孝子正助の廟 大西晶子


宗像市の武丸という地区に「孝子正助の廟」というものがあり、周辺には「正助村」という農業施設ができて広い畑に季節の花を植えている。以前に書いたゴッホの向日葵の話はそこの畑で咲いていた花のことだ。



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                             正助の廟



孝行息子の正助さん(1671年―1757年)は江戸時代の実在の人物で、それはそれはご両親を大切にしたそうだ。  

父と母がそれぞれ「雨になるから下駄を履いて行くように」、「いやいや、今日晴れるから草履を」と言えば、父と母の両方をがっかりさせないように片足に下駄、もう一方には草履を履いて出かけた、などと伝説中の人物だとしか思えないような話が残っている。

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その孝行ぶりが有名になり五代将軍吉宗の頃、正助さんが39歳の時に藩主から田畑を与えられたり(1710年)、1717年に江戸幕府の役人に赤間宿に呼び出され酒と青銅(銭)を与えられたり、藩から税の免除をうけたりしている。 


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             福岡城で年貢を免ぜられる正助(1729年、正助58歳)



 この家は長生きの家系だったのか、享年が父は七十七歳、母は八十六歳、本人も八十七歳と、当時として珍しい長命だ。

亡くなった後で正助さんは江戸幕府「孝義録」に孝行者正助として記された。また、文化3年(1806年)の五十回忌には博多の万行寺で法要が営まれ、同年に井上周盤という人が「孝子正助伝」を著し、秋月藩主が墓前に参ったらしい。その後文化7年(1810年)には正助の霊廟が建立されている。


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                       正助87歳の肖像


正助さんが幕府の役人に御褒美をもらったのが享保2年(1717年)、貨幣経済が広まり年貢による経済が破たんし始めた時期で、吉宗の「享保の改革」が始まった翌年だ。そういう時代だったから武士社会の再興のために儒教的な「孝行」を持ち上げ、世に広めようとしたのではないかと思うのは後世の人間のうがった見方だろうか。

少し気になるのは正助さんの妻子について正助廟になにも記述がないことだ。しかし死後も長く称えられた孝行者の正助さんだ、きっと大勢の子や孫に囲まれて孝行をされて大往生したのだと思いたい。


     
           訪れのすくなき孝子正助の廟に冬の陽ふかくさしこむ




# by minaminouozafk | 2019-02-17 07:00 | Comments(0)

 そろそろ三歳になる孫は、好き嫌いなくなんでもよく食べる。おかげで元気いっぱいに育っている。母親はなるべく天然の出汁や、無農薬、有機栽培の野菜、きび砂糖などを使って素材本来の味を大切にして料理を作っている。年子の子育てに追われて、手抜き料理で育った息子たちとは大違いで、とても幸せなことだと思う。

 それに加えて、孫は大方の人が使う幼児用の割れないお皿を使ったことがない。なぜなら母親は、陶芸作家だからだ。離乳食の最初からちゃんとした陶器の食器を使っている。これもまた幸せなことである。

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 最近、またお気に入りの一枚が出来たそうで、それは孫が大好きなペンギンちゃんをデザインしたお皿。ママちゃんペンギンがアイスキャンデーを手に持って差し出している、何とも可愛らしい絵柄のお皿だ。とても気に入っているそうで、幼い頃から本物に触れていれば、大切にしていくにちがいない。


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 子育てに忙しく製作もままならないとは思うが、今、子供と一緒に感じている光や風や空気がこれからの仕事にプラスになるのではないかと思っている。淡く優しい雰囲気の作品は、私も大好きだ。東京で開く東京藝大の卒業生仲間との作品展に出展する作品にも、母親としての新たな感覚が加わるのかもしれない。


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   描かれたペンギンママのまなざしはひとしくおなじこの星の愛


# by minaminouozafk | 2019-02-16 11:44 | Comments(2)

先週末、2週間ぶりに実家へ行き、最初に覗いたのは裏庭のふきのとう。(仏壇のご両親さま、ごめんなさい)

降水不足のため1月末のブログで成長を心配したが、たくさん膨らんでいた。早速収穫して、流し台で洗い桶のまま記念撮影。

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もう完全に開花しているのも有ったが、まだまだ収穫出来そう。今回は干しシイタケと南関あげと共におひたしで一品、厚切りベーコンとソテーしてもう一品、春の香りをいただいた。

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ちづりんも木曜日のブログで美しい写真をアップしていた。つぎに収穫した時は白秋を真似て串にさして味噌をつけて焼いてみようかな。

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そして雨あがりの翌朝の梅の木。やはり古木なので開花は遅いが、無事たくさんの蕾を付けて2分咲き。

宮先生の多くの梅の作品から、わが家の梅の木の様子に近い作品を二首

 きさらぎのこの朝空をあざやかに(こほ)りつきつつ梅の花白し 『群鶏』

 化物(ばけもの)のごとく()けたる白梅(しらうめ)の木をめぐりつつ照る花を仰ぐ 『晩夏』

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幹や枝には昨年にも増してウメノキゴケが渋さを増している。樹木が年を取ると新陳代謝が弱まって付いてしまうようで痛々しい。しかし、空気がきれいなところでしか生えず大気汚染の指標にもなっているとのこと。

やっぱり、田舎なのだとあらためて実感。だからこそ、ストレスなく毎年、開花して実を付けてくれるのだろう。がんばれっ。

       曇天の下にしらうめふふみゆく乾涸びるごと苔生す古木


# by minaminouozafk | 2019-02-15 08:14 | Comments(3)

虹の足  鈴木千登世

「虹の足」という吉野弘の詩がある。


雨があがって

雲間から

乾麺みたいに真直な

陽差しがたくさん地上に刺さり

行手に榛名山が見えたころ

山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。


で始まる詩。その虹の足は小さな村といくつかの家をすっぽりと包み込む。けれどそこに住む人々はそれに気づかない。


―――おーい、君の家が虹の中にあるぞ

乗客たちは頬を火照(ほて)らせ

野面に立った虹の足に見とれた。

多分、あれはバスの中の僕らには見えて

村の人々には見えないのだ。


そんなこともあるのだろう

他人には見えて

自分には見えない幸福の中で

格別驚きもせず

幸福に生きていることが――。

                      *『贈るうた』花神社


多忙な日々。寒さでくたりとなったオリヅルランを寝室に移動させていたことも忘れていた。ようやく休みとなった日曜日のこと。窓からの光の中にオリヅルランがすらりと葉を伸ばしているのに目が止まった。

―いつのまに大きくなったのだろうー

走り続ける日々の片隅でひそやかに育っている幸もあるのかもしれないと思えた。


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人生を大肯定せようつそみは虹彩(アイリス)呼ぶふたつ持つ


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ある冬の日。




# by minaminouozafk | 2019-02-14 06:00 | Comments(6)


 ふきのとうの季節になった。


 白秋にこんな作品がある。



   蕗の薹

  新らしき蕗の薹かな。珍らしき(にが)()ぞする。その蕗の薹、一つ刺し、二つ

  刺し、竹の小串に三つ刺して、さて味噌つけて、火に焼きて、あな(にが)さよと

  一つ食べ、あなうまさよと二つ食べ、あないつくしと三つ食べて、さてさび

  しやと我ゐたり。春さきの、あは雪の、()なば()ぬかの、声聴きてけり、そ

  のしばらくは。



 みずみずしい蕗の薹が三つある。


 一つ二つ三つとちいさな竹の串に刺し、一つ二つ三つを愛しみつつ食べてゆく。


 ただそれだけのことが、こんなに楽しくてさびしいことだとは知らなかった。

 これを読むまで……


 読んだあとはいつもいつも雪のふる春の野が視界にひろがる。


 この長歌体の詩は、『観想の秋』(大正11年8月)に収められた。



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   ほろ苦きものよとりわけふるさとの岬なだりに咲くふきのたう



# by minaminouozafk | 2019-02-13 13:18 | Comments(7)


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14歳の時に買った「オペラ座の夜」。
汚れも味わい(ということで)。
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「ボヘミアンラプソディ」を五回観た。というと驚かれるのだが、そうめずらしいことでもないらしい。この映画はリピーターが多い。公開前は客入りが危ぶまれていたのに、蓋を開けると日本国内での興行収入は111億円を超え、上映期間も三カ月を超えるロングランでまだまだ集客率は衰えていない模様。グラミー賞をはじめ、世界各国の映画賞受賞、あるいはノミネートと、この映画をめぐる話題はまだまだ尽きない。四十数年来のファンとしては実に喜ばしいかぎり。長い間Queenファンであることを公言しにくかったことを思うと、この快進撃はまことに胸のすく思いだ。


ヒットの理由は色々だろう。音楽性、Queenの四人を演じたBo-rhapボーイたちの演技力(特にフレディ役のラミ・マレックの評価は極めて高く主演男優賞を総なめにしている)、そしてフレディ・マーキュリーという複雑な人間の生涯を撮ることが結果的に現在の「多様性」というテーマにアクセスしたことも大きい。「ボヘミアンラプソディ」に関しては、この公開のタイミングがベストであった。

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フレディが憑依したとしか思えない
ラミ・マレック。
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さまざまな切り口(つまり多様性)のある「Bo-rhap」だが、私の五回目観賞のテーマは「家族」。これがなかったら、この映画はもっと平板なアイドル懐古作品になっていただろう。


フレディのバックグラウンドは複雑だ。1946年、イギリスの保護国であったザンジバルにパールシー(かつてムスリムに迫害されたペルシャ人)でゾロアスター教徒の両親の元に生れた。その後幼少期のほとんどをインドの寄宿学校で過ごし、1963年にザンジバルに戻る。しかし、翌年、ザンジバル革命が起こり、一家はイギリスへ逃れた。フレディ18歳のときのことである。ザンジバル、インド時代のことをフレディは話したがらず、メンバー間でも詳しいことはわからないらしい。そもそも「フレディ・マーキュリー」も改名後の名で、本名は「ファルーク・バルサラ」。フレディは「正式に」ファミリーネームも捨てている。


映画の中でもいたるところに「家族」は鏤められていた。マネージャーのジョン・リードに初めて会ったシーンで、「Queenとはどんなバンド?」と聞かれ、フレディが「バンドは家族」と答える。それに続けて、メンバーが口々に「俺たちははぐれ者。四人それぞれが部屋の片隅で膝を抱えて過ごしていたような人間。」、「個性はそれぞれ。」、「四人いてこそのQueenなんだ。」と答える。この場はとても印象的だ。擬似家族の存在が濃いということは本当の家族の存在の稀薄さを語っているわけだから。


では実際の家族との関係はどうだったのか。ゾロアスター教徒で、パールシー、保護国生れという経歴にフレディはコンプレックスをもっていた。一族の系譜に誇りをもち、ゾロアスター教徒として正しく生きようとする両親、特に父親との間には強い確執があった。自分とは全く違う価値観の息子をため息まじりで見つめる父親の姿が幾度も画面に映し出された。そんな父親とは対照的に、母親は(表立っては応援できないものの)、息子を理解し応援している。面白かったのは、四人がQueenとして登場する最初のギグで纏っていたフレディの衣装。これが実は冒頭近くのシーンで、フレディの母親が自宅で着ていたチュニック。恋人メアリーが勤める服飾店BIBAで衣装を探すシーンもあったのに、結局最初のステージで着たのは母の服だったのだ。

ああ、だから……。ここであの歌詞の意味がわかる。


ママ、僕はたった今、人を殺してしまったよ

やつの頭に銃口を押し付けて引き金を引いたら、

そしたらあいつ、死んじゃったんだ

ママ、僕の人生はまだ始まったばかり

それをすべて棒に振るような、そんな馬鹿なことを

僕はしてしまったんだね


名曲「ボヘミアンラプソディ」の冒頭。主人公が殺したのは誰なのか、という謎については、今のところ、「フレディ自身」という説が有力だ。前述の複雑な生い立ち、加えて言うならLGBTであることを明らかにできなかった自分、そういう自分との訣別を歌ったという解釈だ。これについて異存はない。不思議だったのは、この告白をする相手が他の誰でもない、「母」だったことである。この曲を作った頃、フレディは30歳。それにしてはリリックが幼い。逆に言えば、それほどまでに母に対する信頼が揺るぎないということなのだろう。父との確執、社会への不信感、そんなものとの緩衝材となってくれた母。「ボヘミアンラプソディ」の難解な詞について、「詩は聴く人のもの」とフレディ自身が言っている。その言に従って、私はこの曲はフレディが母に捧げた渾身のメッセージだと思っている。新しく生まれ変わる自分、それでもずっと自分はあなたの息子なのだ、と。


けれど皮肉なことに、この曲の大成功を機に、メンバーの関係性は揺らぐ。「バンドは家族」、その思いに温度差が生じ、Queenは一時活動休止。解散説も流れた。放蕩の限りを尽くしたフレディには健康上の不安も生じ、知人の裏切りにも合う。まさに八方ふさがり、四面楚歌のフレディが、かつて悪口雑言を尽くして決裂した三人のメンバー、ブライアン、ロジャー、ジョンに「母船に戻りたいんだ。」と告げるシーンは感動的だった。「家族だったら喧嘩して当たり前だろう。」、はにかみながら、申し訳なさげに告げるフレディは母親の胸で甘える子どもそのものだ。


そして、物語はあのライブ・エイド、ウェンブリーアリーナの伝説の21分へとつながる。その朝、フレディは愛猫たちにご飯をやり、生涯最後の恋人ジム・ハットンの自宅を訪ね、一緒に自身の両親の住む家を訪ねる。父親の前で、ジムと手を重ね、二人が深く信頼し合っていることを示し、これからアフリカの飢餓救済活動のためのライブに赴くことを告げる。「お父さんがずっと教えてくれていた、善い思い、善い言葉、善い行いを実践しにいってくるよ。」と。これが実話かどうかは問題ではない。自身のアイデンティティを疑い、時に憎み、家族に対して呪詛にも似た感情を有していた人間が、信じた道を全うすることで、新たな家族観を構築したことが重要なのだ。全世界で、15億人に中継され、綺羅星のごとき出演者の中で最高の評価を得たQueenのフロントマン、フレディのパフォーマンスの背後にそんな素敵な家族のエピソードがあったと思うと、ウェンブリーがいっそう輝かしい場所に思えてくる。


かの夏のcall and response AY-OH に揺れるアリーナ十万人が


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プレス用試写会でもらったピンバッジ。



# by minaminouozafk | 2019-02-12 10:20 | Comments(8)

ブログ記念日29

 年明けの一月。やはりあっという間に行ってしまった。今年はほとんど雪を見ることがないうちに立春。あちらこちらで春が生まれている。おとなりの長府庭園では蕗の薹、土筆までのぞいている。さくらの芽鱗も小豆色にふくらんでいる。

 花のころになると石原吉郎の「花であること」の詩をおもう。はじめて読んだ時もとても良いと思ったが、難しくてちゃんと解釈できなかった。石原吉郎は7年間ものシベリア抑留体験をしている。そのなかで生き残った感慨。〈花ひらくごとき傷もち生きのこる〉詩人であるが、俳句も短歌も遺している。最近、出会った彼の俳句。花がひらくのは歓びだけではない。傷つきながらひらくこともある。

 ブログ記念日も29回目。あらためて時間とは小さな欠片が積みかさなっていくものだと思う。読んでいただいている方に感謝です。それぞれの人生、いろいろな傷をもちながらも愉しみたい。

 古い楓の大木。プロペラの種が残っている枝には紅色の葉っぱのふくらみが・・・葉っぱにも莟がある。

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ふつくり   百留ななみ
おかへりと五十五歳のしたごころをふくらませゆく窓辺のひかり
乃木神社うらの土塀の崩れたり豪雨後百日じわりじわりと
絵あそびあり文字あそびあり反骨の宮武外骨よみがへるべし
佳きことば佳きメロディでふくふくの身体に入れる冷えた葡萄酒
姫コブシのつぼみふつくりリモコンのほこりきはやか二月のひかり

初期化せよ   藤野早苗
いそのかみ古るうつそみを初期化せよ ファイトケミカルスープを掬ふ
幾重にも絹をまとひてあした咲く蕾のやうなわたしとなれり
百年の時空を超えて神楽坂ためいき重き白秋に会ふ
創造の名のもと破壊を繰り返し自己破産するほかなき地球
真理にはとほく空目と空耳のうちに忸怩と過ぎんか一生

屠蘇延命散   有川知津子
この人のおだしき貌を見よといふ《受難》描きてジョルジュ・ルオーは
どれくらゐ違ふ高度を行くのでせう見上げれば空に消える十字路
遠くより手を振るひとに手をふりて夕暮れ五時の日本橋なり
祖父に似る母とならびてきざみをり屠蘇延命散儀式のごとく
銀漢にアルゴー船を舫ひたるひとをおもへば春のあけぼの

ぢよきぢよき   鈴木千登世
作らない日はさみしいと言ふ声に振り向けば知らぬ顔のさざんくわ
ぢよきぢよきと切り抜いてをり 結局は言葉なのだわたしの欲しいものは
たどたどしいことばで愛を告げたなら君は応へてくれただろうか
冬の陽の温みを受けてある生の窓辺にきんをこぼす蠟梅
くるぶしに春は訪れ街を行く少年少女の軽きステップ

黒ネクタイの紳士   大野英子
楼門のはだへに触れてじつと待つ過去世と未来世ゆきつもどりつ
それぞれの過去を灯してあたたかな歌ありそつと付箋をはさむ
晴れをんなのわたくしけふも申し訳けなく外出(そとで)する春をさがして
雪解けのひかりのなかに飛びたたん雛のまとふ唐(から)衣(ぎぬ)の鶴
四十雀の黒ネクタイの紳士来てフウの実につと口づけをする

しあはせサイズ   栗山由利
「三都賦」を学び来し子の十年を重くきざんで背表紙の金
デジタルの器械にまでもみえをはり年齢設定五十といれる
平成の最後をかざるお年玉切手シートの猫まねく福
冷えた手につたはるうどんのどんぶりの温さがちやうどのしあはせサイズ
歳の数まつすぐならべた福豆の二十粒目をしつかりと噛む

色絵の小皿   大西晶子
このひろい海に結ばれへだてられ近くて遠い隣国とふ国
ヒートテック下着で冬に汗をかくわたしにくださいメロンのアイス
水鳥の足掻き思はす漫画家の細字で埋めた創作ノート
口きけば何をかたらん窯を出て四百年経る色絵の小皿
大鷲!といふ声に見る高き木をつばさひろげて飛び立つ一羽

# by minaminouozafk | 2019-02-11 06:00 | ブログ記念日 | Comments(8)