<   2018年 10月 ( 31 )   > この月の画像一覧

藤の莢実  有川知津子


先日の晶子さんのオガタマノキの実(「実のなかの実」10月28日)を見ていたら、あ、と思い出したものがある。



f0371014_22172884.jpg



これは、母校・長崎県立上五島高等学校の中庭にある藤のその莢実。夏に帰省し、牧水の歌碑を見に行ったときに撮っておいたものである。今頃、この莢実は、どうしているだろうか。爆ぜるまでにはまだしばらく時がいるだろう。



藤の莢実は爆ぜるときに音がする。静かにしていると、ちょっと驚くような音だ。どのくらい驚くか、というと、かの寺田寅彦が「藤の実」という文章を書くほどのすごさである。寺田は「漱石山脈」に名を連ねる一人、名うてのエッセイスト。やや長いが、第一段落を引いてみよう。



   昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。宅のものの話によると、きょうの午後一時過ぎから四時過ぎごろまでの間に頻繁にはじけ、それが庭の藤も台所の前のも両方申し合わせたように盛んにはじけたということであった。台所のほうのは、一間ぐらいを隔てた障子のガラスに衝突する音がなかなかはげしくて、今にもガラスが割れるかと思ったそうである。自分の帰宅早々経験したものは、その日の爆発の最後のものであったらしい。



12月が爆ぜどきのようである。

関係者の証言により、当たったらけっこう痛いらしいことも分かった。12月の藤の木には気をつけることにしよう。



f0371014_22173800.jpg



これは、同校の校庭。しばらく踊ってから帰った。誰も見ていなかったと思う。ああ、あの夏の日が、もうすっかり遠く思われる――。



 野茨の秋のいばらをくぐり来て革命のごとく夕顔ひらく



[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-31 06:39 | Comments(7)


f0371014_08242076.jpg



最近、芸術家の連れ合い(妻、恋人など。婚姻関係にはないものも含む)について書く機会をいただくことが続いた。この俵万智の『牧水の恋』もその中の一冊。牧水研究家大悟法利雄氏の『若山牧水新研究』を元に、俵ならではの絶妙な「補助線」(本文259頁)を引くことで見えてくる事の経緯が滑らかな筆致で語られており、最後まで一気に読み通せる面白い評伝文学だった。

f0371014_08243013.jpg
「梧葉」(2018年秋号・通巻59号)に書評を書かせていただきました。
お読みいただけるとうれしいです。


 この「梧葉」(2018秋号・通巻59号)の最後に短く書いていることについてもう少しだけ書いておきたい。『牧水の恋』の相手、園田小枝子については、短歌に関わる方なら周知ではあろう。


 ざっくり言うと、明治39年、人妻で子どもも二人ありながら、それを隠したまま二十歳そこそこの学生であった牧水と恋に落ち、関係をもつ。一方で、小枝子の従兄弟で牧水にとっても親しい間柄の赤坂庸三と内通し(小枝子は、従兄弟庸三の東京の下宿に逗留して共棲みしていた)、父親は牧水なのか庸三なのか判然としない子を身籠りながら、それを「牧水の子」と告げて牧水を悩ませ、結果里子に出したその子は三カ月後に亡くなってしまう。その後も約一年、二人の関係は続くのだが、明治44年、小枝子の帰郷をもってこの「恋」は終焉を迎えるのだった。後日談として、小枝子は結局、牧水と並行する形で付き合っていた(世間ではこれを二股かけると言いますね)従兄弟の庸三と結婚し、数年の後、街で小枝子を見かけた牧水は「裕福な暮らしをしているようで、安堵した」と言っている。やれやれ。こんなに濃くて重い初恋があるだろうか。牧水が鯨飲したくなる気持ちもわかる。


 この五年に及ぶ交際の中で、牧水が小枝子について明らかに「おかしい」と思う場面は少なからずあったはずだ。何度求婚してものらりくらりと躱され、そうしているうちに、どこかのタイミングで小枝子にはすでに家庭があることも知ったはずなのである。しかし、二人は別れない、というか、牧水が小枝子から離れない。そんなに魅力的だったのか、小枝子。

 小枝子についての情報は多くはない。複雑な家庭に育ち、15歳で結婚。胸を病み、広島の自宅から離れて、明石の療養所に入所。神戸の赤坂家に遊びに行っていた折に、東京から来ていた牧水に出会う。牧水の一目惚れ。この恋はこの一語に尽きる。そのくらい小枝子という女性は美しかったのだ。この恋について牧水側の資料が多いのは、牧水が歌人であってその経緯を短歌にしていることが大きい。一方小枝子は文芸その他に興味がなく、文壇歌壇における牧水の存在感についても恬淡としていたという。そうした資料の偏りを考えると、小枝子の実像が摑みにくいのも当然だと思うし、判断の公正さを欠くとの思いは十分にあるのだが、それでもやはり、私には美しいという以外の小枝子の魅力がわからない。近くにいても友達にはならない。怖い。けれど、複雑な家庭に育った、胸を病む絶世の美女、言葉にすると薄っぺらいが、そんな女性が実在すれば、やはり人は心惹かれてしまうのだろう。恋とはまこと因果である。そして、そんな因果な小枝子がいなければ、あの名歌、


 幾山河越えさり去りゆかば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ


 も詠まれることはなかった。返す返すも因果である。

 本そのものはとても面白いのだが、なぜか読後に一抹の不全感……。本を閉じてしばし、世の中って不平等、そんな思いに沈んでしまうのは私だけだろうか。



  牧水の恋のてんまつ読む夜の闇は沈みぬ蜜の重さに


[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-30 08:28 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

花潜り 百留ななみ


10日ほどまえにいただいた藤袴の苗。



f0371014_16584164.jpg


庭の花壇の隅に根付いてくれたようだ。たった一株だが毎日ふわふわの花を少しずつひらく。


朝早く覗いてみると、なんだか花の奥で緑色が光っている。

きれいな緑の甲虫。カナブン?いやカナブンは樹液が大好き。

緑の甲虫は懸命に藤袴の蜜を吸っている。


たしかハナムグリ?って名前だったような・・・


さっそく調べてみるとやっぱりコアオハナムグリ。緑のボディに白点を散りばめた小さなハナムグリ。



f0371014_16583491.jpg


すっぽりと藤袴のなかに埋もれている。アサギマダラのように蜜を吸っているのではなくて花粉を食べているらしい。


ハナムグリは漢字では花潜り。


二時間ほどして出かけるときに観たらまだ藤袴の裏に廻ってもぐもぐ。


f0371014_16584839.jpg


夕方帰って観るとふたたび藤袴の中で食事中。


f0371014_16585480.jpg


翌朝、新聞をとりに行くついでに、おはようハナムグリ。

昨日の朝と同じように藤袴の中に埋もれている。


f0371014_16585955.jpg


ふたたび家の片付けを終えてもまだ同じ体勢。眠っているのだろうか。もうすっかり陽は昇っている。ちょっと大胆に揺すってみるが動かない。


f0371014_16591358.jpg


出かける前に観ると動いている。


f0371014_16592264.jpg

おはよう!と近づいてシャッターを切るとあらあら青空にあっという間に飛び去ってしまった。わが庭に定住かと思ったのに・・・揺すってごめんね。立派な緑の翅ですぐそばの長府庭園の方へ。ぼんやり喪失感。


その日の夕方ひさしぶりに友人に誘われて長府庭園に行った。紅葉にはまだ早く人影もまばら。展示室を出ると秋明菊やホトトギスの花。すこし歩くと藤袴の花群。アサギマダラが一頭よぎる。


f0371014_16593580.jpg

近づいて藤袴を覗くと緑色のハナムグリがいるいる。あっちにもこっちにも。5匹も見つけた。


f0371014_16593006.jpg


このなかの1匹はわが家の庭から飛び立った子かもしれない。




f0371014_16594124.jpg




朝露の翅の乾きしハナムグリ一直線に空へ消えたり







[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-29 07:30 | Comments(7)

実のなかの実 大西晶子

f0371014_23474275.jpg




先日,宮地嶽神社のオガタマノキの実がその後どうなっているかが気になって見に行った。平日の午前中とはいえ結構参拝者が多い。七五三の親子連れが二組ほど写真を撮って居る。羽織袴姿の男の子が可愛いかった。オガタマノキと一緒に後ろ姿を撮らせてもらう。


f0371014_23474934.jpg


 オガタマノキの実は以前ここに書いた時よりも赤味が濃くなって、心持ち大きくなって居るようだ。ところでこの実の硬さは?そして中はどうなっているのだろう。ぜひ知りたい。枝に手が届くのでこっそり実をひとつ取ってみた。
予想と違い弾力は感じない。爪を立てて割ってみると
あらら、中には白い綿のようなものに包まれて紅い実、あるいは種が三つ並んでいた。


   

f0371014_23473606.jpg

 
この先にはどうなるのだろう?いずれ、この外側の実が割れて中の小さな実が土に落ち、うまくいけば芽を出すのだろうと想像するが、外側の実がどういう割れかたをするのか、その殻は木に残るのか同時におちて土に還るのか、まだ疑問が残っている。当分はオガタマノキから目が離せない。
 実は宗像大社、八所宮にも大木のオガタマノキがある。樹高が10メートルは優に超えているような大きな木だが、最初はこのような小さな実から生えて来たのだと思うと「よく頑張ったね」と声をかけたくなる。



  朱の種をオガタマノキははぐくめり花のごとかるももいろの実に


[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-28 07:30 | Comments(6)

 少し前、中国人観光客とホテルのトラブルに端を発した中国とスウェーデンの対立が、外交問題にも発展したことがあった。この時、中国国内でIKEAの不買運動をしようという声がSNS上の一部の人からあがったそうだが、すぐさま「そんなことをしたら中国国内で生産しているIKEA関連の企業で働く自分たちが困る事になる」という意見でたち消えになったと聞いた。実際にIKEA商品の22パーセントは中国製だという。日本でもよくお世話になる100均ショップやいろんな場面で『Made in China』に遭遇する。逆を言えば中国製の商品を手にすることなく、一日を終えることのほうが難しいのではないかと思うのは私だけではないのではないか。それだけお世話になっていても、気持ちのどこかに「Made in China=安かろう悪かろう」という考えがあることも否めない。


f0371014_10415556.jpg

 ところが数年前にたしか桂林だったと思うが、ツアーの行程で連れて行かれたお茶屋さんで、これは使えると直感したポットがあった。お店としてはポットより茶葉を買ってほしいのだが、自宅にはすでに頂き物など数種類の中国茶はあったのでこの時はそのポットと二種類の茶葉を購入した。

 通常、日本茶を煎れるときも、最後の一滴まで急須の中に残さないようにと言われるのだが、これがなかなかそうもいかないことがある。また、ちょっと冷ましてから注ぎたい時もほかの器に移さないとならない。それが、このポットでは見事に解決しているのだ。

蓋を開けて茶葉を入れ、お湯を注いで飲みごろになってから、ここにひとつの手順が挟まれる。持ち手の付け根にある赤色のポッチを押すと抽出されたお茶が、ポット本体に落とされて茶葉はお湯がきられた状態になる。飲みたい分だけ注いでも、残ったお茶の味が変わることはない。


 私が知らなかっただけで、同じものが日本製であるのかもしれないが、これを初めて見た人はみな、その合理性に納得をする。以前から欲しがっていた母と妹に、先週から中国に行っていた息子が買ってきてくれた。なかなかのすぐれものが、大分でも活躍しそうだ。

 一緒に買ってきた菊花茶を煎れてみた。菊の匂いがふうっと上がり、ポットの中のお茶は金色に輝いていた。


f0371014_10414576.jpg


   花の香がほうとひらいて菊花茶のわうごんいろを透ける秋の陽


[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-27 11:12 | Comments(6)

阿木津英先生をお迎えした、県歌人会創立20年の記念大会も先週、10月20日無事終了。

応募作品数は、なおさん人気の昨年には届かなかったものの755首。

好天に恵まれ、250名収容の会場も八割ほどの入りで、役員一同安心いたしました。

ご参加のみなさまに感謝です。

                 植村大会副実行委員長による開会の辞

f0371014_06531578.jpg

印象深かった講評から数首紹介いたします。

桜川冴子先生から二首。

〈福岡市長賞〉

極月の博多駅構内煮詰まれる豚骨スープのにほひただよふ  田久保節子さん

二句以下だけだと普通。「極月の」で趣きが変わる。ほんの一言の言葉の選択の大切さを示している。あえて使ったことが手柄。先の見えない重い現代の閉塞感を「煮詰まれる~」が言い当て、博多色も出ている。

〈福岡県ねんりんスポーツ・文化祭大会会長賞〉

捨てようか蛇の目番傘破れ傘過去を抱いてしぐれをゆくか   泉 満夫さん

講師の阿木津さんの師である石田比呂志氏の代表歌〈しぐれ傘一輪咲かせむらさきに烟る(さか)()にさしかかりたり〉『九州の傘』へのオマージュの一首。「傘」を比喩として、過去を背負って生きるしかないという気持ちを石田比呂志の歌を念頭に自分の歌として表現され、味がある作品。

高野さんの「厳密な読みをする人達の詠みが集まってはじめて名歌になる」というお言葉を思い出す講評でした。田久保さんはコスモスのお仲間です。

阿木津英先生の講評から一首。

〈秀逸〉

整備士となりたる()孫玄関に背筋伸ばして挨拶をせり    藤野榮子さん

「女」を取るとそうですかで終る歌。「女」ひとつで時代を感じさせ、これからの人生と女性達が新しい時代を拓いてゆく未来を感じさせ気持ちの良い歌。

ガラスの天井を突き破ってくれそうな女孫さんの姿。現代短歌にフェミニズムを提示された阿木津先生らしい目の付け所が印象的でした。

              選歌講評の様子

f0371014_06524588.jpg

ちなみに私のお気に入りの作品を二首。

〈福岡ねんりんスポーツ・文化祭最高齢者賞〉

(男性の部 90歳)今朝飲んだたしかに飲んだ飲んだはず飲んだつもりの薬が残る 佐藤昭二さん

(女性の部 95歳)風の中われを追ひ越して行くものら枯葉・のら猫・少女それから…村松初子さん

佐藤さんの作品は、老いの日常をリズムも抜群に良く、ユーモアさえ感じさせてくれ、とても気持ち良く読み上げさせていただきました。村松さんの作品は、とり残されるような思いが詩的に仕上がっています。お二人とも、早苗さんのカルチャーの生徒さん!

本当の最高齢102歳の向井まつさんは「福岡県教育委員会賞」を受賞されました。

みなさま、本当におめでとうございました。

そしていよいよ阿木津英先生による記念講演。演題は「歌の行方」

f0371014_06521158.jpg

宮先生の『短歌読本』から、歌の三要素「作歌には心、言語、節調が大切である」という言葉を挙げて解説(ありがたくも誇らしいことです)。加藤治郎がたたえる現代短歌を例に挙げ、そこに虚ろさを読み取り、危惧し、私達もこれで良いのかとぼんやりと感じていることを鋭く問題提起してくださった。石田比呂志と穂村弘のエピソードなども交え、張りの良いお声の楽しくも興味深い一時間でした。

              休憩中、阿木津先生と早苗さんと。

f0371014_06533553.jpg

阿木津英先生、本当にありがとうございました。

冷房が効きすぎて右足はずっと半攣り状態でしたが、大きなミスもなく司会も終えることが出来一安心。

受付をてきぱきとこなしてくれたユリユリ、重要な照明担当のクリクリさん、ご協力感謝です。

来年の講演は染野太朗氏。乞うご期待!!

    終了後ハロウィンバージョンのレソラホール1階で魚座のメンバーと恒例の1枚(ちづりん撮影)

f0371014_06514546.jpg

        
ブザー音鳴り、進行表めくる手が少し震へてやがて開会


[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-26 06:56 | 歌会・大会覚書 | Comments(6)

手織り  鈴木千登世

毎年10月の第1日曜には「アートふる山口」が催される。今年で23回目。

一の坂川や竪小路、大殿大路を中心に小さなさまざまなイベントが催されて、町ごとミュージアムになるという企画。町の文化祭といった感じ。去年も出かけてあちこち覗いてみたが、今年はいつも歌会を行っているふるさと伝承会館をまず訪れることにした。


「体感!実感!クラフト展」と題されて大内塗、陶芸、型染、トールペイントなどいろんな体験ができる中で、お目当ては手織り。

小さな織機を使って、布を織る。

織機にはすでに縦糸が張ってあって、横糸を選んで織り始める。色も太さも違ういろいろな糸があって迷う。秋に似合う暖色系のぼこぼこした糸を選んで杼()を使って糸をくぐらせた。ボランティアの方がそばに付いて丁寧に教えてくださるので、初めてでもなんとか織れる。

f0371014_05150165.jpg

すーっ、とんとん。すーっ、とんとん。というリズムで折り上げたいのだけれど

よろよろ、とととん。よろよろ、とととん。という感じで織っていった。

それでも気分は鶴女房の「つう」。少しずつ布となっていくのが、楽しい。

ここがどこなのかも、時間も忘れて無心に織る。

30分で20センチほどとなって終了。

f0371014_05150449.jpg

織り初めと終わりの始末をしたら完成。目が飛んだりしてしまっているけれども、自分が織ったものなので、愛着もひとしお。隣で織り上げた方と見せ合って、いいねいいねと褒めあった。拙いけれど、初めての手織り。

志村ふくみさんのエッセイを思い出した。

いつか、糸も染めて、大型の機織りでとんとんからりと織り上げる本格的な機織りにも挑戦してみたい。そんなことも思った。


f0371014_05150876.jpg


もひとつ、書道も体験した。こちらは漢字ひと文字を葉書に書く体験。

漢字は何にしましょうと尋ねられて、「魚」と答えたら、

「魚を選んだ方は初めてです」と微笑まれた。

ここでも心地よい、ゆったりと時間を過ごした。



f0371014_05151293.jpg
陶芸サークルの方のお雛様と畳屋さんで買った小さな畳。


鶴女房には遠いけどとんからり風の糸にて筋雲織りぬ





[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-25 05:31 | Comments(7)

鷗外「鶏」 有川知津子


鷗外に小倉三部作がある、と書いたのは先々週の水曜日のことであった。


その小倉三部作の一つに「鶏」がある。


実は、この「鶏」、酉年にちなんで、去年のうちに話題にしようと思っていたが、できなかったのだ。


なぜなぜ?


生きていると、日々、何かが起こる。起こったことはどうしようもないので、みんなの記憶の新しいうちに書いておこうという気になるではないか。むろん、そう思っても文字にならないまま零れ落ち、賞味期限が過ぎてしまうことの方がはるかに多い――。


その点、鷗外に賞味期限はない。そう思ってうららかに見送っているうちに戌年になっていた。鷗外に賞味期限はなくても酉年に限りがあることに気づかなかったのである。まことにウカツであった。


あ~、仕方がない。12年後の酉を待つことにしよう。健気にもそう決意して10か月余りを過ごした。


ところが、先日、鷗外旧居に行ってしまったのである。


f0371014_23434122.jpg


というわけで、12年後を待つ健気さは別のところで使うことにして、今日、書いている。


f0371014_23432349.jpg


「鶏」から引用してみよう。



翌日も雨が降っている。鍛冶町に借家があるというのを見に行く。砂地であるのに、道普請に石灰屑を使うので、薄墨色の水が町を流れている。

借家は町の南側になっている。生垣で囲んだ、相応な屋敷である。庭には石灰屑を敷かないので、綺麗な砂が降るだけの雨を皆吸い込んで、濡れたとも見えずにいる。真中に大きな百日紅の木がある。垣の方に寄って夾竹桃が五六本立っている。(鷗外「鶏」より)



 雨の日に、主人公が見に行く「鍛冶町」の「借家」が、写真の鷗外旧居。この旧居は、鷗外が小倉時代の前半を過ごした家である。


 門を入ると右手にさるすべりの木があった。見上げると高いところに花が少し残っている。白花のようだった。夏の花の盛りに行って見たいと思いつつ、不思議と秋ばかり来てしまう。この日は、先客がいて土間に掲げてある年表の前でメモをとっていた。


f0371014_23433194.jpg


鷗外の憩ひし縁に坐してをり風のすがたのあらぬ秋の日



[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-24 06:47 | Comments(7)

気が付けば10月ももう第四週。もう今年が終わりそう……。

と、今年のわが身の怠惰を嘆きつつ、自らに課したタスク、「第四週は歌集紹介」をこなすことにする。

f0371014_08305249.jpg


今月は『ジャダ』藤原龍一郎(2009年・短歌研究社)。

・象徴の詩法の末裔(すえ)として生きて砂金は孔雀過ぎゆく孔雀

・芥川家の血を継ぎし猫なるかぼんやりとした不安に眠る

・高柳重信と釈迢空とならび古書肆の棚の煉獄

・かく暗き運河の水に汐は差し今宵またわが逃亡ならず

・ウタビトの前衛としてありたきを液晶画面にRAVENが鳴く

・大鎌に刈り取られゆくイメージにまた濃密となりゆく闇よ

・美しき国ぞこの国海往かば山往かば六十二回目の夏


まるで螺鈿細工のような絢なる言葉で綴られた作品の数々。けれど、そうした言葉のベクトルとは逆に、作品世界はしんと冷えた廃墟を彷彿させる。その世界の中で、墓標のように直立する藤原作品の数々。当然だろう。「朔太郎」という一連からはじまるこの一冊は、すでに亡きあまた芸術家へのオマージュなのだから。


この一冊の背後にある藤原の膨大な思索を思う。その莫大な容量を削ぎ落し、抽出された本質を細いペン先に託して綴る。クラフト・エヴィング商會による装幀の表紙カバーが美しいペンであるのも至極納得できる。このペンこそ、『ジャダ』における作者、藤原龍一郎の象徴なのだ。


『ジャダ』とは、「jazz」と「dada」を合成した単語で、1920年代に流行した言葉だという。これを歌集名に選んだ理由を藤原はこう続ける。


「1929年に大恐慌が始まり、やがて第二次世界大戦へとつながって行く。そういう危機感をはらみながらも、新しさへの志向をもった言葉として、「ジャダ」という造語を、この一巻の表題として選んでみた。」


9年前の歌集である。9年前だからこそ生まれた歌集かもしれない。Twitter全盛の、通り過ぎてゆく言葉からは決して生まれない短歌。芸術の来し方と行く末、その架橋としてある一冊、『ジャダ』はそんな印象の歌集であった。



  切り結ぶ覚悟はあるか 咽喉元にクロノスは鎌押しあてて問ふ



f0371014_09405670.jpg
9月30日、筑紫歌壇賞贈賞式に列席下さった藤原龍一郎氏。
ありがとうございました。




[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-23 08:36 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(4)

善隣 百留ななみ


地図を見るのは楽しい。



f0371014_16103161.jpg

古い地図も今の地図も。

地図帳で川を辿っていくのも楽しい。枝分かれしてあらぬ方向に流れていることも多い。

ちょっと前までは地図はとうぜん紙のものだった。

小さい頃は大きな地図をゆっくりと折り畳んでゆく父をちょっと羨望の目でながめていた。

わが家がゼンリンの地図に載っていることにはしゃいだ記憶もある。

ゼンリンの住居地図をひらいて配達の確認をされていたのはひとむかし前だろう。

父にもらった30年前のゼンリンの長府地区の住宅地図がある。


f0371014_16095583.jpg


ゼンリンの社名はもともと漢字で善隣だった。はじめて知ったときになるほどとたいへん感心した。隣と親しくしないと平和でないと地図は作れないという考えから、屋号まで書いてある江戸の古地図をヒントにした住宅地図を作り始めたらしい。


今では地図もグーグルマップやカーナビなどネット上で見ることが多い。縮尺も自由に変えられてとても便利。その基幹システムのひとつGIS(地理情報システム)などの地図データベースの多くを担っているのがゼンリン。いまでも基本それぞれの地区にスタッフがいて実際に表札などを見ながら更新しているようだ。


日本での地図作りの原点はやはり伊能忠敬。17年間かけて全国を測量した。九州のスタートは小倉の紫川の常盤橋。そのそばのリバーウォーク北九州にゼンリン地図の資料館がある。


床一面の伊能中図をはじめいろいろな地図が展示されている。全国の住宅地図もそろっている。

地図好きなので時々覗くのだが、いつも静かでゆっくりできる。



f0371014_16101594.jpg

昔の地図の地名、当時の生活の匂いがする。

長府を発見。干珠・満珠の島もちゃんとある。下関ではなくて赤間関。巌流島は舟島。綾羅木、安岡、小月などの駅名もある。


f0371014_16102405.jpg


ぐっと引いて見ると豊前、筑後、長門の国名も。ちょっと近づくと宗像郡、糟屋郡、那珂郡もわかる。ついつい床に貼り付いてしまう。


古い世界地図もおもしろい。


1570年のアジア図の日本はひとつの島国。


f0371014_16100154.jpg
f0371014_16111141.jpg


1595年のオルテウスの日本島図でNagato(長門)Bungo(豊後)など国名がある。北海道はなくて北日本もアバウトなのに九州はわりと詳しい。五島列島もしっかり載っている。


f0371014_16111513.jpg


1815年のイギリスの地図になるとほぼ今の日本列島の形だ。


f0371014_16110194.jpg



あたりまえのようにカーナビを使っている生活。旅行で迷ったときはスマホのグーグルマップにお世話になる。でもカーナビがないほうが自由に運転をしていた気がする。迷ったときは便利だが、地図を持たない旅がいい。帰ってから地図で復習をするのは大好きだ。ほうほうと一人反省会。





この旅で乗りし線路をオレンジの色えんぴつでていねいに塗る











[PR]
by minaminouozafk | 2018-10-22 06:55 | Comments(7)