2018年 05月 13日 ( 1 )

母の日 大西晶子


 今日は五月の第二日曜日「母の日」だ、ということで母を詠んだ好きな歌をいくつか並べてみた。

 

 長塚節

たらちね(垂乳根)の母がが釣りたる青蚊帳(あをがや)をすがしといねつたるみたれども             『斎藤茂吉選長塚節歌集』

いくたびか雨にもいでて苺(いちご)つむ母がおよびは爪紅(つまべに)をせり                     同

                   

 北原白秋

母の深き吐息きくとき最も深く母のこころにひたと触(ふ)りたり
                       『雀の卵』                        
急に涙が流れ落ちたり母上に裾からそつと蒲団をたたかれ  

                       『雀の卵』        

母としか湯に入らずと子は云へりひとりひたれり梅の萼見て

                       『風隠集』


 
 宮柊二

わが母と妻の母とがこもごもに訪(と)ひ来(き)ては帰る複雑なり 
                       『小紺珠』                         

三人子をつぎつぎと呼び囲らせばけぶるがにきよし妻なれど母  
                       『日本挽歌』                   

母のごと妻が恋しも見舞妻去りてひと日のいまだ経(た)たねど                     

                       『緑金の森』



  高野公彦

わが母は明治の女、洋服を着ず紅(べに)ささず簡(かん)に従ふ
                         『雨月』                         

母が作り我れが食べにし草餅のくさいろ帯びて春の河ゆく    

                         『雨月』

秋深し籠()もよみ籠()もち山に入りあけびを採らば妣(はは)にか会はむ
                         『水行』                  


 
 小島ゆかり

母を忘れつづけて生きてけふ会へば母はガーゼのマスクしてをり 
                          『獅子座流星群』                     

西へ行く雲の行列老いるさへ母は父より少し遅れぬ   『エトピリカ』

   

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苺を摘む母は節が好むゆえに摘んでいたのだ。 既に病んでいた長塚節の歌には蚊帳のたるみといい、爪紅といい母への感謝がこもり美しい。


白秋の二首目は感傷が、若い白秋らしいと思う。三首目「母としか」は寂し

そうな白秋の入浴が面白い。幼子には父は母には勝てないのだ。


柊二の一首目は二人の母たちの世話をする家長の立場にな

った柊二の責任の重さが「複雑」に込められているのだろう。二首目は聖母子像を思わせる。三首目では妻が母の役割をはたしているが「母」はいつも恋しく懐かしい存在だ。


高野公彦の一首目では明治生まれの凛とした、良き主婦の母の姿が見える。二首目では春の川のような母の豊かさ。三首目「秋深し」では亡くなった後の寂しさと、心に置く母の像のなんと懐かしいこと。


 男性歌人の歌に見える母はみな優しく作者をつつむような母だが、女性歌人の場合はどうなのだろうということで、ゆかりさんの歌を読みなおした。


「ガーゼのマスク」の歌はなぜかずっと心に残っていた歌だ。マスクをした母には病むイメージと同時に、顔がはっきり見えないことで違和感が感じられる。しばらく心にかけていなかった母のマスク姿は作者に弱って来た母という衝撃と、母を思うことをわすれていたことへの自省があるのだろう。すこし不思議さと寂しさのある歌。
 女性は自分自身が母である場合もあり、母に対する思いが男性歌人とは少し異なるのかもしれない。

 時代や背景は違うが同じように母を詠み、それぞれに個性がある。読み比べてしばらく楽しい時間をすごした。



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      享年が白寿にひと月足らざりし母の祥月命日ちかし

                                               晶子
    

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by minaminouozafk | 2018-05-13 07:00 | Comments(6)