人気ブログランキング |

 昨年末、中国古典文学の研究をしている長男が、博士論文までの約十年間の研究をまとめ、550ページの本として出版した。それが「西晋朝辞賦文学研究」(汲古書院)である。出版を決めてから、おおかた二年近い時間を費やしたのではないだろうか。出来上がった本を手にすると、研究の場でお世話になった方々はもちろんのこと、小さい頃から様々な場面でお力をかしてくださった方々のことが思い出され、感謝という言葉しか見つからない。


f0371014_10071842.jpg

 息子が中国古典文学の道を選ぶことになったのは、いくつかの人生の節目で各々判断した結果にほかならない。


 息子が小学1年のとき、この子は国語の読み取りが苦手だと思った私は、自分が仕事で面倒をみることができないことを理由に、夏休みの間中、実家の父に数冊の国語の問題集と一緒に息子を預けたことがあった。任された父はその問題集をすべて終わらせてくれ、確かに国語の点数が上がったのである。国語の力などというものは、本来そんな点数で判断できるものではないというのは、今だから言えることで当時の私は点数に踊らされていた。しかし、父の指導はありがたかった。


 その後、ファミコン、スーファミ、プレステとゲーム世代真っ只中の息子は、御多分に漏れずゲームにはまり、家には当時流行りのドラクエから多くのロールプレイングゲームまで並ぶこととなった。そのうち、中学生になると三国志などの戦略系ゲームが中心となり、並行して小説の三国志にも興味を持つようになった。「三国志」「三国演義」「水滸伝」などの本を買わされたのもこの頃であった。


 高校生になり進路を決めなければならなくなったとき、希望は「高校の先生になってバレー部の顧問になる」だった。漠然と社会科の先生になろうかなと答えた息子に、高校の先生のアドバイスは「社会科の先生を目指す人は多いから、女性の先生が多い国語科のほうが産休の先生の代替とか機会も増えるのでは」というもので、その結果決めたのが文学部。その後、大学で専門を決める時もまだ『三国志熱』は覚めてはおらず、息子は中国文学を選んだ。その時、なぜ中国文学なのかと聞いた私に、彼は「三国志を原文で読みたいから」と答えた。そして希望だった国語科の教職の免許も取得した。


f0371014_10072944.jpg
<出版社の総合案内誌の紹介頁>


 「左思「三都賦」は何故洛陽の紙価を貴めたか」の論文から始まった研究生活。途中、中国清華大学への二年間の留学を含めての十年間の成果が初めて形となったのである。奇しくも洛陽紙貴のモデルとなった左思の「三都賦」も完成までに十年の時を費やしているという。


 かつて、将来の生活を心配する息子に「しっかりと研究して頑張っていれば、結果は自ずとついてくるよ。生活はなんとかなるよ。」と私は言った。しかし研究者にとって現実は厳しい。私が言ったことは本当に彼のためになったのか。研究はそこそこにして、地道に就職するようにアドバイスしていたら、しなくてもいい苦労はせずに済んだのかもしれない。今更思い悩んでも仕方のないことではあるが、時々ふっと頭をよぎる。

しかし、あとがきに「どんな時でも、私が研究者を目指すことを疑うことなく応援してくれた」と感謝の言葉を記してくれた。まだ少し気持ちにゆらぎはあるが、この言葉を素直に受け止めて、終わりのない研究を続ける息子にエールを送りたい。


 小学1年の息子に国語の特訓をしてくれた父は漢詩が好きだった。あちらで「さすが俺の孫や!」と自慢しているに違いない。


f0371014_10073847.jpg
<中国国内のサイトでの紹介・早い!>



   「三都賦」を学び来し子の十年を重くきざんで背表紙の金

  


by minaminouozafk | 2019-01-12 10:44 | Comments(6)