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夏草の庭  大野英子


先週の金曜日は予定通りに大腸内視鏡でのポリープ切除。大腸に管が挿入されるのは少し苦しいけれど、ポリープを切除するのは痛みもなく、通常20~30分で終ります。終ったあとの眠っている時間も惜しく、モニターでの腸内散策を見るのも楽しみで、いつも麻酔無しでお願いしています。


ところがーー、突起がいぼ状のものは、取りやすいのですが、今回は平べったく横に広がるタイプで見つけること自体にも時間がかかり、そこでもずいぶん苦しい思いをしました。医師は以前撮影された写真とモニターを見比べながら、腸内を、うろうろし、やっと発見するありさま。生理食塩水を局部に注入して膨らますための針をさし、輪っか状の電気メスをかけて、高周波電流でぷっちんと焼き切るように粘膜を切除するのですが、なかなか摑みきれない。途中、大抵の痛みには我慢強い私が「痛~い!」と声を上げてしまう痛みに襲われました。

途中から肩に注射を打たれたり、電流を散らす板を腰に貼られたりして三か所を取り終えたのは1時間45分後。


後に、新人感まるだしの医師は「大腸の表面は痛みを感じないんですけど、針が筋肉まで届いてしまったようですね。痛み止めのお薬出しますね~」なんて、簡単に言う。


とうぶん、お酒と刺激物は控えてくださいね。っていわれなくてもそんな気分には、なりませんって。


翌日の宗像歌会は通常は実家に前泊でいくのですが、夜中に何かあったらいけないので、夜はわが家で大人しく、22時間ぶりの食事はおうどんを少し。


翌朝、痛みも和らいだので、気になっていた草取りだけでもしたくて朝いちで実家に行きました。


実家までの坂道は、永遠に続くように生い茂ったホルト並木です。博多はクマゼミが多いのですが、宗像ではアブラゼミの、ひときわ高い大音量が響き渡ります。

夏草の庭  大野英子_f0371014_06051801.jpg

ちょうど、ホルト並木から飛び出してきたアブラゼミと遭遇。


実家の庭の雑草は殆んどが根っこから抜いていたので、雨が降っていないせいもあるのかあまり繁殖していませんでしたが、夏ごとに苦労するのは芝のなかに増殖するチガヤ。これが厄介です。

夏草の庭  大野英子_f0371014_06050222.jpg

これは根が強い上に横に這い、なかなか掘り出せません。一か月の放置の結果、伸び放題になっていました。

今回も、根元から刈るしか手はありません。刈りながら、かさかさと物音がする方を見るとカナヘビが自分の体よりも大きい、瀕死の蟬を咥えて岩陰に引きこんでいる所でした。自然界の食物連鎖、生きのびるって大変です。


夏草の庭  大野英子_f0371014_06044433.jpg

一時間程がんばって、雑な仕事ですがなんとかボーボーからは脱出できたかな。次は体調を整えて腰をいれて刈りこむからね。


蟬声の途切れる真昼ひと世なる夏をじふぶん生きただらうか


# by minaminouozafk | 2022-07-22 06:13 | Comments(5)

新山口駅近くのKDDI維新ホールで支部歌会を開くようになって3か月が過ぎた。「垂直の庭」と呼ばれる新山口駅の南北通路の壁面いっぱいに植えられた植物の壁が緑を濃くして、通るたびに気持ちの良い風を送ってくれる。通路からは駅に出入りする電車を真上から眺めることもできる。あちこちに置かれたベンチに座って、どこかへと続く線路を眺めていると自然と旅心が誘われる。まだ実行したことはないけれど、早めに来て歌会の前や終わった後にふらりと立ち寄って眺める楽しみができた。


SLの撮影   鈴木千登世_f0371014_09431962.jpg



山口線といえば「SLやまぐち号」が有名である。1979年に走り出してからもう53年の歳月が流れた。乗車した時のことを以前(2018615日)ブログで紹介したことがある。やまぐち号に乗ると終点の津和野に着くまで、SLの撮影に来た人や沿線の人がみんな笑顔で手を振ってくれる。これは本当に本当にうれしい体験だった。思い出すと今も心が温かくなる。


SLの撮影   鈴木千登世_f0371014_09540064.jpg





早朝の散歩コースにはSLの撮影ポイントがある。実際にSLが走る時間に通ったことはないけれど、運行日には朝の6時ごろから準備をしている人たちと出会うことも多い。通過する11時過ぎ頃まで、撮影者同士で情報交換しながら和気あいあいと過ごされているのだろう。脚立やカメラが並んでいつもと違うにぎわいとなる。



SLの撮影   鈴木千登世_f0371014_09424527.jpg

セッティングされた三脚だけが佇んでいることもある。列車は菜の花の向こうからやって来る。


 別の日の朝6時ごろの様子。


SLの撮影   鈴木千登世_f0371014_09441372.jpg

ちょうど下りの一番列車が通過。きっとこんなアングルで撮れるのだろう。画面の奥から坂を上る形でやってくるので、SLならばさぞ力強く見えることだろう。



実は、今年度は5月に蒸気機関車に付随する炭水車に不具合が見つかり、修繕のため長く運転が取りやめとなっている。我が家は線路から離れているものの、風向きの関係からか汽笛がよく聞こえる。運転取りやめなので、カメラマンと出会うこともなくなり、汽笛の音もずっと聞けないままだった。


今日から夏休み。ホームページを見ると再開はまだもうしばらくだが、8月6日(土)から8月14日(日)まで期間限定で「DLやまぐち号」が運行するという情報が寄せられていた。DLはディーゼル機関車のことで、現在JR西日本には8両が在籍するのみという。重連で運転する日もあり、この期間は多くの鉄道ファンが集うことが予想される。運行日までにコロナの第7波が落ち着いて、安心して乗車したり撮影できることを願ってやまない。


SLの撮影   鈴木千登世_f0371014_09540753.jpg


昨年レノファ山口の応援団、レノ丸のラッピング電車と出会ったときの一枚。



手を振つて汽車を見送るかんばせの笑顔のチカラもらひ旅ゆく


# by minaminouozafk | 2022-07-21 10:17 | Comments(5)


 「コスモス岩手」の特別号が届きました。


「北の窓を仰ぎて 追悼柏崎驍二先生」 有川知津子_f0371014_23032732.jpg


 「北の窓を仰ぎて」と題さた、柏崎驍二先生追悼号です。


 目次を写します。


作品「寄せ書き色紙」  柏崎驍二

柏崎驍二素描   菊澤研一

己を励ますひびき   菊澤研一

岩手歌壇の先人 柏崎驍二   八重嶋勲

評論 黒き牛   柏崎驍二

評論 炎の歌霜の歌   柏崎驍二

感銘歌と思い出   会員

編集後記



 「寄せ書き色紙」(五首の歌)は、柏崎さんの肉筆が印刷されています。説明には、「コスモス岩手」(平成28年5月号)のための「最後の原稿」とあります。


 編集後記は、吉田史子さんの執筆。柏崎さんご逝去直後の会員の様子が綴られ、未発表の「黒き牛」「炎の歌霜の歌」の二編の評論が、夫人の睦さんによって提供されたことなどが記されています。奥付の日付は、柏崎さんの誕生日の5月24日とされました。


 柏崎驍二さんを慕う人々の拠りどころとなる一冊です。それのみならず、広く柏崎驍二研究に資する一冊であるでしょう。


 どのページを開いてもどの一行をなぞっても、柏崎さんへの思いに満ちています。お送りくださりありがとうございます。


 私事になりますが、柏崎さんの歌が大好きで、コスモスからはじめての評論執筆の依頼があったとき柏崎さんの歌について書きました。誰を書こうか、何を書こうか、そんな迷いはなかったように思います。「コスモス」に掲載されたつたない文章に目を留めてくださり、ことばを掛けてくださったことは忘れられません。

 ありがとうございます。



「北の窓を仰ぎて 追悼柏崎驍二先生」 有川知津子_f0371014_23034800.jpg


白鳥につま先ぱくつと挟まれて泣いたのはとほくむかしのはなし



# by minaminouozafk | 2022-07-20 06:00 | Comments(5)


 円安が止まりません。今日のレートでは、1ドル=138.23円。30数年前、1ドル=90円を知る者にとっては驚愕のレートです。少し前は「円安の方が輸出に有利で……」とか楽観的な見通しを語る面々もいらっしゃいましたが、ここまで来るともうそれも無理。「安くなった日本」という現実を直視せざるを得ないなあと思うのです。


 なぜこんなことになってしまったのだろう?


 この日本の未曾有の不況については、カナダの経済学者の研究対象にもなりました。


 「教育もあり、生来的に勤勉で、就業時間は他のどの国より長いのに、なぜ日本経済は斜陽になってしまったのか?」


 複合的な問題なので、一言で答えることは難しいですが、その学者さんは「政治の責任」とおっしゃっていました。もう、それは私たち国民がひしひしと感じ続けていることですよね。


 私が特に気になっているのは「教育」に関する施策。ここ最近は従来型の暗記・詰め込み式から、探究型のアクティブラーニングに転換を図り始めたようですが、その気運が現場に伝わっているかというと、はななだ疑問。その舵取りは全くもって机上の空論、絵に描いた餅であるような気がします。


 なぜなのか?

 

 この閉塞感から抜け出すにはどうすればいいのか?


 そんな疑問の答えの端緒となるようなイベントが、先週末716日に開催されました。


 「公益資本主義フォーラム 2022

     未来の教育は、ここから変わる。私が変える。


公益資本主義フォーラム2022   藤野早苗_f0371014_10305334.jpeg



 福岡大学経済学部で「ベンチャー企業論」の講義をされ、20年以上の長きにわたりアクティブラーニングに関わってこられた阿比留正弘教授の学生さんたちが仕切るこのイベント、13:00-18:00という長丁場にも関わらず、会場は終始熱気に満ちていました。


 ご登壇くださった方々はこちら。


公益資本主義フォーラム2022   藤野早苗_f0371014_10311000.jpeg


 7名のみなさまそれぞれに独自のベンチャー観を持っていらして、ポジティブ。みなさんのお話をご紹介したいのですが、それぞれ内容が濃過ぎてとても無理。笑。ここでは当日の基調講演に位置づけられていた、株式会社植松電機代表取締役の植松努氏のお話から、印象に残ったお言葉のいくつかを紹介したいと思います。


 植松努さんについての詳細はこちらをご覧ください。


https://ja.wikipedia.org/wiki/植松努



 地方の一中小企業が、世界に冠たる研究者たちと協働し、成果をあげているという事実。その業績は右肩上がりで、その研究のフィールドは拡張し続けています。そんな企業を率いる植松社長の経営理念を以下にまとめてみました。


・社会を変えるのは前向きな素人。なぜわれわれの会社が宇宙開発で成功できたかというと、それまでの常識に捕われなかったから。「同じ・普通・前例がある・大量生産」、従来のこのような考え方でいると、人口減少著しい社会で生き残れない。人口が増え続け、大量消費を前提にしたビジネスモデルが、急速な人口減少の始まったこの国に通用するはずがない。企業も社会に必要とされなければ生き残れない時代になった。必要とされるか否か、はその企業の個性の有無にかかっている。

 これまでの会社組織を表すあのピラミッド型は、そもそも国民皆兵制モデルで、同調圧力の象徴。そこから個性を育てるということ自体に無理がある。トップダウンの経営方針の限界がすでに訪れていることに気づかなければ。今、現場で必要とされているのは、義務や命令ではなく、「相談とお願いと感謝」。働くことそれ自体が喜びであれば、業績は伸びていく。

 宇宙開発で業績を伸ばした植松電機だが、その採用基準に学歴や経験は全く関係ない。社員は文系出身者が多いし、高卒者もたくさんいる。人間誰しも得意不得意がある。会社に入って、研究に関わり始めて、小さな成功体験を重ねることが自信を育み、企業が育つ。

 これまでの日本の企業が必要としていたビジネスモデルと人材は過去のもの。生活のために好きでもない仕事をする、とか、仕事をする上で一番大切なのは忍耐力だ、とか、そんな気持ちで取り組んで残せる成果などない。仕事に対する考え方一つで人生が変わる。仕事とは「大好きなことが人のためになって役に立つこと」。だから、企業を育てようと思ったら、そこで働く人々に「夢と希望を奪わないで、諦め方を教えなければいい、ただそれだけ。」


 もう爽快感しかありません。


「仕事とは大好きなことが人のためになって役立つこと。」

「夢と希望を奪わないで、諦め方を教えない。」


 深く深く頷きました。こんな植松社長、よく人材育成のためにしていることを尋ねられるのだそうです。そのお答えがまた痛快。


「放置。」


 ただそれだけだそうです。笑笑。




  この星にかつて恐竜ありしこと円安進む夜半に思へり


# by minaminouozafk | 2022-07-19 10:28 | Comments(1)


 長府功山寺の前に数年前に建て替えられた下関市立歴史博物館。


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小さな企画展を開催していると時々近くなのでのぞいてみる。このたびは「歌を詠む武士(もののふ)」というタイトルが気になって立ち寄ってみた。


小さな博物館で企画展といっても一室のみ。大内氏、毛利氏に関する歌の資料が中心に集められていた。いつもの散歩コースの忌宮神社に奉納された足利氏の和歌は興味深かった。武士たちは戦いの勝利祈願のために神社に和歌を奉納したようだ。


この御代は西の海よりおさまりて四方にはあらき波風もなし

いにしへの二の珠の光こそくもらぬ神のこころなりけり     足利尊氏

九州に落ち延びる途中そして京都に攻め上るときにも忌宮神社に立ち寄ったらしい。和歌はのちに神願がかなったと奉納。忌宮神社には尊氏の弟の足利直義その養子の足利直冬も和歌を奉納している。



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『沙石集』に「世の常の言葉であっても、和歌に用いて思いを述べれば必ず心を動かす」「神仏が和歌を用いるのは、これが真言であるからこそである」などの記述がある。武将たちは、和歌に願いを託して奉納し、神仏に祈ることによって願いをかなえようとするとともに、願いがかなった際には、和歌を奉納して神仏の助力に感謝していたのである。とパンフレットのコラムにもある。


西の京とよばれた山口での大内文化。大内氏の和歌のエピソードの展示もおもしろい。

かくばかり遠きあづまの富士の嶺を今ぞみやこの雪のあけぼの    大内義興

 祖父も父も亡くなったあとの従三位の昇進だったが、大内義興はこの和歌で従三位を生前にもらったとある。この和歌に公家たちは唱和して、後柏原天皇は自詠の和歌を下賜している。そのことも従三位の理由ではあっただろうが、やはり強力な軍事力によるものが大きかったようだ。武将たちも軍事力だけではなく教養として和歌を詠みたかったのだろう。


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それはのちの毛利氏も同様で毛利元就はすぐれた歌人を排出した大江氏の末裔であることをアピールしている。長府毛利家にも多くの手鑑がつくられて今も短冊に書かれたものも多く残っている。先人たちの作った和歌を参考にしながら自らの和歌を作っている様子を想像してしまう。



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ちょうど地元の新聞の取材の記者に学芸員の方が説明されていた。たしかに忌宮神社や住吉神社などの神主さんたちは和歌をよむことを積極的にされていたと思う。武士たちも和歌を作りたかったが、それに専念することはできない。だから添削や指導をする人たちがいたのではないか。との声が聞こえてきた。


蒸し暑いこの季節。散歩の途中に小さな博物館の静かな館内で武将たちの時代を思いめぐらすのも楽しい。



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もののふが手鑑ながめつくりたる三十一文字に朱入れる人あり








# by minaminouozafk | 2022-07-18 06:19 | Comments(4)