2024年 03月 28日
春は海から 鈴木千登世
3月の初めに実家へ帰った。父の20回目の命日に合わせてだったのだが、帰る間際に母に電話すると「わかめを買ってきて」という。スーパーに茎わかめが出始めたころだった。
萩駅の近くの農協のマーケットへ行くとパックに入った生わかめが冷蔵コーナーの一角を占めていた。1パック400グラムくらいだろうか。3つほどかごに入れながらが、こんなにたくさんどうするつもりだろうと思った。酢の物にするしても汁の実にするにしても少人数の家族では食べきれる量ではない。
実家に着くと、軒下に梅を干すざるがあってそこに粗く刻まれたわかめが広げられていた。聞くと刻みわかめを作ってみようと思い立ったという。実家のある海辺の集落では春になると海から採ってきたわかめを物干し竿に吊るして干しわかめをつくる。海水で濡れたわかめが軒先や浜辺で風に揺れ潮の香りを嗅ぐたびにああ今年も春が来たと嬉しくなる。けれどそれは漁をする人たちの術で自分たちが干そうとは思ったこともなかった。干しわかめや刻みわかめは買うもの。だった。
これまで何十年も購入してきた母だったが、売られている生わかめを見てなぜか突然干してみようと思ったそうだ。わかめを渡すと、軒先に吊るしている洗濯ハンガーのピンチを広げてつぎつぎ吊るしてゆく。葉先(?)の方を上にすることやある程度乾いたら真ん中の茎を裂いて干すという。干し上がったら縄を綯うように縒ってから刻むそうだ。どれもここで生まれ育った父がずっと昔に語っていたという。それを口火に父や亡くなった伯母の思い出をひとしきり語り合った。
翌日、出来上がったわかめをお土産にもらっての帰り道、ふと自分でも作ってみたくなった。マーケットに寄るとまだまだたくさん並んでいる。3つほど選び、ホームセンターで洗濯ハンガーまで購入して帰って家人に苦笑されてしまった。
谷間の我が家の軒先に(しかも洗濯ハンガーに)わかめが吊るされているのはやっぱり妙な感じだった。一日干して取り入れ、刻んでさらに乾かすために一晩テーブルに置いていたら、翌朝部屋の中に磯の香りがただよっている。
(刻みやすいように縒ってキッチンバサミで粗く刻んだ。乾燥したら嵩が減ってびっくり)
「できた」と電話で伝えると「潮風で干さんと味が違うんじゃない?」と母。笑いながらそうかもしれないと思った。
(おむすびの外にまぶすのがこちらの定番)
浜大根しろく咲きそめ軒先にわかめ揺れゐて春は海から
たらちねの母とわかめを干した今日春来るたびに思ひ出しゐむ
浜大根の花(2022年4月20日撮影)
2024年 03月 27日
昭和23年の五島より 有川知津子
頼まれてたまたま、「多磨」(昭和23年6月)をめくっていると、思いがけず目に入ってきた文字列があった。おどろいたようで、自分で自分の目がみひらかれていくのが分かったほどである。その部分に、大好きな青色の線をひいてみた。
「コスモス」の選者を務めた大野展男さんは、「多磨」の頃からの会員であった。大先輩である大野展男さんが、多磨時代に、「長崎」や「山口」で出詠されていたことは、雑誌を見て、また人に聞いて知っていたけれど、「五島」には気づいていなかった。実は私も五島だから、ええ~、となったというわけ。急に身近に感じて、読んでいく。
26年前、私は、コスモス短歌会に「直接」入会した。コスモスで知る人といえば、島住みの祖母と大叔父くらいで、本土の長崎支部に知る人はいなかった(島に住んでいると本土は遠い。26年前は今よりももっと遠かった)。そんな私のもとに、市内の長崎支部の方よりお便りがとどいた。当初は、「コスモス」に掲載されたからかと思っていた。でも、少し違った。
当時、「コスモス」の選者を務めていた大野展男さんが、こんな子が歌を送ってきたよ、と長崎支部の人に伝えてくださったとは後で知ったことである。
それにしても、とてもまぶしい歌がある。
読みながら、ああ、そうか――今日は、ご命日だから、この頁に出合ったのかと思った。ご挨拶できてよかった。
家までが遠い春です街路樹のひとつひとつに扉があつて
2024年 03月 26日
娘の卒業式 藤野早苗
でも、〈ただ見ている〉ことは時に大変難しい。なるようにしかならないのだけど、その過程をそばで見ている私を支えてくださったみなさまに、この場をお借りしてこころよりの感謝をお伝えしたいと思います。
ありがとうございました。
ついでにこの日の娘の装いについて記録しておこうと思います。
着物は私の母の訪問着。嫁入りの時に着用した振りが長めの品。今の訪問着の標準袖丈一尺三寸よりずいぶん長いので、この着物専用の袷の替え袖を作っていただきました。私が通っていた和裁教室の先生のお作。以前、振袖も縫っていただきました。お忙しいのに本当にありがたいことです。それをうそつき半襦袢ではなく、もう直接訪問着に縫い付けるというアイディアもいただき、そういたしました。着付けも簡単。先達はあらまほしきものなり、です。
袴は自前。3年前の学部の卒業式に着用するために購入(レンタルより安い)したもの。コロナ禍中の式だったので、家族の参加はなし。なので着付けのための上京もしなかったのでした。やっと日の目が見られました。ネット動画で着付けを学び、当日なんとか成功。前側に施された🌸の刺繍が案外いい感じで、花の遅い今年ですが、華やかな気持ちになれました。
桜も遅いけど、この日東京は冷たい小雨もよい。寒さと雨対策に昔々、私の母が編んだストールを羽織って出発。これ、色が好きということで、以前娘が私の実家から持ち帰っていたもの。マンションで愛用していたようなので、娘がこれを巻いて式に臨んだことを知ると母も喜ぶだろうなあという思いもありました。
伊達衿、袴帯、バッグは緑で。バッグは娘が幼稚園の頃、一緒に買い物に行った時に購入したTOCCAのもの。覚えていてくれました。
髪飾りは先日私が作ったもの。娘から、いいと思った髪飾りがもう売り切れていて、どうしようと相談されたので作ってみるか、とチャレンジしました。たしかハギレがあったよなーと。水色に見える大きなリボンは友禅染のハギレを半襟にしていたもの。赤い部分は私の道行のハギレ。水引はお正月飾りを分解したパーツです。ちらっと見えるシャトレーゼの茶色いリボンで、娘のポニテに結えました。笑笑。あとはUピンでしっかり装着。最後まで崩れなくて良かった。
ポニテ(ポニーテール)といえば、実はこれ、付け毛。娘はウィッグ使いで、さまざまな付け毛を使いこなします。ベースのヘアスタイルは〈刈り上げ〉。笑笑。毛量が半端なく多く、パーマもカラーも寄せ付けない健康毛でスタイリストワタナベさん泣かせの娘の髪。苦肉の策で刈り上げることで毛量調整しましょうとご提案いただいた3年前からずっと刈り上げ。今は襟足から頭頂部へ向かう2/3を刈り上げて、頭頂部から1/3の間に残した髪の毛で頭を覆っています。だから、今回も近づくとポニテの横から刈り上げ部分がこんにちは。これも本人、お気に入りのようでした。笑笑。
娘のマンションから大学まではけっこうな道中なのですが(オンラインで良かった)、その間いろんな方(見ず知らずの方々)にお祝いいただきました。ありがとうございました。 また全体での卒業式、そのあとの学部での学位記授与など全ての日程を終えて帰ろうとしていたところを呼び止められ、「今日の記念に卒業式っぽい人と写真撮影したいのでご一緒していただけませんか」と顔見知りくらいの男子学生さんに言われていたのには驚きましたが、これも卒業式の一幕なのでしょうね。
寄り道ばかりで、効率悪く、不器用で、洗練とか優雅にはほど遠い娘の生き方の象徴のような卒業式でしたが、彼女がたくさんの方々に愛していただいているのがよくわかりました。本当にありがとうございます。
これから新しいステージに踏み出す娘。変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。
咲かないと思ひをりしが噴き上がるごとくひらかん日のもう近し
2024年 03月 25日
森重香代子歌集『末紫』を読む 百留ななみ
香臈人短歌会の代表そして師である森重香代子氏。八十八歳の今も変わらぬ静謐な美しさを纏われている。このたび香臈人の長府教室で師の第一歌集である『末紫』をみんなで読み返してみようということになった。
久しぶりに『末紫』を書棚から取り出し読み直してみる。宮柊二による題簽の文字。彫金細工のような繊細な寂しいひかり。私が短歌を始めたころに上梓された第二歌集『二生』と比べると孤独感、自己への沈潜が強いと思っていた。たしかに歌集前半はそうだが一冊の歌集でもその煌めきは変化している。
・桃の枝に干したる足袋を夕べ来てむらさきあかねの空より降ろす
・鶏の骨湯に晒されて沈みをり潔く居ることのさびしさ
・仕事みな午後に廻さむと思ひをり午後より寂しくなること多き
・水を得し魚のごとくに振舞ふを見つつ厭へばまたひとりなる
・竹の花黄に揺るるなるしづかさにわが古雛の簪想ふ
妻となり子育ての時期である二十代後半から三十代はじめの作品。百首余りの作品中「さびし」が直接つかわれているのは六首。独りを自ら選びながらそれを寂しむ歌もみられる。自分の感情に潔く正直であるゆえかもしれない。微かなこころの動き、美意識が静かに伝わってくる。
・うち揺すり夢よりわれを呼び起こす彼の大き手を失ひにける
・梅雨の風浄らけく吹く夜の畳単身の生も豊かにあらな
・かの日より一年経つつ歌詠むに自由のおもひあるをさびしむ
・さみしさよ日のあるうちに敷きのべて布団の傍にひとり坐れば
・「狭き門」その胸に伏せをみなごは涼風の廊の椅子に睡れり
或る日忽然と逝去された夫君。あとがきに「おのずから作歌の上にも変化を生み、私は初めて現実感を以て作歌を志すようになりました」とある。四十歳頃までの百五十首足らずの作品中「さびし」は九首。かの日から一年の自分の自由の心をさびしむ作者。生の脆さに打ちのめされた心は、時を経て強くしなやかになってゆく。
・四十歳のわが暗濁のおもしろさみどりの蘭の蜜をば舐むる
・この家に必ず死するにもあらず納戸の冷えに居りて憶ふも
・ひたぶるに熱き湯に入り身に積もる暗き憂ひを払はむとせり
・湯上りの裸婦にてあゆむ風圧に昼の硝子窓かすかに震ふ
・繰り返し愉しみしかば憶ひ一つ淡くなりしをさびしみ眠る
・十年を経たるゆとりの寂しさびし昼の湯槽に瞑る一嫠婦
・仄あかく春の西日が差して来つ受身なりにし生赦すごと
読み返してあらためて魅了されたのは四十歳以降の作品。二百首ほどのうち「さびし」は二首のみ。愉しむようになったゆとりを寂しがっているのはある意味では達観といえるのではないか。様々なめぐり合わせを経ての豊潤な作品群。作者にとって湯浴みはたいせつな自己をとりもどす術でもあるようだ。「湯上りの裸婦にてあゆむ風圧に」の上の句は大胆かつ放埓にさえ思う。かすかに震えるのは私を含め多くの読者のこころだと思う。「仄あかく春の西日が差して来つ受身なりにし生赦すごと」の静謐な一首で『末紫』は終わる。
湯上りのわれの師おもふ山道の辛夷の白をかぞふる夕べ
2024年 03月 24日
草萌 大西晶子
三月に入ってから、急に暖かくなり4月下旬並みの気温と言う数日があったと思ったら、次はまた真冬並みの間違うと水道管が凍りそうな気温の日ガが来る。本当に気温の変化についていくのが精いっぱいの感じだで、寒冷アレルギーのある私は朝夕に止まらない嚏に悩むこの頃だ。
庭では気温変化には無関係に時期が来たら例年通り草が伸び始めた。暖かくなったら草むしりをしようと思っているうちに、カラスノエンドウはふさふさと木の下などに伸びているし、砂利の間からはホトケノザが出ていて、赤い小さな花が可憐だ。
昨年つくばいの脇に生えていたノイバラに似た植物を抜いたが、ことしもまた生えて来た。そのノイバラのような棘だらけの枝のものの中に紅い実をつけたものがあり、一部は草いちごだと分かったが、全部が同じものなのか、ノイバラと草いちごが混じっているのかは見分けることができなかった。全部が草いちごなら実が食べられるのだけど、と少し迷う。
今週は割に良い天気の日が多そうだ。「草むしり」は夏の季語だが、昨年手こずったツルニチニチソウの青い花も咲き始めたことだし家の周りの草むしりに励まなくては。
あらくさの根茎ふとらせ雨がふる三日つづきの三月のあめ
降る雨にこもるひと午後煮てゐたり酒で茸と牛すね肉を