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「現代歌人協会会報158」が届いた。本号は、平成301220日、東京神田の学士会館で行われた第41回現代短歌大賞授賞式・祝賀会、忘年会の大会記が第一面を飾り(松田慎也氏筆)、読んでいるとあの日の記憶が鮮明によみがえってきた。


 そう、私はその日、その場にいた。11月の「灯船」批評会@静岡で、福士りかちゃんと出席の約束をしたし、会いたい人も何人か、そして大学の試験の関係で、多分年末年始には帰省できないだろう娘に少し会っておきたい気がして、上京を決めたのだった。


 華やかな会の中で、ひときわ印象的だったのが、歌集『何の扉か』で第41回現代短歌大賞を受賞された「水甕」代表・編集発行人である春日真木子氏のご挨拶。


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現代歌人協会会報158より。
画像、お借りしています。


 

 授賞式で聴いた折、とても感動してブログに書きたかったのだが、春日氏の繊細な言葉の端々まで正確に伝える自信がなく、記事にするのをあきらめた。すると何と、今号に春日氏の言辞が掲載されている。ああ、これこれ、この美しい言葉を、そして更に更にうつくしいあの日の春日真木子氏をぜひ紹介したいと思ったのだ。以下、「明日の扉へ」と題された春日真木子氏の文章より引用する。



 私はこれから大人しく老いに入ります。男性は老いても翁といわれ、翁には羽があります。女性は媼ですね。羽はなく、女性の老いの歌はむずかしいです。初めは抵抗していましたが、媼の旁に皿が入っています。この皿こそ短歌の定型と思った途端、皿は銀色にかがやきました。銀の皿に黄金の言葉をのせてゆきたいー。これが今の私の夢です。



 春日氏は1926年(大正15年)生れ。ご受賞時は92歳であったわけだが、この感覚のみずみずしさはどうだろう。「銀の皿に黄金の言葉をのせてゆきたい」これこそが、あの日、あの会場で私の心を最も揺さぶった言葉であった。


 『何の扉か』から一首引く。


  九十歳のわれの(かひな)湯気()


 湯を使ったあとの嬰児を受ける春日氏の腕もまたきっと桜色。老いてますます花、である。


 

  十重二十重花弁かさねて牡丹は牡丹色のくうをい


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ここはやはり、コスモスの仲間とともに。

今日で平成が終わります。譲位による受禅せんそで、国民が喪に服することなく、慶賀の空気の中で御代が変わることを嬉しく思います。
みなさまにとって、新しき御代令和が良き代でありますよう、お祈り申し上げます。

これからも、ブログ「南の魚座 福岡短歌日乗」をよろしくお願いいたします。




by minaminouozafk | 2019-04-30 00:56 | Comments(7)

芬陀利華  百留ななみ

芬陀利華 <ふんだりけ>と読む。


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白色の蓮華をサンスクリット語でブンダリーカといい、芬陀利華と音訳されたものだ。白蓮華、白い蓮の花はもっとも高貴なものとされている。


夏の朝の圧迫骨折で突然動けなくなった義母。1年ちょっと父と二人でなんとか元気に暮らして、ある日90歳の義父があっけなく亡くなり、93歳の義母は今もとりあえず元気だ。実家は6年間そのまま。時々掃除、庭の剪定などはしているが住む人のいない家は寂しそうだ。


時々家にもどるたびになんとかせんとね・・・という義母。そこでまだまだ義母が元気なうちに大切なものを分別してもらおうということになった。押入れ、倉庫とぎっしり詰まっている。山積みのモノのなかから、義母がああこれこれ・・・といって私に手渡してくれた。私が短歌をはじめたことを話したときに義母が「うちの父も短歌が好きでたしか歌集があるはず」と言っていた。


藍色の布張りの函に二冊の和綴じの本が入っている。『春草堂集』と『芬陀利華』。


『春草堂集』は俳句の句集、『芬陀利華』は短歌の歌集。


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『春草堂集』は高浜虚子の故人を悼む句からはじまる。


耶馬渓の夕立待たで逝かれけり  虚子


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『芬陀利華』は中村憲吉の序文からはじまり、選歌も中村憲吉。


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早くに父をなくし、その後、後見人となった叔母婿、継母もなくし旧制中学校に通いつつも、家のことにつとめなくてはならなかったようだ。そのころに没頭したのが俳句。河東碧梧桐なども耶馬渓を案内。進学で家を離れるころには俳句はほとんど作らず、絵画に興味をもつ。醸造学科を卒業し家業として醤油屋を開業。そのころからアララギを読み、作歌を始める。高浜虚子、松瀬青々、冨田溪仙、石井柏亭、中村憲吉、田山花袋などの多くの文化人、また犬養毅、皇室の方々など多くの客を自宅に泊めて耶馬渓などを案内したようだ。


ありがたいことに一宿一飯の恩義で高浜虚子に一句をいただき、中村憲吉に序を書いて頂いたのだと思う。義母の言う日記みたいな歌集・句集は義母の母により、遺稿として昭和四年に発行されたものだ。和綴じの製本。年譜も詳しく載っていて家族としてはうれしい。義母は第三子のため歌数が少ないのが残念そうだ。



義母の名前の由来の一首。

我が愛づる竹の畫を得し喜びに節子と名づけぬこのみどり子に

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伯母の幼稚園入園を詠んだ一首

父よりも先に走りて幼子は草履袋をうちふりて行く

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発刊は昭和四年の『芬陀利華』夫の祖父の和綴じの歌集







by minaminouozafk | 2019-04-29 10:01 | Comments(7)

楽水園 大西晶子

 見上げると樹々の梢を透してビルとマンションが見えるが、ここが博多駅から徒歩12分の場所だとはとても思えない豊かな緑だった。


30年ほど前に住んでいた大学宿舎の、かっての住人で作っている会の幹事が廻って来た。昔の隣人だった友人三人で、会の打ち合わせの後で行った「楽水園」だ。


隣接する住吉神社の能楽堂には何度が行ったことがあったし、次女の七五三のお参りも住吉神社だったが、当時ここは旅館か何かだったようで今回初めて知った場所だ。
 入り口のあたりは趣のある瓦が模様を作る博多塀、そこからは世界が変わるような気がした。


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 池泉回遊式の庭園に入ると広くはないが、池の周囲に季節の移り変わりに合わせ、いつも花や紅葉が見られるように配慮され、草木が植えられている。
 滝が池に水を落とし、流れには小さな太鼓橋があり、行った時には桜の花弁が散っていた。楓も多かったので秋には紅葉も楽しめるだろう。庭園の中の建物は茶室で、待合もある。
 入園料は100円、茶室で抹茶とお菓子をいただくと300円と至ってリーズナブル。もらったリーフレットには茶室の貸し出しの案内も出ていて、こちらもお手頃な値段で吟行などにも良さそうだ。
 その日は韓国人らしい若い男性のグループやシルバー世代の団体も入園していたが、みな静かに庭を楽しんでいた。


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せっかくだから私たちも抹茶を頂くことにした。案内されたのは四畳半の茶室〈楽水庵〉。抹茶と春らしい色の干菓子で、世間とは流れが違うような時間をしばらく楽しんだ。庭園の若葉の緑の中、ひさしぶりに旧友と過ごす、若い日に返ったと思うような一午後だった。



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萩焼の椀の抹茶を飲むのみど撫でてゆきたり花散らす風






by minaminouozafk | 2019-04-28 07:00 | Comments(6)

 今日から未だかつて経験したことのない十連休が始まる。わが家はノープラン。出かけても人混みは苦手だし、遠出をするにも車はない。それで、日頃出来ていない家の片づけや、たまにはじっくりと料理でも作ってみようかと思っている。


 私が料理に興味を持ったのは、ひとつには父親の仕事が関係している。私の父は今でいう児童自立支援施設に勤めていた。その当時は教護院といい、そこにいる子供たちと私の家族はドア一枚を隔てた官舎に暮らしていた。そして、そのような施設は町から遠く離れたところに建てられており、通学も山を下りさらにそこから三十分ほど歩かねばならなかった。日常の買い物もままならず、週に二回くらい御用聞きのおじさんが注文した商品を持ってくる生活の中で、おじさんが一緒に持ってくる箱の中からお菓子を選ぶのが私と妹の楽しみだった。そのような環境だったので充分な食材があるわけでもなく、母はいつもひとつの食材を色々な調理法で使い回し、私たちが飽きないように工夫してくれていた。


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<最近の『栄養と料理』>

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<昭和46年の栄養と料理の付録>


 その頃、栄養士の先生が月遅れでわが家に回してくれていたのが『栄養と料理』だった。煮物やフライ、ハンバーグくらいしか知らない小学生の私にとって、ページを繰るごとに出てくる料理はどれもこれも食べてみたいものばかりで、次の本の到着が待ち遠しかったのを覚えている。クリスマスのローストチキンやケーキも道具と材料さえあれば、自分でできるということも嬉しかった。ただ、実際に作ろうとするとあれがない、これがないで作れるものは限られていたのだが、そのなかでも材料もそろうしおいしそうで見た目もきれいで作れるだろう思えたのが「いり鶏」だった。そして中学生のある日、台所にこもり本を横において首っ引きでその「いり鶏」に挑戦した。出来上がった料理を、意気揚々と「これが、いり鶏よ。」と夕食の卓についている父にとさしだすと、ビールを飲んでいた父の言葉は「なんや、これはがめ煮やないか。」の一言だった。さすがの私も少しへこんだが、父も家族もおいしいと言って食べてくれたのが、今となっては懐かしい。


 それ以来、誰かの「おいしい」が聞きたくて、料理を作ることが好きになった。だが、最近は忙しさとおいしいと言ってくれる人間が身近にいないことを言い訳にして、ちゃっちゃと作れる手抜き料理が幅をきかせているわが家の食卓である。


 時々、好きな料理の道に進んでいたらどうなっていただろうと考えないこともないが、「一番すきなこと、趣味は職業にしてはいけない。」とおっしゃった高専の恩師の言葉が思い出される。一番好きなことは、何かに行き詰ったときのために取っておいたほうがいいのではないだろうか。


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<息子がくれた中国の料理本、もちろん中国語>



   「おいしい」を最強応援団にして立つお得意のキッチンステージ


by minaminouozafk | 2019-04-27 13:07 | Comments(6)

 今月の宗像歌会の日は、もちろん朝から実家の草取り。庭の一角に見かけない花が咲いていた。黒い実を付けているのは記憶にあり、花時期にはこれまで出会わなかったのだろう。山吹に似ているが白は見たことが無かった。

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 写真に収めて、宗像歌会のメンバーに見てもらった。「黒い実が付いていたでしょう。シロヤマブキで間違いないですよ」と教えてくれた。ふむふむ、帰宅して調べてみた。

白い花の山吹ではなく、別物であり花弁が4枚(白い花が咲く山吹はシロバナヤマブキで花弁は5枚)

実は秋にできるが、野鳥に人気がないのか、長い間枝に残る(あら、可哀想に)

他にも、山吹の葉は「互生」シロヤマブキは「対性」。実は「褐色で1~5対」に対し「黒く4対」

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 おお、すべてがシロヤマブキに合致する。久々にマクロレンズで接写。

後日、宗像歌会の来月用に送られて来た詠草に〈実のならぬ八重の山吹ゆれている~〉という作品があった。八重山吹といえば落語にもなった有名な〈七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき〉を思い出す(ああ、こんな機転が利く女性になりたい……)が、そういえばなぜ、実がないのか急に気になる。

 再び、調べる。八重咲きはおしべが全て花びらに変化していたのだ。で、花粉が出来ないため、実もならない。うーむ、美しさは、何かを犠牲にしているのか。

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草取りに励んでいると、お隣さんから収穫した新タマネギをいただく。サラダに欠かせない大好物。

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両親が元気だったころに宗像歌会のメンバーからプランターごと頂いた高等ねぎ(博多ではこう言うがワケギ?)もう7~8年は経っているが、いまだに育ってくれるので、収穫。

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蕗は雨不足で生育が悪いが、梅はすくすく育っている。出会いと自然に感謝。庭の花々はまた後日。

       わたしここから生まれたのよといふやうにシロヤマブキのうへゆく白蝶


by minaminouozafk | 2019-04-26 06:43 | Comments(6)

初収穫  鈴木千登世

道の駅で夏みかんを見かけるようになった。萩ではそろそろ夏みかんの花が咲き始めたのではないだろうか。町中を漂う柑橘の甘い香りがなつかしい。

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                  去年の春、萩で

     

昨年2つ実を付けたわが家の夏みかんも無事に冬を越えた。若い葉も萌え始め、今年は黄色の実と白い花が同時に見られるかも知れないとひそかに期待している。

ところで、夏みかんは5月の花が咲く頃に収穫するとばかり思っていたが、時期を誤ると水分が失われてパサパサになると聞いた。ここ数日、気温の高い日が続いたし(最高気温が29度超え!)あちこちで出回り始めたことだし……。

悩んだ結果、2つある実の1つは花が咲くまで残して、もう1つを収穫することにした。1メートルほどに育った今の木は2代目、8年目にしてようやく結んだ実。

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初収穫の実、嬉しい~。売っているものよりやや小ぶりなサイズ。しまっているというか…固いなぁ。中身が心配で切ってみると、予想を越えてのみずみずしさ。初生りなのでまだまだ味は薄いけれど、口に含むと酸味が勝るものの仄かな甘みが感じられ、爽やかな香りが鼻に抜ける。夏みかんと聞いていたけれど、この甘さはもしかしたら八朔かもしれない。

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甘酸っぱい実を食べていると母が作っていたみかん菓子を思い出した。みかん菓子とは夏みかんの皮を砂糖で煮た和菓子で、ほろ苦くて甘い味は子どものころはあまり得意ではなかった。毎年夏みかんがたくさん出回るこの時期、母はせっせとみかん菓子作りに励んでいた。母の作るものは市販のものより柔らかかった。

大人になってみかん菓子を美味しいと思うようになった。
もう一つの夏みかんはみかん菓子を作ってみようか……。



初生りの夏柑の実を手に載せぬ我が産むもののやうに思ひつつ







by minaminouozafk | 2019-04-25 06:30 | Comments(9)


あれからもうひと月。先月の昨日と今日、「南の魚座」はみんなで山口にいた。



ふたたび、3月の批評会レポートの番外編である。批評会については千登世さん、全旅程については早苗さんが、ばちっと執筆済み。読み返していると、みんなを紹介しつつ綴られた文章に、あらためてお二人のひととなりが思われる。



さて、中原中也記念館。


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実は、2前の千登世さんのガチャ報告(「 空の下の朗読会」2017 05 04日)に接してから、この中也記念館でガチャッとすることが不肖アリカワの大いなる目標の一つとなっていた。

だからどうか見てやって、アリカワのガチャを。



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この記念館のガチャのなかみは、豆本。もしかしてこれが恋情? と錯覚してしまいそうなほどに切ない気持ちを抑えつつ、ようやく取っ手を回転させて得たものは、第2詩集『在りし日の歌』であった。


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このなかには、5編の詩がしっかり読める字で印刷されている。そのうちの一つを写しておこう。



月夜の浜辺


月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちてゐた。


それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍びず

僕はそれを、袂に入れた。


月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちてゐた。


それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

     月に向つてそれは抛れず

     浪に向つてそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。


月夜の晩に、拾つたボタンは

指先に沁み、心に沁みた。


月夜の晩に、拾つたボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?



こんなちっちゃな本に、ルビまで付けられていた。それなのにルビの省略ごめん。



あの日、みんなでガッチャガッチャとやってしまったから、福岡県内の中也豆本の密度は、今や高まっているはず――。そんなことを思うだけで大きな気持ちになる春の夜であった。




   フェルディナンドの指をほどきてほらと置くカプセルトイのなかの月光



by minaminouozafk | 2019-04-24 05:55 | Comments(7)

 418日、「ボヘミアンラプソディ」を観に行った。「またですかあ~?」と思った方、正解です。七回目。


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1977年「Music Life」八月号臨時増刊より。
武道館コンサート。


 その前の日、417日は「QUEENの日」。初来日したのが1975417日だったことから、アニバーサリーデイになった。この日、「ボヘミアンラプソディ」関連のDVDやグッズが発売開始となっていて、さすがにもう映画館上映はないだろうと思って調べてみると、なんとまだやっている。百道のマークイズのユナイテッドシネマに関しては一日三回の上映で、最終は2050分。これなら昼間の用事を済ませ、夫と猫に食事をさせてからでも間に合う。翌19日の上映予定は空欄だから、いよいよ今日18日が千秋楽なのだろう、そう思った私は長い長い祭りの終わりを見届けるつもりで、ひとり映画館に赴いたのだった。


 長い長い祭り……。そう、本当に長かった。最初に観たのは昨年119日の公開日に先立って行われた1024日の、世界で二番目に早いプレス試写会(一番はウェンブリー)。博多駅のTジョイで。20世紀フォックスの広報の方からお誘いいただいた。今となっては信じられない話だが、当初、観客動員数は未知数で、最悪二週間での上映打ち切りも視野に入れていたらしい。私もこの試写会を心待ちにしていたものの、正直ちょっと怖かった。「傷つけられるくらいなら、放っておいてほしい……。」これは長年のQUEENのファンの偽らざる心境であった。QUEENを象徴するパフォーマー、フレディ・マーキュリーのフェイマスとノートリアスは拮抗しており、もしも映画がノートリアスの方に重心がかかっているものだったら、これまでの栄光は台無しになってしまう。


内心そんな不安を抱えて、試写会に臨んでからちょうど半年! 実際のところどうだったのかと言えば、現時点で世界的には9億ドル以上の興行収入を記録、日本国内では128億円を突破し、あの「スターウォーズ エピソード1 ファントムメナス」を抜いて歴代16位の記録となっている。


加えて、アカデミー賞での、ラミ・マレックの主演男優賞を含む4部門受賞をはじめとする映画賞総なめ状態、ディスコグラフィ再ヒットなどなど、公開当初は予想だにしなかった怪現象が世界規模で、特に日本で顕著に起きている。


なぜなのか。理由はいくつかある。

一つには、音源。全篇を通して流れる楽曲の素晴らしさ。IMAXで観賞するとまるでコンサート会場にいるような気持になるし、実際シングアロングOKの応援上映も企画され、これが好評を博した。テロップに歌詞が流れるものの、ほぼ全員が各曲歌唱可能というのもQUEENというバンドを考える上で重要な問題だ。ドラマチックで、メロディアスで、しかもキャッチー。初期の曲に関してはもう半世紀前のものなのに、全く古さを感じさせない。アナログな録音技術しかなかった時代に、奇跡のようなオーバーダブを繰り返し、厚みのある音を生み出している。


この音楽的な普遍性は、映画を通して新たなファン層を創出した。リアルQUEEN世代のジュニアたちである。うちの娘もそうなのだが、親(私です)の趣味で幼少期から聞かされ続けてきた曲が画面から流れてきた途端、ライナスの毛布のような懐かしさを感じたのだという。親が熱烈なファンであった場合はもちろん、そうでなくてもQUEENの曲はCMやドラマのテーマ曲などに使用されることが多く、聞いたことがない人間は珍しい。そんな若い世代とリアルQUEEN世代(5060代)が一緒に映画館を訪れる、という心温まる風景も頻繁に目撃された。


ストーリーそのものについても工夫があった。19911124日、フレディは45歳の生涯を終えた。もし、映画がここで終わるものだったらこんなにヒットしなかっただろう。フレディの死を描くにはその宿痾を描かねばならないし、その背景にあるノートリアスに触れざるをえない。リアル世代が最も恐れていたのはそこだ。「あらゆる面で過剰であること」、これはQUEENの、いやおそらくフレディの信条であったが、それが芸術のみならず現実の生活に浸潤してきた時期を見せられるのはかなり辛い。しかし、そこはさすがにブライアン・メイとロジャー・テイラーが監修に入っているだけあって、ファン心理を理解した仕上がりになっていた。


ネット検索すると、映画と実際の出来事の時系列の違いについて詳細に記された記事にヒットする。それはとても興味深い読み物なのだが、それをもって、「だからこの映画は事実に基づかない間違った内容なのだ」と言うのは短絡的だ。ブライアンとロジャーが描きたかったのは、QUEENの、そしてフレディの詩的真実。あまりにも鮮やかすぎる起承転結の流れの中で、彼らが描きたかったのは欠落感を埋めようとして手を染めてしまった悪徳にも、決して汚すことのできなかったフレディ・マーキュリーのピュアな魂だったのだ。だからこそ、ラスト21分の「ライブ・エイド」でのフレディのパフォーマンスが際立つ。ウェンブリーアリーナ10万人、そして中継された画面の前の世界15億人の魂を、フレディのパフォーマンスは魅了した。そこにはたしかに、


「俺はアリーナ最後列の人たち、入場できなかった人たち、

 シャイな人たちのために、常に歌って繋がっているんだ。

 批評家や虐めっ子たちを飛び越えられることを見せるんだ。

 俺にそれが出来れば、誰にだってやりたいことは出来るはず。」


という、フレディからのメッセージが溢れていた。

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綺麗ごとすぎるだろうか?

そんな単純なものじゃないよって言われてしまうだろうか?


それでもいい。だってそれがフレディのパフォーマンスだから。ありえない規模の夢を観客に与える稀代の歌舞伎者。全身タイツも、胸毛ちょびヒゲ、ビニールパンツも、突っ込みどころ満載だけど、大真面目なあなたの様子を見るともう何も言えなくなりました。あなたはそうやって私たちを励ましてくれていたのですね。ああ、だから私、あなたに会いに七回も映画館に行ったんだ。やっとわかった。フレディ、ありがとう。本当はリアルで会いたかったけどね。


*「QUEENの日」に、来年1月、QUEEN+アダム・ランバートの日本ツアー開催が正式発表されました。さいたまスーパーアリーナ、行きたいなあ。苛烈なチケット争奪戦が予想されます。さてさて……。


*祭りの終わりを見届けるつもりで行った七回目。しかし、まだまだ映画館上映は続いている模様。もうすぐ注文したDVDも届くだろうし、全然祭りが終わらない。どうしよう……。



  胸に手を置きて歌はん We are the champions. われらのアンセムとして


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左、公開初日のチケット。プレミアムダイニングで。
食べる余裕なかった、夢中で。
右、先日18日7回目観賞のチケット。
これで終わりと信じたい、自分自身を。




by minaminouozafk | 2019-04-23 09:07 | Comments(7)

ジェンダー 百留ななみ



生まれたときから、女の子の名前をつけてもらい、とりあえず違和感なく過ごしてきた。生まれ変わっても男は未知ゆえに面白そうだし、女も別に悪くない。神様におまかせする。


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人間の赤ちゃんは生まれるとすぐに、いや生まれる前から超音波の写真でかなり早くから男女が判る。息子たちもお腹の中にいるときにエコー写真をみながらの先生のつぶやきで判明。息子の息子もそうだったらしい。ようやく2歳。今まではレゴのデュプロや積み木やぬいぐるみなど、あまりジェンダーを意識した玩具ではなかった。



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マンションから見える市電が大好きで、もちろん乗るのも大好き。離れて暮らしているので時々送信してくれる写真や動画が楽しみ。どうやら最近はミニカー大好きのようで、楽しそうに独り言をいいながら連結させていっている。う・・・む やっぱり男の子。長男もミニカー大好きで中でも青い清掃車がお気に入りで眠るときも必須だった。無かったら大変なのでスペアまで買っていた。



最初は大人が買い与える。だからある意味刷り込みのように、好きになっていくのだろうか。私も人形やママゴトを最初に与えられたからそれを好きになったのだろうか。でも好きになれなくて、思い悩んでいる人もいる。人間は衣服を身につける。たぶん動物いや生命体の中で服を着ているのはいない。むかしむかしから服には男女の別があったのだろうか。



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ジェンダーフリーをめぐっては数々の論争が繰り広げられている。性別にとらわれず誰もが自分らしく自由に生きるという意味の和製英語。似た言葉としてジェンダーレスもあるが、もともとファッション用語。中性的な印象をあたえるファッション。区別と差別・・・むずかしい。ジェンダーはもちろん多様性が求められる今。年齢、国籍、価値観などもいろいろ。生命だって同じ。直接に間接につながり合って大きな生態系の鎖。生物多様性だ。



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パンダは生まれたばかりでは性別不明。昆虫には雌雄モザイクという個体もあるようだ。半分がオス、半分がメスという個体。たとえば蝶では左右の翅の模様が異なる。鶏にもいる。両生類や爬虫類では見られないのは、そもそも簡単に雌雄を見分けられないからだろう。



みんな違ってみんな良い・・・金子みすゞの詩を思い出す。まあ良いよね、それもありだよね~寛容な気持ちはたいせつだと思う。認められるのは誰でもうれしい。



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この国は八百万神おはすからみんな違ってみんないいのだ














by minaminouozafk | 2019-04-22 07:30 | Comments(7)

出会いのもの

 最近ときどき今が旬の筍を買う。買う時は中くらいの大きさの皮つきのものを選び、縦半分に切ってゆでる。今年に入ってたけのこご飯、若竹煮、などを何度か作った。

しかし私の中では一番食べたいのは〈木の芽和え〉。この料理はご存知のように擂った山椒の若葉(木の芽)を入れた酢味噌で烏賊と茹で筍を会えたものだ。できれば上に木の芽をたくさん飾りたい。


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私の母は精神科医師だった。私が小学校・中学校に行っていた頃にはフルタイムで勤務していたので、勤務時間が不規則だったりすることもあり、お手伝いさんに家事をまかせていた。元々母は料理はあまり得意ではなかった。父から「要領が悪い」と悪口を言われ、やる気も失せていたようだ。

 そんな母をあるとき女子医大の学友が訪ねて来た。お手伝いさんが高齢になり故郷に帰った直後だったので、母は自分でおもてなし料理を作ったが、その時の一皿が〈木の芽和え〉。

料理は嫌いなはずの母が作った〈木の芽和え〉はとても美味しかった。その味を今も私は再現しているつもりだ。また、訪ねて来た母の友人と楽しい時間を過ごしたことも良い思い出になっている。

 

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 母の味の〈木の芽和え〉を今年も作りたいのだが、わが家の山椒がなかなか芽を開かない。それどころか、今年は例年よりも木の勢いが弱いようで芽の数も少ない。

今日も筍と、冷凍庫には烏賊もあるのだが〈木の芽和え〉はまだ無理なようだ、山椒が葉を開くのを首を長くして待っているのだが。



          さみどりの木の芽ひらくを待ち待てり母の味なる一皿を欲り





by minaminouozafk | 2019-04-21 09:16 | Comments(7)