「短歌」6月号の特集は、〈いまこそ厨歌〉。

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この「厨歌」という言葉、私以上の年代の人間には、若干ひっかかる物言い(歌としての位相が低い、というか……)に感じられて、最近ではあまり見かけることがなかったように思う。しかし、近年、女性の社会進出に伴う男女間の役割分担の変容で、この「厨歌」の位相自体が変わってきたのだなあ、となんだか新鮮な気持ちになった。


大学卒業後、11年働いて、結婚後は無職。それこそ厨回りのことしかしてこなかった私には、人間としてどこか負い目のようなものがある。厨仕事を本分として励み、作歌すれば良かったものを、厨歌を詠むことは自らの社会的立場の弱さを認めることになるような気がして、ずっと避けてきたのだった。

しかし、こうして特集記事を読んでみると、つくづく惜しいことをしたと思う。厨歌は素材の宝庫。発見の鉱脈であった。


「総論 家事と短歌―どこにでも詩はある  小さな家で鍋物をする」の中の小島ゆかりの言葉を引く。



 人はみな小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆくなり

           佐佐木幸綱『ほろほろとろとろ』

 河豚鍋も鮟鱇鍋もせずに久しどうでもよいかそれはいけない

           馬場あき子『太鼓の空間』

「小さき家もち物を食べて暫く生きて死んでゆく」のが人生であるけれど、その小さな家での河豚鍋や鮟鱇鍋をないがしろにすること、「それはいけない」。それは人生をないがしろにすることだから。



ゆかりさん、肝に銘じます。


*5首競詠+エッセイの二人の男性歌人、小池光、内藤明がともにレンジで「チン」を詠んでいたのが面白かった。やはり、男性の厨歌のはじめはここであるのだなあ。


*もう一つの特集  「迢空賞」発表  三枝浩樹『時禱集』

こちらも読みごたえあり。50首抄に堪能。また選考委員の論評に学ぶこと多し。高野さんが「まろやかで涼味を帯びた優しい音楽性」と題した選評を書かれている。高野さんはやはり、短歌における音楽性に注目していることを再確認。『北原白秋の百首』もそうだったし。なるほど。



  厨うたないがしろにせし二十年 漂白液に布巾を沈む

  わが知らぬ鉱脈眠る厨うたごくナチュラルに若きらは掘る

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イラストは沢野ひとし氏。
かわいい。

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こんなところに「コスモス」各賞受賞者紹介。

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すみません、こっそり書いてます。




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by minaminouozafk | 2018-06-05 08:17 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)