これは、6月のニートンの林檎の実。

5月2日の記事で花を紹介した林檎の、実である。


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翌週行くと、朱色の袋が掛けられていた。


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大切にされているのだ。実の成長が見られないのは残念だけど――。


さらにその翌週は、豪雨で休講になった日があった。


けれども、林檎は無事だった。袋掛けのお蔭であろう。

袋掛けがされていなかったら、たぶん落ちていた。

なんといっても落ちやすいのが身上のニュートンの林檎なのだから。


ところで、この酷暑である。

袋の中って、どんなことになっているのだろうか。

ちょっと心配。



  包まれて音無きりんご炎帝のくらき吐息の渦巻く丘に



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# by minaminouozafk | 2018-07-25 06:25 | Comments(7)

水原紫苑の第九歌集『えぴすとれー』を読んだ。2015年4月から2017年6月までの作品746首を収める。

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本阿弥書店刊

葛原妙子、山中智恵子に魅かれ、春日井建に師事。作品を読むにあたって、作者独自の読みのコードが必要なのがこの三巨頭。しかし、それ以上に鑑賞に悩むのが、件の水原紫苑である。水原作品の鑑賞の手引きとしては、「コスモス」2014年1月号「新・評論の場」に小島なおさんが「蝙蝠傘の一人」という優れた評論を書いている。結論部分を引用する。


・『びあんか』、『うたうら』、『客人』と、歌集を重ねるごとに歌の難解さは増してゆく。それはすなわち、水原が現世における肉体よりも魂を、真実の自分と確信してゆく過程である。現実と幻の狭間で葛藤していた魂はやがて、歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようになる。水原の作品のまなざしが、わたしたちに美しく残酷な印象を与えるのは、ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌であるためだ。


水原作品の世界観を十全に表現した鑑賞である。なおさんのこの手引きに従って、本作『えぴすとれー』を読み進めてみた。「ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌」とはどういうものなのか、考えてみたくなったのだ。

746首とは大著である。そして面白い。しかし、作品を「共有」できているのかと問われると自信がない。いや、何段階かのレベルに分けられるというべきか。

たとえば、


P9  十六歳のわれはそびらに巣をつくり白鷺を呼ぶ京の白鷺

P36 快楽(けらく)もて神の創りしあかしにぞゴキブリの(せな)かがやくものを

 

これらは多分入門編。雅やかなものに憧れやまなかった16歳の心や、てらてら光るゴキブリの背に創造主の遊び心を感じるという作品。


P11 ミッションを遂げたる花や(みづ)(あくた)ながれてわれもかくあらましを

P79 ひさかたの光病みぬる夕まぐれ六道の辻に硝子ひさがむ


この辺は初級編。咲き切って水面に浮かぶ桜の花びらになりたいと願う作者。また光が衰えた夕暮れ、薄暗さは六道を連想させ、そこで硝子を売る自分を描写してみる。シュールだが、わかる。


P57 雪待てば小町来にけり永遠の未通女ブラックマターを抱け

P256 虹のいのち橋のいのちを生くるため 手弱女(たをやめ)ほろび千の(つぼ)ひらく


こうなると、中~上級編。わからない。でも不思議なことにイメージはできる。像を結ぶのだ。

これはどういうことなのか。


P29  われは笛、われはくちなは、われは空 死の後水の夢とならむか

P21 瀧斬らむクーデターなれ瀧斬らば三千世界(いし)とならむを

P88 異類婚・同性婚の犬妻と過ぐす夜黄金(くがね)も玉も何せむ


集中、このような作品が散見される。これはなおさんの言う「歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようにな」った水原の姿なのではないだろうか。笛にも、蛇にも、空にも、水の夢にさえ変化し、異類婚、同性婚も厭わない。瀧とは、おそらく自身の投影。他にも魚、しらほね、石などが投影の対象として頻出する。


肉体を持たない水原の感覚器は剝きだしである。ロゴスを超越した圧倒的なパトス。神託のように降ってくる言葉をほとばしるパトスに賦与するのが水原の作歌なのだ。その言葉とパトスの対応は万人に理解可能なものではない。しかし、水原の内部では、その両者は必然的に分かちがたく存在する。その必然が、一首の意味は不可解ながら、抗がい難い魅力となって立ち上がるのだ。


「えぴすとれー」はギリシア語で「手紙」。難解な手紙をもらってしまったものだ。生涯かけて読み解くほかあるまい。



  むらさきの花に似る名のハルシオン熟寝の床に播くひとつぶは




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# by minaminouozafk | 2018-07-24 02:09 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)


10日以上続く炎天。


不要の外出はひかえているが、いつもの買い物ついでの忌宮神社。学校も早く終わったのだろう。

小学生が宿禰の銀杏の陰に座り込んでいる。やっぱり日陰だよね。少しでも陽射しを避けようと木々の影を歩きつつ大きな銀杏の木を見上げると葡萄のような可愛い白い実がたくさん。



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たしか昨年の9月のはじめに薄黄色の銀杏をみつけて驚いた。それより1ヶ月以上早い。色づく前の白い実。こんなに暑いのになんだかエネルギーに満ちている。きれいな扇形の葉っぱをためらうことなく青空に広げている。木陰でちょっと充電させてもらう。


そういえば、暑くなる前の6月の散歩の途中にたくさんの切れ込みが入ったアゲハチョウのような葉っぱの銀杏があった。まだ2メートルほどの幼木。よくみるとどの葉っぱにも多くの切り込みがあって扇形とはほど遠い。なにか化学物質による奇形だろうかと思って写真を撮っていた。



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不思議に思いちょっと調べてみた。


まず銀杏の葉っぱの形。どうして普通の楕円の形ではないのか。たぶん扇形は銀杏だけ。イチョウは細胞が新たに作られる領域が葉っぱの先端にあるらしい。ふつうの葉っぱは根本にある。だから先端の広い扇形になるらしい。ううぅん解かったような・・・


切れ込みの全く無い扇形は全縁葉。切れ込み1つのズボン型は2片葉。たくさんは多片葉。

幼木、ひこばえ、剪定後に伸びた枝は多片葉が多いようだ。

イチョウは雄雌の別があるがこれは関係ないようだ。

イチョウはイチョウ目イチョウ科イチョウ属の一族一種の植物で仲間はいない。

中生代の化石にも見られるように昔から独自の進化をしてきたのだろう。

化石の銀杏の葉っぱはたくさんの切れ込みがある多片葉。ダーウィンが生きている化石といったイチョウ。

ギザギザの多片葉から扇形の全片葉へは進化なのだろうか。



いわゆる古い大木の銀杏の葉っぱはきれいな扇形。



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まだまだ発展途上の幼木やひこばえには切れ込みがたくさんある多片葉が多い。



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いろいろと形を変えられる可能性があるのだろう。生まれたてはご先祖返りの形でゆっくりと大成していくのかも知れない。

たっぷりと白い銀杏を実らせている宿禰のイチョウの切れ込みのないきれいな扇形に納得。

まだまだこれからのアゲハチョウのようなギザギザ葉っぱの幼木も応援したくなった。




銀杏でいうとそろそろ切れ込みがなくなってくる齢だろうか。ふと自分の手をながめている。



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切れ込みがなくなり()しき扇形 公孫樹は葉っぱで齢がわかる







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# by minaminouozafk | 2018-07-23 07:25 | Comments(7)

カノコユリ 大西晶子 

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         カノコユリ(宗像固有種)


わたしの住む宗像市の市の花はカノコユリだ。以前のことになるが市が「カノコユリを育てよう」というキャンペーンをして希望者に球根を配布したことがあった。そのときにもらった球根から育ったカノコユリは庭の土に合ったらしく、いまも毎年花を咲かせている。



 先日、毎月の市報が配られた時にカノコユリの鑑賞会のチラシが入っていた。市内だし花色の変異が見られるというので行って見た。



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カノコユリ研究会の方達が会場の公園で花を並べ、展示をされている。お話を伺うと、「DNA鑑定の結果、宗像の固有種は市内で咲くカノコユリの2割ばかりなので、もっと固有種を広めたい」と言われた。
 ユリの繁殖には球根の百合根を植える方法と、種を育てる方法があるとのこと。種は発芽して4年ほど経つと花を咲かせるようになるそうで、来訪者全員に2年物の鉢を配って下さる。



   
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        研究会の方達が世話をされているカノコユリ



これまでわが家の庭のカノコユリは市が配布したのだから当然宗像の固有種だとばかり信じていたのだけど、実は甑島産のものであること、もう何年前に配布されたのかを忘れていたが、2003年に玄界町が宗像市と合併した記念の行事だったことも分かった。



さらにカノコユリの白花のものを初めて見た。カサブランカが甑島のカノコユリを元に改良された花だということは知っていたが、並べて見ると大きさこそ違うが良く似ていて清楚だ。

さて、頂いた発芽から2年の育苗ポットのカノコユリ、2年後には何色の花を咲かせてくれるのだろう。おそらく赤い花だろうと思うけど、違う色目ならなお嬉しい。


 
   宗像の固有種でなきカノコユリ遠き島より来て庭に咲く 





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# by minaminouozafk | 2018-07-22 09:08 | Comments(6)

 今年の梅雨明けは例年になく早かった。いつもなら、ここ博多では夏の祭り「博多祇園山笠」の追い山が終わる715日が目安になっていた。日常でも「追い山もおわったけん、そろそろ梅雨も明けようね。」などという会話がいろんなところで聞かれた。


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 その15日、勢い水も完全に乾ききっていよいよ夏本番という日に、用があって博多駅の阪急百貨店に出かけた。エスカレーターで8階について、目的の場所を目指して歩いていると私の目があるものに釘付けになった。なんと、追い山は終わったばかりだというのに、締め込み、水法被姿の猫たちが勇壮な山を舁いているではないか。三毛がおり、トラ猫がおり、うちのいねちゃんのような白黒猫もいる。『一番山笠 猫流』とあり、人数は少ないが台上りも見送りもいる。法被の背には大きな「ね」の一文字。標題は「招福猫」。

 前を見据える猫たちの眼光は鋭く、「5秒前、4、3、2‥‥やぁーーッ」と飛び出していきそうな緊張感も伝わってくる。


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 この作品を作成したのは『羊毛フェルト工房 うさぎ屋』というところで、ほかにも犬山、猿山があったが、力の入りようは猫山がダントツだった。期間限定で開かれていたショップで、他にも単体の人形や猫の顔やお尻のブローチなどが販売されていて、ワークショップも開かれていた。もちろんこの猫の舁き山にも値段がつけられていて、その金額を確認したのちに購入はあきらめた。しばらくの間、飲まず食わずが出来るなら買えたかもしれない()


 ネズミがまく勢い水も爽やかな水色。でも、猫さんたちは勢い水は苦手に違いない、いや水でも何でもまかせとけ!という気概のある男衆猫しか山に参加できないのかもしれない。


 猫さんたち、お疲れさま。あとは木陰の涼しいところでゆっくりとしてくださいね。



   辻道を舁き山が走りわざわひをはらひて街は夏ど真ん中


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# by minaminouozafk | 2018-07-21 08:00 | Comments(6)

先週の日曜日。
今月の墓参りは、一人のんびりバスで出掛けた。

触ると火傷しそうな墓石を清め、お参りを済ませて散歩がてら園内散策。
フェンスに囲まれる特別な一画は、なんとペットと一緒に入れるお墓。
季節には薔薇の花で囲まれるよう。

人間のお墓には、ペットは一緒には入れなかったはず。
でも、よくよく考えると、昔、お墓は寺院にあり仏教の六道界では人間と動物の世界は違うとの考えから来ていたのだろう。無宗教の霊園ならありかも。

蓮華広場なる場所には釈迦三尊像があり、傍には長生き地蔵尊、これはぴんぴん元気に長生き、逝くときはころっと大往生を願うピンコロお地蔵様。
とっても優しげな表情に、長生きはさておき、ころりをお願いする。

そして目を引く新しい一画には
わが家の墓もモダンなほうだと思っていたが、ステンドグラスの墓が誕生していた。

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厳かな上に立ったままお参りができる。

少しくだけて数々の花の図柄が並ぶ。

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ここまでくると、小洒落たパウダールームの様相。
時代は刻々と変化している。

まだまだ楽しそうな場所が(墓地なのに)あったが、連日の酷暑。
送迎バスも1時間に一本なので、日射病にならない程度で退散。

最後に博多の街を見渡せるフェンスに近寄ると……

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一本の細い幹からフェンス沿いに長~く枝葉を伸ばす低木が。
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花梨や木瓜に似た固い実が成っているが葉っぱが違う。
どなたかご存じありませんか?

       あおぞらと博多の街を見て育つ固い実青い実あなたはだあれ


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# by minaminouozafk | 2018-07-20 07:16 | Comments(7)

猿  鈴木千登世

連日の暑さ。
この時期ならではのかんかん照りの下を、夏休みに入る解放感と一緒に机の中の道具を抱えて帰った小学生の頃を思い出す。けれど、ここ数年の体温を超えるような暑さはやはりレベルが違うよう。


暑さの前の曇り日のこと。

裏庭の緑の中にうす茶色のものが見え、ゆっくりと視界を横切った。

猿だとわかるまで数秒。

裏庭には家人の畑があって、プチトマトが色づき茄子の実も太り始めていた。現れた猿はトマトの赤い実だけを食べ、こちらの視線にも慌てることなくゆうゆうと藪の中へ去っていった。

畑へ行くと、不味かったのか枝豆や茄子はちょっと囓っただけて地面に捨てられていた。ししとうやピーマンには手を付けていない。苦いものは苦手のようだ。


翌日はお隣の畑に現れて、夏に訪れるお孫さんの為に作っていたスイカやメロンを小さなものひとつだけ残し、みんな取っていったという。その場で食べないで抱えて持って行ったようだと嘆かれていた。

実は猿が現れたのは初めてではない。2,3年前にも現れてやはりトマトを食べていった。その後もう一度姿を見たが、それきりだったのではぐれ猿だったのだろうかと話していた。



山の動物たちが里に現れるようになった。山が荒れて境界が近くなったことや、畑の作物の美味しい味を知ったからという。農作物の被害も大きく歌会でも農家の方の嘆きを聞く。有効な解決策はなかなか見いだせないという。

動物園で見る猿は可愛かった。けれど、野生の猿はそうはいかない。

ささやかな畑でも収穫を取られてしまうと落胆は大きい。

これ限りであって欲しいと願う日々である。


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きゅうりの花



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また実りはじめた



境界を越えて害なす猿の背の光沢(つや)なく乾くそのけむくじやら



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# by minaminouozafk | 2018-07-19 06:04 | Comments(7)