2018年 05月 08日 ( 1 )

2018年5月5日、古川薫氏が亡くなられた。享年92。

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下関典礼会館楠乃斎場にて。
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30年前のこと。

当時の職場の先輩に、とても素敵な女性がいるから、会っておいた方がいいと紹介されたのが、森重香代子氏。著名な歌人としてお名前は存じ上げていたものの、まさかお会いできるとは思っていなかったので、せっかくの機会とばかり、ご紹介いただいたのだった。


下関の唐櫃山にある瀟洒な邸宅。出迎えて下さった森重氏の美しさは今でも忘れられない。「歌人の佇まい」に打たれた私は、即座に弟子入りを決めた。短歌のことは全く何も知らなかったのに、その無謀さがわれながら恐ろしい。


ご自宅で月一回開かれる歌会にはお茶の時間があった。当時の参加者は10人弱だっただろうか。香代子先生が用意して下さるお茶とお菓子をいただきながら、短歌のこと、それ以外のこと、あれやこれやにぎやかに話すのが楽しい時間。ある時、香代子先生が、「お茶の時間に、夫もお邪魔していいかしら?原稿が上がったらしいのよ。」とおっしゃった。すると、みなさん大喜び。不思議に思っていたのだが、その夫君を拝見して驚愕、そして納得。森重香代子氏の夫君は、古川薫氏であったのだ。表札も見ていたはずなのに、あの有名作家の「古川薫」と香代子先生のご主人が同一人物だという認識が全くなかった。自身の胡乱さにあきれるばかりである。


二階の書斎から降りていらっしゃる古川先生はいつも上機嫌で、ホスピタリティに溢れていらした。太陽のような古川先生と、月のようなしんと美しい香代子先生。出会うべくして出会われたお二人であった。

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・若からず逅ひてかたみに(はな)に寄る一生(ひとよ)はわれに二生(ふたよ)のごとく

                      森重香代子『二生』

素敵なご夫婦であった。『二生』にはこんな歌もある。


・俺いまも少年さ、よく言ふと思へど五十五歳わたくしだつて


この婚がもたらしたものの大きさを感じさせる一首である。


この「お茶の時間」はすごい時間で、時には二階から古川先生とともに、黒岩重吾氏や、佐木隆三氏、赤江瀑氏らが降りていらして、お話ししてくださったりした。森重香代子という女主人を迎えた唐櫃山の古川邸は、文壇サロンの様相を呈していた。


古川先生は1991年に『漂泊者のアリア』で第104回直木賞受賞。その後の執筆活動は多忙を極め、香代子先生も山口県内数か所に教室を持たれることとなり、ご自宅に伺う機会もなくなった。あの夢のような時間を過ごさせていただいた幸運を今、あらためて感じている。


1993年に創刊の歌誌『香臈人』には、古川先生が口絵のイラストを、また誌面には、「新山了児」の筆名で、短歌や随想を寄稿してくださった。20年もの長きにわたり、である。誠実なお人柄に感じ入るばかり。ほんとにすごい方だった。

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『香臈人』の仲間に、ななみさん、久保田智栄子さん、宮本君子さんがいる。
よい出会いをいただきました。


そして、昨日、7日のご葬儀に参列させていただいた。ご長男貴温氏のご挨拶に続く香代子先生のお話に、ちょうど二年前の5月7日に入院されたこと、その間に絶筆となった御著『維新の商人(あきびと)』を書き上げられたことを知り、その衰えない執筆意欲の壮絶さを思ったことであった。

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会場に入りきらないほどの参列者に見送られてのご出棺。BGMは、ベートーベンの「歓喜」。壮麗なオーケストレーションが場内に響きわたる。この演出は故人の希望だったのだという。


ああ、古川先生らしいなあ。

最後まで男前だなあ。

こんなことされるといつまでも忘れられないなあ。


「そりゃあ、忘れられたらいやだからねえ。」

いたずらっぽく笑う古川先生の顔が浮かんできた。



土砂降りの雨上がりたり出棺を送らむとして外の面に出れば


晴れ男なる君在さぬこれの世の昏迷いよよ極まりゆかむ


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いただいた花。
古川先生のように、大胆に、闊達に活けたかったのだけど…。





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by minaminouozafk | 2018-05-08 02:19 | Comments(7)