カテゴリ:歌誌・歌集紹介( 31 )

「短歌」八月号を読んだ。

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まず、巻頭詠、高野さんの「こもれび」28首からご紹介。

〇無数なるいのち養ふこの星のオーラのごとし夕あかね空

〇やはらかな大和の歌のひらがなのやうな息してねむるみどりご

〇いかフライうまいねといふ呟きの低くひびきて一人の夕餉

〇まひる咲くアガパンサスの花々を風揺りて空はひかりの(さざなみ)

〇日のひかりこまかにゆるるしづけさをこもれびと呼ぶやまとことの葉

〇人ら行きその影ゆけり街なかの暗渠のうへの普通の歩道

〇備ヘアレバ 格言一つ思ひ出し二、三歩ゆくに人生茫々

言葉に角がなく、まろやかで一読後すとんと胸に落ちて来る感じ。韻律がなめらかなので覚えやすく、誦しやすい。豊饒。

他には、金子兜太氏への挽歌一連、そこから展開される政治への不信を詠んだ作品など、闘う高野氏の姿もいい。


続いて、松尾祥子さんの「穴」7首から。

〇極東の島に穴掘り永久に核廃棄物処理する話

〇地下深く核廃棄物埋めし島巨大地震に沈みゆくかも

恐ろしいたとえばなしが、恐ろしい現実としてすぐ横にあることを思い知らされる。怖い。


今号の特集は2本。

1. ふと立ち止まって—歌を鍛える推敲のポイント

・まず何を歌うか…中津昌子

・定型を守る…林和清

・語順を考える…安田純生

・観念より具体を…さいとうなおこ

・説明臭…藤原龍一郎

・自分の言葉で…佐藤弓生

・常識の範囲で…中根誠

・助詞を入れる・省く…小林幸子

・言葉の整理を…小塩拓哉

・辞書にあたる…村山美恵子

・表記にも神経を遣う…千々和久幸

・声に出して読む…寺尾登志子

作歌するの上で重要な推敲。一首がなんとなく立ち上がってからの方が実は大切だとわかってはいても、では具体的に何をすればいいのかわからない…という人のために最適な特集。執筆歌人の推敲の経緯がわかって面白い。


2. 創刊120年「心の花」の女性歌人たち

古谷智子氏が「思索的ロマンの系譜」として柳原白蓮・片山廣子・村岡花子を、佐伯裕子氏が「モダニスト斎藤史と「心の花」」を、谷岡亜紀氏が「「心の花」を支えて」というテーマで「心の花」の妻たちを、佐佐木定綱氏が「人と今」という切り口の「俵万智」論を執筆している。女性歌人にフォーカスした点が面白かった。

また、大口玲子、清水あかね、駒田晶子、佐藤モニカの四氏による座談会も結社内部の気息が伝わり興味深かった。


酒井順子氏による連載の平安の女ともだち」は和泉式部(2)。盤石の面白さ。

もうちょっと読んでおこう。



「推敲のポイント」なるを耽読す逆走台風荒るるまひるま



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こっそり書いてます。

 


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by minaminouozafk | 2018-07-31 08:17 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

水原紫苑の第九歌集『えぴすとれー』を読んだ。2015年4月から2017年6月までの作品746首を収める。

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本阿弥書店刊

葛原妙子、山中智恵子に魅かれ、春日井建に師事。作品を読むにあたって、作者独自の読みのコードが必要なのがこの三巨頭。しかし、それ以上に鑑賞に悩むのが、件の水原紫苑である。水原作品の鑑賞の手引きとしては、「コスモス」2014年1月号「新・評論の場」に小島なおさんが「蝙蝠傘の一人」という優れた評論を書いている。結論部分を引用する。


・『びあんか』、『うたうら』、『客人』と、歌集を重ねるごとに歌の難解さは増してゆく。それはすなわち、水原が現世における肉体よりも魂を、真実の自分と確信してゆく過程である。現実と幻の狭間で葛藤していた魂はやがて、歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようになる。水原の作品のまなざしが、わたしたちに美しく残酷な印象を与えるのは、ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌であるためだ。


水原作品の世界観を十全に表現した鑑賞である。なおさんのこの手引きに従って、本作『えぴすとれー』を読み進めてみた。「ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌」とはどういうものなのか、考えてみたくなったのだ。

746首とは大著である。そして面白い。しかし、作品を「共有」できているのかと問われると自信がない。いや、何段階かのレベルに分けられるというべきか。

たとえば、


P9  十六歳のわれはそびらに巣をつくり白鷺を呼ぶ京の白鷺

P36 快楽(けらく)もて神の創りしあかしにぞゴキブリの(せな)かがやくものを

 

これらは多分入門編。雅やかなものに憧れやまなかった16歳の心や、てらてら光るゴキブリの背に創造主の遊び心を感じるという作品。


P11 ミッションを遂げたる花や(みづ)(あくた)ながれてわれもかくあらましを

P79 ひさかたの光病みぬる夕まぐれ六道の辻に硝子ひさがむ


この辺は初級編。咲き切って水面に浮かぶ桜の花びらになりたいと願う作者。また光が衰えた夕暮れ、薄暗さは六道を連想させ、そこで硝子を売る自分を描写してみる。シュールだが、わかる。


P57 雪待てば小町来にけり永遠の未通女ブラックマターを抱け

P256 虹のいのち橋のいのちを生くるため 手弱女(たをやめ)ほろび千の(つぼ)ひらく


こうなると、中~上級編。わからない。でも不思議なことにイメージはできる。像を結ぶのだ。

これはどういうことなのか。


P29  われは笛、われはくちなは、われは空 死の後水の夢とならむか

P21 瀧斬らむクーデターなれ瀧斬らば三千世界(いし)とならむを

P88 異類婚・同性婚の犬妻と過ぐす夜黄金(くがね)も玉も何せむ


集中、このような作品が散見される。これはなおさんの言う「歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようにな」った水原の姿なのではないだろうか。笛にも、蛇にも、空にも、水の夢にさえ変化し、異類婚、同性婚も厭わない。瀧とは、おそらく自身の投影。他にも魚、しらほね、石などが投影の対象として頻出する。


肉体を持たない水原の感覚器は剝きだしである。ロゴスを超越した圧倒的なパトス。神託のように降ってくる言葉をほとばしるパトスに賦与するのが水原の作歌なのだ。その言葉とパトスの対応は万人に理解可能なものではない。しかし、水原の内部では、その両者は必然的に分かちがたく存在する。その必然が、一首の意味は不可解ながら、抗がい難い魅力となって立ち上がるのだ。


「えぴすとれー」はギリシア語で「手紙」。難解な手紙をもらってしまったものだ。生涯かけて読み解くほかあるまい。



  むらさきの花に似る名のハルシオン熟寝の床に播くひとつぶは




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by minaminouozafk | 2018-07-24 02:09 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)

伊藤一彦氏の『光の庭』を読んだ。


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ふらんす堂の短歌日記シリーズ第9弾で、2017年元日から大晦日まで、一日一首と、それに文章が添えられている。このシリーズのいいところは、恣意的に開くページのどこからでも楽しめる点。それは、執筆している歌人の力量が信頼できるからこその楽しみ方であろう。

届いた本書を手に、心を無にしてえいっ!とページを開く。開かれたページにはきっと、必然があるに違いない……。ページは、4月23日(日)。

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驚いた。このページは、今の私にとってとても大切なページだったから。

星野源は俳優、ミュージシャン。癖のない好青年キャラと、同世代の共感を呼ぶ楽曲で人気のタレントだ。朝ドラ「半分。青いの主題歌も歌っている。ここに書かれている寺ちゃんこと「寺坂直毅」は中学で不登校を経験した放送作家。伊藤さんがスクールカウンセラーをしていた高校の卒業生であるという。著作『いのちの車窓から』で寺ちゃんを紹介した星野源もまた不登校経験者。星野源、寺坂直毅、伊藤一彦、この3人の名が並んだページを開いた自分にちょっと驚いてしまった。


伊藤さんにはこんな著作もある。

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2005年刊行。

カウンセラーとしての側面が顕著な一冊。

5年前、娘が不登校になったとき、この本を何度も読み返した。読むたびに、あの日向の匂いのする大きな声で、「大丈夫、大丈夫」と言ってもらっているような気がした。つくづく思うのだが、不登校は子どもの問題ではなく、それを取り巻く大人の、もっと言えば社会の問題。そこを変えずに、子どもにだけ変容を促しても何も解決しない。

寺ちゃんが夢を叶えて放送作家になれたのも、星野源がみごとにアーティスティックな才能を開花させたのも、周囲の理解があってこそ。ひとりひとりにきちんと道が用意されていることを信じてくれる大人の存在はとても大きいことを改めて感じた。


第4週の火曜日は、歌集・歌書を紹介する約束なのに、内容をご紹介できていないことを反省。けれど、本歌集『光の庭』に、伊藤さんのカウンセラーとしての一面を見つけたことがとても嬉しくて、書かずにはいられなかったのだ。申し訳ない。


 この人が言ふならきつと大丈夫 「だいぢやうぶよ」と子に伝へやる




*私は現在、「咲くふぁ福岡」というグループを友人と立ち上げ、不登校当事者とその家族の支援のための活動をしています。興味のある方は以下のブログ、ホームページをご訪問いただけると幸いです。

 ブログ:アガパンサス日記

https://sacfafk.exblog.jp/

 HP :http://sacfa.yubunsuzuki.com/


*私たち「咲くふぁ福岡」企画の講演会〈「不登校から見えてくる教育の未来~多様性を考える~」前川喜平in福岡〉を開催いたします。

・12月8日土曜日 (10:00-11:45)

・都久志会館 

・800円(全席自由)

世間的には、世界の終わりのように考えられている不登校という現象。でもそれは実は多様な生き方に気づく好機なのだということを、前文科省事務次官前川喜平氏にお話しいただければ、と思っています。


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*そして、9月21日(木)の二階がスナックといううどん屋さんのマスター。この方、夫のサーフィン友だちでした。土曜日のユリユリの記事でご紹介いただいた岸田さんといい、こちらのマスターといい、世間は狭いなあと思う今日この頃。


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by minaminouozafk | 2018-06-26 01:08 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

「短歌」6月号の特集は、〈いまこそ厨歌〉。

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この「厨歌」という言葉、私以上の年代の人間には、若干ひっかかる物言い(歌としての位相が低い、というか……)に感じられて、最近ではあまり見かけることがなかったように思う。しかし、近年、女性の社会進出に伴う男女間の役割分担の変容で、この「厨歌」の位相自体が変わってきたのだなあ、となんだか新鮮な気持ちになった。


大学卒業後、11年働いて、結婚後は無職。それこそ厨回りのことしかしてこなかった私には、人間としてどこか負い目のようなものがある。厨仕事を本分として励み、作歌すれば良かったものを、厨歌を詠むことは自らの社会的立場の弱さを認めることになるような気がして、ずっと避けてきたのだった。

しかし、こうして特集記事を読んでみると、つくづく惜しいことをしたと思う。厨歌は素材の宝庫。発見の鉱脈であった。


「総論 家事と短歌―どこにでも詩はある  小さな家で鍋物をする」の中の小島ゆかりの言葉を引く。



 人はみな小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆくなり

           佐佐木幸綱『ほろほろとろとろ』

 河豚鍋も鮟鱇鍋もせずに久しどうでもよいかそれはいけない

           馬場あき子『太鼓の空間』

「小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆく」のが人生であるけれど、その小さな家での河豚鍋や鮟鱇鍋をないがしろにすること、「それはいけない」。それは人生をないがしろにすることだから。



ゆかりさん、肝に銘じます。


*5首競詠+エッセイの二人の男性歌人、小池光、内藤明がともにレンジで「チン」を詠んでいたのが面白かった。やはり、男性の厨歌のはじめはここであるのだなあ。


*もう一つの特集  「迢空賞」発表  三枝浩樹『時禱集』

こちらも読みごたえあり。50首抄に堪能。また選考委員の論評に学ぶこと多し。高野さんが「まろやかで涼味を帯びた優しい音楽性」と題した選評を書かれている。高野さんはやはり、短歌における音楽性に注目していることを再確認。『北原白秋の百首』もそうだったし。なるほど。



  厨うたないがしろにせし二十年 漂白液に布巾を沈む

  わが知らぬ鉱脈眠る厨うたごくナチュラルに若きらは掘る

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イラストは沢野ひとし氏。
かわいい。

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こんなところに「コスモス」各賞受賞者紹介。

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すみません、こっそり書いてます。




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by minaminouozafk | 2018-06-05 08:17 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

今日はコスモス会員の合同出版記念会が東京で開かれている。高野公彦著『北原白秋の百首』も今回の出版記念会の対称になる一冊。
 私は白秋フリークとまでは言わないが、白秋の短歌のファンで特に『桐の花』、『雲母集』が好きだ。また『雀の卵』あたりに多い子供を詠んだ歌に白秋の中の少年性を感じて楽しんで居た。ただし系統的に学んだことがなく歌を読むだけなので論評などは、とてもとても畏れ多い。

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そんな私には『北原白秋の百首』は〈正しい白秋の歌の読み方〉の指標になるような一冊だった。膨大な白秋の歌の中から選ばれた百首には私の好きな歌がたくさん入っている。それだけでも嬉しかったが、充分に理解できていなかった歌が高野氏の解説でよく分かり鑑賞できたのが嬉しい。

みひらきの二頁の右側に抽出された歌一首、左に高野氏のコメントが書かれていて、簡潔だけど鑑賞のポイントが分かり易く、歌によっては歌集の前後の歌もひき、状況が説かれている。


たとえば〈ひいやリと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき〉。「鶏頭が幾本か植えられて黄色い花を咲かせている庭先に、ふと剃刀が落ちているのが見えた、という。むろん錆びた剃刀でなく、冷たく光っている剃刀であろう。剃刀は頭髪やヒゲを剃る道具だが、今の電気カミソリなどとぜんぜん違って、不用意に触ると危ない鋭利な刃物である。それが思わぬ所に落ちているのを見た時の慄然とした感覚が「ひいやリと」という言葉で表現されている。美しい花の近くに落ちている鋭利な刃物。あまり深読みしてはいけないが、この世にひそむ不気味なものの気配を暗示するような歌である。」

このように白秋の歌を読み解いていく高野氏の文章は分かり易く、しかも歌の背景の気分や余韻のようなものも明示されている。


最後に高野氏の「解説」があり、タイトルは「ことばでありながら音楽であること」。白秋の歌集を年代別に「青年期」「壮年期」「晩年」に分けそれぞれの歌集の特色が書かれているが「変わることなく一貫しているのは、言葉のひびきの美しさ、言葉遣いのしなやかさである。(中略)自分の心を表す言葉を少しでも〈音楽〉に近づけてゆく。それが歌人白秋の最も究めたかった目標ではなかったか。と私には思われる。」とある。



内容の充実した学ぶことの多い本だが、どこからでも興味深く読めるので、バッグに入れておき電車の中や、旅行中の乗り物の待ち時間で読むのにも良いと思う。白秋をまねて紅茶とカステラなどを用意して、ティ―タイムに読むのも良いかもしれない。



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 わかかりし白秋の恋のあやふさや敷道覆ふあはゆきに似て





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by minaminouozafk | 2018-06-03 07:00 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)

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『Sainte Neige』(青磁社)
栞紐はプラチナブルー。
北の空のような、水のような。

福士りかの5冊目の歌集『Sainte Neige』(サント・ネージュ)を読んだ。



1986年コスモス入会。

20代前半から短歌に関わり、以来、歌人と国語教師、娘で孫で伯母で、という忙しいながらも豊かな日々を送ってきた。本歌集にも、こうした暮らしの端緒が詠まれ、ますます加速するりかさん(こう呼ばせて下さい。「福士の……」とか、無理)の生の充実が感じられた。

この点については、先日届いた「コスモス」6月号の、水上芙季氏の歌集評「プラチナの光」をご参照いただきたい。

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北国に棲む人間にしか描けない雪の表情のこまやかさに注目した優れた批評である。先行する芙季さんの論に、書くべきことはもう書かれてしまってはいるのだが、かれこれ20年にも及ぶ友人として、本歌集に鏤められた秘密の一端を繙き、記すことを容赦願いたい。


「相聞の福士」が通り名であった。りかさんは津軽の人。170センチ近い長身で、大陸的なスケールの美人である。20代、30代を詠んだ『朱夏』、30代後半から40代の『フェザースノー』には表現の質の違いはあれど、多くの相聞歌が並び、その容貌と相俟って、衆目を集めた。40代半ばを過ぎて刊行された『りの系譜』では物語に仮託する形で相聞が詠まれ、方向性の新しさに注目した。では、本歌集『Sainte Neige』における相聞歌事情はどうなっているのだろうか。もうりかさんは恋をしていないのだろうか?いや、そんなはずはない。歌集の装幀の新雪のような手触りを楽しみながら、幾たびも読み返す。すると、やはり……。


・若草をそよがすほどの風が立つひとつの影が身を分かつ時

・忘れゐきわれが楽器であることを露を宿せる草であることを

・水底より引き上げられしたましひの出会ふひかりを恍惚とよぶ


49頁掲載の3首。1首目は帯にも掲載されている。甘やかで、でもさびしい印象の歌。単体で鑑賞すればそうなのだが、続く1首を得て、見える景は一変する。もうみなまでは言わない。「忘れゐき……」、この1首はまさに「相聞の福士」の面目躍如たる秀歌である。結句の字余りが言い足りないこころの余韻を表す。そしてその余韻は3首目の「恍惚」へと導かれてゆくのである。


本歌集随所にひそやかに置かれている相聞歌。それを探しつつ読みすすむのも面白い。それが本当に相聞なのかどうか、作者に尋ねたりするのは野暮である。恋は「孤悲」。ひとり静かに思うものなのだ。


相聞歌の難しさは、その「賞味期限」にある。恋は若者のもの、という観念はいまだ、いかんともしがたい。歌の巧拙より以前に、素材の吟味をされてしまう。40代以降のりかさんは、実はずっとこのジレンマと格闘していたのだと思う。年齢を重ねるうちに、激流のような恋情は徐々に清冽な伏流水となって作品の底を流れているのがわかる。聖なる水の循環。


・氷点下十三度の朝プラチナのひかりをまとふ(サン)なる(ト・)(ネージュ)


掉尾の、そして歌集名の由来でもある1首。『Sainte Neige』は表現された世界の輪郭をなぞって読むだけではその妙味を味わい尽くせない。その輪郭の背後に躍るひかりの粒や、静かに拡散する音の気配を楽しんでほしい。多分そこに、今のりかさんの相聞がある。



   永遠の半身として北に棲むうたびと思ふその生思ふ



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りかさん、ごめん。初対面のときの写真を掲載しました。
平成10年初夏。浦安の全国大会。私のお腹には8カ月の娘がいました。
懐かしい。


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by minaminouozafk | 2018-05-22 08:32 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

著者の木畑さんは「ささやかな読書ノート」と表現されるが、結社内同人誌「棧橋」、終刊後は継続誌「灯船」に全24回に渡って連載された歌人論。
戦前、戦後の歌人の歌をアンソロジー的に抜粋されたものは多いが、木畑さんはそれぞれキーポイントになる歌集に焦点を当て、時代背景から作者の短歌論まで丁寧に解説されている。
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                この一冊に相応しいノスタルジックでシンプルな装丁

第一回は〈「時間」の写生〉と題する佐藤佐太郎。
宮柊二とほぼ同年代。
茂吉に師事し、アララギ派の写実主義を受け継ぎながらも茂吉より自立。戦後という「貧」の時代に自ら短歌至上の貧の生活を選んだ佐太郎。
なぜ「貧」が必要だったのか。「純粋短歌論」と、この論に裏打ちされ、歌風が確立したとされる第五歌集『帰潮』から短歌と向き合う姿勢を探る。
純粋短歌論の中の言葉「断片」と「瞬間」をキーワードにして作品を読み解き、戦後の歌壇の動きとの比較も、佐太郎の歌人としての個を明確に立ち上げる。

佐太郎を論じた上での第二回は宮柊二という流れも必然である。
『現代短歌大系』において山本太郎が『晩夏』に柊二の屈折点を見出し、「宮柊二の歌にはじめて興味深い乱調が、いやおうなく出現した事実」を捉えたことに焦点を当て、制作時期の重なる佐太郎の『帰潮』と比較しながら「乱調」の謎を解き明かしてゆく。
私にとっても、謎が多いと感じていた作品の丁寧な解説と柊二の心情の汲み取り方が温かくも深い。
そして〈「自然在」なる歌はあらず〉と題された論にたどり着く木畑さんの歌人としての覚悟が伝わる。

第三回は白秋門下の歌人としての活躍をした木俣修の『冬暦』
敗戦という闇のなか「白秋の形骸的模倣歌」を作ることの戒めを掲げながらも白秋と通底する人間に向ける眼差しの温かさを見出してゆく。

もう少し紹介すると、語られることの少なかった山崎方代は〈仲間と裡なる故郷〉とする方代を支えた岡部桂一郎の作品との比較。
木畑さんは第五歌集『冬暁』のなかで〈鍬を手に野良よりもどる左右口の媼は方代の母にあらずや〉と方代の故郷を訪ねた一連があった。もしかしてこの論を書くにあたっての取材だったのかも。

塚本邦雄〈イエスと短歌への愛憎〉では洗礼を受けた木畑さんらしい塚本の現代短歌への愛と「イエス」への愛を考察しながらも塚本を「諧謔に満ちた明るく饒舌な大阪人ではないかとも思う」と書かれるのも上方喜劇の藤山寛美好きの木畑さんらしさかも。

最後24回は〈父たちの悔しみを継ぐ〉小高賢、桑原正紀のそれぞれ第一歌集。
宮柊二を敬愛し、戦後を引き摺るように詠まれた二人の歌集を問い直す作業は最終稿に相応しいものであった。

このようにどこを読んでも、丁寧で深い愛に満ちており、あとがきに「図書館通いがはじまりました」と記されるように、膨大な資料を読まれたことが伝わり、頭が下がる。そしてその成果のおいしい所だけ鑑賞させていただける喜びに浸っている。改めて木畑さんに感謝。

   
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              裏表紙の小さなサインも木畑さんらしくて素敵

      あたたかなまなざしのなかに浸りゐる読書時間に春の風吹く



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by minaminouozafk | 2018-04-20 07:02 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

~豊かな〈晩年時間〉~

前田茅意子さんは、われわれブログのメンバー有川知津子さんのおばあさま。
火曜、水曜のブログで紹介された「魚座」勉強会後の宴席でメンバーにこの歌集が渡された。
()意子(いこ)
さんは、生年月日は母と同年五日違い、没年も母と同年。お亡くなりになった27331日は奇しくも父のほぼ1年後でとても身近に感じてしまう。そして明日が命日。

豊かな島の春を感じさせてくれるシンプルかつ素敵な装丁。

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      〈常に持ち歩いて読んだので、既に傷んでます。ごめんなさい〉

知津子さんの手による後書によると、茅意子さんの夫(知津子さんのおじいさま)は、41歳の若さで捕鯨船の出漁中、殉職。茅意子さんは生活のために鯨の卸売りを始め、跡を継いだ娘夫婦にかわって知津子さんの面倒を見ていたとある。
茅意子さんが亡くなられた後1年ほどの知津子さんの痛々しい程の落ち込みと哀しみの深さが、今でも忘れられない。

それでも遺歌集の出版のための編纂を始めてからの知津子さんの、生き生きと再生してゆく様子を身近に感じていた私は、お二人を繋いだ短歌の存在というものに改めて感謝したのであった。

前置きが長くなったが第二歌集である茅意子さんの12年間の一冊は1年ごとに区切られた編年順。

 家々に島の玉石置かれあり漬物石となしたる名残(なご)
 曾祖母より伝はりて来し桑の木の木魚を叩き朝の経読む
 明日は雨と予報のありてこの丘の(むら)みな藷を掘り急ぐなり
 手入れよき船々もやふ船泊り海の男の思ひ入れ見ゆ
 さざえ棲む磯埋め立てて竣りし波止(はと)寄する波おとさびしく聞けり
 そのかみの獅子は気魄に満ちしかど獅子も天狗も近ごろやさし
 旧盆に帰省の人の多くして真夜の一車線尾灯つらなる
 太田郷へ走る六キロ一台も対向車なくしみじみ過疎地

 正月用仕込みはじまり工場よりくぢらの(ひやく)(ひろ)炊くにほひする
 曾孫(ひこ)来れば日ごろ見かけぬ子供らが湧きたる如く遊ばうと来る
 ありがたし島の田舎に暮らす身は一歩出づればいづこも桜

先ずは島の暮しを詠んだ作品から。

暮らされるのは上五島に属する中通島。巻頭に置かれた一首目は、長い時間をかけて五島灘の波に洗われただろう漬物石から島の人々の暮らしが伝わる。

どの作品も島の行事や変化を的確に伝え、温かな眼差しに溢れてそれぞれの場面が生き生きと立ち上がってくる。最後の一首は歌集名となった作で、大パノラマが浮かぶよう。

 三本のつるばらの苗三人の孫より来たり傘寿を祝ぐと
 親の仕草まねて正座し線香をあげ手を合はす五歳、三歳
 夫を知らぬ孫や曾孫に囲まれて夫の分まで(いたは)られをり
 七歳のわがため父が買ひくれし象牙のソロバン今もなめらか
 われに纏ひつきゐしをさな四十となりて家長の風格を帯ぶ
 夫に付き住みしことある網走を訪ねきたれり六十年ぶり
 台風がどうにか逸れて孫三世帯十一人が渡り来にけり

ご家族の作品から。
二首目は知津子さんの3月14日のブログに登場した甥っ子、姪っ子さんだろう。盆、暮れには集まる家族の絆や過去の思い出が喜びとして詠まれる。
網走の作品は「六月、網走へ。葉津子、知津子同行(網走は葉津子を出産した土地)」と詞書があり、11首連作からなり、自然に囲まれて暮らす茅意子さんだからこその北海道の自然を詠み込み、思惟は時田則雄氏にまで広がる秀逸な一連。60年ぶり、それも3世代揃っての旅の喜び。

 恋しさも悲しさも今は朧にて四十回目の夫の祥月
 寝そびれて小説読めりたつぷりとわれに〈晩年時間〉のありて
 何事もなく運転の出来しゆゑ自信のごときもの湧く病後
 気力のみでは出来ないと不参加を初めて決めぬ町内掃除
 新しき老眼鏡のよく見えて目は五年ほど若返りたり
 たまさかに鏡を見れば髪白き老婆をりけり余生を連れて

 長々と平均寿命まで生きて一人の部屋の障子の白さ
老いてゆく日々を詠み込んだ作品から。

入退院を繰り返し体力の衰えを感じながらも、歌柄は明るい。温暖な土地での暮しに加え、多くの苦労を乗り越えて来られた強さが根底にあることが窺われる。
最後の一首の、白い障子と真向かう心情は、と長く立ち止まらせてくれる一首である。

 霧閉ざす玄海灘を九十分渡りて着きし長崎は晴れ
 見の限り波の秀光る春の海入り日眩しき五島灘ゆく
 雪の予報知りつつ海を渡るべく西風つよき桟橋に来つ

 豪雪地おもへば歌に詠むことなどしてはいけない雪景色なり
 歌といふ道の遠さよ踏み入りて歩みゆく道いづこへ向かふ
そして、短歌と向き合う作品。「単身渡海し、長崎歌会へ」とそれぞれ詞書のある歌から3首。それぞれ季節感にあふれ、歌会の場へ出向く喜びや意気込みが感じられる。

4首目の思慮深さ、5首目は85歳にしての感慨。歌に対する思いを見習わなくては。

そして巻末の一首は

 ながく病めば娘が母のやうにして千人力のうしろ楯なり

亡くなられる前日「三月三十日夜、口述筆記」と詞書がある歌で結ばれている。

最後まで、娘さんへの感謝を忘れず、それを作品に残した茅意子さん。心が震えた。

足早な紹介だったが、12年間という期間の作品の中から人生がくっきりと立ち上がって来る一冊であった。それは、後書にご主人の死後18年を姑に仕え、看取りを終えてから短歌を始めたとあったが、同時に家業にも追われ真摯に生きて来られ、ご家族や周りの方達を愛し愛されたからこそ、豊かな〈晩年時間〉の中に溢れ出る想いが伝わって来たのだと感じられた。
      

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                                     合掌


                〈今年の桜〉

      あおぞらのさくら仰げばさやさやと吹きくる風がはらむ潮の香


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      燦々と歴史かがやく()煉瓦(かれ)文化館(んぐわ)はた一冊の歌集のなかに


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by minaminouozafk | 2018-03-30 06:48 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

気づけばブログ担当も今日で今年最後。一年が早すぎる。年末の片付けをしながら、恵送いただいた歌集について、そのお礼の一筆も書いていないことに(大人として)恥ずかしくなり、付箋をつけたままになっている作品の中から一首ずつご紹介させていただくことにした。(並びは出版順。そしてこのアイディアは、先日、さる短歌賞の選考会議で会った桜川冴子さんから教授いただいた。桜川さんは「桜川冴子の愛する短歌」というご自身のブログの今月の10首というコーナーで、送られてきた歌集の紹介をされている。冴子さん、ご助言ありがとう。)



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『けふの水澄む』  早島和子(柊書房)

・「ふ」の字好き「ゆ」の字大好き冬が好き口笛吹けばふゆがささやく

流麗な韻律と新鮮な発想。ベテランながらみずみずしい。

『山帰来』   土屋美代子(柊書房)

・たまものの烏賊を捌けば南無三宝つかみゐる手に巻きつかむとす

日々の暮しを大切に、豊かで温かなお人柄と、人生観にほっとする。

『白光名城』  斉藤郁代(柊書房)

・胸うちに悶ふるありて下りゆかず手力込めて風呂場を洗ふ

夫君との訣れ、自身の闘病。その中から生まれる作品は力強く輝いている。

『海の窓』  中塚節子(現代短歌社)

・滅びゆくものはいとほしふる里の路地を童(わらべ)のごとくかけ抜く

作者の中に息づくふるさとの生き生きした景に癒される。

『葡萄酒色の海』  新保弥代枝(柊書房)

・敗北を抱きしめて来し両腕をほどきて武器(アームズ)となしゆくか日本は

言語感覚豊かな作者。言葉から想起される世界観の広さに瞠目。


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『そにどりの青』  吉田美奈子(六花書林)

・捩花の穂は天指せり原発を人が創りて人がくるしむ

高い作歌技術があるが、韻律のなめらかさが知に寄り過ぎない作品に仕上げている。

『仁池』  宮西史子(柊書房)

・ほんたうの別れを知らず十六のこころで読みし「永訣の朝」

讃岐びとのおおらかさが魅力。亡き夫君を詠まれた作品は胸に迫る。

『肥後椿』  澤淳子(柊書房)

・土俵にて組み合ふ時に力士らは這入りゆくとぞ相手の呼吸に

95歳の作者の第3歌集。明晰さを失わない表現力で日常を活写する。

『共命鳥』  谷村孝子(柊書房)

・迷ふこと多きわたしは頭二つ持ちてゐるとふ共命鳥(ぐみやうてう)らし

タイトル秀逸。読んでみたいと思わせる。自在な世界観が魅力の一冊。

『さいかちの実』  菊地佐多子(柊書房)

・「寂」といふ臓器がひとつ増えたやう亡き夫思へばシーンと痛む

静かなトーンで紡がれた歌は、実は社会のぐまにアクセスしている。


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『百通り』  長嶺元久(本阿弥書店)

・「わたくしが生きてるかぎり先生はお元気でゐて診てくださいね」

第14回筑紫歌壇賞受賞の作者。医師という職の悲喜こもごもを詠んで自在な歌境である。

『水の声』  江坂美知子(角川書店)

・うひうひしき夫の歩みに手を添ふる共に生くとふ時の尊し

古典に精通した作者。本歌集では夫君の闘病に伴う心の機微が襞深く詠まれている。

『ああ空も』  藤吉宏子(短歌研究社)

・転ぶ子に大地はやさし畦みちのイヌノフグリの紫淡し

格調高い韻律で詠まれた作品に溢れる眼差しの温かさ。「久留米のお母さん」なのだ。

『星のやどり』  能勢玉枝(柊書房)

・ぎつしりと金平糖の詰められて地球瓶とふ硝子の容器

第1歌集。具象から抽象へ飛翔の足跡が見える歌集。


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『散録』  外塚喬(短歌研究社)

・比喩はたのしい南瓜をおぢいさんといふ人の心にふれて歳晩

・炉心溶融(メルトダウン)まだ収まらぬうつし世を憂ひの目にて見る鼻まがり

・今日かぎりこの世にゐない人のため降る雪は首都の空を暗くす

・飛び立ちてすぐまた水にかへる鳥柳川は死者に多く会へる町

「朔日」代表、外塚氏。今年は他にも『木俣修のうた百首鑑賞』も恵送いただいた。父、師(木俣修)の享年を意識して編まれた本歌集であるが、作者の持ち味である観照の豊かさに揺るぎはない。



今年もたくさんの佳き歌集にまみえることができました。

ありがとうございました。

来年からは、毎月最終担当日にこういう形で歌集紹介をしたいと思っています(あくまで予定)。



あわただしい年の瀬。

どうぞみなさま、ご自愛ください。

来る年がみなさまにとって佳き年でありますように。




すぐ横に座しゐるやうな慕はしさ歌集を読めばその詠み人の



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by minaminouozafk | 2017-12-26 09:40 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

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宇田川寛之氏の第一歌集『そらみみ』(いりの舎)、鶴田伊津氏の第二歌集『夜のボート』(六花書林)を読んだ。


歌壇の人間関係に疎い私は、ほぼ同時期に恵送いただいたこの2冊を「とてもトーンの似た、まるで一対で読むべき歌集であるなあ…」などと不思議に思っていた。装幀も白と黒。出版社こそ違え、そこには相通する価値観のようなものが感じられた。

良い歌集を読み終えた深い充足感で2冊の奥付けをみると、そこには同じ住所が!

ああ、そういうことだったのか、と自身の無知を情けなく思いつつ、ではもう一度、と2冊を時系列で読み比べながら、あらためて楽しませていただいたのだった。


作品を引く。


『そらみみ』  宇田川寛之

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・誤植したやうに漂ふ雲ありて、落ち着きのないわれのたましひ

・午後四時の暖簾をくぐり夜まではまだあり呑めるところまで呑む

・ひとつひとつに付箋をつけるごと過ごす複数形の暮らしのはじめ

・化粧せぬきみの母なるやさしさよ若葉の午後はみどりご囲み

・生活のすべて数字に置き換へるさびしさ覚ゆ独立ののち

・路線図を飽かずに見たる子は覚ゆ都営三田線の駅名すべて

・父の日の父なきわれは父といふ背筋伸びたるひとになりたし

・子のひとひ、我のひとひの重なりのわづかにありて春の躍動

・精一杯やつたつもりのいちにちを明るく批判されてしまひき

・せいしゆんを漢字に変換してゆけどどれも馴染まず作業に戻る

・匿名の許されてゐるゆふぐれを行き交ふひとはみな他人なり



『夜のボート』  鶴田伊津

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・手術痕しろく残れるわたくしの下腹くすぐる羊歯の葉のあを

・もつれたる根をほどけずにいるごとく満身創痍 ええわどうでも

・「新宮はどこにあるの」と探しいる東京地下鉄路線図に子は

・赤ペンと原稿用紙、マーカーを並べたる子の「校正ごっこ」

・もう眠るしかないときに一番のかなしみを言う子の手を握る

・そこそこの母でよいのだ子の描くわたしの顔は笑ってばかり

・表情を直線にして子は立てり小さく揺るがぬプライドを負い

・子を叱りきみに怒りてまだ足りず鰯の頭とん、と落とせり

・ガムランの響くわたしの体内をあなたは知らぬ 知らぬままいよ

・みお、みお、と猫鳴くように子を呼びし日のわれ母というよりけもの

・空気とはよむものとなりさむざむと全休符めく沈黙ながす

・夜毎夜毎しずかに編まれゆくものか夢の被りしくさかんむりは

・うそついてないのに…ないのに…樫の木のようなからだをふるわせて泣く

・かなしみは手足に宿る この軽きひらがな書きのいじめがきらい

・踵から春ははじまり惑星の自転のはやさ感じておりぬ

・輪郭をはみ出しているよ駆けてゆく十一歳の逸るこころは

・茹で蛸をずんだずんだと切りながらゆうぐれという半端を端折る



過じょうなパフォーマンスがなく、内省的で落ち着いた詠風が、全体的なトーンを似たものにしているのだろう。もちろん一首一首を丁寧に読んでみれば、両者の作品質の違いに気づく。


宇田川作品にある屈託は、今を生きる人間の共感を呼ぶ。大きなドラマではない、日常の小現実を淡々と詠む。重心は社会との関係性に置かれ、家族、特に娘との関係は穏やかな時間の流れとして詠まれている。これは現代の30~40代男性歌人の特徴ではないかと思うのだが、やはり宇田川作品も若さの余韻と、繊細であるがゆえの不器用さが魅力のひとつとなっている。


鶴田作品はどうか。私はある時期の娘との関係を思い出して、懐かしく、そして苦しくなってしまった。この読みのコードは批評としてはアウトだが、感想としては許されるだろう。男性の育児参加が当然のこととして語られる昨今ではあるが、やはり母親の育児負担は大きい。肉体の疲労よりも精神の疲弊が深刻なのだ。子どもは可愛いばかりではない。接する時間が長いほど、愛憎の相克に苦しみ、幼児虐待も他人事とは思えなくなる。そんな時間の中で、詩情を失わず、時にはその相克を昇華して作品化した鶴田氏をこころより嘉したい。


東京23区生まれの宇田川氏、紀伊新宮生まれの鶴田氏。長い青春の尻尾を曳く夫を、気風の良さで盛り立てる妻。実際のお二人を存じ上げない私は、2冊の歌集から勝手にこんな想像をしてしまったのだった。


お二人の「あとがき」から引く。

・選歌と構成は家人の手を借りた。    宇田川寛之

・六花書林の宇田川寛之さんには何から何までお世話になった。一冊にまとまったのは宇田川さんのおかげです。ありがとうございます。    鶴田伊津


なんだか、美しい。



*「六花」vol.2 とっておきの詩歌


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この一冊も素敵でした。詩人・歌人・俳人が作品を詠まず、エッセイを書く。面白い試みです。コスモス関連では、巻頭に鈴木竹志さん、2号続けて大松達知さんが執筆、巻末には奥村晃作氏への16の質問があり、奥村節爆裂です。


  フランツとエリザベートのすれ違ふこころの声をそらみみに聞く




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by minaminouozafk | 2017-12-19 00:01 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)