カテゴリ:歌誌・歌集紹介( 33 )

海老原さんは、このブログ〈南の魚座短歌日乗〉の元となった、三人だけの小冊子『みなみの魚座』の立ち上げメンバーであり、棧橋から灯船でのお仲間でもある。

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海老原さんの一冊には〈ふるさと〉という暖かい空気が流れている。

温暖な宮崎という土地柄もあるのだろうが、豊かな自然に対する海老原さんの眼差しにも拠るのだろう。

・アスファルトに田の土黒く落しつつ威風堂々田植機帰る

故郷(ふるさと)と書きつつ故の字(いと)しめりいつか私に冠する一字

・音もなく冬の陽ざしは降りそそぐ田の神様(かんさあ)の欠けし鼻にも

無戸室(うつむろ)の跡をおほへる杉苔にしらじら遊ぶ土用のひかり

・しんとして海鳴りまでも聞こゆる日もうぢき馬酔木の花がひらくよ

大仕事を終えた田植機の誇らしげな様子。「故」の文字も故郷に繋がると思えばという思索。

古来より田畑を見守ってきた田の神様の欠けた鼻に降りそそぐ陽射しに大いなる自然と伝統を嘉する海老原さん気持ちが伝わる。どの歌も宮崎という土地の持つ空気感が色濃く出ている。

海老原さんの日常と心の揺れを詠んだ作品から。

・こぶし咲き馬酔木、沈丁花(ぢんちやう)匂ひ来て春は新しき靴欲しくなる

・春さきの野草おほかたアク持てば思ひ出すなりわが反抗期

・焼き茄子はぽんと弾けてしぼみたりわが拘りもそんなものかも

・機械にも機嫌よき日のあるらしく今日のミシンは軽やか軽やか

・頼まれて入学準備の手さげ縫ふ縫ひものオンチの嫁を持つ幸

・内臓を持たねば影はらくらくと折れて社の石段くだる

巻頭の一首から始動の季節への期待感と積極性にワクワクする。「反抗期」や「拘り」も軽くいなしながら前向きに暮らす様子が伝わる。裁縫がお好きなのだろう。軽やかなミシンは海老原さんそのものであり、頼まれる手提げ作りも心踊りが伝わる。「影はらくらく」からは、私はしんどいけれどというユーモアがあり、どの歌も向日性がある。

明るさは人間観察にも働いている。

・バスを待つ男のしたる大あくび夕陽がぐいと吸ひ寄せらるる

・胃袋を吐き出すほどのくしやみして男過ぎるたり真昼の団地

・失礼と声かけ来たる人ありて煙草の臭ひが先に坐りぬ

・もう誰も〈そのまんま〉とは呼ばぬかほ物産館の幟りに笑ふ

・喜劇役者ならば詮なし幕引きの「そのまんま」劇は粗末でをかし

・真正面を定位置とする男ゐていつも斜めにテレビ見るわれ

眉をひそめたくなる「大あくび」「くしやみ」「煙草の臭ひ」も海老原さんにかかるとユーモアとなり、人物像もくきやかに立ち上がる。

四、五首目は東国原劇場と呼ばれ積極的な広報活動により宮崎ブランドを定着させた手腕と、その呆気ない幕切れを詠む地元ならではの視線だが「詮なし」と明るい。

六首目はご主人だろう。長年連れ添い、安定した間柄だからこそ詠める一首。世の多くの妻たちは「うちもそう~」と共感しているだろう。

この歌集は「何かと心配をかけた父への感謝を形に」と編まれている。

父はツマベニチョウを宮崎で繁殖のための保護活動を続けられた海老原秀夫さん。この秋、百二歳になられ、コスモスにも現役で出詠され、全国のコスモス会員の励みとなっている方。

・世話になる、面倒掛ける 畏れゐし父が言ふからさびしくなりぬ

・ゆるゆると優しくなつた父とゐて海のうへ行く雲を見てをり

・百歳の(ひで)ぢいちやんは物知りで何でも教へてくれると児の言ふ

・クレアチニンの基準値きけば百歳の数値は知らぬとドクター笑ふ

私達には、いつも穏やかな微笑みを湛えたお父上のイメージしかないが、娘さんにはたいそう厳しく接し、畏れられていたようだが、現在は共に穏やかな暮らしが伝わる。

もうひとり、最大の故郷を感じさせてくれるのは母の歌

・杉の間を霧の流るるわが故郷会ふ人はみな母に繋がる

・墓標には母の名ひとつ墓の下の壺中にひとりの母の恋しき

・休み休み母が訪ひ来しこの道にまた薮つばき咲きて母亡し

・母の日の母の墓処のそのめぐりゆたかに揺るるつんつんつばな

亡くなられて二十年になり、折々訪れている母の墓所を取り囲む空気が慰藉を感じさせてくれる。

ご両親の豊かな情愛があってこその、海老原さんのふるさとを内包する一冊となったのだろう。

        ただ一度訪ひし日向にワープするまだ父母が待ちゐしころの


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by minaminouozafk | 2018-10-12 06:58 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

『愛×数学×短歌』(横山明日希編著・河出書房新社)を読んだ。

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夏休み、帰省していた娘が、大学の地下食堂コミュニティの先輩の「愛の短歌」が本に載るらしいと言っていたので買ってみたのだった。

数学好きの男子高校生と短歌を詠む女子高生の交際の過程を、公募した「数学短歌」によって描くという企画もの。Twitterで話題になった「愛と数学の短歌コンテスト」を書籍化したものだとか。なかなか面白そう。


気になった作品を引いてみる。

・ベクトルの定義によれば「方向と大きさを持つ」つまり恋だな  泳二

  ベクトルとは恋であったのか。なるほど。

・平行線1°動けば交差するだから私も一歩踏み出す  ごまだれ

  平行という概念を的確に使って躍動感を生じさせている。

・あと半分あと半分と少しずつ想いを寄せても届かないんだ  横山明日希

  数学的に言うと、全体を1として、1/2+1/4+1/8+1/16…という近づき方をした場合、無限に加算してゆけば1になるが、人生は有限なので1には至らないのだそうだ。深い。

・背理法あなたの心を知りたいが仮定もできない私は臆病  panaffy

  「背理法」とは「~ではなかったなら」と逆の仮定をした矛盾を浮き彫りにする方法。数学の解法であれば当たり前に使えるのに。

・アイという見えないものを認めると世界は少し美しくなった  水宮うみ

  アイとは虚数i。もちろん「愛」を掛けている。

・赤い糸任意の曲線引けるならあなたのそばに1つの点を  横山明日希

  数学的には点も曲線なのだとか。短歌的には「1つの点」は「私」の寓意でしょう。

・何気ない午後五時二十九分も君と夕日を見たら特別  黒澤興

  午後5時29分は1729。これは、数学者ラマヌジャンが見つけた「タクシー数」なんだとか。数字に意味を見出すと限りがない。

・誕生日あなたとわたし婚約数だからあなたは運命の人  ルナ

  占いではなく、数学的婚約数で運命をはかる。そうきたか。

・あなたへの裂ける想いの証明に時の余白は足りなさすぎて  安藤もゆり

  「時の余白」という詩的フレーズは「フェルマーの最終定理」という360年解かれなかった問題を残す際に余白に書き入れた言葉。数学者は詩人だ。

・昨日より明日はもっと好きだからもう友達には収束できない  五十嵐

  「収束」も数学用語。ある状態に限りなく近づくこと。そうですか、友達には戻れないんですね。

・今君が僕を好きなら帰納法あと一秒だけ好きでいてくれ  unityむーさん

  「帰納法」とは、前見た鴉が黒かった、その前も黒かった、だから次に見る鴉も黒いだろうとする推測。あと一秒好きでいてくれたら、帰納法的には永遠となるかと言えばそうでないとわかっているところがなかなか辛い。

・正と負を二度間違えて正解に至ったような不器用な恋  物部理科乃

  マイナス×マイナス=プラス。この謎は「後ろ向き」で「後ろに歩く」と「前に進む」と思うと理解できるらしい。わかるけど、確かに不器用だ。

・遠恋の距離を求める公式は切なさかける会えない時間  y0k0t0m0

  なるほど。

・十三の次の素数は十七と十九の頃の恋のあとさき  四ツ谷龍

  素数好きは多い。こんな風に詩になる不思議。結句が効いている。

・5も7も31も素数より詩人の想い無限に溢(あふ)る  鰤

  これも素数。短歌は素数の複合体だったなんて。新鮮。


本書は1ページ1首構成。作品ごとに編者横山明日希氏の解説が付記されている。鑑賞のための数学的知識が端的に書かれていて、それもまた面白い。


数学と短歌のコラボがどういう形で成立するのだろうと思っていたが、非常に詩的に仕上がっていたことに驚いた。

しかし、考えてみればそうであろう。数学とは、特に純粋数学は、俗世の不純物を除いたところに立脚し、思考を進める。実在しないものに憧れ、追い求めるのは詩の創造と根を一にするものだ。数学を美しいと言い、哲学に通じると言うのはおそらくそのためだろう。


永田和宏、坂井修一など、言うまでもなく現代歌壇には優れた理系歌人が多い。恋というカオスを前に、定理や公式であざやかな解を求めようとしながら、その途上で生まれる矛盾に傷つき、立ち止まる理系男女の姿にこころ惹かれる。どうか彼ら、彼女らのこれからにずっと短歌がありますように。


  数学が得意だつたら 仮定法そこに広がるわが生茫漠


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by minaminouozafk | 2018-08-28 09:18 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

「短歌」八月号を読んだ。

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まず、巻頭詠、高野さんの「こもれび」28首からご紹介。

〇無数なるいのち養ふこの星のオーラのごとし夕あかね空

〇やはらかな大和の歌のひらがなのやうな息してねむるみどりご

〇いかフライうまいねといふ呟きの低くひびきて一人の夕餉

〇まひる咲くアガパンサスの花々を風揺りて空はひかりの(さざなみ)

〇日のひかりこまかにゆるるしづけさをこもれびと呼ぶやまとことの葉

〇人ら行きその影ゆけり街なかの暗渠のうへの普通の歩道

〇備ヘアレバ 格言一つ思ひ出し二、三歩ゆくに人生茫々

言葉に角がなく、まろやかで一読後すとんと胸に落ちて来る感じ。韻律がなめらかなので覚えやすく、誦しやすい。豊饒。

他には、金子兜太氏への挽歌一連、そこから展開される政治への不信を詠んだ作品など、闘う高野氏の姿もいい。


続いて、松尾祥子さんの「穴」7首から。

〇極東の島に穴掘り永久に核廃棄物処理する話

〇地下深く核廃棄物埋めし島巨大地震に沈みゆくかも

恐ろしいたとえばなしが、恐ろしい現実としてすぐ横にあることを思い知らされる。怖い。


今号の特集は2本。

1. ふと立ち止まって—歌を鍛える推敲のポイント

・まず何を歌うか…中津昌子

・定型を守る…林和清

・語順を考える…安田純生

・観念より具体を…さいとうなおこ

・説明臭…藤原龍一郎

・自分の言葉で…佐藤弓生

・常識の範囲で…中根誠

・助詞を入れる・省く…小林幸子

・言葉の整理を…小塩拓哉

・辞書にあたる…村山美恵子

・表記にも神経を遣う…千々和久幸

・声に出して読む…寺尾登志子

作歌するの上で重要な推敲。一首がなんとなく立ち上がってからの方が実は大切だとわかってはいても、では具体的に何をすればいいのかわからない…という人のために最適な特集。執筆歌人の推敲の経緯がわかって面白い。


2. 創刊120年「心の花」の女性歌人たち

古谷智子氏が「思索的ロマンの系譜」として柳原白蓮・片山廣子・村岡花子を、佐伯裕子氏が「モダニスト斎藤史と「心の花」」を、谷岡亜紀氏が「「心の花」を支えて」というテーマで「心の花」の妻たちを、佐佐木定綱氏が「人と今」という切り口の「俵万智」論を執筆している。女性歌人にフォーカスした点が面白かった。

また、大口玲子、清水あかね、駒田晶子、佐藤モニカの四氏による座談会も結社内部の気息が伝わり興味深かった。


酒井順子氏による連載の平安の女ともだち」は和泉式部(2)。盤石の面白さ。

もうちょっと読んでおこう。



「推敲のポイント」なるを耽読す逆走台風荒るるまひるま



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こっそり書いてます。

 


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by minaminouozafk | 2018-07-31 08:17 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

水原紫苑の第九歌集『えぴすとれー』を読んだ。2015年4月から2017年6月までの作品746首を収める。

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本阿弥書店刊

葛原妙子、山中智恵子に魅かれ、春日井建に師事。作品を読むにあたって、作者独自の読みのコードが必要なのがこの三巨頭。しかし、それ以上に鑑賞に悩むのが、件の水原紫苑である。水原作品の鑑賞の手引きとしては、「コスモス」2014年1月号「新・評論の場」に小島なおさんが「蝙蝠傘の一人」という優れた評論を書いている。結論部分を引用する。


・『びあんか』、『うたうら』、『客人』と、歌集を重ねるごとに歌の難解さは増してゆく。それはすなわち、水原が現世における肉体よりも魂を、真実の自分と確信してゆく過程である。現実と幻の狭間で葛藤していた魂はやがて、歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようになる。水原の作品のまなざしが、わたしたちに美しく残酷な印象を与えるのは、ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌であるためだ。


水原作品の世界観を十全に表現した鑑賞である。なおさんのこの手引きに従って、本作『えぴすとれー』を読み進めてみた。「ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌」とはどういうものなのか、考えてみたくなったのだ。

746首とは大著である。そして面白い。しかし、作品を「共有」できているのかと問われると自信がない。いや、何段階かのレベルに分けられるというべきか。

たとえば、


P9  十六歳のわれはそびらに巣をつくり白鷺を呼ぶ京の白鷺

P36 快楽(けらく)もて神の創りしあかしにぞゴキブリの(せな)かがやくものを

 

これらは多分入門編。雅やかなものに憧れやまなかった16歳の心や、てらてら光るゴキブリの背に創造主の遊び心を感じるという作品。


P11 ミッションを遂げたる花や(みづ)(あくた)ながれてわれもかくあらましを

P79 ひさかたの光病みぬる夕まぐれ六道の辻に硝子ひさがむ


この辺は初級編。咲き切って水面に浮かぶ桜の花びらになりたいと願う作者。また光が衰えた夕暮れ、薄暗さは六道を連想させ、そこで硝子を売る自分を描写してみる。シュールだが、わかる。


P57 雪待てば小町来にけり永遠の未通女ブラックマターを抱け

P256 虹のいのち橋のいのちを生くるため 手弱女(たをやめ)ほろび千の(つぼ)ひらく


こうなると、中~上級編。わからない。でも不思議なことにイメージはできる。像を結ぶのだ。

これはどういうことなのか。


P29  われは笛、われはくちなは、われは空 死の後水の夢とならむか

P21 瀧斬らむクーデターなれ瀧斬らば三千世界(いし)とならむを

P88 異類婚・同性婚の犬妻と過ぐす夜黄金(くがね)も玉も何せむ


集中、このような作品が散見される。これはなおさんの言う「歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようにな」った水原の姿なのではないだろうか。笛にも、蛇にも、空にも、水の夢にさえ変化し、異類婚、同性婚も厭わない。瀧とは、おそらく自身の投影。他にも魚、しらほね、石などが投影の対象として頻出する。


肉体を持たない水原の感覚器は剝きだしである。ロゴスを超越した圧倒的なパトス。神託のように降ってくる言葉をほとばしるパトスに賦与するのが水原の作歌なのだ。その言葉とパトスの対応は万人に理解可能なものではない。しかし、水原の内部では、その両者は必然的に分かちがたく存在する。その必然が、一首の意味は不可解ながら、抗がい難い魅力となって立ち上がるのだ。


「えぴすとれー」はギリシア語で「手紙」。難解な手紙をもらってしまったものだ。生涯かけて読み解くほかあるまい。



  むらさきの花に似る名のハルシオン熟寝の床に播くひとつぶは




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by minaminouozafk | 2018-07-24 02:09 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)

伊藤一彦氏の『光の庭』を読んだ。


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ふらんす堂の短歌日記シリーズ第9弾で、2017年元日から大晦日まで、一日一首と、それに文章が添えられている。このシリーズのいいところは、恣意的に開くページのどこからでも楽しめる点。それは、執筆している歌人の力量が信頼できるからこその楽しみ方であろう。

届いた本書を手に、心を無にしてえいっ!とページを開く。開かれたページにはきっと、必然があるに違いない……。ページは、4月23日(日)。

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驚いた。このページは、今の私にとってとても大切なページだったから。

星野源は俳優、ミュージシャン。癖のない好青年キャラと、同世代の共感を呼ぶ楽曲で人気のタレントだ。朝ドラ「半分。青いの主題歌も歌っている。ここに書かれている寺ちゃんこと「寺坂直毅」は中学で不登校を経験した放送作家。伊藤さんがスクールカウンセラーをしていた高校の卒業生であるという。著作『いのちの車窓から』で寺ちゃんを紹介した星野源もまた不登校経験者。星野源、寺坂直毅、伊藤一彦、この3人の名が並んだページを開いた自分にちょっと驚いてしまった。


伊藤さんにはこんな著作もある。

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2005年刊行。

カウンセラーとしての側面が顕著な一冊。

5年前、娘が不登校になったとき、この本を何度も読み返した。読むたびに、あの日向の匂いのする大きな声で、「大丈夫、大丈夫」と言ってもらっているような気がした。つくづく思うのだが、不登校は子どもの問題ではなく、それを取り巻く大人の、もっと言えば社会の問題。そこを変えずに、子どもにだけ変容を促しても何も解決しない。

寺ちゃんが夢を叶えて放送作家になれたのも、星野源がみごとにアーティスティックな才能を開花させたのも、周囲の理解があってこそ。ひとりひとりにきちんと道が用意されていることを信じてくれる大人の存在はとても大きいことを改めて感じた。


第4週の火曜日は、歌集・歌書を紹介する約束なのに、内容をご紹介できていないことを反省。けれど、本歌集『光の庭』に、伊藤さんのカウンセラーとしての一面を見つけたことがとても嬉しくて、書かずにはいられなかったのだ。申し訳ない。


 この人が言ふならきつと大丈夫 「だいぢやうぶよ」と子に伝へやる




*私は現在、「咲くふぁ福岡」というグループを友人と立ち上げ、不登校当事者とその家族の支援のための活動をしています。興味のある方は以下のブログ、ホームページをご訪問いただけると幸いです。

 ブログ:アガパンサス日記

https://sacfafk.exblog.jp/

 HP :http://sacfa.yubunsuzuki.com/


*私たち「咲くふぁ福岡」企画の講演会〈「不登校から見えてくる教育の未来~多様性を考える~」前川喜平in福岡〉を開催いたします。

・12月8日土曜日 (10:00-11:45)

・都久志会館 

・800円(全席自由)

世間的には、世界の終わりのように考えられている不登校という現象。でもそれは実は多様な生き方に気づく好機なのだということを、前文科省事務次官前川喜平氏にお話しいただければ、と思っています。


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*そして、9月21日(木)の二階がスナックといううどん屋さんのマスター。この方、夫のサーフィン友だちでした。土曜日のユリユリの記事でご紹介いただいた岸田さんといい、こちらのマスターといい、世間は狭いなあと思う今日この頃。


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by minaminouozafk | 2018-06-26 01:08 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

「短歌」6月号の特集は、〈いまこそ厨歌〉。

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この「厨歌」という言葉、私以上の年代の人間には、若干ひっかかる物言い(歌としての位相が低い、というか……)に感じられて、最近ではあまり見かけることがなかったように思う。しかし、近年、女性の社会進出に伴う男女間の役割分担の変容で、この「厨歌」の位相自体が変わってきたのだなあ、となんだか新鮮な気持ちになった。


大学卒業後、11年働いて、結婚後は無職。それこそ厨回りのことしかしてこなかった私には、人間としてどこか負い目のようなものがある。厨仕事を本分として励み、作歌すれば良かったものを、厨歌を詠むことは自らの社会的立場の弱さを認めることになるような気がして、ずっと避けてきたのだった。

しかし、こうして特集記事を読んでみると、つくづく惜しいことをしたと思う。厨歌は素材の宝庫。発見の鉱脈であった。


「総論 家事と短歌―どこにでも詩はある  小さな家で鍋物をする」の中の小島ゆかりの言葉を引く。



 人はみな小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆくなり

           佐佐木幸綱『ほろほろとろとろ』

 河豚鍋も鮟鱇鍋もせずに久しどうでもよいかそれはいけない

           馬場あき子『太鼓の空間』

「小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆく」のが人生であるけれど、その小さな家での河豚鍋や鮟鱇鍋をないがしろにすること、「それはいけない」。それは人生をないがしろにすることだから。



ゆかりさん、肝に銘じます。


*5首競詠+エッセイの二人の男性歌人、小池光、内藤明がともにレンジで「チン」を詠んでいたのが面白かった。やはり、男性の厨歌のはじめはここであるのだなあ。


*もう一つの特集  「迢空賞」発表  三枝浩樹『時禱集』

こちらも読みごたえあり。50首抄に堪能。また選考委員の論評に学ぶこと多し。高野さんが「まろやかで涼味を帯びた優しい音楽性」と題した選評を書かれている。高野さんはやはり、短歌における音楽性に注目していることを再確認。『北原白秋の百首』もそうだったし。なるほど。



  厨うたないがしろにせし二十年 漂白液に布巾を沈む

  わが知らぬ鉱脈眠る厨うたごくナチュラルに若きらは掘る

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イラストは沢野ひとし氏。
かわいい。

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こんなところに「コスモス」各賞受賞者紹介。

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すみません、こっそり書いてます。




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by minaminouozafk | 2018-06-05 08:17 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

今日はコスモス会員の合同出版記念会が東京で開かれている。高野公彦著『北原白秋の百首』も今回の出版記念会の対称になる一冊。
 私は白秋フリークとまでは言わないが、白秋の短歌のファンで特に『桐の花』、『雲母集』が好きだ。また『雀の卵』あたりに多い子供を詠んだ歌に白秋の中の少年性を感じて楽しんで居た。ただし系統的に学んだことがなく歌を読むだけなので論評などは、とてもとても畏れ多い。

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そんな私には『北原白秋の百首』は〈正しい白秋の歌の読み方〉の指標になるような一冊だった。膨大な白秋の歌の中から選ばれた百首には私の好きな歌がたくさん入っている。それだけでも嬉しかったが、充分に理解できていなかった歌が高野氏の解説でよく分かり鑑賞できたのが嬉しい。

みひらきの二頁の右側に抽出された歌一首、左に高野氏のコメントが書かれていて、簡潔だけど鑑賞のポイントが分かり易く、歌によっては歌集の前後の歌もひき、状況が説かれている。


たとえば〈ひいやリと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき〉。「鶏頭が幾本か植えられて黄色い花を咲かせている庭先に、ふと剃刀が落ちているのが見えた、という。むろん錆びた剃刀でなく、冷たく光っている剃刀であろう。剃刀は頭髪やヒゲを剃る道具だが、今の電気カミソリなどとぜんぜん違って、不用意に触ると危ない鋭利な刃物である。それが思わぬ所に落ちているのを見た時の慄然とした感覚が「ひいやリと」という言葉で表現されている。美しい花の近くに落ちている鋭利な刃物。あまり深読みしてはいけないが、この世にひそむ不気味なものの気配を暗示するような歌である。」

このように白秋の歌を読み解いていく高野氏の文章は分かり易く、しかも歌の背景の気分や余韻のようなものも明示されている。


最後に高野氏の「解説」があり、タイトルは「ことばでありながら音楽であること」。白秋の歌集を年代別に「青年期」「壮年期」「晩年」に分けそれぞれの歌集の特色が書かれているが「変わることなく一貫しているのは、言葉のひびきの美しさ、言葉遣いのしなやかさである。(中略)自分の心を表す言葉を少しでも〈音楽〉に近づけてゆく。それが歌人白秋の最も究めたかった目標ではなかったか。と私には思われる。」とある。



内容の充実した学ぶことの多い本だが、どこからでも興味深く読めるので、バッグに入れておき電車の中や、旅行中の乗り物の待ち時間で読むのにも良いと思う。白秋をまねて紅茶とカステラなどを用意して、ティ―タイムに読むのも良いかもしれない。



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 わかかりし白秋の恋のあやふさや敷道覆ふあはゆきに似て





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by minaminouozafk | 2018-06-03 07:00 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)

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『Sainte Neige』(青磁社)
栞紐はプラチナブルー。
北の空のような、水のような。

福士りかの5冊目の歌集『Sainte Neige』(サント・ネージュ)を読んだ。



1986年コスモス入会。

20代前半から短歌に関わり、以来、歌人と国語教師、娘で孫で伯母で、という忙しいながらも豊かな日々を送ってきた。本歌集にも、こうした暮らしの端緒が詠まれ、ますます加速するりかさん(こう呼ばせて下さい。「福士の……」とか、無理)の生の充実が感じられた。

この点については、先日届いた「コスモス」6月号の、水上芙季氏の歌集評「プラチナの光」をご参照いただきたい。

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北国に棲む人間にしか描けない雪の表情のこまやかさに注目した優れた批評である。先行する芙季さんの論に、書くべきことはもう書かれてしまってはいるのだが、かれこれ20年にも及ぶ友人として、本歌集に鏤められた秘密の一端を繙き、記すことを容赦願いたい。


「相聞の福士」が通り名であった。りかさんは津軽の人。170センチ近い長身で、大陸的なスケールの美人である。20代、30代を詠んだ『朱夏』、30代後半から40代の『フェザースノー』には表現の質の違いはあれど、多くの相聞歌が並び、その容貌と相俟って、衆目を集めた。40代半ばを過ぎて刊行された『りの系譜』では物語に仮託する形で相聞が詠まれ、方向性の新しさに注目した。では、本歌集『Sainte Neige』における相聞歌事情はどうなっているのだろうか。もうりかさんは恋をしていないのだろうか?いや、そんなはずはない。歌集の装幀の新雪のような手触りを楽しみながら、幾たびも読み返す。すると、やはり……。


・若草をそよがすほどの風が立つひとつの影が身を分かつ時

・忘れゐきわれが楽器であることを露を宿せる草であることを

・水底より引き上げられしたましひの出会ふひかりを恍惚とよぶ


49頁掲載の3首。1首目は帯にも掲載されている。甘やかで、でもさびしい印象の歌。単体で鑑賞すればそうなのだが、続く1首を得て、見える景は一変する。もうみなまでは言わない。「忘れゐき……」、この1首はまさに「相聞の福士」の面目躍如たる秀歌である。結句の字余りが言い足りないこころの余韻を表す。そしてその余韻は3首目の「恍惚」へと導かれてゆくのである。


本歌集随所にひそやかに置かれている相聞歌。それを探しつつ読みすすむのも面白い。それが本当に相聞なのかどうか、作者に尋ねたりするのは野暮である。恋は「孤悲」。ひとり静かに思うものなのだ。


相聞歌の難しさは、その「賞味期限」にある。恋は若者のもの、という観念はいまだ、いかんともしがたい。歌の巧拙より以前に、素材の吟味をされてしまう。40代以降のりかさんは、実はずっとこのジレンマと格闘していたのだと思う。年齢を重ねるうちに、激流のような恋情は徐々に清冽な伏流水となって作品の底を流れているのがわかる。聖なる水の循環。


・氷点下十三度の朝プラチナのひかりをまとふ(サン)なる(ト・)(ネージュ)


掉尾の、そして歌集名の由来でもある1首。『Sainte Neige』は表現された世界の輪郭をなぞって読むだけではその妙味を味わい尽くせない。その輪郭の背後に躍るひかりの粒や、静かに拡散する音の気配を楽しんでほしい。多分そこに、今のりかさんの相聞がある。



   永遠の半身として北に棲むうたびと思ふその生思ふ



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りかさん、ごめん。初対面のときの写真を掲載しました。
平成10年初夏。浦安の全国大会。私のお腹には8カ月の娘がいました。
懐かしい。


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by minaminouozafk | 2018-05-22 08:32 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

著者の木畑さんは「ささやかな読書ノート」と表現されるが、結社内同人誌「棧橋」、終刊後は継続誌「灯船」に全24回に渡って連載された歌人論。
戦前、戦後の歌人の歌をアンソロジー的に抜粋されたものは多いが、木畑さんはそれぞれキーポイントになる歌集に焦点を当て、時代背景から作者の短歌論まで丁寧に解説されている。
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                この一冊に相応しいノスタルジックでシンプルな装丁

第一回は〈「時間」の写生〉と題する佐藤佐太郎。
宮柊二とほぼ同年代。
茂吉に師事し、アララギ派の写実主義を受け継ぎながらも茂吉より自立。戦後という「貧」の時代に自ら短歌至上の貧の生活を選んだ佐太郎。
なぜ「貧」が必要だったのか。「純粋短歌論」と、この論に裏打ちされ、歌風が確立したとされる第五歌集『帰潮』から短歌と向き合う姿勢を探る。
純粋短歌論の中の言葉「断片」と「瞬間」をキーワードにして作品を読み解き、戦後の歌壇の動きとの比較も、佐太郎の歌人としての個を明確に立ち上げる。

佐太郎を論じた上での第二回は宮柊二という流れも必然である。
『現代短歌大系』において山本太郎が『晩夏』に柊二の屈折点を見出し、「宮柊二の歌にはじめて興味深い乱調が、いやおうなく出現した事実」を捉えたことに焦点を当て、制作時期の重なる佐太郎の『帰潮』と比較しながら「乱調」の謎を解き明かしてゆく。
私にとっても、謎が多いと感じていた作品の丁寧な解説と柊二の心情の汲み取り方が温かくも深い。
そして〈「自然在」なる歌はあらず〉と題された論にたどり着く木畑さんの歌人としての覚悟が伝わる。

第三回は白秋門下の歌人としての活躍をした木俣修の『冬暦』
敗戦という闇のなか「白秋の形骸的模倣歌」を作ることの戒めを掲げながらも白秋と通底する人間に向ける眼差しの温かさを見出してゆく。

もう少し紹介すると、語られることの少なかった山崎方代は〈仲間と裡なる故郷〉とする方代を支えた岡部桂一郎の作品との比較。
木畑さんは第五歌集『冬暁』のなかで〈鍬を手に野良よりもどる左右口の媼は方代の母にあらずや〉と方代の故郷を訪ねた一連があった。もしかしてこの論を書くにあたっての取材だったのかも。

塚本邦雄〈イエスと短歌への愛憎〉では洗礼を受けた木畑さんらしい塚本の現代短歌への愛と「イエス」への愛を考察しながらも塚本を「諧謔に満ちた明るく饒舌な大阪人ではないかとも思う」と書かれるのも上方喜劇の藤山寛美好きの木畑さんらしさかも。

最後24回は〈父たちの悔しみを継ぐ〉小高賢、桑原正紀のそれぞれ第一歌集。
宮柊二を敬愛し、戦後を引き摺るように詠まれた二人の歌集を問い直す作業は最終稿に相応しいものであった。

このようにどこを読んでも、丁寧で深い愛に満ちており、あとがきに「図書館通いがはじまりました」と記されるように、膨大な資料を読まれたことが伝わり、頭が下がる。そしてその成果のおいしい所だけ鑑賞させていただける喜びに浸っている。改めて木畑さんに感謝。

   
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              裏表紙の小さなサインも木畑さんらしくて素敵

      あたたかなまなざしのなかに浸りゐる読書時間に春の風吹く



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by minaminouozafk | 2018-04-20 07:02 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

~豊かな〈晩年時間〉~

前田茅意子さんは、われわれブログのメンバー有川知津子さんのおばあさま。
火曜、水曜のブログで紹介された「魚座」勉強会後の宴席でメンバーにこの歌集が渡された。
()意子(いこ)
さんは、生年月日は母と同年五日違い、没年も母と同年。お亡くなりになった27331日は奇しくも父のほぼ1年後でとても身近に感じてしまう。そして明日が命日。

豊かな島の春を感じさせてくれるシンプルかつ素敵な装丁。

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      〈常に持ち歩いて読んだので、既に傷んでます。ごめんなさい〉

知津子さんの手による後書によると、茅意子さんの夫(知津子さんのおじいさま)は、41歳の若さで捕鯨船の出漁中、殉職。茅意子さんは生活のために鯨の卸売りを始め、跡を継いだ娘夫婦にかわって知津子さんの面倒を見ていたとある。
茅意子さんが亡くなられた後1年ほどの知津子さんの痛々しい程の落ち込みと哀しみの深さが、今でも忘れられない。

それでも遺歌集の出版のための編纂を始めてからの知津子さんの、生き生きと再生してゆく様子を身近に感じていた私は、お二人を繋いだ短歌の存在というものに改めて感謝したのであった。

前置きが長くなったが第二歌集である茅意子さんの12年間の一冊は1年ごとに区切られた編年順。

 家々に島の玉石置かれあり漬物石となしたる名残(なご)
 曾祖母より伝はりて来し桑の木の木魚を叩き朝の経読む
 明日は雨と予報のありてこの丘の(むら)みな藷を掘り急ぐなり
 手入れよき船々もやふ船泊り海の男の思ひ入れ見ゆ
 さざえ棲む磯埋め立てて竣りし波止(はと)寄する波おとさびしく聞けり
 そのかみの獅子は気魄に満ちしかど獅子も天狗も近ごろやさし
 旧盆に帰省の人の多くして真夜の一車線尾灯つらなる
 太田郷へ走る六キロ一台も対向車なくしみじみ過疎地

 正月用仕込みはじまり工場よりくぢらの(ひやく)(ひろ)炊くにほひする
 曾孫(ひこ)来れば日ごろ見かけぬ子供らが湧きたる如く遊ばうと来る
 ありがたし島の田舎に暮らす身は一歩出づればいづこも桜

先ずは島の暮しを詠んだ作品から。

暮らされるのは上五島に属する中通島。巻頭に置かれた一首目は、長い時間をかけて五島灘の波に洗われただろう漬物石から島の人々の暮らしが伝わる。

どの作品も島の行事や変化を的確に伝え、温かな眼差しに溢れてそれぞれの場面が生き生きと立ち上がってくる。最後の一首は歌集名となった作で、大パノラマが浮かぶよう。

 三本のつるばらの苗三人の孫より来たり傘寿を祝ぐと
 親の仕草まねて正座し線香をあげ手を合はす五歳、三歳
 夫を知らぬ孫や曾孫に囲まれて夫の分まで(いたは)られをり
 七歳のわがため父が買ひくれし象牙のソロバン今もなめらか
 われに纏ひつきゐしをさな四十となりて家長の風格を帯ぶ
 夫に付き住みしことある網走を訪ねきたれり六十年ぶり
 台風がどうにか逸れて孫三世帯十一人が渡り来にけり

ご家族の作品から。
二首目は知津子さんの3月14日のブログに登場した甥っ子、姪っ子さんだろう。盆、暮れには集まる家族の絆や過去の思い出が喜びとして詠まれる。
網走の作品は「六月、網走へ。葉津子、知津子同行(網走は葉津子を出産した土地)」と詞書があり、11首連作からなり、自然に囲まれて暮らす茅意子さんだからこその北海道の自然を詠み込み、思惟は時田則雄氏にまで広がる秀逸な一連。60年ぶり、それも3世代揃っての旅の喜び。

 恋しさも悲しさも今は朧にて四十回目の夫の祥月
 寝そびれて小説読めりたつぷりとわれに〈晩年時間〉のありて
 何事もなく運転の出来しゆゑ自信のごときもの湧く病後
 気力のみでは出来ないと不参加を初めて決めぬ町内掃除
 新しき老眼鏡のよく見えて目は五年ほど若返りたり
 たまさかに鏡を見れば髪白き老婆をりけり余生を連れて

 長々と平均寿命まで生きて一人の部屋の障子の白さ
老いてゆく日々を詠み込んだ作品から。

入退院を繰り返し体力の衰えを感じながらも、歌柄は明るい。温暖な土地での暮しに加え、多くの苦労を乗り越えて来られた強さが根底にあることが窺われる。
最後の一首の、白い障子と真向かう心情は、と長く立ち止まらせてくれる一首である。

 霧閉ざす玄海灘を九十分渡りて着きし長崎は晴れ
 見の限り波の秀光る春の海入り日眩しき五島灘ゆく
 雪の予報知りつつ海を渡るべく西風つよき桟橋に来つ

 豪雪地おもへば歌に詠むことなどしてはいけない雪景色なり
 歌といふ道の遠さよ踏み入りて歩みゆく道いづこへ向かふ
そして、短歌と向き合う作品。「単身渡海し、長崎歌会へ」とそれぞれ詞書のある歌から3首。それぞれ季節感にあふれ、歌会の場へ出向く喜びや意気込みが感じられる。

4首目の思慮深さ、5首目は85歳にしての感慨。歌に対する思いを見習わなくては。

そして巻末の一首は

 ながく病めば娘が母のやうにして千人力のうしろ楯なり

亡くなられる前日「三月三十日夜、口述筆記」と詞書がある歌で結ばれている。

最後まで、娘さんへの感謝を忘れず、それを作品に残した茅意子さん。心が震えた。

足早な紹介だったが、12年間という期間の作品の中から人生がくっきりと立ち上がって来る一冊であった。それは、後書にご主人の死後18年を姑に仕え、看取りを終えてから短歌を始めたとあったが、同時に家業にも追われ真摯に生きて来られ、ご家族や周りの方達を愛し愛されたからこそ、豊かな〈晩年時間〉の中に溢れ出る想いが伝わって来たのだと感じられた。
      

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                                     合掌


                〈今年の桜〉

      あおぞらのさくら仰げばさやさやと吹きくる風がはらむ潮の香


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      燦々と歴史かがやく()煉瓦(かれ)文化館(んぐわ)はた一冊の歌集のなかに


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by minaminouozafk | 2018-03-30 06:48 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)