2018年 06月 03日 ( 1 )

今日はコスモス会員の合同出版記念会が東京で開かれている。高野公彦著『北原白秋の百首』も今回の出版記念会の対称になる一冊。
 私は白秋フリークとまでは言わないが、白秋の短歌のファンで特に『桐の花』、『雲母集』が好きだ。また『雀の卵』あたりに多い子供を詠んだ歌に白秋の中の少年性を感じて楽しんで居た。ただし系統的に学んだことがなく歌を読むだけなので論評などは、とてもとても畏れ多い。

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そんな私には『北原白秋の百首』は〈正しい白秋の歌の読み方〉の指標になるような一冊だった。膨大な白秋の歌の中から選ばれた百首には私の好きな歌がたくさん入っている。それだけでも嬉しかったが、充分に理解できていなかった歌が高野氏の解説でよく分かり鑑賞できたのが嬉しい。

みひらきの二頁の右側に抽出された歌一首、左に高野氏のコメントが書かれていて、簡潔だけど鑑賞のポイントが分かり易く、歌によっては歌集の前後の歌もひき、状況が説かれている。


たとえば〈ひいやリと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき〉。「鶏頭が幾本か植えられて黄色い花を咲かせている庭先に、ふと剃刀が落ちているのが見えた、という。むろん錆びた剃刀でなく、冷たく光っている剃刀であろう。剃刀は頭髪やヒゲを剃る道具だが、今の電気カミソリなどとぜんぜん違って、不用意に触ると危ない鋭利な刃物である。それが思わぬ所に落ちているのを見た時の慄然とした感覚が「ひいやリと」という言葉で表現されている。美しい花の近くに落ちている鋭利な刃物。あまり深読みしてはいけないが、この世にひそむ不気味なものの気配を暗示するような歌である。」

このように白秋の歌を読み解いていく高野氏の文章は分かり易く、しかも歌の背景の気分や余韻のようなものも明示されている。


最後に高野氏の「解説」があり、タイトルは「ことばでありながら音楽であること」。白秋の歌集を年代別に「青年期」「壮年期」「晩年」に分けそれぞれの歌集の特色が書かれているが「変わることなく一貫しているのは、言葉のひびきの美しさ、言葉遣いのしなやかさである。(中略)自分の心を表す言葉を少しでも〈音楽〉に近づけてゆく。それが歌人白秋の最も究めたかった目標ではなかったか。と私には思われる。」とある。



内容の充実した学ぶことの多い本だが、どこからでも興味深く読めるので、バッグに入れておき電車の中や、旅行中の乗り物の待ち時間で読むのにも良いと思う。白秋をまねて紅茶とカステラなどを用意して、ティ―タイムに読むのも良いかもしれない。



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 わかかりし白秋の恋のあやふさや敷道覆ふあはゆきに似て





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by minaminouozafk | 2018-06-03 07:00 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(5)