2026年 01月 10日
越冬サナギ 栗山由利
昨日は年が明けて初めての朝日カルチャーセンターの講座だった。講師はこのブログ金曜日担当の大野英子さん。朝5時前に起きて嘉麻市から電車を乗り継いでくるNさん、90歳ながらお一人で佐賀から通うHさんの熱量には圧倒されている。コスモス会員以外の方も2名おり、他の方の鑑賞のしかたを聞くのはほんとうに勉強になり、いろんなことに気づかされる。
今回提出した私の歌に次の1首があった。
家をでるときも帰つてきたときも越冬サナギにするごあいさつ

これをどのように読んだかを二名が指名されて発表するのだが、お二人とも「越冬サナギ」が分からないというご意見だった。なるほど、昨夏からアゲハ、アゲハでやってきたわが家では冬を越して暖かくなってから蝶になる蛹もいるというので勝手に「越冬サナギ」と名付けていたけれど、分かりにくい表現だった。
そして面白かったのはその後である。お一人がもしかしたらこの「越冬サナギ」というのは、ずっと家に引きこもっている夫ではないかというなかなかユニークな発想でこの歌を読んでくださり、どっと教室が沸いた。私もそれもいいなと思った。この詠みの欠点は家の中の場所も不明だし、「ごあいさつ」では緩いということで改作の例を示してもらった。
家に帰り夫にこの話をすると、とてもうけて早速Facebookに自虐的な一文とともにあげていたが、そこに「引きこもりのサナギならいずれは蝶になって飛び立つのですね。それはそれで困るような」というコメントをいただいた。おもしろい!
ひとつの未完成の歌が読む人によっていろんな読み方があり、またそれに対しても別の意見が出てふくらんでいく。未完成ゆえの広がりではあるが、紡いだ言葉の思いをそのままに伝えることの難しさと面白さを実感した1首だった。

春をまつ越冬サナギのみどりいろあざやかさまし新年となる

