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国際郵便の料金

長女一家がドバイに住んでいるので、時々食品や本、玩具などを送ることがある。そういうときに送料とかかる時間のことを良く知らず、郵便局で勧められたEMSという一番早く追跡サービスもついているもので送っていたが、送料がともかく高い。

最近、荷物の中に本を入れて送ることが増え、これまでと同様にEMSで送ると本当に高い料金になるので調べてみた。

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 一番速いのがEMS、次は航空便、さらに飛行機に空きがあったら乗せてもらえるSAL便、船便があることが分かった。またドバイだと、EMS、航空便では7日前後、SAL便では7日~2・3週間ほどと幅がある。料金は当然かかる時間が短いほど高くなる。

先日のホルムズ海峡あたりでのタンカーの襲撃やアメリカ・イランの緊張関係を考え、船便は選択からはずす。


 昨日、特に急ぐ必要のない写真集・絵本などを入れた小包を、値段が一番安くなるSAL便で送ることにした。2キロ以下だと小型包装物という範疇になり、2キロを越える場合と比べると格段に安いので1900グラムほどの小包を作った。

以前にSAL便の用紙をもらっていたので、書き込んで小包と一緒に郵便局に持参した。窓口でのやりとりで、追跡サービスを付けるかどうか尋ねられた。料金を訊くと追跡調査付きだと3,800円ほど、そうでなければ1,950円だと言われた。ドバイまではたぶん国外での積み替えなしで届きそう、あまり行方不明にはならなさそうだ。それでも一応は迷ったが、後追いを付けると倍の料金になるので思い切って「追跡サービスは要らない」と答える。


 すると「書いて来た用紙は使わないから、こちらに書き直して」と出された紙は10センチ四方くらいの〈差出人〉、〈宛先〉、と書かれた線が2本づつ引いてあるもの、更に品名と値段をかくこれもシンプルな小さな紙の2枚。追跡調査がないので控えも無いとのこと。
 あまりのシンプルさに「え~っ?」と声をあげてしまったが、手渡した小包は緑と黄色の小さな紙を貼られ、窓口から奥に運ばれて行った。

本当に無事に届くのかしら、と心細くなったが、あとは無事にドバイの娘一家の手に届くことをお祈りするしかないようだ、無事に着きますように!


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料金を調べていた時に気付いたのだがEMSよりも時間がかかるようなのに、重さが2キロを超えたあたりから航空便の料金のほうがEMSよりも高くなるのだ、この理由はなんだろう?いろいろと不思議な国際郵便料金だ。
 また、書籍・書類などの印刷物は、それだけでまとめると安い料金で送れることが分かった。次回からはそれも考えて荷を作ることにしよう。



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             子にまごに送ると本の小包をかかへて歩く小雨降るなか



 



by minaminouozafk | 2019-06-30 07:00 | Comments(6)

帰る家なし  栗山由利

 福岡もやっと梅雨入りをした。今年もしばらく前から、買い物に行く道沿いのつばめの巣に姦しく鳴くつばめの子たちを見かけていた。今週の初めにはいつもの自転車屋さんの横の軒下に、すぐにでも巣立ちをしそうな子つばめたちを見つけて写真に収めた。


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 そして昨日、カルチャー教室に行こうとバス停へ向かっていると、その巣の近くでやたらとつばめが飛んでいた。何となく気になり、バスの時間もせまってはいたが巣を覗いてみると、とんでもないことになっていた。火曜日には5羽ほどのつばめが温めていた巣があろうことか、壊れて頼りなくぶら下がっていたのである。帰りにはもうすっかり取り払われて、何組かのつばめ家族が子育てをして来た歴史ある巣は跡形も無くなっていた。重さに耐えかねたのか、老朽化が進んでいたのかはわからないが、とにかく子つばめたちは帰る家がなくなってしまったのだ。


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 すっぱりとこれで巣立ちになったのなら良いのだが、帰る家をなくして路頭に迷っていたらと気になって仕方がない。


 夫が短歌を始めた最初のころに詠んだ歌。昔の子供時代のことを思ってと言うが‥‥。


     夕暮れに誘われ戻る友の影見送る我に帰る家なし


もしかして今でも‥‥()



   朝にいふ「いつてらつしやい」夜にいふ「おかへりなさい」で一日しづまる


by minaminouozafk | 2019-06-29 06:00 | Comments(6)

 コスモスの棧橋時代からのお仲間であり、私よりも父と親しく短歌のお仲間達と共に何度も吟行旅行を楽しみ、父の闘病中は遠方ながらもご主人の森田治生さんと共に、いつもお気遣い、励ましをいただき、葬儀、火葬までお付き合いくださった心の篤いご夫婦である。

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 則子さんの第一歌集は、篤い気持ちをのせて、20年間を丁寧に掬い取られている。巻頭近くの一首には

  大学の合格発表見に行きし子は春風を連れて帰り来

夫は石、子らは鋏でわれは紙 じやんけん遊びのごとし家族は

 一首目は合格を言わず、その様子と喜びを十全に伝えている。二首目は家族関係とそれぞれの性格が簡潔に詠まれ、含蓄に富む。そして20年の歳月は

  子の妻がそれぞれに言ふ「おかあさん」伊勢、美濃、駿河のアクセントもつ

 学生だった三人の子供たちはそれぞれ巣立ち、妻にも恵まれ、この巻末の一首で閉じられている。

その間の生活は、長年勤められた看護師から養護教諭となり生徒たちとの交流や日常生活、積極的な旅行詠など幸せに溢れているが、その間には、治生さん、則子さんそれぞれの離れて暮らすご両親の〈老病死〉が大きく横たわっている。

 誰でも通る道とはいえ、愛知県知多に住む治生さんのご両親と静岡に住む則子さんのご両親を折々訪ね、看ることは容易ではなかったと思う。それでも則子さんはあとがきで「知多へ伊豆へと通った日々は介護というより、親たちからの最後のプレゼントだったような気がいたします」と記される。

 介護詠のなかでも印象深いのは父上の作品である。

  山畑を鋤きゐる父の耳とほく母は鍋打ち昼餉を知らす

 助け合うご両親の姿が生き生きと詠まれるが、その後ご両親は老齢を諾い住み慣れた海の見える下田から、弟の住む伊豆高原に移られる。

水葬もいいなと父は独り()つグリーン島の碧き海見て

鬱を病む父の部屋より肥後守、はさみの消えてシクラメン咲く

父の目の水晶の湖会ふごとに濁りてわれの知らぬ日々追ふ

楽に死ぬ手立てはないかと訊く父よ私はそれを学ばなかつた

戦地での八年間を語らざる父がこのごろ(ニー)(ハオ)といふ

父が父に戻るひととき不意に言ふ「戦地でだれも殺さなかった」

天城より吹き来る風と海風の行き合ふところ父の施設は

好物のコーラを末期の水として父の乾びし口に含ます

 移られてもしばらくはご一緒にオーストラリアに旅に出られたりされていたが、だんだんとご様子が変わる様子が丁寧に描写される。看護師としての則子さんは尚更辛い場面にもあう。

いつも夫婦揃って、批評会に出席されていたのに、長く則子さんの欠席が続いた。目が離せなくなって、折々伊豆を訪ねていたと聞いた。

 鬱症状には、波があり介護度も下がることもあり、

  〈要介護三〉なる父をひとり看る老いたる母は〈要忍耐五〉

 と、母上を心配される歌も散見するが、やはり核は「戦地での八年間」を重く背負いながら病んでゆく父を思いやる姿である。

 それは父の戦争体験による心の傷を思うからこそ

  九条を護るは戦争アレルギーと蔑する人らなべて早口

辺野古基地、原発、改憲 アレルゲン増えゆくわれに春風いたし

「地に伏せよ」「窓から離れよ」ミサイルの避難方法うつつに聞くとは 

 など、平和を願う気持ち、政治不信が強く表れるのだろう。

長い介護の中で、治生さんのご両親も看取る。

病むひとに嘘をつきたるわが舌のざらざらとして閻王が待つ

終末の近づくふたりの父ありて良きかんごふでありたしわれは

()()のなき三十二本の歯も死せり九十二歳の舅の死をもて

床の間の酸素ボンベと掛け軸の鮎がなじみて姑の部屋しづか

弓型に反る花びらのほのしろくはまゆふの咲き姑は逝きたり

 90歳で自前の歯で鮎を食べていた義父は罹癌の真実を知らせないままに送り、在宅酸素療法の義母の介護も、看護師の眼差しで付き添ってくれる嫁は本当に心強い存在であったことだろう。

 則子さんの看護師としての優しい眼差しは歌集全体に溢れる。

  看護師の慣らひは寂しさよならを「お大事にね」と言ひ間違へて

  安楽な死はどこにある病み篤き犬診て医師は「どうしましょうか」

  氷よりふはりとやさしい雪まくら熱高き子の頭に添はす

側彎のしるき脊柱持つ王に鎧と王位は重たかりけむ 

 2首目は愛犬の重篤な場面。3首目は修学旅行先での生徒の看病、4首目はイングランド王リチャード三世の遺骨が五百年を経て発掘された折の一首。医療従事者ならではの視点が温かい。

 最後に、歌数は多くないが、長年の良きパートナーであるご主人を詠まれた歌から。

方便の五分の嘘さへ(いと)ふ夫その潔癖をときに厭へり

それぞれに病む父を持つ夫とわれ今日は忘れて柿狩りに来つ

理詰めにてものおもふ夫感覚でものおもふわれむかご飯食む

 お互いの性格の違いを知り尽くしているからこその作品。歌集を楽しみにされていたという母上も昨秋、彼岸へ渡られている。寂しさはひとしおだろうが、これからは治生さんとお二人、旅や短歌を心おきなく楽しんでいただきたいと願う。

       水無川さへ隔てえぬ夫婦なり詠んで詠まれて連れ添ふふたり


by minaminouozafk | 2019-06-28 06:34 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

ようやく入梅。梅雨に入らないままの夏至は初めてで、暑さは厳しいもののひんやりと乾いた風が吹く、いつもの年とは違う過ごしやすい6月を送った。

日曜日は支部歌会だったので、会場のふるさと総合伝承センターに行く前に、寄り道して龍福禅寺を訪れた。会場とお寺は、ゆっくり歩いても5分、車なら1分の距離。

3月の魚座の勉強会の時から気になっている例の葉っぱ。5月歌会のときは全く咲く気配がなく、もしかしたら花のない植物かも知れないと少し心配になっていた。

参道の両脇の楓は訪れる度にみどりが濃くうつくしくなっていく。

葉っぱが群生していたあたりに目をやると、ちらほら白いものが見える。

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咲きました!みなさん! うつむいて咲く姿が控え目~。


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もう少し、近づいてみると、

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清楚な擬宝珠の花です。花言葉は「落ち着き・変わらない思い」などいくつか。

咲いていたのは門の近くのところだけで、他はまだ蕾の付いた茎を伸ばしている姿だった。訪れるのを待っていてくれたようで心がふわっと広がった。


旅ゆけば我招くかに擬宝珠咲く     角川源義


睡き子のかたむきかゝる花擬宝珠    石田いづみ


咲きました~。


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知ラセテネ かすかに声の聞こえきて龍福禅寺緑陰の道

うつむきて咲く擬宝珠のむらさきのあはき憂ひに水無月の尽く









by minaminouozafk | 2019-06-27 06:00 | Comments(6)


昨日は、辻本美加さんの命日だった。

美加さんは、南の魚座のみんなの共通の友人である。美加さんのことは、折に触れて、それぞれに記している。



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           〈昨日の花。イネ科の……なにかしら?〉


支部歌会で美加さんと隣合わせに坐ったことがあった。それは、もうすぐ美加さんの歌集が出来上がってくる、という頃のことだったと思う。その歌会の休憩中、私たちはいろんなことを話した。



たしかに話したのだ。

それなのに、いろんな話をした、ということは覚えているのに、言葉に換えて書いておけそうなことがあまりない。



ちょっと照れたような表情とか、襟元をなおす仕草とかはよく覚えている。箱ごと回ってきたフィナンシェを、私に先に選ぶように言って譲らなかったことも、歌集のタイトルは届いてからのお楽しみ、と言ったことも覚えている。

この日の歌会が、私にとっては美加さんとの最後の歌会となった。



当時まだ福岡支部にいた大西淳子さんが千葉に移るというので、この歌会のあと、福岡の元「棧橋」7人で食事会をしようということになっていた。辻野真理子さんも北九州から見えていた。



美加さんの『藍のひといろ』より。


 遺品なる子のフルートを抱きまどふ天国行きの宅配は無く  辻本美加



朝顔がどこかに咲いていないかなあ、と幼稚園のほうまで遠回りしてみたけれど、まだ少し早いようだった。



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     手をふれば手を振りかへす仲間ゐて月下の群はまた歩き出す



by minaminouozafk | 2019-06-26 05:58 | Comments(9)

 621日の「アガパンサス日記(ダイアリー)」(私が関わっている不登校問題を考えるボランティアグループ3名で毎日更新しているブログ)に「その人は…」と題する記事を書いた。

https://sacfafk.exblog.jp/27654979/


その時点では「その人」がどなたであるのか、明らかにできない事情があって、漠然とした思い出しか記すことができなかったのだが、ご親族の方の了承を得て、もう少し詳しいことを書かせていただけることになった。ありがとうございます。


「その人」とは、山埜井喜美枝氏。福岡市に拠点を置いた短歌の超結社集団「飈」の代表で、ご夫君である久津晃氏とともに長く福岡歌壇を牽引されてきた歌人である。


山埜井さんとのご縁ができたのは1996年。私が結婚で福岡に住みはじめてから。同郷の歌人、青木昭子さんのご紹介で、「飈」の歌会に参加させていただいた。当時を思い出すと、若さゆえの向こう見ずさに冷や汗が出る。「飈」の歌会の厳しさはつとに有名であったらしいのだが、もともとよそ者の私はそんなことも知らずにのうのうと参加。山埜井、久津両氏をはじめとする諸先輩の作品や批評のあざやかさにただただ瞠目するばかりだった。


短歌そのものについてはもちろんだが、私が山埜井さん、久津さんについて思うのは、その人間力の素晴らしさである。「飈」はたしかに厳しい自己研鑽を積まねばならない集団であったが、その労を惜しまない人間はどんどん中央歌壇に出ていった。押し上げてくれていたのが件のお二人。「飈」を契機に羽ばたいた福岡の歌人は多い。


歌壇は狭い世界で、その活躍の場は限られている。すでに飽和状態になっているその世界でニューカマーの活躍を期することは難しい。けれどそのニッチなところを新たな才能のために用意する、そんな度量のあるお二人だった。


「パイがないのなら焼けばいいのだ。」


お二人を見てそう思った。小さなパイを奪い合うのではなく、人数に見合った数のパイを焼く。その鮮やかな発想の転換と私財を投じてまでもという心意気に感嘆させられた。


「筑紫歌壇賞」もその一つ。60歳以上の歌人の優れた第一歌集に贈呈されるというコンセプトの斬新さ。若い世代が優遇されがちな現歌壇にあって、「筑紫歌壇賞」の存在感は年を追うごとに高まっている。さらにこの賞の存在は、受賞対象者の励みになるだけではなく、ここ福岡で短歌に関わる人々と中央歌壇を繋ぐこととなった。地方ではなかなか味わえないスリリングで知的な、短歌にまつわる体験を福岡にいながらにしてできる喜び。これもまた、山埜井さん、久津さんが残して下さった大いなる遺産である。


私が参列したお通夜は正式な告知が行われていなかったこともあり、ご親族とごくごく親しい人々(歌の仲間やカルチャーの生徒さん)でしめやかに執り行われた。喪主をつとめられたご長女の廣津京子さんのご挨拶が胸に沁みた。ご一緒させていただいた「筑紫歌壇賞」運営組織「しらぬひ会」事務局長のたけすゑ澄子さんとゆっくり山埜井さんの思い出を語り合うことができたのは何よりの喜びであった。


21日のご葬儀は、朝日カルチャーの講座と重なったため、会葬かなわなかったが、「筑紫歌壇賞」主催のNPO法人「国際科学技術・文化振興会(ISEKO)」の代表で、歌人の隈智恵子さんが弔辞を述べられ、出版社や新聞社、歌人のみなさまからのたくさんのお花に見送られて、心にしみるお式であったとうかがった。


華やかなのに、それ以上に照れ屋で、引っ込み思案。ボブカットの黒髪を揺らしてはにかみながら微笑まれる山埜井さんのお顔が忘れられない。心が通じた人々に惜しまれながら見送られるお式はそんな山埜井さんの本意にかなったものであったにちがいない。


降ちゆくかたちは見せずひと夜さに花は はらりさん 一切合財

(山埜井喜美枝『はらりさん』)

89歳であった。



吹きあれてやがてあたらし火を三つもつ熱き風 「(へう)


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2012年10月13日。
講師に永田和宏氏をお迎えした
福岡県短歌大会終了後の懇親会にて。
講師に贅沢をする、というのも山埜井さんの主義。
大会にご来場下さるみなさまに
楽しんでいただけるように…が口癖だった。

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筑紫歌壇賞のパネルディスカッション。
小島ゆかり氏
伊藤一彦氏
山埜井喜美枝氏


*2004年『はらりさん』で詩歌文学館賞を受賞された山埜井喜美枝さん。歌人としての業績についてはまた別稿で。

 7月は試験期間(現在、女子大生。(笑))に重なるため、8月に書かせていただきたいと思っています。

 少々お待ち下さいませ。

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by minaminouozafk | 2019-06-25 07:56 | Comments(6)

燐寸 百留ななみ


ほとんど使わない。いやほとんど目にすることがない燐寸。

我が家で使ったのは、デッキで七輪の火起こしのときが最後のような気がする。

実家では仏壇の蠟燭を灯すとき。

 


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先日、マッチ箱の残りが数本になり実家の引き出しを探した。旅館や喫茶店の名前が入った数箱が見つかったが、かなり古い。湿っているかも、新しい燐寸を買い足そう。スーパーの買物のついでになんとなく探すが見当たらない。もしかしてもはや燐寸は売られていない??ホームセンターに行って店員さんに尋ねてみる。「お線香とか蠟燭とかと一緒の売り場にあります。」と案内してもらった。



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子供のころ、シャッと燐寸をする姿はかっこいい大人だった。はじめて燐寸を擦ったのはいつだろう。たぶん母のもとで、もっと力をいれてとか、言われつつ恐恐と。息子たちもそうだった。ちょっと大人になったようで。たしか理科の実験でアルコールランプを使うから練習してくるようにとの宿題があった気がする。まだそのころは、普通に家庭に燐寸はあった。



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探してみると、コンビニにもスーパーにも100均にも燐寸はあった。いずれも蠟燭や線香とのとなりに。ちんまりと売られている。よく見ると燐寸の絵柄はおもしろい。それぞれ作っている会社が違うのだろうが、どれも独特で味がある。



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いくつか買い集めてみて一番のお気に入りは<ウキワカモメ>。黄色い浮き輪のなかの青い海、羽を広げた白いカモメ。なんともレトロなのに沁みる。



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うーん・・・大きな白桃もいい。品質特撰、安全燐寸のロゴもいい。

いずれもMADE IN JAPAN

象・鳥・桃は同じ姫路の日東社。



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ウキワカモメにはエコマーク。たいこししは健康第一のマッチとある。



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オール電化の暮らしでは炎を見ることもないだろう。喫煙者の減少も燐寸の減少と比例。映画の中でも煙草を吸うシーンはかっこよかった。ジッポライターもなつかしい。


力を込めて擦った燐寸が着いたときのちょっとの嬉しさと安堵感。マッチ売りの少女も想像し難くなるのかもしれない。


燐寸擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

寺山修司


燐寸擦る束の間の身体感覚も共有できなくなるのだろう。燐寸の匂い、懐かしくて一本擦ってみる。油断しているとすぐにもえつきてしまう炎だが、つかのまは意外と長く感じる。火の恩恵はいつもいただいているが、自らの手では火起こしをしなくなっている。


レトロな絵柄に惹かれて買ってしまった燐寸。一箱ずつでは売ってなかったから二十箱以上ある。実家にも持っていくが、数年間は充分ある。


そろそろ蚊の季節。蚊取り線香の匂いは好きだ。まだ窓を開ける生活だった子育てのころは毎日のように使っていた。数時間を見越して蚊取り線香を折って燐寸で火をつける。眠るまえにはちゃんと確認。なつかしい。ひさしぶりに蚊取り線香での虫除けの夏を愉しもう。



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朝な夕な蚊取り線香わすれじと燐寸を擦りし子育ての夏













by minaminouozafk | 2019-06-24 06:00 | Comments(7)

追い出し猫 大西晶子


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先週の日曜日に宮若市の〈司生虫〉の言い伝えを書いた。今回は同じ宮若市の〈追い出し猫〉の話。こちらは宮若市の小学生が学芸会で劇をしたり、住民がひろく知っているらしい。
 全国的に広く知られているという話ではないが、私も宮若町の街角の追い出し猫像を見かけたり、猫さまグッズを買ったりしている。宮若がまだ町だったころから〈追い出し猫〉の人形が招き猫の代わりに飲食店に置いてあったりした。




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旧若宮町役場前に置かれた追い出し猫像


 この物語は簡単に言えば〈猫の恩返し〉。猫は記憶力が悪い、人より家に居つく、などと猫は薄情で可愛げが無いようなことを言う人があるが、昔話には恩返しをする猫のものがたりがいくつもある。

宮若市に残る「追い出し猫」伝説は、西福寺というお寺に飼われていた猫が和尚の頼みで、お寺に住み着き乱暴をはたらく大ねずみを退治したが、その時にはお寺の猫も手助けに来た遠賀、鞍手、宗像から集まった多数の猫たちも死んだ。和尚さんはお寺の猫とその猫達を悼んで手厚く葬り、その墓は猫塚と呼ばれるようになった、というものだ。



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この物語から町のマスコットとしてできたのが、〈追い出し猫〉。この猫には表と裏と二つの顔がある。表はニッコリ笑う猫で手も招いている。しかし裏返すと吊り上った目の怒り顔で、片手に箒を持っている。

先ずは持っている箒で悪運や災厄を追い出し、その後で幸運を招く猫だという。大小さまざまな人形(猫形?)が作られていて、今ではこの猫のゆるキャラの着ぐるみも人気があるようだ。宮若市のイベントでは欠かせない存在になっていると聞いた。

この猫グッズの専門店〈猫さま本舗〉では人形の他にも絵本、Tシャツや文具、ショッピングバッグ、お菓子なども売っている。


  
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                    ゆるキャラと宮若市の子供達



少し離れた旧宮田地区の宮若市役所の近くに「瀬川」という菓子店がある。筑豊が炭鉱で栄えていた頃からある人気店で、和菓子も洋菓子も美味しい。久しぶりに寄ってみたら、今まで気がつかなかった追い出し猫の絵がついた贈り物用の箱があった。猫の名がついたお菓子は以前から各種あるのでそれを詰めてもらったら猫好きの人へのプレゼントに良さそうだ。



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 最中、即席汁粉、フロランタン等々みな〈猫様〉シリーズだ。お気に入りは〈猫さまフロランタン〉。最中の皮に飴がけのナッツが入れてあり香ばしい。似たお菓子で〈猫さま最中クッキー〉もあったのだが、写真を撮る前についつい食べてしまった!最中の皮にクッキー生地を詰めて焼いたもので、口のなかでふわっとほどける感じが絶妙。

 このように、恩知らずのはずのお猫様たちが今では宮若市の町おこしに一役買っている。   
 宮若市の旧若宮地区を歩くとあちこちで追い出し猫に出会って楽しい。ちなみにゆるキャラの名前は〈さくらちゃん〉だそうだ。

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         そのかみは三毛や白やと呼ばれけん鼠退治で斃れし猫ら              






by minaminouozafk | 2019-06-23 07:00 | Comments(7)

 今週は週初めからいそがしい一週間だった。急に三日ほど家を空けることになり、戻ったあとは、二日間の仕事と二件の短歌の締め切りに追われていた。なんとか詠草をまとめ上げた時には頭の中は乾いたタオルを絞れ状態であった。思わず口をついて出た言葉が「あー、さすがにこの何日か、しらしんけん疲れたわー」。 ところが、そう話しかけられた夫の反応が今一つ鈍かった。これは通じていないと思い、「もしかして、しらしんけんって知らんと?」と尋ねると知らないという。これは、聞き捨てならないと思った私はすぐに友人の岸田氏に尋ねた。彼は以前にここでも紹介したが、大分在住のテレビマンで大分弁に精通しており、定期的に『よいこの大分方言講座』という抱腹絶倒、知識満載の講座を開いている大分弁に深い愛情を持った人なのだ。福岡生まれで大分育ち、そのあとは東京、神奈川と転居した私はこれといった言葉をもたない〈なんちゃって〇〇県人〉だが、10年間を暮らした大分の言葉のいくつかは知らないうちに身についていた。そのひとつが「しんけん」と「しらしんけん」である。以下に岸田氏による解説をひく。


「真剣(しんけん)」。共通語では「まじめ、本気」という意味ですが、大分ではこれが拡大解釈されて、本来の意味以外に「そうとう、かなり、目一杯、思いっきり、Very…」といった意味で頻繁に使われます。

一方、「しらしんけん」は「しんけん」の頭に「しら」という強意の接頭語がついて、意味を強めた表現方法です。

「しら」は「阿修羅」の「修羅」から来ているとの説もありますが、「むがむとー」(=むやみやたら)といったように、「むとう」の頭に「むが」をつけて意味を強める手法と似ていて、同じ音を頭につけてリズムよくしたのではないかとも思われます。

ちなみに、強意の接頭語をつけずに意味を強調したいときは、「しーんけん」と第一音節を伸ばして強めるという便利な手法も大分弁にはあります(^-^


とても、わかりやすく解説していただいた。そして、その用法を示したのが次の一連だ。


「しんけん」

・シンケン走ったらバスに間に合うた。

・腹が減っちょったんやろうなぁ。猫が餌をシンケン食べよん。

・昨日先生からシンケン叱られた。

・由布岳に登ったんやけど、シンケンきちかった。


「しらしんけん」

・しらしんけん勉強したら試験に通ったで!

・明日が締め切りやけん、あんシは しらしんけんじゃわ。めって声ドマかけられん。

・ペンキが服についてしもうて、しらしんけん落としたで。


 みなさま、「しんけん」と「しらしんけん」の使い方をお判りいただけましたでしょうか?「とても」とか「すごく」とかでは言い表せない臨場感と安心感がある。7月6日には岸田氏の『よいこの大分方言講座7 応用編その6』が開催される。回を重ねるごとに参加者は増えていると聞く。なかなか参加できないのがつらいところだが、参加できた折にはしっかり勉強して奥深い大分方言の紹介をしたいものである。


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<夕暮れ時のサッポロビール園 :息子も北海道弁を使うようになった>



   このごろはおきうと売りの声きけずおきうとに似たやはらかき声


by minaminouozafk | 2019-06-22 11:04 | Comments(10)

昨年は3週にわたって梅のことを書き、毎年6月は梅便りばかり書いて申し訳ないが、これが可愛くってーー。

4日間の下漬け中は、週間天気予報ばかり気になっていた天日干し予定の16日~18日の3日間は晴れマーク。

17日は母の命日。当日は仕事なので15日に墓参りを済ませ、本漬け用の材料も完璧に仕入れ、満を持して晴れ~♪きっと天国の父母の笑顔なのだろう。

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いそいそと、朝から塩水から梅を取りだし、焼酎で1個1個消毒して笊に並べてゆく。昨年とほぼ同じ5キロ、154個。

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掃除洗濯をしながら、干し時を計りベランダに陽が射してくるお昼前に並べ終える。

完全に陽が当った昼過ぎのつやつやの可愛らしさ!焼酎をくぐって少し酔っぱらい気味にきょとんとしている梅や「おー、久しぶりの太陽や~」と空を見上げる梅など、色んな声が聞こえてくる。あぁ、ごめんなさい。わたしにはもう、梅ちゃんしか可愛がるものがいないので、お許しを。

梅ジャム、初挑戦の昨年は梅の切込みが雑だったため、実と種が上手く外れなくて苦労したが、丁寧に切り込みを入れて、煮込むうちにするりと外れてくれた。

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全ての作業が終って、台所の後片付けをする時間がまた、至福の時間。シロップまみれになったコンロも、アクを流したシンクも磨き上げ、布巾を洗い上げて完了。

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1日目の梅を部屋に撤収して、洗濯物をたたみ終える頃には、そろそろ夕焼け空。

        とろとろと夕焼けいろに煮詰めゆく梅、さうきつとあしたも晴れる

その夜、月を見てから寝ようと思い、夜空を見上げると画像では伝わらないが九尾狐の尻尾が空いっぱいに広がったような不思議な畝雲。

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        九尾狐にかすめとられた梅ならんわたしをあはく照らす月影

はい、何とか一日、間を置いて無事3日間干し終えて本漬けも完成いたしました。


by minaminouozafk | 2019-06-21 07:34 | Comments(6)