2026年 02月 14日
父のサンダル 栗山由利
四十年近く前、私たちが神奈川から福岡へ越してきてからというもの、両親は孫の顔見たさに保育園の夏祭りや小学校の運動会と何かにつけ、大分から来てくれていた。その間、ちょっとそこまで公園に行ったりするのに、二人とも自分が履きやすいサンダルまで準備してわが家に置いていた。
父が亡くなって数年経ったある日、玄関の靴箱の中のずっと捨てられなかった父のサンダルを勝手口で使うことにして再びサンダルは日の目をみた。そしてそこが定位置となり台所の片隅にしっくりと収まっていた。
その父のサンダルがあろうことか、遥か徐州まで遠い旅をすることになったのは、今から三年前の夏のことだった。徐州に赴任してやっと一年が経った息子が休暇を終えて中国に帰るときに父のサンダルを持って帰ったのだった。
実はこの時、息子は少し寂しい気持ちで中国に帰って行った。最初の予定では向うに行って生活にも慣れたころ、ちょうど夏休みの間に妻と娘を呼び寄せるつもりだったのだが、やむをえぬ事情でその計画が御破算になっていた。幼稚園の頃から先生について中国語会話を習っていた孫も気持ちが沈んだようだった。搭乗手続きの同じ列に、真新しいランドセルを背負った女の子が父親と手を繋いで並んでいる光景を目にしたときは、ほんとうに神さまは意地悪だと思って涙がでそうになった。

それから二年半、日本での仕事が決まり先日、帰国するための片づけの手伝いに行ったとき、部屋の入口の隅にきちんと並んで置かれている父のサンダルと再会した。裏のゴムはすり減りつま先部分は擦れて中身が見えてはいたが、鼻緒はしっかりしておりまだまだサンダルの役目は果たしていた。そしてもちろん、いの一番に帰国の荷物の中に入れられ、今またわが家の勝手口に以前と同じように置かれてある。

寂しいときもあっただろう。話し相手になる日本人もいない中で悔しいことや、何かに思いをぶつけたいときもあっただろう。もちろん嬉しいときもあったはず。そんな時、部屋の隅の父のサンダルに目が行ったこともあったかもしれない。物には心は無い、けれど物に心を感じることはできる。お疲れさまでした。そしてお帰りなさい。またわが家の台所でゆっくりしてください。
しかし、もしかしたら「孫はもう大丈夫。心配なのはおまえだ!」と言っているかもしれない。それでは「お父さん、またよろしくお願いします」。

孫をつれ徐州の桜もみただらう父のサンダルおかへりなさい

