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今年3月に不登校当事者及びその家族を支援するボランティアグループ「咲くふぁ福岡」を友人とともに3人で立ち上げた。ビギナーズラックというべきか、ひょんなことから、前文科省事務次官前川喜平氏とご縁が繋がり、12月8日には、前川氏をお迎えして不登校に関する講演会を開催する運びとなったことには私たち自身が驚いている。

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この場をお借りして告知させていただき、申し訳ありません。
もしも、ご来場いただけるなら大変うれしいです。
チケット、残りわずかとなりましたので、
お知らせいたしました次第です。


この活動に関わるにあたってはもう、わからないことだらけ。けれど、じっとしていても埒が開かない。数少ない伝手を辿って、手さぐりで動き始めた私たちだったが、親身になって下さる方々との出会いに支えられ、現在に至っている。本当にありがたいことである。私たちの活動にご尽力下さっても、何の得にもならない。物質的に還元できるものは何一つないのである。それでもみなさん、自分にできることがあれば……とお申し出くださる。清々しいお人柄に頭が下がる。



思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。



マザー・テレサの名言である(とされているが、出典は実は不明。ブッダとか、ガンジーとか、エマーソンとか、諸説あり。ただ、マザー・テレサも引用はしているらしい)。不登校問題を考える活動を通じて知り合った方々はこの5つの「気をつけなさい」をごく自然に実践できているのだろうと思う。


思考→言葉→行動→習慣→性格→運命


この図式を信じるなら、新しい思考は新しい運命を導くことになる。今年の新たな出会いが、私の新しい運命を決めるのだろうか。そう思うとますますワクワクが止まらない。



  言の葉のタネを蒔くべしかなしみに耕されたる胸の沃土に


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もう一つ、告知です。すみません。
10月20日19時30分から、咲くふぁ福岡、講演をさせていただきます。
その日は県の短歌大会でもありますね。
われらが英子さんが理事として運営に携わっています。
私は短歌大会に参加してのち、講演会に向かいます。
ダブルヘッダー。
お時間の許すみなさま、短歌大会終了後、ぜひ講演会にもいらして下さい。
お待ち申し上げております。

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MAZEKOZEセミナーに
ご来場下さったみなさまには、
ハート型の風船葛の種をプレゼント。
「しあわせの種」です。




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# by minaminouozafk | 2018-10-16 01:49 | Comments(1)

 

秋桜を見に行こうと誘われて秋晴れの朝、リフレッシュパーク豊浦にでかけた。瓦そばで有名な川棚温泉にある。

ひさしぶりで駐車場もおぼろな記憶である。ようやくエントランスで懐かしさがこみ上げてきた。そこから遊具広場に一直線だったむかし。


今日は子育て卒業の友人とふたり。のんびりと巡る。入り口の左手に網で囲まれた小屋が見える。


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近づくと蝶の庭・アサギマダラの説明・・・早速なかに入るとアサギマダラがいっぱい飛び交っている。うれしい。数頭のアサギマダラは見たことがあるのだが。藤袴は秋の七草。アサギマダラの好きな花。


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小屋をでてしばらく行くと藤袴がならんで咲いている。五つ六つ七つアサギマダラだ。クヌギの樹の下の木漏れ日のなか。足音をたてないようにそっと近づく。一眼レフのおじさんに追っかけたら逃げるよ。待っちょったら寄ってくるよ。のアドバイス。本当にそうだ。

あっちにふわふわ、こっちにふわふわ。アサギマダラの翅は薄く軽やか。苦手な鱗粉もあまりないようだ。


浅葱色の翅の斑はもちろん美しい。広げたときの赤い裾模様も渋い。最も印象的で愛くるしいのは顔のモノクロのドット柄。



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朝早く人も少ない木蔭のアサギマダラをしばらく二人占めしていると、まだまだ下にいっぱいいっぱいいるよ。と声をかけてもらった。坂を下ると一面のコスモス。そうだ今日はコスモスを見に来たんだよね。



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でも目の前のコスモスのまえに左手に藤袴がいっぱい植えられている。薄紫だけではなく白もある。カメラマンもいっぱい。数十頭いやそれ以上だろう。藤袴のなかを乱舞している。なんという軽やかさ。海を渡っていけるんだもの。日本各地で翅にマーキングされるようでリフレッシュパーク豊浦でも函館のマーキングのアサギマダラがいたようだ。1000キロ以上離れている。この小さな翅にそんなに強靭なパワーがあるなんて。




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以前ブログでも紹介したが、師の森重香代子氏はアサギマダラをクラシック蝶と詠んでいた。



翅のいろ灰青色または濃褐色アサギマダラはクラシック蝶

尖塔の冥くひしめく中世の空に浮かばや()しからむ蝶

森重香代子



森重香代子ワールドに導かれつつ藤袴のなかでうっとりしていた。



秋桜も満開。この炎暑をのりこえて可憐に秋風に揺れている。がんばったよね。



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メキシカンセージのむらさきも見頃。



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予想外のアサギマダラにすっかり魅せられた友人とふたり。


出口でアサギマダラのスタンプを押して帰り道に下関市園芸センターに立ち寄る。



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スタンプ2つで藤袴の苗をプレゼント!に惹かれ庭でアサギマダラを待つために・・・いただいた藤袴の苗は花壇の隅に植えた。数年して大きな株になれたら、もしかしたらアサギマダラが来てくれるかもしれない。



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モノクロの水玉顔がキュートなり花の蜜吸ふアサギマダラは




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# by minaminouozafk | 2018-10-15 07:27 | Comments(7)

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                 11月25日(日)まで開催中、中央は紙塑人形「卑弥呼」


 先日知人から福岡県立美術館の「鹿児島寿蔵の人形と短歌」という展覧会の切符を頂いたので行ってきた。短歌を始めたばかりの頃(かれこれ三十年くらい前)に人間国宝・鹿児島寿蔵の人形の展欄会で見た美しい紙塑人形のかずかずを今も覚えている。それに鹿児島寿蔵の歌集「母のくに」も読んだことがある。


 今回は県立美術館に寄贈された作品を中心に短歌の自筆の書や陶磁器の作品が多くはないが、じっくり見るのにちょうど良いほど並んでいる。
 同時に福岡県の工芸品の久留米絣や博多帯、小石原焼も展示されている。鹿児島寿蔵は福岡市で生まれ育った人なので「郷土の工芸作家」の扱いなのだろう。
 白秋などとほぼ同時期に生まれた鹿児島寿蔵は吉居勇、若山牧水などに影響されて短歌を詠み始め「アララギ」で存在感を示しつつ活動したという。生涯に22冊の歌集を刊行し、第2回目の釈超空賞を受賞されている。ほかに人形の写真集やエッセイなどの刊行物も置かれていた。

 人形は古事記の神話、万葉集の歌を主題にしたものが多く、幻想的でロマンティックなのが特徴とキャプションに書いてある。どの人形も愛らしく、造形と衣装のゆたかな彩りが時代を越えて新鮮だ。

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                   「鹿島の宮の春の宴」
   


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                   「濤を鎮むる弟橘比賣」



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    寿蔵の歌       
        上の写真の書(自筆)
     
      紙塑のわざはゆめにあらざる夢なりき 求めもとめてもとめえし夢


     ねがひたる一世(ひとよ)はつひにかすかにてわらべごころに人像(ひとが     
     た)つくる


      もろもろのことのはげしき世にひそみ心直かれと人形つくる

      ひとがたのちいさきものにこのやうに充ちて人には見えざるいのち
   

  生涯を人形制作にかけた鹿児島寿蔵のひたむきさが歌からもうかがわれ、良いものを見せて頂いたと幸せな気分で会場をあとにした。鹿児島寿蔵の歌集をあらためて読みたいと思うが、長い間開いていない歌集が家のなかで無事に見つかるといいのだけど。

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               福岡県立美術館のスタンプ

     泣き顔と笑顔の面ふたつ持つ人形の名は「両面童子」
     前に伸ばす尾を机にし香炉たく人魚像あり「南海の夢」と
      






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# by minaminouozafk | 2018-10-14 07:00 | Comments(6)

 秋も深まってくると魚屋の店先にきらりと光った秋刀魚が並び、昨日のように寒かった日にはテーブルの上で湯気をあげる鍋物が恋しくなる。そうなると故郷大分の家庭ではカボスが大活躍をはじめる。


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 カボスは大分県の特産果樹で、古くから竹田や臼杵地方の民家の庭先に薬用として植えられていたそうである。「カボス」という記述が文献等に登場するのは戦後しばらくたってからの昭和中期だが、臼杵市内には樹齢300年という古木があったそうで、今も樹齢200年前後の古木が数本あるという。他県にはこれほど古い樹は見られないことから大分県が原産とされている。旬は8月中旬から10月頃までだが、ハウス栽培や貯蔵技術の向上でいつでも手にいれることはできるようになった。とはいっても、手のかかったものは高価だし旬のものがいちばん美味しいに決まっている。


 今でこそ一村一品運動のおかげで『大分のカボス』として広く知れ渡っているが、40年前はまだ関東では知名度は低く、知人にさしあげるたびに使い方を説明したものだ。

先日、妹からたくさんのカボスをもらった。妹夫婦がネギを育てている畑の脇にカボスの樹が三本ほどあるのだ。無農薬と言えば聞こえはいいが、特に手入れをせずともたくさんの実をつけてくれる果報者である。地主さんのご厚意で自由に採らせていただいていて、6月の中旬に畑を訪ねた時はまだ金柑くらいの大きさだったものが、直径5センチをこえ見事に育っている。





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 使い方はさまざまだ。定番の焼き魚、鍋物はもちろんだが、鍋物にはポン酢として利用するだけでなく、自分の皿に取った上から贅沢にたっぷりと果汁をかけると美味しい。この季節は高菜漬けの新物、青高菜が出てくるが、これにかけても酢が塩気を和らげて美味である。レモンの代わりに揚げ物に使うのもお薦めで、うちでは天ぷらにもフライにも使う。さっぱりとして塩分の摂り過ぎにも効果がある。人に教えて「えっ?」と驚かれるのが、味噌汁に二、三滴垂らすという使い方だ。微かな酸味がいつもの味噌汁の味をさわやかに変えてくれる。

 また手に入ったらおすそ分けしますので、近くの方は楽しみに待っていて下さい!


   手入れせぬカボスを無農薬と言ひおすそわけする ありがたきかな


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# by minaminouozafk | 2018-10-13 09:21 | Comments(6)

海老原さんは、このブログ〈南の魚座短歌日乗〉の元となった、三人だけの小冊子『みなみの魚座』の立ち上げメンバーであり、棧橋から灯船でのお仲間でもある。

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海老原さんの一冊には〈ふるさと〉という暖かい空気が流れている。

温暖な宮崎という土地柄もあるのだろうが、豊かな自然に対する海老原さんの眼差しにも拠るのだろう。

・アスファルトに田の土黒く落しつつ威風堂々田植機帰る

故郷(ふるさと)と書きつつ故の字(いと)しめりいつか私に冠する一字

・音もなく冬の陽ざしは降りそそぐ田の神様(かんさあ)の欠けし鼻にも

無戸室(うつむろ)の跡をおほへる杉苔にしらじら遊ぶ土用のひかり

・しんとして海鳴りまでも聞こゆる日もうぢき馬酔木の花がひらくよ

大仕事を終えた田植機の誇らしげな様子。「故」の文字も故郷に繋がると思えばという思索。

古来より田畑を見守ってきた田の神様の欠けた鼻に降りそそぐ陽射しに大いなる自然と伝統を嘉する海老原さん気持ちが伝わる。どの歌も宮崎という土地の持つ空気感が色濃く出ている。

海老原さんの日常と心の揺れを詠んだ作品から。

・こぶし咲き馬酔木、沈丁花(ぢんちやう)匂ひ来て春は新しき靴欲しくなる

・春さきの野草おほかたアク持てば思ひ出すなりわが反抗期

・焼き茄子はぽんと弾けてしぼみたりわが拘りもそんなものかも

・機械にも機嫌よき日のあるらしく今日のミシンは軽やか軽やか

・頼まれて入学準備の手さげ縫ふ縫ひものオンチの嫁を持つ幸

・内臓を持たねば影はらくらくと折れて社の石段くだる

巻頭の一首から始動の季節への期待感と積極性にワクワクする。「反抗期」や「拘り」も軽くいなしながら前向きに暮らす様子が伝わる。裁縫がお好きなのだろう。軽やかなミシンは海老原さんそのものであり、頼まれる手提げ作りも心踊りが伝わる。「影はらくらく」からは、私はしんどいけれどというユーモアがあり、どの歌も向日性がある。

明るさは人間観察にも働いている。

・バスを待つ男のしたる大あくび夕陽がぐいと吸ひ寄せらるる

・胃袋を吐き出すほどのくしやみして男過ぎるたり真昼の団地

・失礼と声かけ来たる人ありて煙草の臭ひが先に坐りぬ

・もう誰も〈そのまんま〉とは呼ばぬかほ物産館の幟りに笑ふ

・喜劇役者ならば詮なし幕引きの「そのまんま」劇は粗末でをかし

・真正面を定位置とする男ゐていつも斜めにテレビ見るわれ

眉をひそめたくなる「大あくび」「くしやみ」「煙草の臭ひ」も海老原さんにかかるとユーモアとなり、人物像もくきやかに立ち上がる。

四、五首目は東国原劇場と呼ばれ積極的な広報活動により宮崎ブランドを定着させた手腕と、その呆気ない幕切れを詠む地元ならではの視線だが「詮なし」と明るい。

六首目はご主人だろう。長年連れ添い、安定した間柄だからこそ詠める一首。世の多くの妻たちは「うちもそう~」と共感しているだろう。

この歌集は「何かと心配をかけた父への感謝を形に」と編まれている。

父はツマベニチョウを宮崎で繁殖のための保護活動を続けられた海老原秀夫さん。この秋、百二歳になられ、コスモスにも現役で出詠され、全国のコスモス会員の励みとなっている方。

・世話になる、面倒掛ける 畏れゐし父が言ふからさびしくなりぬ

・ゆるゆると優しくなつた父とゐて海のうへ行く雲を見てをり

・百歳の(ひで)ぢいちやんは物知りで何でも教へてくれると児の言ふ

・クレアチニンの基準値きけば百歳の数値は知らぬとドクター笑ふ

私達には、いつも穏やかな微笑みを湛えたお父上のイメージしかないが、娘さんにはたいそう厳しく接し、畏れられていたようだが、現在は共に穏やかな暮らしが伝わる。

もうひとり、最大の故郷を感じさせてくれるのは母の歌

・杉の間を霧の流るるわが故郷会ふ人はみな母に繋がる

・墓標には母の名ひとつ墓の下の壺中にひとりの母の恋しき

・休み休み母が訪ひ来しこの道にまた薮つばき咲きて母亡し

・母の日の母の墓処のそのめぐりゆたかに揺るるつんつんつばな

亡くなられて二十年になり、折々訪れている母の墓所を取り囲む空気が慰藉を感じさせてくれる。

ご両親の豊かな情愛があってこその、海老原さんのふるさとを内包する一冊となったのだろう。

        ただ一度訪ひし日向にワープするまだ父母が待ちゐしころの


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# by minaminouozafk | 2018-10-12 06:58 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)

ブログ記念日25

今日で25回目のブログ記念日。

流れるように過ぎる日々に読点を打つかのように巡ってくる記念日。


金木犀の甘い香りが部屋の中まで漂ってくる。ようやく涼しくなったと思ったら、今年もあと3月となっていた。何をしてきたのだろうと愕然となる。起きて、仕事へ行って、帰って、眠って……の繰り返しの私の日常に短歌(とブログ)がなかったら、日々は過ぎ去るものとなってしまいそうだ。

何でもない日々が、言葉によって掬われると忘れがたい特別な景として心に刻まれる。

歌という形にすることで鬱屈したこころが整えられ、明日へ向かう気持ちが少しばかり湧いてくる。自分でない他の人の作品の言葉や調べ(それは他人の視線や思想)に揺蕩いながら、目をひらかれ、また知らないどこかへ導かれてゆく快さ。短歌と出会ったことで多くのものを得られたように思う。

読んでくださる方々や陰で支えてくださってる方も含めた南の魚座のメンバーに感謝しつつ、また次の1月を進んでゆきたい。


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マジックアワー   鈴木千登世

言葉なく足湯にひたる傍で夫は目を閉ぢ天に向きをり

ああやはり「おまへは何をしてきた」と風が吹くなり中也の風が

シルエットうつくしくなるゆふぐれのマジックアワーとふ神の賜物

秋に咲く桜さくら子時知らぬ桜さくら子 咲くときが時

くつくつとりんごを煮をり火の傍に座り文庫の本めくりつつ


花のこゑ   大野英子

雲のなきあしたの空の白き月はんぶん隠れてわれを見下ろす

雲ながくみつめつづけてゐるうちに過去へと戻りゆくやうな秋

葛の花匂へる秋を待ちわびてまづは葉陰の花のこゑ聴く

活力でここまで育つてきたぞつて不敵な笑みの葛の花言ふ

壁面がわうごん色の市ヶ谷に〈夕焼け小焼け〉鳴る十七時


未来予報   栗山由利

あまたなる生まれなかつた鮭の子が口で溶けゆくとろおり秋の日

とりあへず新聞ひらき一日の情報つめてエンジン始動

高空を悠々すべる鳶ににて平成の鳶は足場をわたる

風やみてとほく近くの虫の声寒くなるぞと季をおしへる

来年のカレンダーに書く未来予報なりたい私を太書きにする


ほんの入り口   大西晶子

秋は今ほんの入りぐち子供らのいまだ気付かぬ青きどんぐり

目の澄める烏賊得てかへる道々に大豆のみどり濃き畑ひろがる

皮、果肉すてたる今は繊維のみしろく乾けるへちまの束子

想い人に文遣るごとく顔しらぬうたびとたちに歌評を書けり

投稿の歌で知りたりとなりまちの対馬みるとふ対馬見山を


夏眠   百留ななみ

つゆくさの群れ咲く墓地で聞いてゐる運動会の玉入れのこゑ

たつぷりの夏眠のあとのかたつむり土塀の上を堂々とゆく

新米のおにぎり旨し()の赤の剃刀花は不動明王

蟻ん子の足あと見える斑猫と見えない人間おんなじいのち

きらきらし夏眠の夢で見し萩の白花のなか舞ふしじみてふ


登龍門   藤野早苗

わうごんの鱗かがやく六六魚登龍門をさかのぼりつつ

天神のご加護たまはり台風の進路南下す贈賞の日の

解き洗ひして陽に干せば百代をはたらきさうな紬の着物

一着の着物を解けば八人の長き短きイッタンモメン

ちちよちよちちよ縫ひ針刺してまた抜いて千鳥のあしあと残す


気泡   有川知津子

四つ星の矢座探しをりまだ恋を知らぬ子どもら島に遊びて

澄むといふことのしづけさ秋空は会ひたきひとを映せるかがみ

あめつぶにつつまれやすきわが嗄声救はんと傘を差しだすひとり

馬小屋のありしところは晒されて秋をいちりんつめ草咲けり

海層を上りゆきたりぎんいろの硬き気泡につつまれながら


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# by minaminouozafk | 2018-10-11 06:00 | ブログ記念日 | Comments(6)


鷗外は、小倉第十二師団軍医部長として、明治32年6月から35年3月までの2年9か月ほどを小倉で過ごしました。この転出人事については、左遷であったとか、否、当時の制度内にあってはそんなこともありうるのだとか、いろいろに言われています。



鷗外本人はというと、「左遷」と受け取りいったんは辞職まで考えたようです。が、周囲の人々に説得され赴任します。そういう経緯もあり、この小倉時代は沈潜時代、雌伏時代と呼ばれます。



鷗外の小倉時代の業績として、クラウゼヴィッツの『戦争論』の講義、『即興詩人』の翻訳の完成、小倉三部作などがよく挙げられるようです。けれども今日は、もう一つの〈業績〉、再婚のことを書いてみましょう。



再婚相手は、荒木志げ。18歳年下でした。次に引く書簡は、この二度目の結婚のときに親友の賀古鶴所に宛てたものです。



好イ年ヲシテ少少美術品ラシキ妻ヲ相迎ヘ大イニ心配候処

万事存外都合宜シク御安心被下度候

(いい年をして美術品のような妻を迎え、大いに心配していましたが、

うまくやっています。ご安心ください)



あの鷗外が大まじめにほっとしている様子がうかがわれ、なんだか可笑しくなります。鷗外贔屓がいっそう募ります。




明治23年に前妻登志子と離別し、明治35年に再婚するまで、鷗外は13年間を独身でした。登志子さんは、鷗外小倉時代の明治33年に亡くなります。年譜だけを追っていると、登志子さんが存命のかぎりは再婚しなかった、とも受け取れます。



志げ夫人と鷗外、二人の小倉時代は3か月にも満たないものでしたが、志げ夫人は、小倉の新婚時代がいちばん楽しかったと話していたそうです。



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   馬小屋のありしところは晒されて秋をいちりんつめ草咲けり



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# by minaminouozafk | 2018-10-10 06:17 | Comments(6)