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那珂川と御笠川の間で

有川知津子

近くで発掘調査がはじまった。

あたらしい調査区画は白い戸張で目隠しされておごそかだ。

来年の初めごろまで調査はつづく。戸張に立てかけられた「埋蔵文化財発掘調査中」の看板にそう書いてある。

その後は埋め戻されて駐車場になるのだとか。

ここは比恵遺跡群。

福岡平野の、那珂川と御笠川に挟まれたこのあたりは、ちょっとした丘陵になっている。

住んでいてそんな感じはしないけれども、なっているらしい。

この一帯に、ヒエイセキグンはある。

江戸のころ、甚兵衛さんが届けでた金印には「漢委奴国王」と刻まれていた。

ずっとむかし、このへんは ナコク と呼ばれていてね、集落がたくさんあったんだ。
コーセー(後世?)が、海に近いこのあたりを比恵遺跡群って――、で、これはその中の一つ。

弥生時代のものも出るし聖徳太子時代のものも出る。

一緒にいた友人が、まあまあいいかげんに説明してくれた。

季節は小刻みに秋にかたむくようだ。

文明は川のほとりで生まれると習ったのは何年生だったろう。

那珂川と御笠川を頭のなかで鳥瞰してみる。

ぐぐーんと北上すると博多湾が見えてくる。

うつろへば川のほとりを目指したるいにしへびとの私もひとり


那珂川と御笠川の間で_f0371014_20575184.jpg

   
   
   御笠川です。5日の朝の撮影。

   台風の影響で雲雲雲。

   前方に博多湾という位置から。


   那珂川は、金曜日(9月2日)の英子さんの頁に。

   すてきな夕景です。

   ココをクリック、しても飛べません。

   (ごめんなさい。リンクの貼り方学習中――)






# by minaminouozafk | 2016-09-07 06:30 | Comments(5)

祖母の着物

私の着物は祖母の箪笥に仕舞われていたものが多い。

祖母は明治33年生れ。元は長州藩に苗字帯刀を許された商家の四女だったが、父親の知人の借財の保証倒れで全財産を失ったという、明治新政府下で頻繁に起こった悲劇を実体験した人だった。姉三人の名前は、フジ、タカ、ナスと目出度いが、四女の祖母は、もう女はよし、ということでそのままヨシ。姉三人まではなんとか女学校を卒業し、医師、廻船問屋、地主と良縁に恵まれた。一家の倒産時、祖母は女学校卒業間際であったというが、なんの未練もなく退学し、逓信省の電報係になってモールス信号を打っていたらしい。

その頃、近くの小学校に着任してきたのが祖父、浩郎。町を歩けば袂に恋文が溢れたという逸話のあったモテ男が選んだのが、電報係の祖母ヨシ。当時は珍しい恋愛結婚だったわけだ。

ヨシは美しかったのか、と言われるとちょっと困る。ただ明治の女性としては抜きん出て大柄な160センチ超の身長で手脚がとても長かった。数学が得意で知事表彰も受けたらしい。一方、浩郎はちょっと小柄な優男。社交的で愛敬溢れる人物だった。

二人の組み合わせに私は遺伝子の妙をつくづく感じる。DNAの解析など全く考えられなかった時代にごく自然に相互補完的な相手を選んで夫婦になった。そこに生物としての直観力の鋭さを感じる。私の記憶の中ではいつも祖父が祖母を気遣っていた。

客観的に見ると美人でも、愛敬があるわけでもない祖母がなぜこんなに大事にされるのか、私はずっと不思議だったが、ようやくわかってきたような気がする。

祖父は、祖母の直さを愛したのだ。虚飾を嫌い、実を重んじ、自らに誠実な人柄を尊んだのだ。それを教えてくれたのは、祖母が残した着物たち。地味な色味の紬や銘仙が祖母自身の手で丁寧に縫い上げられている。幼い私にはわからなかった滋味がこの着物たちにはある。それは多分、藤野ヨシという女性の魅力だったのだ。

祖母でなくヨシさんとして語りたし日向たの縁でお針をしつつ
                            藤野早苗
祖母の着物_f0371014_03344881.jpg

# by minaminouozafk | 2016-09-06 03:51 | Comments(8)

貝殻と石ころ

貝殻を耳にあててごらん。波の音が聴こえるよ。

おさない私にささやいたのは誰だったのか記憶にない。でも巻き貝を耳にあてると今も波の音がきこえる。貝殻は、たぶん貝にとっては鎧、そして骨でもある。


ちょうど今、台風12号が福岡最接近です。大丈夫でしょうか・・・そのまま玄界灘を北上。下関駅まで海岸線を往復してきましたが、関門海峡はそれほどでもなかったです。057.gif


波の音を聴くためだけに通った夜の海。今はもっぱら昼の海だが、夏の終わりは犬の散歩の人くらいでちょっと寂しい。発泡スチロール、ペットボトルの転がるなか、青く丸いガラス片、淡い黄色やピンクの貝殻。ひとつだけ、ふたつだけとポケットに入れる。波に濯われてきれいな石ころも一つ二つ三つ。


利尻島の海岸の石は利尻山噴火による火山岩で黒や茶色の軽石だった。家々にある昆布干し場には丸い軽石だと昆布がくっつくのでわざわざ尖った砂利が混ぜてあった。これも、一つ二つポケットに。この夏の新入りだ。


むかしからポケットに不思議なものを拾うのが好きだった。玉虫の翅、ウニの殻、楓の種。片付け下手ですぐに行方不明となるのだが、桜貝が入っている木の箱はちゃんと予想通りの引き出しにあった。おそらく40年以上前のものだ。時々庭に放つのだが、けっこう貝殻、小石のコレクションは眠っていた。


 

貝殻と石ころ_f0371014_07030459.jpeg


貝殻と石ころ。今では化石の骨片でもDNA鑑定ができるらしい。ということは貝殻もDNAをもっているのか。木の実も落葉もたぶんDNAをもつ。石ころにはDNAはなさそうだ。DNAは遺伝子。そもそも遺伝子とは。生命とは。生物とは。よくわからない。



【生物】動物・植物など、生命をもち、成長・繁殖するもの。いきもの。

【無生物】生命がなく、生活機能をもたないもの。石や水など。    『明鏡国語辞典』


生物とは無生物とは貝殻と石ころならべ堂々めぐり

百留ななみ


# by minaminouozafk | 2016-09-05 07:22 | Comments(7)

脱皮

今日の画像は脱皮した皮(殻?)と一緒に風にふかれている女郎蜘蛛。大きさは3~4センチくらいとまだ小さい。
蜘蛛たちの一生は一年という、早春に孵化し、秋に成熟するというので、今はまだ少女の蜘蛛らしい


雨のあとにんじん色のゆふぞらに大き巣ありて蜘蛛少女
(アラクネ)澄めり  高野公彦『天泣』               

転生のはざまのあはき生なりや紫蘇の葉わたる足細 (あしぼそ) 小蜘蛛    同           


人にはあまり好かれない女郎蜘蛛だけど、毎日見ていると勤勉でいじらしい。
早朝から働くらしく、日がのぼる頃には完璧な巣を編み終わっている。
脱皮をくりかえし大きくなり、やがて婚姻色の赤が腹にあらわれる、正直に言ってその頃の雌蜘蛛は少し気味が悪い。
冬が来る頃にはいつの間にか見えなくなる、そのころ卵を産み一生を終えるのかもしれない。
他の昆虫のように、いつか羽化する自分を蜘蛛は夢見ることはないのだろうか。

それはさておき、わが家の庭でせっせと害虫退治をしてくれる蜘蛛たちに感謝している。
晴れた朝に仰ぐ女郎蜘蛛の巣はうつくしい。

   
       脱皮してやがて羽化するやうな生信じてゐたり十二のわれは  大西晶子

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# by minaminouozafk | 2016-09-04 07:00 | Comments(6)

やれば出来た

 免許更新の知らせが届いた。ふだんは見ることの少ない免許証だが、あらためて見ると〈普自二〉の記載がある。これは中型自動二輪の免許で400CCのオートバイまで乗れるというものだが、取得までは思いのほか大変で希望のバイクに乗るには400CCのバイクで試験を受けなければならなかった。

 そもそもバイクの免許を取ろうとしたのは夫の影響であり、バイクの後ろに乗っている時間が長くなると退屈で、すぐに居眠りをするようになった。よく落ちなかったし、事故にもならなかったと今でも思い出すと怖くなる。そこで、じゃあ自分で運転するしかないと一念発起したわけだ。身長150センチちょっとの私にはその大きさのバイクは取り回しが大変で、またがったところで足は爪先立ちの状態にしかならなかったし、何より自動車の教習と違い、バイクには一人で乗らないといけないので運転の怖さはこの上なかった。いくつかの失敗もした。スラロームではパイロンをなぎ倒し、一本橋では脱輪し転んで気を失った。担当教官は大変だったと思う。
でも、何とか一回で合格し〈中型自動二輪〉の免許を手に入れた。その後、まもなく夫とオートバイを買いに行ったのは言うまでもない。

 あちらこちら出かけたツーリングでの写真を見ると、楽しさ満面の笑顔で写っている。
女性ライダーのまだ少なかった時代。思い立ったら何をするか分からない性格が残っていることを期待したい。


やれば出来た_f0371014_07311292.jpg


       三十年前の写真のわれに言ふ「大丈夫、あなたは元気にここにいるよ」と 栗山由利


# by minaminouozafk | 2016-09-03 07:36 | Comments(5)