一夜にて  栗山由利

 異常気象が続く近年だが、今週は12月だというのに福岡では25度越えの夏日になった地域もあったという。ニュースでは街を半袖で歩く人たちも紹介されていた。

 ところが、昨日は12度を少しこえたほどの寒さで、マフラーを巻き手袋をしても足元からやってくる寒さは、当たり前と言えば当たり前なのだが真冬の寒さだった。駅前のホワイトイルミネーションも半袖Tシャツは似合わない。やはり肩をすぼめて眺めるほうが似合っている。


 家のそばを流れる那珂川の河川敷や川沿いの景色に、自然の移り変わりを感じているわが家であるが、二週間ほど前まではゆっさりと赤や黄色の葉をつけていた木々が、ひと晩のうちにその葉を払い落とし、すっかり冬の景色に変わってしまった。何年か前には元旦に九州では珍しい雪が降って、みごとな雪景色になったこともあった。


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 あらためてカレンダーを見ると今年も残すところ三週間となった。気のせいか、年が押し迫ってくるに連れて時間に加速度がついているのではないかと思うことがある。いや、そうではなくて私の仕事効率が年々落ちてきて、相対的に時間が早く過ぎているというのが正解だろう。


 そろそろ年末の仕事の予定をたてなければならない。買い物、掃除など一人でこなすことが次第にむつかしくなってきている。こればかりは『一夜にて』というわけにはいかない。



   煽られていちやう落ち葉が道わたる人を追ひこす師走の風


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# by minaminouozafk | 2018-12-08 07:55 | Comments(6)

帯文に〈老境に入り生の意味をみつめ直す中、歌は生まれる。田を潤す水や野の花、蝶や虻などに心を通わせる日々。七十年に及ぶ作歌歴に鍛えあげられた自在な言葉と発想は独自の境地を開き、読者の胸を打つ。生きる喜びと悲しみを込めた第五歌集〉とあり、言い尽くされた感がある。

どうしても紹介したかったのは、帯文中の〈生の意味〉を多くの方と共有出来ればとの思いからである。
思えば、これまでも矢野京子さん、前田茅意子さん、と晩年を詠む歌集に深く心が惹かれた。

歌人としては、これからの若い作品も多く読み吸収して行かなければならないと思う。しかし、これから老後を迎える人間として、先達の「老後を生きる指針」といえば陳腐になるが、悲しみも苦しみも引っくるめた思いを受け止めて、糧にしたい。

そう思わせてくれる歌集なのである。

コスモス誌で田宮さんが紹介されているように、古屋さんは多摩時代から宮英子氏を先輩と仰ぎ共にコスモス創刊から参加、後年には選者も務められながら、群馬で代々農業を営まれていた。

頂いた年賀状には毎年、地元の野の花や海外旅行先でのスナップ、80歳の頃はスクーターに乗るお姿など、行動的なご様子が伝わって来た。

お若い頃の作品には
  農継ぐと決めたるおのれ寂しむに紺のモンペがいつか身に添ふ
  居直りて此処にわが生遂げなむかかぜにきしきし梁軋む家
                    第二歌集『虹の弧』
と、生まれ育った地で農業とともに生きる覚悟を詠まれていた。

示唆に富む作品から。
  〈明日では遅すぎる〉こと原稿の締め切り 命の締め切りもまた 
  要らぬことを見過ぎ聞きすぎ毎日の時間を無駄にしてはをらぬか
  鈴虫の縄張りいつか蟋蟀(こほろぎ)の域となりをり 草の陰濃し
  一ねんを一生として生き替はる〈草の時間〉は人よりも濃し
  美しき花をきそへる世よ続け戦時経て来し者の願ひぞ
  輝やかに咲くため、充ちて散るためぞ、太く四方へ張る地上根
  ほんじつの気力の有無が吉凶を左右するなり今日は大吉
1、2首目の日常を見回しながらの思索は、読者を立ち止まらせる。
3、4首目、虫や草の生を詠みながらも人生を思わせて深い。
5首目、「平和(1)」と小題のある一連から。ABEさんに聞かせたい。
6首目、「平和(2)」桜の開花を丁寧に詠む一連から。歌集の題名にもなった「地上根」は歌集の初めに「横室の大榧」と共に写る写真もあり、自然の生命力が古屋さんの生命力の源であることがわかる。
この歌も桜木の力強さと開花の喜びが伝わり、一連最後には〈花の下そろりとシルバーカー押すは格好悪いが無視せよ 燕〉と老いても自然と共にある姿が浮かぶ。
7首目の自身に言い聞かせるような前向きさが良い。

ご主人が亡くなられた一連から。
  呆と在るこの世のわれの持ち時間ドライアイスが減るやうに減る
  尽くすだけ尽くしたからに嘆くこと止めて私の生を尽くさう
  カーテンを開けるは夫の朝の役 夫がをらねば夜明けが来ない
  夫逝きて介護のうれひ最早(もはや)なしこころ傾けて何を見ゆかむ
哀しみのなかにも残りの人生を大切に生きようという真摯な気持ちと残された者の心の揺れが丁寧に詠まれる。

ご高齢者ならではの視点から。
  「長生きをして」と繰り返し言はるるは若しや危ぶまれゐるとふことか
  入院の署名の文字をほめられぬ高齢者へそんな誉めかたがある
  生、老、病越えて来たりぬ、あと一つ済ませば私の生が果たせる
  娘()にすべて暮らし委(ゆだ)ねて〈無力〉とふ〈力〉なほありわれの存在
当事者でなければ気付かない〈老い〉を鮮やかに提示してくれる。

最後になったが自然に心を通わせる作品。
  風鳴りは竹の鳴る音、葉が騒ぎ幹が打ち合ふたかむらの中
  黄金の柚子の実がもぎ尽くされて暗緑の樹はいたく不機嫌
  旧友をよろこぶやうに迎へられ田の余りみづ野川に戻る
  さくら散りれんげう終り下草に陽が差せり さあ背伸びをしよう
  田いち枚また一枚とめぐりては楽しかるべし水のみちくさ
  この青さ、この邃(ふか)さ、これ今朝の空 よべの一夜の風のたまもの
  野の花に見入り小川にかがみ込み、われや蝶とも虻とも仲間
  光合成まつただなかか、街路樹は太陽に向かひみな伸び上がる
叙景で終らせない自然との一体感、どの作品からも説明不要の自然を慈しみ、共にある喜びに溢れる。
3首目は〈坂東太郎〉と小題のある一連11首の最初に置かれる。農業を支える利根川を生き生きと詠む地元愛。
6首目は関東平野に吹き下ろす空っ風、赤城下ろしと雪害を詠んだ一連最後の歌。この一連にも雪害に倒れた松の「地上根」が詠まれるが、厳しい季節となっても全てを受け入れる清々しい一連である。

余りにも潔い「あとがき」も含め、〈生の意味〉老いることの意義を強く感じ、私もしっかりと前を向いて生きなければと励まされるような、帯文通り胸を打たれた一冊だった。

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        草木愛でぐんまに地上根張りて生きゐるひとを嘉せよ冬陽


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# by minaminouozafk | 2018-12-07 07:03 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)


昨年山口市で開かれた県の短歌大会が、12月2日の日曜日、防府天満宮参集殿で開催された。今年は役員ではなく、一会員としての参加。この日を迎えるまでの役員の方々のご苦労を思いながら、会場で出会った大学の先輩であり、かりん所属の高崎淳子さんと並んで席に着き、短歌を味わう一日を過ごした。


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防府天満宮


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開会式。主催者の歌人協会会長の長尾健彦氏の挨拶と来賓のご祝辞。





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続いて、10時30分から広島県歌人協会会長の香川哲三氏の「佐藤佐太郎純粋短歌の世界」というテーマでの講演。香川氏は昨年同名の『佐藤佐太郎純粋短歌の世界』という500ページを越える佐太郎の評論を出版され、佐太郎の全十三冊の歌集について、作歌の背景や作品世界を具体的に論考されている。講演では佐藤佐太郎の十三冊の歌集を年代ごとに追いつつ作品から見えて来るものを縦軸に、作歌姿勢を貫くものを横軸にしてお話くださった。


・薄明のわが意識にて聞こえくる青杉を焚く音とおもひき       『歩道』

・苦しみて生きつつをれば枇杷の花終わりて冬の後半となる       『帰潮』

・みるかぎり起伏をもちて善悪の彼方の砂漠ゆふぐれてゆく       『冬木』

・海の湧く音よもすがら草木と異なるものは静かに睡れ        『形影』

・島あれば島にむかひて寄る波の常わたなかに身ゆる寂しさ      『天眼』


晩年の言葉として紹介された「言葉では言えないものを言う。だから自分の心を言い当てるということに苦心しなければならない。」「言葉に境涯の影があり、影に境涯の声のある如くせよ。」が心に残る。


目に見えるものの背景を短歌にこめた佐太郎の写生の鋭さと重厚さ。物の核心を捉えた表現。言葉の重量感。描写に込められた哲学的な深い思いやいのちへの慈愛の心。佐太郎の77年の人生を歌に添って展望する中で書き留めたメモの一部。詩の純粋性を短歌に求めた佐太郎の詩人としての心を作品を通して丁寧に解説されたあっという間の1時間だった。評を聞きながらしきりに「修練」という言葉を思い起こした。見ること、描写することを改めて考え、佐太郎の作品世界に浸った講演だった。



すみません。ここまで書いて時間が……。大会の後半は次回にご紹介します。

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ぼんやりと見ているだけでは見えぬもの冬の海へと参道は伸ぶ








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# by minaminouozafk | 2018-12-06 05:48 | 歌会・大会覚書 | Comments(6)


特別展「浄土九州――九州の浄土教美術――」が、福岡市博物館で開催されていた。こういう、九州に特化した浄土教美術の企画展は珍しいことで、ほんとうは会期中にご紹介したかったのだけど、私自身がほとんど滑り込みで、できなかった。



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出展絵画に中将姫伝説にちなんだ曼荼羅図「当麻曼荼羅」がいくつかあったのが印象に残っている。「当麻曼荼羅」という名前は、奈良県の当麻寺の本堂に安置されている奈良時代の原本「綴織当麻曼荼羅」に由来する。転写されて、各地に広まったという。



中将姫は、当麻寺に入山し、仏行に励み、一晩のうちに蓮華の糸で曼荼羅を織りあげたと伝えられる姫さま。女人の身でありながら極楽往生したとも伝わる。簡単に書いたが、入山する前には、いろいろあったのだ。



福岡県みやこ町の峯高寺からは、「当麻曼荼羅」とともに「中将姫藕絲曼荼羅織図」も出展されていた。これには、姫が曼荼羅を織っている場面が描かれている。帰ったら、折口信夫の『死者の書』を読み返してみようと思いつつ眺めた。



祈りとは灯をともすことともしびに暗くかがやく当麻曼荼羅



あれからもう一か月が過ぎ、光の飾りが人々を楽しませる季節となった



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博物館そばのスノーマン



中将姫がみたら曼荼羅図に織り込むかも――




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# by minaminouozafk | 2018-12-05 06:18 | Comments(7)

 高野公彦著『明月記を読む』(短歌研究社)、上下巻。

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ずっと気になっていた本だった。「コスモス」12月号の桑原正紀さんの批評「〈定家三昧〉の総括」を読んで、本書『明月記を読む』の初出が『短歌研究』平成14年から18年(休載期間を含む)であったことを確認した。


 連載当時、まだ娘が幼く、ゆっくり本を読む時間などなかった私。図書館の絵本コーナーで娘を遊ばせながら、月遅れの『短歌研究』を読むのが楽しみだった。『明月記』は当時の世情を知る貴重な資料であるが、高野さんが綴る私人定家の人間味溢れる数多のエピソードを読んでは、宮仕えの悲哀を感じたり、病気をしながら長寿を全うしたのだよなあ……としみじみしたりしたのを覚えている。


 連載が終わったらきっと単行本として刊行されるだろうから、その時じっくり再読したいなあなどと思ってはや12年。干支が一回りしてしまった。


 待ちに待ったその本が手元に届き、それだけで何かもう感無量。上下二巻がずっしり手に重い。 高野さんと定家の、長きに渉る関係については、前出の「コスモス」12月号の桑原正紀氏の批評冒頭をお読みいただくとわかりやすい。定家が19歳から74歳までを書き継いできた日記を、編集者日賀志康彦と、歌人高野公彦の目で読み進める過程を読者として辿ることができるのは至福である。


  隣人としたくなけれど「明月記」の定家は実直繊細の人『雨月』


 定家を詠んだ作品として印象的な一首である。大歌人定家ではなく、生活者定家が見える。『明月記を読む』を読み進めると、こんな定家に幾たびも会えるのだろう。


 え? その口ぶりではまだ読んでないのかっって?

 ええ、そうですよ。「コスモス」選歌の年末鬼スケジュールでまだ開くこともかなっていませんよ。今日、選歌詠草を投函して、それからおいしいお茶を用意して、冬の夜長、じっくり読書を楽しみます。「〈定家三昧〉の高野公彦三昧」の12月。『明月記を読む』を読む喜びに震えたい今日この頃です。


  宮仕へかこつ日記をものしたりうたびと明き月を仰ぎて


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# by minaminouozafk | 2018-12-04 08:34 | Comments(7)

管巻擬き  百留ななみ


 近ごろはお酒の飲み方もおしゃれになって酔っ払って何度も同じ話を繰り返す人、いわゆる「くだをまく」おじさんは少なくなった。くだをまくとは、広辞苑で調べてみると


・くだを巻く:(糸車の管を巻く音がぶうぶうと音を立てることに結びつけて)酒に酔ってとりとめのない事をくどくどと言う。

とある。なるほど糸車の管を巻く音。しかし糸車はなんとか想像できても管はわからない。たぶん糸を巻きつける芯棒のようなものらしい。むかしの人は綿や羊毛をまず糸にして、それを織って布にする。気が遠くなる手作業だ。そういえば租庸調の調は布だった。


 くだまきとは、ふたたび広辞苑を開く。 


・くだまき【管巻】(鳴く声が糸車を操る音に似ているからいう)クツワムシの異称。

         梭(ひ)に入れる管に緯糸(よこいと)を巻きつけること。


クダマキモドキのクダマキはクツワムシ。つまりクツワムシに似て非なる虫。



 10日ほど前だろうか。友人を誘いに行くと「門扉になんか変なみどりの虫がいるから見て見て。」覗くとなんとも美しい緑の葉っぱのような虫。「たぶんクツワムシだと思う。」の友人の言葉ですっかりクツワムシモード。初クツワムシの私の頭によぎったのは<がちゃがちゃがちゃがちゃクツワムシ あ~きの夜長を鳴き通すあーうつくしい 虫の声>のメロディ。



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そして3日前「またクツワムシがいます。こんどは門柱。」のメール。近くなので出かける前に立ち寄る。近づいても大丈夫みたいというから写真におさめる。この間と一緒かしら・・・なかなか愛嬌があってかわいい。やっぱりとっても綺麗なみどりいろ。初クツワムシなので帰ってネットの図鑑で調べてみる。たしかにクツワムシ。でもクツワムシは褐色のものが多いみたい。それにクツワムシにしてはちょっと華奢。キリギリスの仲間をひとつひとつ見てみる。


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おやっ、たぶんこれと同じ。もう一度スマホの写真をたしかめる。クダマキモドキ。はじめての名前。クツワムシよりすっきりしていて、綺麗なさみどり。昆虫学者がつけたちょっと似つかわしくない名前。虫の名前には〇〇ダマシ、〇〇モドキが多い気がする。さっそく図鑑の写真を友人にメールで送付。「ほんと!クツワムシではなくてクダマキモドキ。緑だからサトクダマキモドキだね。」二人で納得。


「夕方のぞいてみるとまだ同じ姿勢で門柱。暗くなってもまだそのままです。」のメールが届く。翌朝も同じ姿勢のまま門柱で元気のようだ。24時間経過。



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朝の冷え込みは辛いのでは、飼育箱だったら冬越出来るかも、と思ったが自然に任せることにする。

そのまま夕方までいたそうだ。弱っていて飛べないのかしら・・・


翌朝48時間経過。友人が新聞を取りに行ったら、いない!よく見るとすぐ下にきちんと座っていたという。メールでちょこちょこ報告してくれる。

2日ぶりにクダマキモドキ君に会いにいく。



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柱に止まっている姿勢よりも地面に踏ん張っているほうがイケメンだ。

オブジェのような姿にそっと息を吹きかけてみる。少し揺れるが頑張っている。

近づいても大丈夫、もうギリギリなのかしら。

写真を撮らせてもらう。

おやおや立派な産卵管がはっきり見える。

イケメンではなくてお嬢さんだった。


60時間経過。暗くなっても同じ姿勢で踏ん張っているらしい。

凛としてかっこいい。


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翌朝から友人は旅行に出かけた。ぼちぼち帰ってくるころ。報告をこころして待っている。





モドキとは似て非なるものちちちちちクダマキモドキは控へめに鳴く









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# by minaminouozafk | 2018-12-03 06:46 | Comments(7)


1014日のこのブログに「鹿児島寿蔵の人形と短歌」という展覧会のことを書いた。(11月21日には知津子さんも「鹿児島寿蔵の紙塑人形」を書かれている。)そのときに鹿児島寿蔵歌集『ははのくに』を持っているので読みなおしたいとも書いた。もう30年くらい前に読んだ歌集なのだが、ほとんど内容を覚えていなかった。本棚から捜し出し読みなおしてみた。
 昭和50年11月に初版が出て、手元にあるものは昭和60年9月に発行された4刷とあるから、よく売れた歌集だったようだ。



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あとがき(巻末小言)から引用する。「主として母を詠んだものと其の生涯を過ごした故郷博多を中心とした風物像と感懐とをもって編まれて居ります。」事実、眼の見えぬ母への思いと、ふるさと福岡の地名や祭が詠みこまれた数々の歌が並んでいる。

寿蔵の人形と同じように、不思議に瑞々しくしかし懐かしさをも覚える一冊だった。印象に残った歌を並べてみる。



 豌豆飯たかむとさやをむく母の見えぬ其の目よ小さき膝よ 
 

うまごらと息子らがテレビに集まれば今宵はまじりぬ盲の母も

父母と甘海苔(あまのり)摘みし那珂川よ潮おちゆきて泥土のにほひ

大寒の夜の灯のもとにつやつやと魚の剥身(すきみ)の花に似て見ゆ

かく老いて笑ひあへども少年の日の争ひは菓子ひとつのこと

両眼の盲ひし母の膝におく其の手のかたちいふべくもなし

宗七が練りたる埴の仙厓像この克明の箆のあとを見よ ※宗七は博多人形の祖といわれる正木宗七

 吾が紙塑のカッパはただの子供にて首には護符を吊りてやりたり

荒縄をさげていさらひあらはなる山笠びとのみづみづしさよ

さえざえと太鼓とどろき潮(しほ)よりも速く人動き山笠走る

またの世にゆきても母はめしひびと明るく灯せ盆灯籠を


ところで次のような祭の歌に出会ったが、この祭りは今も行われているのだろうか。

わくらばにあひたる島のドンタク日漁夫(あま)ら化粧して真昼の暑さ

海の業やすみて一日ドンタクに女のなりの男ら花やぐ


 たびたび詠まれている志賀島でのことかもしれないが、もしご存知の方があったらぜひ教えてください。



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       母を恋ひふるさと博多に帰省せし寿蔵を向かへしあかつちの山





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# by minaminouozafk | 2018-12-02 07:00 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)