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今、私たちが万葉集を暗誦できるのは、村上天皇の御蔭である。

そう言っても言い過ぎではないだろうと思う。


村上天皇は、

その当時すでに訓み方が分からなくなっていた万葉集の解読事業に取り組んだ。


万葉集の巻3に次の歌がある。


  印結而  我定義之  住吉乃  濱乃小松者  後毛吾松


歴史の途中で、この一首は次のように解読された。


  標結ひて 我が定「義之」 住吉の 浜の小松は 後も我が松


問題は第2句である。

この第2句の「義之」の訓には、どの時代の頭脳も悩まされたようだ。


さて、なんと訓じたものか。契沖も悩んだ、真淵もそうだ。

しかし、宣長には自信があった。


義之=テシ


  標結ひて 我が定めてし 住吉の 浜の小松は 後も我が松

  (印を付けて私のものと定めた住吉の浜の小松は、いつまでも私の松です)


なぜ、「義之」が「テシ」なの?

宣長はそれにも答えている。


テシは、「手師」(すぐれた書家)の意。


万葉集の成立した奈良時代は、唐朝の影響を強力に受け、王羲之の書法が尊ばれていた。

つまり、王羲之は能書の代名詞であったわけだ。


万葉仮名に書聖、王羲之の名の「義之」を織り込んで、テシと訓ませる。

楽しんでいるなあ。


今、九州国立博物館で「王羲之と日本の書」展があっている。


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     梅いちりん、ここが銀河の中心といふごと咲きてほのぼのかをる



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by minaminouozafk | 2018-02-28 11:29 | Comments(8)

本阿弥秀雄氏の著作『いただいた句200 すえひろ句会交友記』(いりの舎)を読んだ。

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本阿弥書店顧問。

筑紫歌壇賞のご縁で、何度か御来福下さり、お話しする機会をいただいた。柔らかな物腰と話の随所に垣間見える知の厚みが印象的な方である。


本阿弥氏は、俳人であり、歌人(歌集『ワープ』『スローな日夜』『しばらく』『傘と鳥と』どれもいい歌集であるが、今回は残念ながら短歌作品の鑑賞はなし)。


俳句と短歌。この似て非なるものの間に流れる川は深くて広い。

5・7・5と5・7・5・7・7。下の7・7の有無で大きく変わる世界観。形式が似ているからこそ取っつきにくい最短の文芸、俳句。その細道の隈ぐまを照らしつつ、鑑賞へ誘ってくれる本書を読んで気づいたことをランダムに書いてみる。



   黒南風や書架に和綴の八犬伝   戸恒東人


227回の句会で本阿弥氏が採った作品。

本阿弥氏の鑑賞によってその場の景が詳らかにされる(そこはぜひご一読を)。

季語は「黒南風」で夏。季語とはまるで、能舞台の依代の松のようだ。杓子定規なようでいて、実はとても自在。作者と読者に交わされた約束はインタラクティブに共通した世界観を構築する。梅雨最中の重い空気が室内を圧している気配が身体感覚として伝わってくる。続く切れ字「や」の働きの確かさに唸る。「黒南風」が描出した重厚な空気感を「や」が固定する。詩的空間が整ったわけである。そしてそこから一気に「書架に和綴の八犬伝」。梅雨の湿気と、いやそれ以上に時間の嵩を秘めて和綴の『八犬伝』は書架にある。動詞を全く含まない一句の、この坐りの良さに驚く。究極まで削ぎ落とした言葉の美しさ、潔さ。短歌の下の句7・7がなんだか野暮に思えてくる。

抒べすぎてはいけないのだ。抒べてもこころは伝わらない。描写を尽くしたところに生れるこころの形を俳句に教えてもらった。


印象に残った作品をいくつか。


・折紙にある山と谷養花天  嶋田麻紀

・ピケティの本の山積み春休み  清水和代

・新しき足跡浜に西行忌  勝又民樹

・はんかちの花をひろひぬ老紳士  間中惠美子

・水の輪の中に水の輪葦の角  間中惠美子

・初夏の猫にもありし玉の輿  浅井民子

・泣く赤子抱けばのけぞる溽暑かな  戸恒東人

・母の日の母いそいそと馬券買ふ  佐藤宏之助

・蟻地獄遷都は夢の神楽殿  合谷美智子

・雨雲に目の伸びきつてかたつむり  勝又民樹

・ぼうたんに正中(せいちゅう)といふ据ゑどころ  清水和代

・石佛に銅貨アルミ貨秋の冷  清水和代

・白塗りの亡者飛び入り踊の輪  合谷美智子

・かなかなの国へとつれてゆかれさう  深沢暁子

・廃村の桑の根つこに雪積る  佐藤宏之助

・這へば立てファーストシューズと冬帽子  浅井民子

・橋ひとつづつ年明くる隅田川  駿河岳水



春風邪(ふうじや)引きたるわれにさすたけの君が差し出す行者大蒜


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良い本は美味しい羊羹とお茶で。
パッケージが素敵。




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by minaminouozafk | 2018-02-27 02:36 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)

the Diet  百留ななみ


英語が得意な知人。お母様は短歌人の所属でずっと歌を詠まれていて80歳を超えられた時に安否確認のために渡した携帯電話のメールで、毎朝短歌が届くようになったという。ときどき返歌をするが、短歌なんてバカバカしいと思っているようだ。

そんな素敵な彼女は自宅で英語の勉強会を開いている。日々日本語もままならない私だが、誘っていただいたので一度参加してみることにした。


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まず配られたのは Asahi Weeklyの英字新聞。簡単なコラムを読むらしい。いつも参加のメンバーは英字新聞購読者で予習してきている。まず久しぶりの英語にちょっぴり高揚感。ざっと見てわからない単語を電子辞書でと思うのだが、いつも使っている広辞苑と違いひどく手間取る。


 記事のタイトルは The Diet Building

導入は日本語表記があり「国会議事堂」を訪れてのコラム。

ダイエット、われわれ日本人はよく使う。もちろん痩せること。

I am on a diet.(私はダイエット中です。)


diet 1 原義:食物à1日の食事 ①飲食物 ②(治療・減量・罰のための)規定食

diet 2 原義:食物à1日の旅程、集会にあてられた1日 ①(日本などの)国会


the Diet the をつけて大文字で書くと国会という意味になるらしい。どちらも原義は古代ギリシャ語。英和辞典にはこのように書いてあるがわかりにくい。アメリカでは congress、イギリスでは parliament と議会のことを言う。


メトロ千代田線の国会議事堂前の駅名表示の補足で National Diet Buildingとあるらしい。


ダイエットが国会議事堂をあらわすなんて初耳でした。今日の参加のトリビアです。


その後の英語のみの会話。引きつった笑顔で無口な私。



母国語である日本語でもその斡旋はむずかしい。いっそのこと英語ではと思ってみたが、あっけなく玉砕。しかし言語はコミュニケーションの手段。いろいろな言葉、いろいろな国の人と交流するのは楽しい。


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もうすぐ雛祭り。日本の文化も上手く発信できたらと思う。


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言ふべきを伝へる手段が言葉なり英字新聞やつと読み終ふ







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by minaminouozafk | 2018-02-26 07:35 | Comments(7)

光の道まつり 大西晶子

宮地嶽神社にはオガタマノキがある。昨年の知津子さんの当ブログの記事で2月に花が咲くことを知り見に行ったが、今年は寒さが厳しかったからか、まだ咲いていない。

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 オガタマノキの蕾

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オガタマノキ


オガタマノキの花は見られなかったが、217日から25日までは宮地嶽神社の「光の道まつり」の期間中。午後2時から、入日を見る席(参道の石段)に座る整理券(無料)を配っていた。もうかなりの数の人が並んでいたが並んで、もらった。

JALの嵐のCMで有名になった宮地嶽神社の海から神社まで一直線の〈光の道〉。

放映された一昨年から、10月と2月に夕日が参道の果ての海に沈むのを見る人が集まり、「光の道まつり」が開かれている。

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午後2時
中央に見える道の先に入り日が見えるはず

 
 日没は18時8分、一度家に帰って夕食のしたくをして出直す。
 宮地嶽神社にふたたび着いたのは17時40分、駐車場はすでにほぼ満車状態。急いで参道の石段に向かう。



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もうたくさんの人がカメラを構えて、夕陽を眺めていた。たしか整理券を手渡されたときに「このまま列で待っていたら5時に階段にご案内します」と言われたような。ずーっと2時から並んで待っていた人も居たのかしら。


夕陽は思ったよりも小さいが、赤く輝いている。知らない人たちと並んで夕陽を見ているのも悪くない。なんだか和やか。
 しばらくすると水平線ちかくの靄のような雲に夕陽が隠れ、あたりの人達は帰り始めた。私はもう一度お参りをして帰ることにする。

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ひと気の少なくなった境内には灯籠に灯が入り、これもまた雰囲気が良い。もう誰も座っていない石段を参道の灯を見ながらゆっくり降りた。
 あたりは薄暗くなったが、まだ名残惜し気に、階段の途中で立ち止まりカメラを構える人も居る。

 さながらに補陀落渡海送るごと海に沈める入り日をながむ  晶子




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by minaminouozafk | 2018-02-25 07:00 | Comments(7)

ご近所の春  栗山由利

 立春からそろそろ三週間が過ぎる。この冬は本当に寒かったなどと言うと、もっともっと寒い地方の方から笑われるかもしれないが、今年は夏がやって来ないのではないかとさへ思えたほどだ。


 だが、およそ生活圏は徒歩ですむような私のまわりにも、ぽつぽつと春の兆しが見え始めた。

通勤で歩く歩道の脇の植え込みにこっそりと咲いている水仙を見つけた。蕾の時は全く気づかなかった。そして橋を渡って行くスーパーへの途中、毎年見事な花を見せてくれる下がり梅ははちきれそうな蕾をその細い枝先にたくさんつけていた。そのお隣のよく手入れされた庭には今が盛りと咲く八重の花。わが家の庭は寂しくてもご近所の庭で四季を感じている。


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 そして川べりの道を行くと、道にも落ちてたのんびりの春。猫さんがアスファルトの道の端っこで寝そべっていた。声をかけると大きく伸びたり、ゴロンゴロンと身をくねらせて全く無防備状態である。陽射しが強くなって地面も暖かくなったのだろう、手足を縮めて縮こまってはいない。地面の暖かさをその毛の間に溜め込むかのように何度もゴロンゴロンを繰り返す。しばらく猫と話していた。


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 春はそこまで来ているんだなあとちょっとだけ嬉しくなった私は、買い物の最後にカートの上に小さなガーベラの花束をのせた。家に帰り、二匹の猫の写真に花を添えて春が来てるよと報告をした。


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    小さき春ひろひあつめて手籠からあふれてきたら さあ飛びたたふ


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by minaminouozafk | 2018-02-24 05:00 | Comments(6)

ブログ開始の頃、紹介を書いたアクロス一階のコミュニケーションエリアで毎月二度、第一、第三木曜日12:1513:00までフロアコンサートが開催されている。(もちろん無料)
九響メンバーによる演奏や、西日本オペラ協会会員によるミニオペラ、琴や三味線まで毎回素晴らしいプロの演奏や歌声が堪能出来る。

今月第三木曜は、福岡室内楽協会から
ソプラノ 松竹玲奈さん
クラシックギター 橋口武史さん
チェロ 田村朋弘さん

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数曲、ギターとチェロの演奏ののち、
ソプラノの松竹さんはお二人の伴奏が始まると、まさかの演出で客席の間を歌いながらの登場。

C
.サン=サーンスの〈白鳥〉、GF.ヘンデルの〈私を泣かせて下さい〉等、どなたでも馴染みのある曲を演奏のみを含め9曲、素敵な歌声を披露して下さった。
曲の間には、バロックの楽しみ方を話され、客席との距離感の無さがこのフロアコンサートの楽しさでもある。


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最後の曲は「カッチーニのアヴェマリア」
ずっとカッチーニ作曲とされていた『アヴェマリア』が今世紀に入りロシア(旧ソ連)の作曲家ウラディーミル・ヴァヴィロフが作曲したことが判明したことなど、トリビアも語られ「曲が良ければ誰の曲でも良いのです」と音楽を愛するお言葉が印象的。

アンコール曲は「早春賦」を皆さんと一緒に歌われて、来館の皆さまも笑顔の短くも充実した1時間弱だった。

フロアコンサートは、毎回10:30頃から公開リハーサルも行われ、この時間から楽しまれている方も多い。

さて、この日の福岡室内楽協会は、今年で20周年。
4
30日にアイレフで記念コンサートが行われます。
興味のある方は、Facebookのチエックを。


この数日後、実家の帰り道の渋滞に巻き込まれ、頭の中ではカッチーニのアヴェマリアがリフレインしながら、ゆくりなくオレンジ色の太陽が沈んでゆくまでをじっくりと堪能することができた。


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      満潮の川の辺を打つ水音のひびきやさしく聞こえきて春


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by minaminouozafk | 2018-02-23 07:26 | Comments(6)

糸瓜の実  鈴木千登世

その人はのぼさんと呼ばれていたという。

上野で北斎展を見た日、その余韻に浸りながらもう一カ所訪れたかった場所へと向かった。

上野の国立博物館の脇を抜けて、鶯谷駅の横を通り、根岸小前を左折してしばらく歩く。
根岸、子規が晩年を過ごした町。

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町の一角に、懐かしい風情の門構えがあった。

子規はここに明治27年から同35年に亡くなるまで母八重と妹律と住んでいた。

建物そのものは戦争で焼けてしまったのを寒川鼠骨らが尽力して元あったままに再建されたという。子規が亡くなった後に縁側や浴室などが造られて建物は子規の住んでいた当時そのままではないけれど、戦後からの時間は建物をほどよく古びさせ、往時をしのばせる。


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内から見た玄関。子規が住んでいた当時はガラス戸ではなく、木戸を開けるとそのまま玄関の靴脱ぎだったそうだ。


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病室は六帖間。

病床に伏す子規が庭を見ることができるように戸には当時まだ珍しかった硝子がはめられていた。座机も伸びなくなった左足を立てて座れるようにくりぬかれていた。



いくたびも雪の深さをたづねけり     子規


のぼさんが降る雪を見つめたガラス戸。


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「我に二十坪の小園あり。(中略)場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥翔る様もいとゆたかに眺めらる。」『小園の記』

座机の向こうには小さな庭。当時とは植えられている植物が違っているけれど、なるべく元のようにしたいと案内人の方がおっしゃっていた。

訪れたのは12月の中旬。
なのに、ガラス戸越しに糸瓜の実がゆっさりゆっさり垂れていた。



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歌会には左千夫や節が参加したという。

句会には虚子や碧梧桐はもちろん、鴎外や漱石も訪れたという。

再建されたものなのに、この部屋を訪れた人の気配、伏している子規の気配がするようだ。

作品の生まれた場所に居合わせているのだと思った。



冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ    子規

をととひのへちまの水も取らざりき   子規




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庭から部屋の中を覗く。


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石碑の向こうが子規庵。



鼻濁音やさしく子規を語りたりとうきやうの人はガラス戸を指し


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by minaminouozafk | 2018-02-22 06:24 | Comments(7)

友人がスクワットをはじめた。

思うことがあったらしい。

とりあえず習慣になるまで続けると言う。



じわーっじわーっとスクワットをする友人を横目に、

もう一人の友人は大儀そうに壁にもたれている。

この季節になると毎年こんなだが、今年はとくにシンドイと言う。

〈芽吹く〉体質なのだ。



私は、眼下にラグビー部の練習を眺めながら、

「スクワット、習慣になるまで、続けられるといいね」と言い、

今年はどこが芽吹くかな、と思っていた。



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  あめつちのあはひの出逢ひうれしくて飛行機雲に手を振つてみる



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by minaminouozafk | 2018-02-21 06:52 | Comments(7)

母の右膝手術とそれに伴う入院、退院後の養生の関係でここ2ヵ月、かなりの頻度で実家に帰っている。

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父作の布袋。
玄関の蹲の横に置いてある。
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実家の紅梅が咲き始めていた。


母は今年86歳になる。認知はクリアで内臓疾患も皆無。性格はほがらかで、友人も多い。まだまだ余命が長そうなので、ここらあたりで膝の治療をしておいてはどうかという医師の勧めで今回の手術の流れとなった。


担当医の見立ての通り、術後の経過も順調で、86歳とは思えない回復力らしい。それはとても喜ばしいのだが、やはり高齢で手術を受けた後の不自由さを考えれば放っておくわけにもゆかず、週末には様子を見に帰っているのである。福岡から一部高速を使って、車で約3時間。他に交通手段はない。正直、移動がきついこともある。


核家族化が進み、その上高齢社会になった現況下で、この手の役割を担うのはほぼ娘。私にも兄がいるが、こういう時には当然のように戦力外。少々、理不尽。そう思う一方で、こんなことを考える自分の薄情さに落ち込む日々を送っていた。


すると先日、やはり術後の父上を看病している友人Kさんがフェイスブックにこんな記事をシェアしてくれた。


「親の面倒をみることを心が拒否するのは仕方ない」


なかなかショッキングな記事である。あるサイエンスライターによると、同じような事態でもわが子に起こったことなら身軽く、懸命に尽力できるのに、親のこととなったら途端にモチベーションが下がってしまうという現象は、DNAのなせる業だというのである。そもそもあらゆる生命体には子の面倒はみても、親の老後をみるという遺伝子はプログラミングされていない。人間も数十年前までは子どもが育ちあがって間もなく他界するというライフサイクルを生きていた。親の長い老後とどう向き合うかというテーマはごく最近クローズアップされてきた問題なのだ。


なるほどなあ。たしかにそうだ。娘に関しては実に様々な問題があったが、それを解決するための労を惜しんだことはない。自分のどこにそんな力があったのかと思うような驀進力でぐいぐい行った。あの源はDNAであったのか。


サイエンスライターの言葉は続く。


DNAに組み込まれていないことをするのはものすごい苦痛を伴う。わが子の面倒はいつまでたってもみられるが、親の面倒をみることを心が拒否するのは仕方ないことかもしれない。けれど、今、そのプログラミングされていない、親の介護を理性の力だけでやろうとしている人たちは尊敬に値する。


偉そうなことを書いたが、考えてみれば私はたかだか、週末に実家を訪れるだけである。世間にはずっとずっと深刻な介護に心身ともに疲弊し、自責の念に傷ついている人がいる。そんな介護者にこのDNAのプログラミングの仕組みを知ってほしいと思う。遺伝子の指令に逆らって日々健闘している自分を労ってあげてほしいと思う。そして心に余裕ができたら、親もまた、その裡に子を思うDNAを秘めていることを思い出せるといいなと思う。目の前にいるこの人は命に代えて自分を守ってくれたのだ、いや今だってそうするつもりなのだ。だったらもう少し頑張ろうかな…。


遺伝子は基本Pay Forward. でもせっかく人間に生れてきたのだから少しだけPay Backしてもいいかもしれない。海岸沿いを運転しながらそんなことを考えた。

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   西北風(にしぎた)に吹きッさらしの黄水仙「うんにゃ、うんにゃ」と首横に振る

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by minaminouozafk | 2018-02-20 02:44 | Comments(7)

 

 風はまだ冷たいが、海峡はきさらぎの陽を受けきらめいている。

国道9号線の海側、関門橋の橋桁近くに壇之浦漁港はある。


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 ちょっと前までは中華料理店〈敦煌〉がすぐそばで、二階のテーブル席からぼんやり眺めていた。

 今は海沿いを高層マンションが並んでいる。

 たしかこのあたり・・・

 いつも通る国道。ほんの100メートルほどだろうか。国道沿いに舟屋のような家がならぶ。海に抜ける路地があったはず。



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むかしむかし11853月壇ノ浦の合戦がありました。

平家は幼い安徳天皇とともにこの海に沈みました。

平家の残党はこの地で再起をうかがっているうちに漁師として生活するようになったといいます。

これが壇之浦の漁師のはじまり。

だから潮の流れの早い海峡の船のなかでも、けっして正座を崩さない。

正座のままで漁をする。

海の底には安徳天皇そして平家一門が眠っているから。


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美しい連子鯛を〈小平家こべけ〉と呼び、甲羅が怒った顔に見える蟹を平家蟹という。

路地を抜けると、蛭子神社。そして海側から見ると、やっぱり階下が船着き場になっている舟屋。

春の陽に洗濯物がゆれている。船も手入れが行き届いている。でも人の気配はない。

高層マンション群の向こうには観覧車も見える。

すぐそばの関門橋をくぐり大きなタンカーが目の前を過る。なんとなく懐かしい不思議な光景。


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久しぶりの陽差しをカモメたちはたっぷり浴びようとしているのだろう。防波堤にならんでいる。


鳩もやってきた。


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だんのうら正座のままで漁れる平家の裔の男ありけり




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by minaminouozafk | 2018-02-19 08:19 | Comments(7)