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2020年 01月 29日 ( 1 )

 

 そういえば、九州国立博物館であった「三国志」展のことを書いていなかった(ことに気づいた)。去年、由利さんのご紹介にもあった「三国志」展である。



特別展「三国志」  有川知津子_f0371014_23264901.jpg



 『三国志演義』には、「草船借箭」(ソウセンシャクセン)の話がある。諸葛亮が藁束を積んだ船を仕立てて、曹操軍から十万本の矢をせしめるという話である。赤壁(レッドクリフ)での本戦に入る前のことで、諸葛亮考案の、その名のとおり「草船で(足りない分の)矢を借りる」の計画であった。



 赤壁の戦いで、孫と劉は連盟を結び、力を合わせて曹操軍を討つことになった。だが、諸葛亮(劉備の軍師)の才知を恐れた周瑜(孫権のところの大都督)は、諸葛亮を生かしておいては、今後の呉の憂いになるとしてその殺害を図る。けれども共闘を約束したのだから迂闊なことはできない。そこで、軍法にしたがって亡き者にしようとしたのである。これならば誰も文句は言えまい。それが「亮ちゃん、十万本の矢を用意してくれない?」(周瑜)の話である。



 諸葛亮は周瑜のコンタンがよく分かっていたが、この困ったチャンを少々懲らしめようという気持ちもあったのだろう、十万本の矢を三日で準備することを約束した。周瑜には、三日間で矢を準備する方法がどうしても思いつかない。これにも周瑜は歯がゆい思いをする。(誤解なきよう添えておくと、周瑜好きである~)



特別展「三国志」  有川知津子_f0371014_23263640.jpg



 さて、期限の三日目の夜は濃霧となった。諸葛亮は二十隻の船に藁束と兵士を載せて曹操の陣へ向かう。船が曹操陣へ近づくと諸葛亮は船を一列に並べ、一斉に太鼓を鳴らして鬨の声をあげさせた。敵襲と思った曹操軍は矢を乱射する。その矢はもちろん、藁に刺さる。船の片側に十分に矢が刺さると、さらに諸葛亮は船を反対側を向けさせ同じようにした。



 こうして、船の藁束には隙間なく矢が刺ささることとなった。諸葛亮はこれを持ち帰りことなきを得たのである。



 うまく行きすぎであるが、まあ小説だから。



 これは、『三国志演義』の虚構としてとても有名な場面で、正史『三国志』にはない。ただ、その注に次のような話が引かれている。



孫権が大きな船に乗って軍情偵察にやって来ると、曹公は、弓・弩をめったやたらに射かけさせた。矢がその船につきささり、船は一方だけが重くなってひっくり返りそうになった。孫権は、そこで船を廻らせ、別の面で矢を受けた。ささった矢が平均し船が安定したところで、自軍へ引き上げた。

ちくま学芸文庫版正史『三国志6 呉書Ⅰ』(小南一郎訳)



 そう、ここには、孫権の手柄として記される。『三国志演義』の作者が、蜀びいき(孔明びいき)と言われるゆえんである。他にもこのエピソードのために参照したと考えられている本がいくつかあるけれども、この辺で。



 そうそう、何をご覧いただきたかったのかというと、これである。1000本の矢が展示室の天井を飛んでいた。



特別展「三国志」  有川知津子_f0371014_23262553.jpg





せつかくだけどご辞退するよ今日までをたまたま吸はずにすんだ煙草だ





by minaminouozafk | 2020-01-29 06:20 | Comments(7)