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 今夜は、月にとっては余計なお世話だろうが平成最後の満月。昨夜もなかなかの満月っぷりだったので、仕事帰りに記念の一枚。

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 日曜日は先週から順延になった恒例の「みつはし花見短歌大会」だった。先週は水城の丘の緑の中に

一列に並ぶ満開の桜の美しい景に触れたが、柳川へ向かう大牟田線の車窓からも水城跡が見える。

その日は早くも立派な葉桜に変身し、緑一色となっていた。

バスよりも遠景から見る水城跡は本当に雄大で美しい。背後に四王寺山(大野山)を控え、大宰府を敵から守った姿が頼もしい。

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(これは昨年の春に訪れた東門跡近くの水城館の丘から眺めた水城)

四王寺山は平らかな山頂の一部に木々が少ない岩屋城跡が目印になり(下の矢印の辺り)どこから見ても判りやすく、なぜか、この山を見るとほっとする。

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(これも昨年の写真。この頃は観光客で賑っているらしい政庁跡から見上げる四王寺山)

さて、なぜみつはし歌会が順延されたかというと、メンバーのお一人がお亡くなりになられ、当初予定されていた日がお葬式と重なり、お仲間で葬儀に参列されるためだった。

歌会の時に、全員で寄せ書きをして入院先に届けようと話していた矢先の出来事と伺った。まだ74歳。本当に急な事に、長く続いている歌会の皆さんの悲しみも察するに余りあるものだった。

そんな中、心温まる出来事が一つ。中心になっている〈みつはし幼稚園〉の園長である大橋先生から、事前に良い作品を三首選んでほしいと依頼があっていた。(この大会は賞状、副賞が用意される)

私が一席に選んだ作品が、お亡くなりになったTさんの作品だったのだ。そこで大橋先生は、急遽作品を書家に頼んで色紙に書いていただき、額に入れた賞状と作品と花籠を葬儀に持参し、仏前にお供えされたとの事。

大橋先生も、葬儀が大会の日になるなんて、よほど参加したかったのでしょうね。と語られていた。そのお作品。

〇朝の窓細めに開けて冬薔薇のかほる冷気を胸深く吸ふ

日常の一風景だが「細めに開けて」が効いている。冬薔薇が咲いているが、開ければ冷気が入って来ることもわかっている。そこを細めにという季節感が良い。四句が結句を支える締め方にも思いがこもっている。

ご家族も喜ばれていたとの事で、少しお役に立てたようで嬉しかった。

歌会の前に、全員で黙禱をして始まった。例年の盛り上がりは2017年421日のブログに詳しく書いたが、今年は急な変更により、出席できない方も多く、自粛して芸のお披露目は無し。

その分、歌会の時間をたっぷり取って、皆さんの発言も多く聞く事が出来、5年目にしてみなさんとの距離がぐっと近くなった気持ちだった。(記念写真は残念ながら間に合わず)

Tさんも空の上からきっと見守ってくださっていたのだろう。

       葉桜にかささぎ一羽憩ひゐる園にやさしく降る涙雨


by minaminouozafk | 2019-04-19 06:27 | Comments(0)

季節が移ろう。長かった今年の桜も花を終え、木々の緑が日ごとに濃くなっていく。早くも軒先に鯉のぼりを掲げた家も現れた。


 通勤の途中、野原のタンポポの黄色の花にことさらに目がとまる。というのも、先月の歌会にタンポポの作品があり、自作を紹介される中でタンポポ調査のことを聞いたから。人の目は不思議。その方は博物館のボランティアをされていて、昨年はアサギマダラの飛来を教えてもらって、実物を間近で見ることもできた。

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 実はここ数年自宅の庭に白花タンポポが咲いている。最初は珍しく思ってそのままにしていたら、毎年その勢いを増し、いつの間にか黄色の西洋タンポポはほとんど見られなくなり、白い花があちこちに開くようになった。どこから飛んできたのか、ご近所でもは白花タンポポはあまり見られない。白花は西日本に特有のものと聞いて、にわかに興味が湧いてきた。

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 今年と来年は「タンポポ調査・西日本2020」が行われ参加者を募集しているということなので、ネットで検索すると、調査方法と調査用紙がアップされていた。

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誰でも参加できるよう、イラストでわかりやすく説明されている。いろいろな発見があり、分布を明らかにすることは学術的にも高い価値があると知って、小学生のときの理科の観察を思い出してわくわくした。調査方法は簡単で、

1 花の咲いているタンポポを見つける。

2 調査用紙に必要事項を記入する。→花びらの色や総苞外片(そうほうがいへん)(外側のみどりの部分)の形に注目!

3 タンポポの花を取って、ティッシュに包む。→ビニール袋では腐ってしまうので

4 タネがあれば調査用紙にセロハンテープで貼り付ける。

5 調査用紙とタンポポの花を事務局へ送る。


 さて、いざ観察してみると、まだ時期が少し早くてタンポポの綿毛は見つからず、晴れの日の続いた先日ようやく採取して、博物館に持参した。ずっと咲いているイメージのタンポポが早朝や雨の日には開いていないことも発見だった。


 実はもう1種類気になっているタンポポがある。4月の終わり頃に一の坂ダムの近くの公園で見られるものだけれど、総苞外片の反り返りがないので日本タンポポだと思われる。けれど、何しろ丈が高い。花はタンポポのようだけれど…。宿題がまたひとつできたよう。
 

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花はタンポポ

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背が高い!



我が庭は憩ひやすいか白花のたんぽぽぽぽぽぽ一列に咲く



by minaminouozafk | 2019-04-18 06:16 | Comments(8)

 当ブログ「南の魚座 福岡短歌日乗」には日々、季節の花便りや、芸術鑑賞、温かな家族のエピソードが寄せられ、慌ただしい暮らしの中の癒しを提供してもらっているなあとメンバーに感謝している。

 そんな中、この記事を上げるのはなんだかちょっと憚られるのだが、好奇心に負けて書いてみようと思う。

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 写真、単4電池はスケールとして置いてある。問題はその上にある何かの部品の一部のようなものである。これが見つかったのは冷蔵庫の自動製氷庫内。夫が晩酌の際に使う氷を取ろうと製氷庫を開けると製氷はできておらず、本来氷がストックされているはずのトレイには一面厚さ1センチの氷が張っていた。

 氷はできている。
 冷えないわけではない。
 じゃあ、原因は?

 うん……?

 この、一緒に凍っている部品みたいなもの、何?

 ということで、トレイを引きだし、氷を溶かし、取り出したのが件の部品。写真ではよくわからないが水色をしている。こんな色のパーツ、製氷部分にあったかなあと探してみると、ありました。自動製氷のためのタンクの中の水を氷の形にする機能を受け持つ(のであろう)パーツがこの部品の欠片と同じ水色。何かの加減で、そのパーツの一部が破損し、製氷不可となってしまったのだと考えられる。

 あらあら。
 そう言えば先代の冷蔵庫も製氷機から壊れた。全く何の前触れもなく突然氷ができなくなった。他の機能には異常がなかったし、アナログに製氷皿を使えば氷もつくれたのでそのまま数年は使ったと思う。そのうち冷蔵機能、冷凍機能そのものが働かなくなったのでこれは寿命だということで買ってきたのが今のこれ。真ん中からの両開き、コンパクトなサイズ感、わが家のウッドと煉瓦の古い台所に合う色味、などなど、この冷蔵庫はわれわれ家族のお気に入りだった。しかし、毎晩の晩酌を楽しみにしている夫、折しも季節は夏へ向かう今、焼酎をロックで、と思ったら「あああああー、氷がない!」というのはあまりに酷というものではないか。

 家庭平和のためには、製氷機能万全な冷蔵庫を買うべきなのだろうか、それとも長年連れ添った愛庫(?)を慈しむべきなのか。

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 形而下中の形而下の問題で本当に申し訳ないのですが、みなさまのお宅ではどうですか?
 こんな時、冷蔵庫、どうします?

 To be, or not to be; that is the question.

 迷うなあ。



   青白き灯にうづくまる品々の賞味期限といふ名のいのち


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実家に帰った折、ご近所のみなさんが届けて下さった品々。
おいし~い!







by minaminouozafk | 2019-04-16 07:57 | Comments(7)

もみじの花 百留ななみ


この春は開花からの気温が低くゆっくりと桜をたのしむことができた。


そろそろ桜はなびらも風に舞う。壇具川の水面をゆっくりと桜がすすむ。秋にはあざやかな紅葉のもみじも今は爽やかなさみどり色のかえるでの葉っぱ。桜のピンクとのコントラストが美しい。と思いつつ眼前のもみじを見ると・・・


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さみどり色の葉っぱの下に無数の小さな紅色。モミジの花。本当に数かぎりなき紅。よく見るとちゃんと花びらも雌しべ雄しべもある。おもわず新緑のもみじの下に顔をうずめてしまう。その向こうの桜を眺めながら通り過ぎる人々の訝しそうな視線。


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桜だけではなくてモミジも花盛り。


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花の大きさではソメイヨシノの方が圧倒的に大きいが、花の数ではたぶんモミジが多いのではないか。プロペラの羽根をもつ種子はよく見ているが、こんな花の盛りははじめてだ。いつも桜と同じころに小さな紅色の無数の花を咲かせていたのだろう。きっと花の時間は短いのだ。



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あまりに可愛いので風で落ちていた手のひらほどの小枝を拾って、小瓶に挿してみた。小さいながら緑と赤のコントラストがきれい。風も無いからゆっくり観察もできる。



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よくよく見るとプロペラの赤ちゃんのようなものがある。もう準備しているんだね。花からプロペラまでは意外に早いのかもしれない。昨日、ふたたび壇具川沿いのもみじを見に行った。桜も少し残っている。予想通り、小さなプロペラをあちこちに発見。雄しべだけの雄花と雄しべも雌しべもある両性花。プロペラになるのは両性花だろう。


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春はさくら、秋はもみじ。でも春のもみじの紅の小花はとても可憐。秋の桜葉の朱の紅葉も美しい。既成概念を外してみよう。きっともっともっと愉しい発見がある。



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さみどりのもみぢ葉の下くれなゐの数かぎりなき点点花あり










by minaminouozafk | 2019-04-15 07:22 | Comments(7)

大内山 大西晶子

先々週から何度か鎮国寺に通って大内山という桜を見て来た。

330日、まだ蕾だった。

43日、7部咲きだったが若葉は全く見えない。

45日、満開の花に紅い若葉が小さくひらいている。


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49日、ようやく記憶していた姿に近い形で見ることができた。


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大内山
仁和寺の山号「大内山」が名の由来ともいわれるが詳細は不明




この大山内という桜の樹を初めて見たのはもう30年ほど前になる。臙脂色の若葉の中に白に近い花がちりばめられたように咲き、その珍しいシックな姿が印象的だった。ところが、その後何度か桜の時期に行くのになぜか全然記憶と違う木の姿なのだ。早いと満開でも葉が見えず、昨年はいつもより遅く行ったら既に葉の色が赤ではなく茶色を帯びた緑になっていた。


 今年はほぼ花の満開のときに行き合わせたが、まちがいなく「大内山」とかかれた札が下げてある。その日は年配のボランティアガイドの方が境内に居られた。
 尋ねたら、その樹は昭和59年(1984年)の弘法大師1150年忌に仁和寺の桜守・佐野藤右衛門氏から寄進された桜の樹の一つだという。鎮国寺のご住職に何人か仁和寺の門跡をされた方があった縁だそうだ。
 仁和寺の法師と桜といえばいくつかの話が徒然草にあったことも思い出す。



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                        佐野 
            佐野藤右衛門が選抜し完成した品種。牧野富太郎が命名



 記憶している大内山は植えられて数年の若木だったのだろう。その樹がいまは幹の太い高木に育っているが、その他にも鎮国寺のには珍しい桜の品種を植えた「百桜苑」という区画があり、ソメイヨシノ以外のさまざまな桜があることも教えて頂いた。

藤右衛門家の姓の佐野、淡黄色の花の右近(鬱金)、緑の花の御衣黄、葉を塩漬けにする大島桜、花が白い普賢象、、、、、、。ともかく種類が多い。八重桜、山桜の類はソメイヨシノが散った後に長く咲き続けるものが多い。

大内山にこだわって花を見ていたら、知らないうちに他の桜にも目がいくようになっていた。

ボランティアガイドの方にお聞きして、花の満開の日からまた四日おいて見に来た大内山はまちがいなく臙脂色の若葉と薄桃色の花をつけ、けれど記憶よりもずっと華やかな姿だった。


桜の楽しみ方は奥が深い、花の下にシートを敷いて大勢で楽しむのも、一昨日の英子さんの記事にあったようなお洒落なテントでBBQをしながらも、野立てのお茶会も、人が見なくなったころに八重桜や山桜をめでるのもどれも良い。


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                      大島桜


今度はいつか京都に仁和寺の桜と、佐野藤右衛門邸の桜を見に行くことができたらと思う、そして徒然草を読み返してみようかとも。




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不動尊まつる御寺に咲くさくら大内山は紅き葉を負ふ




by minaminouozafk | 2019-04-14 08:48 | Comments(7)

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 のっけから、なんだろう?と思われる写真で、申し訳ありません。実はこれは毛をすっかり剃られてしまったダオのお腹です。先日のエコー検査でこのような状況になってしまいました。ダオのことについては、このブログの11月24日12月1日を参考にしてください。


 なぜ、このようなことになったのか。ダオはわが家に来た当初から、とにかくよく食べる猫だった。ただ、野良のときに食べられるものはなんでも口にしていたのか、相当にひどい下痢でもあった。しかし、病院で一通りのワクチン接種や、寄生虫やノミ、ダニなどの駆除の薬を投与してもらい、併せて腸の薬も飲ませ始めたのだが、頑固な下痢は薬を変えてもなかなか収まらなかった。一か月近くたっても収まらないのでより詳しい検査をするために、検体を東京に送って精密検査をしてもらったところ、結局、ダオのお腹の中には「クリプトスポリジウム」という寄生性原虫がいることが分かったのである。この寄生虫は猫には珍しく、これに効く特効薬はないそうである。病院の先生からは、対症療法しかないので猫のトイレは常に清潔にしておくようにと指導された。



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 特効薬はないといっても、腸の状態を健康に保って、本人(本猫)の体力がつき免疫力が向上すれば、自然排出されることもあるという。

それからしばらくは服薬を続け、腸内環境を整えるためにヨーグルトとビオフェルミンも欠かせなくなった。いくつかのヨーグルトを試してみて今のところ、BB―12という菌の入ったものが良さそうである。そんなこんなで落ち着いてきて、下痢のことなどすっかり忘れていた矢先、こんどは突然の嘔吐が始まった。ちょうどいつものカリポリ(うちではドライフードをこう呼ぶ)が切れてしまい、とりあえずスーパーで買ったものを食べさせた日だったので、それが悪かったのかと素人判断をしたのだが、カリポリを止めても食べるたびに嘔吐を繰り返すのであわてて病院に連れて行ったのである。そして異物を飲み込んでいないか検査するために、写真のようにお腹の毛をすっかり剃られてしまったという訳なのだ。特になにも見つからず、注射、点滴とその後の一週間ほど飲んだ薬でやっと落ち着いたと思った矢先、安心した私が少しばかり多めにカリポリを与えたのが悪かったのか、再びの嘔吐。それでまたもや病院へ直行である。


 やはり、厄介な虫のせいで消化器系のバランスが取りづらいのではないかという診断だった。それから三日たつが、食べて遊んで寝て、元気に走り回っている。

 「クリプトスポリジウム」には早く出て行っていただくか、おとなしく共存していただくかしかない。でも、あの秋の日の帰り道で出会って本当に良かったと思っている。


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<上手く共存する仲良し二匹>


    いつだつてグーしかだせない猫の手は片手でつつめるしあはせサイズ


by minaminouozafk | 2019-04-13 11:28 | Comments(8)

さくら三昧  大野英子

 七日に予定されていた恒例の「みつはし短歌大会」が急遽、一週間順延することになった。すみません。支部歌会と重なりますので、支部歌会はお休みさせていただきます。

すべて、短歌のイベントで詰まっていた4月の週末、ぽっかり空いた。そうなると今年は桜を見るしかないだろう。先ずは舞鶴公園へ。

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裁判所近くのお濠から鴻臚館広場へ入ると、そこはもう桜、さくら、サクラ、人、ひと、ヒト。広場には出店が並び、様々なものを焼く匂いに閉口する。

東御門跡から天守台をめぐり、牡丹園では、京都から移植されたという枝垂れ桜も楽しむ。

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舞鶴公園には見慣れないテントがーー

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材料を持ちこむだけでゆったりソファー付テントでバーベキューが楽しめるのだろう。昼間は思い思いにシートを広げてお弁当を楽しんでいたが、夜は繁盛するのかな。

大濠公園を半周し、平和台競技場のお濠沿いを戻っていると微笑ましい風景と遭遇。

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赤いランドセルに白いタイツ!の女の子とご両親。桜を背景にカメラを立てて、タイマーをセットしたお父さんが、わーっと二人の元へ駆けて行く。そして三人でカメラのファインダーを覗き合っては、何度も繰り返す。良い写真は撮れたかな。ファインダーを覗き合う笑顔がとっても素敵でした。きっと写真よりも、この時間が良い思い出になるだろう。

ふと、父は桜をどう詠んだのだろうと思い、帰宅してから久しぶりに歌集を開いた。

   食堂までの土に散りたる花びらの白きかがやきに吾は疲るる(昭和29年)

   下枝のみ咲ける桜の木の下にうゐりあむ・あだむす按針の墓(昭和60年)

   城内は桜咲き満ち分き難し花かげりとも花明りとも    (昭和63年)

   酒に酔ひ眠る人ある花の下われより離れぬ仕事の憂ひ   (同)

   返り咲く桜の花は道の辺に目を引くごとき色にはあらず  (平成3年)

やはり、仕事の現場の歌が多く桜のうたは少ない。「対象そのものよりも、その隅、その先にあるものを掬い上げて詠め」と常々言っていたな。

そして、翌日は墓参りへ。ほんの半月前に行ったばかりだが、ずっと桜が満開の時期は意図的に避けていて、これまで満開の並木道を見たことが無かったのだ。

都市高速を降りたバスの車窓からは、緑の美しい水城跡沿いにみごとに並ぶ桜の木の下でくつろぐ人の姿も。

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公園墓地の並木道。車が過ぎるだけの通りには時折風が吹くと散る花びらが嵩なしていた。

       死者たちもあふぎ見るらん魂鎮めするごとく降るさくらはなびら

 先週の花見日和から一転して、今週は雨ののち若葉寒となり、花散らしの雨となったよう。みなさまも風邪にご注意を。

       やはらかに柳わかばの枝揺るる川るいるいと花筏ゆく


by minaminouozafk | 2019-04-12 06:49 | Comments(6)


福岡市文学館の「文学館倶楽部」No.28(3月31日)が発行された。



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本号の「福岡の文学者」は、鹿児島寿蔵。アララギの歌人、紙塑人形作家(人間国宝)の鹿児島寿蔵である。鹿児島については、ここでの晶子さんのご報告によって親しんだ人も多いのではないだろうか。



付載の略年譜にこんな2行があった。引用してみよう(ちょっと変えています)。



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大正 9年9月 「アララギ」に入会。島木赤彦に師事。

大正10年   「アララギ」4月号に13首が初めて掲載される。


入会後すぐに雑誌掲載となるわけではなかったようだ。この場合、修養期間(かどうか分からないが……)が、半年くらいある。こうした期間の存在は、「鍛錬道」を唱えた赤彦らしいとも思うが、あるいは、当時の歌壇はこんなものだったのだろうか――。ふと思ったが、もしかすると、結社によっては、今もそう?



ページをめくると、見開きで「鹿児島寿蔵と白水吉次郎」が掲載されている。六つの観点から迫る構成である。


1、歌と人形

2、白水吉次郎との出会い

3、病と歌と

4、妻やすほ

5、『麦を吹く嵐』

6、「求めえし夢」


 このようにして福岡市文学館は、福岡ゆかりの文学者を定期的に紹介し続けている。新たな資料の発掘、貴重な資料の収集、そしてそれらの整理。地味ではあるけれども、これによって準備された地平の上に、あらたな研究が展開をみるという大事な仕事である。



 ところで、この文章の執筆者は編集人の神谷優子さんであろうか。文末に「(K)」と記されている。神谷さんの頼もしさは前にも書いたことがあったかしら。



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 散歩の途中、櫛田神社に寄った。ここには鹿児島寿蔵の歌碑がある。博多の夏祭り祇園山笠を詠んだ歌が刻まれている。


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     荒縄を下げしゐさらひ露はなる山笠比と乃瑞々しさよ   寿蔵 



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                櫛田神社の鬱金桜〉



    賭けました令大太宰府キャンパスの自販機で買ふ富士山の水



by minaminouozafk | 2019-04-10 05:51 | Comments(9)

この4月から学生になった。今は通信教育という便利なものがある。在宅でオンライン授業が受けられるし、望めば面接授業も受けられる。


 オンライン授業はログインできれば、24時間、どこでも、同じ講義を何度でも閲覧可能。自分が履修していない科目も見るだけならどれでも見ることができる。PCはもちろん、スマホでもOK。便利な時代になったとつくづく思う。


 選科履修生として四科目、八単位。一応、軸と考えている分野はあるが、今のところ、興味のある科目から履修することにしている。細く、長く。続けているうちに興味の方向も定まるだろう。資格に結びつけば嬉しいが、それは余禄のようなもの。あくまで結果的に……と考えている。


 7日、この大学の「入学者の集い」に参加してきた。全員参加ではなかったが、発行される学生証を受け取りにいかねばならないので、せっかくなら、この会に参加してみようと思ったのだ。


 1330分、受付開始。性別、年齢、まさに多様性に富んだ方々(私も当然そのひとり)がぞくぞく現れる。学びを志した背景はそれぞれだろうが、静かな熱気を感じた。


 センター長の祝辞の中に、最近のリカレント教育の実態が数字で報告されていた箇所があった。たとえば、北九州・福岡地区の今年度入学者数は2600人。年代的には10代から80代と実に幅広い。


そう言えば、この日四月七日のネットニュースで、リカレント教育施設を四度卒業した101歳の男性が話題になっていた。80歳を過ぎてようやく現役引退し(それもすごいけど)、そこから再び学びはじめ、夢中で続けていたら、いつの間か大学を四回卒業したことになっていたという。素晴らしい。


私にとって学びとは何だったのだろう。大学に行くこと自体に意味があったような気がするが、それ以上の何が私に残っただろう。両親に経済的な負担をかけながら言えることではないと思うが、18歳の私には「学ぶ」ことの意味はわかっていなかった。


本学の学長の祝辞。「情報爆発といった体の現代社会。学び続けないと過去の知識は容易に陳腐化してしまう。」と知のアップデートの必要性を説いていた。


 人生100年時代がやってくる。私が現役女子大生だった30年前とは、生き方のモデルが大きく変わっている。もう一度学んでみたい。その内発的動機に従ってみたいと思うのだ。

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*昨日のブログでななみさんが村岡花子の言葉を引用していることに驚きました。またしてもシンクロニシティ。ここしばらく、私は「アン」シリーズを読み返していたのです。シリーズ第二巻「アンの青春」で教師として二年間、充実した生活をしたアンですが、自身の希望と、周囲の勧めでその後、レドモンド大学に進学します。この時、アン17歳。育ての親、マリラに迷惑をかけないように、就学費用を自分で捻出し、奨学金も受けることを考えて精進します。その明るく充実した学生生活が綴られているのが第三巻「アンの愛情」。その中に、「来年の学費の目途が立たなければ、大学を休学して、もう一度、教師をしましょう。」というアンの思惑が書かれた箇所があって、大変だけれど、内発的な動機の強さをひしひしと感じたのでした。結果、アンの腹心の友、ダイアナの叔母様、ミス・ジョセフィン・バーリーの遺言によって学費はまかなわれたのでしたが。

 弱冠17歳で、今の私よりずっとしっかりしているアン。そして、就学のタイミングを年齢や、それまでの教育機関との連携として捉えない柔軟な考え方。100年以上も前に、すでに素晴らしいリカレント教育モデルがある。「アン」シリーズを再読しながら、そんなことを考えていたのでした。

 ななみさん、ありがとうございました。


   遅すぎることなどないよ 散り初めのさくらの下をゆつくり歩く



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足元には菫。



by minaminouozafk | 2019-04-09 10:25 | Comments(7)


5月から元号が令和になる。本棚をかたづけていると昭和の本が多い。


亀井勝一郎の人生論もそのなかの一冊。高校生のころ「大和古寺風物誌」や「愛の無常について」をはじめ青春論や幸福論など手当たり次第に読んでいた。たぶん私の生き方に多少の影響はあったと思う。当時はテレビもリビングにひとつ、スマホもない時代。家の本棚にある日本文学全集、世界文学全集はもちろん父の書斎からも面白そうなものは拝読していた。読み終えるまで明け方近くまでかかっても大丈夫だった体力と視力が羨ましい。

<邂逅の歓喜あるところに人生の幸福がある>

亀井勝一郎の言葉で10代の頃から今でも座右の銘である。邂逅~思いがけなく出会うこと~は亀井の本ではじめて知ったことばだった。亀井勝一郎に夢中だった私に父の知り合いで新聞記者をしていた人からいくつか亀井の本をいただいた記憶がある。そのなかの一冊だと思う。まだ青年だった読書家の彼の本にはたくさんの書き込みがある。



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懐かしくなって読み返してみる。

そういえば数年前に函館の五島軒で食事をした時、その建物は亀井勝一郎の弟の設計だった。亀井は函館の人だ。その近くに  <人生  邂逅し  開眼し  瞑目す> と刻まれた亀井勝一郎の石碑があった。やはり、彼にとって邂逅はたいせつな言葉のようだ。このたび読み返した亀井の本の初版は昭和39年。私が生まれた年、55年前である。にもかかわらず古くさくなく55歳のこころに共鳴する。


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なぜか村岡花子の言葉も

<たえず刺激を求めると、だんだん強い刺激にしか反応しなくなり、感動や悩みが薄くなる。本来、感動や悩みがあるとそれを表現しようと思ってもなかなかできずに沈黙してしまう。そして、しどろもどろになって、ああでもないこうでもないと推敲したあと表現欲望が起き、表現してみる。しかしまた至らなさに気づき再び推敲をする。それを繰り返すのが思考。しかし、刺激が強すぎたら感動は擦り減り情報の受け売りになる。そして沈黙の状態が消失してすぐに饒舌になる。そして推敲もなくレッテルを貼ったり割り切って即断をする。だから自分が言ったことをすぐに忘れてしまう。これは精神の衰弱現象。受け身の形で、すべてわかったつもりで、次から次へ急いで生活していく。現代文化のいちばん大きな危険は、思考の省略、あるいは思考の中止の傾向にあると思う。>


55年も前のものなのに、まさしく今の思考の省略を言い得ていると思う。パソコンやスマホで加速度的に刺激も情報量も増えている。追い立てられている精神は立ち止まることも許されない。たぶん沈黙も推敲もしていないから自分が言ったことを忘れるのだろう。言ってしまったあとの謝罪も多い。


ゆっくりじっくり考えて良いんだよ。しどろもどろだっていい。口ごもってなかなか上手に思いを伝えられない私にはちょっとエールのようでもある。



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一昨年の晩秋、斑鳩の里の中宮寺の弥勒菩薩を拝顔したとき、薬師寺から唐招提寺への路地をぬけるときに思い浮かべた「大和古寺風物誌」。あらあら本棚の奥に積み重ねた文庫本のなかから発見。もちろん昭和のものだ。ぱらぱらめくってみる。尼寺である中宮寺の平凡だがこころ惹かれる微笑の庭、そのなかの思惟像。ゆっくり読み直そう。


年譜を見ると亀井勝一郎は宮柊二より5歳上だが、ほぼ同じ時代を生きている。亀井勝一郎は1966年に59歳で亡くなっている。美学にあこがれたころもあった。絵を描きたかったころもあった。40歳での短歌との邂逅。  まだまだ開眼まではいたっていない。短歌をはじめていろいろ素敵な方との邂逅。偶然のような必然を感じるものもあり、とてもたいせつなものだと思う。



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あのひとのペン書きの(うた)いただきし亀井勝一郎の背表紙うら









by minaminouozafk | 2019-04-08 06:39 | Comments(7)