出会ってしまった…。仕事の帰り道、住宅街の保育園と大きな病院に挟まれたくねくね道で。町内で二三枚しかない稲刈りもとうに終わった田んぼの角に、その子は座っていた。保育園のお迎えの車や自転車が横を通る道脇に、前脚をすっくと伸ばして座っていた。地域猫の多いうちの近所だが、暗い中でも何か気になって近づいた。まだ小さい。いってみれば子あがりくらいの猫だった。そしてよくよく見ると、白黒の鉢われで、5年前に亡くなったいねによく似ていた。私は道脇の歩道にしゃがみこみ、晩ごはん前にちょっと摘もうと思って買っていた唐揚げを小さくちぎって地べたに置いた。すると、匂いにつられたのか、お腹がすいていたのかあっという間に二個をたいらげてしまった。


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 うちに帰って、その写真を家族のLINEに流すやいなや、「連れて帰ってください!」「いねの再来!!」「猫ケースを持ち歩きましょう」と妹、息子たちがすぐに反応した。

ふつう、これくらい小さい猫ならばまだ母親と一緒に居るはずなのだが、この子は一人だった。実際に道を渡った公園には同じくらいの子猫三匹を連れた猫さんがいる。餌をやると、子猫から少し離れたところからじっと見ている。見守られて安心しているのか、子猫たちはがむしゃらにカリポリを食べている。この鉢われちゃんが、ぐぐっと私の胸を押し広げ、入り込んできた。


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 「猫の寿命と自分の余命を考えなさい」「いまだに手をつけられない壁紙や座敷の衾、障子はどうするの?」「二人そろっての旅行なんて出来ないでしょう?」などなど…。プラスの要素になるものはあまりというより、ほとんど見つからない。家族のLINEに母からの一言が届いた。「猫はやめよ!」、天の声です。ロボットでもない、人形でもない生き物を飼うことの大変さは、幼い時から犬や猫がうちにいた私はわかっているつもりである。だがこのさき体力も落ちて、私たち自身が人のお世話にならないとは言い切れないときに、あらたに生き物を飼えるのかと聞かれると返す言葉はない。


 最初は餌を食べながらも、こちらの様子を伺っている素振りだったが、何回か回を重ねると先日は水路の向こうから「にゃあ」と小走りでやって来た。妹からは「寒―くなるよ!」「早く幸せにしてあげて!」「決断するなら今よ!」と矢継ぎ早にLINEにメッセージが入る。

 私がゴーサインを出せば決定なのだが、まだ決めかねている。



   ぐぐぐつと押し込んできた白黒の鉢われ猫が胸に住みつく


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# by minaminouozafk | 2018-11-24 07:00 | Comments(6)

冬には冬の  大野英子

先週末の実家。もう、11月も中旬になると庭は草取りよりも落ち葉拾いが大変。

それでも、冬には冬の景色を見せてくれる。

ツワブキの花とこれから色付いてくる万両。木賊がちょっと割り込み。

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前夜の雨に艶を増す八つ手。今年は誰にも邪魔をされずすくすく育っている。

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9月に光合成を終えた葉を刈り取っていた空間に春には様々な花を咲かせる新芽が早くも育っている。

先週は、ようやく立ち枯れた芍薬を刈ると、根元から可愛い新芽が顔を覗かせていた。

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それぞれにがんばれと声を掛けながら草取りや落ち葉拾いが進む。

さて、今月の宗像歌会は第三土曜日に変更。

第二土曜日が会場である東郷コミュニティセンターでの地域の文化祭準備に当たったためだった。

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今年10回目を迎えた文化祭は、この広い駐車場では、多くの出店やステージでのダンス、室内では、作品展示、体験コーナー、ロビーコンサートなど盛り上がったとのこと。

私達、宗像短歌会も達筆なYさんが全員の作品を短冊に書いて下さって展示している。

参加できなかった私達のためにそのまま、黒板に張り出してくださった。

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駐車場の奥に見えるのは〈宗像四塚〉と呼ばれる城山(じょうやま)・金山(かなやま)・孔大寺山(こだいしやま)・湯川山(ゆがわやま)の四山。宗像市内の小中学校の校歌にほとんど登場するという象徴的な山で、登山スポットでもあるという。

短歌を始めて間もない頃、コミセン近くの医師会病院に母が入院した時に母と二人で上がった屋上からも見えていて、母からこのことを教わった。

宗像歌会へ来ると、必ず入り口で振り返ってこの四塚を仰ぎ見る。

あの時、母は正月開けに風邪をこじらせ肺血症となり一時は危篤状態に陥った。優秀な医師団のお陰で奇跡的に助かったのだった。退院間近の冬晴れの屋上での母の晴れ晴れとした笑顔が浮かんでくる。

        わたくしを抱くやうなる四つ塚の冬の陽ざしは母のほほゑみ


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# by minaminouozafk | 2018-11-23 06:48 | Comments(6)

錦秋  鈴木千登世

信州のホテルから冬の便りが届いた。標高2000メートルにあるそのホテルでは、朝は氷点下の気温の日が多くなってきたそうだ。今年の初霧氷は例年より早い10月21日で、唐松の林は白銀の森に変わっているという。


今日から小雪。そして明日23日の勤労感謝の日は「てぶくろの日」。

寒さに向かう心でいたら南の海では台風28号が北に向かって進んでいるという。これまで上陸のもっとも遅かったのは1990年の28号台風の1130日。偏西風が北よりの今年は日本列島にかなり近づくかもしれない。

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蕾だった柊の花が開いて、やわらかな香りを漂わせている。この花が咲くと山口で開かれたコスモスの全国大会が思い出される。宮英子先生が柊の花のことを嬉しそうに話されていた。もう10年以上のこと。

紅葉、黄葉が一気に進んで美しい季節を迎えている。今年は秋口の気温の変化であまり紅葉が鮮やかでないと言われている。けれど、やはりこの時期ならではの景色に心はときめく。場所によってはもう散ってしまった樹もある。街路樹は日当たりや風の通り道などによって隣り合った樹なのにまったく違う紅葉となっているものもある。

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パークロードのカナダ楓とメタセコイア。撮影した夫によると博物館のアサギマダラはもういなくなっていたという。

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先週訪れた下関の市民体育館の側の桜。青空とのコントラストの美しさにしばし見とれた。

下関の公孫樹はすっかり黄色。


草紅葉も鮮やかな時を迎えた。暦は冬に入ったけれど、錦秋の景にため息をこぼす日々を送っている。


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蔦紅葉


少しずつ色づき一気に変わる葉の紅葉が照らすこの世さゐさゐ


蔦の道歩くを思ひ週末を思ひ仕事の日々暮らす



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# by minaminouozafk | 2018-11-22 06:01 | Comments(7)


この日乗の10月14日に晶子さんが記した「鹿児島寿蔵の人形と短歌」展(福岡県立美術館)に行ってきた。そこで、断片的なことをすこし。



鹿児島寿蔵の〈人間国宝〉の認定は、紙塑人形に対するもの(短歌でないのが残念)。紙塑とは、紙の塑像。紙ゆえに、他の素材によるよりも細かな表情の表現が可能であるという。



たしかに、寿蔵の紙塑人形は、造形の柔らかみの濃淡が豊かで、どれも、この作品にはこの形しかないという風情にたたずんでいる。その確固泰然たるおもむきのためであろうか、一体一体がみずからの物語を語りかけてくるように思われ、私はその唯一無二の物語に耳をかたむけながら、楽しくなったり、つらくなったりしながら、ひとときを過ごした。



しばらく時間が経った今でも、こう書いてくると、心がさわだち、それでいて凪ぎわたるような不思議な感情につつまれる。



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館内では、仕事場や作業工程を記録した映像をみることもできた。



開襟シャツを着た作家が、紙をジュースミキサーにかける様子が回転音とともに映し出される場面があった。私はこれを少しおもしろく感じた。つい今まで人形たちの物語を聴いていた私には、――この工程あってこその人形と分かっていても――、それが現実的すぎるように思われたのである。



ビデオの後半には、人形に目を入れる、すなわち「開眼」の場面も収められていた。これは神聖な瞬間である。こんなところまで撮られてしまうなんてタイヘンだなあ、と思うともなく思っていると、そばにいた知人が「国宝ですからね」と言った。



人形にひとみ点ずるたまゆらの記録遺りぬ国宝なれば



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# by minaminouozafk | 2018-11-21 06:27 | Comments(7)

11月2日、白秋祭の帰途、西鉄電車車中の出来事。北原白秋顕彰短歌大会に参加したわれわれ「南の魚座」組、講師の高野公彦さんとともに特急に乗車。高校生の帰宅時間に重なったのか、車内はそこそこの混み具合で、私たちの前にも女子高生が立っていた。


高野さんを囲んで、短歌関連の話をあれこれ。染野太朗さんが来てくれて、福岡歌壇が一気に盛り上がったとか、山下翔さんの『温泉』が現代歌人集会賞を受賞したとか、今年の筑紫歌壇賞は「短歌人」の野上卓さんの『レプリカの鯨』だったとか、なんということもなく近況を話していたのだが、ちょっと気になることがあった。


それは、件の目の前の女子高生。「染野さんが……」と言うとはっとした表情でこちらを見る。「現代歌人集会賞」という言葉にもまた反応。「短歌人」、「筑紫歌壇賞」というワードにも関心を示している様子。「この子、ひょっとして短歌に興味があるのでは?」と、話しかけようと思ったところで、彼女の方から「ひょっとして、短歌関係の方ですか?」とストレートな質問が飛んできた。


ああ、やはり。気のせいではなかった。短歌に興味のある子だったのだ。そこで、「こちら、高野公彦さんですよ。」と(鬼の首を取ったように)言うと、


「えええええええ、そうなんですかあああ。信じられない。私、短歌にすごく興味があって、大学では国文学を専攻したいと思っているんです。」


との答え。それを聞いていた高野さんもかなりびっくりした表情ながら、ちょっと嬉しそう。ふふふ。

頬を紅潮させて、高野さんを見つめる女子高生。可愛いなあ。ここ福岡で歌人高野公彦に電車の中で出会う確率って、そう高くないと思う。そんな偶然を引き寄せた彼女は、運のいい人なのだろう。しかし、それ以上に彼女は努力の人なのだと思う。短歌が好きだと思ったら、そのことについて調べたり、学んだりしていたのだと思う。日頃の積み重ねがあったからこそ、電車の中で交わされる会話の中の「短歌関連ワード」に敏感に反応したのだと思う。この運を引き寄せたのは偏に彼女自身の向上心なのだ。


神様はその時必要な人やものにお引き合わせ下さるという。ただし、それはあくまでも最後の一押し。本人が頑張ってあともう一息というところまできたとき初めてその恩恵に与ることができるのだとか。彼女は頑張ったんだろうなあ。だから神様が高野さんに引き合わせて下さったんだろうなあ。

私たちが降りる駅の一つ前の駅で降りていった彼女の後姿にエールを送りたくなった「南の魚座」組一同であった。


切支丹でうすの魔法 女子高生が電車で高野公彦に遭ふ


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# by minaminouozafk | 2018-11-20 01:32 | Comments(7)


夜になったら電気をつける。子どもの頃からあたりまえだった。


デジタルにはついていけないアナログ人間というが、私はアナログだって解っていないことだらけだ。

空の電線をたどれば日本全国どこへでもつながっているはず。



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ケーブルのなかを流れる電気を思いつつながめている・・・青空に白い碍子があちらこちらにある。

そういえばブラタモリの有田編で有田焼の碍子のことをやっていた。

碍子は磁器製。電気の絶縁のために必須。

碍子の会社といえば日本ガイシ・・・調べてみると元はノリタケカンパニーの碍子部門だったらしい。さすが日本の陶磁器。もっと調べると有田焼では香蘭社で今も碍子を作っている。

高い電線の碍子は見えないが、地面に電線を引き込む途中の玉碍子は肉眼で見える。よくみると青い文字がみえる。いくつか見てみると同じマークのようだ。


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カワソーテクセル株式会社製品。「せとものの町」瀬戸市の食器製造業として明治10年創業。ほとんどが今のロゴマークだが昔のロゴマークも発見。



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たぶん藤津碍子製品。

佐賀の会社なのでやはり有田焼と関係があるのかも。

碍子を見上げつつの散歩は楽しいが怪しげかもしれない。

香蘭社のものをと探すが長府にはないのかもしれない。帰ってホームページを見るとしっかり碍子の説明。そして玉碍子の販売もある。ブラタモリ人気で急遽ネット販売をはじめたようだ。香蘭社の蘭や鳥や唐草の絵付けがされてペーパーウェイトにもなるようだ。

残り7個、ええいっとネットショッピング。



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香蘭社のマーク入り。けっこう重い。つやつやでちょっとしたオブジェ。

地中化で電線のないすっきりとした街はまだ少数。日本の世界の空は電線が碍子が縦横無尽だ。

神様が空から大きなハサミでチョキチョキ電線を切ったり、碍子をもぎとってしまったら・・・と不謹慎な想像をする。

電線さえ要らないスマホからパソコンからの電波。ちょっと怖いが便利で今や必需品。人間には見えないが神様の目には映っているかもしれない。もしかしたら見ることのできる生物がいるかもしれない。

たまたまふと気づいた碍子。われわれが生きていくうえで必要不可欠。しかし見えていない、知らないものは本当に膨大だと思う。節穴だらけの眼であることを自覚、そして慎ましくありたい。

小さな有田焼の玉碍子の静謐なひかり。手のひらに包むとじゅわっと体温が伝わる。しばらく飾り棚の隅に置いておこう。




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蒼天に碍子の白のきらきらし知つてることはほんの一片







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# by minaminouozafk | 2018-11-19 07:22 | Comments(7)

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 いま博多座に歌舞伎「あらしのよるに」がかかっている。
 狼と山羊が嵐の晩に一つ屋根の下で過ごし友達になるというこの童話が話題になったのはずいぶん前だったような気がする、原作の絵本が出版されたのは20年以上前のことらしい


登場するのが動物ばかりのこの物語を歌舞伎にしたものが一体どんな舞台になっているのか、好奇心もあり見に行った。

見に来ているのは私と同じような中高年女性が多いが、若い男性のグループが何組か目立っていたのはいつもと違う。原作が童話なのに週日なので子供は数人、ちょっと惜しいと思う。

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             がぶとめいをかたどったクリームパンと、記念写真撮影用の場所



 幕が開くと狼たちが踊る、衣装は山賊風で長いしゃぐまのような黒毛の鬘と耳、顔はそれぞれに隈取されている。浄瑠璃はラップみたいで、三味線も太い音でじょんがら風、舞踊も切れの良いストリートダンス風とやや洋風。
 山羊たちは白い着物と袴に肩から長い毛が垂れている。歌舞伎は顔の隈取で動物にも為り易そうだ。


狼の「がぶ」の中村獅童の「○○でやんす」と語尾に付ける嗄れ声が楽しい。山羊の「めい」の尾上松也の中性的で丁寧な物言いと良い対照だった。


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            上の絵が舞台になると、、、下のように。

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ストーリーはご存知の方が多いと思うが、狼と山羊が仲良くなるが、それを周りの山羊たちが心配したり、狼の中には利用して山羊をたくさん食べようとしたりするうちに、敵討ちも混りと、歌舞伎らしい展開になり、最後まではらはらさせてハッピーエンド?に終わる。


見ているうちに気が付いた、もともと歌舞伎は邦楽のミュージカルなのだと。音楽や踊りのジャンルは違っても、お芝居と音楽と踊りが一つになったものという点では共通している。歌舞伎役者は歌わないが、浄瑠璃や長唄がその分を語り歌う。登場人物も地謡もが謡う能はもっと近いかもしれない。日本古来の芸能はミュージカルだったのかと改めて思った。


月の夜に遠吠えをする狼の失せてさびしき日本の山野

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# by minaminouozafk | 2018-11-18 07:33 | Comments(7)