2026年 01月 23日
桑原正紀歌集『麦熟るるころ』読書会五首評 大野英子

今週の藤野早苗さんのご報告にあった〈Mulberry Lane2026〉もちろん私も参加させていただきました。
早苗さん、企画をありがとー。
ブログで紹介したいと思い、しっかり読み込んでいましたので、今回の企画は楽しみでした。
早苗さんも書かれていたように、抽出歌はほぼ重複することなく、どれだけ秀歌が多いかが判るものでした。それぞれの嗜好や思いが色濃く出ている中で、多くの方が違う歌ながらも、桑原さんの詩歌に対する思いがこもるお作品を抽出されていたのも納得の一冊でした。
早苗さんは、さすが、グローバルな視点から「情」にいたる抽出をされていましたね。
せっかくですので私の抽出歌も、加筆して紹介させていただきます。
桑原さんのお作品は若い頃は日常を掬い取るというよりは、抒情性溢れる作風で、象徴性を帯びた詠み方が特徴的だった印象があります。そんなことを思わせる作品から二首挙げました。
ゆつくりと森よぎりゆく雲のかげ軽羅そよそよ滑らすごとし 31
雲の影は平面な地表をよぎるときは、扁平な影ままなのですが、凹凸のある森の上をゆく雲の影だからこそ「そよそよ滑らす」という優雅な動きを捉えています。勝手に初夏の景を思い浮かべながら、薄物の布が、命漲る森を慰藉するように過ぎてゆく優しさを感じたのでした。
アカシアの花ぬらす雨したたりて傘に鳴るとき傘は抒情す 87
このうたはまさしく「抒情」と詠まれています。房状の柔らかな花を通り抜けて伝うからこその「抒情」という、この場合は「豊かな喜びという心情」が傘を持つ桑原さんの感性に響いた一瞬だったのでしょう。「傘鳴らすとき」ではなく「傘に鳴るとき」という表現の柔らかさも共鳴性を感じさせてくれます。二首共、自然界の営みへの愛が伝わり、また人のぬくもり、ほのかなエロスさえも漂います。
脳病むにあらずよ妻は厭離穢土遂げてほほゑむ結界のなか 34
第七歌集『天意』でも〈はらはらと散る花を浴びほほゑめる妻はも菩薩ここ花浄土〉など、これまでも、たびたび仏教用語を用いて奥様の精神のありかたをきよらかな世界をもって表現されてこられました。今回も俗世を離れた聖なる領域にいると奥様を詠まれています。
脳動脈瘤破裂により倒れられ、19年。看病を続けられるなかで、いつも微笑みを絶やさない奥様にどれだけ救われて来られたかが伝わります。
奥様はこのブログでも紹介した木畑紀子さんが、歌集の中で「房子先生」と慕ってこられた方です。
いのちありて見るしろき雲あをき空いのちといふはほんにさびしき 160
そんな奥様を昨年、コロナの影響が遠因となり亡くされます。そんな時に詠まれた、茫然自失である様子が伝わる一連の最後に置かれます。「しろき雲あをき空」はもちろん奥様の居る場所。「見る」「雲」「空」だけが漢字で詠まれたことも空虚な心の余白につながり、「いのち」のリフレインも効果的に、つくづくと残された寂しさが伝わりました。
歌は人を救ふ、とまでは言はざれど今こそ暗夜の一灯たらめ 27
そして、一冊を読み終えた後、私の心は巻頭近くに置かれたこの一首に戻りました。前歌集では、日本の政治不安への憤りを多く詠まれましたが、本歌集ではコロナ以降の情勢悪化するばかりの世界へも怒りを持って、歌集名である、ウクライナに心を寄せた「麦熟るるころ」もそうでしたが、弱者をおもんばかるお作品が多く詠まれてもいます。そういう人を思う心や、ここで挙げた四首のような「いのち」を掘り下げるお作品が桑原さんの温かさであり、願いである「暗夜の一灯」であることを改めて感じたのでした。
この一首は句割れとなった二句の読点の一呼吸置いたところに桑原さんのお人柄が滲んでいるのではないでしょうか。
私は、自然に触れる世界を詠まれたうたを中心に抽出いたしました。やはり他の方も多く抽出された「いのち」についての桑原さんの思いは、泥沼化するばかりの侵攻や世界情勢を憂うお気持ちから、より深化されていることを思ったのでした。
桑原さんの帯には
「わたしは、この小さな詩型が持つ小さな発信力が、身の丈に合っているようで、とても好きです。個に発した呟きのようなこれらが、おのずから時代や人間を映し出していれば、それでよしとしたいと思います。(「あとがき」より)」
と記されます。
つくづく、この短詩型と出会えたことを嬉しく思いました。

ふゆぞらにりんりんと鈴を鳴らしゐるせんだんの木は鳥たちを呼び
あげ潮ときたかぜのなか街川を海へ海へとすすむみづとり

