2017年 08月 23日 ( 1 )

観測者Cz. 有川知津子

窓の外が急に明るくなった。


ベランダにでる。

太陽の尽くすかがやきに、空があかく染まっている。

夕映えは、今日を終わろうとする大地に太陽が送る挨拶のようだ。


(写真を撮ろう)

目で見たほどのものは残らないと分かっていてもカメラを取りに室内にもどる。


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「1年前にもたしかこんなことが……」

と思ったのと振り返ったのとは、ほぼ同時。

やっぱり――。


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虹。


この季節のベランダは、ときどきこんなふうに、右手に夕日、左手に虹を見せてくれる。

だから、ときどき、理科の時間に配られた〈虹の仕組み〉のプリントを思いだすことになる。

太陽光線と雨粒のカーテンと観測者Aの相関がコンパクトに図示されたプリントである。


そうするとまた自然と思われることがある。

あの虹の仕組みの図は、大いなるものの視点で書かれたものなのだ、ということ。

ここに立っている以上、私は図の中に書き込まれた観測者Cz.にすぎず

どんなに黒目を左右に引き離してみても、

虹と太陽を同時に視野にいれて観察することなんてできない。


つまり、夕日の絢爛をいつまでも惜しんでいたいと思えば、虹を見ることはできないし、

虹の厳粛を記憶にとどめておきたいと思えば、否応なく夕日を背にすることになる。


右を向いたり左を向いたりしながら、同時に見られないことを、ザンネンだわ、と思い、

でも、いや待てよ、右を向いたり左を向いたりしながらでも同時に見られることは、

実は、おもしろいことなのかもしれないぞ、などと思いなおす。


ひょっとすると、

何十年もまえの虹の仕組みの学習は、この部屋に住むための準備だったのかしら、

とそんなことまで――。


ところで、

昨年の拙文「そこにある虹」(9月14日)もこのベランダからのもの。

画像を比べながら、太陽のしずむ位置はほんとうにずれてゆくんだとあらためて確認する。


そういえば、あの記事のあとで、おなじ夕日を見たと声をかけてくださった方があったなあ。

お元気かしら。


とりとめの無いことになりそうである。

掲載が遅れてしまい、ほんとうにごめんなさい。



  虹の化石出でし話はまだ聞かずうつつこの世の深さ果てなし



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by minaminouozafk | 2017-08-23 16:58 | Comments(7)