カテゴリ:歌誌・歌集紹介( 25 )

著者の木畑さんは「ささやかな読書ノート」と表現されるが、結社内同人誌「棧橋」、終刊後は継続誌「灯船」に全24回に渡って連載された歌人論。
戦前、戦後の歌人の歌をアンソロジー的に抜粋されたものは多いが、木畑さんはそれぞれキーポイントになる歌集に焦点を当て、時代背景から作者の短歌論まで丁寧に解説されている。
f0371014_06522594.jpg
                この一冊に相応しいノスタルジックでシンプルな装丁

第一回は〈「時間」の写生〉と題する佐藤佐太郎。
宮柊二とほぼ同年代。
茂吉に師事し、アララギ派の写実主義を受け継ぎながらも茂吉より自立。戦後という「貧」の時代に自ら短歌至上の貧の生活を選んだ佐太郎。
なぜ「貧」が必要だったのか。「純粋短歌論」と、この論に裏打ちされ、歌風が確立したとされる第五歌集『帰潮』から短歌と向き合う姿勢を探る。
純粋短歌論の中の言葉「断片」と「瞬間」をキーワードにして作品を読み解き、戦後の歌壇の動きとの比較も、佐太郎の歌人としての個を明確に立ち上げる。

佐太郎を論じた上での第二回は宮柊二という流れも必然である。
『現代短歌大系』において山本太郎が『晩夏』に柊二の屈折点を見出し、「宮柊二の歌にはじめて興味深い乱調が、いやおうなく出現した事実」を捉えたことに焦点を当て、制作時期の重なる佐太郎の『帰潮』と比較しながら「乱調」の謎を解き明かしてゆく。
私にとっても、謎が多いと感じていた作品の丁寧な解説と柊二の心情の汲み取り方が温かくも深い。
そして〈「自然在」なる歌はあらず〉と題された論にたどり着く木畑さんの歌人としての覚悟が伝わる。

第三回は白秋門下の歌人としての活躍をした木俣修の『冬暦』
敗戦という闇のなか「白秋の形骸的模倣歌」を作ることの戒めを掲げながらも白秋と通底する人間に向ける眼差しの温かさを見出してゆく。

もう少し紹介すると、語られることの少なかった山崎方代は〈仲間と裡なる故郷〉とする方代を支えた岡部桂一郎の作品との比較。
木畑さんは第五歌集『冬暁』のなかで〈鍬を手に野良よりもどる左右口の媼は方代の母にあらずや〉と方代の故郷を訪ねた一連があった。もしかしてこの論を書くにあたっての取材だったのかも。

塚本邦雄〈イエスと短歌への愛憎〉では洗礼を受けた木畑さんらしい塚本の現代短歌への愛と「イエス」への愛を考察しながらも塚本を「諧謔に満ちた明るく饒舌な大阪人ではないかとも思う」と書かれるのも上方喜劇の藤山寛美好きの木畑さんらしさかも。

最後24回は〈父たちの悔しみを継ぐ〉小高賢、桑原正紀のそれぞれ第一歌集。
宮柊二を敬愛し、戦後を引き摺るように詠まれた二人の歌集を問い直す作業は最終稿に相応しいものであった。

このようにどこを読んでも、丁寧で深い愛に満ちており、あとがきに「図書館通いがはじまりました」と記されるように、膨大な資料を読まれたことが伝わり、頭が下がる。そしてその成果のおいしい所だけ鑑賞させていただける喜びに浸っている。改めて木畑さんに感謝。

   
f0371014_06530228.jpg
              裏表紙の小さなサインも木畑さんらしくて素敵

      あたたかなまなざしのなかに浸りゐる読書時間に春の風吹く



[PR]
by minaminouozafk | 2018-04-20 07:02 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

~豊かな〈晩年時間〉~

前田茅意子さんは、われわれブログのメンバー有川知津子さんのおばあさま。
火曜、水曜のブログで紹介された「魚座」勉強会後の宴席でメンバーにこの歌集が渡された。
()意子(いこ)
さんは、生年月日は母と同年五日違い、没年も母と同年。お亡くなりになった27331日は奇しくも父のほぼ1年後でとても身近に感じてしまう。そして明日が命日。

豊かな島の春を感じさせてくれるシンプルかつ素敵な装丁。

f0371014_06470359.jpg
      〈常に持ち歩いて読んだので、既に傷んでます。ごめんなさい〉

知津子さんの手による後書によると、茅意子さんの夫(知津子さんのおじいさま)は、41歳の若さで捕鯨船の出漁中、殉職。茅意子さんは生活のために鯨の卸売りを始め、跡を継いだ娘夫婦にかわって知津子さんの面倒を見ていたとある。
茅意子さんが亡くなられた後1年ほどの知津子さんの痛々しい程の落ち込みと哀しみの深さが、今でも忘れられない。

それでも遺歌集の出版のための編纂を始めてからの知津子さんの、生き生きと再生してゆく様子を身近に感じていた私は、お二人を繋いだ短歌の存在というものに改めて感謝したのであった。

前置きが長くなったが第二歌集である茅意子さんの12年間の一冊は1年ごとに区切られた編年順。

 家々に島の玉石置かれあり漬物石となしたる名残(なご)
 曾祖母より伝はりて来し桑の木の木魚を叩き朝の経読む
 明日は雨と予報のありてこの丘の(むら)みな藷を掘り急ぐなり
 手入れよき船々もやふ船泊り海の男の思ひ入れ見ゆ
 さざえ棲む磯埋め立てて竣りし波止(はと)寄する波おとさびしく聞けり
 そのかみの獅子は気魄に満ちしかど獅子も天狗も近ごろやさし
 旧盆に帰省の人の多くして真夜の一車線尾灯つらなる
 太田郷へ走る六キロ一台も対向車なくしみじみ過疎地

 正月用仕込みはじまり工場よりくぢらの(ひやく)(ひろ)炊くにほひする
 曾孫(ひこ)来れば日ごろ見かけぬ子供らが湧きたる如く遊ばうと来る
 ありがたし島の田舎に暮らす身は一歩出づればいづこも桜

先ずは島の暮しを詠んだ作品から。

暮らされるのは上五島に属する中通島。巻頭に置かれた一首目は、長い時間をかけて五島灘の波に洗われただろう漬物石から島の人々の暮らしが伝わる。

どの作品も島の行事や変化を的確に伝え、温かな眼差しに溢れてそれぞれの場面が生き生きと立ち上がってくる。最後の一首は歌集名となった作で、大パノラマが浮かぶよう。

 三本のつるばらの苗三人の孫より来たり傘寿を祝ぐと
 親の仕草まねて正座し線香をあげ手を合はす五歳、三歳
 夫を知らぬ孫や曾孫に囲まれて夫の分まで(いたは)られをり
 七歳のわがため父が買ひくれし象牙のソロバン今もなめらか
 われに纏ひつきゐしをさな四十となりて家長の風格を帯ぶ
 夫に付き住みしことある網走を訪ねきたれり六十年ぶり
 台風がどうにか逸れて孫三世帯十一人が渡り来にけり

ご家族の作品から。
二首目は知津子さんの3月14日のブログに登場した甥っ子、姪っ子さんだろう。盆、暮れには集まる家族の絆や過去の思い出が喜びとして詠まれる。
網走の作品は「六月、網走へ。葉津子、知津子同行(網走は葉津子を出産した土地)」と詞書があり、11首連作からなり、自然に囲まれて暮らす茅意子さんだからこその北海道の自然を詠み込み、思惟は時田則雄氏にまで広がる秀逸な一連。60年ぶり、それも3世代揃っての旅の喜び。

 恋しさも悲しさも今は朧にて四十回目の夫の祥月
 寝そびれて小説読めりたつぷりとわれに〈晩年時間〉のありて
 何事もなく運転の出来しゆゑ自信のごときもの湧く病後
 気力のみでは出来ないと不参加を初めて決めぬ町内掃除
 新しき老眼鏡のよく見えて目は五年ほど若返りたり
 たまさかに鏡を見れば髪白き老婆をりけり余生を連れて

 長々と平均寿命まで生きて一人の部屋の障子の白さ
老いてゆく日々を詠み込んだ作品から。

入退院を繰り返し体力の衰えを感じながらも、歌柄は明るい。温暖な土地での暮しに加え、多くの苦労を乗り越えて来られた強さが根底にあることが窺われる。
最後の一首の、白い障子と真向かう心情は、と長く立ち止まらせてくれる一首である。

 霧閉ざす玄海灘を九十分渡りて着きし長崎は晴れ
 見の限り波の秀光る春の海入り日眩しき五島灘ゆく
 雪の予報知りつつ海を渡るべく西風つよき桟橋に来つ

 豪雪地おもへば歌に詠むことなどしてはいけない雪景色なり
 歌といふ道の遠さよ踏み入りて歩みゆく道いづこへ向かふ
そして、短歌と向き合う作品。「単身渡海し、長崎歌会へ」とそれぞれ詞書のある歌から3首。それぞれ季節感にあふれ、歌会の場へ出向く喜びや意気込みが感じられる。

4首目の思慮深さ、5首目は85歳にしての感慨。歌に対する思いを見習わなくては。

そして巻末の一首は

 ながく病めば娘が母のやうにして千人力のうしろ楯なり

亡くなられる前日「三月三十日夜、口述筆記」と詞書がある歌で結ばれている。

最後まで、娘さんへの感謝を忘れず、それを作品に残した茅意子さん。心が震えた。

足早な紹介だったが、12年間という期間の作品の中から人生がくっきりと立ち上がって来る一冊であった。それは、後書にご主人の死後18年を姑に仕え、看取りを終えてから短歌を始めたとあったが、同時に家業にも追われ真摯に生きて来られ、ご家族や周りの方達を愛し愛されたからこそ、豊かな〈晩年時間〉の中に溢れ出る想いが伝わって来たのだと感じられた。
      

f0371014_06464598.jpg
                                     合掌


                〈今年の桜〉

      あおぞらのさくら仰げばさやさやと吹きくる風がはらむ潮の香


f0371014_06472433.jpg
      燦々と歴史かがやく()煉瓦(かれ)文化館(んぐわ)はた一冊の歌集のなかに


[PR]
by minaminouozafk | 2018-03-30 06:48 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

気づけばブログ担当も今日で今年最後。一年が早すぎる。年末の片付けをしながら、恵送いただいた歌集について、そのお礼の一筆も書いていないことに(大人として)恥ずかしくなり、付箋をつけたままになっている作品の中から一首ずつご紹介させていただくことにした。(並びは出版順。そしてこのアイディアは、先日、さる短歌賞の選考会議で会った桜川冴子さんから教授いただいた。桜川さんは「桜川冴子の愛する短歌」というご自身のブログの今月の10首というコーナーで、送られてきた歌集の紹介をされている。冴子さん、ご助言ありがとう。)



f0371014_09362402.jpg

『けふの水澄む』  早島和子(柊書房)

・「ふ」の字好き「ゆ」の字大好き冬が好き口笛吹けばふゆがささやく

流麗な韻律と新鮮な発想。ベテランながらみずみずしい。

『山帰来』   土屋美代子(柊書房)

・たまものの烏賊を捌けば南無三宝つかみゐる手に巻きつかむとす

日々の暮しを大切に、豊かで温かなお人柄と、人生観にほっとする。

『白光名城』  斉藤郁代(柊書房)

・胸うちに悶ふるありて下りゆかず手力込めて風呂場を洗ふ

夫君との訣れ、自身の闘病。その中から生まれる作品は力強く輝いている。

『海の窓』  中塚節子(現代短歌社)

・滅びゆくものはいとほしふる里の路地を童(わらべ)のごとくかけ抜く

作者の中に息づくふるさとの生き生きした景に癒される。

『葡萄酒色の海』  新保弥代枝(柊書房)

・敗北を抱きしめて来し両腕をほどきて武器(アームズ)となしゆくか日本は

言語感覚豊かな作者。言葉から想起される世界観の広さに瞠目。


f0371014_09361715.jpg

『そにどりの青』  吉田美奈子(六花書林)

・捩花の穂は天指せり原発を人が創りて人がくるしむ

高い作歌技術があるが、韻律のなめらかさが知に寄り過ぎない作品に仕上げている。

『仁池』  宮西史子(柊書房)

・ほんたうの別れを知らず十六のこころで読みし「永訣の朝」

讃岐びとのおおらかさが魅力。亡き夫君を詠まれた作品は胸に迫る。

『肥後椿』  澤淳子(柊書房)

・土俵にて組み合ふ時に力士らは這入りゆくとぞ相手の呼吸に

95歳の作者の第3歌集。明晰さを失わない表現力で日常を活写する。

『共命鳥』  谷村孝子(柊書房)

・迷ふこと多きわたしは頭二つ持ちてゐるとふ共命鳥(ぐみやうてう)らし

タイトル秀逸。読んでみたいと思わせる。自在な世界観が魅力の一冊。

『さいかちの実』  菊地佐多子(柊書房)

・「寂」といふ臓器がひとつ増えたやう亡き夫思へばシーンと痛む

静かなトーンで紡がれた歌は、実は社会のぐまにアクセスしている。


f0371014_09360765.jpg

『百通り』  長嶺元久(本阿弥書店)

・「わたくしが生きてるかぎり先生はお元気でゐて診てくださいね」

第14回筑紫歌壇賞受賞の作者。医師という職の悲喜こもごもを詠んで自在な歌境である。

『水の声』  江坂美知子(角川書店)

・うひうひしき夫の歩みに手を添ふる共に生くとふ時の尊し

古典に精通した作者。本歌集では夫君の闘病に伴う心の機微が襞深く詠まれている。

『ああ空も』  藤吉宏子(短歌研究社)

・転ぶ子に大地はやさし畦みちのイヌノフグリの紫淡し

格調高い韻律で詠まれた作品に溢れる眼差しの温かさ。「久留米のお母さん」なのだ。

『星のやどり』  能勢玉枝(柊書房)

・ぎつしりと金平糖の詰められて地球瓶とふ硝子の容器

第1歌集。具象から抽象へ飛翔の足跡が見える歌集。


f0371014_09355431.jpg

『散録』  外塚喬(短歌研究社)

・比喩はたのしい南瓜をおぢいさんといふ人の心にふれて歳晩

・炉心溶融(メルトダウン)まだ収まらぬうつし世を憂ひの目にて見る鼻まがり

・今日かぎりこの世にゐない人のため降る雪は首都の空を暗くす

・飛び立ちてすぐまた水にかへる鳥柳川は死者に多く会へる町

「朔日」代表、外塚氏。今年は他にも『木俣修のうた百首鑑賞』も恵送いただいた。父、師(木俣修)の享年を意識して編まれた本歌集であるが、作者の持ち味である観照の豊かさに揺るぎはない。



今年もたくさんの佳き歌集にまみえることができました。

ありがとうございました。

来年からは、毎月最終担当日にこういう形で歌集紹介をしたいと思っています(あくまで予定)。



あわただしい年の瀬。

どうぞみなさま、ご自愛ください。

来る年がみなさまにとって佳き年でありますように。




すぐ横に座しゐるやうな慕はしさ歌集を読めばその詠み人の



[PR]
by minaminouozafk | 2017-12-26 09:40 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

f0371014_23534938.jpg


宇田川寛之氏の第一歌集『そらみみ』(いりの舎)、鶴田伊津氏の第二歌集『夜のボート』(六花書林)を読んだ。


歌壇の人間関係に疎い私は、ほぼ同時期に恵送いただいたこの2冊を「とてもトーンの似た、まるで一対で読むべき歌集であるなあ…」などと不思議に思っていた。装幀も白と黒。出版社こそ違え、そこには相通する価値観のようなものが感じられた。

良い歌集を読み終えた深い充足感で2冊の奥付けをみると、そこには同じ住所が!

ああ、そういうことだったのか、と自身の無知を情けなく思いつつ、ではもう一度、と2冊を時系列で読み比べながら、あらためて楽しませていただいたのだった。


作品を引く。


『そらみみ』  宇田川寛之

f0371014_23535571.jpg



・誤植したやうに漂ふ雲ありて、落ち着きのないわれのたましひ

・午後四時の暖簾をくぐり夜まではまだあり呑めるところまで呑む

・ひとつひとつに付箋をつけるごと過ごす複数形の暮らしのはじめ

・化粧せぬきみの母なるやさしさよ若葉の午後はみどりご囲み

・生活のすべて数字に置き換へるさびしさ覚ゆ独立ののち

・路線図を飽かずに見たる子は覚ゆ都営三田線の駅名すべて

・父の日の父なきわれは父といふ背筋伸びたるひとになりたし

・子のひとひ、我のひとひの重なりのわづかにありて春の躍動

・精一杯やつたつもりのいちにちを明るく批判されてしまひき

・せいしゆんを漢字に変換してゆけどどれも馴染まず作業に戻る

・匿名の許されてゐるゆふぐれを行き交ふひとはみな他人なり



『夜のボート』  鶴田伊津

f0371014_23535917.jpg


・手術痕しろく残れるわたくしの下腹くすぐる羊歯の葉のあを

・もつれたる根をほどけずにいるごとく満身創痍 ええわどうでも

・「新宮はどこにあるの」と探しいる東京地下鉄路線図に子は

・赤ペンと原稿用紙、マーカーを並べたる子の「校正ごっこ」

・もう眠るしかないときに一番のかなしみを言う子の手を握る

・そこそこの母でよいのだ子の描くわたしの顔は笑ってばかり

・表情を直線にして子は立てり小さく揺るがぬプライドを負い

・子を叱りきみに怒りてまだ足りず鰯の頭とん、と落とせり

・ガムランの響くわたしの体内をあなたは知らぬ 知らぬままいよ

・みお、みお、と猫鳴くように子を呼びし日のわれ母というよりけもの

・空気とはよむものとなりさむざむと全休符めく沈黙ながす

・夜毎夜毎しずかに編まれゆくものか夢の被りしくさかんむりは

・うそついてないのに…ないのに…樫の木のようなからだをふるわせて泣く

・かなしみは手足に宿る この軽きひらがな書きのいじめがきらい

・踵から春ははじまり惑星の自転のはやさ感じておりぬ

・輪郭をはみ出しているよ駆けてゆく十一歳の逸るこころは

・茹で蛸をずんだずんだと切りながらゆうぐれという半端を端折る



過じょうなパフォーマンスがなく、内省的で落ち着いた詠風が、全体的なトーンを似たものにしているのだろう。もちろん一首一首を丁寧に読んでみれば、両者の作品質の違いに気づく。


宇田川作品にある屈託は、今を生きる人間の共感を呼ぶ。大きなドラマではない、日常の小現実を淡々と詠む。重心は社会との関係性に置かれ、家族、特に娘との関係は穏やかな時間の流れとして詠まれている。これは現代の30~40代男性歌人の特徴ではないかと思うのだが、やはり宇田川作品も若さの余韻と、繊細であるがゆえの不器用さが魅力のひとつとなっている。


鶴田作品はどうか。私はある時期の娘との関係を思い出して、懐かしく、そして苦しくなってしまった。この読みのコードは批評としてはアウトだが、感想としては許されるだろう。男性の育児参加が当然のこととして語られる昨今ではあるが、やはり母親の育児負担は大きい。肉体の疲労よりも精神の疲弊が深刻なのだ。子どもは可愛いばかりではない。接する時間が長いほど、愛憎の相克に苦しみ、幼児虐待も他人事とは思えなくなる。そんな時間の中で、詩情を失わず、時にはその相克を昇華して作品化した鶴田氏をこころより嘉したい。


東京23区生まれの宇田川氏、紀伊新宮生まれの鶴田氏。長い青春の尻尾を曳く夫を、気風の良さで盛り立てる妻。実際のお二人を存じ上げない私は、2冊の歌集から勝手にこんな想像をしてしまったのだった。


お二人の「あとがき」から引く。

・選歌と構成は家人の手を借りた。    宇田川寛之

・六花書林の宇田川寛之さんには何から何までお世話になった。一冊にまとまったのは宇田川さんのおかげです。ありがとうございます。    鶴田伊津


なんだか、美しい。



*「六花」vol.2 とっておきの詩歌


f0371014_23540332.jpg

この一冊も素敵でした。詩人・歌人・俳人が作品を詠まず、エッセイを書く。面白い試みです。コスモス関連では、巻頭に鈴木竹志さん、2号続けて大松達知さんが執筆、巻末には奥村晃作氏への16の質問があり、奥村節爆裂です。


  フランツとエリザベートのすれ違ふこころの声をそらみみに聞く




[PR]
by minaminouozafk | 2017-12-19 00:01 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

コスモスの中でも尊敬する歌人の一人でもある、やがて93歳になる矢野京子さんの第四歌集。

2008年から2017年までの443首、待ちに待った一冊を心して読ませて頂いた。

f0371014_07371734.jpg

矢野さんは、十代で白秋没後の「多磨」に入会、創刊からコスモスに参加して60年。

コスモスの〈新・評論の場〉20136月号で矢野京子論「自照するまなざしの深さ」を書かせて頂いた。作風についてはそちらで詳しく紹介しているが、当初からの自照する姿に衰えはない。


歌集はⅠ、Ⅱに分類される。まず、注目したのは、Ⅰの前半の一首とⅡ後半の一首。

・救はるることなどなけれど読み終へてふつと笑ひの()るるうた欲し

・美しくのみは詠むまじ人生の端つこに狭められゆくいのち

歌のかたちをつねに模索する姿は歌人としても見習わなければならないものである。

そしてそのツボにはまり込んだ私は、矢野作品に魅せられ続けている。


・ごみの山仕分けしてゐるあけがたの夢ひたすらに何捜しゐる

・われの何を待つや葬斎場のビラ今日も入りぬティッシュなど添へ

・「何も足さない何も引かない」などといふ完璧こそが()を脅かす
・「老人性通痒症」とぞなぜか手の届かないところばかりが痒い

・何をしても何かが足りないやうな春ぞぞつと殖えゆくクローバーの花

・草とると両手使ひてあらくさのどこかに忘れし杖よ 声せよ

・とり落すひつくり返すまちがへる〈老い〉は胸底にとぐろを巻くか

・物捜しばかりしてゐる老女なり()が掛けてゐる眼鏡のゆくへ

・自らをののしることば呟けばひそひそと猫が草にかくるる

一首目は歌集名となった歌。夢に見てしまうこの姿こそが、常に何かを模索して生きる象徴なのだろう。

どの作品も真面目な視点、であるからこそ巧まざる〈ふつと笑ひ〉が漂い出て来る。


・セーターが肩に重いと思ふ日々やがて空気の重い日が来る
・先ずは思ひありて行為はそのあとをよたよたと追ふ足曳きずりて
・〈人は人・私はわたし〉などといふ通俗結論に到り落ちつく
・二つ三つ痛むところは常にあり「生きてる(あかし)」はそこらあたりか

・老人性感傷癖(センチメンタル)と名づけをりピアノ曲聴きて時に泪ぐむ
これでもかと詠む老いも、暗くはならないのは、一首一首のなかでその都度折り合いをつけている強さがあるからなのだ。それは第二歌集『草少女』のあとがきに「感動、即、短歌にしないこと、そこからが作歌のくるしみであり、工夫であり、或る意味ではたのしみでもあるかと思い到りました」の言葉の実践が今もなお続いていることに他ならない。


では89歳からの作品で、起き上がれなくなる、入院するなど何度も危機に遭うが、リハビリ、歩行器を使うなど、お辛いご様子もさらりと詠まれていた。

・生から死を截然と切り放つ日のくるらし初夏の風走る日々
・捨てきれず拾ひきれずに生きてゐるせかせかと鳴る踏切の鐘
・九十歳を歩き始めて日々寒し 雨はみぞれにみぞれは雪に
・あとまはしあとまはししてゐることがもつとも大切なことかも知れぬ

・生きてゐることおぼろなり氷一片を入れて飲む水いのちに届く

・「つつぱり」も「きおい」も半ばほどで折れ「つらぬく」といふことの億劫
・「けふ」といふ時間が去つて「あす」といふ手つかずの時間なぜか嬉しい

・枯れ椿捨ててしまへば甕ひとつ冥き口開け風を吸ひ込む
・お出かけの老女のグッズ肩カバン帽子に杖にうらら冬の陽
・無視されてゐたき電車の混みあひに白髪杖つき老婆は目だつ

悩みながらもある種の開き直りを思わせる歌も散見し、自力で歩かれる今があることが喜ばしい。

そこには、同居される息子さんの陰の支えがあってのことだろう、数は少ないが温かい眼差し、感謝の気持ちが伝わる。
・転倒をおそれて吾に従いてくる()の子のつそり 冬月白し
・あやふさのあれど壮年の()の声に時に動じぬ心のぞかす
・子のこもる内よりジャズの音ひびくふくらみしぼみサックスの音

第一歌集『風影集』は、選歌をされた葛原繁氏が、「風が心の投影として詠まれていることが多いなどから命名」されたが、その後も通奏低音のように雨風が詠まれてきた。この歌集でも身に添いまた脅かされながら、折々に詠まれ印象深い。

・一人寝のわれを拉致せんいきほひにがうがうと夜空走る風あり
・〈洗ひ流す〉雨ではなくてどさどさと〈吐き捨つる〉やうな雨闇に降る

・草に棲む虫覗きたしとおもふ日々マンションの四囲雨おともなし
・この世なほ夢ならむ浅きゆめならむ霧の中風の音遠ざかる

・ま裸のたましひのごと臥し(まろ)び夜明けざあざあの雨音を聞く

・小さなる部屋ごとわたしを揺さぶりてごおつと堤防へ逃げてゆく風

・生かされて孤りをたしかめゐる時にどろどろ迫る夜の雨音

・転がりし石くれのやうに寝てゐたり物がたりするやうな雨音
雨風に仮託し、大胆にオノマトペを使うことにより、老いや死への思いが感傷にとどまらぬ乾いた抒情となり、もっとも矢野ワールドを感じさせてくれる部分とも言えるのではないだろうか。

最後に、自由な旅は叶わないお身体だと思われるが、だからこそ喜びに満ちる、慎ましい日常のなかの自然を詠う作品を。

・かの夏のけぶれる花のやさしさも捨ててきりりと合歓 冬木なり
・喨々と空へいのちを噴きあげて土手の大銀杏新芽きらきら
舗道(しきみち)の罅にこぞりてミミナグサひしひしげんき(・・・)吾より元気

・わけもなく蝉の鳴かざる大黐を見上げてをれば樹のことば満つ

・遠山がうたを唱つてゐるやうな日暮れ明るしもう終る「秋」

・ひつそりと合歓は秘密のごとく咲く水辺はなれて森へ入りゆけば

・筒なかの闇に光の差し入るやひらき初めたる百合の歓び

・わが頭上ゆつくりとゆく鳥の胸まろしましろし春や近づく

・こぶしの花下より見上ぐしあはせでないとは言はぬあたたかき風

この一首で、歌集は終る。

常々、長生きなんてまっぴらと考えている私だが、老いという世界をちょっぴり覗いてみたいと思わせてくれた一冊との出会いである。

あとがきに「やっと今最後の一冊を」と書かれていたが、まだまだ老いの続きを私達に提示し、導いていただきたいと切に願う。



     風音に耳かたむけるやがてくる老いの序曲のやうな海風

     


[PR]
by minaminouozafk | 2017-11-17 07:38 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

「エフ―ディ」(20165月発行)という雑誌が届いた。

それは、ふくおか県民文化祭講師の小島なおさんから。

全国大会でお会いした時に講師紹介のためのプロフィールを伺い、参考のなればと送って下さった。

f0371014_07253341.jpg

それがとっても面白いのだ。

ティッシュケースのイラストが御茶目だが、エフ―ディとはティッシュが取り出しやすいように箱のなかで手助けしてくれる妖精なのだそうだ…

私が説明するよりエッセイの一部を抜粋する。(本の詳細はネットでどうぞ)

第2弾、始まる  石川美南

  短歌と俳句の秘密結社、エフーディの会・有志による吟行ツアー、第2弾。今回は川野里子さんの故郷である大分県竹田市を訪れている。第1弾(松山・別子銅山吟行編)から引き継いでのメンバーは、川野里子さん(歌人)、東直子さん(歌人、小説家)、三浦しをんさん(小説家)と、石川(歌人)。第2弾からの新メンバーは、小島なおさん(歌人)、平岡直子さん(歌人)、高柳克弘さん(俳人)。

なおさんは本名が直子さんなので、七人中三人が「直子」ということになる。


異業詩間!?交流のとても豪華なメンバー!

ほぼ毎月、歌会か句会を行い、時々吟行旅行に出かけ雑誌にしているとのこと。

今回は、竹田市のバックアップで二泊三日、「作家が語る+作家と語ろう」というトークイベントの旅だったようだ。

欠席だった平田俊子さん(詩人)も後日「一人吟行」!を敢行され計8名による、俳句、短歌、詩、から各自二種類以上+エッセイ(全員)が掲載されている。

そのすべてがこの旅に関する作品というのも、皆さんの意気込みが感じられる。

f0371014_07225135.jpg

おばさんの私にも読みやすい行間と文字の大きさ。

内容の濃い旅程表に始まり、短歌、俳句は各10首(句)、全92頁。

しっかり読み応えのあるものだった。

すべてをご紹介できないのが残念だが、短歌作品の中から二首ずつ紹介します(掲載順)。

礼拝堂の岩窟くぐる神もたぬひとりひとりが深く身を折り      川野里子

ここであそこでどこで鳴る鐘おほいなる楽器となりてこの町しづか

しののめのきのこの目覚めみるみるとミルクのような霧のうれしさ  東直子

すきとおるレースとなって落ちる水 悲願を流し続けるように

そのむかしひたりひたりとキリシタン裸足でゆきし肥後へ続く道   小島なお

穂芒は柔く重たき死者の腕 此方(こちら)参れと手招いている

あたたかき餡は裏切りの味に似て崖下で呼ぶヤコブの生首      三浦しをん

十字架とΩ(オメガ)を隠し墓石に刻んだ文字は妙法蓮華

石に次ぐ石ありなべて平らかにここが遺跡と説かれてゐたり     高柳克弘

血の流れ沁みたる土にあをあをと夏の名残りのとのさまばつた

城跡へ向かふ夕暮れ 身じろぎもせず立つてゐる()槿(くげ)が怖い     石川美南

右手、宙に浮かせたるまま月を待つほんの子どもの滝廉太郎

あるだけの鉄道模型を敷きつめて踏み絵といえばバージンロード   平岡直子

死角には柑橘類が増えながらカメラが舌を出すのがこわい

ああ、紹介は簡単に。とは思うのだけど、あまりに素敵過ぎてなおさんの詩も紹介しちゃいます。

        秋の鏡    小島なお

       

       ふっくらと秋の雲

       見覚えがあるような気がして

       しばらく仰いでいたら

       雲も私を見下ろして

       しばらくしたら行ってしまった

       しんなりと秋の風

       すこし淋しくなって

       一歩二歩と近づくと

       風はすらりと身をひるがえして

       素知らぬ顔で去って行った

       ひっそりと秋の木

       なにか物言いたげに

       こちらに両枝を広げてくる

       わたしはくさくさしていたので

       目もくれずに通り過ぎた

       すれちがうたび

       空にある巨きな鏡が

       きん、と光る

       きん、きん、きん

       眩しい秋の
       数えきれないすれちがい

       秋のあいだじゅう

       光り

       秋という季節をかけて

       古びてゆく

       鏡

       つめたい北風の吹いた朝

       ひびだらけになった鏡が

       いっきに割れた

       ぱりんぱりん、ぱりん

       空から破片を振り落とす

       すれちがった

       雲や

       風や

       木

       あっという間に光のかなた

       破片をざくざく踏んづけて

       なにもかもすっかり忘れて

       はじめからひとりきりのようなわたし

       空に鏡はなくなって

       今日から冬だ

                    ※竹田市には鏡という地名がある

東直子さんの作品の中に〈三人の直子の一人赤い服たなびかせつつ白雲を呼ぶ〉とあった。

なおさんは雲と交信しながら、この詩を生み出したのだろう。

次の発行が待ちどおしい一冊と出会ってしまった。

f0371014_07272417.jpg


                 吹く風に竹田の秋がまぎれこむ雨のち雲がながれる街に


[PR]
by minaminouozafk | 2017-09-29 07:27 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

間千都子さんは、福岡県歌人会の事務局長を務められている。報告資料の取りまとめ他、六十代、機動力のある年代として会を支えてくださっている。いつも重い資料を抱え、明るくテキパキと仕事をこなす姿は歌人会新人の私には眩しいばかり。そんな多忙な中、宗像大社短歌大会の実行委員としても参加して下さっている。
カルチャー教室で青木昭子氏と出会い、ポトナムへ入会されて18年目。

一昨年、ポトナム白楊賞を受賞され、満を持しての第一歌集である。
東京育ち、福岡に嫁いで38年、印刷会社を営まれる親子三代の同居暮らし。そういう中での博多の風習を重んじた丁寧な暮らしぶりが先ず目を引き、読みどころでもあるのだろうが、青木昭子氏の跋文に詳しいので、割愛させていただく。

現在介護年齢真っ只中、さぞかしご苦労の多いであろうことは集中からも伝わるが、注目したのは一家の家刀自としての心のバランスの取り加減である。

・わが内の糸がぷつりと切れた日はやれやれとまた結びなおして

歌集名はこの一首による。おおらかな印象そのままに、とても大人である。
この気持ちを保つための葛藤や、鬱積を詠まれた歌がばつぐんなのだ。
・叶えてはならぬ願いは胸のなか推理小説の中にふくらむ
・ワンピースのファスナーをあげ春色に包まれているわれの憂鬱
・またひとつ気の病む事のやってきて我と足並みそろえて歩く
・失せ物があれば私が犯人となりて母との現場検証す
・耐えられぬほどでもないが夏雲よこの世にエライ人多すぎて
・良き人より良き便りくる本当に良き人なのかそれは解らぬ
・年寄りに上げ膳据え膳するなかれ加減ほどほど手抜きの口実
・わが怒り混ぜたる激辛麻婆を夫はふうふう汗して食ぶる
・障害物つぎつぎ越えて走るよう誰と競争しているのだろう
・つまりその死は遠きもの春くれば春支度して老いびと元気
・犬歯二本を削られいたる吾は多分優しき動物になるであろう

多少のブラックを含むユーモア、憂鬱も明るく包み、諦めにも優しさが滲む。

「耐えられぬほどでもないが」「それは解らぬ」スパイスのように毒が効いているが爽やかな読後感に読者である私も首肯していた。激辛を汗して食べるご主人のさまは、妻の無言の怒りに冷や汗をかいているようで、夫婦関係が垣間見え楽しい。犬歯二本を削られて、「なるであろう」と言うのは優しくない自覚であり、結句の後に(いや、ならないかも…)と隠れているようでもある。いずれも上質な機智に富み、人生を丸くおさめてこられた知恵と余裕が感じられる。

思慮深い考察は、日常の一場面を切り取る小さな気づきにも反映され、且つ明るい。
・一陣の風のようなる子育ての終われば娘が子を抱いている
・磨かれて生き返りたる換気扇どんなもんだと空気すいこむ
・ししむらを無理矢理おし込めたるここち試着の服は買わずに帰る
・原色の靴のいならぶサマーセールはたして(あるじ)に逢えるかどうか
・焼き茄子の皮を剥ぎつつ持ち重る心の峠をただいま越える

ウィットの効いた作品を中心に挙げたが、逆年順に編まれた歌集は家族の歴史を辿るようであり、あとがきには、32年前に亡くなられた大姑さまの遺品から見つかったという短歌も記され、家族愛に溢れた一冊なのである。

f0371014_06180760.jpg

帯を外して見える「春吉書房」はご長男が起ち上げた出版社。

博多の伝統職人技である水引をあしらった表紙も美しい。

最後に、如何にも穏やかでお優しそうなご主人へ寄せる、視線にぶれのない心をご堪能いただきたい。

・酒をのむ鰥夫(やもお)おもえば夫よりも長生きせねばと思うこの夏
・我よりも先に逝きたい夫なれば我の行くさき取越し苦労す
・夫の読む本の帯には「最愛の人を失ったとき人は」の文字(もんじ)
・お父さんはいい老人になりそうだ息子の言葉に合点すわれは
()とおさな送りし後を空港の出発ロビーにたたずむ夫は
・カエルの子はカエルといえばそれは困るとむっつり言えりカエルの夫

f0371014_06222513.jpg


カバーを外した中表紙の鮮やかな豊潤な実りは、満ちたりた家族のかたちそのものだろう。

雨雲の向かうに明るき世界あるような夕空 橋にたたずむ


[PR]
by minaminouozafk | 2017-08-25 06:23 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

大松達知の『ぶどうのことば』を読んだ。




f0371014_07444089.jpg




われをみてンンンッ?と言ふ一歳児ぶだうのことば話すみたいに

どんな親不孝を君はしてくれる? みかんを五つ剝くだけ剝いて

地団駄を見せてくれたねありがたう見たかつたんだ君の地団駄

クルリンとグルリンはどこか違ふらしパパやつてみてパパやつてみる

なんで?なんで?娘は父を問ひ詰める ああ、その母のくちぶりのまま



愛娘を詠んだ作品から引いた。2014年から2016年にかけての作品を収めた本歌集中で、お嬢さんは1歳から4歳へ成長していく。

タイトルの由来となった1首目(タイトルは一読で意味がわかるように新仮名表記にしてあるとのこと。作者ならではのこだわりがここにも・・)。内側から漲ってくる、爆発的な知の力の成長を感じさせる作品。「ンンンッ」が黒くみつみつと太る葡萄のイメージを伝えている。

2~4首目。イクメンで括られがちな男性の育児参加。大松のこのような作品を読むとその濃淡について考える。父と娘の濃密な時間。赦しの時間。残念ながら「親不孝」は見られないだろう。

巻末近くの5首目。4歳になったお嬢さん。ちょっと笑ってしまった。




ラーメンを食へばなかなか腹が減らず、トシですよつて言つたねあんた

うら紙の上でからまるあたりめの下足(げそ)あり言葉よりうつくしく

バカボンのパパの齢を二つ超え余白の多いわれのししむら

言葉あたへるやうにカツブシ降らせたり孝行顔(かうかうがほ)のもめん豆腐に

不惑過ぎてジャングルジムに登りをり娘とゐれば〈変な人〉ならず

負けない、と声に出しをりたましひに燠のあることたしかめながら

つきつめて思へば人と暮らすとは人の機嫌と暮らすことなり

タレと塩ありて穏やかなる日ぐれタレはスンニ派、塩はシーア派?



1970年生まれの大松は今年47歳。そうか、もうバカボンのパパより年上なんだとしみじみする。(因みにバカボンのパパは私の理想の夫。大松の意識にやはりバカボンのパパがあったことがなんだか嬉しい。)

若いと思っていた、もしくは思っているわが身に訪れる不惑の日々。その年齢特有の鬱屈が、韻律というフィルターを通ることで沈潜し、淡々と、共感を呼ぶ作品に昇華されている。




「短歌は時代とどう向き合えるのかを常に考えます。他言語に翻訳不可能な定型のリズムを遵守し、歴史的仮名遣いや擬古文法を使用することはグローバル化に逆行することにならないか、矛盾をはらんでいることもわかっています。ただ、この詩形だからこそできることもあると信じて歌と関わってゆきたいと思います。」



大松の歌人としての覚悟が感じられる「あとがき」。

2014年 「桟橋」終刊

2015年  宮英子氏逝去

変容を強いられる中での、2016年季刊同人誌「COCOON」創刊、発行人就任。「コスモス」のみならず、現代歌壇の次世代の牽引者としての決意もせねばならない立場にあるのが大松達知だ。

実験的にならざるを得ないだろう。模索しなければならないだろう。それは、おそらく単に文芸上の試みにはとどまらず、私性の文芸短歌においては、生き方そのものに連動する問題になる。



「コスモス」6月号に島本ちひろ氏が大松歌集のタイトル、『フリカティブ』『スクールナイト』『アスタリスク』のカタカナタイトルから、『ゆりかごのうた』『ぶどうのことば』のひらがなタイトルへの変容をについて述べていたが、実に慧眼であると思った。大松の言葉への興味、関心は尽きない。言葉に執することが現代短歌を考える源であるという信念に揺るぎはない。けれど若い頃の新奇さに引かれる「知」の歌ではない、もっと柔らかな内省的な作品の登場はひらがなタイトルの使用と無縁ではないだろう。




娘のための雛(ひひな)であれどけふも見てふかく悼めりひいなさんのこと

小高さんについに会つてはもらへない娘なりパパだいぢやうぶだいぢやうぶ

七冊みな四六版なり 読、青、四月、月、四十、百、北、もう出ないんだ



挽歌を3首。

私たち福岡コスモスの仲間だった毛利ひいなさん。享年37。若すぎる。でも、こんな風に思い出してくれる人がいる。それがうれしい。

小高賢氏。悔やみきれないその死。

『読書少年』『青北』『四月の鷲』『月白』『四十雀日記』『百たびの雪』『北窓集』、7冊は柏崎驍二氏の歌集。「もう出ないんだ」・・そう、出ないんだ。




現在、NHK短歌も担当し、メディア露出もしている大松達知。振りっ切った感のある演出も、時代の遺物になってしまう危機感と常に隣り合わせの短歌が、いかに時代と繋がっていくべきかを考えた結果であるだろう。先達は辛いのだ。頑張れ、達知。





おとうとのやうなる人と思ひしが一家言ある大人(うし)となる、ああ


[PR]
by minaminouozafk | 2017-06-06 07:48 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)

年が明けてからずっと落ち着かない日々を過ごしていたが、ここにきてようやく本を読む余裕が持てるようになった。積読状態の本たちをなんとかしなければ。
f0371014_02093813.jpg
で、まずはこの1冊。
「寂しさが歌の源だから」。本書は馬場あき子初の自伝。穂村弘との対談という体裁をとっているのだが、それがとても読みやすい。あとがきも含めて241ページ。馬場あき子の自伝としてはコンパクトに収まっていると思うし、要所要所で穂村が繰り出してくる質問が的を射ていて、ああ、そうそう、そこ聞きたかったんだよねということの経緯が簡潔に、馬場によって語られてゆく。

早くに実母を亡くし、祖母、叔母たちに育てられたこと。
算数が壊滅的にできなかったこと。(鶏の引き算の話は秀逸。10羽の鶏の中から3羽逃げたら残りは何羽?と聞かれて、「たぶん7羽だけど、中には逃げる気もなくついていくのもいるかもしれないから・・・、6羽か、5羽。」と答えた幼き日の馬場あき子。慕わしい。)
鮮烈な戦時体験。
敗戦下での短歌との出会いと傾倒。
結婚と結社創設。
能と古典と短歌。
女流短歌について思うこと。
若い歌人たちへ伝えたいこと。

こんなことが、丁々発止のやり取りの中で明らかにされてゆく。この二人の対談を読んでいると、まこと天才は天才を知るのであると実感する。良き聞き手あってこその語り手、またその逆も真であろう。

第1歌集『早笛』から最新刊『混沌の鬱』まで、馬場あき子の歌集は一冊一冊詠風が異なる。それは馬場の意図的な試行であり、1か所に留まることを潔しとしない馬場あき子という歌人を如実に語るものとして紹介されている。馬場の歌集出版のペースの早さにも驚かされるが、その歌集一冊の原稿は2日あればできるというそのノウハウにも驚いた。胆力のある人。馬場あき子はそんな印象を残す歌人だ。

本書の中で、気になった箇所をいくつか引用しておく。

・今は新しい短歌の時代が始まっていると見るべきか。短歌が滅びてゆく時代だと見るべきか。まあ両方よね。しかし私はやはり、新しい短歌が始まると思うのね。
・ことばのリズムそのものが変わっていくのか。(中略)時代とともにどんな風になっていくのか。定家の歌なんて(略)こんなことばのつづきがらの悪いものはだめだって。ところが、それが今の時代には優れた文学として受け入れられていく。そういうところが本当に不思議。結局、ことばの世界では一人の天才がいるかどうかが流れを変えるのよ。
・歌ができなくなると、やわらかい心を持とうとするでしょう。そうすると口語になってしまう。そうすると初七になるのよ。
・寂しいから作るじゃないの。充実を求めて作るもの、歌は。結局、最後の友達は歌だけなのよ。

恣意的に開くどのページにも至言が溢れている。
幾たびも読み返したい名著である。


さびしさに追ひつかれぬやう 疾走感みなぎる歌集26冊


[PR]
by minaminouozafk | 2017-04-04 02:32 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

『歌壇』3月号 藤野早苗

『歌壇』3月号が届きました。
f0371014_02115679.jpg

歌集・歌書の森に、『あなた 河野裕子歌集』について、「家族の物語(サーガ)」と題する900字の文章を書かせていただきました。
f0371014_02123393.jpg


900字というのはなかなか書くのが難しい長さで、冗長なことを言っているとたちまち尽きるし、核心を述べようと躍起になると、箇条書きのような、余裕のないカスカスなシロモノになってしまいます。

精一杯書いたつもりですが、さて…。

過日、「太母」という記事を当ブログに書いたのですが、あの文章が河野裕子という歌人の本質について書いたものだったのに対して、『歌壇』の方は、河野裕子を巡る家族の物語にフォーカスして書いています。
ご一読いただけると嬉しいです。


『歌壇』と言えば、高野公彦インタビュー、「ぼくの細道うたの道」。今回で10回を数えます。聞き手の栗木京子さんとの息もぴったり。『河骨川』『流木』のころのお話が中心になっています。テーマは老い。高野作品に匂い立つ老年のエロスについてのあれこれが面白いこと。

そして、噂の「天橋立だて音頭」がこのインタビューに掲載されています。それを歌い、踊るコスモスメンバー(小島なお、水上芙季、片岡絢のみなさま)の姿も。
f0371014_02131371.jpg
f0371014_02132687.jpg


歌壇賞受賞者の受賞第1作も意欲作でした。

大平千賀 影を映して
・疲れると痒がるあなた軟膏のうすき匂いの背中をさする
・舌に苔 運ぶ体をかばいあい夜の電車に人は眠れり

佐佐木頼綱 狩人の歌
・透き通る木漏れ陽ありて木々ゆらぎ蜂起せし人鎮圧せし人
・ゆつくりと誰かが生まれ変はつてるやうに香りてゐる桃の花


それから、ミスター編集室狩野一男さんの一連、「懸念の島」
・ああ端島〈ペンパイナッポーアッポーペン〉ぺんぺん草も生えずや否や
・康哲虎あなたは屹度学びゐむ「監獄島」としての端島を

昨年10月の長崎大会が思い出されます。康哲虎カンチョルホさんは、コスモスの期待の新人。パッキャオと世界戦を闘った元プロボクサー。注目株ですね。

特集「短歌の中に残したいことば」、なるほど、こういう企画いいですね。私は何を残したいのか、考えてしまいます。

小さくて、でも読みごたえ十分な、ゆかりさんのエッセイ、「私の時間術」。多忙なるゆえの効率的な時間の使い方、物事の優先順位などが、楽しく書かれています。まあ、ゆかりさんの忙しさは常人と比べるべくもないので、なかなか参考にはできませんが。


こんな感じで、今月も盛りだくさん。もう少し読んでから寝ようかな。




寝落ちする間際の際の間際まで『歌壇』のページめくる喜び


[PR]
by minaminouozafk | 2017-02-14 02:09 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)