2019年 01月 09日 ( 1 )


鷗外最晩年の著述に、「元号考」がある。「大化」から「明治」に至るまでの二百四十有余の元号の出典を考証(鷗外全集「後記」森潤三郎)した労作である。



しかし残念なことに未完に終わった。そのことにいちばん心を残したのは鷗外本人であったろう。



おそらく死期の予測できていた鷗外は、賀古鶴所に宛てて、次のように書いている。このとき、もう余命五十日もなかった。


女、酒、烟草、宴会、皆絶対にやめてゐる此上は役を退くことより外ないしかしこれは僕の目下やつてゐる最大著述(中外元号考)に連繋してゐるこれをやめて一年長く呼吸してゐるとやめずに一年早く此世をおいとま申すとどつちがいいか考物である又僕の命が著述気分をすてて延びるかどうか疑問である

                   (*カタカナ及び略記号は平仮名に改めた。)


ここに「最大著述」と記されたのは、「元号考」である。



今以上に養生に努めよといわれるなら、あとは仕事を辞めるしかない。だが、退役し「最大著述」を止めて一年長く生きるのと、それを続けて一年早く「おいとま申す」のとどちらがいいか、と胸中を綴り、さらに、自身の生命が執筆意欲によって結ばれていることを仄めかせている。



この書牘から放たれる鷗外の言葉の波動はいったいなんだろうか。



さて、鷗外はその最期をどのように過ごしたか。

鷗外全集の「後記」には、その「数日前まで加筆を怠らなかつた」と記されている。



四月一日に新元号が発表されるという。

文久、元治、慶応、明治、大正を生きた鷗外は、みずからの考証に照らして「明治」「大正」という元号を否定的に捉えていたようである。



鷗外ならば、どのような新元号を出してみせるか。




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    うつむくはこの花のいろ元朝の曇りのもとの紅花襤褸菊




by minaminouozafk | 2019-01-09 06:30 | Comments(7)