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さくら三昧  大野英子

 七日に予定されていた恒例の「みつはし短歌大会」が急遽、一週間順延することになった。すみません。支部歌会と重なりますので、支部歌会はお休みさせていただきます。

すべて、短歌のイベントで詰まっていた4月の週末、ぽっかり空いた。そうなると今年は桜を見るしかないだろう。先ずは舞鶴公園へ。

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裁判所近くのお濠から鴻臚館広場へ入ると、そこはもう桜、さくら、サクラ、人、ひと、ヒト。広場には出店が並び、様々なものを焼く匂いに閉口する。

東御門跡から天守台をめぐり、牡丹園では、京都から移植されたという枝垂れ桜も楽しむ。

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舞鶴公園には見慣れないテントがーー

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材料を持ちこむだけでゆったりソファー付テントでバーベキューが楽しめるのだろう。昼間は思い思いにシートを広げてお弁当を楽しんでいたが、夜は繁盛するのかな。

大濠公園を半周し、平和台競技場のお濠沿いを戻っていると微笑ましい風景と遭遇。

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赤いランドセルに白いタイツ!の女の子とご両親。桜を背景にカメラを立てて、タイマーをセットしたお父さんが、わーっと二人の元へ駆けて行く。そして三人でカメラのファインダーを覗き合っては、何度も繰り返す。良い写真は撮れたかな。ファインダーを覗き合う笑顔がとっても素敵でした。きっと写真よりも、この時間が良い思い出になるだろう。

ふと、父は桜をどう詠んだのだろうと思い、帰宅してから久しぶりに歌集を開いた。

   食堂までの土に散りたる花びらの白きかがやきに吾は疲るる(昭和29年)

   下枝のみ咲ける桜の木の下にうゐりあむ・あだむす按針の墓(昭和60年)

   城内は桜咲き満ち分き難し花かげりとも花明りとも    (昭和63年)

   酒に酔ひ眠る人ある花の下われより離れぬ仕事の憂ひ   (同)

   返り咲く桜の花は道の辺に目を引くごとき色にはあらず  (平成3年)

やはり、仕事の現場の歌が多く桜のうたは少ない。「対象そのものよりも、その隅、その先にあるものを掬い上げて詠め」と常々言っていたな。

そして、翌日は墓参りへ。ほんの半月前に行ったばかりだが、ずっと桜が満開の時期は意図的に避けていて、これまで満開の並木道を見たことが無かったのだ。

都市高速を降りたバスの車窓からは、緑の美しい水城跡沿いにみごとに並ぶ桜の木の下でくつろぐ人の姿も。

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公園墓地の並木道。車が過ぎるだけの通りには時折風が吹くと散る花びらが嵩なしていた。

       死者たちもあふぎ見るらん魂鎮めするごとく降るさくらはなびら

 先週の花見日和から一転して、今週は雨ののち若葉寒となり、花散らしの雨となったよう。みなさまも風邪にご注意を。

       やはらかに柳わかばの枝揺るる川るいるいと花筏ゆく


# by minaminouozafk | 2019-04-12 06:49 | Comments(6)

ブログ記念日31

 今年はお天気に恵まれたことで例年以上にさくらを楽しむことができました。入学式も桜日和で、咲き匂う花の下での入学は大切な思い出として新入生や家族の心の中に深く残るのではないでしょうか。

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 画像は、第2回目の批評会の時に龍福禅寺の参道でのもの。歴史ある建物は二の次にして「何の芽かしら」と皆さんで盛り上がったことは、ちづさんのブログに紹介されました。あれから2週間、再び龍福禅寺を訪れると、柔らかな緑の葉をふわりと広げていました。

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 もうこの植物の名前がおわかりの方がいらっしゃるかも知れません。あとしばらくで花が見られそうです。(その折りにはまた、ご紹介しますね。)
 花の芽がしずかに葉を伸ばした2週間は、新しい時代への期待を感じる時でもありました。
 新元号が公表されてからの世の中の動きを思う時、(新しい)言葉が生み出す力をしみじみと感じています。南の魚座は今日で31回目のブログ記念日を迎えました。4月から学生となった早苗さんを初め、第3号に向けてメンバーそれぞれが思いを新たにしています。時代の変わり目の今、言葉に携わる者として、目の前の現実を見つめ、たどたどしくても自分の表現を探ってゆきたいと思います。

 いつもブログを読んでいただきありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

辛夷咲(ひら)けり   鈴木千登世
四十年後もわたしを温むる下北の旅のこたつと番茶
まつさらな時を包める花苞の白のさやけさ 辛夷咲(ひら)けり
歌を詠み読む楽しさの中にをりしんと澄みゆく眼を見つつ
先駆けて咲く一輪を仰ぎたり若き日ともに若かりしさくら
いつか読む書物の中で眠りたる滋味あることば迎へにゆかな

春へいざなふ   大野英子
肥後椿のつぼみまあるく膨らんでうたつてゐるよ肥後手まり歌
〈戦(ソヨゴ)〉とは書いてはならず朱き実が小鳥寄らしむソヨゴは冬(ソヨ)青(ゴ)
わたくしを春へいざなふ海風とたいやうそしてちづりんのこゑ
芽吹く木を愛でるうしろのかいだんの上からのぞく猫と目が合ふ
青空を背負ふ白猫とんきやうな顔をしてゐる春まつさかり

「よーいドン」   栗山由利
競ふなら自分自身と「よーいドン」 遅くたつてもかまはないから
約束は自分としよう 緑風に吹かれながらの漓江下りを
たちまちに薄紫のヴェールぬぐ春はをとめのほほえみのごと
見覚へのある漢字あり「文選」のなかの人らがすこし近づく
いにしへの人らが愛でし桃の花とほきかをりを古書がしらせり

鎮国寺の春   大西晶子
樹には樹の都合あるらしそれぞれに時たがへ咲くオガタマの樹々
ナンクロの文字ひとつ得て紐ほどくごとく解けたり残る三文字
花のもと野立ての茶会する人のありて楽しも鎮国寺の春
逝く時を具現するかに散るさくら野立ての茶碗に落ちるもあらん
おむすびを食べて眠れるをさな児はさくら咲く空飛ぶ夢をみる

背表紙のうら   百留ななみ
やはらかき水とひかりに濯がるる粗き砂子をてのひらに乗す
にぎにぎしき馬関の醤油に迷ひをりとろとろ甘露、うまくち、あまくち
繍仏は糸のみほとけカイコガの繭は一本の長き糸なり
天平のをみなのつどひ針刺しけり糸のみほとけ當麻曼荼羅
あのひとの文字の愛の詩 色褪せし亀井勝一郎の背表紙のうら

まんづ咲く   藤野早苗
黄の花は春のさきがけまんづ咲くマンサク繊き花弁がおどる
不条理は条理のごとく紛れこみ役に立たない「物見の塔」よ
二次元の中の多次元 生まれては消える蜥蜴のひとつため息
天平の梅を過ぎ来し風ならん令和間近のけふを吹く風
遅すぎることなどないよ 散り初めのさくらの下をゆつくり歩く

令大太宰府キャンパス   有川知津子
五十年生きたからだを運ぶとき宿り木をやどす一樹尊し
ガリ版のガリははるかなオノマトペわが手の生みしことなき音色
ぐるんぐるん転がつてゆくエッシャーの〈でんぐりでんぐり〉命なりけり
賭けました令大太宰府キャンパスの自販機で買ふ富士山の水
カリカリがただぱらぱらとあるばかりただぱらぱらとカリカリがある


# by minaminouozafk | 2019-04-11 06:07 | ブログ記念日 | Comments(7)


福岡市文学館の「文学館倶楽部」No.28(3月31日)が発行された。



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本号の「福岡の文学者」は、鹿児島寿蔵。アララギの歌人、紙塑人形作家(人間国宝)の鹿児島寿蔵である。鹿児島については、ここでの晶子さんのご報告によって親しんだ人も多いのではないだろうか。



付載の略年譜にこんな2行があった。引用してみよう(ちょっと変えています)。



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大正 9年9月 「アララギ」に入会。島木赤彦に師事。

大正10年   「アララギ」4月号に13首が初めて掲載される。


入会後すぐに雑誌掲載となるわけではなかったようだ。この場合、修養期間(かどうか分からないが……)が、半年くらいある。こうした期間の存在は、「鍛錬道」を唱えた赤彦らしいとも思うが、あるいは、当時の歌壇はこんなものだったのだろうか――。ふと思ったが、もしかすると、結社によっては、今もそう?



ページをめくると、見開きで「鹿児島寿蔵と白水吉次郎」が掲載されている。六つの観点から迫る構成である。


1、歌と人形

2、白水吉次郎との出会い

3、病と歌と

4、妻やすほ

5、『麦を吹く嵐』

6、「求めえし夢」


 このようにして福岡市文学館は、福岡ゆかりの文学者を定期的に紹介し続けている。新たな資料の発掘、貴重な資料の収集、そしてそれらの整理。地味ではあるけれども、これによって準備された地平の上に、あらたな研究が展開をみるという大事な仕事である。



 ところで、この文章の執筆者は編集人の神谷優子さんであろうか。文末に「(K)」と記されている。神谷さんの頼もしさは前にも書いたことがあったかしら。



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 散歩の途中、櫛田神社に寄った。ここには鹿児島寿蔵の歌碑がある。博多の夏祭り祇園山笠を詠んだ歌が刻まれている。


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     荒縄を下げしゐさらひ露はなる山笠比と乃瑞々しさよ   寿蔵 



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                櫛田神社の鬱金桜〉



    賭けました令大太宰府キャンパスの自販機で買ふ富士山の水



# by minaminouozafk | 2019-04-10 05:51 | Comments(9)

この4月から学生になった。今は通信教育という便利なものがある。在宅でオンライン授業が受けられるし、望めば面接授業も受けられる。


 オンライン授業はログインできれば、24時間、どこでも、同じ講義を何度でも閲覧可能。自分が履修していない科目も見るだけならどれでも見ることができる。PCはもちろん、スマホでもOK。便利な時代になったとつくづく思う。


 選科履修生として四科目、八単位。一応、軸と考えている分野はあるが、今のところ、興味のある科目から履修することにしている。細く、長く。続けているうちに興味の方向も定まるだろう。資格に結びつけば嬉しいが、それは余禄のようなもの。あくまで結果的に……と考えている。


 7日、この大学の「入学者の集い」に参加してきた。全員参加ではなかったが、発行される学生証を受け取りにいかねばならないので、せっかくなら、この会に参加してみようと思ったのだ。


 1330分、受付開始。性別、年齢、まさに多様性に富んだ方々(私も当然そのひとり)がぞくぞく現れる。学びを志した背景はそれぞれだろうが、静かな熱気を感じた。


 センター長の祝辞の中に、最近のリカレント教育の実態が数字で報告されていた箇所があった。たとえば、北九州・福岡地区の今年度入学者数は2600人。年代的には10代から80代と実に幅広い。


そう言えば、この日四月七日のネットニュースで、リカレント教育施設を四度卒業した101歳の男性が話題になっていた。80歳を過ぎてようやく現役引退し(それもすごいけど)、そこから再び学びはじめ、夢中で続けていたら、いつの間か大学を四回卒業したことになっていたという。素晴らしい。


私にとって学びとは何だったのだろう。大学に行くこと自体に意味があったような気がするが、それ以上の何が私に残っただろう。両親に経済的な負担をかけながら言えることではないと思うが、18歳の私には「学ぶ」ことの意味はわかっていなかった。


本学の学長の祝辞。「情報爆発といった体の現代社会。学び続けないと過去の知識は容易に陳腐化してしまう。」と知のアップデートの必要性を説いていた。


 人生100年時代がやってくる。私が現役女子大生だった30年前とは、生き方のモデルが大きく変わっている。もう一度学んでみたい。その内発的動機に従ってみたいと思うのだ。

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*昨日のブログでななみさんが村岡花子の言葉を引用していることに驚きました。またしてもシンクロニシティ。ここしばらく、私は「アン」シリーズを読み返していたのです。シリーズ第二巻「アンの青春」で教師として二年間、充実した生活をしたアンですが、自身の希望と、周囲の勧めでその後、レドモンド大学に進学します。この時、アン17歳。育ての親、マリラに迷惑をかけないように、就学費用を自分で捻出し、奨学金も受けることを考えて精進します。その明るく充実した学生生活が綴られているのが第三巻「アンの愛情」。その中に、「来年の学費の目途が立たなければ、大学を休学して、もう一度、教師をしましょう。」というアンの思惑が書かれた箇所があって、大変だけれど、内発的な動機の強さをひしひしと感じたのでした。結果、アンの腹心の友、ダイアナの叔母様、ミス・ジョセフィン・バーリーの遺言によって学費はまかなわれたのでしたが。

 弱冠17歳で、今の私よりずっとしっかりしているアン。そして、就学のタイミングを年齢や、それまでの教育機関との連携として捉えない柔軟な考え方。100年以上も前に、すでに素晴らしいリカレント教育モデルがある。「アン」シリーズを再読しながら、そんなことを考えていたのでした。

 ななみさん、ありがとうございました。


   遅すぎることなどないよ 散り初めのさくらの下をゆつくり歩く



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足元には菫。



# by minaminouozafk | 2019-04-09 10:25 | Comments(7)


5月から元号が令和になる。本棚をかたづけていると昭和の本が多い。


亀井勝一郎の人生論もそのなかの一冊。高校生のころ「大和古寺風物誌」や「愛の無常について」をはじめ青春論や幸福論など手当たり次第に読んでいた。たぶん私の生き方に多少の影響はあったと思う。当時はテレビもリビングにひとつ、スマホもない時代。家の本棚にある日本文学全集、世界文学全集はもちろん父の書斎からも面白そうなものは拝読していた。読み終えるまで明け方近くまでかかっても大丈夫だった体力と視力が羨ましい。

<邂逅の歓喜あるところに人生の幸福がある>

亀井勝一郎の言葉で10代の頃から今でも座右の銘である。邂逅~思いがけなく出会うこと~は亀井の本ではじめて知ったことばだった。亀井勝一郎に夢中だった私に父の知り合いで新聞記者をしていた人からいくつか亀井の本をいただいた記憶がある。そのなかの一冊だと思う。まだ青年だった読書家の彼の本にはたくさんの書き込みがある。



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懐かしくなって読み返してみる。

そういえば数年前に函館の五島軒で食事をした時、その建物は亀井勝一郎の弟の設計だった。亀井は函館の人だ。その近くに  <人生  邂逅し  開眼し  瞑目す> と刻まれた亀井勝一郎の石碑があった。やはり、彼にとって邂逅はたいせつな言葉のようだ。このたび読み返した亀井の本の初版は昭和39年。私が生まれた年、55年前である。にもかかわらず古くさくなく55歳のこころに共鳴する。


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なぜか村岡花子の言葉も

<たえず刺激を求めると、だんだん強い刺激にしか反応しなくなり、感動や悩みが薄くなる。本来、感動や悩みがあるとそれを表現しようと思ってもなかなかできずに沈黙してしまう。そして、しどろもどろになって、ああでもないこうでもないと推敲したあと表現欲望が起き、表現してみる。しかしまた至らなさに気づき再び推敲をする。それを繰り返すのが思考。しかし、刺激が強すぎたら感動は擦り減り情報の受け売りになる。そして沈黙の状態が消失してすぐに饒舌になる。そして推敲もなくレッテルを貼ったり割り切って即断をする。だから自分が言ったことをすぐに忘れてしまう。これは精神の衰弱現象。受け身の形で、すべてわかったつもりで、次から次へ急いで生活していく。現代文化のいちばん大きな危険は、思考の省略、あるいは思考の中止の傾向にあると思う。>


55年も前のものなのに、まさしく今の思考の省略を言い得ていると思う。パソコンやスマホで加速度的に刺激も情報量も増えている。追い立てられている精神は立ち止まることも許されない。たぶん沈黙も推敲もしていないから自分が言ったことを忘れるのだろう。言ってしまったあとの謝罪も多い。


ゆっくりじっくり考えて良いんだよ。しどろもどろだっていい。口ごもってなかなか上手に思いを伝えられない私にはちょっとエールのようでもある。



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一昨年の晩秋、斑鳩の里の中宮寺の弥勒菩薩を拝顔したとき、薬師寺から唐招提寺への路地をぬけるときに思い浮かべた「大和古寺風物誌」。あらあら本棚の奥に積み重ねた文庫本のなかから発見。もちろん昭和のものだ。ぱらぱらめくってみる。尼寺である中宮寺の平凡だがこころ惹かれる微笑の庭、そのなかの思惟像。ゆっくり読み直そう。


年譜を見ると亀井勝一郎は宮柊二より5歳上だが、ほぼ同じ時代を生きている。亀井勝一郎は1966年に59歳で亡くなっている。美学にあこがれたころもあった。絵を描きたかったころもあった。40歳での短歌との邂逅。  まだまだ開眼まではいたっていない。短歌をはじめていろいろ素敵な方との邂逅。偶然のような必然を感じるものもあり、とてもたいせつなものだと思う。



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あのひとのペン書きの(うた)いただきし亀井勝一郎の背表紙うら









# by minaminouozafk | 2019-04-08 06:39 | Comments(7)

先週、桜の花を見に宗像大社に近い鎮国寺を訪ねたことと、その時にまだ花の開いていなかった大内山という桜のことを書いたが、週の半ばにそろそろ大内山の花の咲いた頃かと見に行った。

大内山は臙脂色の若葉と薄紅の花のコントラストが美しいと記憶していたのだが、花が満開なのにまだ若葉が目立たない。それなりに美しいのだが、気持ちが満たされない。若葉がひらくのは来週あたりとのこと、家からさして遠い場所ではないのでまた来ることにする。


以前一度書いたような気もするが、このお寺、鎮国寺の創設者は弘法大師。遣唐使船で中国に渡る途中に海が荒れもう舟が沈むというときに、お祈りをしたら不動明王が現れた。不動明王が剣で浪を切ると、海が鎮まり無事に唐に着けた。そのお礼に帰国後不動明王を祀ったお寺を瑞雲のたなびいていた宗像の地に創ったという伝説がある。


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奥の院への登り口



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その折に弘法大師が籠って祈った岩窟がこの鎮国寺の奥の院。境内から石段をおよそ200段ほど登った山の中腹にある。

奥の院に向かう石段は大内山の木の近くで始まる、思いついて登ることにした。
 その石段を全部上ると西国八十八ヶ所をお参りするのと同じご利益があるらしい。お地蔵さま、十明王、如来などの小ぶりの石仏が階段に沿って置かれ、足をとめ手を合わせたりしながら登ると気持ちよく奥の院に着いた。たまたま奥の院は工事中で、職人さんたちが数人お弁当を使っているところだったが、失礼してお参りさせて頂いた。


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 私は感性が鈍いのかよく分からなかったが、ここはかなり強い力のあるパワースポットとして有名なのだとか。だれも居ない時に来たら、ある種の気味の悪さを感じたかもしれない。


パワーを得たかどうかは分らないが、石段を下りるときは身体が軽い感じで風が気持ち良かった。下りの石段からは木々の間に石楠花や射干が見え、ほんの少し高いだけなのに、山中の感じがする。



降りて来た境内ではお花見に来た老人施設のグループが散歩を楽しんでいた。パワースポットの力と桜の美しさでお年寄りたちが元気になられるといいのだけど。
 境内ではボランティアガイドの若からぬ人たちのブルゾンの緑が目にのこった。



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           花のもと野立ての茶会する人らありて楽しも鎮国寺の春
           逝く時を具現するかに散るさくら野立ての茶碗に飛ぶもあるらん




# by minaminouozafk | 2019-04-07 07:00 | Comments(6)

元号のこと  栗山由利

今週の月曜日、四月一日は新元号が発表された日であった。勤め先の郵便局も年度初めの月曜日で忙しいはずなのだが、発表時刻の11時半が近づくと潮が引くようにお客様の姿がなくなった。新聞、マスコミもお祝いムードでこれを報じている。
30年前と違って、いまは多くの人がインターネット上で色々な意見を述べることができる。その中で私が興味を持ったのが、安倍首相が万葉集の文言から引用して『令和』としたと発表してから間もなく、岩波文庫編集部がツイートしたものだ。以下がその内容である。

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新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html … の補注に指摘されています。 「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五」)とある。」
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万葉集は歌の部分は大和言葉で書かれているが、その序文は漢文であってその頃、漢籍から表現を借用するのは一般的だったそうだ。今回の句を原典の帰田賦と万葉集で比較すると以下のようになる。言わば、短歌でいうところの「本歌取り」のようなものだろうか。

(帰田賦)  「仲春令月、時和気清」 
(万葉集)  「初春令月、気淑風和」 

息子の専門が中国文学の賦であって、さらには文選の研究もしているので、実物を見せてもらった。

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難解な漢字が並んだもので、到底さっぱり分からないがそれでも知っている字を見つけると、何かしらの近しさがある。それは同じ漢字文化圏の人間だからであろう。典拠が国書か漢籍かと二者択一で見るのではなく、「令和」の直接の典拠は『万葉集』だが、更にその基づくところとして、『文選』をはっきりと意識する方がいいのではなかろうか。

   見覚へのある漢字あり「文選」のなかの人らがすこし近づく


# by minaminouozafk | 2019-04-06 10:56 | Comments(6)