<   2017年 02月 ( 28 )   > この月の画像一覧

伴氏社 藤野早苗

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北野天満宮の表参道に面して祀られている伴氏社。「ともうじしゃ」と読む。門に到達する少し手前、金柑の木に覆われるように立っている。鎌倉時代に建立。お祀りされているのは菅原道真公の母君、伴真成(とものまなり)の娘である。


そもそも大伴氏は、神武天皇の東征に随行した軍事部門の将。蘇我氏、物部氏と並ぶ古代の豪族である。この二氏が、中臣氏(後の藤原氏)の台頭、政略によって失墜したあとも、旅人、家持、坂上郎女など歌人の家として命脈を保っていた。


大伴氏の名が最後に正史に登場するのは、866年、応天門の変。家持以来、約100年ぶりに大納言という官職に就いた伴善男は、藤原氏の勢力削減を図ったものの失敗し、逆に藤原氏によって大伴氏・伴氏は政治の表舞台から一掃されてしまう。長きに渡る藤原氏と大伴氏の因縁はこうして終止符を打った。


この事件が866年に起こっているのはとても興味深い。道真の生年は845年。862年に18歳で文章生となった後は宇多天皇に重用され、右大臣まで昇進した。儒家の菅原氏の家格を超えた出世である。道真の母の生没年は未詳であるが、出自の没落とわが子の成功を同時に経験した心中はいかばかりであっただろう。夫の菅原是善は、参議として伴大納言善男の取調べにも関わっている。権力のためなら親子であっても容赦ない時代である。まあ、そういうこともあるさ、と言われればそれまでだけど。
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(画像お借りしています)

その後の道真については、みなさまご承知の通り。宇多天皇の庇護の元、右大臣として賢政を執ったが、901年左大臣藤原時平の讒言により、太宰府に配流。903年、失意の内に没して後、事件に関わった者の相次ぐ怪死、各地で起こる天変地異。これを鎮めるために建立されたのが天神さま。天神が学問の神になるのは後のことである。道真の母(伴氏の娘)は当然この世にはいなかっただろうが、わが子までが藤原氏に失墜させられた無念はいかばかりであろう。


菅原の大臣かうぶりし侍りける夜、母の詠みはべりける

久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな(拾遺473)


道真元服の折、大いに才名を上げて学問の家としての一族の名を高めてほしいと願った道真の母。文武に秀で過ぎてしまった子息は家格を超えて重用されたゆえに非業の死を遂げた。祟り神として祀られた道真の側に小さく、その母の社を建立した後世の人の心を思う。この荒ぶる御霊を鎮めることができるのは終生変わらぬ愛を注ぎ続けた母しかいなかったのだろう。


天満宮からではなく、伴氏社から眺める道真は違う表情をしているように思う。孤高の天才でも恐るべき御霊でもなく、母に慈しまれ育てられたひとりの男の子。そんな道真が新鮮だ。

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 2月15日 太宰府の梅

✴︎婚家の姓が、伴(ばん)の私。以前、太宰府天満宮の宮司、西高辻氏から、「伴さんとは遠〜〜〜い親戚。道真のお母さんは伴氏の娘だから」と(冗談で)言われたとき、北野天満宮に伴氏社が祀られている意味を了解しました。畏れおおいことではありますが、天神としてではなく、生身の人間の道真、自作の漢詩を母の前で詠ずる5歳の可愛らしい道真が見えたような気がしたのでした。政争に明け暮れる貴族社会で出自と婚家の板挟みになりながら道真を育てた伴氏の娘。これまた畏れおおいことではありますが、ここ数年、悩むことの多かった自らに類え、私も頑張らないと、と励まされる日々もありました。窮地に立たされた人間は意外なところで救いを得ることがあります。伴氏社の御祭神・伴氏の娘は私にとってそういう存在でした。もちろん、勝手な思い込みですけど。



パソコンの前額伏せて祈りをり受験番号票握りつつ

○○○15007打てば画面瞬時に合格を告ぐ

合格を確認して後の虚脱感波の浚へる砂像のごとき



✴︎娘、志望大学へ進学。4月から上京します。理学部数学科で思い切り数学を楽しみたいのだそうです。(謎)

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娘、5歳のクリスマス会。白雪姫の小鳥その1





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by minaminouozafk | 2017-02-28 10:21 | Comments(7)


陽差しはすっかり春。終日のたりのたりの春の海に行きたくなる。小さな島々が点在する瀬戸内海。蜜柑やレモンの明るい色、爽やかな香りの、まだちょっと寒い瀬戸内海が大好きだ。

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一昨日の土曜日、天気予報は晴れ。久しぶりに、とびしま海道にでかけた。本州四国連絡道路のひとつの、しまなみ海道ほどメジャーではない。


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とびしま海道は広島県呉市の安芸灘に浮かぶ7つの島巡り。しっぽの岡村島は愛媛県今治市で行き止まり。たしか3度目。いつも、春の海。


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安芸灘大橋(平成7年、有料)を渡ると下蒲刈島。次が上蒲刈島。いつも、この島に渡って藻塩麺をいただく。タコ蒲鉾やワカメなどが入った饂飩と素麺の間の感じであっさりしている。食後の蜜柑はご自由になので一ついただく、あまい。


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車窓には、彩度、明度の様々な柑橘類がつづく。収穫の真っ最中でコンテナいっぱいの蜜柑が年季の入ったモノレールのようなもので斜面を降りてくる。豊島大橋(平成20年)を渡ると豊島。続いて豊浜大橋(平成4年)を渡ると大崎下島。さいごに平羅橋・中の瀬戸大橋・岡村大橋でゴール。鏡のような凪の海に映る蜜柑のオレンジ。ゆるゆると引き返し大崎下島御手洗へ。


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大崎下島は大長みかんで有名。隣の地区の御手洗は、中世の地乗り航路(安全のためより沿岸部を航行)から、江戸中期に沖乗り航路(櫓漕ぎから木綿帆を用いることで帆走の向上)に変わり、北前船や参勤交代の大名も立ち寄る風待ち、潮待ちの湊となりおおいに賑わったようだ。


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今でも当時の歴史的な町並みや貴重な文化的な史跡も数多く残っており、平成6年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」となる。シーボルト、伊能忠敬、吉田松陰なども立ち寄っている。平成20年の豊島大橋開通により、気軽に車で来ることができるようになったせいか、5,6年前に来たときがいちばん観光客も多く賑わっていた気がする。


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こんなに良い天気の土曜日なのにまばらな人だった。時間が止まったような午後の路地。家並みは白壁、木格子もあり、レトロな建物の病院、茶屋跡の若胡屋もそのままだ。おいらん公園も御手洗の歴史の証。乙女座(昭和12年)劇場も外観はそのまま。150年も続いている現存最古の松浦時計店も。宇津神社、住吉神社、天満神社、満舟寺、大東寺など神社仏閣も多い。


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海岸には大波止、高燈籠、雁木など港町のすがたもそのままだ。江戸中期から、昭和初期までの300年近く、瀬戸内海の海運の中継港、潮待ち風待ちの港の御手洗。ちょっと冷たい海風が心地よく、千砂子波止でポンカンを剥きつつひと休み。リピートしたい大好きな場所だ。


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遠景には島をつなぐ しまなみ海道の橋が見える



たしか、5年前は映画『ももへの手紙』の汐島のモデルということもあり賑わっていたのかもしれない。観光客は少なくなったが、家々の前には花が、そして花だけではなく、短冊に書かれた一句が飾ってある家もあった。みかんのコンテナの手作り押し車で行き来するお婆ちゃんたち。ほっこり静かな時間に癒やされる。



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昨日は第8回呉とびしまマラソン。5つの島を駆け抜ける大会です。土曜日はたくさんの方が準備されていました。きっと春の海を眺めつつ気持ちよくフルマラソン走破されたと思います。



島のあちこちにある無人販売所で1100円の八朔、デコポン、ぽんかん、レモンなど沢山買って帰りました。リビングが良い香り。本当にみずみずしくておいしいです。



手入れなき蜜柑畑につどひたるヒヨドリの声のたりのたりや

ななみ


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by minaminouozafk | 2017-02-27 08:42 | Comments(7)

蔵開き 大西晶子

先週末に宗像市内の造り酒屋、勝屋酒造の蔵開きに行った。
勝屋酒造があるのは唐津街道の赤間宿、JR鹿児島線教育大前駅に近い、古い町並みだ。

『海賊と呼ばれた男』の主人公、出光佐三の生家もごく近く、同じ並びにある。

ここ数年、古い町並みを観光地にしようと、市や町の人たちが頑張っている。
〈街道の駅赤間館〉も出来た。今回も勝屋酒造の蔵開きに合わせ、屋台がたくさん出て〈赤間宿まつり〉という名で人を集めている。
   


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勝屋酒造入口、試飲にたくさんの人が集まっている。杉玉があたらしい。


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勝屋酒造店内、さまざまな色の椿と雛飾り。

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宗像大社のお神酒にも使われる「沖ノ島」




   酒造りに使う水を汲む井戸



 勝屋酒造は間口は広くないが、奧行があり、奥にはタンクなどが見えて広い。

そこに試飲の人の行列が続くのだが、一度店内に入った人達は行列に何度も並び試飲をしているらしい。
試飲は無料だ。

試飲できるお酒が数種類あるので、入口でもらった小さなプラスチックのカップで何度か飲み、最後は一杯100円の絞り立ての清酒の列で、カップではなく磁器のぐい飲みについでもらう。(ぐい飲みはもらえる)
爽やかな香りの一杯が嬉しい、純米酒〈沖ノ島〉の四合瓶を一本買って出て来た。




42年まえに、今の私と同齢で亡くなった父は、体質的にお酒が飲めない人だった。
酒席が苦手で、お酒や酒飲みには恨みを持っていたようだ。


父が今の私を見たら嘆くだろうとは思うが、清酒の試飲で暖まり、冷たい風の吹く唐津街道を良い気持ちで歩く。


道路わきの空き地や駐車場には買ったばかりの一升瓶と屋台の料理で、車座になって酒盛りを楽しんでいる人たちが何組も居た。

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                赤間宿には出光佐三と血縁があるのかないのか、出光さんが多い。




             

            風のあさ酒蔵のながき列につき果実の香もつ新酒いただく  晶子

                       





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by minaminouozafk | 2017-02-26 07:00 | Comments(7)

 隣県に住む母がスマホデビューを果たした。使っていたガラケーが壊れ、機種変することになったのだが、機種が変わればその扱いになれるのにまた少し時間がかかるため、いっそのことスマホを持ってもらうことにした。と言っても、母は御歳85である。メカに強いわけがない。〈スープの冷めない距離〉に妹夫婦が住んでいるが、仕事を持っているので、そうそうつきっきりで教えることも出来ない。しかし、ここはスマホの便利さを優先し、妹に頼んで電話会社に行ってもらった。一ヶ月まえのことである。


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〈ご近所のお庭です。お借りしました〉   

  母の手元にスマホが来てすぐに、わが家の息子二人と母、妹を加え、六人のライングループを立ち上げた。最初は私達のやり取りを、人の会話を盗み聞きしているようだと言って読むだけだったが、息子たちの「ゆっくりでいいよ~。」「一言でいいけんね~。」の言葉に力をもらってか少しずつ加われるようになった。

その記念すべき一言目は「こけ」である。それぞれが「もしもーし、コケコッコーですかあ?」「もしかして、こけたんかな?」「いやいや、こけたんなら大変よ」「ちょっと電話してみるわ」とひと騒動したが、もちろん何事もなく、ただの入力ミス。今は全部ひらかなではあるが、やり取りができるようになった。今回、スマホに一番期待したのは動画の送信である。これで母はいつでも見たい時に、ひ孫の動画を見ることが出来る。30年前、私が大きなカメラを肩に乗せて息子のビデオを撮っていたのを思うと隔世の感がある。

副産物もあった。問いかけてもなかなか返事をくれなかった遠くに住んでいる次男が、たまにみんなの会話に入り込んでくる。こちらもいい安否確認になる。

 母は一日のうち、結構スマホをさわっているようだ。子供のスマホ依存は問題だが、母のこれは大いに結構だと思っている。このグループトークが少しでも長く続くことを願っている。

次は「南の魚座」を読んでもらおう。


    離れ住む家族つなぎてLINE上はづむトークに父がたりない 由利


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by minaminouozafk | 2017-02-25 10:19 | Comments(6)

先週金曜日は、母の月命日。
意識していても、休みと合うことは滅多にない。
カルチャーのない金曜日、寄せ植えの入れ替えもしようと、左右に二つずつの花の苗のポットと携帯用スコップを持って出掛けた。
なんたって、榊を買うより安くて、美しく長持ち、してくれる筈。

気温は上がってコートも要らなかったが、鼻はムズムズ喉はイガイガする。
もしかしてpm2.5 ? 環境基準値35μgに対し、午後は27μg、危うい数字。
だんだんと車中から見る遠くの街が霞む。墓地に着くと周囲の山の稜線も淡い、せっかく満開の辺りの梅も何だか寂しげ。

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何時もくっきりと離発着が見えていた旅客機さえもおぼろ~
ご両親さま、マスク姿のままお許し下さい。とお墓に語りかけるしかない。

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墓前の寄せ植えは・・・そこそこ生きている!
枯れかけたものと入れ替え、終った花芽を摘むとなんとかいい感じ。

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何時もは美しい夕陽も残念な姿でした。
夜チェックすると、夕方の太宰府方面の値はなんと59μg!!
暖かくなるのは嬉しけれど、杉花粉の季節もやって来ます。
諸処のアレルギーをお持ちの皆さま、お大切にお過ごし下さいね。

夕日さへあはくひかりを失へりまた来てしまふちちははの墓
なにもなきわたしをうめるごと埋める寄せ植えにぎゆつと新しき苗


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by minaminouozafk | 2017-02-24 07:30 | Comments(6)

町の名前  鈴木千登世

出張で山陽小野田市を訪れた。懐かしい町。橋を越えてカーブを道なりに進むと大きな建物が見えてくる。通り過ぎるバス停にふと目をやると、ああ、あった。


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平成の大合併で由緒ある町の名の多くが消えてしまった。子ども心にもインパクトのあった、この「硫酸町」も消えてしまったと思っていたのだけれど、バス停には「硫酸町」の文字が記されていた。硫酸町の由来は小野田の発展を支えた日本舎密製造会社(現在は日産化学)がここにあったことに因る。

さらにもうひとつ企業由来の町の名があった。それは「セメント町」。日本最初のセメント製造工場とともに小野田は発展してきた。現在は「太平洋セメント」と名前を変えてしまったけれど、前身の「小野田セメント」は全国各地にその工場があって、旅先でその名前を見つけると知り合いに会ったようでほっとした。セメント町は今もあるのだろうか。

小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町夜ならんとす  

土屋文明のこの歌は「砂町四十町」という地名が町の活気をいきいきと伝える。地名にはその町の歴史があり、人の暮らしが立ち上がってくる。

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出張の帰り、バス停のあたりを歩いてみた。栄町というのが現在の地名だそうだが、硫酸町は地図にもちゃんと載っていた。

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セメント町の方には行けなかったので、せめてもと、駅前で「せめんだる」を買った。

せめんだるは、かつてセメントが樽詰にされていたことに因んだ「たる型もなか」。名前といい、形といいなんとも愛らしい。栞を見ると本店の住所は「セメント町」。

残っているんだ…

夕日差すバス停「硫酸町」にをり時のほとりにたたずむやうに   千登世


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by minaminouozafk | 2017-02-23 05:57 | Comments(7)

五人囃子は、向かって右から謡(うたい)、笛、小鼓、大鼓、太鼓の順に並んでいる。

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   太鼓       大鼓       小鼓      笛       謡

――それは、音の大きさの順です。

社会の時間に先生はそう言ったけれど、なんだかすっきりしなかった。
その説明では、謡と笛、笛と小鼓との並びの関係がうまくないように思えたのだ。
もう35年前のことである。

先日、こんな話をきいた。

――それは、口からの距離です。

(五人囃子の並べ方のことを言ったのだ)

口からの距離! 音の鳴る位置が、口から遠ざかる順に並べるのだという。

見てみよう。音はどこで鳴るのか。

右端の謡は口を開けている。鳴るのは謡い手のからだそのものである。

次は笛。笛は口元にあてがわれ、音は口からすこし離れたところで鳴りはじめる。

中央の小鼓は肩に、その隣の大鼓は膝にのせられている。
音はそれぞれ肩、膝のあたりで鳴りはじめるのだ。

左端の太鼓は地におかれ、撥で打って鳴らされる。

たしかに、口から遠ざかっている。
たしかに、口から遠い楽器ほど、謡から遠い距離に置かれている。

それにしても口からの距離とは――。


口とはいったいなにものだろうか。



  祖母の声のこしておけばよかつたと一度おもひて絶えておもはず     




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           柳川藩主立花邸「御花(おはな)」の雛飾り


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                   三番叟



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by minaminouozafk | 2017-02-22 06:49 | Comments(8)

絵葉書美術館 藤野早苗

絵葉書が届くと嬉しい。
最近は紙媒体の出番がぐんと少なくなった。だからこそ、ダイレクトメールに混じって届いた一葉は格別だ。
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クレーの「忘れっぽい天使」。これは先週のななみちゃんの記事に詳しい。差出人は斉藤梢さん。以前、尉鶲の記事を書いた折、その目があんまりかわいかったので…、とお便り下さった。当ブログもいつもご覧いただいているそう。9回目の結婚記念日を迎えられたことも書き添えられて、梢さん、お幸せそうだ。
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「この花咲くや嬉し」は逸見亜古のエッチング作品。この大人可愛い一葉は、久保田智栄子さんから。裏面には細かい、丁寧な字でビッシリとブログの感想を書いて下さった。ありがたい。
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詩人の樋口伸子さんからの一葉。立春のご挨拶と、暖かくなったら…の嬉しいお誘い。福岡市文学賞選考委員のご縁、大切にしなければ。ウィリアム・ブレイクの作品。ブレイクは18世紀イギリスのロマン派の詩人、にして画家。幻視を操る異能の人。トマス・ハリスのハンニバル・レクター博士シリーズの「レッドドラゴン」の装画もブレイクの作。イギリス国民のみならず、世界中にコアなファンを持つアーティスト。でも存命中は全く評価されず、貧しい一生だったそう。芸術の非情を感じさせるエピソード。

没後の評価の高騰と言えば、やはりこの人。ゴッホ。
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「藁葺き屋根の家々」は小池光氏から。県短歌大会のお礼の手紙を書いたところ、丁寧にお返事下さった。数あるゴッホの絵の中で、この作品を選んだところが、小池さんらしい。敢えて洗練を避けるあたり、さすがである。
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「グラスに活けた花咲くアーモンドの小枝」、これはちづりんからのプレゼント。同じゴッホでも、ずいぶん趣きが違う。ジャポニズムにあこがれ、まだ見ぬファーイーストの小国を思うゴッホの心踊りが感じられる一枚。アーモンドの花を桜に見立てたのかしら。
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さて、これはレオナール・フヂタの「馬とライオン」。私が何年も使えずにいる一枚。緻密さとデフォルメのバランスが素晴らしい作品。いつまでも手元に置いて置きたい気持ちと、それ以上に、こんな猛々しい一葉を受け取る人の気持ちを考えるとちょっと出すのを躊躇してしまう。
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そして、画伯感溢れる一枚「ペンギン家族」。娘5歳のみぎりの作。現物は画用紙に描かれたまあそれなりの絵だが、葉書サイズにするとタイトに引き締まり、不思議とバランスが良くなる。仲良し家族。うちの一家かどうかは不明。


絵葉書は小さな美術館。掌に乗る芸術品。そして、その作品は、選んだ人の内面を雄弁に語る。時には裏面に書かれた幾百の文字よりも。


金釘も水茎もみなうつくしく春立つ風の運ぶ一葉




お知らせ
C'era una volta でご紹介した日賀野兼一先生の作品展が、大丸本館6階アートギャラリーで開催中です。本日までです。
ぜひ、ご覧下さい。
絵葉書も販売してますよ。
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✴︎この記事、日曜日に用意していたのですが、昨日のななみちゃんのブログとかぶってますね。シンクロニシティかな。息が合ってきたのなら嬉しいです。



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by minaminouozafk | 2017-02-21 00:00 | Comments(8)


今年の我が家のカレンダーは熊谷守一だ。猫の絵で有名な仙人のような風貌の画家だ。たまたま訪れた美術館のショップで出会い、即購入。2月は山茶花。くっきりとした輪郭のシンプルな構図。やさしい色使い。



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どの作品もこのカレンダーと同じくらいの大きさの小品がほとんどで、かたかなで「クマガイモリイチ」と絵の具をひっかいたようなサインがある。猫の絵は三毛猫、白猫いろいろあるが、けっして所謂かわいい猫ではない。猫特有の背骨の感じ、左右、前後それぞれ脚の表情が異なる。ポーズも実に多彩。シンプルでくっきりとした色使いなのにリアル。ワクワクしてくる。猫は3月と12月。


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同じ時代の猫の画家といえば藤田嗣治だ。自画像もたいてい猫と一緒。繊細な墨の輪郭の猫たちはふわふわして本当にかわいい。26歳でパリに渡り、成功しつつも二度の戦争に翻弄され5回も結婚をした波乱万丈の藤田。画風も生活も対照的だ。



文化勲章も辞退し、60歳すぎて、膝を悪くしてからは、そのほとんどを豊島区の自宅で過ごしたそうだ。昼間は15坪ほどの庭で飽きることなく虫や草花を観察していた。エピソードとして〈地面に頬杖をつきながら幾年も見ていて分かったのですが、蟻は左に2番目の足から歩き出すんです〉は有名だ。今年のカレンダーには残念ながら無いが、蟻の絵も大好きだ。


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8月は野草のフシグロセンノウ(節黒仙翁)の朱色の花に黒揚羽蝶がとまっている作品。亡くなる2年ほど前のもので、油絵では絶筆だ。



今年はカレンダーでちょっと嬉しかったのだが、先日いつものように長府をぷらぷらしていると、古江小路の小さな画廊喫茶〈梵天〉の前、次期展示会の案内。


  なんと 〈熊谷榧 油絵展〉 熊谷榧は熊谷守一の次女。熊谷美術館の館長でもあり、画家。山を愛し、多くの山にのぼり、描きはじめた作品。風景画も多そうだが、画風は父守一にもつながる。3月11日から413日まで開催。312日には熊谷榧氏もいらっしゃるそうだ。ぜひ行ってみます。歩いても10分ほどですから。楽しみです。



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感情を削ぎ落としたるやさしさの熊谷守一の猫、蟻、蝶、鳥

ななみ


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by minaminouozafk | 2017-02-20 07:08 | Comments(8)

先週の木曜日に、「宗像 沖ノ島と大和朝廷」展を見に大宰府まで出かけた。地元の宗像大社の宝物殿に行けば見られる物が多いとは思ったが、大和朝廷との関わりがどんな風に展示されているかを知りたかったのだ。
藤ノ木古墳のよく似た副葬品、海で結ばれ文化の交流があったとされる朝鮮半島でできた金製の指輪の比較展示など大和や朝鮮からの影響と、ちがいが分かり易く展示されていた。
            
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宗像君の一人の副葬品

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                            ミニチュアの金銅製高機(たかはた)



ヤマトタケルの話で知られるように、九州の豪族たちが大和朝廷に滅ぼされ、統一されていく過程なども見えた。
九州人の私としてはいささか残念な気もするのだけど、これは歴史的事実なのでしかたがない。


こういう展覧会を若い時に見ると、トロイやウル、ポンペイに魅せられた、ちー様のように考古学に関心を持つきっかけになるのかもしれない。
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ところで、会場の入り口に上の写真のものが置いてあった。
左のポスターの後ろにはハンガーにかけた貫頭衣が10数着と、
髪型を古代らしくするための、ヘッドフォンの様な「みずら」の部分かつら(?)。
(ポスター下部に装着後の写真)
これを着て写真撮影をしても良く、展示会場にそのまま入ってもOKだそうだ。

この日はあいにく年配者が多くだれも使用していなかったけど、学芸員の努力は見える。
家族連れや、若い人達が居たら、着て写真の撮りっこをしたりするのだろう。
本音を言えば、私も貫頭衣で写りたかったような?
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飛梅(2月16日)


一通り展示を見終わって、太宰府天満宮に参拝した。ちょうど飛梅は満開。
他の梅はまだ3分咲きから5部咲きといったところか、宗像に比べると開花がやや遅いようだ。


それにしても、以前に比べ参拝者が多い。歩きにくいほどだ。
話には聞いていたが、外国語で話している団体の多いこと。
旗を持った添乗員らしい人が何人も居る。
(茶店でお昼をと思っていたけど、団体予約でどこもいっぱい。あきらめた。)

菅原道真公は漢詩の達人で、渤海の友人と親しく文を交し楽しまれていたと聞く。
天満宮を観光する外国の人たちの大半は、韓国と台湾・中国と元々は漢字の国の人たちだ。

むかし親しんだ漢語や漢詩を原語でお聞きになれて、菅公は喜んで居られるのでは
ないかしら、などと思いながら宗像に帰ってきた。


つくりたる職人の死後せんごひやくねん金のゆびわの変はらぬ光 晶子
  













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by minaminouozafk | 2017-02-19 07:00 | Comments(7)