ここのところ、毎朝乗る体重計の数字がずっと上昇傾向にあった。年齢のせいで代謝が落ちていくのに加えて、一昨年からの脚の不調で脚の筋肉が落ちてしまったからだ。そして週に二日の通勤は片道40分の徒歩からバスに変わった。代謝に必要な筋肉が減り、カロリー消費も落ちたのでは、今までと同じ生活では当然のこととして体重は増加する。付いたぜい肉が根雪(根肉)になってはいけない。何か方策はないかと始めたのがファイトケミカルスープである。このスープ、通称ハーバード大学式野菜スープという。元々はがんの予防や治療の補助として誕生したもので、生活習慣病の改善やダイエットにも成果をあげているのだそうだ。人参、かぼちゃ、キャベツ、玉ねぎ各100グラムを一口大に切り、水を1,000CC加えて煮るだけである。調味料はなし、野菜の旨みだけでいただく。朝と昼はこのスープ200CCをメインにしたら二週間ほどで元の体重に近づいたが、そのあとは停滞している。大きな原因はやめられない毎晩の晩酌だと分かってはいるが、これが難しい。まさに命(気力)を支える酒である。


 このスープを作っていて思い出した本がある。料理研究家であり随筆家の辰巳芳子の手による「あなたのために」で、副題としていのちを支えるスープと書かれている。


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 表紙も料理本とは思えない装丁で、写真もあるけれども「つゆもの スープ」に対する考えが事細かに書かれてある。「おつゆ―露」は、「露が降り、ものみな生き返るさまと重ねている」とある。和の汁ものと洋のスープが材料により細かく体系づけてまとめられており、料理の本というより教科書に近い。


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 この本を書くきっかけは半身不随となった父親の嚥下困難をなんとかしてあげたいという思いからとある。衰弱するとさらに食事が労作となっていくなか、一椀の中に魚貝、野菜、穀類、豆類を組み合わせて冬は温かいポタージュを、夏は冷たいガスパチョをと工夫して数年に及ぶ看病をしたそうだ。応えてくれたお父上の笑顔は忘れられないとあった。私がこの本を買わねばと思ったのもこの一点だ。身近な人が病に倒れたとき、私が出来ることはいつものように料理を作って食べてもらうこと。

 残念なことは、同じように嚥下困難があった父の闘病中にはこの本はなかったのだが、スープの力に気づいていればもう少し楽をさせてあげられたかもしれないということだ。


   いつせいに降りくる春の陽をうけてそちこちに見ゆ蠢くいのち


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# by minaminouozafk | 2018-03-24 10:32 | Comments(7)

父の命日  大野英子

今月27日は父の命日。

本格的に介護が始まった平成232月から介護日記を記していたが父が亡くなる前日にとぎれたまま。ようやく読み直す気になりページをめくる。父が亡くなる2週間前の記録。


平成26313()

寒い上に強風で傘がさせない。洗濯物が多く先に母の元へ行き、父の元へ。意味不明の言動はあるが、人工呼吸器を外しても穏やか。医師から〇〇病院の受け入れの連絡が来たことを告げられる。検査の結果、特に異常が無く来週転院調整する事となり父にも話してくれた。父は医師の話に、うんうんと応じていたけれど、後から「先生から見放された」と言っていた。なだめたが黙り込んでしまう。
 案の定、帰宅後看護師さんから「お父さんが、直ぐに来てと言ってますが」と電話。度々のことで大雨が降る今夜は看護師さんにお任せする。帰宅後の電話が怖い。今の看護師さんたちは状況把握して対処してくれているが、新しい病院を思うと少々気が重い。
 夜10時半過ぎ、父が痙攣を起こし一時呼吸停止になったと再び電話。駆けつけると薬で眠っていた。CT検査では異常なし。朝まで眠っているだろうから帰って良いとの事。父は死なないと信じる。近い実家に戻る。夜中二時過ぎ、地震で目が覚める。大荒れの一日。


母と同じ病院へ転院することが決まった頃。

あの頃の追い詰められた思いがまた蘇るが、今思えば、あっというまに過ぎ去った時間。

車椅子の母も、父と一緒に居られることを喜んでいたのに、転院して2日目の急変だった。その前日は兄も東京から見舞いに来て、家族4人久々に揃い、父に「明日はきっと満開になるよ」と窓から見える桜を伝えて帰宅したのに……

そして、母までが一年数か月後に逝ってしまうなんて。



単身赴任で福来していた兄が今月で東京に戻ることになり急遽彼岸の入りの先週の日曜、一緒に墓参へ。

翌日福岡での桜の開花予想が出ていたが、墓地の桜並木も数輪開いていた。

夜は昨年同様、兄にご馳走になり父との思い出を語る。

兄とは二年の赴任の間、二回しか会っていないが、やはりまた遠く離れると思うと寂しい。

6月の母の命日には会うことを約束して別れた。

カルチャーの鑑賞の時間は現在、ゆかりさんの『馬上』

 宗像(むなかた)のさくら美しからん朝 大野展男さん逝きたまひけり
 悲しいなあ今年のさくら父あらず久津さん小高さん大野さんあらず

 大野さんとの約束の〈みあれ(さい)〉玄界灘に行きたかりしを

 宛先にいくたびも書きし若木台かへりこよやはらかきほほゑみ

詠んで下さったゆかりさんに、そして今日学ぶ頁のなかにこの作品がある巡り合わせに、感謝。

今年はふたたび父の命日に満開予想が出ている。

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              〈昨年の桜〉


      やがて咲くさくらに怯えつつ見上ぐいろづくつぼみに罪科はなく

      仄白く闇を照らせりみやうてうはひらかんふつくらふくらむさくら


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# by minaminouozafk | 2018-03-23 06:11 | Comments(7)

昨日は一日雨だった。

見頃の梅も、冷たい雨に冷えたことだろう。



先週に続いて40年前の教科書から今日は宮柊二の歌を紹介します。

(宮先生としたいけれど釈迢空としているのでお二人とも敬称を略しました)



息づきて           宮柊二

息づきて夜の歩廊に立ちにしが雨ふる(まち)へあゆみいでむとす

弾丸(たま)がわれに集まりありと知りし時ひれ伏してかくる近視眼鏡を

装甲車に肉薄し来る敵兵の叫びの中に若き声あり

才無きを恥つつ生きてもの言ふにこころかなしき批評にも会ふ

引き返すべきにあらずと定めたるわれを(めぐ)りて人の批評あり

()を明かく待ちゐし妻にたまものの絵を()らん初めて愛を言はん

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1首目から3首めまでは『山西省』、4首目から6首目までは『多く夜の歌』に収録されている。

「息づきて」の歌は『夜の電話』と題された一連の中の作品で「新潟県長岡駅に於て召集下令を知る。昭和十四年八月上浣、故郷へ向かふ旅也。」という詞書きがあり、召集を知って昂ぶる心と、意志的に歩み出そうとする心情が詠まれている。

「灯を明かく」の歌は富士製鉄を退職して歌人として生きることを決意した一連を詠んだ『私記録詠』の中の作品。「初めて愛を言はん」がしみじみと胸を打つ。絵は同僚から餞別としてもらい受けたもので、夫人の従兄の滝口修造のもの。



次のページには「前半三首については、戦場における心情、後半三首については、戦後の一市民の心情をそれぞれとらえてみよう。」という問いが添えられている。

戦争を詠んだ迢空の作品からは残された家族の心情が、柊二の作品からは戦場での兵士としての心情が読み取れる構成となっている。戦後30年のころの時代の空気と編集者の思いが伝わってくる。



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教科書には右ページのやや左をむいた迢空の写真と向き合う形で壮年の宮柊二の写真が載っている。迢空はコスモスではO先生としてその名前を冠した賞があり、柊二にとって大切な存在だった。



父よりも上の世代の愛を言ふ歌しくしくと胸を打つなり



〈追記〉

前回の釈迢空の短歌の紹介した時に、教科書に掲載されていた詞書きを省略してしまいました。そのために迢空の歌の深い悲しみが伝えきれないように感じたので、後半3首の春洋への歌を詞書きとともに再掲載します。よろしかったらお読みください。



硫気ふく島

たたかひのただ中にして、

我がために書きし 消息

あはれ、ただ一ひらのふみ―

かずならぬ身と な思ほし―

 如何(いか)ならむ時をも堪へて

 生きつつもいませ、とぞ祈る―

(わた)なかの島に立つ子を ま(がな)しみ、我は()でたり。大きかしらを

   野山の秋

     八月十五日の後、直ちに山に入り、四旬下らず。心の向かふ所を定めむとなり

野も 山も 秋さび果てて 草高し―。人の出で入る声も 聞こえず

   (つひ)(かへ)らず

いきどほろしく 我がゐる時に、おどろしく雨は来たれり―。わが子の声か



「いきどほろしく」は昭和22年の春に詠まれた一連の中の最後の一首。「取るに足らぬ身と思わずどのような時も堪えて生きて帰って欲しい……」という願いは叶わず春洋は激戦の硫黄島で戦死する。


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# by minaminouozafk | 2018-03-22 06:51 | Comments(7)

花見の蕗  有川知津子

なかなか言いにくいが、告白させてほしい。

ふきのとう、に関わることだ。


もう10年になるだろうか。

家の者が、蕗の花が見たい、とつぶやいた。

(いや、見たことはあるので、じっくり見たいという意味だったろう)


そうしたところ翌年、中庭に、ころん、と何かがなった。


蕗の薹だった。

(きっと誰かが、前の年に、蕗の薹の株を投げてくれていたにちがいない)


花が見られる!

と、蕗の花をじっくり見たがっていた家族はよろこんだ。


その年以来、蕗の薹の季節になると確認する。

ある?

ある!


こういうわけで、島の実家では、蕗の薹が大切に育てられ無事に花となる。


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蕗の花見の季節である。



  天ぷらにしようなどとはもう言はず蕗の花見を楽しむひとに



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# by minaminouozafk | 2018-03-21 07:00 | Comments(7)

日差しが暖かい。

桜の蕾もずいぶんふくらんでいる。朝、肩先が冷えて目が覚めることもないし、それを口実に二度寝することもなくなった。


春が来た。

ではそろそろ、冬送り、春迎えの儀を執り行なわなければ。


今季の特に厳しかった寒気から私を守ってくれた強い味方。

日中はこれ。

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半纏をちょっとおしゃれにアレンジ。
こんな格好で出かけたことはないけど。


古い久留米絣の、子ども用半纏。祖母が兄のために縫ったもの。兄はもう59歳だから、半世紀前のものだ。


そして、夜、パソコンに向かうときは、この褞袍。


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全身すっぽり温かい。
色もいい。

こちらはやはり祖母が父に縫ったもの。米沢黄八丈の着物から作り変えたらしい。兄の半纏より古い。これを着ればどんなに寒い夜も温かい。パジャマの上に着用し、寝るときは、布団の上に掛けると肩が冷えない。便利だ。

この2枚は、着物を着るようになってから、祖母の箪笥で見つけた。いや、以前も見てはいたが、多分意識に上らなかったのだ。

久留米絣の丈夫で温かな手触りや、米沢黄八丈の衣擦れの音。その心地よさに気づいたのは最近のことだ。

最近着なくなったのは、フリースとダウン。軽さがなんだか心もとない。


この冬酷使したこの2枚。

縫ってくれるばあちゃんはもういない。とりあえず、しっかり日に当てて、ブラシをかけて、襟、袖口をリグロインで拭いて、小穴があれば繕って、また次の冬、私をあたためてもらうべく、箪笥で休んでいただこう。


ありがとう、クルメちゃん、キハチくん。またよろしくね。 


    おほははの羽織らせくるるここちせり米沢黄八の丹前ふはり


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玄関アプローチに春の花。




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# by minaminouozafk | 2018-03-20 00:00 | Comments(7)


今年に入って母から何度も市役所やら年金事務所に行って大変だったと話を聞かされた。1日おきには電話もしているのに年末だし自分でなんとかしようと黙っていたらしい。ようやく手続きが終わったのは官庁の仕事納めぎりぎりだったようだ。


いつものように父母のマンションを伺うとリビングのテーブルに1通の封書がある。このせいで腰まで痛くなったと不満顔。あけてみると「老齢年金への加算金(振替加算)に関するご確認」とある。とりあえず手続きは終わったようだがどうも納得していないようだ。



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さっと目を通すが、すっと内容が入ってこない。母は「そうでしょ、やっぱりわからないよね。」って顔で見ている。


〈過去にご自身の老齢年金の請求を行われた際に配偶者と生計維持関係が無い旨の申し出をいただいておりますことから、振替加算を加算しておりません。〉


つまり年金の請求をした65歳の時に父と一緒に暮らしていないということだろうか。たしかに年金の書類は煩雑だが83歳のいまでもこの書類を理解できる母。申し出なんか絶対にしていないと怒っている。でも残念ながら書類のコピーなどは手元にはない。



〈しかしながら、お客様の配偶者の年金の支給状況を確認したところ、お客様との生計維持関係があるとの配偶者からの申し出により配偶者に加給年金の加算が行われていることが確認されました〉


つまり、父の年金の支給状況を確認したら、父が母と一緒に暮らしていると申し出たことで支給される加給年金加算がされている。しかし、父もそんなことを申し出たことはないと怒っている。あたりまえに、ふつうに、いわれるがまま年金の手続きをおこなったという。



〈過去に生計維持関係が無いと申し出を頂いておりますが、その後事情が変わり、65歳時点で生計維持関係が存在した場合、お客様の年金に振替加算を加算することが可能となりますので、今回確認のお手紙を送付させていただきました。〉


わざわざ下線が引いてあるところが、きっと重要ポイントだ。その後事情が変わりと言うのは、昨年913日に新聞などで公表されたおよそ106千人に対して約598億円の公的年金の支給漏れだ。そして対象者の96%が公務員。年金機構は「人的なミスだが、制度が非常に複雑で歴史的な経緯がある」との説明。なんとも曖昧模糊。


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父母は9月の新聞情報からなんとなく理解はしていて、公務員だったから、もしかしたらの思いはあったようだ。しかしながら、木で鼻をくくったような非常に解りにくい文書。65歳時点で生計維持関係が存在した場合 と言われても父母は55年前に結婚して以来ずっと一緒に暮らしているのだ。

几帳面な母は、年内にと必要な書類とされている戸籍抄本や住民票を請求のために市役所に父と一緒に行ったらしい。そして65歳時点の生計維持関係の証明が必要と言われたようだ。

65歳の時に父母が一緒に暮らしていたことは娘の私をはじめ誰もが知っている。しかし公式文書に証言で良いのだろうか。

戸籍の附票が有効ということがわかったようだが、市役所では詳しいことは教えてもらえない。ひと通りの書類を請求が終わり、年金事務所の案内をいただいたので、そのままタクシーで年金事務所に向かったらしい。

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「ここ最近市役所から年金事務所っていうお客さんが多いです。」タクシーの運転手さんの話。



年金事務所で書類の確認を終えてようやく、

「すみませんが年金の振替加算の支給漏れでした。65歳からですが、時効ですから5年分のみ支給します。」



やっぱり新聞報道の対象者だったのだと思いちょっと安心。

やっと手続完了。しかし、悪いことしていないし、年金事務所のミスでれっきとした被害者なのに、時効だなんてなんとなく不穏な言葉。

なんとなく納得できない気持ちで帰宅したようだ。


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たぶん5年分支給するから高齢者も頑張ってきてください、ということだろう。

しかし、母は帰ってよく考えると、勝手にミスをして、勝手に高齢者を呼び出して、勝手に時効だなんてともやもやしているようだ。

頑張っても行けない方も、書類を理解できない方も、自署出来ない方もいる。


まず、年金機構からの非常に分かりにくい、わざと解りにくくしているのではとさえ思ってしまうお手紙なのでそのままにしてしまう高齢者も多いのではと思う。


生計維持関係の言葉にとまどう人もいるのではないか。


なんとか理解した母も、最初は生計維持関係の言葉に引っかかり、申し出などしていないのに、いかにも申し出をしていない母が悪いような書き方に困惑していた。


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いろいろと問題山積の年金問題。

あと10年もすれば年金受給者となる。それまで大丈夫だろうか。

悠々自適な年金生活も昭和の遺産とならないでほしい。


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その後ふたたび年金事務所から電話があってまた市役所経由で出向いたようだ。手違いとかで待たされて腰を痛めたらしい。とりあえず手続き完了で3月に支給のようなのだが。



ややこしき国民年金はや華甲いや健やかに全うすべし







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# by minaminouozafk | 2018-03-19 07:38 | Comments(7)

号外でーす‼︎

本日、当ブログ「南の魚座」が歌誌として、デビューいたしました。
第1回2016年8月11日から、1年間の短歌とエッセイから各自、掲載したいものを選んで、短歌48首、エッセイ2編。また、IT管理者、広報、顧問3人衆は、短歌12首を掲載しています。こちらレアですよ。

特筆すべきは、カリグラフィーアーティストのひがしはまねさん画の表紙。素晴らしい仕上がり。感動です。

24日に批評会・宴会を催します。
詳細は、その後、アップいたします。

本日はお知らせまで。

メンバーのみなさま、お疲れ様でした。
すごく素敵な本ですよ。
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# by minaminouozafk | 2018-03-18 23:03 | Comments(7)