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難読地名 大西晶子

 三月の宗像大社社報むなかたの献詠短歌の応募作品に次のものがあった。

〈上八と書いて「コウジョウ」という地名きっと誰かが写しまちがい〉

助詞に難はあるが、宗像市民として共感できた。40年前に宗像市に引っ越した頃から気になっていた地名だ。まさか誰かの読み間違えの結果の地名だとは思わないが、「明治期の役所の職員の書き間違いで、それ以来家族の姓が変わってしまった」と当事者から話を聞いたことがあるので、あり得ないことではないかもしれない。


それはそれとして、宗像市には読み方が難しい地名がある。まず宗像(むなかた)そのものも、知らなければなんと読むのか首をひねりそうだ。他にも許斐山(このみやま)や神湊(こうのみなと)なども読み方が難しい。

その中でもとりわけ不思議な読み方が上八だ。「こうじょう」と読む。釣鐘が海の底に沈んでいるという伝説がある鐘岬(かねざき)港に近い地区の名で、何かいわれがあるのだと思うが不明だそうだ。しかし海外とも交流のあった土地なので外国語に源があるのかも、などと想像は広がる。 


この上八の交差点が県内で二番目にできた、福岡県内ではまだ数少ないロータリー式交差点であることを最近知った。以前から気にせず通っていた場所だが、実は福岡県内では珍しい交差点だったらしい。交差点だけど信号機は無く、ロータリーの周りをそれぞれの道から時計回りに左向きに入り行きたい方向の道に出ていくのだ。


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上八交差点の案内板


北九州市の八幡にも同じタイプの交差点があったが、そこが県内最初のロータリー式交差点だった。それを知らずに母に会いに行くときに時々通っていたので、上八でも特別感は無かったのだ。今の上八は交通量がほどほどで見通しも良いので気持ちよく通過している。


昨日はその交差点を通って松林の間の道路をしばらく走り〈道の駅むなかた〉へ行った。途中の駐車場に車を置き三里松原の松林を少し歩くと目の前に地島(じのしま)が見える。後で知ったが、昨日314日の地島は椿祭で賑っていたそうだ。




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地島


上八の浜より見たる水平線はるの陽のした船影を置く

ロータリーをゆるりとまはり曲がりたり鐘崎漁港で活き烏賊買ふひと




# by minaminouozafk | 2026-03-15 11:23 | Comments(0)

雀の寿命  栗山由利

 日に日に日射しがやわらかくなり、七十二侯「雀始巣(すずめはじめてすくう)」ももうすぐである。昨年、リニューアルオープンしたスズメ食堂も稲刈りの頃からお客さんが減ってきて、この冬は1羽も見かけることがなかったが少し前からまた元気な声が聞こえて来たので、残りご飯を置き始めた。


 夫は夫でウォーキングの途中でアオサギと鴉にパンを与えているらしい。野生の生きものにわれわれが口にするものを与えるについてはいろんな意見もあるとは思うが、夫の姿を見つけて毎日飛んでくるようになると、気持ちはもうペットと同じである。先日、ふと鳥の寿命ってどのくらいなのだろうと思い調べたところ、野生下でカラスは78年、ハトは約6年、ツバメは短くて約16か月そして身近なスズメは1年~3年なのだそうだ。もちろん飼育下ではもっと長生きした場合もあるそうだが基本は野生である。


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 意外だったのはスズメの寿命がとても短かったことで、春に生まれて秋を迎えられるのが約50パーセント、そして冬を越して春まで生きられるのがその半分の25パーセントだという。また日本に生息するスズメはこの20年間で80パーセントも減少したそうである。


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<3年前にベランダに迷い込んだ子スズメ。その後、無事に飛び立つ>


 スズメが巣をつくるのは建物の隙間を利用することが多い。しかし、ご近所を見ても昔ながらの戸袋や瓦屋根の家は取り壊され、雨戸、雨どいのない家が多くなった。また、庭を造るお宅も少なくなりスズメが身を隠す樹木や低木も減っている。河川敷に目をやればアスファルト舗装の遊歩道が整備され藪や草むらも減少しており、餌となる種や虫は明らかに少なくなっている。稲を食べるスズメはニュウナイスズメといって街のスズメとは別のものであるが、かつては中国でこのスズメを大々的に撲滅させたところ、害虫が大量発生し逆に大凶作になったことがあるそうだ。ニュウナイスズメは稲も食べるが稲の害虫のバッタも食べていたからだそうである。自然の連鎖の輪の一か所を断ち切るとたちまちその均衡は破られるという実例である


 この先、スズメを見かけることが珍しいという時代がくるかもしれない。だからと言ってみんなでスズメに餌をやりましょうとは言わないが、窓から差し込む朝の光とスズメの声は私にとって春の訪れを感じさせてくれる、ずっとあってほしいもののひとつである。


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<一足早く満開の桜ん坊になるさくら>

       かくれてるつもりでせうが雨どいに頭ふたつがみえます雀


# by minaminouozafk | 2026-03-14 14:37 | Comments(0)

木登り少女 大野英子


 久し振りに、博多川沿いに、那珂川と合流する道を港まで歩きました。ベイサイドの西側、わが家からは、一番近い港の風景に出会えます。

 そこには緑地サンセットパークという小さな公園があります。


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 緑が豊かに茂っているときは気付かなかったけれど、葉が落ちて、芽吹きはじめの今、私の中の木登り少女の血が騒ぐ、一本の木があります。


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近寄ると、ますます登ってくれと言っているとしか思えない堂々とした幹と枝振り。もちろん、年も年ですし登りません。木も、根っこが土から姿を見せて、そうとう年季が入っていそうです。

 そっと、この幹をなでて、お互いがんばろうね。って声を掛けていました。


 木登りと言えば、長崎の母校である淵中学のグラウンド横の土手を思い出します。

まだ幼い頃ですが、校舎裏を通り抜けた、グラウンドから下に向かう土手沿いに手頃な木が植えられているその場所は、遊び放題、登り放題、土手の下を流れる小川の辺りは、春にはノビルがたくさん摘めました。


  

 もうひとつの遊び場所は、近所にあった簡素な造りの製材所。平日は電気鋸の音が響き渡る場所でしたが、休日はひと気もなく、あちこちに木材が積んであるその場所は、恰好の秘密基地でした。

 思い出すだけで、削られたばかりの木の香りが蘇ってきます。


 今、思うとどちらも危険な場所ですね。でも、昭和のこどもたちはそうやって遊んでいたのです。何年か前に訪ねた街並みはすっかり変わり(急な坂と細い路地はそのままですが)中学校も立派に建て替わり、きっと危険な土手もなくなっているでしょう。


 

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木を眺めながらぼんやり思い出に浸っていると、あっというまに夕暮れが迫っていました。


               水際をはたはた叩く音がするまで低く飛ぶうみう 帰らう


# by minaminouozafk | 2026-03-13 07:25 | Comments(0)

春3月   鈴木千登世

萩の母からわかめともずくが届いた。わかめはこの春の新わかめ。竿干しして乾燥させたものが刻まれてすぐに食べられるようになっていた。毎年このわかめで握ったおむすびを食べると春がやってきたことを実感する。

今年のわかめは少し粗い。以前は少し湿らせたふきんに包み半日置いてから包丁で切っていた。そうすると固いわかめがやわらかくなって刻みやすいのだ。美味しいけど刻むのがねえ。とよくこぼしていた。最近はキッチンバサミに変えたとか言っていたが、わかめを刻まないと母の春も始まらないのだろう。


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書店に夏川草介の「エピクロスの処方箋」が積まれていた。今年の本屋大賞ノミネート作で隣にはシリーズ一作目の「スピノザの診療室」が置かれていた。図書館で借りるとしたら数か月待ちになる。やっぱり今読みたい。読むなら最初から読みたい。迷った挙句結局2冊とも買ってしまった。

帯には「その医師は、最期に希望の明りをともす」とキャッチコピーが記されていた。主人公は将来を嘱望されていた内科医の雄町哲郎。亡くなった妹の子どもと暮らすために大学病院から京都の地域病院に移った彼の、死と向き合う日々が描かれている。一章だけを読むつもりだったのにやめられず結局三章まで読んで夕食の準備に取り掛かった。


読んでいるとしきりと父のことが思い出された。今年に入ってまだ実家を訪ねていない。3月は父の誕生月で亡くなったのも3月。会いに来いよと父がこの本を勧めたのかもしれない。


母暮らす海の家にも春は来て水仙、菜の花、光るさざなみ

早咲きのさくらの並ぶ花の店莟の(さは)な一枝を父に


# by minaminouozafk | 2026-03-12 12:06 | Comments(0)

ブログ記念日114


 15年前の今日、私は糸島の図書館の2階にいた。1階のカウンターでその報を聞いた。対応してくれた院生アルバイトのゆるやかな三つ編み、片側に寄せられた三つ編みの陰影が、その日の栞のように残っている。

 日本に住む多くの人が、あの日、生活の時間が狂う経験をした。物理的にも精神的にも――。福岡は近いとはいえず、けれども遠くの出来事とはとうてい思えなかった。

 訪れて記憶に新しい鮎川港にまだ私は立っていたし、若い祖父母が暮らした家も幼い母が通った坂道もあざやかに思い出された。


 11日のめぐり合わせで、今日は「南の魚座」の記念日。改めて歌の縁をおもいつつ有川記す。


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 羽白熊鷲 有川知津子

ここもまた誰かの故郷ひびわれた樹木に注連縄が張られて

射貫かれしすがた記憶にある者かつばさ鳴らさず生きる里人

丘陵は鳥のつばさに暮れてゆく人のすがたを見失ふまで

ゆふぞらを東へ駆ける笑ひごゑ羽白熊鷲の奥つ城どころ

羽ばたきに雲ほぐれつつ遠浅の海の引ききるときのしづけさ


 たゆき海光 鈴木千登世

子ども語のひとつと思ふ〈こんぷりいと〉回らぬ舌が得意げに言ふ

食堂にカレー匂ひて穏やかな午後 病む人もゆるく息して

島影を過るフェリーの影消ゆる時あり たゆき海光の中

時代つと移り何がな書きにくく殺虫剤をスプレーと記す

やさしさの時代は良けれ良けれども良いのか「殺」の字の消えゆくは


 きらめきの一皿 大野英子

きらめきの一皿と逢ふ北風にあふられて着くあはきともしび

うつくしき手仕事なりて時をかけあじはふ一皿、またひとさらを

あさのひかりゆふべのひかりをたくわへて時ながく咲け梅のしらはな

鳥を呼び花虻を呼び花しづか実らずとも良し老木の梅

とぢてゆくひとひたまゆら火を灯すたいやうそしてけふの充実


 父のサンダル 栗山由利

孫をつれ徐州の桜もみただらう父のサンダルおかへりなさい

一杯のお茶でちかづくこともある さあお茶しましょ、春はテラスで

案内のこゑはかろやか語尾すこしあがるのもよし女性運転士

テーブルを笑顔がかこむまんなかに主役となつて母の手料理

黒髪のほつれなほして雛壇にならぶ(ひひな)も七十二歳


 縫ひぐるみ 大西晶子

もの言はぬ縫ひぐるみたちにたましひを見出だし児らは良き友にする

やはらかき縫ひぐる抱けば老いわれに降りて来たれり慰謝のごときが

欲張れば身を損なふとふお神籤を運びきたれり土のしろうま

得点はどうあれ力尽くせしはひと世のあかき記憶にならむ

風呂の湯に手足のばして思ひをり雨多き国に生れしは恩寵


 にんまり笑顔 百留ななみ

てんこ盛りに仏飯そなふ仏壇を囲むちちはは四人の写真

坪井川わたり上通りの古書店へ漱石となりそぞろゆく午後

黄楊の木で彫られし入れ歯を愛用せし本居宣長、滝沢馬琴

セツさんのにんまり笑ふ遺伝子を継ぎたるミータンすくよかならむ

大ミミズ驚かせつつ三月のはたけに人参ていねいに蒔く


 ハードラー 藤野早苗

カンバスに紛れ込みたし語り部の咽喉(のみど)をとほり名を呼ばれたし

新しきわたしの小さなコンクェストe-Taxで申告をせり

迫りくる障害迷はず飛び越して110(トッパ)ハードラーだつたあの頃

戦ひのなき世のための戦ひと大義搭載ミサイルが飛ぶ

ミモザの黄掲げてあゆむフラワーデモ 「わたし」を大きな主語で括るな



# by minaminouozafk | 2026-03-11 08:00 | ブログ記念日 | Comments(0)