2016年 09月 30日
『ぐいのみの罅』 藤村学第一歌集 大野英子
コスモス短歌会、北九州在住六十七歳。平成十六年に入会し、六十歳以上で入会五年以内の方が受賞対象である結社内の純黄賞を十九年に受賞されました。
一貫して男の哀歓漂う独自な視線で詠み、その外連味のない作品に惹かれます。毎月本誌が届くと真っ先に作品を探す方も多いのではないでしょうか。私もその一人。
二年程前、脳梗塞で半年間ほど欠詠され、経過が心配されていましたが、遂に待望の第一歌集を上梓されました。
藤村さんの作品は、全く説明臭さがないのに、詠まれている方達、対象の輪郭がくっきりと立ち上がってきます。それは、藤村さんが相手の方としっかり向き合い、愛情を持って詠んでいるからなのでしょう。そして、素直な心情の吐露に一首一首、頷いたり、ツッコミを入れたりと、引き込まれている私がいました。
何かと謎の多き私生活でしたが、歌集のあとがきによるとはなかなかの波乱ぶりのお方のようです。故郷出雲を離れ北九州で自営業を営まれる順調な中、突然不安神経症を患い十年近く外出もままならないなか、奥様に勧められ短歌教室へ。そこで出会い、病を抱え挫けそうになる藤村さんを励まし五年間指導してくださったのがコスモス元選者の矢野京子さん。お二人のお陰で現在の歌人藤村氏が居るようです(私からも、お二人に感謝です。)
出身地出雲のあらぶる神、素戔嗚尊の妻を愛する心に触れてせっせと奥様を詠んいでいるという愛妻家。
まずは奥様の歌から。
手の甲をつまんで皺の戻る間がわれよりさきと燥ぐつれあい
呆けゆく親を看たいと告げられて 妻よいいとも。惚れなおしたり
秋空に胸をそらせば気の満ちてまだまだ君と生きるぞ僕は
夫などだれでもよかったかもしれぬ 家内が秋の月愛でている
信子さま女菩薩さまと懸命に拝みたおして今に連れ添う
むらさきの藤村信子は四十年以来(このかた)われの若草の妻
様々な表現を使い奥様を詠む。そこには多面的に見ている手ばなしの愛がぐいぐいと迫って来ます。太陽のように明るく飄々とした奥様像が浮かび、だからこそ、藤村さんは「だれでもよかったかもしれぬ」と、小さな不安を抱き、拝み倒した奥様に新たな愛を注ぐ。本当に羨ましいですねえ。
そして、ご自身の歌。
叶はざる願いをひとつふたつほど捨て得ず黄砂ふる街に棲む
これの世の悩みなんぞはほうやれと捨てに怒濤の岬まできた
鳴かず飛ばずああそうだった青春の体力勝負の一時期除き
妻という枝にぶらさがる樹懶(なまけもの)われと倅と犬のいっぴき
このごろは呑んでも虎になるまえに狸饂飩(たぬき)で締めて夜道をもどる
左巻き左党そのうえ左前わが身の上のひだりの悲哀 177
深いため息のような歌、諧謔性を帯びた歌、どの歌にも、生身の藤村さんが立ち上がって来ます。私の大好きな方代を思わせる歌も散見され、生き方もきっとシンプルさを求めているだろう事が伝わります。しかも表面をなぞっただけで終らずご自身のものになっていて、そこに留まろうとしない工夫が散見されます。
藤村さんの歌集には、人への視線が印象深く詠まれています。
「僕はねえ父さん、家が大好きなインドア人でしばらくいたい」
コンビニのバイト募集の面接に行けど落とされまた籠る子よ
嘘多き友と知りつつもてなされしこたま飲んだ(越乃寒梅)
壜ビール飲めばなつかし犬歯にて蓋抜く技を持ちいし友が
「お歳暮を今年はきっと送るから」・・・・・・だけど呉ない朋友(ポンユー)ひとり
宵の街蝸牛色(まいまいいろ)の段ボールを巧みに組んでひとの入りたり
わが町の銭湯消えて頽齢の総身刺青(そうみしせい)おとこ懐かし
はじめの二首は、同居する三男さんの歌。集中、この息子さんのお人柄、父としての眼差しも読みどころです。
何だか訳ありの方が多そうですが、藤村さんのフィルターを通すと愛すべき昭和の男たちが立ち上がって来ます。藤村さんこそが昭和を背負った哀愁の男なのだからでしょう。
人へ向ける眼差しもさながら、叙景歌も、ユニークで豊かさを感じます。
平仮名(おんなで)に偲ぶ花あり夜の秋ふようゆうすげくずからすうり
ユーカリの葉にぶらさがる黒揚羽世界を逆に見て黙しおり
拝啓(こんにちは) 蟬(きみ)が啼くのを陰ながらいとしみ聴いております 敬具(それじゃあ)
懸命にバタフライして来し波が岬でくだけ背泳ぎとなる
夕立に濡れつつ息を吹き返す江戸風鈴の真っ赤な金魚 161
地上での短い命である蟬に寄せる思い。波の変化さえ見逃さず擬人化する。暑さと無風のなか、乾涸びそうな風鈴に描かれた金魚が嬉しそうにしっぽを翻すさまが浮かび、藤村さんもまた夕立に生き返ったような思いが伝わります。表記や、奥村さんが帯に書かれた「コトバへの拘り」などの工夫がまた楽しませてくれます。
仮託する思いは、二首目の世界を逆さまに見る黒揚羽、きっと沈黙の男、藤村さんなのではと思わせる一首です。
最後に今年亡くなられた、遠く離れたお母様の歌。親不孝な息子からつたない手向けとすると、あとがきは結ばれています。
昏れはやき秋の家居のさみしさを告げて母よりの電話切れたり
還暦のわれが米寿の母を祝ぐほかにはだれもいない雪の夜
擂鉢の底のようなる谷あいに米寿の母の棲みて離れず
銀色の振り子時計は かつかつと古家に母の寿命を削る
ははそはの母は惚けて特老に われは姥捨て餓鬼となり果つ
常に静寂に包まれているような、お母様との時間、お二人を包む時間の重さまで伝わってきます。同居出来ないままながらも、折々訪ねて詠まれた介護詠は、同じ経験を持つ者として、差し迫るものを感じました。これしか方法はないと解っていても、拭いきれない後悔。でも、これだけ作品に残すことが出来たと言うことは、しっかり向き合って来た証しです。
紹介できませんでしたがペーソスのなかにユーモア溢れる作品も楽しませてくれました。本当にじんわりと心に沁みる、藤村さんの世界をお一人でも多くの方に知って頂きたいと思い、長くなりました。

歌集カバーです。表は奥様、裏は息子さんのイラスト。内容も本体もご家族共同作業の、固い絆の一冊。
現在、体調を崩されコスモスも欠詠されています。一日も早いご回復と復帰を心から願い、お待ちしています。
女時なるとき良きうたを詠うべしあらぶるスサノヲうちに目覚めよ 英子
2016年 09月 29日
和裁教室 藤野早苗

2016年 09月 28日
高島野十郎 sp14「蠟燭」 有川知津子
それは、一枚一枚手渡された。

高島野十郎は、明治23年、今の久留米市(福岡県)に生まれた。
歌人年表をみると、その年には土屋文明が生まれている。白秋はすでに生まれていた。
昨年末から今年にかけて、野十郎の没後40年を記念した巡回展があった。
福岡県立美術館(2015年12月4日~)から始まった巡回展は、
目黒区美術館、足利市立美術館とまわって、ふたたび福岡(筑後市の九州芸文館)にもどり、先日(9月22日)、すべての日程を終えた。
野十郎には、40点ほどの「蠟燭」がある。
会期終了に間に合って出かけた九州芸文館には、16枚の「蠟燭」が展示されていた。
どの作品も小品で、画面中央に火をともした1本の蠟燭が描かれている。
順路に沿って一つ一つ見てゆく。
半分ほどを過ぎたところで、この「蠟燭」に一票、とおもう「蠟燭」に行きあった。
キャプションには、
sp14
蠟燭
Candle
戦後期(after 1945)
油彩・板 22.5×15.6cm
個人蔵
とある。
野十郎は生涯、蠟燭を描き続けた。
個展に出すこともなく、売ることもなく、火を灯しては、ただただ描いた。
そして、手渡した。
野十郎の場合、「個人蔵」とは、かりそめではないのだ。
最終巡回地である九州芸文館には、ほかの会場では展示されることのなかった作品が
14点ほどならんだ。sp14 はそのひとつだった。
画像は、「九州芸文館 特別出品作品図録」を撮影したもの。
野十郎のこの一灯を手渡しのこころにて押す送信ボタン
2016年 09月 27日
筑紫歌壇賞贈賞式 藤野早苗


2016年 09月 26日
ヒトメボレ 百留ななみ
つやつやもっちりの新米。瑞穂の國に生まれて良かったとしみじみ感じます。ここ数年岩国市の錦川(錦帯橋で有名な川)の上流のお米を分けてもらっている。ゆたかな水はおいしいお米を作る。新米はいつも早稲の品種のヒトメボレ。玄米でいただき、卓上の小さな精米機で五合ずつ七分づきにする。
いつも、採れたての野菜もたくさんいただく。今回はたっぷりの秋ナス、ゴーヤ、冬瓜などだ。春は筍、タラの芽などの山菜。伺うと屈託のない笑顔で米作りの楽しさを語ってくれる。米作りは土作り。まだ寒い三月ごろしっかり田起こしをする。そのとき近くの牧場からもらった牛糞をたっぷり鋤き込むのがポイントらしい。
新米を取りに行く九月半ば。くねくねと川に沿った田んぼは、真っ赤な彼岸花に縁取られる。炎のように川の上流へとうねる赤。今年はまだ七分咲き。
彼岸花は曼珠沙華、幽霊花、狐剃刀、天蓋花、葉なし花なしと別名が方言も含めると百以上もあるという。地面から花芽をのぞかせると一週間ほどで50センチになり一斉に開花する。満開になると一週間ぐらいで枯れる。すると今度は4月くらいまで葉が茂り、そのうち葉も枯れて地上から姿を消す。そしてまた秋の彼岸にいっせいに赤花をひらく。なんとも摩訶不思議な花である。
黄金色に実った稲穂とそれを縁取る彼岸花の赤。瑞穂の國のゆたかな原風景である。

お米の収穫は桜前線のように同じ品種なら南から北へと移動する。沖縄産のヒトメボレは七月、北海道では十月が稲刈りらしい。ほとんどの植物は気温に反応して徐々に北上していく。ところが、彼岸花は日本全国どこでも秋の彼岸のころに咲く。此岸と彼岸を結ぶ艶やかな朱の帯である。
ヒトメボレの脱穀終了 曼珠沙華ふちどる刈田に白鷺あそぶ
百留ななみ
2016年 09月 25日
宗像大社短歌大会 大西晶子
もう今年の短歌の募集期間は終りましたが、応募されていない方の、11月6日当日の講演と歌会へのご参加は大歓迎です。
ぜひお気軽にお遊びに来てください。
宗像大社短歌大会一般の部
会場 宗像大社清明殿
日時 11月6日 12:00~ 15:40
講師・講演演題
有川知津子氏 「白秋の初期の詩法に学ぶ」
歌会選者 青木昭子、大野英子、桜川冴子、野田光介 の各氏(アイウエオ順)
この時期、宗像大社では毎年「西日本菊花大会」が開かれ、境内にそれは沢山の菊の花が並びます。
一見の価値ありです。
九月の今は宗像大社短歌大会・準備委員会の面々がさまざまな作業を続けています。
写真は小中高生の部に集まった応募作品から一次選考通過の作品の整理と番号付けをしているところです。

短歌大会には地味でこまかい作業が欠かせませんが、全員ボランティアのメンバーが頑張っています。
ときにはお八つを食べたり、おしゃべりも出て、みなさん楽しそうです。
ボランティア活動に興味があり、「手伝ってもいいな、」と思われる方がいらっしゃいましたら、どうぞ事務局長の巻桔梗さんにご連絡下さい。(☎ 090-8393-3299)
えんぴつの色うすく書く中一の少女の歌に初恋が見ゆ 晶子
2016年 09月 24日
秋の七草(粥) 栗山由利
「ところで、秋の七草っていつやるの?」「……??」。夫の問いかけに一瞬とまどった後、納得した。そうだ、この人は『秋の七草』は『春の七草』のように食するものと思っているのだと。とりあえず、直ぐに訂正しました。(笑)
『秋の七草』は山上憶良が万葉集で選定したものとされている。
秋の野に 咲きたる花を指折り(およびおり)
かき数ふれば七種(ななくさ)の花 (万葉集・巻八1537)
萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花
姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花 (万葉集・巻八 1538)
「朝貌」は定説では「桔梗」だとされているそうだ。 (Wikipediaより)

仕事帰りの夕方の風も肌寒く、羽織るものを一枚バッグに入れておくこの頃、休みの日にはゆっくりと「秋の七草」を探しがてらの散歩も良いかもしれない。
七草に入れてもらへず狗尾草(エノコロ)はつんと上向く秋津とびかふ 由利
2016年 09月 23日
ゆかりさんとなおさんの歌 大野英子
早苗さんとも、先月号から「まだかな」とヤキモキしていました(二ヶ月遅れ掲載なのは解ってはいますが・・・)
さて、遂に今月、巻頭作品で発表されました。
おめでとうございます!!
一首目
われはもや初孫得たり人みなにありがちなれど初孫得たり
と、藤原鎌足の<われはもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり>をゆかりさんらしく見事に本歌取りし、控えめに(しかし大胆に)喜びを詠んでいます。注目は、
姉はいまさびしい草生いもうとの壮絶爆笑出産談きく
と、独身であるなおさんの気持ちに触れる。妹の話を聞き揺れる心情を「壮絶爆笑出産談」が効果的に受け、さすが初孫に溺れるばかりではないゆかりさん。余すことなき太陽のような母の眼差し。
そして、なおさんの歌。
祖母の娘が産みたる娘が娘を産み落としマトリョーシカのごとき夏の家
夜泣きする妹の子を覗き込むわれは大きな蜘蛛であるかも
「夏の家」と底抜けな解放感の中、マトリョーシカの入れ子の外である自分、「蜘蛛であるかも」という視線を客観的に詠む。
ウ~ン、さすがゆかりさん、なおさん親子である。その時の気持ちを逃さないリアル感が、読者をひきつける。

ゆかりさんと言えば雲。お孫ちゃんが生まれた頃!?夏のはじめの空。
25日、太宰府では「壮絶爆笑出産談」を聞かせていただきたいものです。
みどりごの名前は千春その父母に千人の春のまれびとは来ん 小島ゆかり『泥と青葉』
と、O氏のお嬢ちゃんの名を詠み、その命名もゆかりさんの案と聞きました。お孫ちゃんの命名をどう詠んでいるのか楽しみです。
コスモス10月号が届いた17日は母の月命日。墓参りに行き、早速両親に報告しました。ゆかりさんを大好きだった父は目をまんまるにして驚いているだろうなあ。
初孫をついにみせざる兄とわれ法名塔の永久(とは)なる余白 英子
2016年 09月 22日
COCOON雑感 藤野早苗


2016年 09月 21日
「COCOON」創刊 有川知津子
今月9月15日、「COCOON」という名の雑誌が創刊されました。
コクーン、と呼んで(読んで)ください。
編集 COCOONの会編集委員
編集協力 小島ゆかり
デザイン 松井竜也(素材:Vecteezy.com)
*表紙の原案には、水上芙季さんの切り絵があったと
松井さんより聞いています。
「南の魚座」(8月11日開設)の私たちの所属する「コスモス」(昭和28年、宮柊二創刊)は、
白秋の「多磨」(昭和10年)の流れ。もっと遡上すれば、
鉄幹と晶子の「明星」(明治33年)が見えてくるという流れです。
「COCOON」は、この「コスモス」のなかで育まれた結社内同人誌。
「コスモス」内同人誌のはじめには、一昨年(平成26年)終刊した「棧橋」がありました。
「COCOON」発行人の大松さんは、「棧橋」と結社内同人誌の意義に触れながら、
「COCOON」の「創刊までのこと」を書いています。ここに引くにはちょっと長い文章です。
一部言葉を借りながら、創刊までを振り返ってみたいと思います。
――「もともと「コスモス」は大所帯であるし、かなりの厳選。
だから、いわゆる若手が無選歌で作品を発表し、闊達に批評しあえる場」が、
かつて「棧橋」がそれを担っていたような「場」が、求められるのは「自然な流れ」でした。
実際に、そうした「場」を求める雰囲気がそここに萌していたように思います。
しだいに何かあたらしい気運が醸成されてゆくらしいのが分かりました。
そうした世代を、「特別な立場から大きく牽引してくださったのは小島ゆかりさん」。
COCOONの会の「精神的支柱」です。導き手です。適切な助言をくださる。
まもなく、「関東在住」の有志が発起人として動きはじめます。
その後、その呼びかけに応答しただれかれが集まり、準備期間1年あまりを経て、
今、雑誌第1号刊行のご報告ができるというしだいです。
目次をメンバー(23名)の紹介に代えましょう(名前に重複があります)。
04巻頭作品 河合育子 水上芙季
12作品 山田恵里 久保田智栄子 有川知津子 野村まさこ 船岡みさ
22時評 取捨選択する力 大西淳子
23四方八方興味津々 船岡みさ 白川ユウコ
24歌集 inthe news 千種創一歌集『砂丘律』 月下桜
26作品 大松達知 真島陽子 月下桜 大西淳子 三和今日子 飯ヶ谷文子 柴田佳美 白川ユウコ
42評論 北原白秋論 共感覚という詩法、その変遷 有川知津子
46エッセイ 蝶よ花よと 飯ヶ谷文子
47四方八方興味津々 松井恵子 岩崎佑太
48今読み返す一冊 加藤克巳歌集『螺旋階段』 小島なお
50作品 斎藤美衣 片岡絢 松井竜也 松井恵子 小島なお 早川晃央
島本ちひろ 岩崎佑太
66同人歌集評 白川ユウコ歌集『乙女ノ本懐』 三和今日子
水上芙季歌集『水底の月』 斎藤美衣
70連載コラム 古典和歌はおもしろい 小島ゆかり
*「特別長老会員」(編集後記より)
71創刊までのこと 大松達知
72編集後記
繰りかえし「創刊のことば」(大松)を読んでいます。
「COCOON」が一人でも多くのひとの手に開かれますように。
五回目の批評会まであと二十日ウリタエビジャコ検索したり