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今日はハロウィン。

わが家では特別なことはしない。

南の窓辺の椅子のこの人ジャック・スケリントンとその愛犬ゼロは、一年中ここに座っている。なぜなら彼は、娘の初恋の人だからだ。


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16年間、わが家の動静をうかがってきたジャックとその愛犬ゼロ



娘が3歳の頃、ディズニーストアにいたジャックをどうしても家に連れて帰りたいと言ってきかなかった。根負けして買ってやるとその日からジャックと娘は片時も離れることはなかった。いつも、どこへ行くのも一緒。七五三の写真撮影にもジャックを連れていくと言い張ったし、実家に帰る時も連れ帰り、私の母にお守をさせていた。ハロウィンの仮装のときはもちろん、当時写真を撮るときのキメ顔はジャックの笑顔だった。


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私の顔が悪魔みたいで怖い…
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一体なぜ娘はこんなキャラクターを愛していたのか。

ジャックを迎えてから、彼がが登場する映画をレンタルした。


ジャック・スケリントンは『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の主人公。奇才ティム・バートン監督原作の物語で、1993年に映画化されている。あえてモノクロで撮影された映画の画面は物悲しく、そこにあるはずの色を想像させ、何度見ても飽きることがなかった。3歳の娘がこのモノクロ映画をどう楽しんでいたのかはわからない。でも、私以上にこの映画にはまり、このビデオを返しては借り…を幾度も繰り返した。


ストーリーはこうだ。

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ハロウィンランドの王、ジャックはある日、パラレルな世界のクリスマスランドを垣間見てしまう。そこには自分の知らない美しい色彩や、善意、感謝といった幸せなオーラが満ち満ちていて、日ごろ悪戯で人々を困らせてばかりいる自分が情けなくなり、どうにかして人から感謝されたいと思うあまり、その年のクリスマスを乗っ取る計画を立て、それを実行する。しかし、結局は付け焼刃。骸骨のトナカイが引く橇に人々は怯え、気味の悪いプレゼントに子どもたちは絶叫する。事態の収拾を図るために、橇を撃ち落とすミサイルまで出動し、ジャックの企みはさんざんな結果に終わったのであった。ジャックに誘拐されていたサンタクロースが急いでノルマをこなし、その年のクリスマスもなんとか事なきを得たのであったが、その時のサンタのセリフがこれ。


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ふむふむ、これは要するに、置かれた場所で咲きなさい(by 渡辺和子)的な、教条的な何かを咀嚼しなければならないのかしら…。だとしたら、ちょっとめんどくさいなあ。ティム・バートンがそんなお利巧さんなことを言うかしら…、などとあれこれ考えている私の横で、


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ファンキーな骨骨ダンスを踊る娘。


ああ、大人になるということは、つくづく詰まらない。荒唐無稽な物語の荒唐無稽を楽しまず、いつも意味を探している。そんなこと忘れて無邪気に邪気を楽しみましょうよ…。


ハロウィンが楽しいのはそんな気持ちになれるからなのだろう。



取引はしないよ小さな魔族たち お菓子を食べよ悪戯もせよ



ハロウィンの夕餉はカボチャのスープにすジャックの脳味噌スープと名付け


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by minaminouozafk | 2017-10-31 02:43 | Comments(7)

亀日和 百留ななみ

秋のひかりのなか。

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関門海峡をのぞむ亀山八幡宮に亀の池がある。

朱の赤間神宮と比べると地味で観光客もほとんどいない関の氏神様。

父母のマンションと同じ町内で、ときどき訪れる。


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拝殿でお参りをすませると、さわやかな風のなか、銀杏の匂いがする。匂いの方へ用心深くすすむと、たくさんの銀杏が干してある。さてと見上げると左手に大きな公孫樹の木。


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それは境内社であるお亀明神社のなか、亀の池のそばの〈お亀いちょう〉。


関門海峡そばの亀山神社はむかしは島だった。江戸のころ陸続きにしようとしたが、急潮のためなかなか工事がすすまないとき「お亀」という女性が人柱となって、なんとか陸続きになったという。そのお亀さんの霊を慰めるために植えられた銀杏の木が〈お亀いちょう〉。この秋もたくさん実っている。

お亀さんを祀っているのがお亀明神社。亀の池にはたくさんの亀。



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小春日和の午後。

関門海峡、対岸の門司もくっきり。海も空も青い。

亀にはすぐそばの海は見えない。

静かな穏やかな秋の陽そのままの亀の池。

ゆるい時間の亀ワールド。


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亀の足ってこんなに長かった!?びっくりのリラックスモードの亀、かめ、かめ。

よいしょっと仲間の甲羅を乗り越えて甲羅干し。

甲羅の色も模様も大きさも各々違う。

お日様が気持ち良すぎるのか亀たちはみんな石の上をぎこちなくゆっくり移動する。

私もしばらく亀時間。



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唐戸市場まえの国道沿い、亀山八幡宮の大鳥居のすぐそばに金子みすゞの詩碑がある。駐車場となっている場所にあった三好写真館。みすゞが26歳で服毒自殺をする前日に写真を撮ったところだ。

詩碑の作品は「鶴」


鶴  金子みすゞ

お宮の池の丹頂の鶴よ。

おまへが見れば世界ぢゆうのものは

何もかも網の目がついてゐよう。

あんなに晴れたお空にも ちひさな私のお顔にも。

お宮の池の丹頂の鶴が

網のなかで靜かに羽をうつときに

一山むかうをお汽車が行った。


お宮の池!?には昭和のはじめには丹頂鶴が網の中で飼育されていたのだ。亀だけでなく鶴も。もっと池は大きかったのだろうか。そもそも丹頂鶴って簡単にお宮の池なんかで飼えるのかしら。みすゞは亀山八幡宮の詩をいくつか残していて亀の作品もある。


噴水の亀  金子みすゞ

お宮の池の噴水は

水を噴かなくなりました。

水を噴かない亀の子は

空をみあげてさびしさう。

濁った池の水の上

落葉がそっと散りました。


お宮の池には噴水もあったらしい。みすゞもよく訪れたように今以上に賑わっていたのであろう。動物園や水族館もない時代、お宮はひとつのアミューズメントパークでもあったようだ。


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亀は万年、鶴は千年という。実際、生存している亀で長寿なのはセ-シャルセマルゾウガメのジョナサンで推定年齢183歳のようだ。だから、亀の池の亀の長老は鶴のことを知っていると思う。ねえ知ってる?噴水もあったのかしら?亀たちは亀ペース。


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秋の陽を両足までしっかり浴びてゆっくり体位を変える。長寿の秘訣はこののんびりモードにちがいない。忙しくバタバタした生活においていかれないように・・・と思いつつ気がついたら、なんだか波に乗れていないことがしばしば。それはそれで良いかもねって亀たちに背中を押してもらい、ちょっとほっこりした午後でした。



手も足もゆったり伸ばす亀とゐて秋のひかりに心ほろほろ




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by minaminouozafk | 2017-10-30 08:40 | Comments(7)

沼杉  大西晶子



 先週の週末は台風21号の影響で大雨だった。また、この週末も台風22号の影響で雨だ。その間の寒くも暑くもない晴れた日に、以前から一度行ってみたいと思っていた篠栗の「九大の森」に行って来た。

水辺に木が立つ幻想的な風景がネットで評判になって以来、旅行会社のツアーなども寄る場所だ。

 「九大の森」の場所の篠栗町は、宗像からは犬鳴き峠を越えると近い。
古賀・筑紫野線の道路を左折すると福岡東鉄工団地、とても森がありそうではないのだけど、更に右折すると池とまわりの樹々が見えて来た。

北駐車場から、歩きはじめる。


入り口には入場者数を数えるカウンターが設置され、杖が置いてある。舗装されていない道にはどんぐりが沢山落ちている。秋だねーなどと言いながら歩いて行くと、次々に人に会う。


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ご夫婦らしいカップル、女性同士、植物の勉強会?と思われる20人くらいのグループ、背広の中年男性の5~6人連れ(市か町かの議員さんあたりの視察かしら)、、、、。



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 順路にはもみじの広場、さくら広場などがある。きっと季節が合えばお花見や紅葉狩りもできるだろう。
テーブルとスツール、ベンチなども用意してありのんびりとくつろげる。
気持ちのよい風にふかれ、木々のみどりに目が喜ぶ。




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ここの一番人気は池の水面から木が生えている「水辺の森」エリア。
水は無かったが、スカートが広げたような樹形が珍しい、落羽松(沼杉)がたくさん並んでいる。
 その周囲にはタケノコのような突起が地面にこれまた沢山出ていた。調べてみると、膝根。呼吸のための気根だそうだ。立っているミーアキャットの群れの背中を見ているよう。

樹形がめずらしい沼杉は北米原産の木で、枕木などに使われるという。木の高さは40メートルにもなるらしい。

沼杉を見ていると、ポール・デルヴォーの上半身は人、下半身は木の女たちの絵(題が思い出せない)を連想する。
満月の夜には沼杉がうつくしい女性の上半身を持つものになり、人の見ていない処で妖しく踊ったりしているのでは、、、、?などと想像すると楽しい。



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地面にはじくじくと水が流れ、水の音もするのに、池の水位が下がったらしく木の地面から4~50センチのところにくっきりと線がはいっている、そこまで水に浸かっていたのだろう。

今回は水面から木が出ている光景は見られなかったが、とても気持ちの良い秋のひとときを楽しんだ。
一周すると2キロほどの散歩コース、時々行ってみたい場所がまた増えた。

    

   しづしづと歩く木の列見るならん月のよき晩沼のほとりで 晶子

 




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by minaminouozafk | 2017-10-29 08:49 | Comments(6)

窓辺に猫  栗山由利

 まずは皆さまに御礼申し上げます。皆さまの応援の甲斐もあり、ソフトバンクホークスはパ・リーグ王者として輝くことができました。ありがとうございました。今日からはじまる日本シリーズもまた目が離せません。エノコロ軍団も応援頑張ります。


 目といえば、自分が誰かからどこかから見られているような、そんな感じを抱く時がある。先日の朝の通勤の時がそうだった。いそいで歩くいつもの道で何となく感じた視線に周りを見渡すとやはりいた。バス通りにあるお茶屋さんの二階の大きな窓から、うちのトラちゃんに似た茶キジの猫がじっと通りを眺めていた。ビビッと来たのは猫の視線だった。


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 猫には窓辺がよく似合うと以前から思っていた。私の家は角地に建っており南に向いて大きな窓がある。20メートルほど先の川べりの道は、車の往来もあるが恰好の散歩道になっていてウオーキングする人が一日中絶えない。好奇心旺盛だったいねは家中の窓からのチェックは欠かせない毎日のルーティンだったし、今居るたねは南向きの縁側に置いている猫専用の籐椅子の上が定位置で、その寝姿はご近所さんの癒しになっているようだ。


 一枚の写真がある。8年前、トラが体調をくずし食も細くなって点滴で命をつないでいた頃のたねとのツーショットだ。体がふたまわりも、それ以上も小さくなってしまい、すっくと立っておれないトラの横にたねが座って外を眺めている。ただそれだけのことで、勝手な想像かもしれないが二匹の間に流れる空気感が何ともいえず写真におさめた。


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 猫に近い私もこの縁側からの眺めが好きだ。間取りが決まった時から、歳をとってゆっくりとした生活になったら、ここに籐のロッキングチェアを置いて日がな一日外を眺めながら過ごそうと決めている。そうなるにはまだ少し時間がかかるようだが…。それまでにまだ頑張らないとならないことが山積している。


    開かねば飛び来るものはないものと心の窓は南に開く


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by minaminouozafk | 2017-10-28 10:29 | Comments(7)

冬支度  大野英子

つい、この間まで残暑の厳しさを言っていた気がするが、秋雨前線と季節外れの台風が去ると、朝夕、しっかり手足の冷えを感じる。


冷暖房の必要性がなく、穏やかな心で(ホークスファンならば、お馴染みの台詞)過ごせる時期は短い。

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三週間前、庭木の剪定と朝の草取りを終えたばかりの実家の庭。

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県短歌大会のため、一週間行けず、先週末の庭がこちら。
あまり変わりはないように見えて大きな石の周りに新しい命が。

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花が終わった後の彼岸花の葉。

花が枯れ、無になった土からむくりと立ち上がり、春まで艶やかなふかみどりが大きく育ってゆく。

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水仙の芽も出ている。

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つわぶきもあちこちに蕾を付けて開花一号。

つわぶきを見ると、高野さんを思い出す。
ベランダに冬の黄(とも)すつはぶきの花びら菊科なること(かな)

                  『無縫の海』

保育所は昼寝どきらし()()の葉がルソーの蛇を()ぶがにそよぐ
      最新作、歌壇11月号巻頭歌一首目に詠まれていた。

早苗さんの今週のブログ「ぼくの細道うたの道」紹介のなかで高野氏の慎ましい生き方を書き、詠まれていたが、つわぶきを愛することもお人柄の表れだと思う。

つわぶきや彼岸花、冬に光合成する葉は、効果的に光を取り込むようなソーラーパネルの役割なのかと思う厚みや艶が魅力的。

冬に咲く花達や次の季節のために頑張る葉をしっかり見守らなければと思うと、おのずと周囲の草取りにも気合いが入るというもの。

今朝は雲が多くて見えなかったが、夜明け前の南の空にはオリオン座と冬の大三角がまたたいている。

     冬には冬の庭を点せる花あかり待つとき楽し揺るるつはぶき


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by minaminouozafk | 2017-10-27 07:25 | Comments(7)

ある日、妹がガラスのペンをプレゼントしてくれた。

誕生日でも何かのお祝いでもなく、お菓子をお裾分けしてくれる時のような感じで「はい」と手渡してくれた。文房具店で一目惚れして、自分用の一本だけでは満足できずに私に贈るという名目でもう一本買ったのだという。



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実はその時までガラスのペンがあることを知らなかった。貰ったのはごくごくシンプルなペンなのだけれど、ガラスならではの透き通った美しさと手に馴染むほどよい重さにすぐに魅了されてしまった。書き味も良い。



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インクにつけると先端のこの溝にインクが吸い上げられてかなりの文字が書ける。(毛細管現象というのだそうだ)書くうちにインクの濃淡が生まれ独特の味わいとなる。溝にインクが入るとまた美しい。

てっきり外国で作られたものと思っていたら、明治時代(1902)に日本の風鈴職人によって考案されたものという。風鈴とペンがどこで結びついたのだろう。ネットで検索すると美術工芸品と呼ぶべき美しいペンの画像が次々と現れる。実用的でありながら、持ってるだけで嬉しい道具。 


 朝夕の急な冷え込みに公孫樹の黄葉が一気に進んでいる。読書の秋、物思う秋、人思う秋。なかなか会えないともだちに手紙を書くのによい時分となった。



ひらがなの多き手紙を君に書くハロウィンに沸くとうきやう思ひ

青インクは冬の匂ひと思ひたりガラスのペンで様と書きつつ


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前の職場のお隣さんからいただいたクリップ。これも持ってて嬉しい。


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by minaminouozafk | 2017-10-26 06:22 | Comments(7)

高校の現代文の教科書(第一学習社)をもらった。


「短歌と俳句」の単元がある。それは、

「犬」「猫」「「走る・歩く」「飲む・食う」というふうに分かれている。


「犬」の章の短歌4首をご紹介しよう。



  日のくれに帰れる犬の身顫ひて遠き沙漠の砂撒き散らす

                       大西民子

  白き犬水に飛び入るうつくしさ鳥鳴く鳥鳴く春の川瀬に

                       北原白秋

  目のまへの売犬の小さきものどもよ生長ののちは賢くなれよ

                       斎藤茂吉

  我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる

                       島木赤彦



よく揃えたものであると思う。こんなに趣の異なる歌をーー。


と、なにげなく奥付の頁をみると、

歌人の協力者(著作者)が、佐佐木幸綱さんであった。

           (昨日の早苗さんの記事の、比呂美さんの装画にもご登場)

ならば「猫」も「蝶」も「走る・歩く」も「飲む・食う」も楽しみだ。


ところで、

白秋と犬と言えば、どこかに写真が載っていたはず。


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                〈岩波版全集より〉


原っぱのようなところに、白秋と犬がいる。大きそうな犬である。

白秋は犬に触れているように見える。何を語らっているのだろうか。


しかし、惜しい。

「白き犬」ではなかった。胸のあたりは白そうなのだけれど。



  秋の日に耳をさはれば思ひ出づ耳さはりつつ覚えたる歌



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by minaminouozafk | 2017-10-25 05:23 | Comments(7)

『高野公彦インタビュー ぼくの細道うたの道』(本阿弥書店)を読んだ。本書は平成286月号から翌年5月号までの12回、「歌壇」に連載され、さらに連載終了後の6月号に「高野公彦氏への20の質問」が掲載されたのを一冊にまとめたものである。以前は、次号が待ち遠しくてじりじりする感じがして、連載が苦手だったが、最近は「前はどんな話だったかしら?」と、薄れゆく記憶を辿るところから始めねばならず、理由は異なっても連載を読むのが苦手な私にとって、本書は待ちに待っていた一冊だった。



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装画は水上比呂美氏。
誰の顔だかわかるかな?



「あとがき」より引く。

芭蕉をもじった「ぼくの細道うたの道」は、私の生まれ育ちや、短歌との出会いや、宮先生夫妻との接触や、その後の短歌との関わりなどについて、普通にしゃべるような言葉で話している。四国山脈から流れくだって瀬戸内海にそそぐ肱川の河口の小さな港町に生まれた日賀志康彦という少年が関東に出てきて、やがて高野公彦という短歌の好きな人間になって自分の歌を探し求め、短歌に深入りしてゆく様子が、本書の中心的な流れである。




「本書の中心的な流れ」の柱となっているのが、『水木』から『無縫の海』までの15冊の歌集。「この歌集のころは…」と、作品を引用しつつその時代の空気を伝えてくれている。


現代歌壇の中心的人物である高野氏は言うまでもなく「コスモス」の編集人。かつては「棧橋」のご縁もあり、会ってお話をうかがったことも少なからずあったはずなのだが、初めて聞いたという内容も多く、話というのはただすればいいというものではなく、本質を明らかにする聞き手が重要なのだと、栗木京子氏の質問力の高さに感服した。


印象に残ったことをいくつか。


・第1回「生い立ちから上京まで」の最後のあたりに、高野氏は高校時代器械体操部であったことが明かされている。平行棒の上で倒立ができたのだそうだ。50代までは倒立ができたというから驚き。以前から胸筋の厚さと上腕筋の太さに注目してはいたが、そんな過去があろうとは…。面白い。



・宮柊二との出会いとその後の師弟関係のあれこれ。

宮柊二歌に華美なく、宮肇食に贅なく生きたまひけり『水行』

 平成元年823日の柊二の誕生日に、柊二を偲んで詠まれた作品であるが、これはそのまま現在の高野氏に置き換えられるのではないか。人間としての軸が一致していた二人。出会うべくして出会った師弟であったのだろう。けれど、前掲の「あとがき」で、高野氏は「宮先生夫妻との接触」と記している。「接触」…。周囲からみるとあれほど濃い人間関係はないと思うのだが、ここにも高野氏の人間観が現れている。



・河出書房の編集者だった頃のことも興味深いものがあった。が、中でも衝撃的だったのは、小野茂樹氏の逝去の折の高野氏の自筆日記が掲載されていたこと。197057日、その日の貴重な記録が生々しい筆致で残されている。ちょっと胸が苦しくなる。

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・本書を読んでいると、高野氏が随所で「僕は運がいいのですよ。」と言っていることに気づく。高野氏が現在置かれている歌壇的地位は、当然高野氏本人の才質と努力によるものだと周囲は評価している。しかし、当の本人はそう思っていないのだ。就職面接で「あなたは運がいい方だと思いますか?」と質問されて、結果合格するのは「運がいい方だと思う」と答えた人間だという。それは何事も自分一人の力で成っているのではなく、他者の存在あってこそという感謝の思いが自然に身についているからだそうだ。もちろん高野氏はそんなことを意識しているはずはない。けれど、たとえば幼少時から(水難を払うために母上から教えられた)「般若心経」を唱えていたという環境がその思想を育てたのではないかというのは想像にかたくない。



他にももちろん、作歌法について、推敲の大切さについて、批評の重要性について…など、内容は盛りだくさん。栗木さんのツボを心得た問に答える高野氏の口調のなめらかさでついつい読み進んでしまうのだが、語られているのは短歌という文芸の真髄に関わる問題。読んでいるうちに、自らの不勉強を突きつけられているようで、ひりひりした痛みを感じてしまったのだった。面白くて、怖い本。まるで高野氏、その人である。




無花果をプロシュートで巻き皿に盛る 食べないだらう高野氏ならば



プロシュートとは何ですかさうですか生ハムですか 気取つてますね



殿堂に打つ黄金(きん)の釘かがやきを密かに支ふその〈てにをは〉よ




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高野公彦氏への20の質問⑨の「宝物は?」に対しての答えがこの色紙。
むべなるかな。


*他にも明子夫人とのカラオケ写真など、レアな画像もたくさん。高野公彦ファン必携の一冊です。


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by minaminouozafk | 2017-10-24 09:49 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)


この秋は雨が多い。本降りになる前に用事を済ませようと早めに家をでる。友人宅のそばの電柱の下にたくさんの黒い実や種。おやと見上げた瞬間、カーディガンの右肩に黒い液体。

あわててその場所を離れ、ティッシュペーパーで拭う。真っ黒よりも紫。電線には数羽の黒い鳥がいる。雀より大きい。だぶん濃紫の実は街路樹の楠の実ではないか。濃紫の実をたらふく食べた小鳥の糞。



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ささっと用事を済ませ自宅にもどりカーディガンを手洗いする。

数日後、電柱そばの友人と濃紫の話をしたら、鳥の写真を送信してくれた。每年秋にやってきて、朝早い時間に電線に群れてグジュグジュ鳴いているそうだ。望遠レンズの写真ははっきりしている。足や嘴は黄色くないけどやっぱりムクドリですよね。



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たしか秋から冬は群れて、春が恋の季節。雌をめぐっての激しい喧嘩のブログ記事がありました。


ほんものの椋鳥をちゃんと認識していなかった私にとって椋鳥は、ずっと浜田廣介の童話の「むく鳥のゆめ」だった。栗の木の洞に暮らす父と子の椋鳥。栗の葉っぱがカサコソと木枯らしにたてる音に母鳥を想い、最後の一枚をしっかり馬の尻尾の毛で括り付ける・・・「ないた赤おに」が浜田廣介の作品では有名かもしれない。


ごそごそ探したらありました。ひろすけ幼年童話文学全集。なつかしくて読み返すとなんと優しい語り口。巻頭の 「やさしい すみれ」 「つよい たんぽぽ」 400字ほどの小編ですが、とっても元気が湧いてきました。



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「子どもたちに、ものごとを知らせてやろうとする前に、子どもたちが生まれながらに持っているものー心の動きをはたらかせること、別言すれば、知性を開くに先だって、感性のつちかいを行なうことが、人間形成の第一着手となすべきもの。 中略  ほんとうに感ずるものを素直に書けば、それは、そのまま、子どもたちの心にふれていくのである。」(浜田廣介)


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子どもも大人も忙しく生き辛いこの時代。ゆっくりと丁寧に書かれた日本の童話を読み返すのも良いかもしれない。たぶん浜田廣介や鈴木三重吉、小川未明などの作品は本屋さんにも少ないのだろう。

温かい飲み物と一緒に秋の夜長をほっこりしたり切なく過ごすのもいい。



ほんとうに感じるものを素直に詠いたい。


右肩のブルーブラック むらさきの珠実を食べし椋鳥の糞

ななみ




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by minaminouozafk | 2017-10-23 07:26 | Comments(7)

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最近、仮装パレードやパーティーなど、ハロウイーンの行事が日本でも定着してきたようだ。昨年は名古屋でたくさんの仮装をした人を見かけた。近所のスーパーでも、百円ショップでもオレンジ色の南瓜や黒猫の飾りが目立つ。


まだ子供達が幼児だった頃に、米国のミネソタ州で一年間過ごしたことがある。ハロウィーンの日には、上の子が行っていたナーサリースクールで簡単な仮装をして来るように言われ、住んでいたアパートでは入り口に管理人の家族が作った大きなジャック・オ・ランタンが飾られていた。
直径が30センチを超す大きさで、鮮やかなオレンジ色の南瓜の種とわたを取り、目口鼻を切り取って中に蝋燭を灯すものだ。


私達も大きな南瓜を買い、子供達と一緒にランタンを作り、裏口に飾ったりした。日本では見たことの無い、大きなオレンジ色の南瓜は、あまり美味しいものではないようで、それでもスパイスを効かせ、パンプキンパイのフィリングには使われていた。

日本の南瓜は英語ではパンプキンと呼ばれない、スクワッシュだ。パンプキンはオレンジ色のペポ南瓜のことらしい。日本南瓜はカボチャ・スクワッシュ、またはジャパニーズ・スクワッシュと呼ばれるという。それにしても日本のもののような甘い南瓜はついぞ見かけなかった。


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ハロウィーンの夜は子供達はそれぞれに帽子やお面、マントなどで仮装をし、手にはジャック・オ・ランタンを模したお菓子入れを持ち、近所の家に、“Trick or treat!”と、お菓子を貰いに行く。
 お菓子を用意して待っていると、わが家にも近所の子供達が来た。当時住んでいた町は治安がよく、子供達にはみな優しかったので、わが家の子供達も大きい子供達に混ぜてもらい、楽しんでいた。


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まだハロウィーンには少し早いが、数日前、家人がハロウィーンのランタン用という、普通の緑の皮のものよりもかなり大きい薄茶色の南瓜を頂いて来た。
 同居中の娘が、さっそくランタン作りに取り組む。


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オレンジ色のアメリカのパンプキンとは違う種類で、やや小ぶりだが、これも食べるよりはランタン用として栽培された南瓜だという。
 薄茶色の皮の下は、きれいなオレンジ色の果肉。あんがい柔らかいようで、そんなに時間をかけずに、怖い顔のランタンができあがった。




ちなみにジャック・オ・ランタンのジャックは悪魔をもやっつけるほどの悪党で、悪魔と取り引きし地獄には落ちないが、天国にも行けず、さ迷う魂になった男だ。ジャックが悪魔にもらった地獄の火のランプがジャック・オ・ランタンの謂れだとか。


今年のハロウィーンは1031日、それまで南瓜のランタンが黴ずに持つといいのだけれど。



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   中空のかぼちやに目とくち穿ちゆく悪党ジャックに道照らさんと
                             晶子


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by minaminouozafk | 2017-10-22 08:35 | Comments(7)