2026年 02月 17日
微表情 藤野早苗
先日も、ある会合に参加する友人の話を聞いていて、とても興味のある分野の集まりだったので、「私も行っていい?」と、わりと軽やかに聞いた。
返事は「もちろん!」
ありがたい。うれしい。その場では、にこやかに終わる。でも……、帰り道で考えている。あの「ほんの一瞬」は何だったのだろう、と。
「もちろん」と言うまでの、わずかな間。
声の奥に混じった、ごく微細な揺れ。
気づかないくらいの、ほんのコンマ何秒。
私は、ついああいうところを拾ってしまう。拾って、分析して、いくつかの可能性を並べて、結局、最後は「知らんけど……」で落としどころを見つける。
人は単純ではない。歓迎と戸惑いは同時に存在するし、好意と面倒くささも共存する。
私は、その「重なり」が気になるのかもしれない。でもそれは表には出さなくてもいいこと。この年齢になってようやくわかった。
言葉と、言葉にならないもののあいだを往還するのがわりと好きだ。考えていないようで考えている、そんな揺蕩うような時間も。
人の微表情に気づいてしまうのは、人を立体で見たいからなのかもしれない。「もちろん」と言われたら、行く。そして、あの一瞬の揺れも含めて、その人を受け取る。たぶんそれが、私なりの人との向き合い方だ。
おっちょこちょいの裏側で、今日もわりと真面目に考えている。
迫りくる障害迷はず飛び越して110(トッパ)ハードラーだつたあの頃

2026年 02月 16日
でんわ 百留ななみ
メールとかLINEとかの連絡手段がほとんどとなって電話も手紙も稀少な時代。しかし緊急連絡はやはり電話。携帯電話ならば何時でも何処でも大丈夫。あたりまえながら心強い。

携帯電話を持つようになって20年あまり。
10年まえの義父の救急搬送の電話は金曜日の朝だった。最期の病院からの電話は夜の11時過ぎ。栗名月の清らかな夜。

5年まえの父の救急車手配の母からの電話は早朝5時前。最期の病院からの電話は夜11時過ぎ。三日月の凛と煌めくクリスマス前の寒い夜。

昨年の母の最期の病院からの電話は雪の夜。フロントガラスに積もる雪をワイパーでなんとか払いながら病院へ。朝はいちめん純白の雪景色だった。

ちょうど一週間まえの月曜日。春の陽気の午後。見舞いに行こうとしていた玄関で義母の最期の病院からの電話。うららかな陽射しの病室で百歳の生を終えた。母の一周忌の三日後。

父母が眠っている我が家の仏壇。まだ母の一周忌の花がみずみずしい。父母の写真とならべて義父母の写真を飾る。四人勢揃い。それぞれの笑顔。
日本で交換手を通さない自動交換機が導入されたのは1926年。義母の一生と重なる。市外まで自動で繋がるようになったのは戦後しばらくたってからだ。わが家の固定電話は私が学生時代に購入したもの。当時の電話加入権は学生にとってはけっこう高額だったと思う。
しばらくぶりに携帯電話を気にせずに眠りにつく。受話器からの声はあたたかい。義父、父、母、義母……それぞれ懐かしく胸のなかでリフレインする。

てんこ盛りの仏飯そなふ仏壇を囲むちちはは四人の写真
2026年 02月 15日
フィギュアスケート男子フリー 大西晶子
ミラノオリンピックが開催中だ。今回は開会式とフィギュアスケートの団体、フィギュアスケート男子のショートプラグラムを見た。それで男子フリーも見たくなったが、実際の試合は時差で真夜中に始まる。同時中継には解説やインタビューなども付いているようだが、その時間に起きて見るのはさすがに辛い。NHKのBSP4Kで14日の午後に録画を放映すると知ってそれを見た。解説・インタビューが無く、技術などの細かいことは分からないのだが、それぞれの演技に集中できたような気もする。
最終グループにはショートプログラムで高得点だった選手たちが多く、日本の鍵山優真と佐藤駿も居た。どの選手の演技もスピード感がありジャンプやスピンにも迫力がある。しかも優雅さや人によってはユーモアもあり面白かった。
終りに近く出場した佐藤駿はスピード感のある演技が快かった。一人置いて出た鍵山優真は手足の先まで行き届いた丁寧な演技がすばらしい。途中で一度躓いたがすぐに立ち直り落ち着いて演技を続けたのも好感がもてた。


最後の一人はショートプログラム一位のアメリカ代表のマリニン。SNS では氷の上の王子だとか妖精などと呼ぶファンができている選手だ。ショートプログラムでは少しワイルドで観客に息をつかせないという感じの演技だったので、私もフリーを見るのを楽しみにしていた。
ところが4回転ジャンプになるはずのところで2回転?その後もジャンプの回転数が少なく2度転んでしまった。演技終了後のアップ映像ではやんちゃな少年の様な顔が泣き顔になっていて哀しい。フィギュアスケート団体ではショートプログラムとフリー両方に出て、アメリカに金メダルをもたらしたというので疲れていたのだろう。個人でも金メダルを期待していたのだと思うが8位になってしまった。やはりオリンピックには魔物がいる。

金メダルは長い手足の動きが美しかったカザフスタンのシャイドロフが得た。得点発表後の表情がパッと輝くようだったのと、その後の演技者を見る表情が不安げだったのが印象に残っている。

得点はどうあれ力尽くせしはひと世のあかき記憶にならむ
2026年 02月 14日
父のサンダル 栗山由利
四十年近く前、私たちが神奈川から福岡へ越してきてからというもの、両親は孫の顔見たさに保育園の夏祭りや小学校の運動会と何かにつけ、大分から来てくれていた。その間、ちょっとそこまで公園に行ったりするのに、二人とも自分が履きやすいサンダルまで準備してわが家に置いていた。
父が亡くなって数年経ったある日、玄関の靴箱の中のずっと捨てられなかった父のサンダルを勝手口で使うことにして再びサンダルは日の目をみた。そしてそこが定位置となり台所の片隅にしっくりと収まっていた。
その父のサンダルがあろうことか、遥か徐州まで遠い旅をすることになったのは、今から三年前の夏のことだった。徐州に赴任してやっと一年が経った息子が休暇を終えて中国に帰るときに父のサンダルを持って帰ったのだった。
実はこの時、息子は少し寂しい気持ちで中国に帰って行った。最初の予定では向うに行って生活にも慣れたころ、ちょうど夏休みの間に妻と娘を呼び寄せるつもりだったのだが、やむをえぬ事情でその計画が御破算になっていた。幼稚園の頃から先生について中国語会話を習っていた孫も気持ちが沈んだようだった。搭乗手続きの同じ列に、真新しいランドセルを背負った女の子が父親と手を繋いで並んでいる光景を目にしたときは、ほんとうに神さまは意地悪だと思って涙がでそうになった。

それから二年半、日本での仕事が決まり先日、帰国するための片づけの手伝いに行ったとき、部屋の入口の隅にきちんと並んで置かれている父のサンダルと再会した。裏のゴムはすり減りつま先部分は擦れて中身が見えてはいたが、鼻緒はしっかりしておりまだまだサンダルの役目は果たしていた。そしてもちろん、いの一番に帰国の荷物の中に入れられ、今またわが家の勝手口に以前と同じように置かれてある。

寂しいときもあっただろう。話し相手になる日本人もいない中で悔しいことや、何かに思いをぶつけたいときもあっただろう。もちろん嬉しいときもあったはず。そんな時、部屋の隅の父のサンダルに目が行ったこともあったかもしれない。物には心は無い、けれど物に心を感じることはできる。お疲れさまでした。そしてお帰りなさい。またわが家の台所でゆっくりしてください。
しかし、もしかしたら「孫はもう大丈夫。心配なのはおまえだ!」と言っているかもしれない。それでは「お父さん、またよろしくお願いします」。

孫をつれ徐州の桜もみただらう父のサンダルおかへりなさい
2026年 02月 13日
meal & dessert cabaret.m 大野英子
友人から、藤崎にある中東料理のコース料理に誘われました。
どんな料理なのか、全く想像がつかなかったけれど、友人は以前ランチで行って、野菜がたっぷり使われていて美味しかったということで、すぐに日程を決めました。
地下鉄藤崎駅4番出口からでてすぐ。西新大通りから続く通りですが、藤崎まで来ると静かです。昨年春に、オープンされたというお店。
外見も素朴な佇まいで、明るいガラス張りの入り口横に四人掛けの席、奥の厨房につづくカウンターが八席。香辛料の香りが心地よく、コンクリート打ちっぱなしにアンティーク調のタペストリーの掛かったシンプルな店内です。
壁に取り付けられた棚のお酒や、タジン鍋、インテリアもぴかぴかに磨き上げられて(こういうところ気になるんです)清潔感にあふれ、コート掛けや荷物を掛けるフックの配置なども女性らしい細やかな気遣いがされていました。オーダー物というシックで頑丈そうな木の椅子は、ふかふかのクッションが効いて坐り心地も最高です。
オーナーはニット帽に黒ぶちメガネの、控えめな笑顔の素敵な女性。ワンオペのお店、あっという間に満席です。

まずは、スペインの赤ワインをフルボトルで注文。
シラー種の葡萄の濃厚な赤ですが、力強さと共にまろやかな甘みもあり、ひと口でスパイスの効いたお料理に絶対合う、と確信いたしました。

本日のコース料理。この写真は、誘ってくれた友人が、なんとその場で編集して、ラインで送ってくれました。スマホの進化と彼女の手腕、恐るべし。
右上はレンズ豆のポタージュ。生クリームを使っていないのか、さっぱりしています。
中央はファラフェルと前菜のプレート。まずは色合いの美しさに歓声が上がりました。
ケールのサラダ、ラぺ、ムース、クスクスなど、農家から届く無肥料・無農薬の自然栽培野菜を使った手の込んだ品々と、ミートボールのようなファラフェルは、潰したひよこ豆にスパイスなどを混ぜた揚げ物。表面はかりっとしています。ひらくと、しっとりとした中身は淡い緑色。パクチーが加えられてました。
手作りのピタパンが添えられ、お好みで中に詰めて食べて下さいと言われましたが、一品ずつ、じっくりと味わいました。これだけで満足感があります。
右下は、私の大好きな羊、ラムキョフテとフライドポテトと赤かぶのマリネ。
中近東の辛味調味料、サワークリームとヨーグルトを混ぜたようなやさしいソースが添えられています。ハンバーグとは違い、荒く叩いた肩肉にすじ肉も加えて、ナイフを入れると柔らかいながらも、しっかり肉感があります。そういえば由利さんが中国で食べた羊の頬肉は噛みしめると口中に濃い味が広がったと書いていました。すじ肉がその役割を果たしているのでしょうか、肉汁がじわっと沁みて、同じような感覚を味わった、食べ応えのある一品。
そして、デザート。キャラメルと林檎のパウンドケーキバニラアイス添え。ラム酒の香りでしょうか、甘すぎず薫り高く、優しいお味でした。meal & dessertのお店ですから、デザート類も色々と楽しめるようです。
家族連ればかりだったので、いつのまにか私達だけになっていました。

ゆっくりとワインを楽しんでいると、せっかく飲まれているからと言って、手作りのカカオニブ入りクランベリーバターをサービスで出してくださいました。
ワンオペなので、厨房と客席を行ったり来たりで忙しそうだったのですが、洗い物をするためにようやくカウンタ―に出てこられました。
なぜ、中東料理なのか興味津々で尋ねました。
洋食に長く携わっておられ、むかーし、お仕事でフランス在住だった兄上の元へ遊びに行き、兄上おすすめのパリのマレ地区で初めて食べたファラフェルサンドのおいしさに感激したそうです。
それから数年後、1年ほど体調を崩し、体調を整えるため安全な野菜やヴィーガン料理に目を向けるようになって、ふたたび、野菜がおいしい中東料理の魅力に引き込まれ、自分自身でも中東料理を学び自作しながら、さまざまなお店を食べ歩いては試行錯誤されたそうです。努力されて辿り着いたお味なのです。
書いている今も、香辛料の香りや、パウンドケーキの風味が蘇ってきます。
食の安全を思い、食べる人の健康を思い、料理を追求する一人の女性の出立を心から応援したいと思いました。
きらめきの一皿と逢ふ北風にあふられて着くあはきともしび
うつくしき手仕事なりて時をかけあじはふ一皿、またひとさらを

