連翹忌に 有川知津子

連翹の季節が巡ってきた。


連翹とともに思い出される彫刻家がいる。

彫刻家と言うより、詩人と言ったほうがとおりが良いかもしれない。


おとといの4月2日は、〈連翹忌〉であった。

〈連翹忌〉すなわち、高村光太郎の命日である。

光太郎は、連翹をことに愛したという。


たしかに(私の大いなる先入観をもってすれば)、

連翹は、音楽的というより、絵画的というより、彫刻的である。


民子を野菊のような人と言ったのは、政夫だけれど、

智恵子は連翹のような人だったのだろうと思う。


昭和2年、光太郎は智恵子を思ってこんな詩をつくった。



     あなたはだんだんきれいになる


  をんなが附属品をだんだん棄てると

  どうしてこんなにきれいになるのか。

  年で洗はれたあなたのからだは

  無辺際を飛ぶ天の金属。

  見えも外聞もてんで歯のたたない

  中身ばかりの清冽な生きものが

  生きて動いてさつさつと意慾する。

  をんながをんなを取りもどすのは

  かうした世紀の修業によるのか。

  あなたが黙つて立つてゐると

  まことに神の造りしものだ。

  時時内心おどろくほど

  あなたはだんだんきれいになる。



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  青空の下にこそ見め光太郎愛でしひかりの連翹の花



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# by minaminouozafk | 2018-04-04 08:48 | Comments(7)

昨日4月2日は、国連の定めた世界自閉症啓発デー。併せて2日から8日は発達障害啓発デーである。


私事で恐縮なのだが、今月から「咲くふぁ福岡」(sacfa---Support AbsenteeChildren and their Families)という不登校当事者およびその家族を支援する団体を立ち上げ、活動を始めた。その一環として、この世界自閉症啓発デーの福岡タワー点灯式に参加しようとスタッフ一同(といっても3名ですが)、タワー前広場に集合したのであった。

19時、タワー点灯。


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ブルーは世界自閉症啓発デーのシンボルカラー。平和と安寧の象徴。参加者はサムシング・ブルーがドレスコード。私は帯を青にした。


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自閉症の人たちが生活しやすい社会は、みんなが幸せに生活できる社会につながります。そのため日本では、4月2日から4月8日の1週間を、自閉症をはじめとする発達障害をみんなが知るための発達障害啓発週間としています。



セサミストリートのキャラクター、自閉症の特性のあるジュリアが活躍するパンフレットに記された主旨を引用した。

合言葉は、「みんなちがってみんないい。」

それは、まさしく私たち3人が「咲くふぁ福岡」を立ち上げた動機そのものだ。

目の前にはるか天を指してそびえる青い福岡タワー。

平和で、みんなが等しく幸せになれますように。



纏ひたる青もさまざまとりどりに みんなちがつてみんないいのだ



北浦の海の藍青知れるひと 母校の先輩金子みすずは


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点灯式後は、マリゾンのマンマ・ミーアで宴会(私宴会ばっかりだな)。

「福岡おやじたい」の吉田正弘さん、尾辻佳郎さん、福岡市発達障がい者支援センター「ゆうゆうセンター」所長橋本文さん、「SMILE PRESENTS」の築地雄さん、「MIRAIRO」の近藤茜さん、福田哲也さん、Challe Kidsの中嶋一顕さん、「受容ネット」の岩崎正行さん、そして、可愛いお嬢様と一緒にご参加された「インクルーシブふくおか」のご家族のみなさま、本当にありがとうございました。深々と、ゆたかな思いになれた3時間でした。

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二枚の名刺でやってます。
よろしくお願いいたします。


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# by minaminouozafk | 2018-04-03 09:58 | Comments(7)



菜種梅雨がようやく止んだと思ったら、あらあら木蓮も辛夷も終わって桜満開。


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日和山公園はむかしから下関では桜の名所。

提灯やライトアップの準備で忙しそうな夕暮れ前。

関門海峡をながめる高杉晋作の大きな立像が公園の中心。

関門橋、対岸の門司も薄桃色の桜越しにみえる。


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この春はおだやかな晴れがつづく。せっかくなので春の野に。

かつて息子の剣道の仲間と行った桃源郷のような不思議な桜をおもいだした。

たしか貯水池のさくら。透きとおった小川にハヤが泳いでいた。

車で行けば30分ほどだろうか。

桃源郷・・・ひとりでは心細いので友だちを誘って再訪。

原っぱの駐車場は記憶のとおり。


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そうこの小川だったと思ったら、蒲公英、菫、ほとけのざ・・・あっ土筆!

視線を地面によせると、あちらにもこちらにも、さくらの花の下に小さなお花畑。


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はーるの小川はさらさら行くよ 岸のすみれやれんげの花に



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ほんとうに春の小川のままの光景。

ハヤは水の中で並んで泳いでいく。靴下、靴を脱ぎたいが我慢。

満開の桜をほぼ独り占め。地元の人が桜を見上げながらときどき過ぎる。


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古い急な石段を上ると貯水池の堤。

昭和4年完成の登録有形文化財の取水塔がレトロ。

やさしい春の陽に似合う。

下関の上水道の歴史は古く明治39年に敷設されている。



この貯水池の水は今でも12km離れた日和山の浄水場に送られている。

奇しくも関門海峡そばの夕暮れの桜を先日ながめたところだ。


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せっかくだから貯水地を一廻りしよう。

まだまだ花ざかりの大きな藪椿、山桜。谷渡りの鶯の声がひびく。

木漏れ日を抜けて、明るい陽差しのなかを歩く。


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黄色はたんぽぽ、きんぽうげ、なのはな。紫色はすみれ、ほとけのざ、おどりこそう、れんげ。

そのなかで保護色の土筆。蕗の薹ものびやかに花を咲かせている。


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春がきーた  春がきーた  どこに来た  山にきーた 里にきーた 野にも来た


おもわず口遊む。シンプルな歌詞にメロディ。寒かった冬のあとの待ち遠しかった春。



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花がさーく 花がさーく どこに咲く 山にさーく 里にさーく 野にも咲く


作詞は高野辰之。

春の小川、朧月夜、故郷、もみじなど文部省唱歌として誰もが知っている懐かしい曲をつくっている。国文学者。

作曲すべて岡野貞一。


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ほんとうに春はちょっと離れた山からそして里に野原の順でダダ-っとやってきている。

ひさしぶりに体感、下関のような地方都市でも生活圏では見ることのできなくなった原風景。

花も山からうわっと広がってくる感じ。


植えたわけではないのに春だから咲くのだ。

藪椿も、山桜も・・・



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みずみずしい黄色の元気な蒲公英。ほんとうに澄みきった黄色。

なんだかいつものタンポポと違うような・・・やっぱり!萼をみるとニホンタンポポ。

在来種はめっきり少なくなっている。うれしい。日本たんぽぽは春にしか咲かないらしい。



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立派なナズナを振りながら小さな音を愉しみながら歩く。


途中、地元のおばちゃんと春ですねと挨拶。

土筆がいっぱいですね、と話すと好きなだけ取っておかえりと。

たぶんもと畑は一面につくし、れんげ、つくし、ほとけのざ、つくし。



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ビニール袋いっぱい夢中で土筆取り。

帰ってから袴をとるのに小一時間かかりました。

キンピラと佃煮の常備菜になりました。



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桜だけではない。野原には本当に色とりどりの春の花があふれていた。



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清々しい気持ち。

きっと寂しいこころ殺伐したこころも元気になれる。

春の野原の魔法。




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平飼ひのにはとりの産む卵黄色ニホンタンポポおいしさうなり







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# by minaminouozafk | 2018-04-02 07:37 | Comments(7)

お食い初め 大西晶子



孫の勇太が生まれたのは128日、何の日かはさておき、そろそろ生まれて百日を過ぎ「お食い初め」をする時期になった。

40年ほど前の娘たちが生まれた頃には、知り合いが「お食い初め」の祝いをしたという話を聞かなかったし、義父母も実家の母も何も言わなかったのでそういうお祝いが一般的にされていることも知らなかった。しかし川崎に住む次女が勇太よりも二週間早くうまれた煌大の「お食い初め」の写真を送ってくれ、それを見た長女夫婦も勇太のお祝い会を計画し、私たち夫婦を招待してくれた。


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お食い初めの膳(男児用)中央は歯固めの石(花飾り付き)

  それにしても何と切実な願いだろう、今は赤子のわが子が一生食べることに困りませんようにと祈った親たちの思いは。     
 今はともかく、古い時代には飢饉もあり、戦で農地が荒らされ収穫のできない時もあったに違いない。食べられるのが当たり前になったのはそんなに昔ではない。戦中戦後の食糧難の時代は私の生まれる1・2年前のことだったのだし。


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                         儀式用ベビー服



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                         着用すると


すこし前に「飽食の時代」と言われていた時期があったが、今は子供の貧困が問題になり食品バンクが必要な時代だ。少し立ち止まって考えると、「お食い初め」にはやはり大きな意味があることがよく分かる。
 


長生きになると見られている世代の孫たちが83歳になるときに22世紀に入る。そのころ地球がどうなっているかなんて私にはもう想像もつかない、どんな世界になっているのだろう。やっぱり食に困らないようにお祈りしたほうが良いような気もしてくる。
 宗像大社祈願殿でお祓いを受けた後、更に奥の拝殿で「二人の孫たちが末永く、食べる物に困ることなどがありませんように、」と少し長く手を合わせ三柱の女神にお願いをした。

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      宗像大社祈願殿、お祓いはここで。初めて中に入りました。



 

 とは言え、桜が満開の日、旅館「はなわらび」の心遣いで、尾頭付きの鯛、お食い初めの御膳、名入りの箸袋、ベビー用の布団などを用意して頂き、大人たちも会食を楽しんだ。勇太はお食い初めと言いながら、どのお料理もお箸で口もとにもっていくだけ。
 お祓いはいつもならお昼寝の時間、お祓いの最中に泣いたのは誰でしょう?



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   戦いの飢饉のあるな花のもとねむりゐる児の先長き日に  晶子






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# by minaminouozafk | 2018-04-01 09:59 | Comments(7)

 今年の福岡は桜の開花宣言がされてからずっと四月五月のような陽気が続いている。ちょうど大濠方面に用があったので息子家族に声をかけて福岡の桜名所のひとつである舞鶴公園に出かけた。平日の昼間だったが家族連れやゆっくりと散策をする老夫婦、なかには小中学生らしきグループもいて近頃の子供は花見もするのかと少しばかり驚いた。舞鶴公園は大濠公園からつづく福岡城の本丸址を中心とする公園で、さくらまつりの開催中は桜と城壁がライトアップされる。ここには平和台陸上競技場や鴻臚館跡展示館もありかなり広い敷地だが、私たちはもうすぐ二歳の孫がいたので広く見渡せる西広場でお弁当をひろげることにした。息子の希望で行楽弁当を作ってみたが、10数年ぶりにしてはまだまだ出来るなとちょっとだけ自信を取り戻した。子育て中はわざわざお弁当を作って出かけるなどしたことはなく、桜の花越しの青空の下でいただくお弁当は初めてで、息子家族のおかげでいい経験ができた。


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<舞鶴公園 西広場>

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<十数年ぶりのお弁当>

 そして翌日、じつは前の日に行きたかったお店が私の調査不足でお休みだったので改めてまた大濠へ行った。今度は同じく桜の名所である西公園が目と鼻の先だったので、一人の気ままさで行ってみることにした。ここは古くは「荒津山」と呼ばれた丘陵地で、展望台からは福岡市内はもとより博多湾、志賀島を一望出来る。桜だけでなくマツ、シイ、カシなどの自然林が残っているので春だけでなく、秋のモミジ、イチョウも美しいそうだ。


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<西公園 さくら谷>

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<西側展望台からの眺め>

 西側展望広場には「神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹にこひわたりなむ」と、天平8年(736年)新羅の国に派遣された使節一行の中の土師稲足が往路に詠んだ歌の歌碑がある。展望台から見る鵜来島や遣唐使との別れを惜しんだ「荒津の崎」は私をその時代に一気に連れて行ってくれた。

 園内を一周して最後は黒田如水、長政親子をまつる光雲神社にお参りをして帰途に着いた。


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<光雲神社にある母里太兵衛の像 酒は呑め呑め…>

 親子で花見をしたのも初めてなら、福岡に来て30年、西公園を訪れたのもはじめてであった。ブログのおかげで出不精の私が少し変われそうな気がしてきた。いい小トリップだった。


   沖をゆくふねに花枝高くふる少女(をとめ)もをらむ天平の春


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# by minaminouozafk | 2018-03-31 11:31 | Comments(6)

~豊かな〈晩年時間〉~

前田茅意子さんは、われわれブログのメンバー有川知津子さんのおばあさま。
火曜、水曜のブログで紹介された「魚座」勉強会後の宴席でメンバーにこの歌集が渡された。
()意子(いこ)
さんは、生年月日は母と同年五日違い、没年も母と同年。お亡くなりになった27331日は奇しくも父のほぼ1年後でとても身近に感じてしまう。そして明日が命日。

豊かな島の春を感じさせてくれるシンプルかつ素敵な装丁。

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      〈常に持ち歩いて読んだので、既に傷んでます。ごめんなさい〉

知津子さんの手による後書によると、茅意子さんの夫(知津子さんのおじいさま)は、41歳の若さで捕鯨船の出漁中、殉職。茅意子さんは生活のために鯨の卸売りを始め、跡を継いだ娘夫婦にかわって知津子さんの面倒を見ていたとある。
茅意子さんが亡くなられた後1年ほどの知津子さんの痛々しい程の落ち込みと哀しみの深さが、今でも忘れられない。

それでも遺歌集の出版のための編纂を始めてからの知津子さんの、生き生きと再生してゆく様子を身近に感じていた私は、お二人を繋いだ短歌の存在というものに改めて感謝したのであった。

前置きが長くなったが第二歌集である茅意子さんの12年間の一冊は1年ごとに区切られた編年順。

 家々に島の玉石置かれあり漬物石となしたる名残(なご)
 曾祖母より伝はりて来し桑の木の木魚を叩き朝の経読む
 明日は雨と予報のありてこの丘の(むら)みな藷を掘り急ぐなり
 手入れよき船々もやふ船泊り海の男の思ひ入れ見ゆ
 さざえ棲む磯埋め立てて竣りし波止(はと)寄する波おとさびしく聞けり
 そのかみの獅子は気魄に満ちしかど獅子も天狗も近ごろやさし
 旧盆に帰省の人の多くして真夜の一車線尾灯つらなる
 太田郷へ走る六キロ一台も対向車なくしみじみ過疎地

 正月用仕込みはじまり工場よりくぢらの(ひやく)(ひろ)炊くにほひする
 曾孫(ひこ)来れば日ごろ見かけぬ子供らが湧きたる如く遊ばうと来る
 ありがたし島の田舎に暮らす身は一歩出づればいづこも桜

先ずは島の暮しを詠んだ作品から。

暮らされるのは上五島に属する中通島。巻頭に置かれた一首目は、長い時間をかけて五島灘の波に洗われただろう漬物石から島の人々の暮らしが伝わる。

どの作品も島の行事や変化を的確に伝え、温かな眼差しに溢れてそれぞれの場面が生き生きと立ち上がってくる。最後の一首は歌集名となった作で、大パノラマが浮かぶよう。

 三本のつるばらの苗三人の孫より来たり傘寿を祝ぐと
 親の仕草まねて正座し線香をあげ手を合はす五歳、三歳
 夫を知らぬ孫や曾孫に囲まれて夫の分まで(いたは)られをり
 七歳のわがため父が買ひくれし象牙のソロバン今もなめらか
 われに纏ひつきゐしをさな四十となりて家長の風格を帯ぶ
 夫に付き住みしことある網走を訪ねきたれり六十年ぶり
 台風がどうにか逸れて孫三世帯十一人が渡り来にけり

ご家族の作品から。
二首目は知津子さんの3月14日のブログに登場した甥っ子、姪っ子さんだろう。盆、暮れには集まる家族の絆や過去の思い出が喜びとして詠まれる。
網走の作品は「六月、網走へ。葉津子、知津子同行(網走は葉津子を出産した土地)」と詞書があり、11首連作からなり、自然に囲まれて暮らす茅意子さんだからこその北海道の自然を詠み込み、思惟は時田則雄氏にまで広がる秀逸な一連。60年ぶり、それも3世代揃っての旅の喜び。

 恋しさも悲しさも今は朧にて四十回目の夫の祥月
 寝そびれて小説読めりたつぷりとわれに〈晩年時間〉のありて
 何事もなく運転の出来しゆゑ自信のごときもの湧く病後
 気力のみでは出来ないと不参加を初めて決めぬ町内掃除
 新しき老眼鏡のよく見えて目は五年ほど若返りたり
 たまさかに鏡を見れば髪白き老婆をりけり余生を連れて

 長々と平均寿命まで生きて一人の部屋の障子の白さ
老いてゆく日々を詠み込んだ作品から。

入退院を繰り返し体力の衰えを感じながらも、歌柄は明るい。温暖な土地での暮しに加え、多くの苦労を乗り越えて来られた強さが根底にあることが窺われる。
最後の一首の、白い障子と真向かう心情は、と長く立ち止まらせてくれる一首である。

 霧閉ざす玄海灘を九十分渡りて着きし長崎は晴れ
 見の限り波の秀光る春の海入り日眩しき五島灘ゆく
 雪の予報知りつつ海を渡るべく西風つよき桟橋に来つ

 豪雪地おもへば歌に詠むことなどしてはいけない雪景色なり
 歌といふ道の遠さよ踏み入りて歩みゆく道いづこへ向かふ
そして、短歌と向き合う作品。「単身渡海し、長崎歌会へ」とそれぞれ詞書のある歌から3首。それぞれ季節感にあふれ、歌会の場へ出向く喜びや意気込みが感じられる。

4首目の思慮深さ、5首目は85歳にしての感慨。歌に対する思いを見習わなくては。

そして巻末の一首は

 ながく病めば娘が母のやうにして千人力のうしろ楯なり

亡くなられる前日「三月三十日夜、口述筆記」と詞書がある歌で結ばれている。

最後まで、娘さんへの感謝を忘れず、それを作品に残した茅意子さん。心が震えた。

足早な紹介だったが、12年間という期間の作品の中から人生がくっきりと立ち上がって来る一冊であった。それは、後書にご主人の死後18年を姑に仕え、看取りを終えてから短歌を始めたとあったが、同時に家業にも追われ真摯に生きて来られ、ご家族や周りの方達を愛し愛されたからこそ、豊かな〈晩年時間〉の中に溢れ出る想いが伝わって来たのだと感じられた。
      

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                                     合掌


                〈今年の桜〉

      あおぞらのさくら仰げばさやさやと吹きくる風がはらむ潮の香


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      燦々と歴史かがやく()煉瓦(かれ)文化館(んぐわ)はた一冊の歌集のなかに


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# by minaminouozafk | 2018-03-30 06:48 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

朝靄の海  鈴木千登世

南の魚座の批評会、懇親会のあった24日の夜は下関に泊まった。

運休中だった火の山ロープウェイが運行し始めたというニュースを見たこととななみさん紹介の壇ノ浦漁港の舟屋を訪れたいと思ったから。


数年ぶりの下関。ちょっと迷ったけれど、無事にホテル着。

翌朝は8時過ぎにチェックアウトして、まず壇ノ浦に向かう。


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電話ボックスの上に乗ってるのは……


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足下も……さすが下関



舟屋は関門橋の近くにあった。家の直ぐ下が海で、船が浮かんでいる懐かしい風景。潮の匂いが快い。子どもの頃遊びに行った祖父の家を思い出した。父方の祖父も曾祖父も漁師だった。


よく晴れた春の朝。大小さまざまな船が頻繁に行き交う。

遠くまで見渡せる海も良いけれど、靄が海上にたちこめておぼろに霞む海はまた別の詩情がある。


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壇ノ浦漁港から見た早鞆の瀬戸


赤間神宮まで歩いて戻り参拝を終えて火の山へ。火の山は文字通りかつて狼煙を焚いて都へ緊急を連絡した山。明治時代には砲台が置かれ、重要な軍事拠点ともなった場所。

山頂からは瀬戸内海、日本海が眼下に広がる。


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ロープウェイは昭和33年から運行されている。子どもの時に乗った記憶がかすかにあるけれど、父は仕事だったのだろうか、母と妹の姿が思ばかりが思い浮かぶ。


山頂の展望台から関門海峡を望む。対岸は門司、靄に霞む向こうは親しい人たちの住む福岡だ。昨日の集いを思いつつ目を凝らした。


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海峡の向かうに暮らすひと思へばふはりと鬢を吹き過ぎる風


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# by minaminouozafk | 2018-03-29 06:51 | Comments(7)