ブログ記念日19

4月のひかりに桂の葉がかがやいていました。


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調べてみると、桂の学名は Cercidiphyllum japonicum


japonicum」!


japonicum(日本の)」を名にもつこの木の葉っぱは、

ご覧いただいているように、愛らしいハートのかたち。


古くは、古事記に、神聖な木として登場します。

綿津見神の宮の井戸のほとりにあり、

火遠理命(山幸彦)と豊玉毘売の出逢いの舞台となる木です。


新たな年度に入り、あたらしい出会いの海へ漕ぎ出した方も多いことでしょう。

どうか出会いの一つひとつが、佳き出会いでありますように。


今日、「南の魚座」は、19回目のブログ記念日を迎えることができました。

このブログをとおして恵まれた出会いに、こころより感謝申し上げます。



        ☆☆☆☆☆☆☆



桂の影   有川知津子

いにしへのプトレマイオス楽しみき星をむすびて名まへをつけて

巻貝は〈島〉に似てるね姪つこはちひさな島をつまみあげ言ふ

天ぷらにしようなどとはもう言はず蕗の花見を楽しむひとに

青空の下にこそ見め光太郎愛でしひかりの連翹の花 *連翹忌に

てのひらに桂の影を受けながらまぶた閉ぢればわたつみの底


教科書   鈴木千登世

黄砂降る昼ひつそりと読んでをり若書き残る古き教科書

荒らかに生きざる我と嘆きたる歌にこもれる迢空の息

父よりも上の世代の愛を言ふ歌しくしくと胸を打つなり

海峡の向かうに暮らすひと思へばふはりと鬢を吹き過ぎる風

歌の種さがしつつ見る境内のさくら素知らぬ顔に散りゆく


潮の香   大野英子

フランシェとサヴァチェの名前を冠したる帰化植物もおしあふへしあふ

ぐぐぐつと春のひかりを押しかへし土筆えへんと胸そらしをり

やがて咲くさくらに怯えつつ見上ぐいろづくつぼみに罪科はなく

仄白く闇を照らせりみやうてうはひらかんふつくらふくらむさくら

あおぞらのさくら仰げばさやさやと吹きくる風がはらむ潮の香


蠢くいのち   栗山由利

とうきやうの二月の風に身をちぢめ入りたる船の灯りぬくとし

いつせいに降りくる春の陽をうけた蠢くいのちそちこちに見ゆ

沖に出るふねに花枝高くふる少女(をとめ)もをらむ天平の春

からだごと言葉になつてをさな子が風にかたれば光がこたふ

川べりのベンチに座る人ふたりつかず離れずほどよき距離で


をがたま   大西晶子

わたくしを呼んだのは誰をがたまの花咲くしたで来るまで待つと

をがたまの樹の下で妣とすれちがふ一陣吹いたあの風がさう

戦ひの飢饉のあるな花のもとねむりゐる児の先ながき日に

抱くほどに重くなりゆくこの赤子石にあらずや妖怪譚の

桃の木に厄を預けた身はかるく商店街ゆく食欲をもち


さくらのつち   百留ななみ

わが影の土に九つ紅椿むかしの地図をゆつくり畳む

ややこしき年金制度は華甲過ぎいかといかとぞ54のわれ

島かげを春の入日を呑み込みてとろ海とろとろ濃藍となりぬ

平飼いのにはとりの産む卵黄色ニホンタンポポおいしさうなり

ももいろのさくらの(つち)に仰向けばこころ軽々落蝉のわれ


みすずの海   藤野早苗

纏ひたる青もさまざまとりどりに みんなちがつてみんないいのだ

北浦の海はろばろと藍ふかしみすずのこころ育みし海

おほははの羽織らせくるるここちせり米沢黄八の丹前ふはり

あまたなる女御更衣のその中のただいちにんとなるふしあはせ

一年を途切るるなくてつづりたるわれら七人根つこが真面目


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# by minaminouozafk | 2018-04-11 06:00 | ブログ記念日 | Comments(7)

4月3日火曜日、博多座の、市川海老蔵特別公演「源氏物語 第二章~朧月夜より須磨・明石まで~」観覧。

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歌舞伎と能とオペラ、そしてプロジェクションマッピングのコラボレーションから成る舞台。語り部の役どころを務めるカウンターテナーの彌勒忠史がとにかく素晴らしく、海老蔵の光源氏はただただ美しかった。

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本公演の第二幕は「須磨・明石」。

朧月夜の君との密通により、都を離れ、須磨、明石で暮らす源氏が出会った女性、その明石の御方が実に興味深い。『源氏物語』を彩る様々な女性の中でも、この明石の御方については、作者紫式部の思い入れが一際強いように思う。


明石の御方は、明石の入道の娘。

明石の入道は、源氏の母、桐壺更衣の従兄弟で、一族は大臣も排出した上流貴族であったが、この人物の代で受領となり、やがて出家。明石の入道は、住吉の神のお告げで、娘の明石の御方が国母になると信じ、あらゆる英才教育を施して、娘をどんな上流貴族の息女にも劣らぬ女性に育て上げ、源氏に添わせた。二人の間に生れた明石の姫君はお告げの通り、中宮となり、源氏は外戚として栄耀栄華を極めることとなるのである。


明石の御方について、キャラのポイントは下級貴族の出自であるということ。何世代か前は名流であったにせよ、父は入道である。物語に登場する女性の中でもその出自は一際低い。それが結局、紫の上、花散里に続く地位を得ることとなる。この設定は、才知ある女性のサクセスストーリーであると同時に、紫式部自身の秘めたる野望であったように思えてならない。


式部の父、藤原為時は漢学に秀でてはいたが、下級貴族。幼い頃より怜悧であった式部は、結婚後3年で夫と死別した後、当時権勢並びなき藤原道長に乞われて、娘を残し、中宮彰子に出仕した。この経歴は明石の御方のプロフィールに重なるところが大きい。もしチャンスさえあれば自分にも、明石の御方のような未来が開けていたのではないか、自分ならどうするだろう……。筆の走りに、誰よりも高揚している作者の様子が見えるのが、この「須磨」「明石」のあたりなのだ。


源氏は帰洛の後、明石の御方を上洛させるのだが、御方は出自からくる引け目を感じて、源氏の邸二条院に住むことはなく、娘明石の姫君が入内するまでは母として会うこともしなかった。そんな明石の御方のかたくななプライドを窮屈に思っていた源氏であったが、しかし、紫の上亡き後の喪失感に寄り添ってくれた明石の御方の誠実なやさしさに心打たれるのであった。


『源氏物語』の女性で最も愛されたのは誰か、と問われれば、それはおそらく紫の上だろう。けれど、一番幸せだったのは、と問われると、正解はなかなか難しい。女は愛だけで幸せにはなれない。千年もの昔、紫式部はこの複雑で辛辣な真実をきらびやかな絵巻の中に潜ませていたのである。あなどれない女、紫式部。友だちにはなれそうにないタイプである。


  あまたなる女御更衣のその中のただいちにんとなるふしあはせ

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藤の花の訪問着と四季花の明綴れの帯
紫を意識してみました。



〈トリビア〉

よく「明石の上」という呼称を見かけますが、出自の低い女性を「上」と呼ぶことはありません。実際、物語の中で「明石の上」という記述はなし。「明石の君」もしくは「明石の御方」。難しいですね。


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# by minaminouozafk | 2018-04-10 00:49 | Comments(7)


さくらがほころびはじめて10日あまり。

うららかな春の陽気がずっと続いた。

さくらの呪力のせいか、そぞろな気分に急き立てられて、時間があれば桜をながめに出かけた。



ご近所の長府庭園。人もまばらな平日。庭園の見事なしだれ桜にはカメラマンたちが集まっている。だれもいない庭園の奥、手入れの行き届いた竹林からの桜がきれい。ひかりとかげ。うつくしさの表裏一体はちょっと切ない。


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火の山公園は下関ではむかしからの桜の名所。南の魚座の批評会の翌日、千登世さんが乗ってくださったロープーウェイもある。今年還暦というレトロなロープーウェイ。

 下関はイスタンブールと姉妹都市。その縁でチューリップの球根を5万個寄贈していただいたことから始まった火の山トルコチューリップ園。ボスポラス海峡をイメージしているらしい。平成19年から開催されているようだが、このたび友人に誘われてはじめて訪れた。 


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チューリップはもちろん花吹雪のさくらと関門海峡。やっぱり朝早くきて良かった。まだ人も少なくゆっくり廻れた。それぞれに美しいものが集まってそれぞれの美しさを引き立てている。ボスポラス海峡は見たことがないが、関門海峡とかさなる。チューリップの間を埋め尽くす桜はなびらのピンクがやさしい。この平穏を祈る。



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前回のブログで紹介した内日貯水池のさくら。ほぼ満開の染井吉野のとなりにまだ蕾のの大木があった。一緒に行った友人が、昨日もう一回見てきたよって写真を送信してくれた。やっぱり桜。赤い葉っぱも見える、花の色は白っぽいようだ。山桜だろう。クローンの染井吉野よりやさしい。たぶん樹齢も古い。今日の入学式まで大丈夫だろう。


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枝垂れ桜、八重桜も染井吉野よりはちょっと遅い。平日午前の住吉神社。長門の国の一の宮。御田植祭の奉納試合で裸足での剣道の大会に息子たちは参加していた。満開の枝垂れ桜、名残りの染井吉野のもと結婚式の前撮りが三組も、七五三も前撮りだろうか。振袖姿の少女も。ちょっと幸せのお裾分けをいただきました。


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さむい寒い一昨日の土曜日、用事のついでと岩国の奥の弥栄湖の桜を見に行った。一面の菜の花と桜を独り占めできるスポット。いつもは錦帯橋のさくらより一週間ほど遅れて満開になる。しかしこの春はまだ4月になったばかりなのに寒風のなか僅かなピンクと黄緑のさくら。花吹雪ほどの花びらは残っていない。寒さで葉っぱも躊躇しているようだ。長府ではもう三回ほどいただいた筍はまだぜんぜん出ていないという。冬眠打破で花をひらく桜。筍の「春だよ、もういいよ。」のサインはあたたかい春の雨だろうか。それぞれの春。名残りの桜と菜の花、曇り空が似合う。




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さくら、さくら・・・この春は思う存分さくらを満喫した。すっかり花を終えた桜なのに静心にはならない。なんとなく喪失感でさびしいがあっという間に大好きな葉桜となる。それまでの春愁。


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ももいろのさくらの影であふむけばこころ軽々落蟬のわれ






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# by minaminouozafk | 2018-04-09 07:57 | Comments(7)

花桃 大西晶子

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 先日、家人が直方に用があって出かけ、ついでに直方駅の近くの多賀神社にお参りしてきたと言う。そして「桃の花が見事だったからぜひ行っておいで」と勧めてくれた。「あらら、珍しいこと」と思ったが、ありがたくその翌日に出かけた。わが家からは車で40分程の距離だ。


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直方には昨年も何度か行き、駅前の病院で胃カメラとピロリ菌の検査を受けている。たしか昨年も多賀神社の桃の花の写真を撮ったような記憶があるが、美しい物は何度見ても良い。

今は桃の花の白から濃い紅までとりどりの桃色が華やかだ。

多賀神社はJR筑豊本線の線路の際にあり、一段高い所から線路を見下ろすことになる。また四か所ある神社の入り口の二つは線路を陸橋で越え、線路の向こうの街の中心部からも来られるように作られている。


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 この神社の御祭神は伊邪那岐大神・伊邪那美大神、夫婦円満や縁結びの御利益があるらしい。           

桃は災難から身を守るということで、境内にたくさん植えられている。これは伊邪那岐大神が黄泉から逃げ帰ったときに、桃の実を投げて危うく助かったという神話によるものらしく、夫婦円満とは矛盾するような気もするけど、そこはまぁまぁということで。(ともかく花桃がこんなにきれいに咲いているのだし)

413日から15日まで「春まつり」があると看板が出ていた。



此処の神社の紋所は番の鶺鴒。連れ合いはこの紋が好きで、それもあってこのお宮にお参りに寄りたくなるのだとか。

同行した長女は初めて来たこのお宮の建物がどれも重厚なのに感心し、門の破風に施された彫刻に見入っていた。


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林芙美子は「放浪記」で、大正四年に直方で暮らしたときに、母が露店でバナナを商い、その間に多賀神社に遊びに行き境内の馬の銅像に「いいことがありますように」と願を掛けたと書いている。(神社の案内板に依る)

本殿で「いいことがありますように」ではなく、「平和で無事な暮らしが永く続きますように」と手をあわせた。




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      花桃に災厄はらはれひとけなき町をあゆめり食欲もちて


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# by minaminouozafk | 2018-04-08 09:04 | Comments(7)

 近頃のテレビCMで、なぜかしら引っかかっている言い回しがある。某保険会社のもので櫻井翔が言う「差し出がましいですが」というフレーズのことだ。初めて聞いたときから明確な理由はないが、なんとなく気になった。念のため、夫に聞くと「差し出がましいようですが…」じゃないかというところで意見は一致した。「差し出がましいのですが…」、「差し出がましいと存じますが…」といった言い方も考えられた。

 何が引っかかったのだろう。とりあえず広辞苑をひいた。さしで‐がま・し[差出がまし][形シク]でしゃばるようである。とある。分からないときは手っ取り早くネットで検索してみる。「形容詞+です」と入力すると、国立国語研究所のものからYahoo!の質問箱までそこそこの量の項目が表示された。


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 この「イ形容詞+です」問題はけっこう奥が深いようだ。国語審議会では昭和27年4月にこの形を「平明・簡素な形として認めてよい」としているとあった。認めるか認めないかは別にして、感じた違和感の原因は何なのだろう。

 多くの方が説明をしていたが、わかりやすかったのは「です・ます調」から敬意を差し引いた「だ・である調」に置き換えるとその不自然さがわかるというもの。つまり「嬉しいです」「小さいです」を「嬉しいだ」「小さいだ」という表現には置き換えられない。ただ、「だ」の活用次第では使える場面もある。未然形の「だろ」(+う)の形では「嬉しいだろう」「小さいだろう」となって、さほどの違和感は感じられない。同様に「です」の未然形「でしょ」(+う)では「嬉しいでしょう」「小さいでしょう」となる。そうはいっても、これは認められているだけで本来なら「嬉しうございましょう」「小さうございましょう」となるのだそうだ。このあたりまでは何とか理解できたのだが、厳密に言えば正確ではない「イ形容詞+です」の問題はどのようにして回避すればいいのか。

 国のレベルで承認されて、もう半世紀以上の時が過ぎているのだから耳にする分に関しては、さらっと聞き流すしかないだろうが、今回その構造が分かったからには、自分が使うとなるといささかの戸惑いがある。悩ましいところだ。


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 でも、大丈夫。「南の魚座」には頼れる人、ちづりんがいる。「嬉しうございます」はかつてちづりんから聞いた言葉だ。ちづりーん、よろしくお願いします。


   からだごと言葉になつてをさな子は身ぶり手ぶりで楽しさかたる


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# by minaminouozafk | 2018-04-07 11:39 | Comments(9)

飯盛山  大野英子

今年の父の命日は仕事を終えてから実家に行き、お線香をあげた。
墓参りも済ませ、特別帰る必要はないのだが、翌日は休みが取れたので、父とも縁があった茅意子さんの歌集と南の魚座vol.1の出版報告もかねて。

翌日は草取りと掃除を済ませ、じっくりと茅意子さんの歌集を読んだ。

(おかげで、先週のブログが完成した)
前向きに歌に取り組まれ、はればれと桜を詠まれた茅意子さん。
ああ、私も後ろ向きに桜から逃げてばかりではいけない。

四年前の父を見送ったときの桜並木を訪ねてみたくなった。

迎えに来てくれた連れとともにおぼろな記憶をたどる。

どこもかしこも、開花予想通りの満開なのだが、特に見事だった福津市総合運動公園。

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しばらく散策して、遠くに目を向けると

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古賀市の飯盛山が、さくら田麩をのっけたようになっていた。
思わず、ふたりで笑った。


      ほら見てと指さす先にこんもりと春満載の大盛りご飯


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# by minaminouozafk | 2018-04-06 07:22 | Comments(6)

いつもは第4週の日曜日に行っている支部歌会。
3月は4月1日の日曜日に吟行会を計画して防府を訪れた。


朝10時に防府駅みなとぐちに集合。晴れてあたたかくしかも桜日和、皆さんで喜んだ。


最初に訪れたのは英雲荘。

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三田尻御茶屋とも呼ばれた毛利藩の公館で、7代藩主の毛利重就が大規模な改修を行って、隠居後に移り住んだ館。重就は塩田を作って藩の財政を潤した賢明な藩主だったという。現在は防府市に寄付されて改修が行われ、整備が進んでいる。「英雲荘」は重就公の法名に因んだ命名。


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館長さんから説明を聞きながら見学


毛利家の家紋は「一文字に三つ星」が有名だけれど、裏紋として「沢瀉」があり、さまざまなデザインの沢瀉が襖紙や引手の金具など、建物のあちこちにあしらわれていること(見つけるとなんだか嬉しかった)等々さまざまなトリビアを交えてわかりやすく解説してくださった。


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急な階段を上った二階は「大観楼」。現在は干拓によって市街地になっているけれど、建てられた当時は敷地の南側の200メートル先に瀬戸内海が広がり、中国の洞庭湖からの風景に似た美しい眺望だったという。幕末の政変で長州に逃れた七卿が滞在して、額の「大観楼」の文字はそのひとりの三条実美の手によるもの。27歳の時の筆と言う説明にその人柄を想像した。




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お庭を眺めながら抹茶で一息

支部長の山本さんも合流して9名で見学



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お昼は潮彩市場で新鮮なお魚料理



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窓の外には瀬戸内の海


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当初の予定にはなかったけれど、桜の見頃だったので、寒桜で有名な向島へ立ち寄って桜を眺めることに。有名な寒桜はもう散っていたけれど、運動公園の桜は壮観だった。この道の突き当たり一面、満開のさくら。(時間と距離の都合で車窓から眺めるだけだったのが残念)


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最後に訪れたのは周防国分寺。奈良時代の天平勝宝8年(756年)までには完成していたという古刹で、この建物(金堂)は江戸時代に再建されたもの。中には本尊の薬師如来を中心に日光、月光菩薩、四天王像など重要文化財に指定されているたくさんの仏様が安置されていた。

境内ではちらほらとさくらの花が風に散りはじめていた。


無事に見学を終えて、15時に駅で解散。


春光を返しひろがるまぼろしの海を思へり街中にゐて

歌の種さがしつつ見る境内のさくら素知らぬ顔に散りゆく


支部の世良さんの行き届いた手配のおかげで充実したとても楽しい時間を過ごすことができました。

即詠でなかったので、ゆったりと見学できたけれど、4月の歌会には2首提出という宿題が……。頑張らねばです。


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# by minaminouozafk | 2018-04-05 06:31 | Comments(7)