ルオー展  有川知津子


北九州市立美術館(本館)で、企画展「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」があっている。



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                《ヴェロニカ》


東京展を終えて、北九州展は12月の半ばからはじまった。



歳晩の町で、ルオーの《ヴェロニカ》や《サラ》を見かけるのは、ちょっとよかった。



それはチラシやポスターだったけれど、慌ただしさに雪崩れてゆきそうな気持ちが、それほどでもなくなっていることに気づくことが何度もあった。



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この人のおだしき貌を見よといふ《受難》描きてジョルジュ・ルオーは




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会期は2月17日まで。



# by minaminouozafk | 2019-01-23 06:07 | Comments(7)

 「魔法のスープ」と題して、ファイトケミカルスープダイエットについて書いたのが去年の7月10日。実際に始めたのは遡ること20日、6月21日。なぜその日がわかるかというと、開始日からずっと、毎朝計った体重をカレンダーに記録しているから。ファイトケミカルスープダイエットは、レコーディングダイエットでもあったのだ。


 そもそも私がなぜダイエットを始めたかというと、まあ単純に太ったからである。着物生活の数少ない弊害、太っても着られるという属性に甘えて横方向への成長を放置してしまった。それはたしかにそうなのだけど、しかし、それ以上に問題だったのは、病気治療のために短期投与されたステロイド剤の副作用。着物生活でじわじわ蓄えた皮下脂肪と同じ重量をわずか二週間でたたき出してしまったのだ。これはまずい。なんとかしなければ……との思いで始めたのが件のファイトケミカルスープダイエット。理由がわりと深刻だったから長く続いたのかもしれない。


 で、そのダイエット、ゆるやかながら現在も継続中。七カ月目に突入した現在、一日一回、どこかのタイミングで摂ればよし、本来は調味は一切せず、水で煮るだけのスープなのだが味付けもあまり濃くしなければよし、みたいな感じでゆるゆる続けている。


 始めた当初、食事の最初にこのスープを摂ることで満腹感が得られ、それによって食事量が減り、結果、体重が落ちる、というメカニズムを想定していた。実際そうだった。炭水化物摂取を控えたこともあって、体重は順調に落ちていった。カレンダーの数字を見ると、一週間ごとに体重の一の位の数字が1ずつ小さくなっている。小数点以下は日ごとに若干の増減があるのだが、体重はゆるやかに落ち続けているのだった。


 目標体重に到達したのは二ヵ月たった頃だったろうか。四キロ落ちた。ここでやめてもよかったのだが、せっかくだから体調管理のためにと思い、至現在。リアルタイムで今の体重はどうかというと、さらに落ちた。ベスト体重と思っていたところより約二キロ軽い。別に無理しているわけではない。外食もするし、おやつも食べる。晩御飯もけっこう食べたなあと思って、翌朝恐る恐る体重計に乗ってみると、不思議なことに増えていない。なぜなのか。


 思い当たるのは、このファイトケミカルスープダイエットは、実は「腸活」ダイエットなのではないかということ。満腹感を得ることによる食事量制限というより、腸内環境を良くして、脂肪燃焼効率を上げるのがこのダイエットの本質ではないのかということだ。尾籠な話で恐縮だが、このスープを飲み始めて腸内環境はかなり向上したと思う。人間の臓器の中で最初に形成されるのは腸なのだという。だから腸は「第二の脳」と言われる。腸には脳に存在する以上の幸福感受物質セロトニンを分泌する力があるらしい。腸内が汚れているとなかなか効果を発揮できないセロトニンが、きれいになった腸内を快活に動き回り、腸内細菌を活性化させる様子(科学的に正しいか否かは知りません。あくまでイメージね。イメージ大事)を想像するとなんだか楽しくなってくる。実際、セロトニンがゆき渡った腸内の善玉細菌はとても上機嫌で、腸内のみならず、その周辺に散らばっている脂肪細胞まで「あはははは、お掃除しちゃうぞぉー」とばかりに腸内に取り込んで排泄してくれるらしいのだ。ありがたい。私の中の善玉細菌、がんばれ。君たちが機嫌よく働けるように、今日も魔法のスープを飲むからね。


 結局ファイトケミカルスープダイエットは、満腹感ダイエット、レコーディングダイエット、腸活ダイエットの三位一体の最強ダイエットということか。野菜四種類を刻むのは面倒くさいけど、もう少し続けてみようかな。


  いそのかみ古るうつそみを初期化せよファイトケミカルスープを掬ふ


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*ダイエット成功したわりに気づいてもらえないのは着物を着ているせいなのか。せっかく痩せたのだから、この機に洋服を着た方がいいのか、現在思案中。でももう3年以上、洋服の更新してないしなあ……。


# by minaminouozafk | 2019-01-22 09:02 | Comments(7)


 近くの小学校の裏の路地を歩くと張り紙がある。近づくと 「地震のときははなれましょう」 の文字。向かいの高校側には 「地しんのときははなれてください」


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 別の高校の元水族館駐車場側には 「地震発生時 倒壊の危険あり」


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  昨年の大阪の地震で小学生が学校のブロック塀の下敷きになったあとの調査だろう。


散歩コースの学校のブロック塀はいずれも危なそうだ。しかしブロック塀、レンガ塀は古い住宅街には延々とある。たぶん調査をしていないだけで危険度は同じだろう。それ以外に城下町長府には土塀が多い。かろうじて崩壊しないように補修維持している。補修前の土塀からは瓦片、竹、藁などがのぞいている。いつもどこかで補修はおこなわれているので何気なく見ている。表面をしっかり落として中を強化して塗り直す。上にのっている瓦まで変えるときもある。鉄筋など当然入っていない土塀は高くても2メートル以下、壊れるときは、倒れるのではなく崩れる。


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たぶん日本古来の木道や茅葺きの平屋もそうだと思う。崩れたら、なんとか人の力で建て直すことができる生活を長年してきたのだろう。土塀も茅葺きも経年変化で崩れたらそのまま土にもどる。


ローマのコロッセウムなどの石造りの建造物は2000年もの間そのままのかたち、あるいは形を変えて今も使われているものもある。日本でも法隆寺など寺院は1000年以上のものもある。いずれも地震の多い国での建物。建築の技術的にもすばらしいのだろう。釘を使っていない五重塔はある意味、自然と共存しているシンプルなものだ。2年前の熊本地震ではより古い時代の城壁の石垣のほうが崩れなかったようだ。




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天変地異の多い昨今、豪雨や地震で植林された山の木が倒壊する。国土の三分の二が森林。50年サイクルとも言う林業時間はグローバル資本主義ではなかなか受け入れられない。まだまだ神のみぞ知るの豊かな時間。自然のままの山では朽ちた枯木のそばに幼木が新芽をひろげている。いのちを終えた木は崩れ果て土に還る。葉を落とした広葉樹の林は明るく下草が生い茂っている。


倒れるよりも崩れるほうが音なく静かな感がある。学級崩壊、精神の崩壊などどこからともなく徐々に忍び寄ってくる。形あるものもいつかは無になる。窓の開閉もないエレベーター必須の高層ビルの行く末、その姿その時を私には想像できない。




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乃木神社うらの土塀の崩れたり豪雨後百日じわりじわりと





# by minaminouozafk | 2019-01-21 07:17 | Comments(7)

宗像教授 大西晶子


 一月も半ばになりようやく初詣に行ってきた。今年初めての宗像大社は参拝者がまだ多く、賑わっている。型どおりに二礼二柏手一礼で家族の健康と一年の無事、このところなにかざわざわ感のある地球全体に平和で穏やかな日々が続くことを祈った。

 大社の駐車場に隣接し「海の道むなかた館」という施設があり、古代宗像の考古学的な資料が展示されている。3D映像で沖ノ島や大社の祭祀の紹介もしているが、あまり知られていないのか来館者が少ないのが残念だ。休息できるカフェもあるし入場無料で楽しめるので、大社にお出でになられる折にはお立ち寄り頂けたらと思う。


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 市報「むなかたタウンプレス」にその「海の道むなかた」で漫画家・星野之宣の「宗像教授シリーズ」の原画展が開かれていることを読んだので行って見た。

この漫画を読んだことはないが、これを原作にした二時間もののミステリードラマを見たことがある。宗像のご当地ドラマで、たしか高橋英樹が主演、波津の海岸などでロケされていた。


宗像教授シリーズの主人公宗像伝奇(むなかたただすく)は宗像海人族の末裔、民俗学を教える大学教授という設定で、数々の歴史のなぞを解明していくというシリーズだ。


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                       宗像教授



星野之宣は数々の賞を受けた有名漫画家で、作品はスケールの大きなSF的なものが多いとウィキペディアで知った。原画展とトークショウを大英博物館で開いたこともあるという。そんな漫画家の原画を海「海の道」でゆっくり眺めることができたのは、猫に小判のような気もするが運が良かった。

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              作者の創作ノート




力強い線で描かれた主人公宗像教授や人物の表情は豊かで、背景も迫力がある。表紙用に描かれた大きな絵もカラフルでインパクトが強い。

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 原画の一部はストーリー通りに並べられ、その続きが知りたくなった。

市の図書館に宗像教授シリーズが所蔵されているそうなので、いつか借りに行って読んでみよう。今はこの展示で借りる希望者が多そうだ、もう少し先で待たずに借りられそうな時期に。


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                             宗像大社の社猫?


            水鳥の足掻きおもはす漫画家の細字で埋めた創作ノート






# by minaminouozafk | 2019-01-20 09:28 | Comments(7)

 今日は19日。明日はもう大寒である。寒いのはもちろん勘弁して欲しいのだが、子どものころはもう一つ勘弁して欲しいことがこの季節にはあった。それは、持久走である。今年の大河ドラマの金栗四三さんではないが、長距離走が好きだという人にはほとんど出会ったことがない。


 生来の運動音痴の私は、小学生のころからみんなの後をついてゆくのがやっとで、持久走などは輪をかけて辛いものであった。



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<今朝の那珂川>



 しかし、これまでの人生の一時期、ジョギングにはまりこんだ時期があった。37歳の誕生日になぜか、ほとんど強迫観念に襲われるように、突然「今、運動を始めなければ、私の十年後の健康はありえない!」と思ったのだ。もちろんその時の選択肢の中にバレーボールやテニス、エアロビなどは入っていない。できっこないからである。ただひとつ、ジョギングを選ぶ根拠となったのは、高専時代の持久走大会でわずか15名足らずの女子の中ではあったが、三位になったからというものだった。それから毎日、近所の一周500メートルほどの公園を平日は10周、休日は20周、家族が目を覚ます前に走った。


 そして二年ほどした頃、市報に掲載されていた「有酸素運動がダイエットに及ぼす効果についての研究」のモニターに応募し、6か月間大学の体育館でエアロバイクを一時間漕ぎ続けた。そして、それが終わった頃にはすでに私の身体はエアロバイクの中毒状態になっていた。と言うより、止めるのが怖かったのである。迷うことなくエアロバイクを買い求め、毎日一時間というノルマを課した。一時期ジョギングと両方やっていたこともあったが、膝や脚のことを考えてエアロバイク一本にしぼった。


 それから四半世紀を越えて、その習慣は続いている。何が何でも漕ぐという、しぶとい性格なので家族も諦めていて、多少晩ご飯が遅くなっても何も言わない。今年の正月三が日も漕いだ。二年前に脚を痛めたときには、しばらく休んだが、お医者さんの許可が下りてからは復活している。ただ年のせいか仕事から帰ってからの自転車漕ぎは止めて、今は休みの日だけにしている。


 なぜあの時、急に運動をしなければと思ったのか今でも分からない。しかし、それをしていなければ今の私は極めて不健康な状態になっていただろう。夜毎のビールもエアロバイクのおかげだと感謝している。15年近く頑張ってくれた二代目のエアロバイクがそろそろ危うくなってきた。買い換えれば80歳まで使えそうである。


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   デジタルの器械にまでもみえをはり年齢設定五十といれる


# by minaminouozafk | 2019-01-19 11:46 | Comments(7)

 昨日、千登世さんが、新聞の連載コラムについて書かれていた。
偶然だが、わたしもーー

 西日本新聞連載で42回となった「歌人・永田和宏氏 天皇を語る」〈象徴のうた-平成という時代-〉は、多くの自然災害に見舞われた平成の出来事に沿いながらその時々に詠まれた天皇、皇后の御歌を中心に、国民に寄り添われる〈象徴〉としてのお姿や、お二人の信頼関係を綴られている。

 平成という時代を振り返る思いで、お人柄が滲む天皇、皇后の作品も毎回楽しみに読んできたのだが、新年の記事の一文に立ち止まった。

 「歌に詠まれた時間は、他の時間とは違う、掛けがえのない記憶 として定着されるものである。歌を作る意味の一つはそこにある」

 美智子さまが、ご成婚50年の記者会見で結婚してよかったと思った瞬間について小さな思い出を語られ、その当時に詠まれた作品に対してのコメントである。

       仰(あふ)ぎつつ花えらみゐし辛夷の木の枝さがりきぬ君に持たれて

                               (昭和48年)

 嬉しかった小さな思い出の瞬間の、説明をしなくても伝わってくる作品だと思う。

 この作品に対し「歌に詠まれたからこそ、そんな小さな記憶が色褪せることなく三十数年間を美智子さまの心に生き続けたのだろう」から先に挙げた言葉が続く。

 本当にその通りだと思う。わたくしごとで申し訳ないが、両親を介護していた頃の作品をしばらく読むことができなかった。
 
 最近ようやく落ち着いて読み返しているが、辛いことばかりではない、忘れていた小さな出来事が蘇って来る。そして新たに上書きされ、明るく生きて行けそうな気がする。
 また、読者としても追体験出来るような佳い作品と出会う喜びもある。

 さて、やがて平成も永田氏の連載も終り一冊の本になるだろうう。もしかして見落としていたものもあるかも。その時もう一度じっくりと読み直したい。

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        それぞれの過去を灯してあたたかな歌ありそつと付箋をはさむ


# by minaminouozafk | 2019-01-18 07:53 | Comments(6)

ときどき新聞を切り抜く。忙しい日々に、新聞は飛ばし読みばかりだけれど、気になる記事に出合うと忘れないようにじょきじょき切り抜いてとりあえず手元に取っておく。といっても生来のなまけもの。切り抜いたものを整理せずにあちこちに挟んでおくのでなかなか資料として利用できない。そのまま忘れてしまうこともしばしば。それでも、いつかじっくり整理して活用したいと懲りもせずに切り抜いている。


 生家が毎日新聞だったので、他紙も購読したことはあるけれど、今も毎日新聞を購読している。最近よく切り抜くのは日曜くらぶの「炉辺の風おと」と「新・心のサプリ」。

  
 「炉辺の風おと」は小説家の梨木香歩さんのエッセイだ。梨木香歩と言えば『家守綺譚』が思い浮かぶ。さるすべりの木に恋をされ、掛け軸から亡き友人が現れ、飼い犬のゴローがカッパの争いの仲裁をする……現実と幻想のあわいをどこか懐かしい筆致で描きながら心のひだ深くに染みいる文章が魅力的だ。「炉辺の風おと」では信州の山荘での生活や自然とのふれあいから生まれる思索が語られている。


 「新・心のサプリ」は心療内科医でジャズシンガーでもある海原純子さんのコラム。暮らしの中でもやもやと抱えているものを解決するヒントを得たり、大きな別の視点に触れて目が開かれる思いがしたりすることがしばしばで、まさに心のサプリメントとなっている。もう一年以上も前になるけれど「オバマ前大統領のツイート」と題された一文は今も心に残っている。

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ぢょきぢょきと切り抜いてをり 結局は言葉なのだわたしの欲しいものは


切り抜きが日の目を見る日は、もう少し先になりそう。




# by minaminouozafk | 2019-01-17 06:28 | Comments(7)