2019年 01月 07日 ( 1 )


正月三日。

初詣に出かけようと自宅の門扉を閉めたとき、空からグワッつと濁声が降ってきた。振り仰ぐとアオサギが低空飛行で頭上を越えて長府庭園に消えた。

一瞬の出来事だったが間近で見上げたアオサギ君はその姿、声も迫力満点だった。骨ばった首を曲げ大きな翼を上下にバッサバサ。なんだか始祖鳥のようで、鳴き声も恐竜を彷彿させる。

ブログを始める前から壇具川河口の一羽のアオサギとは一方的な感情かもしれないが、仲良くなっているつもりだ。いつも浅い川底か近くの屋根の上が定位置だ。あるときは、ちょっと上流で小さな滝のぼりをしたり、河口の長府漁協の海を飛んでいる姿を見たこともある。


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でも、いつも一羽の単独行動。ときどきシラサギ君が一緒のときもあるがいずれも一羽ずつ。ここ3年くらい同じ個体なのか気にはなっていた。足に目印の輪っかでも付けたらいいよね、と感じていたが、たぶん同じアオサギ君だと思って話しかけていた。




ところが昨年末、クリスマスも終わり正月の買い出しの帰り道。いつものようにアオサギ君は壇具川を覗くと川底の石の上にオブジェのように佇んでいる。ばたばた年の瀬を焦っている私からは哲人のようにみえる。いつものマイペースのアオサギ君に黙礼をして壇具川を渡って何となく振り返る。


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おや!視線を感じる。屋根の上にアオサギ君が。ここも定位置。


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えっつ!川を覗くと石の上のアオサギ君はそのまま。 何度か上、下、上、下とたしかめる。たしかに二羽のアオサギ君。アオサギ君、分身の術ではなくてアオサギ君2号の登場だ。恋人なのだろうか。ただの友人。もしくは行きずりの仲間。なんだか妄想がふくらむ。


はじめて頭上を翔ぶ姿を見て驚いたように、アオサギ君は川底や屋根の上にオブジェのようにじっとしていることがほとんどだ。二羽の姿を眺めていると「銀河鉄道の夜」の鳥を捕る人を思い出した。たしか鷺を捕まえて、同じ向きに重ねて押し鳥にする。ジョパンニが食べたらチョコレートの味がしたはず・・・とてもインパクトが強くてよく覚えている。目の前のアオサギ君か数羽重なった姿を想像してしまう。もう一度、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み返してみる。



「そいつはな、ぞうさない。さぎというものは、みんな天の川の砂がかたまって、ぼおっとできるもんですからね、そしてしじゅう川へ帰りますからね、川原でまっていてさぎがみんな、足をこういうふうにしておりてくるところを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっとおさえちまうんです。するともうさぎは、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかりきってまさあ。おし葉にするだけです。」



そうか鷺は天の川の砂が固まったものなんだね。その足を捕まえて重ねていくんだ。なんとも残酷な光景のようだが、いま食べている鶏肉だって同じような処理ではないか。鳥捕りは景気の話などもしている。まさに食肉業者と変わらない。サギを食べるには、天の川の水あかりに10日つるすか、砂に2、3日砂に埋めなくてはならないようだ。無事に天の川の砂に降りたサギも光ったり暗くなったりを繰り返していつのまにか砂にもどっていく。不思議な輪廻。




ひさかたの星の光の清き夜にそことも知らずさぎ鳴きわたる

正岡子規『竹乃里歌』




夜に聞く鷺の鳴き声。ちょっと不気味かもしれないが銀河鉄道の夜を読み返したいまは大丈夫。天の川の砂からできている鷺。そして天の川の砂にもどる鷺。太陽も地球も宇宙のひとつ。今年の元旦、満珠干珠の島のむこうから朱金の朝日がゆっくりとのぼっていった。




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朝日子を持ち上げ二羽の青鷺は朱金の帯の金銀砂子






by minaminouozafk | 2019-01-07 07:07 | Comments(7)