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今月27日は父の命日。墓参りは少し早めに行った。平日だったという事もあるが、実は墓地までの山道は見事な桜並木。

桜が満開になった朝に逝った父を思うと、素直に桜を愛でる気にはまだなれない。来月行く頃にはもう散っているだろう。

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墓前の寄せ植えももう、だいぶ枯れただろうと苗のポットを多めに買って行ったが思ったより元気で入り切れないポットもそのまま飾る。

はないまだひらかぬさくら並木抜け春を供へるちちははの墓

墓参終え下る山道さくら木のたかみにさくら一輪ひらく

今月は何やら追われっぱなしで、蕗の薹の季節は逃してしまった。せめてクレソンだけでもと足を延ばす。

昨年、山歩きの好きな短歌のお仲間から教えていただいた。場所は秘密。クレソンを摘みながら川沿いを行くと、スミレ!そうそう、春に愛でるのは桜だけじゃないよね。

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野生のスミレは(私には?)珍しい。最近は野草も外来種ばかりが幅を利かせている。

〈山路来てなにやらゆかしすみれ草〉芭蕉

と詠まれるくらいだから、スミレは国産種だろう。そう思うと本当にゆかしい。

さて、クレソンはスーパーの袋大いっぱい摘んだ。

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写真はその一部。ほのかな苦みのなか、鼻から抜けてゆくさわやかさ、ああ・・・春。

六日間、しっかり朝晩味わい完食しました。


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by minaminouozafk | 2017-03-31 06:31 | Comments(7)

若布  鈴木千登世

実家に寄ると、隣の家の軒先に若布(わかめ)が干されていて、磯の香りが路地いっぱいに立ちこめていた。

ああ春が来た。


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萩の笠山から見た長門方面(日本海)

角島の瀬戸のわかめは人のむた荒かりしかど我とは和海藻(にきめ) 

         (作者不明『万葉集』巻16 3871)

(角島の瀬戸のわかめ(=若い娘さん)は他人には荒々しくてなびかなかったけれど、私にはやさしく素直だったよ

角島は山口県北部の油谷湾に浮かぶ小島。白い灯台と海上を島へと渡る橋が有名で映画のロケ地にもなっている。平城宮址から発見された奈良時代の木簡に角島産のわかめが献上された記録がある。わかめは2000年くらい前から食べられていたという。


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笠山で見かけた干しわかめ。直接物干しに干したりもする。

実家を訪れたのは3月の初め。父の十三回忌の法要だった。法要が終わって帰る私に母は一袋の刻み若布を持たせてくれた。若布を刻むのはなかなか大変な作業で、切っていると指が痛くなってくる。几帳面な母らしい、細かく刻まれた若布。「若布を食べると髪が黒くなる」と父はよく言っていたなあ。

あつあつの白ご飯にふりかけて食べると海の匂いが口いっぱいに広がった。春の海の匂い。眠っていた体がふっと目覚めたような気がした。

身の内に春ふつふつと満ちて来ぬ母の刻める若布を食めば


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おまけわかめと同じ場所で見かけたこれはなんでしょう?

実は

実は

これ(*^_^*)でした!

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by minaminouozafk | 2017-03-30 06:44 | Comments(7)

島の本家に親戚が集まった。

海を渡って、ミチオおじ夫婦もやって来た。

ミチオおじ。祖父の弟にあたる。

残念なことに、わたしは祖父を知らない。
この世の際(きわ)のところですれ違ってしまったようなのだ。

ほんとうにザンネン!

これほどまで残念と思うのは、たぶんに祖母の口癖のゆえ。

祖母は、それはもうしょっちゅう、

「じいちゃんが生きていたらどれだけ可愛がったかしれんねえ」

と言っていた。祖母のいない今は、母が言っている。

――ミチオおじ、とちょっと改まって書いてみたけれど、

「ミチおじちゃん」と呼んでいる。

先に着いていた私は、大好きなこのおじを玄関先で迎えることができた。

うれしくてガバリンと抱きつく。手加減なしのガバリンでも、おじは平気である。

偉丈夫だ。海の男だ。ユラッともしない。

(もしかしするとちょっとはしたかも知れない。八十幾つであるし――)

「じいちゃんは美男子だった」。

これも祖母の口癖だった。祖母のいない今は、やっぱり母が言っている。

じいちゃん美男子説はシンジツかもしれない。

ミチおじちゃんは、とびっきりステキな美男子なのだ。


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                  長崎の港。
      五島への船はこの桟橋から出て、五島からの船はこの桟橋につく。

  母をおき島を離れる船のなか出航までの時長かりき


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by minaminouozafk | 2017-03-29 05:46 | Comments(7)

巣立ち 藤野早苗

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あら、うづ、何か聞きたいことがあるみたいだね。うん、そうだね、サラがいないね。気がついちゃいましたか。
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うづがタワーにして遊んでいた段ボール箱、あれは実はサラの引越しの準備だったんだ。内緒にしててごめんね。
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でもね、うづ、予定より少しだけ長く、サラはうちにいたんだよ。東京のマンションにインフラ異常が見つかって、一度帰ってきたから、今年の遅い桜にも会えたよ。生まれて以来、うちの桜を見なかったことは一度もなかったから、桜も咲いたところを見てほしかったんだろうね。まだ数えるほどしか咲いてないけど、やっぱり綺麗。
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そして、桜に見送られて、サラは東京に行ったんだ。空港でパンケーキを食べて、保安検査を受けて、手を振って元気に旅立ったよ。でも、うづに会えないのがさびしいって。
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この3年、ほんとに色々あったよね。イギリス留学も含め、普通とは言い難い進路選択をしたサラ。去年は大学受験でなかなか厳しい時間を過ごしたけど、うづがいてくれてずいぶん助かりました。うづはサラの守り神だもんね。(恩猫 参照)
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うづのおかげで、サラは希望通りの進路に行けたよ。でもそれは、うづとのお別れでもある。

サラはおとなになるんだね。さびしいけど、うれしい。搭乗口に消えていくサラの背中が頼もしかったよ。
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あ、ここにもさびしい人が。
うづ、ちょっとめんどくさいだろうけど、お父さんのこと、よろしく。笑笑
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覚めるたび蒸留されて純水のごときさびしさいつてき、にてき

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by minaminouozafk | 2017-03-28 07:32 | Comments(9)

長府には土塀があちこちに残っている。たぶん城下町長府の保存や観光客誘致などもあって、自由に壊せないのかもしれない。



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古い土塀にはいろいろな植物が絡まっている。秋に紅葉する蔦はきれいで冬はきっぱりと葉を落とす。

しかし、冬のあいだも長府の土塀はその姿を隠されてしまうほどの蔓性の植物に覆われているものが多い。土塀だけではなく古いブロック塀や石垣もびっしり埋め尽くしているものもある。寒い冬もつるつるとした緑の葉っぱは元気いっぱいでイチジクのような実までつけている。



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地元の人に名前を聞いてみるのだがはっきりしない。ずいぶん前に、この蔓性の元気草と土塀はずっと共生していると、聞いたことがある。たしか三文字でイビタ?イビシ?

今はネットがある。いろいろ検索してみるが、なかなか判らない。ようやくオオイタビとわかった。わずかな写真も長府のものが多く、海岸近くに自生とあるから、たぶん長府はオオイタビが育ちやすいのだ。

道に落ちたイチジクのような実を踏むと、キュッキュッと乾いた音がして息子たちは面白がっていた。



空き家の土塀はすっぽりオオイタビに覆われている


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きれいに剪定されている家もある。


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剥ぎ取られて、跡が残っている土塀もある。


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海岸に自生していたオオイタビ。長府の風土を好んでくれたのだろう。土塀もオオイタビにとっては繁殖しやすかったのだろう。土塀と一緒に路地を人びとをずっと眺めていた。なんだか愛おしい。この街に人の生活がなくなったらオオイタビにすぐに占拠されそうだ。気根で土塀を這いへばりついていく。路地、土塀、石垣と共生しているオオイタビ。ビルやコンクリートのなかでは強靭な生命力はまったく役にたたない。それぞれの土地に根付いている小さないのち。



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功山寺ちかくの土塀したの草はらに土筆をみつけました。



くづれたる冬の土塀と共棲のオオイタビその碧みづみづし

ななみ


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by minaminouozafk | 2017-03-27 07:31 | Comments(7)


 昨年度一年間、いつもはほとんど忘れていたが、保存中の書類を目にするときに、本当に呼び出しがあるのかな~? くらいには気にしていた。
 今はもう、一年の期間が過ぎたので、カミングアウトしても咎められることはないだろう。


 一昨年の十一月だったと思うが、最高裁判所から封筒が届いた。
 なにか訴えられるようなことをした~、わたし

 いえいえ、「あなたは裁判員制度の裁判員の候補者に選ばれました」というお知らせだ。

 封筒の中には、裁判員制度を説明する小冊子、DVDなどが入っていたが、裁判員の候補に
なったことは口外しないようにと、注意書きがついている。
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            裁判員候補者用DVDの一場面から借用しました

裁判員に選ばれる確率は、20歳以上の選挙権がある国民、約一億人の中の九千人人ほど。 約10,800人に一人だとか。
くじ運がいたって悪い私のこと、まづそんな難関を突破して裁判員になることは無いだろうとは思ったが、新しい体験ということで少し不安で、少しわくわくするような。


裁判員制度で一審で死刑判決が出た裁判が、その後上級の裁判所で無期懲役になった、あるいは北九州で、裁判員の顔をひとりひとり見ながら、暴力団の組員があいさつをした、等のニュースが昨年度中にあった。
その裁判の判定に関わるのが自分だったかもしれないと思うと、ひと事とは思えなかった。



人の命に関わることを全くの素人で、かつ事件とは無関係な私などが決めるとは、なんとも恐ろしい。
また、やくざと分かる人からあいさつされるということは、被告の組員に重い刑罰が決まると、仕返しをされるのかもしれない。
これまた怖い。
それでも、責任逃れができないのが裁判員に選ばれるということだ。
今回は幸か不幸か、呼び出されることなく、期限の今年2月が過ぎた。
ほっとしたり、すこし残念だと思ったりだが、一安心した。


同じ期間に、実際に裁判員になられた方達の、費やされた大切な時間、責任と気苦労の重さに、心から「ご苦労様でした」と申し上げたい。


正義とは一つならねばゆらゆらにゆらぐ日あらむテミスの秤  
                   晶子




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by minaminouozafk | 2017-03-26 08:50 | Comments(6)

 外で食事をしたときに、テーブルに季節に沿った箸置きが置かれているとお店の人の心づかいを感じて嬉しくなるし、お料理もより美味しく感じる。

私も箸置きが好きで、少しではあるが集めている。これ一つで私のさほど上手でもない料理が、ちょっとだけランクアップしたように見えるから不思議である。


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 これからの季節は、竹籠に小石をつめたものや鮎が良い。竹籠の箸置きは結婚した時に台所道具の箱に入れてきたもので、ふるさと大分で買った。別府の竹細工の職人さんの手によるものかと思う。新年の席には独楽と羽根つきの羽根。これは毎年来る中国、韓国からの留学生は喜んでくれる。夏はガラス、秋のお客さまには瓦に七草の絵が描かれたものを楽しんで使っている。値段も手頃だし、旅先でその土地の特徴あるものを見つけるのも楽しい。箸置きをきっかけに食卓での話が広がることもある。


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 普段は家族それぞれの干支の動物が描かれたものを使っている。未、午、丑、寅の四つで、使い始めて二十年を越えた。その間に寅が進学で抜け、丑が結婚で抜けた。丑は時々登場するが、寅の登場はきわめて少ない。たまに訪ねてきていた私の実家の両親、妹にはねこさん家族のものを買った。四匹家族だったので一匹余っていたのだが、わが家の丑さんがお嫁さんを連れてきてその一匹にもやっと出番が来た。

 西欧にはナイフレスト、スプーンレストがあるが、日本人の細やかなおもてなしの心の一つとして、箸置きは大事にしたいものだと思う。


もてなしの仕上げに添へる野の花は春陽のぬくみを微かにまとふ 由利


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by minaminouozafk | 2017-03-25 10:46 | Comments(7)


先日、ベランダで洗濯物を干していると、ただならぬ鳴き声を上げて椋鳥三羽が川辺の桜木の上で喧嘩をしていた。

いや、喧嘩しているのは二羽、もう一羽は離れたり、近寄ったり、おろおろと見守り仲裁しようと必死な様子。

椋鳥の雄の求愛行動は知っているが、一羽の雌を奪い合う喧嘩なんかするのだろうか…

しかし、そうとしか見えない。

「ああ、わたしのためにこんな愚かな喧嘩はやめて…」とでも言っていそうである。

そう言えば秋から冬は集団行動をしていたムクドリも、最近は単独行動になっているなぁ。

余りにも激しくて、しばらく見入ってしまった。ホバリングしながら蹴り合い、つつきあい、羽根のパンチを繰り出す。お互いの白い和毛ははらはらと散り、共にアスファルトの舗道に組みあったまま叩きつけられるように落ちる。

地上戦。

時には車道に転がり出ることもあり車が来たら轢かれるのではと、心配になる。

幸い、休日。たまに自転車や人が通るくらいで、そのたび木の上にあわてて戻るが、取っ組み合いは終らない。

見守る一羽も、共に上がったり下がったり忙しい。

別のムクドリ二羽、こちらはカップルが成立しているのだろう、どこからかやってきて電線の上から観戦している。

何度かそんな状態が繰り返され、どちらかが死ぬまで続きそうな勢い…

10分以上続いただろうか。

とつぜん、一羽の鴉が、低空飛行で「きみたち、うるさいんだけどーー」とでも言うように喧嘩のそばを飛び抜けていった。

その瞬間、喧嘩していたうちの一羽と観戦の二羽は、どこかへ飛び去った。終わった~と思っていると、残された二羽は共に一番高いニセアカシアの裸木のてっぺんに移り、穏やかに並んで時を過ごし、やがて仲良く住宅街へと飛び去った。

ネットで調べると、ムクドリは気性が激しく、くだらない取っ組み合いの喧嘩をよくやっているらしい。

その後も、あの時の二羽かどうかは判らないが、つがいのムクドリを電線や木の上で見かける。

恋の季節、繁殖期のはじまりですね。

愛されただれかを選べばしあはせになつたのだらうか否、愛したい

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喧嘩場面の桜の木と歩道をバックにラベンダーが咲きました。

水仙の

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花が終った実家の庭にも黄水仙、ヒヤシンスが咲いていました。何もしないのに毎年咲いてくれる花たちに感謝です。


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by minaminouozafk | 2017-03-24 07:17 | Comments(8)

身籠もることは古代の人にとって不可思議な、それに増して幸いの象徴だったのだろう。妊婦をモチーフとした土偶を見つめながら、土偶を作って祈りを捧げた縄文の人たちを思った。



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黒曜石


ここは長野県の尖石縄文考古館。八ヶ岳山麓の縄文遺跡から発掘された2000点あまりの考古資料とともに国宝「縄文のビーナス」(棚畑遺跡出土~縄文中期)と国宝「仮面の女神」(中ッ原遺跡出土~縄文後期)と呼ばれる二体の土偶が展示されている。

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縄文のビーナス
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仮面の女神

写真撮影が許されている!(嬉しい)ので、前後左右からビーナスと女神を見つめ、写真に収めた。


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縄文のビーナスの後ろ姿。ハートの形の腰からお尻のラインが愛らしい。

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墓地から出土した女神は前衛美術を思わせる神秘的な雰囲気。

時代も違い、おそらく祈られ方も違った二つの土偶。作り手はとうに土に帰っていなくなってしまっているけれど、そのあこがれというか畏れというか陶酔というか自負というか…時を超えた作り手の思いが伝わってくる。




春の初めの、青空が広がる穏やかな日。

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考古館を出て、復元されている縄文時代の竪穴式住居の中に入ってみた。背後には栗や楢の木のある広葉樹の林があった。想像は縄文の暮らしへふくらんでいく。煮炊きする女たちと歓声を上げて遊んでいる子どもたち。男たちもくつろいでいる。時代は違っても幸いを祈る、人の感性のみなもとは変わらないものだと思う。黄金色の枯れ野を見渡しここで暮らしていただろう縄文の家族やその集落を思った。

今日のような穏やかな青空の日があったことだろう。風となってここにいない人を思う。



けふ一日無事に終えたる安堵もて空仰ぎけむ縄文人も


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by minaminouozafk | 2017-03-23 05:00 | Comments(7)

早苗さんの「絵葉書美術館」(2月21日 )を追っかけて書いている。

今日のタイトルの「躊躇われる」には、大きく二つの場合がある。

1 愛着があって手放しがたい。

2 こわい。

ここでは、1は問題にしない。

さて、この2の「怖さ」の意味合いは、次の二つの観点から考えることができる。

① 図像そのもの(つまり、見た目)の怖さ。

② 相手に通信文面以外の何かを暗示してしまうのではないか、という怖さ。

一つ例をあげよう。

(怖いので怖がりの方は、スクロールする前にご一考ください)

                    作品

            《ホロフェルネスの首を持つユディト》
                ルカス・クラーナハ(父)
                  1530年頃

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微笑をたたえるユディト。冷気ただよう美しさである。
手には、剣と将軍ホロフェルネスの首。切り口がなんとも生々しい。

二人の間に起こったことは旧約聖書外典に出ている。
ホロフェルネスは軍を率いてユダヤの町ベトゥリアを包囲していた。
ユディトはこの町を救うために将軍を誘惑し首をとったのである。

これは、①を満たしている。出しにくい。しかし出せないこともない。
このくらいの怖さなら平気そうな友人知人の顔が思い浮かぶ。使ってよさそうだな。
そう思ったけれども、すぐに②に関わることが頭をよぎった。

――想像はどこまでも行ってしまう。つらつらつらつら勝手に行ってしまう。

そういうわけで(どういうわけで?)、

ユディト嬢はもう何か月もこの部屋で微笑み続けているのである。

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これは、クラーナハが署名代わりに絵の中に描きこんだ紋章。
コウモリの翼を持つ冠をかぶった蛇が金の指輪をくわえている。
長男ハンスが死亡すると、コウモリの翼が鳥の翼に変わった。

  見ることはあまりないけど一枚の絵葉書いつもかばんの中に



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by minaminouozafk | 2017-03-22 06:15 | Comments(8)