飯盛山  大野英子

今年の父の命日は仕事を終えてから実家に行き、お線香をあげた。
墓参りも済ませ、特別帰る必要はないのだが、翌日は休みが取れたので、父とも縁があった茅意子さんの歌集と南の魚座vol.1の出版報告もかねて。

翌日は草取りと掃除を済ませ、じっくりと茅意子さんの歌集を読んだ。

(おかげで、先週のブログが完成した)
前向きに歌に取り組まれ、はればれと桜を詠まれた茅意子さん。
ああ、私も後ろ向きに桜から逃げてばかりではいけない。

四年前の父を見送ったときの桜並木を訪ねてみたくなった。

迎えに来てくれた連れとともにおぼろな記憶をたどる。

どこもかしこも、開花予想通りの満開なのだが、特に見事だった福津市総合運動公園。

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しばらく散策して、遠くに目を向けると

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古賀市の飯盛山が、さくら田麩をのっけたようになっていた。
思わず、ふたりで笑った。


      ほら見てと指さす先にこんもりと春満載の大盛りご飯


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# by minaminouozafk | 2018-04-06 07:22 | Comments(6)

いつもは第4週の日曜日に行っている支部歌会。
3月は4月1日の日曜日に吟行会を計画して防府を訪れた。


朝10時に防府駅みなとぐちに集合。晴れてあたたかくしかも桜日和、皆さんで喜んだ。


最初に訪れたのは英雲荘。

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三田尻御茶屋とも呼ばれた毛利藩の公館で、7代藩主の毛利重就が大規模な改修を行って、隠居後に移り住んだ館。重就は塩田を作って藩の財政を潤した賢明な藩主だったという。現在は防府市に寄付されて改修が行われ、整備が進んでいる。「英雲荘」は重就公の法名に因んだ命名。


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館長さんから説明を聞きながら見学


毛利家の家紋は「一文字に三つ星」が有名だけれど、裏紋として「沢瀉」があり、さまざまなデザインの沢瀉が襖紙や引手の金具など、建物のあちこちにあしらわれていること(見つけるとなんだか嬉しかった)等々さまざまなトリビアを交えてわかりやすく解説してくださった。


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急な階段を上った二階は「大観楼」。現在は干拓によって市街地になっているけれど、建てられた当時は敷地の南側の200メートル先に瀬戸内海が広がり、中国の洞庭湖からの風景に似た美しい眺望だったという。幕末の政変で長州に逃れた七卿が滞在して、額の「大観楼」の文字はそのひとりの三条実美の手によるもの。27歳の時の筆と言う説明にその人柄を想像した。




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お庭を眺めながら抹茶で一息

支部長の山本さんも合流して9名で見学



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お昼は潮彩市場で新鮮なお魚料理



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窓の外には瀬戸内の海


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当初の予定にはなかったけれど、桜の見頃だったので、寒桜で有名な向島へ立ち寄って桜を眺めることに。有名な寒桜はもう散っていたけれど、運動公園の桜は壮観だった。この道の突き当たり一面、満開のさくら。(時間と距離の都合で車窓から眺めるだけだったのが残念)


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最後に訪れたのは周防国分寺。奈良時代の天平勝宝8年(756年)までには完成していたという古刹で、この建物(金堂)は江戸時代に再建されたもの。中には本尊の薬師如来を中心に日光、月光菩薩、四天王像など重要文化財に指定されているたくさんの仏様が安置されていた。

境内ではちらほらとさくらの花が風に散りはじめていた。


無事に見学を終えて、15時に駅で解散。


春光を返しひろがるまぼろしの海を思へり街中にゐて

歌の種さがしつつ見る境内のさくら素知らぬ顔に散りゆく


支部の世良さんの行き届いた手配のおかげで充実したとても楽しい時間を過ごすことができました。

即詠でなかったので、ゆったりと見学できたけれど、4月の歌会には2首提出という宿題が……。頑張らねばです。


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# by minaminouozafk | 2018-04-05 06:31 | Comments(7)

連翹忌に 有川知津子

連翹の季節が巡ってきた。


連翹とともに思い出される彫刻家がいる。

彫刻家と言うより、詩人と言ったほうがとおりが良いかもしれない。


おとといの4月2日は、〈連翹忌〉であった。

〈連翹忌〉すなわち、高村光太郎の命日である。

光太郎は、連翹をことに愛したという。


たしかに(私の大いなる先入観をもってすれば)、

連翹は、音楽的というより、絵画的というより、彫刻的である。


民子を野菊のような人と言ったのは、政夫だけれど、

智恵子は連翹のような人だったのだろうと思う。


昭和2年、光太郎は智恵子を思ってこんな詩をつくった。



     あなたはだんだんきれいになる


  をんなが附属品をだんだん棄てると

  どうしてこんなにきれいになるのか。

  年で洗はれたあなたのからだは

  無辺際を飛ぶ天の金属。

  見えも外聞もてんで歯のたたない

  中身ばかりの清冽な生きものが

  生きて動いてさつさつと意慾する。

  をんながをんなを取りもどすのは

  かうした世紀の修業によるのか。

  あなたが黙つて立つてゐると

  まことに神の造りしものだ。

  時時内心おどろくほど

  あなたはだんだんきれいになる。



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  青空の下にこそ見め光太郎愛でしひかりの連翹の花



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# by minaminouozafk | 2018-04-04 08:48 | Comments(7)

昨日4月2日は、国連の定めた世界自閉症啓発デー。併せて2日から8日は発達障害啓発デーである。


私事で恐縮なのだが、今月から「咲くふぁ福岡」(sacfa---Support AbsenteeChildren and their Families)という不登校当事者およびその家族を支援する団体を立ち上げ、活動を始めた。その一環として、この世界自閉症啓発デーの福岡タワー点灯式に参加しようとスタッフ一同(といっても3名ですが)、タワー前広場に集合したのであった。

19時、タワー点灯。


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ブルーは世界自閉症啓発デーのシンボルカラー。平和と安寧の象徴。参加者はサムシング・ブルーがドレスコード。私は帯を青にした。


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自閉症の人たちが生活しやすい社会は、みんなが幸せに生活できる社会につながります。そのため日本では、4月2日から4月8日の1週間を、自閉症をはじめとする発達障害をみんなが知るための発達障害啓発週間としています。



セサミストリートのキャラクター、自閉症の特性のあるジュリアが活躍するパンフレットに記された主旨を引用した。

合言葉は、「みんなちがってみんないい。」

それは、まさしく私たち3人が「咲くふぁ福岡」を立ち上げた動機そのものだ。

目の前にはるか天を指してそびえる青い福岡タワー。

平和で、みんなが等しく幸せになれますように。



纏ひたる青もさまざまとりどりに みんなちがつてみんないいのだ



北浦の海の藍青知れるひと 母校の先輩金子みすずは


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点灯式後は、マリゾンのマンマ・ミーアで宴会(私宴会ばっかりだな)。

「福岡おやじたい」の吉田正弘さん、尾辻佳郎さん、福岡市発達障がい者支援センター「ゆうゆうセンター」所長橋本文さん、「SMILE PRESENTS」の築地雄さん、「MIRAIRO」の近藤茜さん、福田哲也さん、Challe Kidsの中嶋一顕さん、「受容ネット」の岩崎正行さん、そして、可愛いお嬢様と一緒にご参加された「インクルーシブふくおか」のご家族のみなさま、本当にありがとうございました。深々と、ゆたかな思いになれた3時間でした。

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二枚の名刺でやってます。
よろしくお願いいたします。


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# by minaminouozafk | 2018-04-03 09:58 | Comments(7)



菜種梅雨がようやく止んだと思ったら、あらあら木蓮も辛夷も終わって桜満開。


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日和山公園はむかしから下関では桜の名所。

提灯やライトアップの準備で忙しそうな夕暮れ前。

関門海峡をながめる高杉晋作の大きな立像が公園の中心。

関門橋、対岸の門司も薄桃色の桜越しにみえる。


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この春はおだやかな晴れがつづく。せっかくなので春の野に。

かつて息子の剣道の仲間と行った桃源郷のような不思議な桜をおもいだした。

たしか貯水池のさくら。透きとおった小川にハヤが泳いでいた。

車で行けば30分ほどだろうか。

桃源郷・・・ひとりでは心細いので友だちを誘って再訪。

原っぱの駐車場は記憶のとおり。


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そうこの小川だったと思ったら、蒲公英、菫、ほとけのざ・・・あっ土筆!

視線を地面によせると、あちらにもこちらにも、さくらの花の下に小さなお花畑。


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はーるの小川はさらさら行くよ 岸のすみれやれんげの花に



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ほんとうに春の小川のままの光景。

ハヤは水の中で並んで泳いでいく。靴下、靴を脱ぎたいが我慢。

満開の桜をほぼ独り占め。地元の人が桜を見上げながらときどき過ぎる。


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古い急な石段を上ると貯水池の堤。

昭和4年完成の登録有形文化財の取水塔がレトロ。

やさしい春の陽に似合う。

下関の上水道の歴史は古く明治39年に敷設されている。



この貯水池の水は今でも12km離れた日和山の浄水場に送られている。

奇しくも関門海峡そばの夕暮れの桜を先日ながめたところだ。


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せっかくだから貯水地を一廻りしよう。

まだまだ花ざかりの大きな藪椿、山桜。谷渡りの鶯の声がひびく。

木漏れ日を抜けて、明るい陽差しのなかを歩く。


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黄色はたんぽぽ、きんぽうげ、なのはな。紫色はすみれ、ほとけのざ、おどりこそう、れんげ。

そのなかで保護色の土筆。蕗の薹ものびやかに花を咲かせている。


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春がきーた  春がきーた  どこに来た  山にきーた 里にきーた 野にも来た


おもわず口遊む。シンプルな歌詞にメロディ。寒かった冬のあとの待ち遠しかった春。



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花がさーく 花がさーく どこに咲く 山にさーく 里にさーく 野にも咲く


作詞は高野辰之。

春の小川、朧月夜、故郷、もみじなど文部省唱歌として誰もが知っている懐かしい曲をつくっている。国文学者。

作曲すべて岡野貞一。


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ほんとうに春はちょっと離れた山からそして里に野原の順でダダ-っとやってきている。

ひさしぶりに体感、下関のような地方都市でも生活圏では見ることのできなくなった原風景。

花も山からうわっと広がってくる感じ。


植えたわけではないのに春だから咲くのだ。

藪椿も、山桜も・・・



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みずみずしい黄色の元気な蒲公英。ほんとうに澄みきった黄色。

なんだかいつものタンポポと違うような・・・やっぱり!萼をみるとニホンタンポポ。

在来種はめっきり少なくなっている。うれしい。日本たんぽぽは春にしか咲かないらしい。



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立派なナズナを振りながら小さな音を愉しみながら歩く。


途中、地元のおばちゃんと春ですねと挨拶。

土筆がいっぱいですね、と話すと好きなだけ取っておかえりと。

たぶんもと畑は一面につくし、れんげ、つくし、ほとけのざ、つくし。



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ビニール袋いっぱい夢中で土筆取り。

帰ってから袴をとるのに小一時間かかりました。

キンピラと佃煮の常備菜になりました。



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桜だけではない。野原には本当に色とりどりの春の花があふれていた。



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清々しい気持ち。

きっと寂しいこころ殺伐したこころも元気になれる。

春の野原の魔法。




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平飼ひのにはとりの産む卵黄色ニホンタンポポおいしさうなり







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# by minaminouozafk | 2018-04-02 07:37 | Comments(7)

お食い初め 大西晶子



孫の勇太が生まれたのは128日、何の日かはさておき、そろそろ生まれて百日を過ぎ「お食い初め」をする時期になった。

40年ほど前の娘たちが生まれた頃には、知り合いが「お食い初め」の祝いをしたという話を聞かなかったし、義父母も実家の母も何も言わなかったのでそういうお祝いが一般的にされていることも知らなかった。しかし川崎に住む次女が勇太よりも二週間早くうまれた煌大の「お食い初め」の写真を送ってくれ、それを見た長女夫婦も勇太のお祝い会を計画し、私たち夫婦を招待してくれた。


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お食い初めの膳(男児用)中央は歯固めの石(花飾り付き)

  それにしても何と切実な願いだろう、今は赤子のわが子が一生食べることに困りませんようにと祈った親たちの思いは。     
 今はともかく、古い時代には飢饉もあり、戦で農地が荒らされ収穫のできない時もあったに違いない。食べられるのが当たり前になったのはそんなに昔ではない。戦中戦後の食糧難の時代は私の生まれる1・2年前のことだったのだし。


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                         儀式用ベビー服



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                         着用すると


すこし前に「飽食の時代」と言われていた時期があったが、今は子供の貧困が問題になり食品バンクが必要な時代だ。少し立ち止まって考えると、「お食い初め」にはやはり大きな意味があることがよく分かる。
 


長生きになると見られている世代の孫たちが83歳になるときに22世紀に入る。そのころ地球がどうなっているかなんて私にはもう想像もつかない、どんな世界になっているのだろう。やっぱり食に困らないようにお祈りしたほうが良いような気もしてくる。
 宗像大社祈願殿でお祓いを受けた後、更に奥の拝殿で「二人の孫たちが末永く、食べる物に困ることなどがありませんように、」と少し長く手を合わせ三柱の女神にお願いをした。

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      宗像大社祈願殿、お祓いはここで。初めて中に入りました。



 

 とは言え、桜が満開の日、旅館「はなわらび」の心遣いで、尾頭付きの鯛、お食い初めの御膳、名入りの箸袋、ベビー用の布団などを用意して頂き、大人たちも会食を楽しんだ。勇太はお食い初めと言いながら、どのお料理もお箸で口もとにもっていくだけ。
 お祓いはいつもならお昼寝の時間、お祓いの最中に泣いたのは誰でしょう?



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   戦いの飢饉のあるな花のもとねむりゐる児の先長き日に  晶子






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# by minaminouozafk | 2018-04-01 09:59 | Comments(7)

 今年の福岡は桜の開花宣言がされてからずっと四月五月のような陽気が続いている。ちょうど大濠方面に用があったので息子家族に声をかけて福岡の桜名所のひとつである舞鶴公園に出かけた。平日の昼間だったが家族連れやゆっくりと散策をする老夫婦、なかには小中学生らしきグループもいて近頃の子供は花見もするのかと少しばかり驚いた。舞鶴公園は大濠公園からつづく福岡城の本丸址を中心とする公園で、さくらまつりの開催中は桜と城壁がライトアップされる。ここには平和台陸上競技場や鴻臚館跡展示館もありかなり広い敷地だが、私たちはもうすぐ二歳の孫がいたので広く見渡せる西広場でお弁当をひろげることにした。息子の希望で行楽弁当を作ってみたが、10数年ぶりにしてはまだまだ出来るなとちょっとだけ自信を取り戻した。子育て中はわざわざお弁当を作って出かけるなどしたことはなく、桜の花越しの青空の下でいただくお弁当は初めてで、息子家族のおかげでいい経験ができた。


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<舞鶴公園 西広場>

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<十数年ぶりのお弁当>

 そして翌日、じつは前の日に行きたかったお店が私の調査不足でお休みだったので改めてまた大濠へ行った。今度は同じく桜の名所である西公園が目と鼻の先だったので、一人の気ままさで行ってみることにした。ここは古くは「荒津山」と呼ばれた丘陵地で、展望台からは福岡市内はもとより博多湾、志賀島を一望出来る。桜だけでなくマツ、シイ、カシなどの自然林が残っているので春だけでなく、秋のモミジ、イチョウも美しいそうだ。


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<西公園 さくら谷>

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<西側展望台からの眺め>

 西側展望広場には「神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹にこひわたりなむ」と、天平8年(736年)新羅の国に派遣された使節一行の中の土師稲足が往路に詠んだ歌の歌碑がある。展望台から見る鵜来島や遣唐使との別れを惜しんだ「荒津の崎」は私をその時代に一気に連れて行ってくれた。

 園内を一周して最後は黒田如水、長政親子をまつる光雲神社にお参りをして帰途に着いた。


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<光雲神社にある母里太兵衛の像 酒は呑め呑め…>

 親子で花見をしたのも初めてなら、福岡に来て30年、西公園を訪れたのもはじめてであった。ブログのおかげで出不精の私が少し変われそうな気がしてきた。いい小トリップだった。


   沖をゆくふねに花枝高くふる少女(をとめ)もをらむ天平の春


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# by minaminouozafk | 2018-03-31 11:31 | Comments(6)