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糸瓜の束子  大西晶子


 先月からの家の壁の塗装工事でおおよそは取り払った糸瓜の一部が庭に残っていた。塗装工事が始まった後、数個のナーベラーを収穫しおいしく食べたので、それで糸瓜はおしまいだと思っていたのだが、更に一つを葉陰で発見。

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気が付いたときには長さ30センチ近くになりナーベラーとして食用にはできない。しかたがないので放置して、数日前に束子を作ろうと収穫した。また、収穫したあとの茎の先を瓶に差しこみ糸瓜の水が採れるかどうかも実験してみた。

とれた水は3日間で30ミリリットルと少ない。きれいな水状なので使いみちは只今考慮中。

糸瓜の実は1時間ほど茹でてみた。冷やしたあとで鍋から出すと、それだけでほろほろと皮がくずれ、種を中に容れたままの繊維だけになり、いわゆる糸瓜の束子になってしまった。種は繊維を押したり引っ張ったりで、落とすことができた。更に塩素系漂白剤に漬けて置いたら、きれいな生成り色の束子が完成。



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                    糸瓜の束子と糸瓜の水

 
 
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                       糸瓜の種

 繊維だけになった糸瓜をみながら考えた。

年齢を経てすでに法的には老人の私なのに、物事の本質を見るということが全然できていないと思うことがしばしばだ。歌会で批評をした後で、肝心なことを外していたと思ったことも多い。「もっと深く丁寧に物事を見る」、いつも慌てて、つじつま合わせで暮らしているような日々の自戒として、忘れないようにしなくては。

  

     皮、果肉すてたる今は繊維のみ白く乾ける糸瓜の束子





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by minaminouozafk | 2018-09-30 07:00 | Comments(6)

秋空に鳶  栗山由利

 秋分の日の翌日は、秋晴れのさわやかな日だった。前日までの全国大会の疲れが、身体にも頭にも残っていたが、夫とそれぞれの実家の墓参りにでかけた。夫のほうのお寺は南区の小高い丘の住宅地にある。お寺の敷地は雑木が茂っておりお盆のころは蝉の声が降り続いていた。私の実家のほうはそれと真反対の博多旧市街にあり、キャナルシティ博多や櫛田神社にも近い。


 いつものように夫のほうの墓参りを済ませてからバスで実家のお寺に行くと一日がかりになるのだが、それでも近いのでありがたい。

 実家のお寺に行き、水の入ったバケツとお花を下げて墓地の奥のほうに歩いていると、『暑さ寒さも彼岸まで』という言葉が実感できる。というのも、盆のころの墓地は日差しで熱くなった墓石からの照り返しでその暑さが倍増していて、墓の間を歩いていると見る間に汗が噴き出すのである。


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 墓に花を手向けお供え物をし、線香に火をつけ手を合わせる。2歳の孫から86歳の母までの近況を報告して、家族みなをお守りくださいとお願いをする。立ち上っていく線香の煙を目で追ったとき、少し先のタワー駐車場の外壁の見上げるほどの工事用の足場に気がついた。休日にも関わらず7,8人の職人さんたちが作業をしていた。もちろんだが命綱はない。地上30メートルはあるだろうか、パイプと金属の板を次々と手渡しながらすすめる作業には、全くと言っていいほど無駄がない。部材を受けて移動し上の段にいる人に手渡すのだが、全体が完璧に同期していて必要な場所に必要な人が必ずいる。受け手がおらずに待っているといった場面がないのである。隣のビルの屋根から投げ上げる人はパイプを両の手に一本ずつ持ち、二本同時に投げ上げれば、上で待つ受け手の人が構えている手の中に、まるで磁石でもあるのかと思わせるほど正確に収まっていく。ひとつ間違えば大事故になる。すると、やおら組み上げた下の段のパイプと板を外し始めたのである。どうしたのだろうと不思議に思っていると「何本足らんとやー?!」という声が風に乗って聞こえてきた。何かの事情で部材の数に違いがあったのだろうか。目もくらむような高所で今組み上げたものを外して、作業の困難なより高所に持っていく。とっさの判断と素晴らしい連携プレーにしばらくの間、夫と見入っていた。


 火事と喧嘩は江戸の華と言われたころから、江戸の町を築き上げた職人として鳶職は大工、左官と並び「華の三職」ともてはやされたそうである。平成の鳶も江戸の鳶に勝るとも劣らない活躍をしているに違いない。


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<中国で見かける竹の足場。竹の特性を利用して理にかなっている>


    高空を悠々すべる鳶ににて平成の鳶は足場をわたる


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by minaminouozafk | 2018-09-29 11:35 | Comments(6)

日程を簡潔にかつ楽しく報告してくれた火曜日の有川知津子ことちづりんから、詳細を託された。かいつまんで、写真を交えご報告を。

高野氏による開会の挨拶。
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簡単なご挨拶の後は、進行役の桑原さんのお仕事を奪うような懇切丁寧なる大会スケジュールの説明。桑原さんは困惑気味。

今年は新しい試みで「心の花」の藤島秀憲氏が講演のゲスト。
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演題は「白秋、信綱の似ているところと似てないところ」
先ずは二人の生い立ちの違いを一覧表にして、信綱を中心に、本名佐々木が佐佐木となったいきさつから家系の話まで白秋と比較しながら丁寧に楽しく解説してくださった。
そして本題。〈同じ素材でも〉という項では歌い方の違いを。

信綱 ほほゑめばはつかに見ゆる片ゑくぼトマトが赤き白がねの皿『新月』
白秋 ただ一つお庭に白しすべすべと嘗(な)めつくしける犬の飯皿『雀の卵』
信綱は四つの素材を詠んで一つの場面を作り、白秋は庭から始まり皿にズームイン。皿だけを詠むねちっこさ、とも。

信綱 千くまあがた川上郷(がう)は川原(かははら)も山高原も月みぐさの国『山と水と』
白秋 あの光るのは千曲川ですと指さした山高帽の野菜くさい手『海阪』
この二首も信綱は大きな景を国へとさらに大きく纏め、白秋はこの歌もズームインして景をはっきりさせ、生活臭を漂わせる人間臭い歌。

信綱 ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲『新月』
白秋 塔(あららぎ)や五重の端反(はぞり)うつくしき春昼(しゆんちう)にしてうかぶ白雲『白南風』
信綱の歌に関してここだけの話を呟かれ(私は口が堅いので内緒)信綱は外側をなぞるように歌い、白秋は内側を撫でるように歌う。と含蓄のあるお言葉。

「ズームイン」「生活臭」「内側を撫でる」改めて白秋の系譜であるわたしたちの心情であり信条を再確認させていただいた。
もっと、ねちっこく詠まねば~。

信綱 顔よきがまづもらはれて猫の子のひとつ残りぬゆく春の家『新月』
白秋 ひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき『桐の花』
さて、この二首、隣席のちづりんと、同じ素材って何?ひとつ?
とハテナな頭で聴き入った。
信綱は残された猫を詠み、白秋は剃刀を詠み、残されたものによりストーリーを感じさせ、両者、無常観を際立たせるという共通項を述べられ、深く納得したのであった。

他には〈童心〉では信綱は子供の仕種中心の詠みで、白秋は子供がいる場面を詠む。なるほど、不参加の方も聞いただけで白秋の作品がいくつか浮かんでくることだろう。
他にも〈富士山の歌〉〈音楽性〉〈その他〉終始穏やかに楽しく、わかり易い解説。
全てを記したいところだが、それは参加者の特権として先を急がねば~

藤島さんは、落語にも造詣が深く、私は以前『短歌研究』の連載「短歌と笑いときに寄り道」の頃からのファン。
現在も総合誌などに三つの連載(でしたっけ?)を抱える多忙な中、ご自身はこの講演を二夜漬けぐらいの勉強で申し訳ないと語られたが、あまり縁の無かった信綱のこと、白秋の再発見をさせていただいて大いに感謝である。
ちなみに現在は『歌壇』での連載「短歌の周囲ーこの本あの本」オススメで~す。

そして歌会
私はAグループ、高野公彦氏、清水正子氏、橘芳圀氏、水上芙季氏と共に選者を務めたが清水氏の欠席により、な、何と藤島秀憲氏が選に加わって下さった。
高野さんは怖いけど、嬉しい!
急な事にもかかわらず、講演と変わらぬ優しい語りで的確な評をいただいた。
歌会は会員2名の評の後、選者が交代で1名の評。

内容は次々回の支部報『水城』での各グループの報告を読んで頂きたく、私の作品について高野さんのお言葉を。
実は、どう評価されるかドキドキしながら出した作品。

〈日本脱出組行列すパスポートセンターのカウンター前に廊下に〉
会員の方からは、リズムが悪い、字余りとやはり不評。以下、高野さんのコメント。

現代短歌は複雑な句跨りの歌が多い。句跨りの切れ目を探りながら読むと五七五七七のリズムに乗っ取った歌だと判る。読みこなす力を持たないと現代短歌を読んでいると言えない。
歌は単純。日本を脱出したい人が大勢いると言う内容はそれだけだが、日本人の傾向に対してこれでいいのだろうかと言う気持ちがよく出ている歌。まっとうに批判している訳ではないが探りを入れている。「日本脱出」と言えば塚本邦雄の歌を連想する。あの歌を知っていれば句跨りも理解できる。歴史的名歌を記憶しておけばよい。

ああ、わかっていただけたと安堵。
他の作品に関しても「五七五七七で切って詠むことが大切。散文のようにだばだばと読んではいけない」と常に短歌のリズムを意識することの重要性を折々に語られたことが印象的だった。

高野さんからは、あやふやな評にはツッコミを入れられ、へろへろになり終了。

そして、各自題詠〈平〉を2時間の熟考の末、提出。
私はホテルの窓からの夕焼けで一首。
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懇親会。
お約束の福岡メンバー、元福岡の大西淳子さんと共に藤島さんを囲んで。
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余興はお馴染み、純黄賞シスターズ(と、勝手に命名)の昨年より更に切れが良くなったチアダンにはじまり、福士りかさん、なお&芙季の掛け合い漫才、と綺麗どころがずらり。なお&芙季は写真、動画撮影禁止令発令。
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この写真で入れ込み具合を想像してね。
そして、高野さんの「僕の細道うたの道」に写真で紹介された東京歌会新年会での歌と踊りをご披露。練習10分という、みなさんのはじっけっぷりが見事。
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また、書きすぎた。
2日目は、来週ーー。かも。他のメンバーも紹介よろしく~。

       壁面がわうごん色の市ヶ谷に〈夕焼け小焼け〉鳴る十七時


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by minaminouozafk | 2018-09-28 07:12 | 歌会・大会覚書 | Comments(6)

通勤の途中、視界の端に何かが映った。

翌朝、改めて確かめると川のほとりの合歓の木に花が付いている。六月の開花の時と比べるとぐっと少ないけれど、ほつりほつりと緑の葉の間に咲いていた。写真を撮るために近づくと豆の形をした実も一緒に付いていて、不思議な感じ。



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別の日。道の駅に寄ったら、桜の花がやっぱりほつりほつりと咲いていた。

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「狂い咲き」という言葉で表したくなくて調べていくと「不時現象」という言葉に行き当たった。広辞苑には載っていない気象用語という。


【不時現象】
「開花・落葉や鳥の渡り・虫の鳴き始めといった生物季節現象が平年と著しくかけ離れた季節に生じること。真冬にモンシロチョウが飛んだり、秋にサクラが咲いたりするなど。」『デジタル大辞泉』


桜の場合、夏から秋にかけて、毛虫に食べられたり台風や日照りなどで緑の葉が極端に少なくなった場合に、秋に花を咲かせることがあるという。


季節を外れて咲いた花ははかなげで、満開の桜とはまた違うしみじみと胸を打つものがある。
枝先の花を愛おしく見ながら、猛暑、酷暑の続いたこの夏の異常な暑さを思い返した。




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秋に咲くさくら桜子時知らぬさくら桜子 咲くときが時



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by minaminouozafk | 2018-09-27 06:00 | Comments(7)

9月22日(土)・23日(日)、アルカディア市ヶ谷において、コスモスの全国大会が開催された。時間割は次のとおり。


   22日(土)

 開会挨拶 12:30 高野公彦氏

 講  演 12:50 藤島秀憲氏(「心の花」)

      「白秋、信綱 似てるところと似てないところ」

 歌 会 Ⅰ  14:00~16:30

 題詠作成 16:30~18:30

 懇 親 会  18:30~20:30

   23日(日)

 歌 会 Ⅱ   8:50~11:40


このあと、「表彰&総評」「さよならパーティー」があった。


ここにあえてスケジュールを示したのには、わけがある。実は、今大会はいつもと違ったところがあった。二日目のところに見える「歌会Ⅱ」という題詠歌会の存在である。


初日の歌会Ⅰは、事前に提出していた歌を批評する。すでに、選歌・集計済み。

一方、歌会Ⅱはというと、――。題は歌会Ⅰ終了後に発表(封筒から粛々と題が取り出され発表されるさまは、将棋の封じ手のそれに似ていた)。締め切りは、2時間後の18:30。提出場所は、懇親会会場前の箱の中。つまり、題詠の一首が、懇親会への(つまり夕食への)通行手形なのである。したがって、空腹の脳細胞は、とにかくなんとか一首を仕立て上げようと必死の集中にみずからを駆り立てることになる。おもうつぼなのである。


それで、こうして成った一首をどうやって次の日の歌会にのっけるかというと、その日の夜のうちに、担当者が夜なべ入力をする。それが翌朝には、詠草集となっている(なっている、といっても、もちろん、こびとさんが出てこないかぎり働きびとのおかげである)。二日目の朝、各部屋に配達された詠草集は、整然とみなの手にわたり、その場で選歌・集計が行われ、ただちに歌会に入るという流れ。


ほんとうに、大会に限ったことではないが、さまざまな立場の人々の細やかな働きによってこの世界のいとなみは支えられている。(かくいう私も集計作業の補助という恩恵にあずかった。作業をともにしたお二人との間に湧いたちょっとした連帯感が楽しかった。はじめて親しくお話しさせていただいた)


そうそう、この記念すべき大会の題は「平」であった。


歌会は、グループ歌会でA~Eの5編成。

私はBグループで記録係を仰せつかっていた。このグループの司会は、大先輩の小田部雅子さん。今回はじめて傍で仕事をさせてもらった。大会前に、「小田部さん? 勉強になるわよ。よかったね~」と言った人があったけれど、まったくそのとおりで、その理由がよく分かった。歌会は、巧みに評者の言をとりまとめる小田部さんの司会によって滞りなく進んだ。進行だけのことではない。準備にも気持ちがこもっていた。


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         《小田部さんが準備してきていた時間配分表と名札》


記録係(タイムキーパーでもある)の私は、時計を眺めているだけの仕事だったのに、その時計でさえ小田部さんご持参の置き時計なのであった。


さて、今大会の最高得点歌は、このブログ日曜日執筆者の晶子さん。


たんすの鐶鳴らしてあそぶみどりごのことば未満のやはらかきこゑ  大西晶子              


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 歌会は「コスモス」の風合いというものを考えるよい機会になる。人々の批評を思い返すにつけ、こうやってコスモスの歌風は継承されてきた(ゆく)のだなあ、とそんなことを今もふんわり思っている。


 今回、私のカメラが撮った一枚きりの人物写真。ここに愛蔵しておきたい。


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  あめつぶにつつまれやすきわが嗄声救はんと傘を差しだすひとり



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by minaminouozafk | 2018-09-26 07:00 | 歌会・大会覚書 | Comments(7)

小島ゆかりさんの第14歌集『六六魚』を読んだ。

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ついこの間『馬上』について書いたような気がするが、あれから二年。ゆかりさんの執筆ペースを考えると、ちょうどいいタイミングなのだろう。

『六六魚』は「りくりくぎょ」と読む。鯉の異名らしい。体側に36枚の鱗が一列に並んでいるからというのが由来という。


この歌集、面白いのはもう言うまでもないし、様々な角度から鑑賞できる一冊なのだが、私が一番心惹かれたのは、変容してゆく家族の姿を見つめるゆかりさんの眼差しであった。現歌壇の中心的役割を担いながら、ゆかりさんが大事にしているのは日々の暮らしの手触りである。ジェンダーに厳しい昨今、こういう発言は憚られるが、ゆかりさんは女性として受けた生を謳歌し、全うしている。幸せなことばかりではない。いや、悲しみの嵩は常人よりずっと多いかもしれない。でもゆかりさんはそれを女性ならではのしなやかさとしたたかさで越えてゆく。そしてそのたびに歌は肥え、雑駁に豊かになってゆくのだ。


・病む母を時間の谷に置くごとくいくつもの秋の旅を行くなり

・世の中によくあることがわが家にも起きて驚く鳩の家族は

・あぢさゐはぎつしりみつしり咲(ひら)くゆゑ母たちの愛のやうで怖ろし

・人は死に血は混じり合ひ 雨あとのあざみのやうに家族鮮(あたら)し

・海のをんなは海の呼吸で山のをんなは山の呼吸で子を生むならん

・母といふこのうへもなきさびしさはどこにでも咲くおほばこの花

・四世代容(い)れれば入(はひ)る破れさうで破れない古い巾着わたし

・赤子泣くそこは世界の中心でそこは世界の片隅である

・まだ棄てぬ臍の緒ふたつ ゆふかぜに枯蟷螂はあゆみはじめぬ

・ゆく夏の母のわたしは油蟬、祖母のわたしは蜩(ひぐらし)ならん

・亀しづみ蜻蛉とび去り秋天下われがもつとも難題である

・新年にわらわら集ふもののうちわたしはだれを生んだのだらう

・母となり祖母となりあそぶ春の日の結んで開いてもうすぐひぐれ


20年前、私は「小島ゆかり論」を書いた。それはとても稚拙な一篇であったと自覚しているが、その中で、小島ゆかりという歌人は少女から聖母になったような人だと書いた記憶がある。そんな人がこの先、歌人としてどのように変容してゆくのか、当時とても興味があったのだが、この『六六魚』には二十年前のその問いの答えがあるような気がしている。


急流に逆らい、くきくきと身を捩り泳ぐ鯉。水流に鍛えられたその身はみっちりと締り、輝く鱗に覆われている。これは華甲を過ぎたゆかりさんのイメージ。豊饒で強い。そしてこの鯉はさらに高みを目指す。六六魚の行方を見逃してはならない。物語はまだまだ続くのだ。



わうごんの鱗かがやく六六魚登竜門を登らむとして


*ゆかりさん、平成三十年「短歌研究賞」ご受賞おめでとうございます。



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by minaminouozafk | 2018-09-25 01:04 | Comments(7)


ようやく雲が秋になってきた。もう彼岸、秋分である。

墓地のすみにもちょっとだけ彼岸花は咲いている。


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3連休はお墓参りをすませたあと、新米をいただきにでかけた。ここ数年、岩国市の錦川の上流のお米を食べている。今年はひとめぼれ、去年はこしひかりだった。稲刈りの終わった田んぼはまだ2割くらいだろうか。穏やかな秋の日差しに刈り取りを待つ金色の稲穂、それを曼珠沙華の赤が縁取っている。開花予想などなく彼岸花はいつも彼岸のころに咲く。午後の強い陽射しが似合う。いきなり茎を伸ばし赤花が開く。


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曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径

木下利玄


稲と一緒に中国から伝わってきた曼珠沙華。最近は園芸種もあって庭に植えている人もいる。彼岸花、曼珠沙華のほか死人花、幽霊花、剃刀花とか異名が多い。


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緑色の大きな毬の栗の木の下にも群生している。ひとつの花にひとつの球根。球根にできる子球で増えていく。土の中にならんでいる球根を思うとちょっとゾッとする。



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お彼岸のお彼岸花をみほとけに

歩きつづける彼岸花咲きつづける

悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる

彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり

曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

種田山頭火



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ふるさとが山口の山頭火。なんとなく胸が絞めつけられつつも、すとんと心に入ってくる。曼珠沙華のうえで寝るとは・・極楽浄土のような。歩きつづける彼岸花咲きつづける・・つぶやきながら畦道をたどる。

小さな石仏さまのまわりも彼岸花。

淡紫のツルボと一緒もやさしい。



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今年の新米は上出来のようだ。その中にたっぷりの炎天をたくわえた曼珠沙華の赤。イノシシは罠に17頭も掛かったけど、田んぼの被害はなかったそうだ。しかし、この夏の強烈な陽射しは稲だけではなく稗などの雑草も大きくしたようで、稲刈りのまえの草取りが大変そうだ。



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でも倉庫に積み上げられている米袋はまさに豊かなる秋だ。気持ちまでゆたかになる。友人の分も一緒に5キロの玄米を27袋車に積み込む。数年前に小さな精米機を買って五合ずつ7分つきにしている。さっそく白むすびでいただく。曼珠沙華を手折ったことはない。あの燃える赤を思いつつこの秋の新米をゆっくり味わう。



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新米のおにぎり美味し()の赤の剃刀花は不動明王







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by minaminouozafk | 2018-09-24 07:47 | Comments(7)

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              閉店間際の店内、商品がほとんど無くなっている(9/11撮影)


 大野英子さんが8月31日の記事にさつき豆腐を「道の駅むなかた」で購入したと書かれていた。
 その「道の駅むなかた」はわが家から車で20分ばかり、新鮮な魚や野菜が豊富なので、時間に余裕のある日に月に数度ほど行く。

 午前中の早い時間に行くと、日によっては駐車場に入るのに長い列ができる。
 昨年、世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群、に宗像大社などが指定されてからは、天神からのバスが入るようになり、大型観光バスも留まり、買い物客が多くなった。駐車場に空きを見つけられずうろうろすることも多い。

 数年前に米粉のパン工房「姫の穂」、今年の春にお土産品の「おみやげ館」ができた。10月には子供があそべる公園や、広い第二駐車場もオープンする。

 売っている商品は新鮮な魚・野菜・果物を中心に水産加工物、宗像牛、豆腐、地元の商店の醤油、調味料、菓子、惣菜、弁当、さらに工芸品と多彩。
 英子さんおすすめの「さつき豆腐」は本当に美味しい。地元菓子店「さかした」のおはぎや大福もおすすめ。宗像牛も知る人ぞ知ると言う美味しさだそうだ、まだこちらは食べたことがないので、いずれご報告を。

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 とれたての魚は朝が一番豊富なのだけど、昼頃にも魚が冷蔵ケースに追加されることがあるので、あまり期待をせずに行き掘り出し物に遭うこともある。今日は小型の鯖4尾300円、掌よりやや小さめのチダイ17尾で250円というのを見つけた。
 買った魚を有料でさばいてくれる窓口もあるので、家で生ごみが出るのが嫌な人にも便利。



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                         11時頃に行くとこのように(9/21)

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                      野菜もまだこのとおり

  
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      野菜の補充に来られた生産者


 野菜は棚に少なくなったころに、補充に来られることがあり、生産農家の方とお話しできるのも楽しい。

 道の駅の中に「はまゆう」というセルフサービスのレストランがあり、とれたての魚と野菜で作った料理を食べることもできる。と良いことづくめなのだけど、ここに来るとついつい食品を沢山買い過ぎてしまうのが問題かもしれない。


   目の澄める烏賊得てかえる道々に大豆のみどり濃き畑ひろがる










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by minaminouozafk | 2018-09-23 07:00 | Comments(6)

新聞のこと  栗山由利

 通っているカルチャーセンターに行くと、受付の前にはいろんな講座の紹介のチラシと一緒に、朝日新聞が出している小冊子が置いてある。いつもカルチャーのお仲間のNさんがみんなの分も持ってきて、渡してくださる。


 二種類あるが、両方ともさっと目をとおして一読で処分するのは勿体無い内容だ。暮らしのこと、健康に関すること、お料理、旅の話題などとても役に立つ情報が満載である。以前は新聞の集金の人が持ってきてくれていたのだが、最近はもらうことがなくなっていた。やはり新聞の購読者が少なくなっているからだろうか。


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 実際、息子たちは新聞をとっていない。ネットの情報で事足りるという。そうだろうか?家を出て働き出してからというもの、私たちの世代は独身の時から新聞を購読していた人が多いのではないかと思う。もちろんネットなど便利なものはなかったから、情報はテレビやラジオ、新聞で得るしかなかった。新聞をとるということはあの頃は一つのステ―タスであったような気がする。今では私もネットで情報を得ることもするが、やはり便利ではあるが何かしら少し違う気がする。

 ネットだとどうしても興味の行く方に偏って情報を集めてしまう。新聞をばさっと開いて全体を見渡してから選んでいくこととの違いを感じる。

 同じ新聞を読んでいても、読む記事がなかなか夫と重ならない。お互いに興味の向きがちがっているのだろう。私は大きな記事よりも、隅っこの小さな記事や広告が好きだ。新聞一部の情報は膨大であるから、毎日すべて端から端まで読むことはかなわないが、私はまだ紙媒体からの情報収集を大切にしたいと思っている。



   とりあへず新聞ひらき一日の情報つめてエンジン始動


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by minaminouozafk | 2018-09-22 05:42 | Comments(6)

葛の花  大野英子

今月の宗像歌会の日は、ぐっと気温が下がった土曜日。
朝からの雨も上がり、久しぶりに東郷駅から会場である東郷コミュニティーセンターまでの道のりを楽しんだ。

道沿いの小川のフェンスのうちそとには夏草と勢いづく葛やヤブガラシの中に秋を感じさせる女郎花や待宵草の姿も。
蔓をフェンスに絡ませて、蕾も開花した姿も可憐な花を発見。

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9月10日のななみさんのブログの最後の写真に、同じ白い花が写っていて何だか嬉しかった。
早速、名前を調べるとセンニンソウ。
弾けた果実の花柱が仙人のヒゲのようなのでこの名前。

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全開花も蕊の弾け具合が楽しい。猛々しい野生種の中の艶やかで繊細な白花は小さいながらも存在感あり。

おっと、私の本来の目的は葛の花。
昨年のちーさまのブログで葛の花の香りについての記事を読んでから、葛の開花を待ちわびていつも茂みを覗いていた。

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そして、ついに発見!
全開花にはまだ早いが、嗅いでみた。
ほのかに甘い。どちらかというと甘酸っぱさ寄り。
これから開花が増えると、辺りは甘い香りに包まれるのかな。

ネットで検索していると、葛は今日9月21日の誕生花だった。
何という偶然。花言葉は「活力、芯の強さ」
どなたか存じませんが、おめでとうございます。

       葛の花匂へる秋を待ちわびてまづは葉陰の花のこゑ聴く
       活力でここまで育つてきたぞつて不敵な笑みの葛の花言ふ




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by minaminouozafk | 2018-09-21 06:21 | Comments(6)