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2020年 01月 31日 ( 1 )

太宰府天満宮と宗像大社への参拝を紹介しました。例年は宗像大社と共に、以前晶子さんから紹介があった鎮国寺に行くのだが、今年は行くことが出来ず、完結しない三社参りに何だか落ち着かない思いだった。

思い出したのが、普段は通らないが、すぐ近所にある鏡天満宮。

鏡天満宮(三社参り完結編)  大野英子_f0371014_08264230.jpg

ホテルオークラとリバレインのビルの間に、社殿だけでこじんまりとしているが、天神様が祀られている。

太宰府天満宮では行列が出来ていた神牛の「撫で牛」も小さいながらも鎮座している。ちなみに太宰府の県文化財である神牛は博多の商人たちが奉納したもの。

太宰府の神牛は頭を下ろし寛いだ姿だが、こちらは首を突きだし若々しい。

鏡天満宮(三社参り完結編)  大野英子_f0371014_08262965.jpg

その横には高みから社殿に向かって天神様のお使いといわれる「(うそ)」が見下ろしている。(逆光~)

鏡天満宮(三社参り完結編)  大野英子_f0371014_08261711.jpg

木彫りのものと同様にカールした後ろ姿も愛らしい。

鏡天満宮(三社参り完結編)  大野英子_f0371014_08260200.jpg

鏡天満宮はウィキペディアを見ても情報が少ない。

石碑があったので、もう一度行って、まずはお参りをして顔を上げると曇り空が、ぱぁーっと明るくなり、何だか清々しい。

〈由緒〉と書かれた石碑によると、901年、大宰府の権師に左遷配所された菅公が、博多に上陸された第一歩の地。海路の疲れにやつれたお顔を京都から懐に入れて大事に持ってきた白銅の鏡に映してご覧になったと伝えられる鏡を祀る神社。

一説には、菅公の共の者と子孫が菅公を慕い宅内に神として祀った神社を始まりとして奴天神(やっこじんじゃ)とも呼ばれている。

また、この場所は平安時代には平清盛によって袖の湊が築かれ、日宋貿易の玄関口として栄え、商都博多の礎となったとも記される。

うーん、初耳~。神社入り口に渡唐口跡の碑があるな。

そういえば山笠の時、土居流れの当番町が綱場町の時に山小屋が据えられる場所は綱敷天満宮と言ったなあ。関係あるのかな。

検索~。菅公が袖の港に上陸した時、住民達が綱で敷物を作り出迎えたと言われている。その後、その場所に社殿が建ち(つな)()天神と呼ばれた。現在、社名は綱敷天満宮となり、社殿所在地の町名は綱場(つなば)となった。おお、「菅公聖蹟二十五拝」の1つでもある由緒ある天満宮なのだ。

どちらのエピソードも博多の人々の篤い気持ちが伝わり、町名も関わりがあると思えば何だか嬉しいなぁ。

もう一箇所、アクロスの正面にも水鏡天満宮がある。

こちらは、同じく京より大宰府に左遷される道中、四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映した場所に、後に社殿を建て、「水鏡(すいきょう)天神(てんじん)」「(すがた)()天神(てんじん)」と呼んだとある。天神という町の名前の由来とも言われる神社。

ずっと、鏡天満宮と水鏡天満宮の違いが謎だったので、すっきり。

石碑の最後には

   鏡にもなきつみとかは見えやらでやつれすかたのかすむ春かな 菅原道真

の一首が記される。鏡を見ては嘆き、川面に映った姿を見ては嘆き、こころの傷の深さが伝わる。

鏡天満宮(三社参り完結編)  大野英子_f0371014_08254804.jpg

たまには地元もじっくり見直さないといけない。

最初にお参りした1月18日、鏡天満宮の梅の花は早くも開花していた。

       寒の雨に下川端の太宰府の〈撫で牛〉痛みを流しゐるらん


by minaminouozafk | 2020-01-31 08:28 | Comments(6)