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そのさくらを見たのは秋の朝。朝靄のうすぼんやりしたなかに白く凝ったなにかが見えた。なんだろうと目を凝らすとまさか、さくら……。スマホで確認すると2022年11月18日午前6:40とある。花季を違えて咲いてしまったさくらは淡くてはかなくて夢のようだった。


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花季のおとといは雲ひとつない晴れ。写真からも空気が澄んでいることが見て取れる。時間は偶然にも6時40分。秋の日のあのさくらは緑の葉と一緒に白い花をほんの少しいただきにかかげていた。

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染井吉野、山桜と並んで健やかに立つ姿にけなげないのちの働きを思いながら峠を越えるといつものお地蔵様にも桜が手向けられていた。


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帽子と前掛けもしばらく前から新しいものに替わっている。夏に見かけた方がお守りされているのだろう。人は代わりながらもずっと大切にされてきたお地蔵様なのだろう。



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振り向くと水面から靄が上っている。この堤の名は「羽平堤」。最近知ったのだが、冬には鴨たちが訪れる水場にふさわしい良い名前だと思う。たくさんいた鴨たちも北へ帰ってしまって、今は十羽くらいの鴨や鷭が時おり水に潜りながらひっそりと浮かんでいた。この日は青鷺もやってきていた。


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6分咲きくらいの桜の傍をいくつか通り坂を下ってゆくと、電柱のそばにひときわ見事な山桜があった。華やかな染井吉野はあこがれのようだが、うす紅の葉と一緒に咲く山桜の控えめな姿にはまた別の趣がある。


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一日がたちまち遠し山桜     宮坂静生『火に椿』



こんな句を見つけた。




 さくらの花季はいつにも増して発見が多い。いつにも増してこころが動くからだろうか。




青空にさくら咲く日はどこからか歌声聞こゆ拍手が聞こゆ



# by minaminouozafk | 2023-03-30 09:20 | Comments(0)

 

 先週の土曜日(25日)、お招きいただいていた結婚式にうかがった。新郎も新婦も存じている。

 ことに新婦は、妹のように思うひとである。いつも新しく、いつも真実であろうとするゆえに傷を負いやすかった彼女は、いつのまにかその質は変わらず内に強さを抱くひととなった。今は夫となったその人との出逢いがあったからであるだろう。


 

 新郎と新婦のつくり出す空間の清澄なことは、数学的で文学的であった。新郎が数学者で新婦が文学者ということが私に思われていたからかもしれない。

 てのひらを上に向けると大きな白薔薇が――わたしのてのひらにさえ――現われるのではないかと思うような空間だった。



 お招きありがとう。


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その父の(かひな)にしろき手をかけて花嫁はゆく春のひかりを



# by minaminouozafk | 2023-03-29 07:59 | Comments(1)

 先週『源氏物語』に登場する女性をもうひとり紹介するお約束をしました。その女性とは、近江の君。『源氏物語』三大ユニーク女性の一人です(他二名は、末摘花と源典侍)。


 近江の君は、頭の中将、つまり現内大臣の落胤。正妻の娘ではもちろんなく、側室といったそれなりの格式のある妻の子でもない。いわゆる「劣り腹」と言われる出自なのですが、生まれてくるときには妙法寺別当の大徳が修法を行ってくれたとか、乳母に育てられたとか、全くの庶民ではないようです。父親にあたる人間が生まれてきた子に一生会うことはないというのも平安の御世のデフォルトで、この近江の君の場合も実の父内大臣その人に会わないまま終わる可能性はとても高かったのではないかと思います。


 彼女の人生を変えた一番の原因は玉鬘。ある日突然、ライバルである源氏がその邸宅六条院に連れ帰った絶世の美女、玉鬘。聞けばそれは源氏の落胤で、尊き仏縁のお導きで親子の名告りが叶ったのだと言う。それを聞いた内大臣は悔しくてなりません。そんな美しい娘が見つかったのなら、源氏のことだ、また帝に入内させて、自らの権力基盤をいっそう磐石なものにする気なのだ、ともうはらわた煮えくり返る思いです。そこで、かつては自分も少なからぬ浮き名を流した身、どこかにそんな風に美しく生い育った娘がいないものかと、息子の柏木を使って探させます。そして、その柏木の尽力で見つかったのがこの近江の君。その名の通り、近江の国で生い育った彼女を、内大臣は自邸に迎え入れます。


 ところが、その娘を一目見て、内大臣の期待は憂鬱に転じます。小柄で愛嬌がある可愛らしい顔立ち、額が狭いのがちょっと惜しいけれど、それ以上に内大臣を悩ませたのが彼女のとんでもない早口とその早口をもって繰り広げる双六遊び。キンキンした高い声で、友達の五節と口さがないよもやま話をしながら賽を振る様子がなんとも品がない。生じっか自分に面差しが似ているのも腹立たしい。源氏が引き取ったという美女玉鬘と比べてはますます落ち込む、そんな内大臣の心中を察することもなく、近江の君は新たに開けた世界に対する希望に満ち溢れています。


・ねえ、五節、私のお父さんのお美しいことといったら。あんなに素敵な人がお父さんだったのに、私は今までなんでこんなにみすぼらしい暮らしをしないといけなかったんでしょうねえ。


 それに対して五節は、内大臣一家は近江の君にとっては立派すぎて、そこでは大事に扱ってもらえないのではないか、となかなか鋭い見解を申し述べます。その言葉に軽く立腹した近江の君は、


・五節、あなたはもう私に馴れ馴れしくできるような立場にはないのよ。私はそのうち、内大臣家の姫としてみなにかしづかれるようになるんだからね。


 と言い放ち、そのためには教養のあるところも見せておかねば、と内大臣家の人々に宛てた和歌を詠み、(厄介払いのつもりで、内大臣が近江の君を預けることにした)弘徽殿女御(内大臣の娘)の元になんとも珍妙な歌を届けます。


 草わかみひたちの浦のいかが崎いかであひ見んたごの裏浪


 歌意は「いかであひ見ん」(どうかお会いください)のみ。あとはむやみに歌枕を羅列したのみの31音。筆跡もなかなかあやしく、青い色紙に書かれた一首はそのバランスが極めて悪い。その歌は結局、弘徽殿女御周辺の人々の失笑を買ったわけですが、当の近江の君は悦に入っています。地方で、庶民に混じって生活してきた身で、和歌を詠めるというのは、実はなかなかなものだと思うのですが、ここはかの弘徽殿女御の御局、並み居る女房の教養も生半ではありません。客観的にみて、近江の君にはかなり分が悪い。けれど近江の君は負けません。父、内大臣に向かって引き取ってもらった礼を心から述べ、父親のために役に立てるならなんでもする、宮中に尚内侍(最上級の女房)として出仕できるなら、「御大壺とり(おおみつぼとり)にも仕うまつらむ」(便器掃除もいたしましょう)ととんでもないことを言い出す始末。これにはさすがの内大臣も笑いを堪えかね、


・いや、それはちょっと不相応なお役だね(尚内侍近江の君には無理、御大壺取り内大臣の娘にはさせられない)。私に孝行したいと言うのなら、まずはその早口をなんとかしておくれ。そしたら私の寿命も伸びるよ、きっと。


 と返します。元々面白いところのある人なので、近江の君のユニークさは実は父譲りなのかもしれません。本当は誰より気の合う父娘かもしれないのに、平安の御世の価値観には一から十まで、全くそぐわない近江の君のキャラクターゆえにそれ以上距離感を縮められない二人なのでした。


 この近江の君のその後については、実は『源氏物語』そのものには書かれていません。彼女の希望した宮仕、からの尚内侍に出世、というサクセスストーリーを紫式部は用意してはくれませんでした。人口に膾炙した『あさきゆめみし』では、窮屈な宮中生活に辟易した近江の君は宮仕を辞して故郷に帰ることになっています。そうなのかもしれません。作者大和和紀は、宮中で政治の駒として生きる玉鬘よりも自らの意思で人生を選ぶ近江の君の幸せを描きたかったのかもしれません。


 でも『源氏物語』における近江の君のその後は「忘れられた人」なのです。愛嬌があり、少々品下りはするけれど、コミュ力高く、何事にも前向きで、仕事も任せればそこそこできる。何より親の期待に応えたいし、役に立ちたい。水汲みだってトイレ掃除だって何だってする……。こんなやる気のある人間が当時の理想とされる女性像に合わないからという理由で黙殺される。それは先週述べた玉鬘の懊悩とは真逆なベクトルですが、やはりそこには自らの能力を開花させられない女性の悲哀が描かれているように思います。兄より才(ざえ)に恵まれ、父をして「お前が男であったなら」と言わしめた紫式部の自己投影が働いていたのかもしれません。


 千年以上前の物語に、このようなキャラ立ちした女性を登場させ得た紫式部の先見性に驚きます。それが必ずしも肯定的な登場のさせ方ではなかったとしても、式部はそういう女性の存在に気づいていたということです。ひょっとしたら近江の君のロールモデルは、ライバル清少納言かもしれないなあと思ったり、でも式部自身の内なる一面の表出であるのかもしれないなあと思ったり。明るく、おきゃんな近江の君のその後が幸せであったことを祈ります。


 

 振り出しにもどるをいくたび繰り返すリアル人生ゲームの途上




*もうお気づきとは思いますが、玉鬘と近江の君は腹違いの姉妹です。どちらも内大臣の娘。内大臣が、玉鬘が実の娘であることを知るのはずいぶん後のことになるのですが、この時、内大臣は玉鬘の養い親としての源氏に心底礼を申し述べます。おいおい、そこは怒るとこだろう……と読者は思わないでもないのですが、こうしたお人好しなところが内大臣の魅力でもあり、人に愛され、子福者としての人生を用意された理由かなとも思うのです。


世が世なら 近江の君について  藤野早苗_f0371014_13261742.jpeg


# by minaminouozafk | 2023-03-28 13:23 | Comments(0)

テロップ 百留ななみ


このごろのテレビ番組では外国人の会話はもちろん日本人のインタビューなどでもテロップがでる。耳と目からの情報でわかりやすいのが当たり前になっているのだろう。あまりテレビを見ないのだが、4Kテレビに買い替えたのでせっかくだから4k番組をと思いたった。旅番組やコンサートのほか、ときどきNHKのよみがえる新日本紀行の面白そうなのを録画して見ている。昭和38年から約20年間つづいた番組は39年生まれの私の子供時代とちょうど重なる。冨田勲の音楽もなつかしい。



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たとえば昭和55年の番組だったらもう高校生、45年だったらそろそろ小学生。でも画面のなかの子供たちにちょっと愕然とする。今と変わらない感覚なのに映像はむかしの子ども。なつかしく不思議な気持ちで見る。でも大人も子供もとても良い表情をしているのは、きちんと丁寧に生活しているからだろう。


戦争の最中だった父母の子どもの時代。高度経済成長期の私の子どもの時代。バブルが弾けたあとの息子たちの子どもの時代。そして次の世代の令和。ひと世代は30年、知らぬ間に変化している。充分に豊かだと思っていた子ども時代だが、いま映像を見るとやっぱり随分ちがう。まだまだ貧しい感は否めないが、明るくパワーに溢れている。方言なんてむかしの言葉のように思っていた昭和のこどもだったが、改めて新日本紀行をみると理解できない会話が多いのだ。そしてテロップがないことに気付く。当時は外国語以外にはテロップをつけなかったのかもしれない。



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いま再放送されている「よみがえる新日本紀行」では、番組の舞台をふたたび訪れるミニ紀行が最後に放送される。当時番組に出ていらした方がおじいちゃんおばあちゃんに、子供たちがすっかり我々と同世代になっていたりして面白い。そして豊かさとは何かをいつも考えさせられる。


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 海峡夫婦―関門海峡、歌がうまれてそしてー長崎県奈留島 など山口、九州の番組はもちろんテロップなしで大丈夫、なつかしく昭和をふりかえる。飛騨古川の蠟燭の話、日高のサラブレッドの話も面白かった。しかし岩手の南部潜水夫などはとても興味深かったが表情から言葉を憶測するしかなかった時もある。テロップなしもそれはそれで面白い。半分くらいは理解できていると思う。


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なんだか日本列島が今よりもずっと大きかったような気がする。それぞれの土地にそれぞれの文化。風土というものだろう。方言もそのひとつ。しかしまだまだ4k放送はほとんどがNHKBSのようだ。テレビもほぼパソコンと同じで録画はUSBのようなものを取り付けてもらった。そのうえJCOMのチューナーも4K用に変えなければならなかった。テレビひとつでもだんだん複雑になっている。




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 週末、熊本に行ったかえりに菊池公園でお花見。「帰り道だから寄ってみて、たぶん綺麗」の言葉で立ち寄ってみた。ときどき通る道だがいちめん花ざかり。さくらさくらと咲き満つる。風にのってはらはらと散る花びらも。季節は年々駆け足になっている。




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ロシア語もウクライナ語もテロップの日本語とおし独り合点す








# by minaminouozafk | 2023-03-27 07:56 | Comments(0)

 この週末は福岡県内の公園や城跡で桜が満開になっているようだ。まだ宗像では3分咲き程度だが明日には七分咲き位になっていそうで楽しみだ。

 4月の半ばには夫が1年と10カ月ぶりに家に戻って来る。先月からそれに備えて家の内外のリフォームをし、私も介護の講習を施設で受けている。

 今の夫には身体の不自由のほかに嚥下の問題がある。言葉は不自由なく話せるのだが、食べ物を呑みこむことが今一つ上手にできないらしい。「らしい」というのはコロナ禍で実際に会うことが殆どできず、実際にどのように毎日をすごしているのかがよく分からないからだ。


夫との会話、施設のスタッフの話を合わせると、お粥やとろみのある柔らかい食べ物なら問題が無いようだ。普通のお茶やコーヒーのような飲みものはそのままでは難しいが、とろみを付けると飲めるし、噛んでも粒々の残る食品はとろみをつけると食べられるらしい。しかし例えばご飯や、煮物、炒め物、揚げ物などの普通の食べ物は呑み込めない。


そのような状態の夫の食事を用意するのは、材料をミキサーなどで細かくしてスープを作る、あるいはあんかけのようにするなどの手間をかければ何とかなりそうだが、一日中食事の用意に時間をとられるのは困るし、三食すべてを自分の手でつくることが実際にできるかどうかは不安だった。そう思っていたら現在入居中の施設の栄養士さんと帰宅後のケアマネージャーさんから介護食の宅配のできる店があることを教えてもらった。


市内に3軒あるのでその中から一軒を選び試食をしてみることにした。昨日連絡をしたら今朝は昼ご飯が、午後には今日の夕食も届いた。選んだのは〈ムースセット食〉という種類だ。


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スーパーやデパ地下のお総菜売り場のような使い捨て容器に写真のような形で入っている。見たところ色がきれいで美味しそうだ。

昼ご飯の献立はチキンのトマトソース煮、玉ねぎと人参のマリネ、椎茸のバターソテー。

味は薄味で、それぞれの材料の香りがしっかり残っている。美味しかったのは椎茸のソテー。ちょっと驚いたのはチキンの色どり用に付けられた緑のかたまり。これは献立に載っていなかったが、口に入れてしばらくすると香りや、ややざらっとした舌ざわりで疑いなくブロッコリーだと分かった。お粥もおいしい。


常温で届くのでレンジで加熱して食べてみたが、これなら夫も美味しく食べられるだろう。午後に届いた夕食も見た目は昼ご飯と似ているが、こちらは鮭が主菜になっている。洋食が二食続くが明日はまた別の献立が届くので、和食か中華だといいと思っている。


それにしても、休日も毎食1食ずつ届けてもらえる食事の宅配があると思うと気が楽になる。大手メーカーの冷凍の介護食セットもあるので、それも現在注文し届くのを待っているところだ。夫の帰宅後しばらくは、宅配の食事や冷凍の介護食を主に使いながら、夫の食べられる料理を模索し増やしていこうと考えている。できることなら、夫の嚥下する力が強くなり、少し気をつければ私と同じものを食べられるようになるのが一番いいのだけど。




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あたらしき鰤と大根やはらかく煮てつくりたし夫の夕餉

匙の背で苺つぶして食べるとき思へり夫の喉とほるかと


# by minaminouozafk | 2023-03-26 10:01 | Comments(1)