2026年 02月 12日
カプセルトイ 鈴木千登世
山口線のカプセルトイが発売されたという記事を目にした。山口線沿線の4市町村それぞれで2種類、計8種類の地元ゆるキャラや風景をデザインしたキーホルダーが入っているらしい。フォトフレームにもなっているのでお気に入りの写真も入れられるという。
子どもがまだ小さいころ「ガチャガチャ」といって外出先にあった販売機でよく買っていた。子どもにとって自分でお金を入れることがまずうれしく、続いてガチャガチャ回す時の音と感触が楽しく、それに何が出てくるのかというワクワク感もあって楽しみにしていた。
既に成人した今もお気に入りのグッズがあると試しているようで、「これ当たった」と言って置いて帰るグッズが家の中のあちこちで増殖?中である。姉弟でコンプリートした云々と話しているのを耳にすると大人になっても欲しくなる仕掛けの巧みさを思わずにいられない。

私自身は間違いなく嵌るタイプなので、見ないようにしてきたのだが待ち合わせをしていたスーパーで1コーナーを占めるその壮観につい見入ってしまった。「ああ、これ娘が好きそうなキャラクターだ」と心が動いた。危ない危ない。油断するとガチャ沼に引き込まれてしまう。
記事にはカプセルトイと書かれてあった。ガチャガチャとかガチャポンと呼んでいたので調べてみたら「カプセルトイ」が総称で「ガチャガチャ」は商品名であり愛称としても使われているそうだ。ガチャポンに似た「ガシャポン」という商品名が見つかったけれど、私の周りではあまり使われていない印象だ。
先日娘と行ったスーパーに市内の中学校のジャージがキーホルダーとなったガチャがあった。娘は懐かしそうにしばらく眺めていたけれど結局購入しなかった。「欲しかったんじゃないの?」と聞いたら「懐かしいけど出身中学でないのが出てくるかもしれないから、またにする」と言っていた。すぐに出て来るように錯覚する私はやはり注意が必要なようだ。最近は地元のグッズがカプセルトイになっているものを見る機会も増えた。萩市内では萩焼のガチャも設置されているという。何となく気になり、手頃な値段につい回して買いたくなるガチャ……。

ひとつだけ買っているのが中也記念館の中也の豆本ガチャ。中也記念館限定というので訪れる記念にと買っている。開くとちゃんと詩が印刷されてそのクオリティに全5冊揃えたくなるのが悩み。まだ2種類しか当たってない。
何出るかはわからぬけれど脅かすものは出てこぬガチャガチャ楽し
子ども語のひとつと思ふ〈こんぷりいと〉回らぬ舌が得意げに言ふ
2026年 02月 11日
ブログ記念日113
第二次世界大戦後の一九四五年、日本の選挙法は大きく改正され、翌四六年の総選挙で初めて女性の立候補と投票が認められました。今年は女性が初めて投票した総選挙から八十年。

八日の朝。
投票を終え、立ち寄った神社の境内では、手水の青竹から小さなつららが下がっていました。これからの日本の歩みが、みなさまにとって佳いものでありますように。
玄関を拭く 有川知津子
期日前投票の列の最後尾「55分待ち」の看板が立つ
生きてゐてトルコ語を読むじゆんばんのめぐり来りぬ21tane
ユーフォニウムの音色のやうな実のなりて白秋生家は冬の日だまり
冬の夜の岸辺に立ちてあふぐとき鯨見山を星のまたたき
まれびとの声のゆらぎのとどく朝つめたい水で玄関を拭く
国鉄の香り 鈴木千登世
君の眼にこの青色は何色に見えるのだろう 猫のぞき来る
外は雪 鍋ふつふつと煮ゆる夜は離れ住みゐる親族をおもふ
「くべる」とふ言葉親しき遠き日の竃のなかに火はゆらめけり
雪中に夏柑の実の黄に灯る不思議言はれつ他郷の人より
〈国鉄の香り〉と言ふ名のフレグランス見つけたり香は記憶の主人
DOUTOR 大野英子
季はやくひらく苺のいちにりん雀げんきにさへづる朝を
ふゆぞらにりんりんと鈴を鳴らしゐるせんだんの木は鳥たちを呼び
あげ潮ときたかぜのなか街川を海へ海へと向かふみづとり
DOUTORで会ふときを思ふ二日間、会ふ四時間の満ち充つじかん
イタチかなハクビシンかな山道に落とし物してゐるいのちある
春節飾り 栗山由利
おもひだす母の味にはちかづけずでもいいのよと母の声がす
晴れわたる空に稜線くきやかな背振の山は雪をいただく
空と海へだてる境界線のない浦東にたつ風車の群れは
信号の赤までいわつてゐるやうな街にあふれる春節飾り
人がゐておいしい料理があるところ笑ひ声わきあたたかくなる
マグリットの世界 大西晶子
目の動きはやき人だと見てゐたり寺山修司四十二歳を
日常で出会ふ筈なき物と物ならべ創りしマグリットの世界
毛の長き犬の目のごと本体に身をひそめゐきパソコンのカメラ
ああやはり高野さんだとうなづきぬ推敲かさねるたのしさを読み
いさぎよく散るを美徳とする圧を拒みてさくら枝にながく咲け
貝をもとめど 百留ななみ
ポケットのスマホで雨雲レーダーをたしかめ外に濯ぎもの干す
からからの蟷螂ころがるベランダで日向ぼこする越冬飛蝗
大寒に貝をもとめど浅蜊、牡蠣、帆立、赤貝、鳥貝もなし
ペットにはなれぬ熊その強き爪、優しさ、匂ひをまたぎが語る
ミルガイは海松喰と知り匂ひまずたしかめ一貫かみしめてゐる
銀盤 藤野早苗
六歳臼歯抜かれしあとのカルデラをちよいちよい覗くわれの舌先
矢のごとき視線が刺さる銀盤に立つそれのみにもう喝采
タマネギが飴色になるまで炒めTheFate of Ophelia 無限再生
スナップを効かせて揺するフライパンに長命寺の皮身をひるがへす
紛争のある国あるかも知れぬ国 世界を二色で塗り分けなさい
2026年 02月 10日
Kiss &Cry 藤野早苗
みなさま、寝不足ではありませんか?
時差の関係で、リアルで見ようとすると深夜の観戦。私は無理のない範囲で見ています。
でも、フィギュアの団体戦はやはりリアルタイムで見たかった。
結果はアメリカに一歩及ばず銀だったけど、そんなのどうでもいいことです。
大健闘。
何より、チームGIAPPONEのキス&クライでの表情が微笑ましくて。
日本人も変わったなあってとても嬉しくなったのです。
私はオリンピックがあまり好きではありません。本来、競技は選手自身のモチベーションで取り組むものなのに、いつの間にか国威高揚のために利用されたり、国家間の政治力学に巻き込まれてしまっていたりして、結果どんどん表情が暗くなっていく選手たちを見るのが辛かった。
2006年、やはりイタリアのトリノでの荒川静香選手の美しいイナバウアー、あの演技以降20年、私は冬季オリンピックを見ていません。でも今年、イタリアへ出立する直前の坂本花織選手のカラッと明るいインタビューを見て、「あ、今回は見てみたいな」と感じたのでした。
画面を通して見る日本人選手たちはずいぶん様変わりしていました。話題になった入場のシーン、誰が発案者なのかはわからないけれど、自国の国旗と開催国イタリアの国旗を持つという行為は、各国から絶賛されたとのこと。それがそんなに驚くことなのかなと、むしろ不思議でしたが、こういう細やかさは日本の真骨頂。各国からの好意的な空気感の中、そのまま競技へ突入。いい流れでした。
フィギュアだけでなく、現時点ですでに日本はこれまでにないメダルラッシュ状態とのこと。なぜなんだろうと考えた時思い至ったのは、無駄な精神論からの解放。失敗を個人に帰する(あり得ない)責任論の放棄。一方で、演技、競技における科学的分析はどんどん進化し、競技者個々人に合わせたトレーニングメニューとメンタルケアがシステマティックに構築されている。
そんなシステムを背景に、世界という大舞台に立つ若者を、「日本のために頑張ってこい」と送り出すより、「思いっきり楽しんでおいで」と声をかける方が結果的に成果が上がるのは必然でしょう。
人は国家のためにあるのではなく、国家が人のためにある。
オリンピックと並行して行われた、たった期間16日の衆院選。議席の2/3を与党が占めてしまったこの選挙が、いつか国民をリンクではない場所に押し出すような事態が訪れないことを、今は祈るばかりです。
矢のごとき視線が刺さる銀盤に立つそれのみにもう喝采(アプローズ)
2026年 02月 09日
ミルガイ 百留ななみ
仕舞で「藤」のキリの稽古をしている。

氷見のあたりの多祜の浦。大伴家持の赴任地でお供の縄麻呂が詠んだ歌が万葉集にある。
多祜の浦の底さへ匂ふ藤波をかざしてゆかん見ぬ人のため
万葉集 巻19

「藤」は観世流、宝生流、金剛流での曲。
多祜の浦に着いた旅僧が口ずさむ古歌。
宝生流では
「常盤なる松の名たてにあやなくもかかれる藤の咲きて散るやと 紀貫之」
観世流では
「おのが波に同じ末葉のしをれけり藤咲く多祜のうらめしの身ぞ 慈圓」
それを耳にした女は宝生流では「散る」観世流では「しをれ」 が入っていることを咎める。「多祜の浦や汀の藤の咲きしよりうつろふ浪ぞ色に出でぬる」 のように詠まないのは情趣を知らない人だという。
曲の終わりは宝生流では「梢に青葉や残るらん。」観世流では「たなびく霞に入りにけり」かなりイメージが異なる。
観世流は江戸時代に手直しされたようだ。松を松平、藤を藤原と解釈して、松のうえに藤がくるのはよくないとか……むかしから忖度はあったようで面白い。

いずれにせよ多祜の浦の美しい藤の曲。藤のキリ。とりあえず曲を謡い解釈しつつ頑張って覚える。
なかほどで「深海松の ふーかみーるーの 」と謡う。ふかみる?みる?海松?とめぐり、ふと水城の表紙の文様を思い出した。探してみると第273号の表紙。海松丸。平安時代からの有識文様とある。海松は海藻。万葉集や伊勢物語などに詠まれているようだ。

この冬はじめて食べたミルガイ。子どものころはミルクの味?と不思議に思っていた。ミルガイはミルクイとも謂う。ミルつまり海藻を食べる貝からのミルガイ。
すっきり。今朝はまだ雪が残っていたが立春も過ぎてそろそろ三寒四温。牡蠣も浅蜊も食べないままに春が過ぎてゆきそうだ。

ミルガイを海松喰(みるくひ)と知りその香まずたしかめ一貫しみじみたうぶ
2026年 02月 08日
寺山修司とマグリット 大西晶子
先週のNHKの日曜美術館はアーカイブで「私とマグリット 寺山修司」だった。マグリットは高野公彦氏も好きな画家にあげていらっしゃる。謎めいて清潔感のあるその絵は私も好きだ。

この番組は1977年に収録されたもので当時の寺山修司は41~2歳。司会者と対話しながら寺山修司がマグリットについて語るという形式だったが、知識が豊富でいかにも好きな画家を語るという感じが良かった。
最初に見たのは「光の帝国」で山高帽のおじさんの後ろ姿を父だと思ったという。育った家に父の遺品らしい山高帽があったからだろうと。寺山の父は戦争で亡くなっているが幼い頃の記憶に残る像とどこか似ていたのだろうか。自分の書いた演劇には最初に山高帽のおじさんが登場しそこから劇が始まるものがいくつもあるのだとも言った。
私は若いころには演劇には興味がなく、天井桟敷をその気になれば見に行ける場所に住んでいて機会もあったのに見に行かなかったことを今は本当に惜しかったと思う。

また寺山は好きだという絵「秘密の遊び」の空飛ぶ亀やポロをする人物などの手前にタッセルで留められた赤いカーテンが描かれているので劇中の場面のように感じられると発言した。演劇、映画で当時活躍中の人らしい見方だ。
同じシュールレアリストでもダリが絵で大きな声でおしゃべりするタイプならマグリットは低い声で静かに話すと言えるだろうと言う。 同じ形の帽子や衣類を身につけ、同じポメラニアンの愛犬に代々同じ名前をつけて飼っていたなどこだわりはあったが、マグリットは芸術家らしい奇妙な行動で人目を惹くような生活を嫌い、まともで健康的な生活をしているように見えた。しかしどこかに裂け目を作っていたはずだとも語った。
話はシュールレアリズム芸術の多岐に渡ったが特に興味を引かれたのは絵の題名のことだ。マグリットの絵には描かれたものとはかけ離れたものが多い。女性と薔薇が「象牙の塔」、時計が「風」などがその例だが、寺山修司は「見えているものだけで題をつけたらつまらない。違う言葉で題をつけることで未知の詩的領域になる、描くことは名を付けることではないか」というようなことを言った。なるほど題の付け方で描かれたものに新しい魅力が付け加えられるのかと思わされた。これは一連の歌を詠む時にも考えておくべきだろう、タイトルももっと深く考えなければと覚えておく。
このように興味深く面白いと思いながら話を聞いていたが、この感じが良く知的で魅力的な人物は素の寺山修司なのか、それとも彼が演じている「感じのいい人」なのかと考えてしまったのは、寺山について噂の断片のようなものを読んでいたからだろう。それと寺山自身がマグリットを「普通の健康的な暮らしをしている人」を演じていたと思っていたように、その言葉から感じたからかもしれない。
(写真は3枚ともNHKの放映画面からのものです)

カンバスに出会ふはずなき物と物をならべマグリットらのつくりし世界



