2016年 09月 15日
馬が教えてくれたこと 藤野早苗
2016年 09月 14日
そこにある虹 有川知津子
ベランダに出てみる。なんて光なんだろう。
夕陽の氾濫。雨雲の薄いところを破ってこちら側に流れ込んでいるのだ。
ほうっと溜息がもれる。――しばらくしてからだ、写真を撮ることを思いついたのは。

眼を閉じて開くたびに翳りが深くなってゆく。もう少し見ていたい、と思わせるほどの果敢なさだ。
けれど、あまり時間がない。室内にもどろうとして振り返るとしぜんと反対側の空が見え、
思いがけないものが目に入ってきた。
虹だった。夕陽ばかり見て背後の虹にちっとも気づかないでいたのだ。
アインシュタインは「私が見ていなくても、月はそこにある」と言った。虹もそこにあった。
あと少し振り返るタイミングが遅かったら、そこにある虹に気づかないままだったかもしれない。
そう思うと奇蹟的な邂逅のように思えて無闇にうれしくなる。
けれどもまた、
気づかないままに遣り過ごしてしまう虹が、この先どれほどあるのだろうかとも思ったのだった。
屈折のうつくしさかな玉かぎるゆふぞらに立つ虹のいしぶみ

夕虹。9月4日(日)の撮影。ほとんど消えかかっています。
二重虹ですが分かりにくいですね。どうか心眼で。
土曜日(9月10日)の由利さんが、朝の虹をあげています。
虹の内側と外側の空気の感じの違いがよく分かる写真です。
2016年 09月 13日
奧村晃作歌集『ビビッと動く』 藤野早苗


2016年 09月 12日
百留ななみ
青毬の見しもの
近くの幼稚園の裏庭に小さな栗の木を見つけた。桃、栗三年と言うが、今年はじめてだろうか。
梢に青毬を2つ付けている。それは、栗の木ロボットの目玉のようで愛らしい。

人間はあちこち移動する。それを旅というのか。今は飛行機でだれでも地球の裏側までもオリンピック観戦に行ける。宇宙までもロケットで。同じ生き物でありながら、植物は移動しない、いや動けない。動かない植物の視点はどっしりして揺るぎがないように思う。たぶん青毬も小さい時からずっと初夏の空、猛暑の空をながめている。屋根なんかないから満天の夏の星も三日月も知っている。もしかしてミサイルも。
以前、栗の産地で2年ほど暮らしたことがある。3月は葉をきっぱりと落とし裸木となった栗の木の芽生え。黄緑色の小さな芽がきらきらしている。独特の匂いの花の咲く6月。梅雨の語源は栗花落(ついり)と言う。その後、雌花は小さな緑の金平糖のような実となる。ほんとうに可愛い。それが、徐々に大きくなって青毬に。内側から満ち満ちてきたら、重さに耐え切れずその実を落とす。そして、秋風が木枯らしに変わるころにはすっぱり葉を落とし再び裸木となる。
ドラマチックで凛々しい栗の木。冬の明るい栗の林は気持ちが良い。雨の頃の枝垂れた白花。いがいがの中の艶々のずっしり重い実。縄文時代から食べられ、万葉集にも歌われている。
ぼちぼち八百屋さんの店先にも栗が並び始めた。渋皮煮、栗ごはん、モンブランも大好きだが、あの厚い皮を剥くことを思うとついつい買うのをためらってしまう。沢山いただいた時は頑張ってナイフで剥くのだが、渋皮を傷付けずに剥くのは、気力と手力が要る。だから、なんとか栗ごはんにはなるが、渋皮煮はなかなか難しい。
この秋、ゆったりとした気持ちで渋皮煮をと思うのだが・・・
栗の木の梢の二つの青毬が見てゐる核の弾頭ミサイル
百留ななみ
2016年 09月 11日
三つの井戸
7月に法事で京都府に行き、帰りに姫路城に寄った。そこで見たのが「お菊の井戸」。
夜な夜な腰元の幽霊があらわれ、お皿をかぞえるという怪談でおなじみのお菊さんの出る井戸だ。
皿屋敷の怪談には〈播州皿屋敷〉と〈番町皿屋敷〉とがあるそうで、こちらは播州。
この井戸は大きく、周囲を石の柵で囲まれていて底などは見えない。
伝説のもとになった話では、切り捨てられたお菊さんの遺骸が井戸に投げ込まれたというのだが、その後城の住人たちはしばらくは井戸が使えず水に困ったのでは、それとも気にせずその後も井戸を普通に使ったのか。余計な心配をしてしまう。
柏崎驍二歌集『四十雀日記』には姫路城を詠んだ一連があり、その中に〈石の門低きを潜(くぐ)り来て立ちぬ腹切り丸の暗き中庭〉がある。天守閣の出口の先に腹切り丸があり、そのすぐ先にお菊の井戸があるのだが、それは詠まれていないのか歌集に見当たらない。
次は高野山で見かけた「姿見の井戸」。
こちらは画像でお分かりになるように小さな井戸だが、伝説が怖い。
この井戸を覗いて、水に顔が映らなかったら、三年以内にその人は亡くなるのだという。
祠に手を合わせた後で井戸を覗くべきかどうか躊躇していたら、先客の若いカップルがさっさと寄って行き、奇声をあげた。「水が無いやん!」。
これはどうなのだろう、たぶん伝説の有効期限切れ?
三つめ。
何気なくつけた夕方のテレビで、京都の六道珍皇寺の井戸「小野篁冥土通いの井戸」を見た。
小野篁は百人一首の〈わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣船〉の作者だ。
名歌をのこした人は勤勉でもあったらしい。
毎晩冥土に通い、閻魔庁で仕事をしていたという。
映像の〈小野篁冥土通いの井戸〉は大きくて立派だった。
毎日通うには大きな井戸でなければ出入りが大変だったのだろう。
夜は冥土で、昼は朝廷で働いていた篁さんの体力を思う、名歌を詠むにはやはり体力が必要らしいと。
昭和30年代、私が子供だったころまでは地方では井戸のある家が多かった。
母の実家では夏には西瓜やサイダーを冷やし、冬は洗濯の水が温かいと喜んでいた。
岩波現代短歌辞典の井戸の項には「~現代に近づくにつれて、井戸というものは廃井や晒井(さらしい)というように、水の絶えた井戸を詠んだり、レトロなものとして表現されたり、空想上のものとして喩に使われている。~」(執筆者前田康子)とある。
地下の水脈に通じる井戸は、生活の一部でありながら、神秘的でもあっただろう。
深い井戸の底は不気味だし。
幽霊が出たり、冥途に通じたり、人の寿命を宣告したりする井戸。
水への畏怖を感じさせない水道の蛇口からは、このような伝説は生まれない。便利だけど少し寂しいと思う。
土間のすみに井戸の在りにき一軒の使ふ水みなそこで汲むべく 大西晶子
写真は2番目の井戸、高野山奥の院の「姿見の井戸」



