2016年 10月 22日
泣き虫でした 栗山由利
祖母は私が四歳になる前に亡くなった。父が六人兄弟の末っ子だったので一緒に暮らす時間が短かったのは仕方がないことかと思う。その短い間の思い出が薄ぼんやりとではあるがいくつか残っている。
お座敷の畳に少し離れてすわりボールを転がして遊んで、時々に「お上手、お上手」と言って小さな缶からちいさな飴玉をくれたこと。一寸法師の絵本の鬼の絵を見て私が泣くので、鬼の絵に白い紙を貼って本を読んでくれたこと。そして祖母が「お山の大将」の歌を歌うと、私が決まってしくしく泣いたこと。
お山の大将 おれひとり
あとから来るもの つきおとせ
ころげて落ちて またのぼる
赤い夕日の 丘の上
子ども四人が 青草に
あそびつかれて ちりゆけば
お山の大将 月ひとつ
あとから来るもの 夜ばかり
西条八十・作詞 本居長世・作曲の童謡だ。「お山の大将」という遊びをしていた子供たちが日も暮れてそれぞれ家に帰ったあとは、お月さまだけが空に残ってあとから来るのは夜の闇だけだという内容の歌詞だ。力強い歌ではなく中盤のメロディーは物悲しい。ただ、私は幼心に後半の歌詞の意味を、残るのは子供の中の一人で家に帰れない事情がある、そしてそれをお月さまが見守っているんだと思っていた。そんな場面が浮かんで涙が溢れた。
久しぶりにYouTubeでこの歌を聞いてみた。やはり鼻の奥が少しばかりツンとして、小さなお山のてっぺんに一人残っている子供が見えた。
五さいまで泣き虫小虫だつたこと知る人ひとり母だけとなり 由利
2016年 10月 21日
遺品整理 大野英子
昔の人!?は、箱や缶を大切に使い廻してる。先日、そんななかのいくつかを開けて見ると、編物や裁縫が好きだった母は、手編みのセーター(首がぢがぢがしたなぁ)、手芸糸、フエルト、色々な端布、毛糸の残りまで仕舞いこんである。
母の晩年は、ほとんど何も出来なかったが、いつかはという思いがあったのだろう。
そんな中に紛れて、出て来たのがこれ。いつ頃か定かではないが、私が作ったもの。

高二から離れて暮らし、編物を習ったことはないが、遊びで母のフエルトを拝借して作ったなあ。たぶん真ん中のおさげちゃんは母のお手本。
作ったものをカバンに下げるという、可愛いげはなく母に「ほら出来た」と渡していたのだろう。今思えば、何かと優秀な兄へのコンプレックスがあり、褒めて貰いたかったのかもしれない。
微妙な思いと母の技を受け継げなかった後悔に浸りながら、なが~い間、箱のなかにいたこの子たちを殺風景な実家の居間に飾ってみました。
そして、中身を確認した箱を不要と思いつつまた仕舞う私でした。
押入れの箱、缶のなかうずくまる兄とわれゐてあぁ、と伸びする 英子
2016年 10月 20日
前世の私 藤野早苗
2016年 10月 19日
南の魚座と魚座の話 有川知津子
南の魚座って? と聞かれることがある。
この質問にはたぶんに、
ふつうの(単なる)魚座とどう違うの? という意味がこめられている。
う、
と詰まりつつも、ここはなんとかもっともらしいことを言わなければ、
という思いが駈けぬける。
あるときは、こんな内容でとりつくろってしまった。
まず、1匹か2匹か。(この違いは大きい)
「南の魚座」は1匹の魚、ただの「魚座」は2匹の魚によって形づくられている。
次に、黄道十二星座の仲間か否か。(この違いも、星占いの観点から重要である)
「ぼくは魚座です」と3月20日生まれの人が言う。これはありうること。
けれども、誕生日の話をしていて「私は南の魚座です」ということはない(、たぶん)。
最後に、違いばかりでは何だから、と共通点を。
この二つの星座、ともに、秋の夜長をもの思いするみなさまの隣人星である。
秋の宵、「南の魚座」は、南の地平線に近いところに見えている。
(当ブログ月曜日のななみさんが、8月15日に書いていたように、目印は、
1等星のきららかなフォーマルハウト)
2匹の魚の「魚座」はそれよりもっと高いところに見えていて、
いちばん明るいもので4等星とか。都市部の明るさの空ではムリかなあ。
だいたいこんなことを言って、ギリシャ神話のはなしをすると、
みなさんうまくケムにまかれてくれた。
やさしい。
全天星座早見の円盤(部分)です。
10月17日21時の南の空。
(19日に合わせたつもりが……)
フォーマルハウトは、
「アラビア語の「南の魚の口」を意味する語の
「魚の口」に由来する名」(日本大百科全書)。
魚の口に、
水瓶座のみずがめから水が注ぎこんでいます。
おはいんなさいおはいんなさいとこゑがふる天の赤道仰ぐわたしに
2016年 10月 18日








