2018年 04月 26日 ( 1 )

気をつけていてもどこかに置き忘れてしまうもの。

かぎ、かさ、めがね……

そこに加齢が加わったことでますます探しものする日々。

以前は「かぎ」が多かったけれど、リビングに定位置を決めてからはほとんど探さなくなった。
「かさ」も娘にプレゼントしてもらってからは大丈夫。


残るは「めがね」。
「かぎ」に倣って定位置を決めているけれど、これがなかなか難しい。活字を見るときに無意識にはずしてしまい、しかも没頭すると見失うことがしばしばなのだ。短歌を作るときもあぶない。

スマホは紛れてしまっても番号にかければ居場所を教えてくれる。シール式の小さな小さな発信器(ICタグ?)があって、リモコンのスイッチをポチッと押すと鳴り出してくれるとありがたい。めがねに貼って、見失ったら鳴らして探す。ヒット商品になると思うのは私だけだろうか。


ところで、めがねがなかなか見つからないときには、お助け用の眼鏡に登場いただく。いつもは机の抽斗でひっそり休んでいる眼鏡。フレームの形も古く、度数も微妙に合わなくなってしまっているので普段使いしていないけれど、こんな時に力を発揮してくれる。掛けた途端、視界がはっきりして、さっきまで探していたところの直ぐ近くにちょこんと置かれているのを発見することもしばしば。

仕事を終えた眼鏡は再び抽斗の定位置で、次の出番に備えていただいている。



斎藤茂吉に眼鏡の歌がある。


日に幾度にても眼鏡をおきわすれそれを軽蔑することもなし  『霜』


昭和17年の作なので、このとき茂吉は60歳。自然体。


おのが身しいとほしきかなゆふぐれて眼鏡のほこり拭ふなりけり 『赤光』


という作品もある。眼鏡も身の一部のように慈しまれている。


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定位置のめがねにふれて安堵せり霧の小径に迷へるわれは


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by minaminouozafk | 2018-04-26 06:00 | Comments(7)