先週の土曜日、西南学院大学で開かれたシンポジウムに夫と行ってきた。テーマは「発禁と検閲―英米中にみる生の枠組みの変遷」。

 息子がこのテーマの中国の部分を担当するということで、珍しく来てもいいよと声がかかったからであった。まだ新しい学舎は赤煉瓦風の壁が秋の空の青さに際立っていて、土曜日ということもあってか、小さな子供を連れた人もキャンパス内で見受けられた。お昼どきだったので学食に行くと、ランドセルをしょった小学生とお母さんで満杯になっていた。安いので近所の人たちも気軽に利用しているのだろう。


 シンポジウムは大学内のコミュニティーセンターで開かれ、登壇者は息子と同年代の英米中の文学や映像、音楽の研究者だった。広くお知らせをしてなかったので参加者数を気にしていたが、それでも10人を超える人が集まりそれぞれの講演に真剣に耳を傾けていた。

 中国ではすでに紀元前213年の「焚書」という形で初めての「禁書」が登場し、この時儒生460余人が穴に埋められたという。その後反対に儒教の重要性が高まり、その絶対的地位が確立されると皇帝の権力と結びつき天文・占い、仏教、老荘に関する書物も頻繁に禁止されたそうである。近世になり清の時代には「読むべき」本が選定され、その中に入らないものは「禁書」だとされたこともあったという。


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 英国でも同様に政治的、宗教的、性的理由によって古くから「禁書」「焚書」が報告されている。アメリカでは現在も『禁書週間』というものがあって、その年の禁書がランキングをつけて発表されるそうである。過去においてあの世界的ベストセラーの「ハリーポッター」も禁書として報告されたという。理由はそのオカルト性、魔法、サタニズムなどがあげられたが、時期が2001年から2003年ということでその裏に9・11の影があるのではないかとも言われているという話であった。


 難しい話で退屈するのではないかと危惧しながら参加したのだが、時間はあっという間にすぎ、過去の歴史を振り返ることは、今私たちが置かれている時代を考える上で必要な事だと改めて確認したシンポジウムだった。

 大学の改革などが議論されると、真っ先に文学部などの人文科学系学部や大学院が名指しされるのだが、直近の結果を求めるものだけが学問ではないと私は思っている。この日講演した若き研究者たちが安心して研究に打ち込める環境が整うことを願っている。


学食のランチと真剣に聴いた講演に、遠い学生時代を思い出した一日であった。


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<学食のランチ、美味しかった!>


   平積みの本よりゆかし店奥の書棚にならぶ文字のつぶやき


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# by minaminouozafk | 2018-11-17 11:29 | Comments(7)

先週初めの月曜日、突然やってきた。
仕事中、周りを見回す私の目の前をコバエが飛び回る。
手で払っても払ってもまとわり付く。

あれ、何か違う。
眼鏡が汚れているのか、マスカラがダマっているのか確認するが異常なし。

はたと、思いネット検索。
ああ、やはり飛蚊症の症状……

以前から、明るい空を見るときに羽虫のようなものがぶわっと現れるのがそうかと思っていたが、全然違う。

数人の仲間に話すと、すでに飛蚊症の人の多いこと!
ユリユリからは、病院に行っても加齢のせいだと言われるだけと哀しい話まで。

そうよね、加齢よね。
最近、常に痺れている足、股関節痛、言葉が出て来ない、疲れやすい、などなど思い当たる事ばかり。

馴れるしかないと言われるが、料理中や食事中のコバエ風や蚊風はちょっと参る。夏になってホンモノにさえ、無頓着になるのは嫌だな~。

そんなこんなで、近頃は飛蚊症症状が消える夕暮れ時や暗いところがお気に入り。
中央の黒いものは私の飛蚊症ではなく、旅客機のシルエット。

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        蚊が住みて汚れちまつたわが視界羽音せぬこと良しとうべなふ


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# by minaminouozafk | 2018-11-16 07:12 | Comments(6)

舟越保武  鈴木千登世

去年の夏、仕事で仙台を訪れた時に泊まったホテルで、美しいブロンズの彫刻を見た。

清楚で静謐な少女の像の作者は舟越保武。長崎の26殉教者記念像の作者である。

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舟越との出会いは高校生の時の新聞の連載小説。毎日新聞に連載された井上靖の『流砂』の挿絵だった。考古学者とピアニストの恋の話とともに日々添えられる挿絵が美しく印象的で、毎朝新聞を捲るのが楽しみだった。今になってなぜスクラップしておかなかったのかと悔やんでいる。


舟越は文筆の方にもその才能を発揮して、エッセイにも定評がある。『巨岩と花びら』『石の音、石の影』という画文集を出版していて、『巨岩と花びら』は日本エッセイストクラブ賞を受賞している。幼い息子の死を描いた「水仙の花」(『石の音、石の影』所収)は高校の教科書にも載せられていた。


『巨岩と花びら』に「一枚の葉」という作品がある。15歳の夏の終わりに簗川の橋のところで見た一枚の葉にまつわる話である。

      

このとき私は、眼の前のこの一枚の葉を生涯忘れまいと、なぜか心に誓った。たった一枚の葉を心に焼きつけておこうと決心した。~中略~
 私が大人になり、老人になってからも決して忘れまい。いま眼の前にあるこの一枚の葉を、色も形も、葉脈に当たっている夕陽の陰影も、このまま私の中に焼き付けておこう。   「一枚の葉」


川岸で目にした一枚の葉を凝視する行為やその心が強く印象に残って、ちょうどそのころ保育園に娘と息子を預けていた私は、この文章に刺激されて、二人の姿を見つめたことがあった。紺のチェックのワンピースを着た娘とまだおむつのとれない息子が手をつないで、真っ直ぐ園舎に歩いていく。いつもの光景。振り向くこともせず、それが当然だからというように部屋の中に入っていった。20年以上経っても、そのときの二人の背中が目に浮かぶ。


ホテルで舟越の彫刻を見たときに、幼い娘と息子の背中を思い出した。


手をつなぎ園に入りゆく二人子のちひさき決意秘めたる背中












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# by minaminouozafk | 2018-11-15 06:00 | Comments(7)

「水城」  有川知津子


「水城」は、コスモス福岡支部の支部報です。この度、お蔭様で第271号を発刊することができました。



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現在、年に3回のペースで出しています。私が福岡支部に移った3年前には、もう、年3回でしたが、その前は、年4回だったと聞いています。「コスモス」の創刊が、1953年(昭和28年)ですから、おおまかに数えると、「コスモス」の創刊とほぼ同時に、「水城」はスタートしたことになります。



「水城」黎明期の先輩たちは、どんな気持ちで、雑誌の名前を「水城」と名づけ、第1号を送り出したのでしょうか。「水城」の創刊号を見たいと思っていますが、まだ叶いません。



「水城」の表紙には、吉祥紋様が印刷されます。この毎号変わる紋様は、支部長の大西晶子さんの選定(紋様が楽しみ、というお便りがときどき届きます)。271号は、左右のつばさを結んだ形の〈結び雁がね〉。中国の故事にちなんで、手紙のことを雁書ということがあります。〈結び雁がね〉を創案した人は、文を結んだ形を意匠化したのでしょうか。どこかとぼけたような表情が楽しい紋様です。



みなさまの元によき報せが届きますように。



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 コスモスの花のあはひを降(くだ)りゆけりときをりせせり蝶を立たせて



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# by minaminouozafk | 2018-11-14 06:43 | Comments(7)

 11月9日、この日は映画「ボヘミアン・ラプソディ」の日本公開日。イギリスのロックバンド、Queenのリードヴォーカル、フレディ・マーキュリーの自伝的映画で、世界中のファンが公開の日を待ちわびていた。

 

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魂に響くフレディのメッセージ。
ぜひお読みください。

もちろん私もそのひとり。当ブログにも何度か、フレディにまつわる話を書いた(以下のサイトをご参照下さい)。

https://minaminouo.exblog.jp/25629661/

https://minaminouo.exblog.jp/25818850/

https://minaminouo.exblog.jp/26918390/

https://minaminouo.exblog.jp/29937371/

14歳の頃、深夜のラジオから流れてきた曲Keep Yourself Alive.を聴いて以来だから、ファン歴はもう42年だ。われながら驚く。

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1977年のMusic Life.



 この期間、ずっと同じ濃度でファンであったかというと、それはちがう。ラジオで聴いて気になり始め、どうにかクィーンの正体に辿りついたとき(ネット検索などという行為はSFの世界にしかなかった時代である)、四人のヴィジュアリーな美しさに圧倒された。アイドルブーム全盛の日本ではあったが、容姿だけとってもこんなに図抜けた人々はいなかったし、なんせ曲がいい。しかも全曲自分たちで手掛けていて、演奏技術も半端ない。さらに、ギターのブライアン・メイはインペリアルカレッジオブロンドンの研究職に就いていて、天文物理学者として「世界の若手研究者10人」に選出されていたとか、金髪碧眼のドラマー、ロジャー・テイラーは歯科医の卵だったとか、地味だけどいい仕事するベーシスト、ジョン・ディーコンは当時最先端の電子工学学士だとか、フレディのあの独特のセンスは、イーリングアートカレッジ出身だからだ、とか、メンバーそれぞれのバックボーンの華やかさも魅力の一つだった。こんな人生もあるんだなあ、神様はいくつもの才能をひとりの人間に与えられることも(わりと頻繁に)あるのだなあ……、そんな気持ちではるか上空を見上げるようにこのバンドに憧れていた。10代のころ、懐かしい。


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1981年4月、大学前の書店で発見。
フレディ、ヒゲ化。涙。


 その後、フレディは突然の短髪、ヒゲ化。「私になんの断りもなく!」そう感じたファンは多い。エキゾチックな王子様キャラの封印は、若干、私のファン心理に影響はしたものの、女王様への忠誠心は揺らぐことはなかった。

 けれど、いつしか噂されるようになったメンバー不仲説と、フレディご乱行の様子には胸が痛んだ。そしてそれを裏書きするかのような、フレディのソロアルバムMr. Bad Guy.リリース。20代も半ばにさしかかり、大人の事情もなんとなく分かり始めたころである。まあ、解散っていうのも一つよね、と諦観していたら、あのアフリカ救済のためのライブエイド、伝説のウェンブリーアリーナでのライブパフォーマンスである。すごい、すごいよ、クィーン。ここで再び、ファン指数、急激に上昇。


 そして、運命の日、1991年11月23日。この日、私はフレディのHIV罹患を新聞で知った。ショックに打ちのめされた翌日、24日、フレディの訃報が舞い込んだのだった。


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 自分とは縁もゆかりもないひとりのロックスターの死に、こんなに衝撃を受けるとは思わなかった。29歳のころ。ああ、もうフレディには会えないんだなあ……。翌年、30歳の私は、夏休みを利用してロンドンへ行き、フレディ巡礼をしてきたのだった。


 その後の結婚、出産、育児。低濃度ではあるが、クィーンは常に身に近く存在していた。妊娠中も聴いていたし、車に乗るときはいつも流している。そんな気もなかったのだが、結果的に娘にインプリンティングしてしまったようで、娘も父親よりはるかに年上のロックバンドのファンになった。お前、何歳だ?とよく聞かれるらしい。()


 娘が不登校になったとき、修学旅行代わりにイギリスに行った。留学の下見でもあったのだが、新しい環境に適応しづらい娘が、ロンドンには瞬く間に適応してしまったのは、やはりクィーン効果であろう。ありがとう、クィーン。


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娘とのロンドン旅行で。
マダムタッソーの館。
以前もアップしましたね。すみません。



 で、現在公開中の「ボヘミアン・ラプソディー」。10月24日のプレス用試写会に行く機会があったので、11月9日の公開初日の観賞は二度目。一回目はただただ感動で、涙腺崩壊。

二度目でようやく色々なことに気づく。サウンドトラックは最高、フレディを演じるラミ・マレックをはじめとする俳優陣の演技力に感じ入った。似ているというより、憑依。そこには、オリジナルメンバーに対する深い畏敬の念が感じられた。「こんなに愛ある演技をありがとう。きっとフレディも喜んでいるね。」演じてくれた四人のBo-Rapボーイたちにこんなことを考えていた私、56歳。ふり仰ぐようにクィーンに憧れた10代の少女は、42年という時を経た今、フレディのお母さんのような気持で二度目の「ボヘミアン・ラプソディ」観賞を終えたのだった。享年45歳のフレディ。神様は彼に老いることを許さなかったのだ、きっと。

 

  レコジャケの裏なる小さきクレジット No Synthesizer 女王の誇り


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いただいたTシャツ。
家宝決定。








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# by minaminouozafk | 2018-11-13 09:40 | Comments(7)

山苞  百留ななみ


気持ちのいい秋空が続く。

その空気をたっぷりと浴びるための小さな旅。


一昨年の九州北部豪雨で添田から日田まで通行不能となった日田彦山線に乗車。柿や烏瓜のオレンジを車窓からみた記憶がある。採銅所の名前の駅も覚えている。今回は添田からは代行バス。


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うとうとしていたら添田に到着。リュックを背負った元気なシニアの後を追って代行バス乗り場へ。ちょっと遅れた私たちに運転手さんは「満席です。タクシーを呼ぶから待っててください。あまりに来なかったら電話してください。」と言い残しバスを発車させた。

取り残されたわれわれと若い女の子。10分、15分・・・


なんとなく世間話を交わすうちに、どちらからと尋ねてみた。彼女は「下関からです。」下関のどこ?「長府です」なんと隣の隣の町内で、長男と次男のあいだの学年の28歳。びっくりの不思議なご縁がうれしい。なんだが置いてきぼりにも感謝。なつかしい共通の話題に盛り上がっていると30分以上経過。


まだタクシーは来ない。駅は無人駅だし人影もない。日田駅やバス会社に電話するのだが、「すみません、いま向かっているようです」の繰り返し。50分後の代行バス(このバスは英彦山行き)の運転手さんにお願いして地元のタクシーを呼んでもらった。


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ときどきあることのようで、日田までの切符を渡すだけで約1時間かけてタクシーで日田駅前に到着。フルート奏者でもある彼女ともゆっくり話ができた。タクシーの運転手さんからは生々しい豪雨の話も。まだブルーシートのかけられた家屋、河川工事。片側交互通行もある。九州北部豪雨の復興はまだ半ばで運転再開の目標時期も示されてなく、復旧工事が始まる目処もたっていない。はじめての代行バスのハプニング。目的のない旅だからある意味楽しかったとも思えるが、通学・通勤・通院、スマホのないお年寄りなどは大変だと思う。当分の間となっている代行バスはいつまで続くのだろうか。



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せっかくの日田なのでいつもの味噌などを買い、ちょっと散策。高山も日田も天領の味噌はおいしい。お昼は久大線に乗り継いで田主丸での予定。久大本線も九州北部豪雨で花月川の橋が流されてこの夏に全線再開になったばかりの路線だ。耳納連山を左手に筑後川を右手に久大本線はのんびりと筑後平野を走る。




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山から湧き出る水は田畑や果樹をうるおしながら()()に、そして筑後川へと流れ込む。ゆたかな水と陽の田主丸。河童伝説も多い。日本三大植木の産地のひとつ。葡萄に柿など果物もおいしい。

稲刈りが終わった田んぼを眺めつつ耳納山地の麓へむかう。



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山苞の道をあるく。山苞とは源氏物語に「山苞にもたせ給へりし紅葉」とあるように山のお土産。山麓のうつくしい自然のなか、果樹園や工房、ギャラリーなどが点在する道。駐車場に車はあるし車は走っているが、歩いている人はまばら。いろいろ覗きつつ小一時間で巨峰ワイナリーに到着。木漏れ日が気持いい。



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とりあえずお腹ぺこぺこなのでランチにする。


1972年創業の田主丸の森のなかのワイナリー。石造りの建物が続く。


その奥のHEURIGE(ホイリゲ)がレストラン。歩いてきたし、せっかくのワイナリーだからとワインをいただく。巨峰葡萄酒がメインだが、たくさんの種類の果物のワインがある。ブルーベリー、あまおう、柿・・・のなか、目に止まったのは田主丸町産の山葡萄のワイン「山苞の雫」。迷ったがボトルでオーダー。


やさしい赤紫色ですっきりしている。ほのかな甘さ。さわやかな野趣を感じる香り。しあわせな時間。

メインの牛肉のブルーベリーワインソース煮のころはほろ酔い気分。



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木の温もりの店内。大きなガラス窓のカウンター席は絶景。高台にあるので眼下に筑後平野がひろがる。とおく久大本線の赤い列車が、その向こうに大分道が。ゆったりと時間がながれる。


二人で「山苞の雫」ボトルでおいしくいただきました。



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石造りの地下の貯蔵庫は日本ではないような不思議な気分。

残念ながらタイムリミット。お土産のワインを手に帰途についた。


古墳、果樹園、ガーデン、ギャラリー・・・ほとんど廻れなかった。今度は車で来よう。




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被災地の公孫樹の黄金(きん)をながめゆく日田彦山線の代行タクシー







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# by minaminouozafk | 2018-11-12 07:15 | Comments(7)

ブログ記念日26

今年はオガタマノキの実の成長に興味を持って、宮地嶽神社に何度か見に行った。最後に行った時に実の中に朱色の種ができていることが分かったが(当ブログ1028日)、さてその後どうなったのかが気になり先日再度見に行った。


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枝には実がまだ少し残っている。先月来た時にはピングが美しかった皮が裂け、中の種が直に枝に付いているように見える。皮はまだ色が残っているものもあるが、乾びて茶色になったものある。樹の下の砂利の上には茶色の皮(殻)と朱色の種が点々と落ちていた。命をつなぐ樹の仕事はひとまず終わったと言えるだろう。

オガタマノキの3月の花から実が裂けて種を落とすまでにブログ記念日が7回過ぎて今回で8回目になる。季節が移り変わっても途切れることなく続くこのブログ。樹の営みに似て一つずつ重ねていく文章と写真。これからも大切に続くことを祈っている。


鹿児島寿蔵展   大西晶子

泣き顔と笑顔とふたつ面持つ寿蔵の人形は銘「両面童子」

「南海の夢」とふ人魚の人形あり尾を机にし香炉の香きく

朱の種をオガタマノキははぐくめり花のごとかるももいろの実に 

若かりし江口章子の写真にて一途さあらはな真黒きひとみ

堀の面の空とやなぎをゆるがせて曲がりゆきたり空どんこ船


くぷくぷ   百留ななみ

モノクロのドット紋様がキュートなりアサギマダラの蜜を吸う顔

この夏に乗りし線路をゆつくりと色えんぴつで白地図に描く

碧翅の花粉をはらひハナムグリ 放物線で朝空に消ゆ

クリークに生まれ流れて消えそしてまた()るる(せい)くぷくぷとあり

新入りの朱き鯉の子つどふなか鯔の子たちは機敏によぎる


クロノスの鎌   藤野早苗

花よりももみぢことさら身に沁みて五十六歳さくらを見上ぐ

胸の鳩とうに飛び立ち背に猫首に猪を飼ふ齢となれり

切り結ぶ覚悟はあるか 咽喉元にクロノスは鎌押し当てて問ふ

言の葉の種を蒔くべしかなしみに耕されたる胸の沃土に

牧水の恋の顛末読む夜の闇は凝れり蜜の重さに


水城   有川知津子

かたかたと秋のかぜ吹き虫籠の蟬のぬけがら崩れはじめる

鷗外の憩ひし縁に坐してをり風のすがたのあらぬ秋の日

野茨の秋のいばらをくぐり来て革命のごとく夕顔ひらく

あきざくら群れて咲きをりいにしへの人の願ひの〈水城〉のほとり

大いなる〈水城〉のことを話さうか余談の好きな生徒のために


とんからり   鈴木千登世

伏し目して夕影見つむまなざしの深く澄みたる女院と思ふ (永福門院)

鶴女房には遠いけどとんからり風の糸にて筋雲織りぬ

海を渡るてふてふの()を香りなき匂ひで誘ふ花藤袴

木に冬と書けばひひらぎまだ固きつぼみの中に風の子眠る

身にいくつ金属を埋め生くる生さびさびとして五十も半ば


赤い魂   大野英子

歌会をふたり小声で語り合ふ機窓のあをぞら闇となるまで

ただ一度訪ひし日向にワープするまだ父母が待ちゐしころの

ほろほろと朝露こぼす秋の風首に冷たく蟻はもうゐず

ブザー音鳴り、進行表めくる手が少し震へてやがて開会

背後から聞こえるうんちくまた楽しぶわつとあがる赤い魂


花かんざし   栗山由利

手入れせぬカボスを無農薬と言ひおすそわけする ありがたきかな

朱の鳥居くぐるをさなの桃割れの花かんざしに秋の陽とまる

花の香がほうとひらいて菊花茶のわうごんいろを透ける秋の陽

弾けとぶ声なき午後のキャンパスに蟬声だけがながく尾をひく

うけついでひきわたしてゆく人たちの知識のたすきの古書の香をかぐ


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# by minaminouozafk | 2018-11-11 06:00 | ブログ記念日 | Comments(7)