当に鮮度抜群でとてもおいしかった。


 それから1か月。週3くらいで通っている。歩いても10分、車での帰りにも立ち寄れる。だんだん仲良くなって、いろいろアドバイスしていただく。



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珍しい魚もおすすめされる。そのなかで見た目もあざやかで刺身も絶品だったのは綾目笠子、とっても鮮やかな朱色の模様が美しいカサゴ。朱色の綾目。たのむとプラス100円できれいに薄造りにして皿盛にしてくれる。その手際がじつにあざやか。話しているうちに出来上がっている。



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 網目鰈もはじめていただいた。くせのない白身でムニエルにした。レンチョウのようだが匂いはない。網目模様もきれい。冷蔵庫で一夜干しもよさそうだ。



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 先日、皿盛にしていただいた笛吹鯛もあっさりしておいしかった。笛を吹きそうな口。別名、口のなかが綺麗な朱色だから口美鯛ともいうらしい。


 まだ1か月ほどだが、書き出してみるとたくさんの種類の魚をいただいた。ふっくりした穴子は脂がのって煮穴子にして絶品。石鯛、アラ、マグロ、ニベなどのお刺身。鰆、メンタイ、鯵のフライ。鯖、鰯、子持ち鰈の煮つけ。ばとう鯛やホウボウのてんぷら。アラは皮目がぱりっとしてムニエルにしても美味。トラフグのあらも出汁がたっぷりで鍋にしていただく。殻付き牡蠣や若布もこの季節ならでは。


 いろいろな魚の講釈を聞かせてもらうのも楽しい。全国的に水揚げ量の減少は明らかで下関も然り。唐戸市場の魚もずいぶん少なくなったようだが、まだ下関では上手く仕入れることができる魚屋さんに出会えれば大丈夫みたいだ。馴染みの魚屋さんの閉店で困っていたお正月のフグももちろんお願いした。



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わたつみを綾目笠子の朱き鰭たどり水天門くぐる夢










# by minaminouozafk | 2022-12-26 08:35 | Comments(0)

雪の日に 大西晶子

一昨日は朝起きると近所の家の屋根が白く、道路もほぼ白くなるほどに雪が積もっていた。ニュースなどで前日から雪の注意報が出ていることを知っていたので驚きはしなかったが、美容院の予約を入れていたので車で出かけて良いものかどうか迷ったすえに歩いて行った。薄く積もった雪はすぐにも溶けそうだったが、天気予報では午後からも雪が続くと言っていたので坂道の多い私の街ではスリップが心配だ。トレッキング用の靴を履いて歩くのは久しぶり、少し寒かったがそれはそれで楽しい時間だった。

その時に写真を撮らなかったことを後悔したが、雪は結局午後には溶けて、昨日はやはり寒かったが植木鉢に残っていた雪も昨日の午前中に消えてしまった。


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赤間駅前23日朝



 一昨日の朝、次女から宗像市内の雪景色の写真が送られてきた。雪で困っているのではないかと心配してくれたらしい。よく見たら宗像市の防災カメラで撮られた写真だ。市内三か所が写っている。説明によると、十分おきに新しい画像に変わるらしい。宗像市の公式サイトで宗像市危機管理課という課が出しているようだ。

 自動的に防災カメラが働き、写真を写しているらしい。交通事故や犯罪の調査の役に立ちそうだし、積雪などで危なければ警察と連携して対応したりするのだろう。

 便利で安全な市を目指す方法としては悪くないと思うが、監視社会にも繋がるのかと思うと気にならないでもない。


 先週の日曜日のブログに私はミステリー好きだと書いたが「犯罪は引き合わない」と常々思ってきた。今のように防犯カメラがあちこちに設置されるとますます犯人の逃亡は難しくなるはずだ。

書店に行くとミステリー小説の新刊が並んでいるが、推理小説の作家たちは犯人を割り出し、逮捕するのをどうやって難しくするかで毎日悩んでいることだろう。


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赤間駅前24日午前


街角のカメラがわれのアリバイを証明すらむ今は無罪と


# by minaminouozafk | 2022-12-25 10:42 | Comments(0)