2016年 10月 02日
コスモス支部報 大西晶子

初校を受け取る時はいつも少し不安で、でも期待感でわくわくする。
本当はミスプリントがときどきある以外は、指定通りに印刷されていて、問題などは無いにもかかわらずだ。
できあがれば他の支部にもお送りする。支部報を送って下さる他支部が多いので、交換のような形になる。
写真は最近届いたものと、支部で回覧した後でもどってきたもの。
いつもこちらからお送りすると必ずお礼状にコメントを下さる支部長や編集長が居られる。
本当に有難くその感想を詠ませて頂く。
ところが、筆不精の私はせっかく頂いても、水城の「風信」でお礼の言葉を書くのが精いっぱいで、いつも失礼をしてしまう。(申し訳ありません、どうぞお許しください。)
此処で改めて、いただく他支部からの支部報に心から感謝していることを申し上げます、有難うございます。
支部報は支部の人数や経済状態に応じて、厚く立派なカラー写真付きのものから、手作り感満載のものまであり、しかし共通して、どれも内容は濃い。
支部の会員の年齢構成や、支部の熱気なども見えて、他支部もみな頑張っているなぁと痛感し、わが「水城」も頑張らねば・・・と思う。
ところで福岡支部水城編集委員のみなさま、10月16日1時からの「水城」265号の校正をお忘れにならないでくださいね。
どうぞ宜しくおねがいいたします。
支部報に「水城」の名付け四十年編集長たりし木原氏畏る 大西晶子
2016年 10月 01日
長城に吹く風 栗山由利
猛暑、残暑の8月、9月も終わり、今日から10月が始まる。陽射しが和らぎ過ごしやすくなると、旅心がくすぐられてくる。近年の旅先は家族に影響されて中国を選んでいる。
アジアの玄関口を謳う福岡からだと上海は札幌より近く東京とほぼ同じであり、何よりも物価が安い。何かと取りざたされることの多い国ではあるが、以前から『中国四千年の歴史』といわれる歴史的建造物や史跡には興味があったので何度か訪れた。
どこを訪れてもそのスケールの違いには驚かされる。石積みの楼門の大きさ、地下深くに作られた巨大空間とそこへとつながる陵墓の複雑さ、なにをとっても国土が広大であるということの違いにまず驚いた。それは人々の考え方にも影響するのだろう。大都市は別として、時間のながれも大河のように緩やかに流れている。

中国の観光地としてまず一番にあげられる「万里の長城」には何カ所か整備されたところがあり、ツアーで連れて行かれるのは北京郊外の「八達嶺(バーダーリン)」である。中国の人たちにも人気があり、長城は上る人、下る人で列ができている。どこでも若者は元気だ。私たちが足元を見ながら黙々と上っている横を、かかとの高い靴で笑いながらスッと追い越して行く。まだ下にいる仲間に大きく手を振り、写真を撮ってはまた駆け上っていく。頂上から駆け下りてきた若者に聞けば、道のりはまだ半分らしい。ひと息ついて立ち止まると、長城の風は心地よく吹き渡っている。

吹きあぐる風に運ばれ少女らの声はひろがる長城のうへ 由利
2016年 09月 30日
『ぐいのみの罅』 藤村学第一歌集 大野英子
コスモス短歌会、北九州在住六十七歳。平成十六年に入会し、六十歳以上で入会五年以内の方が受賞対象である結社内の純黄賞を十九年に受賞されました。
一貫して男の哀歓漂う独自な視線で詠み、その外連味のない作品に惹かれます。毎月本誌が届くと真っ先に作品を探す方も多いのではないでしょうか。私もその一人。
二年程前、脳梗塞で半年間ほど欠詠され、経過が心配されていましたが、遂に待望の第一歌集を上梓されました。
藤村さんの作品は、全く説明臭さがないのに、詠まれている方達、対象の輪郭がくっきりと立ち上がってきます。それは、藤村さんが相手の方としっかり向き合い、愛情を持って詠んでいるからなのでしょう。そして、素直な心情の吐露に一首一首、頷いたり、ツッコミを入れたりと、引き込まれている私がいました。
何かと謎の多き私生活でしたが、歌集のあとがきによるとはなかなかの波乱ぶりのお方のようです。故郷出雲を離れ北九州で自営業を営まれる順調な中、突然不安神経症を患い十年近く外出もままならないなか、奥様に勧められ短歌教室へ。そこで出会い、病を抱え挫けそうになる藤村さんを励まし五年間指導してくださったのがコスモス元選者の矢野京子さん。お二人のお陰で現在の歌人藤村氏が居るようです(私からも、お二人に感謝です。)
出身地出雲のあらぶる神、素戔嗚尊の妻を愛する心に触れてせっせと奥様を詠んいでいるという愛妻家。
まずは奥様の歌から。
手の甲をつまんで皺の戻る間がわれよりさきと燥ぐつれあい
呆けゆく親を看たいと告げられて 妻よいいとも。惚れなおしたり
秋空に胸をそらせば気の満ちてまだまだ君と生きるぞ僕は
夫などだれでもよかったかもしれぬ 家内が秋の月愛でている
信子さま女菩薩さまと懸命に拝みたおして今に連れ添う
むらさきの藤村信子は四十年以来(このかた)われの若草の妻
様々な表現を使い奥様を詠む。そこには多面的に見ている手ばなしの愛がぐいぐいと迫って来ます。太陽のように明るく飄々とした奥様像が浮かび、だからこそ、藤村さんは「だれでもよかったかもしれぬ」と、小さな不安を抱き、拝み倒した奥様に新たな愛を注ぐ。本当に羨ましいですねえ。
そして、ご自身の歌。
叶はざる願いをひとつふたつほど捨て得ず黄砂ふる街に棲む
これの世の悩みなんぞはほうやれと捨てに怒濤の岬まできた
鳴かず飛ばずああそうだった青春の体力勝負の一時期除き
妻という枝にぶらさがる樹懶(なまけもの)われと倅と犬のいっぴき
このごろは呑んでも虎になるまえに狸饂飩(たぬき)で締めて夜道をもどる
左巻き左党そのうえ左前わが身の上のひだりの悲哀 177
深いため息のような歌、諧謔性を帯びた歌、どの歌にも、生身の藤村さんが立ち上がって来ます。私の大好きな方代を思わせる歌も散見され、生き方もきっとシンプルさを求めているだろう事が伝わります。しかも表面をなぞっただけで終らずご自身のものになっていて、そこに留まろうとしない工夫が散見されます。
藤村さんの歌集には、人への視線が印象深く詠まれています。
「僕はねえ父さん、家が大好きなインドア人でしばらくいたい」
コンビニのバイト募集の面接に行けど落とされまた籠る子よ
嘘多き友と知りつつもてなされしこたま飲んだ(越乃寒梅)
壜ビール飲めばなつかし犬歯にて蓋抜く技を持ちいし友が
「お歳暮を今年はきっと送るから」・・・・・・だけど呉ない朋友(ポンユー)ひとり
宵の街蝸牛色(まいまいいろ)の段ボールを巧みに組んでひとの入りたり
わが町の銭湯消えて頽齢の総身刺青(そうみしせい)おとこ懐かし
はじめの二首は、同居する三男さんの歌。集中、この息子さんのお人柄、父としての眼差しも読みどころです。
何だか訳ありの方が多そうですが、藤村さんのフィルターを通すと愛すべき昭和の男たちが立ち上がって来ます。藤村さんこそが昭和を背負った哀愁の男なのだからでしょう。
人へ向ける眼差しもさながら、叙景歌も、ユニークで豊かさを感じます。
平仮名(おんなで)に偲ぶ花あり夜の秋ふようゆうすげくずからすうり
ユーカリの葉にぶらさがる黒揚羽世界を逆に見て黙しおり
拝啓(こんにちは) 蟬(きみ)が啼くのを陰ながらいとしみ聴いております 敬具(それじゃあ)
懸命にバタフライして来し波が岬でくだけ背泳ぎとなる
夕立に濡れつつ息を吹き返す江戸風鈴の真っ赤な金魚 161
地上での短い命である蟬に寄せる思い。波の変化さえ見逃さず擬人化する。暑さと無風のなか、乾涸びそうな風鈴に描かれた金魚が嬉しそうにしっぽを翻すさまが浮かび、藤村さんもまた夕立に生き返ったような思いが伝わります。表記や、奥村さんが帯に書かれた「コトバへの拘り」などの工夫がまた楽しませてくれます。
仮託する思いは、二首目の世界を逆さまに見る黒揚羽、きっと沈黙の男、藤村さんなのではと思わせる一首です。
最後に今年亡くなられた、遠く離れたお母様の歌。親不孝な息子からつたない手向けとすると、あとがきは結ばれています。
昏れはやき秋の家居のさみしさを告げて母よりの電話切れたり
還暦のわれが米寿の母を祝ぐほかにはだれもいない雪の夜
擂鉢の底のようなる谷あいに米寿の母の棲みて離れず
銀色の振り子時計は かつかつと古家に母の寿命を削る
ははそはの母は惚けて特老に われは姥捨て餓鬼となり果つ
常に静寂に包まれているような、お母様との時間、お二人を包む時間の重さまで伝わってきます。同居出来ないままながらも、折々訪ねて詠まれた介護詠は、同じ経験を持つ者として、差し迫るものを感じました。これしか方法はないと解っていても、拭いきれない後悔。でも、これだけ作品に残すことが出来たと言うことは、しっかり向き合って来た証しです。
紹介できませんでしたがペーソスのなかにユーモア溢れる作品も楽しませてくれました。本当にじんわりと心に沁みる、藤村さんの世界をお一人でも多くの方に知って頂きたいと思い、長くなりました。

歌集カバーです。表は奥様、裏は息子さんのイラスト。内容も本体もご家族共同作業の、固い絆の一冊。
現在、体調を崩されコスモスも欠詠されています。一日も早いご回復と復帰を心から願い、お待ちしています。
女時なるとき良きうたを詠うべしあらぶるスサノヲうちに目覚めよ 英子
2016年 09月 29日
和裁教室 藤野早苗

2016年 09月 28日
高島野十郎 sp14「蠟燭」 有川知津子
それは、一枚一枚手渡された。

高島野十郎は、明治23年、今の久留米市(福岡県)に生まれた。
歌人年表をみると、その年には土屋文明が生まれている。白秋はすでに生まれていた。
昨年末から今年にかけて、野十郎の没後40年を記念した巡回展があった。
福岡県立美術館(2015年12月4日~)から始まった巡回展は、
目黒区美術館、足利市立美術館とまわって、ふたたび福岡(筑後市の九州芸文館)にもどり、先日(9月22日)、すべての日程を終えた。
野十郎には、40点ほどの「蠟燭」がある。
会期終了に間に合って出かけた九州芸文館には、16枚の「蠟燭」が展示されていた。
どの作品も小品で、画面中央に火をともした1本の蠟燭が描かれている。
順路に沿って一つ一つ見てゆく。
半分ほどを過ぎたところで、この「蠟燭」に一票、とおもう「蠟燭」に行きあった。
キャプションには、
sp14
蠟燭
Candle
戦後期(after 1945)
油彩・板 22.5×15.6cm
個人蔵
とある。
野十郎は生涯、蠟燭を描き続けた。
個展に出すこともなく、売ることもなく、火を灯しては、ただただ描いた。
そして、手渡した。
野十郎の場合、「個人蔵」とは、かりそめではないのだ。
最終巡回地である九州芸文館には、ほかの会場では展示されることのなかった作品が
14点ほどならんだ。sp14 はそのひとつだった。
画像は、「九州芸文館 特別出品作品図録」を撮影したもの。
野十郎のこの一灯を手渡しのこころにて押す送信ボタン

