ブログ記念日21

June bride ローマ神話の女神Juno に見守られた幸せたっぷりの6月の花嫁。

6月は水無月、梅雨の季で青水無月ともいう。

きれいな水色のドレス。それにピッタリの ティアドロップブーケ。

Tear drop は涙のひとしずく。


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教会での真白なウェディングドレスのときは白と淡いピンクの薔薇のラウンドブーケだった。

友人の家で手入れの行き届いた咲きほこる色とりどりの美しい薔薇を見たのは2週間前。

水色のドレスにふさわしいアンティークな微妙にニュアンスの違う薔薇の花。テーブルフラワーも優しい色の薔薇。甘い薔薇の匂いが立ちこめている。


今年の薔薇が咲き始めた5月5日。短歌を始めるきっかけとなった大切な師の森重香代子氏の夫君の古川薫氏が逝去された。おたがいにリスペクトされている本当にすてきなご夫婦でした。師の第二歌集『二生』を読み返しています。


旅行カバンに秘めてもち来し薔薇の花ベッドのわれに夫は呉れたり

                      森重香代子『二生』




ティアドロップ   百留ななみ

名を知れば小さきむらさき愛ほしかり付箋だらけの野の花図鑑

オレンジのドロップひとつ転がりて五月の夜に小童(こわっぱ)つどふ

むらさきの野蒜坊主は(むか)()なり小さき星花やうやく咲きぬ

土塊の握り仏の手向け花 野蒜の(しゅ)()の白花を摘む

水無月のウェディングブーケは藤色と撫子色のティアドロップ


永遠の半身   藤野早苗

厨うたないがしろにせし二十年 漂白液に布巾を沈む

わが知らぬ鉱脈眠る厨うた若きらは掘るごくナチュラルに

永遠の半身として北に棲むうたびと思ふその生思ふ

捲りゆく頁はどこもあたらしき雪の匂ひす「Sainte Neige」は

魔女よりの一撃に伏す床のうへ四方の壁がかぶさつて来る


市ヶ谷の空   有川知津子

先人のサイドラインに導かれ柊二の歌をめぐる半日

後ろ手にエプロン解けばゆふぐれぬ 永遠(とは)にまへゆく祖母のゐること

咲くといふことのしづけさ中庭にけふも杖曳くひとがたたずむ

昼の月あふぎゐるとき気づきたりクリップ一つポケットのなか

百ほどの鳩放たるるけはひして振り向けば青し市ヶ谷の空


風を呼ぶ壁   鈴木千登世

木々揺らす青嵐また親しけれ君の為吹く清風と聞き

あかつきの夢に来鳴けるほととぎす夏告げ鳥のくきやかな声

湧きやまぬ泉のごときもののあれ目先忙しきこの日常に

森に生ふる草みつみつと覆ふ壁 呼吸する壁、風を呼ぶ壁

黒髪に水の匂へる六月の朝の池に睡蓮ひらく


海色の鉢   大野英子

大雨は去り去りがたき別れぎはお互ひエイコと気付く可笑しさ

きつと父もこうしただらう潮風を浴びる楓は海色の鉢

黄のバラは母を思はせすがすがと揺れる五月のひかりたづさへ

ふかくあはき墨がいざなふ(えにし)ある秘窯の里をふたたび訪はん

青螺山颪吹き来よ鳴り出だせめだかが泳ぐ伊万里風鈴


地球の隅   栗山由利

あめ色の母子手帳にあり若き日の母が記せしわたくしのこと

初夏の風たちあがれ巣立ちする鴉をのせて空の高みへ

八分を新幹線のたびびととなりて降りたつ博多南駅

チェシャ猫がセル画のなかから三日月の口で呼びくる魔法の国へ

風のあを水のあを満つみづいろの地球の隅で昼寝の金魚


翻訳のできない言葉   大西晶子

若かりし白秋の恋のあやふさや敷道おほふあはゆきに似て

トナカイが休まず歩く距離をいふ「ポロンクセマ」は何キロだらう

翻訳のできない言葉「ピサンザブラ」バナナいつぽんを食べ得る時間

シャンパンを開ける機会はあといく度しろき布巾でグラスをみがく

メーカーのロゴ付きシャンパンフルートをのぼる泡ほど佳きことのあれ


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# by minaminouozafk | 2018-06-11 06:00 | ブログ記念日 | Comments(7)

菖蒲まつり 大西晶子

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少し早い梅雨の小雨のなかを、今年も宮地嶽神社の「菖蒲まつり」を見に行った。石段や本殿前の広場に育苗ポットの花菖蒲がたくさん並べられ紫の花が鮮やかだ。その中で花の中から黄色いものだけを抜き出す作業をしている人達が居る。尋ねてみたら、紫系の3種類だけを並べるはずが、黄菖蒲が混じってしまったのだとか。いろいろな色があっても良いような気がするが、神前には高貴な色の紫を置くことにしているらしい。

 本殿の奥の菖蒲池には紫から淡いピンクにいたるまでの様々な種類の花菖蒲が咲いて花、はな。こちらは地面に植えて、池のように橋をかけてある。
私が行ったその日には橋の上で巫女さんによる舞の奉納があったらしいが後で新聞で知った。

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 これらの花は江戸花菖蒲だと札に書いてある。とすると、他の花菖蒲は?   調べて見ると、花菖蒲には江戸系、肥後系、伊勢系、外国系があるのだそうだ。

 江戸系は、にぎやかで粋、色彩豊かで群生美が見事。
 肥後系は、全体に力強く堂々として華やか。鉢で咲かせることが多く、座敷で飾ったりする。
 伊勢系は、優美で繊細、色も淡く仄かなものが多い。時間の経過とともに花の形が変化するものある。

 なーるほど、と言ってみたけど、花菖蒲をそんなに何か所もでは見たことがないので想像するのみ。来年は太宰府天満宮の花菖蒲も見に行ってみよう。

 ところで、ここ宮地嶽神社にはオガタマノキがあることを以前書いたがオガタマノキの花のその後が気になる。浦安の舞で巫女などの踊り手が持つ鉾鈴と似た実が生ると聞いたのだ。木の下に立ち見上げると、たしかに極小の鉾鈴に似た実ができている。着実に育っているオガタマノキの実にうれしくなって帰って来た。 

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女子高生のりこみ来たる列車内はなしやうぶ苑のにぎはひとなる
      
 








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# by minaminouozafk | 2018-06-10 08:57 | Comments(7)

雨を楽しむ  栗山由利

 例年より早い九州北部の梅雨入りが発表されて二週間がたつ。それほど雨の日が多いとも思えない今年の梅雨だが、やはり外出には傘を手放すことが出来ず、その分荷物が増えていささか鬱陶しいなと思う。


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 そんな中、孫の動画が送られてきた。近くのスーパーに買い物に行った帰りらしく、手には一人前に小さなレジ袋を下げている。すると歩道の水たまりに立ち止まり、パシャパシャと大きく足踏みを始めた。ママの止めなさいの声も聞かずに、笑い声を上げながら「いいでしょっ!」と得意顔で続けている。<童心>というのはこういうことなのだと気づかされた。


 そう言えば子供の頃を思い出すと、雨降りだからといっても嫌なことばかりではなかった。新しい傘や長靴を買ってもらった時は、早く雨が降らないかと思ったし、学校帰りの道で用水路や側溝の水かさが増していると、飽くこともなく流れてくる草やゴミをながめていた。やつでの葉っぱの上のカタツムリが通ったあとのキラキラも、雨の日のほうがきれいだったし、雨があがった帰り道では男の子達は必ずと言っていいほど、傘でチャンバラの真似事をしていた。今にして思うと、親からすればたまったものではないだろう。

 運動が苦手で体育の時間が苦痛だった私は、雨で運動場での授業が体育館に変わるだけでも嬉しかった。


 ものは考えよう。今だって雨降りならではの楽しみ方を見つければ良い。家に篭っているのなら、それこそ普段積んだままになっている歌集や本を読めばよい。片付けや常備菜を作るなど家事にまわせる時間もできそうだ。雨があがったあとの景色は、この季節の緑がいちだんと鮮やかになる。「忙しい」が口癖になっている毎日を反省し、雨の日くらいは<童心>を取り戻してこの時ならではの自然の楽しみ方を見つけるのも良いかもしれない。


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 近所で毎年一番に田植えがされる田んぼに一昨日、水が張られた。青田を渡る心地よい風に吹かれるのももうすぐだ。


    風のあを水のあを満つみづいろの地球の隅で昼寝の金魚


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# by minaminouozafk | 2018-06-09 11:12 | Comments(7)

今日はブログ101回目の記事。
春のみどりを総ざらい。

福岡は先週早くも梅雨入り。
春からこの時期、新緑を目にするといつまでも眺めては写真におさめてしまっていた。そして、気付くとタブレットを開き、またも眺めている。

緑は安心感や安定、調和を表す色という。料理の差し色としても重要。
五感のなかで嗅覚と関係が深いのも緑色。
匂いや香りから得る安心感やリラックス感と繋がっている。
そう、草取りの時の草が放つ匂い。森の木の香り。
気持ちを穏やかにし、心をリラックスさせてくれて一日穏やかに過ごせる。ような気がする。

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4月下旬、柳川に向かう車窓から。
大善寺と三潴の間の匂い立つような麦畑。
先月は出前歌会のため柳川歌会は休みだったが、今頃は誰かさんと誰かさんが~と歌えるくらいに成長したのちに収穫期を迎えているだろう。

ウィキペディアによると「みどりという語が登場するのは平安時代になってからであるが、これは本来〈瑞々しさ〉を表す意味であったらしい。それが転じて新芽の色を示すようになったといわれる。
英語のグリーンも〈草〉(grass)や〈育つ〉(grow)と語源を同じくするといわれ、いずれにしても新鮮さのイメージを喚起する色である」とある。
なるほど、失った新鮮さへの憧憬の念が私を緑に向かわせるのかも。

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去年からほったらかしのベランダの苺。今年は虫も付かずにわさわさ実っている。

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5月の街にも山にも、つい親目線で、この子もあの子も元気に育ちますようにと成長を願ってしまうよう生き生きと初夏の光を浴びていた。

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わが家に連れ帰った楓の親木もどんどん新芽を伸ばしている。

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先週、伊万里へ向かう車中より。山も若葉から青葉へと色を変えている。

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雨上がりのつややかに輝く椿も美しく、生の喜びを全身で表しているように見える。

      雨を待ち雨をよろこぶ山椿つややかな葉をふるりふるはす


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# by minaminouozafk | 2018-06-08 06:10 | Comments(7)

休日出勤の朝。
いつもとは違うコースで行こうと、博物館の横を曲がったら、ちらりと何かが視界をかすめた。

亀山公園の麓の池。ザリガニが面白いほど釣れるので、子どもたちが小さな時に来たことがあった。車の窓から池一面を覆う葉の合間に白い花のようなものが見えた。



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確かめたくて、博物館のある周辺をくるりと旋回して再び池の側へ。


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開こうとしているのは睡蓮。別名はウォーターリリィ。
日本には未草(ひつじぐさ)と呼ばれる小さな花を付ける古来からの種があるけれど、これは輸入された園芸種のよう。



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ツツジの花と。


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うっそうと茂る葉の中に白い花が開いていた。



昨日、関東が梅雨入りしたとニュースが告げていた。

一足早く梅雨に入ったこちらは、家の周りの田に水が入り、早苗が揺れている。夜になると蛙の声が響き、蛍が飛び交うと話すと驚かれるが、そんな風景も実は年々寂しくなっている。

天地に水気が満ちるこの時期。水張田が広がり風が匂うほんの数日は理由はわからないけれど慕わしく懐かしい。今年は睡蓮にも出会えた。

黒髪に水の匂へる六月の朝の池に睡蓮ひらく



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# by minaminouozafk | 2018-06-07 06:16 | Comments(7)

 6月3日(日)、アルカディア市ヶ谷において、「コスモス会員著書合同出版記念会」が開催された。


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 今回、対象となった歌集歌書は、八冊。式次第によると次のとおり。


批評・紹介者(敬称略)

1 前田茅意子著 歌集 『いづこも桜』    矢沢 靖江

2 中村千代子著 歌集 『花にまぎれて』   黒岡美江子

3 楯明 香江著 歌集 『風切る一羽』    加藤 勝久

4 丹波 真人著 歌集 『朝涼』       能勢 玉枝

5 山口 昭子著 歌集 『昭和挽歌』     福島 壺春

6 木畑 紀子著 著書 『戦後の歌集を読む』 小田部雅子

7 高野 公彦著 著書 『北原白秋の百首』  斉藤  梢

8 福士 りか著 歌集 『サント・ネージュ』 原賀 瓔子


 この記念会に、私は、祖母・前田茅意子の代理として出席することを決めていた。三年前に亡くした祖母に代わって、祖母の歌集を読み評者として登壇される方のその言葉をじかに聴き、細胞の一つ一つに記憶しておきたいと強く思ったのである。そうであるから、私のつもりとしては、会場のすみっこでひそかに拝聴し、感謝の気持ちを置いて帰ってこよう、そんな気持ちであったのだ。


 ところが、受付で、舞台側の著者席にすすむように促され、本来なら祖母が座るべきところに……こんな晴れがましい席に……と、ただただ恐縮しつつ感謝しつつ身を収めることになる


 祖母の歌集評をつとめられたのは、今年のコスモス随筆賞受賞の矢沢靖江さん。矢沢さんは次のような歌を引きながら、祖母の生活の地である島の風土、祖母の抱える〈時間〉に注目し、「相手への敬意」「みずからの矜持」という言葉を用いて祖母の歌を読み解かれた。


   前田茅意子歌集『いづこも桜』より。

 寝そびれて小説読めりたつぷりとわれに〈晩年時間〉のありて

 ながれ藻に寄る小ざかなをおもふかな霙降る日は海も寒かろ

 一年に一度のくぢらどん祭り飛魚(あご)撒き饂飩節(ふし)まき、魚摑み取り

 ありがたし島の田舎に暮らす身は一歩出づればいづこも桜

 日に幾度われを見舞ひに来る娘母の顔してわれは待つなり


 矢沢さんの、おっとりした口調ながら歌の言葉から入ってゆく芯の強い評が展開されていくさまを、その場に居合わせて聴くことのできた私はなんと恵まれているのであろう。何に感謝したら私は感謝したことになったのであろうか。こう思うことは、そのときも今も変わらない。



 会場で配られた資料には、各評者によって選ばれた歌が記されている。その中から三首ずつご紹介したい。


   中村千代子歌集『花にまぎれて』より。

 チャイム鳴り出づる夜更けのドアの外表情固く警官が立つ

 満開のさくらをあまた撮りし子は逝きてしまへり花にまぎれて

 西行の歌読みやすしと子は言ひて歌への扉少し開くも

 *三首目に「子」と詠まれたご子息は、この日、中村さんに寄り添われていた。


   楯明香江歌集『風切る一羽』より。

 鉤となり翔びゆく雁の先頭に風切る一羽いさぎよきかな

 すきだつた方程式が微分積分となりし頃よりもの想ひそむ

 歌麿はためらひのなき一筆にゑがけりをみなの足指そるを


   丹波真人歌集『朝涼』より。

 みんみんの声に分け入るひとすぢのすずしき水脈(みを)のごときかなかな

 逝きしあと雨は四日を降りつづき母は死しても雨をんななる

 七十をこえたるわれの夢のなか()づるをみなは裸身にあらず


   山口昭子歌集『昭和挽歌』より。

 釦彫る夢想の時間窓の外を桜花びらきらめきて降る

 蛤のつぶやく如き泡すくひ生まざれば寂し雛の節句に

 わたくしに胸をさすらせひとときの幸置きゆけり臨終に夫は


   木畑紀子著『戦後の歌集を読む』より。

 わが来たる浜の離宮のひろき池に()(てう)のうごく冬のゆふぐれ(佐藤佐太郎)

 しづかなる()(あい)のごとくわが(かど)の星の明りに向日葵(ひまはり)立てり(宮柊二)

 自らを語り得る者は(さいはひ)なりおそらくはいくらかの誇張をまじへ(葛原繁)

 *資料にあがる四首中の三首。小田部さんは同著で扱われた歌集の必然性をも強調された。


   高野公彦著『北原白秋の百首』より。

 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 水うちて赤き火星を待つ夜さや父は大き椅子に子は小さき椅子に

 雪柳花ちりそめて吸呑(すひのみ)の蔽ひのガーゼ(ひだ)ふえにけり

 *資料にはあがっていなかったけれど、斉藤さんが具体例を示された三首。


   福士りか歌集『サント・ネージュ』より。

 さ乱れてきしりきしりと声をあぐ麻酔さめたる夜の黒髪

 抱擁をするに時あり抱擁を解くに時あり 鳥雲に入る

 雪びさしある信号機月の夜は半跏拾思惟像の面差しに似る


        ☆  ☆  ☆


 批評・紹介の部の終了後、特別企画として、

鼎談「今回の歌集について」

イベント「みんなで作る面白短歌」

が催された。鼎談の登壇者は、桑原正紀、松尾祥子、大西淳子の御三方。資料掲載歌の中から、一首を選び、みどころ、読みどころを語られた。「面白短歌」は、五人一組となって一句ずつを担当するという趣向。この結果は、「コスモス」本誌をお楽しみに!



 今回、余裕がなくて会場の写真がない。まったくもって面目ナイ。

 実は、ワケあって最近マスク標準装備の生活をしている。そんな私のマスクに(未使用のマスクである)、こんな(ステキな!)絵を描いてくださった方があった。


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                《上比呂美画伯作


 イベントは、もちろんこのマスクをつけて参加。装着している私自身には見えないものだから、いつの間にか、笑顔マスクをつけていることを忘れてしまう。みなさんが、私をみてにこにこしてくださるので、ああ、そうだった(つけていたんだ)と思い出す。そんなことの繰り返しで、ずいぶん楽しい時間を過ごさせていただいた。


 さて、残念ながら私の持ち時間はここまで。空港へ向かう時間。別れ際に、マスクマスクと、声をかけてくれた人がなかったら、きっとそのまま飛行機に乗っていた、かな。


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             《後五時を過ぎた市ヶ谷の空


       百ほどの鳩放たるるけはひして振り向けば青し市ヶ谷の空




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# by minaminouozafk | 2018-06-06 07:34 | Comments(7)

「短歌」6月号の特集は、〈いまこそ厨歌〉。

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この「厨歌」という言葉、私以上の年代の人間には、若干ひっかかる物言い(歌としての位相が低い、というか……)に感じられて、最近ではあまり見かけることがなかったように思う。しかし、近年、女性の社会進出に伴う男女間の役割分担の変容で、この「厨歌」の位相自体が変わってきたのだなあ、となんだか新鮮な気持ちになった。


大学卒業後、11年働いて、結婚後は無職。それこそ厨回りのことしかしてこなかった私には、人間としてどこか負い目のようなものがある。厨仕事を本分として励み、作歌すれば良かったものを、厨歌を詠むことは自らの社会的立場の弱さを認めることになるような気がして、ずっと避けてきたのだった。

しかし、こうして特集記事を読んでみると、つくづく惜しいことをしたと思う。厨歌は素材の宝庫。発見の鉱脈であった。


「総論 家事と短歌―どこにでも詩はある  小さな家で鍋物をする」の中の小島ゆかりの言葉を引く。



 人はみな小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆくなり

           佐佐木幸綱『ほろほろとろとろ』

 河豚鍋も鮟鱇鍋もせずに久しどうでもよいかそれはいけない

           馬場あき子『太鼓の空間』

「小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆく」のが人生であるけれど、その小さな家での河豚鍋や鮟鱇鍋をないがしろにすること、「それはいけない」。それは人生をないがしろにすることだから。



ゆかりさん、肝に銘じます。


*5首競詠+エッセイの二人の男性歌人、小池光、内藤明がともにレンジで「チン」を詠んでいたのが面白かった。やはり、男性の厨歌のはじめはここであるのだなあ。


*もう一つの特集  「迢空賞」発表  三枝浩樹『時禱集』

こちらも読みごたえあり。50首抄に堪能。また選考委員の論評に学ぶこと多し。高野さんが「まろやかで涼味を帯びた優しい音楽性」と題した選評を書かれている。高野さんはやはり、短歌における音楽性に注目していることを再確認。『北原白秋の百首』もそうだったし。なるほど。



  厨うたないがしろにせし二十年 漂白液に布巾を沈む

  わが知らぬ鉱脈眠る厨うたごくナチュラルに若きらは掘る

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イラストは沢野ひとし氏。
かわいい。

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こんなところに「コスモス」各賞受賞者紹介。

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すみません、こっそり書いてます。




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# by minaminouozafk | 2018-06-05 08:17 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)