<   2019年 01月 ( 21 )   > この月の画像一覧


 近くの小学校の裏の路地を歩くと張り紙がある。近づくと 「地震のときははなれましょう」 の文字。向かいの高校側には 「地しんのときははなれてください」


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 別の高校の元水族館駐車場側には 「地震発生時 倒壊の危険あり」


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  昨年の大阪の地震で小学生が学校のブロック塀の下敷きになったあとの調査だろう。


散歩コースの学校のブロック塀はいずれも危なそうだ。しかしブロック塀、レンガ塀は古い住宅街には延々とある。たぶん調査をしていないだけで危険度は同じだろう。それ以外に城下町長府には土塀が多い。かろうじて崩壊しないように補修維持している。補修前の土塀からは瓦片、竹、藁などがのぞいている。いつもどこかで補修はおこなわれているので何気なく見ている。表面をしっかり落として中を強化して塗り直す。上にのっている瓦まで変えるときもある。鉄筋など当然入っていない土塀は高くても2メートル以下、壊れるときは、倒れるのではなく崩れる。


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たぶん日本古来の木道や茅葺きの平屋もそうだと思う。崩れたら、なんとか人の力で建て直すことができる生活を長年してきたのだろう。土塀も茅葺きも経年変化で崩れたらそのまま土にもどる。


ローマのコロッセウムなどの石造りの建造物は2000年もの間そのままのかたち、あるいは形を変えて今も使われているものもある。日本でも法隆寺など寺院は1000年以上のものもある。いずれも地震の多い国での建物。建築の技術的にもすばらしいのだろう。釘を使っていない五重塔はある意味、自然と共存しているシンプルなものだ。2年前の熊本地震ではより古い時代の城壁の石垣のほうが崩れなかったようだ。




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天変地異の多い昨今、豪雨や地震で植林された山の木が倒壊する。国土の三分の二が森林。50年サイクルとも言う林業時間はグローバル資本主義ではなかなか受け入れられない。まだまだ神のみぞ知るの豊かな時間。自然のままの山では朽ちた枯木のそばに幼木が新芽をひろげている。いのちを終えた木は崩れ果て土に還る。葉を落とした広葉樹の林は明るく下草が生い茂っている。


倒れるよりも崩れるほうが音なく静かな感がある。学級崩壊、精神の崩壊などどこからともなく徐々に忍び寄ってくる。形あるものもいつかは無になる。窓の開閉もないエレベーター必須の高層ビルの行く末、その姿その時を私には想像できない。




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乃木神社うらの土塀の崩れたり豪雨後百日じわりじわりと





by minaminouozafk | 2019-01-21 07:17 | Comments(1)

宗像教授 大西晶子


 一月も半ばになりようやく初詣に行ってきた。今年初めての宗像大社は参拝者がまだ多く、賑わっている。型どおりに二礼二拝一礼で家族の健康と一年の無事、このところなにかざわざわ感のある地球全体に平和で穏やかな日々が続くことを祈った。

 大社の駐車場に隣接し「海の道むなかた館」という施設があり、古代宗像の考古学的な資料が展示されている。3D映像で沖ノ島や大社の祭祀の紹介もしているが、あまり知られていないのか来館者が少ないのが残念だ。休息できるカフェもあるし入場無料で楽しめるので、大社にお出でになられる折にはお立ち寄り頂けたらと思う。


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 市報「むなかたタウンプレス」にその「海の道むなかた」で漫画家・星野之宣の「宗像教授シリーズ」の原画展が開かれていることを読んだので行って見た。

この漫画を読んだことはないが、これを原作にした二時間もののミステリードラマを見たことがある。宗像のご当地ドラマで、たしか高橋英樹が主演、波津の海岸などでロケされていた。


宗像教授シリーズの主人公宗像伝奇(むなかたただすく)は宗像海人族の末裔、民俗学を教える大学教授という設定で、数々の歴史のなぞを解明していくというシリーズだ。


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                       宗像教授



星野之宣は数々の賞を受けた有名漫画家で、作品はスケールの大きなSF的なものが多いとウィキペディアで知った。原画展とトークショウを大英博物館で開いたこともあるという。そんな漫画家の原画を海「海の道」でゆっくり眺めることができたのは、猫に小判のような気もするが運が良かった。

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              作者の創作ノート




力強い線で描かれた主人公宗像教授や人物の表情は豊かで、背景も迫力がある。表紙用に描かれた大きな絵もカラフルでインパクトが強い。

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 原画の一部はストーリー通りに並べられ、その続きが知りたくなった。

市の図書館に宗像教授シリーズが所蔵されているそうなので、いつか借りに行って読んでみよう。今はこの展示で借りる希望者が多そうだ、もう少し先で待たずに借りられそうな時期に。


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                             宗像大社の社猫?


            水鳥の足掻きおもはす漫画家の細字で埋めた創作ノート






by minaminouozafk | 2019-01-20 09:28 | Comments(6)

 今日は19日。明日はもう大寒である。寒いのはもちろん勘弁して欲しいのだが、子どものころはもう一つ勘弁して欲しいことがこの季節にはあった。それは、持久走である。今年の大河ドラマの金栗四三さんではないが、長距離走が好きだという人にはほとんど出会ったことがない。


 生来の運動音痴の私は、小学生のころからみんなの後をついてゆくのがやっとで、持久走などは輪をかけて辛いものであった。



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<今朝の那珂川>



 しかし、これまでの人生の一時期、ジョギングにはまりこんだ時期があった。37歳の誕生日になぜか、ほとんど強迫観念に襲われるように、突然「今、運動を始めなければ、私の十年後の健康はありえない!」と思ったのだ。もちろんその時の選択肢の中にバレーボールやテニス、エアロビなどは入っていない。できっこないからである。ただひとつ、ジョギングを選ぶ根拠となったのは、高専時代の持久走大会でわずか15名足らずの女子の中ではあったが、三位になったからというものだった。それから毎日、近所の一周500メートルほどの公園を平日は10周、休日は20周、家族が目を覚ます前に走った。


 そして二年ほどした頃、市報に掲載されていた「有酸素運動がダイエットに及ぼす効果についての研究」のモニターに応募し、6か月間大学の体育館でエアロバイクを一時間漕ぎ続けた。そして、それが終わった頃にはすでに私の身体はエアロバイクの中毒状態になっていた。と言うより、止めるのが怖かったのである。迷うことなくエアロバイクを買い求め、毎日一時間というノルマを課した。一時期ジョギングと両方やっていたこともあったが、膝や脚のことを考えてエアロバイク一本にしぼった。


 それから四半世紀を越えて、その習慣は続いている。何が何でも漕ぐという、しぶとい性格なので家族も諦めていて、多少晩ご飯が遅くなっても何も言わない。今年の正月三が日も漕いだ。二年前に脚を痛めたときには、しばらく休んだが、お医者さんの許可が下りてからは復活している。ただ年のせいか仕事から帰ってからの自転車漕ぎは止めて、今は休みの日だけにしている。


 なぜあの時、急に運動をしなければと思ったのか今でも分からない。しかし、それをしていなければ今の私は極めて不健康な状態になっていただろう。夜毎のビールもエアロバイクのおかげだと感謝している。15年近く頑張ってくれた二代目のエアロバイクがそろそろ危うくなってきた。買い換えれば80歳まで使えそうである。


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   デジタルの器械にまでもみえをはり年齢設定五十といれる


by minaminouozafk | 2019-01-19 11:46 | Comments(7)

 昨日、千登世さんが、新聞の連載コラムについて書かれていた。
偶然だが、わたしもーー

 西日本新聞連載で42回となった「歌人・永田和宏氏 天皇を語る」〈象徴のうた-平成という時代-〉は、多くの自然災害に見舞われた平成の出来事に沿いながらその時々に詠まれた天皇、皇后の御歌を中心に、国民に寄り添われる〈象徴〉としてのお姿や、お二人の信頼関係を綴られている。

 平成という時代を振り返る思いで、お人柄が滲む天皇、皇后の作品も毎回楽しみに読んできたのだが、新年の記事の一文に立ち止まった。

 「歌に詠まれた時間は、他の時間とは違う、掛けがえのない記憶 として定着されるものである。歌を作る意味の一つはそこにある」

 美智子さまが、ご成婚50年の記者会見で結婚してよかったと思った瞬間について小さな思い出を語られ、その当時に詠まれた作品に対してのコメントである。

       仰(あふ)ぎつつ花えらみゐし辛夷の木の枝さがりきぬ君に持たれて

                               (昭和48年)

 嬉しかった小さな思い出の瞬間の、説明をしなくても伝わってくる作品だと思う。

 この作品に対し「歌に詠まれたからこそ、そんな小さな記憶が色褪せることなく三十数年間を美智子さまの心に生き続けたのだろう」から先に挙げた言葉が続く。

 本当にその通りだと思う。わたくしごとで申し訳ないが、両親を介護していた頃の作品をしばらく読むことができなかった。
 
 最近ようやく落ち着いて読み返しているが、辛いことばかりではない、忘れていた小さな出来事が蘇って来る。そして新たに上書きされ、明るく生きて行けそうな気がする。
 また、読者としても追体験出来るような佳い作品と出会う喜びもある。

 さて、やがて平成も永田氏の連載も終り一冊の本になるだろうう。もしかして見落としていたものもあるかも。その時もう一度じっくりと読み直したい。

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        それぞれの過去を灯してあたたかな歌ありそつと付箋をはさむ


by minaminouozafk | 2019-01-18 07:53 | Comments(6)

ときどき新聞を切り抜く。忙しい日々に、新聞は飛ばし読みばかりだけれど、気になる記事に出合うと忘れないようにじょきじょき切り抜いてとりあえず手元に取っておく。といっても生来のなまけもの。切り抜いたものを整理せずにあちこちに挟んでおくのでなかなか資料として利用できない。そのまま忘れてしまうこともしばしば。それでも、いつかじっくり整理して活用したいと懲りもせずに切り抜いている。


 生家が毎日新聞だったので、他紙も購読したことはあるけれど、今も毎日新聞を購読している。最近よく切り抜くのは日曜くらぶの「炉辺の風おと」と「新・心のサプリ」。

  
 「炉辺の風おと」は小説家の梨木香歩さんのエッセイだ。梨木香歩と言えば『家守綺譚』が思い浮かぶ。さるすべりの木に恋をされ、掛け軸から亡き友人が現れ、飼い犬のゴローがカッパの争いの仲裁をする……現実と幻想のあわいをどこか懐かしい筆致で描きながら心のひだ深くに染みいる文章が魅力的だ。「炉辺の風おと」では信州の山荘での生活や自然とのふれあいから生まれる思索が語られている。


 「新・心のサプリ」は心療内科医でジャズシンガーでもある海原純子さんのコラム。暮らしの中でもやもやと抱えているものを解決するヒントを得たり、大きな別の視点に触れて目が開かれる思いがしたりすることがしばしばで、まさに心のサプリメントとなっている。もう一年以上も前になるけれど「オバマ前大統領のツイート」と題された一文は今も心に残っている。

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ぢょきぢょきと切り抜いてをり 結局は言葉なのだわたしの欲しいものは


切り抜きが日の目を見る日は、もう少し先になりそう。




by minaminouozafk | 2019-01-17 06:28 | Comments(7)

 1月13日(日)、「COCOON」第10号の批評会があった。COCOONは、最初の1年を雑誌刊行の準備期間にあてた。そのため当初は雑誌なしの批評会だったから、今回の批評会は通算14回目の批評会となる。



この間、COCOONは、実務上のことを軌道にのせながら、歌を詠み/読み、自身の考えを問う場として批評会を重ね、それぞれに自分の歌と向かい合ってきた。そのような内部の循環が安定してくると、外部の声を欲しくなるのは自然なことであろう。昨年の1月、特別ゲストとして、高野さんをお迎えした。



さて、今回はゲスト招聘批評会の第2回。

お願いしたのは、花山周子さん。「塔」の歌人、画家、装幀家、最新歌集は『林立』(第三歌集)……、などということはウィキペディアに出ているだろう。ここではウィキにない花山さんを描かねばなるまい。



余裕をもって会場に到着した花山さんが鞄から取り出し、机上に置いたのは、なんと「COCOON」創刊号から10号までの10冊であった。それがただ持参しただけでないことは、会がはじまるとすぐに分かることになる。というのは、花山さんの評には、「○号くらいから変わった」「グレードアップして戻ってきた」「これならまだこの歌(過去の歌の引用しながら)がよい」などなど、バックナンバーへの言及があったから。



一人の作者の歌の変遷をたどるように読んでいらしたのだ。この日のためにいったいどれほどの時間を掛けられたのか。



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今回の10号作品については、一人ひとりの作品の特徴を、例えば、「行動していく作者」「全身を使っている」「気質そのものが歌になってる」「位置認識のある作者」「理知的に出している」「じわーっとくる」「今への感度を大切にしている」「時間を視覚化している」などの言葉で端的に述べ、連作全体をみる視点から、一首についてあるいは一句一語について、懇切に率直に話された。



午前11時から午後5時まで、花山さんには全ての作品に評をもらった。

それにしても、花山さんは、確かにゲストであったのに、ゲストがいちばんハードワークであった。そんな花山さんのとなりでお嬢さんのアキちゃんは一途に何かに見入っていた。




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結社が違えば、同じ内容を言うにしても批評の言葉が違う。言葉が違えば新鮮に感じられるといわれるし、実際そう感じもする。だが、花山さんの評の新鮮さは、言葉の違いだけからくるものではなかったようだ。



あ、ウィキにないことをもう一つ。

実は飛行機が苦手なのだそうである。(ウィキにはナイショよ)



 飛行機と畳の話したことを忘れないだらう夏になつても



by minaminouozafk | 2019-01-16 06:45 | 歌会・大会覚書 | Comments(8)

 ここ一カ月で二度上京した。短歌関係の用事である。所用を済ませたら帰ればいいのだが、まあせっかく来たのだから娘に会って……となるのは人情。しかし12月から1月にかけて、娘の大学は怒涛の試験シーズン。母が上京したからといって付き合えるような状態ではないのだった。


 で、最近定宿にしているのが、アグネスホテル東京。街中の瀟洒な、朝食ビュッフェが美味しい、隠れ家的なホテルとして最近人気上昇中。ここ、娘の大学から徒歩1分という信じられない立地。実際(内緒だけど)飯田橋の駅から大学構内の小路を通り抜けてホテルに行ける。

 その秘密のルートの途中、ああ、これか……!と見つけてしまったのである。


2017年8月1日の拙記事「物理学校裏」(以下ご参照下さい)。

https://minaminouo.exblog.jp/28016316/


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大学の食堂に書かれているという白秋の詩の一節。ホテルへの秘密の通路に面して建つ大学校舎の窓に発見したのだ。ああ、ここが食堂なのか。詩は内側から読むように書かれているから、外から見ると当然裏返っている。面白い。「物理学校裏」という詩は結構長いのだが、その中に


 ・肺病院のやうな東京物理学校の(うす)(せい)灰色(くわいしよく)

  いつしかあるかなきかの月光がしたたる。


というくだりがあって、白秋がこの物理学校をいかに忌避していたかが慮られてちょっと笑ってしまうのだ。白秋の時代とは全く異なるビル群となっている現「東京物理学校」。そのビル群を通り抜け、飯田橋の駅に向かう途上、ちょっと眼差しを左に振ると、白秋旧居跡の碑がひっそりと立っている。その先には神楽坂芸者の見番がある。「熱海湯」という銭湯も。


 たしかにここに白秋が棲んでいた。そんな、白秋の気息を感じた冬の朝。


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紫の星印あたりが白秋の詩が書かれた窓。
構内への「関係者」以外の立ち入りは禁じられている。
まあ、保護者、ということで……。(笑)。



  百年の時空を超えて神楽坂ためいき重き白秋に会ふ



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アグネスホテル東京。


by minaminouozafk | 2019-01-15 09:54 | Comments(7)


冬の海のようなペールグレーの装丁。「うた読む窓辺、うた待つ海辺」という魅力的なタイトル。上村典子さんは山口県光市在住の歌人。「音」の編集委員、選者をされている。三年前の第五歌集「天花」は何度もひっそりと愛読している。



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窓辺に今日の<うた>を読み、海辺に明日の<うた>を待つ。

自らの作家体験を踏まえ、的確かつ怜悧な筆致によって

短歌の諸問題を真摯に論じた待望の書。

〈帯のことば〉

 あとがきに、1985年「音」入会後の、「音」や総合誌などに発表した文章から、32篇を選んで一冊とした。とある。県大会や理事会でご一緒させてもらったとき、その帰りに車中の雑談での歌や家族への思いを話された。おだやかな語り口のなかに熾火のような熱情がちらり。高校の終わりの頃に中城ふみ子や河野裕子を繰り返し読んだ作者。大好きな歌という詩型に魅了され続けた三十数年の自らの内部にありのまま対峙した一冊。歌という短い詩型で伝えられること、伝えるべきこと。あらためて歌とのそして上村さんとの出会いをうれしく思う。



*千年なにもせぬなり

*迷っていること もとめていること

*試みの影

*自愛の方向

*不思議な詩型を満たすもの

*ブリ大根・木の芽和へ

*批評精神の芯にあるもの

*蕨のごとく頭垂れ

*「父」の戦争と黙契


目次からとくに印象深かったものを挙げた。


今という地点に立ちながら、問いかけは遥かなところへと向かっている短歌をめざす。人間のもつ時間軸の中で、その問いを包む込んでいる場、そういう歌の場を希求する作者。思いはまさしく同じで、まだまだ途上の私の目標になる。一歩ずつすすんで行きたい。短歌は自愛の強い人間のための文芸。だから横溢するわれを制御するための定型という。私自身は歌を詠むときなかなか自分を思い切りだせない。ただ個性が欠けているだけかもしれない。短歌の未来は作者が他者を意識し、歴史認識をもつべきという言葉は励みとなる。

10ページほどの短文は心惹かれた歌集の紹介もある。自己の生を自然のなかに放ちつつ、開示し続けるという築地正子歌集『みどりなりけり』。ぜひ一読して試みの影をじっくりと味わいたい。味覚、食の歌には歌人の全てが宿るという作者のおすすめの作品。

季節(とき)くれば木の芽和へなど作らせて酒飲みまする 学成り難し

焙烙に青のり焙り醤油かけ上様(かみさん)留守の昼酒美味(うま)

中川健次『億劫』

中川健次氏は上村さんと同じ光市在住の歌人、急逝されて七年。


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 「生の意味を問い続け、存在の奥を歌う短歌」という武川忠一氏の言葉に圧倒されて入会された「音」。コスモスも広くは同じだと思う。それが際立っている作品として田谷鋭の「生活に面伏すごとく日々経つつセルジュリファールの踊りも過ぎむ」を武川忠一は取り上げている。蕨のごとく頭垂れは、柏崎驍二さんの歌集七冊を丁寧に再読されての批評。初出は「梁」91号、以前ブログで紹介があったと思う。

 最後の「父」の戦争と黙契。戦後73年。なんとも時代の空気は重い。辺見庸の 〈 黙契である。ニッポンの戦後は知らずに(問わずに)すませるべきでなかったものを」「知らずに(問わずに)すませてしまおう」という、つよい黙契によって、むなしい擬似的平穏をたもってきたのだ。〉 は心に突き刺さる。そして作者の「今や歴史修正の波はそれとは知らされず(またもや)各所で事実を曲げ、さまざまな方便を駆使して、この国は戦前の様相を呈している。」は、まさしく私の気がかりの原因である。あたらしい年号に変わる今、立ち止まってしっかりと歴史を認識するときではないか。




歴史はいつも人間のもつ時間軸である。平成の最後の冬。過去のうえに今がある。そして遥か未来を思う歌。おだやかな瀬戸内海をのぞむ窓辺で自己の存在の奥を、ずっと答えの出ないものの光や影を作者は歌っていかれると思う。声高ではないが心に共鳴する言葉がつづく。同じ風土に暮らすものとしてその灯火をたよりに歌を作り続けることができるのは無上のよろこびである。





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おかへりと五十五歳のしたごころを膨らませゆく窓辺のひかり















by minaminouozafk | 2019-01-14 06:00 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)



五代にわたる作品で有田焼窯元の歴史を示すという「明治維新150年記念展 有田晩香窯―明治から平成の窯元の軌跡―」という展覧会が、有田町の佐賀県立九州陶磁文化会館で開かれている。晩香窯は旧知の庄村健さんのお宅なので、暮れのある日に夫と行って見た。

会場の九州陶磁文化会館は有田駅に近い丘の上にある。寒い日だからか来館者が少ない。

有田晩香窯展はこの日は特に解説などは無い日で、一つの展示室に時代と製品の特徴を書いたキャプションをつけて展示品がガラスケースに並べられている。来館者が少ないのでゆっくり解説を読みながら見ることができた。
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 初代の庄村健吉さんの優れた腕と積極的な活動で晩香窯の基礎が築かれ、その後も時代に沿って柔軟に営まれた窯なのだということがよく分かる。
 ひとつの窯元の歴史がそのまま有田の歴史や世界史に繋がり、思いがけない時間の広がりを見せていることに驚いた。

海外向きのカラフルな明治時代の食器や、万博に出品されるはずだった大正時代の大皿、昭和のはじめの世界大恐慌で食器や花瓶などが売れなくなった時代に作ったカフスボタンや帯どめ、戦時中の金属のかわりに磁器で作られたポット(魔法瓶?)、太平洋戦争の終った後で「憲法発布記念」と書かれた湯呑、などそれぞれに時代見えて興味深かった。また大変な時代を女性の身でよく越えて来られたのだと、庄村家の4代目だった健さんのお母様のにこやかだったお顔をなつかしく思い出した。




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 初代の健吉氏の華やかな洋食器は今見てもちょっと欲しくなる。以前から晩香窯の入り口に飾られていた孔雀の絵の大皿も、会場のライトに照らされ一段と華やいでいた。現在の当主五代目の庄村健さんの作品の独自性、ご長男久喜さんの白磁の清新でシャープな作品とそれぞれに個性があり、晩香窯五代の時の流れの豊さをあらためて思ったことだ。



話は変わるが、この九州陶磁文化会館の建物がすばらしい、1980年竣工なので昭和の完成されたスタイルの一つなのだろう。ともかく居心地がいい。

「公共の建築百選」に選ばれたこの建物の広いホールから見える庭の景色や、廊下のつきあたりの広いガラス壁から見える有田町の風景、細部ではドアの引手やトイレの道具に使われている有田焼の色絵製品など見どころが多く、ゆったりと落ち着ける。



 ロビーには人間国宝に認定された九州の作家の作品が並べられ、有田磁器のからくり時計が時間丁度と30分になると動き出す。


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 展示室2では現代の作家の作品、展示室3では九州各地の古い焼き物が見られ、展示室4では九州の焼き物の歴史が分かりやすく画像でや展示で示されている。その部屋に展示された江戸時代にヨーロッパに輸出された磁器の「蒲原コレクション」は華やかで圧倒される感じだ。染付のものを集めた柴田夫婦コレクション1000点を展示する展示室5もある。





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帰る道で庄村家に寄ったが、ショールームが明るく点り、鍵も開いているのに無人のようだ。ふらりと行ったので連絡をしていなかったことだし、きっと工房で忙しくお仕事されているのだろうと、心残りだったがそのまま帰って来た。
 その前に寄ったお食事処でも店に営業中の札がかかっているのに、中に入るとお店の人が不在で、別のお店で昼食を取った。
 用心が悪くないのかしら?よほど人を信じる、治安の良い街なのかしらと、すこし不思議に思いながら有田を後にした。



くちきけば何をかたらん窯を出て四百年経る色絵の小皿








by minaminouozafk | 2019-01-13 08:32 | Comments(8)

 昨年末、中国古典文学の研究をしている長男が、博士論文までの約十年間の研究をまとめ、550ページの本として出版した。それが「西晋朝辞賦文学研究」(汲古書院)である。出版を決めてから、おおかた二年近い時間を費やしたのではないだろうか。出来上がった本を手にすると、研究の場でお世話になった方々はもちろんのこと、小さい頃から様々な場面でお力をかしてくださった方々のことが思い出され、感謝という言葉しか見つからない。


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 息子が中国古典文学の道を選ぶことになったのは、いくつかの人生の節目で各々判断した結果にほかならない。


 息子が小学1年のとき、この子は国語の読み取りが苦手だと思った私は、自分が仕事で面倒をみることができないことを理由に、夏休みの間中、実家の父に数冊の国語の問題集と一緒に息子を預けたことがあった。任された父はその問題集をすべて終わらせてくれ、確かに国語の点数が上がったのである。国語の力などというものは、本来そんな点数で判断できるものではないというのは、今だから言えることで当時の私は点数に踊らされていた。しかし、父の指導はありがたかった。


 その後、ファミコン、スーファミ、プレステとゲーム世代真っ只中の息子は、御多分に漏れずゲームにはまり、家には当時流行りのドラクエから多くのロールプレイングゲームまで並ぶこととなった。そのうち、中学生になると三国志などの戦略系ゲームが中心となり、並行して小説の三国志にも興味を持つようになった。「三国志」「三国演義」「水滸伝」などの本を買わされたのもこの頃であった。


 高校生になり進路を決めなければならなくなったとき、希望は「高校の先生になってバレー部の顧問になる」だった。漠然と社会科の先生になろうかなと答えた息子に、高校の先生のアドバイスは「社会科の先生を目指す人は多いから、女性の先生が多い国語科のほうが産休の先生の代替とか機会も増えるのでは」というもので、その結果決めたのが文学部。その後、大学で専門を決める時もまだ『三国志熱』は覚めてはおらず、息子は中国文学を選んだ。その時、なぜ中国文学なのかと聞いた私に、彼は「三国志を原文で読みたいから」と答えた。そして希望だった国語科の教職の免許も取得した。


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<出版社の総合案内誌の紹介頁>


 「左思「三都賦」は何故洛陽の紙価を貴めたか」の論文から始まった研究生活。途中、中国清華大学への二年間の留学を含めての十年間の成果が初めて形となったのである。奇しくも洛陽紙貴のモデルとなった左思の「三都賦」も完成までに十年の時を費やしているという。


 かつて、将来の生活を心配する息子に「しっかりと研究して頑張っていれば、結果は自ずとついてくるよ。生活はなんとかなるよ。」と私は言った。しかし研究者にとって現実は厳しい。私が言ったことは本当に彼のためになったのか。研究はそこそこにして、地道に就職するようにアドバイスしていたら、しなくてもいい苦労はせずに済んだのかもしれない。今更思い悩んでも仕方のないことではあるが、時々ふっと頭をよぎる。

しかし、あとがきに「どんな時でも、私が研究者を目指すことを疑うことなく応援してくれた」と感謝の言葉を記してくれた。まだ少し気持ちにゆらぎはあるが、この言葉を素直に受け止めて、終わりのない研究を続ける息子にエールを送りたい。


 小学1年の息子に国語の特訓をしてくれた父は漢詩が好きだった。あちらで「さすが俺の孫や!」と自慢しているに違いない。


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<中国国内のサイトでの紹介・早い!>



   「三都賦」を学び来し子の十年を重くきざんで背表紙の金

  


by minaminouozafk | 2019-01-12 10:44 | Comments(6)