2025年 12月 20日
父の年賀状 栗山由利
今年は年末の年賀状書きの仕事がない。7月に母が亡くなって喪中欠礼のはがきは先月のうちに出し終えた。いつもの年なら母の年賀状の印刷をして送るのが常だったのだが、それがないことも寂しさの一つである。
今でこそパソコンを使えば簡単に思い通りのデザインで年賀状が作れるようになったが、父の時代はそうではなかった。しかも枚数は300枚400枚それ以上ということで、年賀状書きは今とは比べ物にならない大仕事だったに違いない。
父の年賀状は多色摺りの版画だった。小学生のころから私も妹も版木を変えていろんな色を足しながら摺っていく作業の手伝いをさせられ、摺られたはがきを汚さないように並べ、乾いたら重ねていくという作業をどのくらいやったことだろう。もともと手先が器用で絵心もあった父の年賀状は好評で、毎年楽しみにしていて額にいれていますと言ってくれる人もいた。

妹は小さい頃からこたつに入って一枚ずつ並べたり彫ったりしているのをじーっと観ていたことをよく覚えており、ささっと図案もきまり摺り上がる年もあれば、大丈夫かなと心配する年もあったそうだ。へまをして怒られないようにびくびくしていた私と違うのは、その才能の一部がそのころから妹には伝わっていたからだろう。


息子たちには手書きの年賀状も描いてくれて、昭和の父らしく「かしこい子」「頑張れ」の文字が並んでいる。


晩年は脳梗塞で麻痺があるのに紫陽花の絵を描いてくれ、亡くなった年はさらに辛くなった手で描いた万年青の絵を妹がはがきに印刷して年賀状にしてくれた。

「丈夫なベビーを」「腹をくくって子育て」「正念場だから」など息子二人を思う言葉がかならず添えられた年賀状を並べると、家族と過ごした長い時間が色鮮やかに目の前を駆け抜けていった。

腹くくり子育てせよと父がかきくれし賀状に咲くすみれ草

