2018年 04月 21日 ( 1 )

 頭や尾が見るも無残に傷ついた鳥の置物がある。アオカケスは全形をとどめているが、ウグイスとミソサザイには尾が無い。ミソサザイにいたっては頭から胸の部分も素材がむき出しになってしまっている。見ているだけでも可哀想で、飾り物としてももう使えないのだが捨てることが出来ずに夫の部屋の棚の上にずっと置いてある。


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 この鳥たちにこんな悪さをしたのは、息子たちではなくて5年前に亡くなった猫のいねである。鳥が大好きだった。生まれて一年ほどは外に自由に出ていたので、テリトリーの公園や駐車場に来る雀や鳩を知っていた。くわえて彼女の鳥好きは母親譲りで、野良猫だった母親がお腹にいねたち兄弟を抱えていたとき、跳び遊ぶ雀を目で追いながらその口からつつつーっと長いよだれを落としているのを目撃したことがあった。縁あっていねはわが家の猫になったのだが、その鳥好きは家飼いをするようになってからは窓辺から電線に留まっている鳥を眺めることでしか満たされないようになった。


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<わたしがいねです>


 この鳥の置物がどういう経緯でわが家にあるのか忘れてしまったが、三羽とも息子の机の上に置いていたと思う。そんなある日、鳥の尾のところに歯型のような穴があいていているのに気がついたのだが、とりわけ気にもとめずに過ごしているうちに次第に傷は深くなり、そしてついにその現場を押さえるにいたったのである。いねが必死の様子で鳥の頭に食らいついていた。


 そんな思い出のあるものなので、いざ処分しようかと一旦は手にしてもまた「まぁ、いいかっ」と元の場所に戻してしまう。実は、家の中はそんなもので溢れている。長男が小一の時に描いた遠足の絵は、初めて見た乳牛が強烈な印象だったのかおおきなお乳に乳首が10個以上ある。次男が高校生の時に運動会で三年間演じた応援団の学ランの衣装。お針子さんの女子生徒が綺麗にかっこよく作ってくれたものだ。


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 しかし、考えてみるとその思い出にこだわっているのは私だけなのではないかとも思う。私さえ頭を切り替えれば、家の中はすっきりと片付くはずである。そうは言っても過ぎた時を手に取れるものがなくなってしまうのも寂しい。いつもこの二つの思いの間で揺れているので、わが家は一向に片付かないままだ。


   思ひ出を胸にしまつてわたくしは抱卵をするめんどりになる


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by minaminouozafk | 2018-04-21 11:02 | Comments(6)