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「短歌」八月号を読んだ。

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まず、巻頭詠、高野さんの「こもれび」28首からご紹介。

〇無数なるいのち養ふこの星のオーラのごとし夕あかね空

〇やはらかな大和の歌のひらがなのやうな息してねむるみどりご

〇いかフライうまいねといふ呟きの低くひびきて一人の夕餉

〇まひる咲くアガパンサスの花々を風揺りて空はひかりの(さざなみ)

〇日のひかりこまかにゆるるしづけさをこもれびと呼ぶやまとことの葉

〇人ら行きその影ゆけり街なかの暗渠のうへの普通の歩道

〇備ヘアレバ 格言一つ思ひ出し二、三歩ゆくに人生茫々

言葉に角がなく、まろやかで一読後すとんと胸に落ちて来る感じ。韻律がなめらかなので覚えやすく、誦しやすい。豊饒。

他には、金子兜太氏への挽歌一連、そこから展開される政治への不信を詠んだ作品など、闘う高野氏の姿もいい。


続いて、松尾祥子さんの「穴」7首から。

〇極東の島に穴掘り永久に核廃棄物処理する話

〇地下深く核廃棄物埋めし島巨大地震に沈みゆくかも

恐ろしいたとえばなしが、恐ろしい現実としてすぐ横にあることを思い知らされる。怖い。


今号の特集は2本。

1. ふと立ち止まって—歌を鍛える推敲のポイント

・まず何を歌うか…中津昌子

・定型を守る…林和清

・語順を考える…安田純生

・観念より具体を…さいとうなおこ

・説明臭…藤原龍一郎

・自分の言葉で…佐藤弓生

・常識の範囲で…中根誠

・助詞を入れる・省く…小林幸子

・言葉の整理を…小塩拓哉

・辞書にあたる…村山美恵子

・表記にも神経を遣う…千々和久幸

・声に出して読む…寺尾登志子

作歌するの上で重要な推敲。一首がなんとなく立ち上がってからの方が実は大切だとわかってはいても、では具体的に何をすればいいのかわからない…という人のために最適な特集。執筆歌人の推敲の経緯がわかって面白い。


2. 創刊120年「心の花」の女性歌人たち

古谷智子氏が「思索的ロマンの系譜」として柳原白蓮・片山廣子・村岡花子を、佐伯裕子氏が「モダニスト斎藤史と「心の花」」を、谷岡亜紀氏が「「心の花」を支えて」というテーマで「心の花」の妻たちを、佐佐木定綱氏が「人と今」という切り口の「俵万智」論を執筆している。女性歌人にフォーカスした点が面白かった。

また、大口玲子、清水あかね、駒田晶子、佐藤モニカの四氏による座談会も結社内部の気息が伝わり興味深かった。


酒井順子氏による連載の平安の女ともだち」は和泉式部(2)。盤石の面白さ。

もうちょっと読んでおこう。



「推敲のポイント」なるを耽読す逆走台風荒るるまひるま



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こっそり書いてます。

 


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by minaminouozafk | 2018-07-31 08:17 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)


明治34年。赤間神宮そばの春帆楼で日清講和条約を交わして6年後、赤間関駅は現在、警察署や図書館のある細江町に開業した。山陽本線の終着駅。


目の前の海岸からは門司への渡船が1日に50往復もしたという。なんとういう賑わい。ちなみに明治19年の都市人口の統計では赤間関市(今の下関市)は全国26位の3万人ちょっと。福岡市は17位で4万ちょっと。14位は鹿児島市、15位は熊本市。



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炎天だが、ぽっかり空いた待ち時間。まだ朝だし大丈夫かも。

岸壁ちかくのマンションやビルの日陰を歩く。警察署前の海への広い道。街路樹はほとんど花を落としたデイゴ。朝の海峡ゆめタワーはまだぼんやりと眠たそう。こっちの通りはヤシの木でやはり南国ムード。


ドリームシップ裏の駐車場。たしか数年前まで旧国鉄が管理していた雑居ビルは明治35年開業の山陽ホテル。皇室も泊まられていた由緒正しきホテル。火事のあとの再建の設計はたしか辰野金吾。手入れが行き届いてなかったせいか老朽化での取り壊しは止む終えなかったようだ。


つい先日、対岸の門司港駅の修復が終わったニュースを見ただけになおさら残念・・・。とか思いつつ歩いていると大通りの市営細江駐車場のそばに石碑がある。なんだろうと近寄ると夏草にちょっと隠れている吉井勇の歌碑。




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大いなる船ほうほうと汽笛ならし馬関海峡暮れにけるかも

吉井勇


そう馬関海峡ともいっていた。今でも大きな船が1500隻も行き交う。

10メートル行くとまた同じような石碑が。今度は・・・と近づくとなんと若山牧水。




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桃柑子芭蕉の実売る磯町の露店(よみせ)の油煙青海にゆく

若山牧水



桃やみかん、バナナを売る夜店とはあやしげな活気にあふれている。油煙とは何かを焼いているのだろうか。宮崎の牧水は旅に出るたびに関門海峡の渡船を利用したのだろう。


なんだかまだまだありそうで、近くをうろうろしたら、今度は斎藤茂吉の歌碑。




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雨雲のみだれ移るを車房よりわが見つつ居り関門の海

斎藤茂吉



茂吉は暴風雨の関門海峡沿いを車ではしっているようだ。海峡は天気によって今でも大きく表情を変える。


もうひとつ種田山頭火の碑も発見。




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まだあるかもしれないが暑さでギブアップ。


思いがけず見つけた歌碑。海峡はそのまま、汽笛の音もそのままだが、人影はまばら。世は常にはあらず。

賑わいを妄想しつつ炎天下を歩くのも悪くない。


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バナナ売る桃売る声が海峡の波音消しき馬関の夜店









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by minaminouozafk | 2018-07-30 07:17 | Comments(6)

ナーベラーと束子


毎日暑い日が続いている。暑さで食慾が落ちると言いたいところだけど、夏風邪で咳に悩んだ数日もこればかりは健やかで、夏野菜や土用の鰻、肉と何でも美味しく食べられることに感謝した。

先々週のこのブログの記事に糸瓜を食べることを書いた。わが家の庭では今も台風や大雨にも負けず、糸瓜が花を咲かせ、実をつけている。そんな若い実ナーベラーを何本か美味しく食べた。



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                    糸瓜の雌花(花びらが縮んでいる)と雄花



そんなある日、少し長めで(約30センチ)太さもやや太目のものを、これはたくさん食べられそうと料理した。ピーラーで皮を剝くときまでは何も問題はなかった。ところが、包丁で輪切りにしたら、微かながら刃にジャリッと当たる感じなのだ。

気になったが、揚げ浸しにしてみた。そこで見たものは、ぴんぴんと立った繊維。お皿に盛って見ると、これはまさしく束子。



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それでも、夫も長女も文句を言わずに繊維の間のとろとろの果肉が美味しいと、吸うように食べてくれた。


 糸瓜に教えられた、「何ごとも時期を逃してはならない、美味しいナーベラーが束子に化ける」。




蝕の月あかき朝をひそやかに繊維そだてるへちまの若実





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by minaminouozafk | 2018-07-29 09:30 | Comments(5)

 先週の金曜日から大分の実家に帰っていた。以前このブログで紹介した友人の岸田氏による「よいこの大分方言講座 応用編1」を聴くためであった。初回が好評で次の開催を待つ声が多く聞かれ、参加者も前回の倍近くになった。いつもどおりの彼の大分弁に対する熱い思いがこもった機智にとんだ話に、なるほどと感心しながら笑いが溢れる時間を過ごした。


 もうひとつの帰省の目的は、義弟が育てているオクラの畑から規格外のオクラをもらってくるということだった。少しでも新しい方がいいと、帰る日の日曜日の朝に妹が畑に連れて行ってくれた。7時半、私には朝でも義弟にとっては既にひと仕事終えた時刻である。4時頃、まだ暗いうちからヘッドライトを点けて収穫をしている。週末は妹が手伝うが、一人農業ではネットひとつ張るのさえ簡単ではないことは容易に想像出来る。


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<収穫中>
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 約一か月前はまだ膝を越すくらいの背丈だったオクラが、私の背を追い抜くほどに成長していた。「自分のものは自分で採んなさい」と言われ、妹から帽子、手袋、長靴、鋏を借りていざオクラの畝の間に入り込んだ。ぐるりぐるっと緑の世界、すでに高く上った朝日が葉を透かしてさしてくる。目が慣れてくると葉の影につんと上を向くオクラを見つけることができるようになる。大きいのばかり採らなくていいよと言ってくれるが、そうもいかない。規格にあった形、大きさのものは大事な商品なのである。ML、2LとサイズがあってMで9センチほどで2Lでも12センチぐらいだろうか、それを越すものは規格外となって農協に出荷はできないという。自家消費かあとは廃棄である。妹も職場に持って行って配っているそうだが、次から次にと成長が早くて追いつかないという。


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<オクラの林の中>
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<結構かくれてる>
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<花は可憐>


 もともとオクラはアフリカが原産で英語でもOkraなのだそうだ。茄子や胡瓜は漢字があるが、オクラやトマトには無い。他所から入ってきたものだから。その成長は驚くほどで一日に4センチも伸びるので早朝と夕方の2回収穫をしている。4時でも畑は33度近くある。葉の上にカエルがよくいるそうだ。虫を食べてくれるのでご挨拶をすると、驚きもせずに座っているらしい。


 小一時間、畝の間を通り抜けながら収穫をした。家に帰って渡す人の顔を思い浮かべつつ分けてみると、欲と二人連れの私は250本を越すオクラを抱えて帰ってきていた。

 大きいからといっても、口に残る筋などはもちろん無く、ヘタを切っただけでオクラの最大の特徴のネバネバが出てきた。冷凍、酢につけて、煮びたしにしてと、このところオクラ三昧の毎日だ。


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<欲と二人連れで>

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<300本弱…重かった>


    さくさくと育つオクラにありがたう規格は人のわがままだから


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by minaminouozafk | 2018-07-28 11:02 | Comments(5)

先週末、朝の草取りをしているとあちこちに蝉が這い出た穴が見つかる。
樹上には脱皮した抜け殻も。
ようやくだね、地上を楽しんでね。

もくもくと作業をしていると、突然頭上の木の間から、ジュジュっと震えるような声がして蝉が飛び出してきた。もちろん尿?もまき散らしながら今しがたプールから上がってきたような瑞々しさ。
朝日を浴びて美しく輝いていた。きっと羽化を終え骨格が固まったばかりだったのだろう。

そういえば今年の初蝉の声は例年になく早く、2日に聞いた。
なぜ覚えているかと言えば翌日の台風から西日本豪雨まで6日間ずっと大荒れ。
せっかく地上に出て来たのに大荒れの雨が続く蝉の不運を案じていたのだった。

蝉の身を案じている場合ではない被害が各地で出てしまったのだが……

しかし、その後は突然の猛暑。

13日連続の晴天。被災地では断水したままの地域もあり、酷暑の中での復旧作業にせめて恵みの雨があればと、育ちきれない積乱雲を恨めしく見上げる毎日だった。

草取りをする土も固く乾ききっている。しかし草花は元気。

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実家の百日紅も満開。クマバチが休みもせず、せっせと花の間を飛び回り蜜を集めている。
草も木も昆虫も、みんな健気だなぁ。


翌日は柳川での歌会。この日も晴天、とろけてしまいそうな暑さだった。

帰りの大牟田線で車窓を眺めていると、陰影がくっきりとした積雲が増えてきた。

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のどかな田んぼの風景の奥には暗雲が育ち、電柱の陰、前方左奥の山には真っ黒な雲から雨が降っているのが判る。
あぁ、またただごとではない雨……

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大野城を過ぎたあたりから車窓の外もそこそこの雨。久々の雨の風景を見ながら電車を降りると小降り。

帰宅して判ったのだが、ちょうど車中にいた時間、博多も大雨、博多駅では落雷による信号機トラブルで運転見合わせ。空港でも落雷により滑走路が剝がれ一時閉鎖。


あらたな台風が進路を変えて西日本に向っている様子。今朝も室温はすでに30度超え。
昔のように涼を呼ぶ、夕立程度の雨を望むのは無理な話なのだろうか。



       ひよつこりと顏出す蝉も驚いてゐるらん熱暑、落雷、豪雨
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by minaminouozafk | 2018-07-27 06:34 | Comments(5)

舞台  鈴木千登世

徳山に住んでいた頃、市民劇場という会員制の演劇鑑賞会に入っていた。会員の会費で劇団を招き、年6回、生の舞台を見ることができる会。


文学座、民藝、こまつ座、地人会、前進座、無名塾……多くの劇団の名作の数々を鑑賞した。心に残るいくつもの舞台の中に、俳優座の「心―我が愛」がある。夏目漱石の「こころ」を舞台化したもので、主役の先生を加藤剛、Kを立花一男が演じていた。


もう30年以上も前の舞台なのにありありと思い出せる場面がある。
学生時代の先生とKが房州海岸を旅行した時、海(観客席)にむかって先生が呼びかけるシーンで、そのときの加藤剛の眼差しが忘れられない。真っ直ぐにこちらに向く目には、観客の影はまったく映っていなくてどこまでも澄み、観客の私はその目を通して本当に海を見たようだった。

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「ひとりしか立てない島にふたりで立つ、立てると信じる。それが愛だ。」

(表現は少し違っているかもしれない)漱石の原作にはなく、人間の孤独と愛を言う台詞とともに、その場面を鮮やかに思い出す。



市民劇場は公演の運営も会(運営サークル)が行い、例会の機関紙作りから、大道具の搬入、当日のチケットもぎりなど、裏方にも関わっている。「心」の公演ではリハーサルの時の差し入れを準備した私たちひとりひとりに剛さんは親しく声を掛けてくださった。誠実なお人柄が伝わってきた。

訃報に接して、素晴らしい俳優さんをなくしたことを悲しく思っている。




涼やかな眼に深く生を問ふ舞台俳優のこゑを忘れじ





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by minaminouozafk | 2018-07-26 06:22 | Comments(7)

これは、6月のニートンの林檎の実。

5月2日の記事で花を紹介した林檎の、実である。


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翌週行くと、朱色の袋が掛けられていた。


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大切にされているのだ。実の成長が見られないのは残念だけど――。


さらにその翌週は、豪雨で休講になった日があった。


けれども、林檎は無事だった。袋掛けのお蔭であろう。

袋掛けがされていなかったら、たぶん落ちていた。

なんといっても落ちやすいのが身上のニュートンの林檎なのだから。


ところで、この酷暑である。

袋の中って、どんなことになっているのだろうか。

ちょっと心配。



  包まれて音無きりんご炎帝のくらき吐息の渦巻く丘に



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by minaminouozafk | 2018-07-25 06:25 | Comments(7)

水原紫苑の第九歌集『えぴすとれー』を読んだ。2015年4月から2017年6月までの作品746首を収める。

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本阿弥書店刊

葛原妙子、山中智恵子に魅かれ、春日井建に師事。作品を読むにあたって、作者独自の読みのコードが必要なのがこの三巨頭。しかし、それ以上に鑑賞に悩むのが、件の水原紫苑である。水原作品の鑑賞の手引きとしては、「コスモス」2014年1月号「新・評論の場」に小島なおさんが「蝙蝠傘の一人」という優れた評論を書いている。結論部分を引用する。


・『びあんか』、『うたうら』、『客人』と、歌集を重ねるごとに歌の難解さは増してゆく。それはすなわち、水原が現世における肉体よりも魂を、真実の自分と確信してゆく過程である。現実と幻の狭間で葛藤していた魂はやがて、歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようになる。水原の作品のまなざしが、わたしたちに美しく残酷な印象を与えるのは、ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌であるためだ。


水原作品の世界観を十全に表現した鑑賞である。なおさんのこの手引きに従って、本作『えぴすとれー』を読み進めてみた。「ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌」とはどういうものなのか、考えてみたくなったのだ。

746首とは大著である。そして面白い。しかし、作品を「共有」できているのかと問われると自信がない。いや、何段階かのレベルに分けられるというべきか。

たとえば、


P9  十六歳のわれはそびらに巣をつくり白鷺を呼ぶ京の白鷺

P36 快楽(けらく)もて神の創りしあかしにぞゴキブリの(せな)かがやくものを

 

これらは多分入門編。雅やかなものに憧れやまなかった16歳の心や、てらてら光るゴキブリの背に創造主の遊び心を感じるという作品。


P11 ミッションを遂げたる花や(みづ)(あくた)ながれてわれもかくあらましを

P79 ひさかたの光病みぬる夕まぐれ六道の辻に硝子ひさがむ


この辺は初級編。咲き切って水面に浮かぶ桜の花びらになりたいと願う作者。また光が衰えた夕暮れ、薄暗さは六道を連想させ、そこで硝子を売る自分を描写してみる。シュールだが、わかる。


P57 雪待てば小町来にけり永遠の未通女ブラックマターを抱け

P256 虹のいのち橋のいのちを生くるため 手弱女(たをやめ)ほろび千の(つぼ)ひらく


こうなると、中~上級編。わからない。でも不思議なことにイメージはできる。像を結ぶのだ。

これはどういうことなのか。


P29  われは笛、われはくちなは、われは空 死の後水の夢とならむか

P21 瀧斬らむクーデターなれ瀧斬らば三千世界(いし)とならむを

P88 異類婚・同性婚の犬妻と過ぐす夜黄金(くがね)も玉も何せむ


集中、このような作品が散見される。これはなおさんの言う「歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようにな」った水原の姿なのではないだろうか。笛にも、蛇にも、空にも、水の夢にさえ変化し、異類婚、同性婚も厭わない。瀧とは、おそらく自身の投影。他にも魚、しらほね、石などが投影の対象として頻出する。


肉体を持たない水原の感覚器は剝きだしである。ロゴスを超越した圧倒的なパトス。神託のように降ってくる言葉をほとばしるパトスに賦与するのが水原の作歌なのだ。その言葉とパトスの対応は万人に理解可能なものではない。しかし、水原の内部では、その両者は必然的に分かちがたく存在する。その必然が、一首の意味は不可解ながら、抗がい難い魅力となって立ち上がるのだ。


「えぴすとれー」はギリシア語で「手紙」。難解な手紙をもらってしまったものだ。生涯かけて読み解くほかあるまい。



  むらさきの花に似る名のハルシオン熟寝の床に播くひとつぶは




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by minaminouozafk | 2018-07-24 02:09 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)


10日以上続く炎天。


不要の外出はひかえているが、いつもの買い物ついでの忌宮神社。学校も早く終わったのだろう。

小学生が宿禰の銀杏の陰に座り込んでいる。やっぱり日陰だよね。少しでも陽射しを避けようと木々の影を歩きつつ大きな銀杏の木を見上げると葡萄のような可愛い白い実がたくさん。



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たしか昨年の9月のはじめに薄黄色の銀杏をみつけて驚いた。それより1ヶ月以上早い。色づく前の白い実。こんなに暑いのになんだかエネルギーに満ちている。きれいな扇形の葉っぱをためらうことなく青空に広げている。木陰でちょっと充電させてもらう。


そういえば、暑くなる前の6月の散歩の途中にたくさんの切れ込みが入ったアゲハチョウのような葉っぱの銀杏があった。まだ2メートルほどの幼木。よくみるとどの葉っぱにも多くの切り込みがあって扇形とはほど遠い。なにか化学物質による奇形だろうかと思って写真を撮っていた。



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不思議に思いちょっと調べてみた。


まず銀杏の葉っぱの形。どうして普通の楕円の形ではないのか。たぶん扇形は銀杏だけ。イチョウは細胞が新たに作られる領域が葉っぱの先端にあるらしい。ふつうの葉っぱは根本にある。だから先端の広い扇形になるらしい。ううぅん解かったような・・・


切れ込みの全く無い扇形は全縁葉。切れ込み1つのズボン型は2片葉。たくさんは多片葉。

幼木、ひこばえ、剪定後に伸びた枝は多片葉が多いようだ。

イチョウは雄雌の別があるがこれは関係ないようだ。

イチョウはイチョウ目イチョウ科イチョウ属の一族一種の植物で仲間はいない。

中生代の化石にも見られるように昔から独自の進化をしてきたのだろう。

化石の銀杏の葉っぱはたくさんの切れ込みがある多片葉。ダーウィンが生きている化石といったイチョウ。

ギザギザの多片葉から扇形の全片葉へは進化なのだろうか。



いわゆる古い大木の銀杏の葉っぱはきれいな扇形。



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まだまだ発展途上の幼木やひこばえには切れ込みがたくさんある多片葉が多い。



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いろいろと形を変えられる可能性があるのだろう。生まれたてはご先祖返りの形でゆっくりと大成していくのかも知れない。

たっぷりと白い銀杏を実らせている宿禰のイチョウの切れ込みのないきれいな扇形に納得。

まだまだこれからのアゲハチョウのようなギザギザ葉っぱの幼木も応援したくなった。




銀杏でいうとそろそろ切れ込みがなくなってくる齢だろうか。ふと自分の手をながめている。



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切れ込みがなくなり()しき扇形 公孫樹は葉っぱで齢がわかる







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by minaminouozafk | 2018-07-23 07:25 | Comments(7)

カノコユリ 大西晶子 

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         カノコユリ(宗像固有種)


わたしの住む宗像市の市の花はカノコユリだ。以前のことになるが市が「カノコユリを育てよう」というキャンペーンをして希望者に球根を配布したことがあった。そのときにもらった球根から育ったカノコユリは庭の土に合ったらしく、いまも毎年花を咲かせている。



 先日、毎月の市報が配られた時にカノコユリの鑑賞会のチラシが入っていた。市内だし花色の変異が見られるというので行って見た。



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カノコユリ研究会の方達が会場の公園で花を並べ、展示をされている。お話を伺うと、「DNA鑑定の結果、宗像の固有種は市内で咲くカノコユリの2割ばかりなので、もっと固有種を広めたい」と言われた。
 ユリの繁殖には球根の百合根を植える方法と、種を育てる方法があるとのこと。種は発芽して4年ほど経つと花を咲かせるようになるそうで、来訪者全員に2年物の鉢を配って下さる。



   
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        研究会の方達が世話をされているカノコユリ



これまでわが家の庭のカノコユリは市が配布したのだから当然宗像の固有種だとばかり信じていたのだけど、実は甑島産のものであること、もう何年前に配布されたのかを忘れていたが、2003年に玄界町が宗像市と合併した記念の行事だったことも分かった。



さらにカノコユリの白花のものを初めて見た。カサブランカが甑島のカノコユリを元に改良された花だということは知っていたが、並べて見ると大きさこそ違うが良く似ていて清楚だ。

さて、頂いた発芽から2年の育苗ポットのカノコユリ、2年後には何色の花を咲かせてくれるのだろう。おそらく赤い花だろうと思うけど、違う色目ならなお嬉しい。


 
   宗像の固有種でなきカノコユリ遠き島より来て庭に咲く 





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by minaminouozafk | 2018-07-22 09:08 | Comments(6)