2025年 12月 06日
徐州ってどこ? 栗山由利
これまで4回にわたって徐州への旅について書いてきたが、最後に徐州のことについて少しばかり説明をしようと思う。
息子の赴任先が徐州だと聞いた時、私はその地名だけは知っていた。なぜなら戦地へ行ったことはない父だったが、酔って歌いだす歌の中に「徐州々々と人馬は進む……」で始まる「麦と兵隊」があり、知らず知らずのうちに二番くらいまでは歌えるようになっていた。ただ場所はまったく分からず地図で確認して上海と北京の中間地点くらいだという認識しかなく、赴任先を訊ねる人もその地名さえ知らない人がほとんどだった。
下の地図に示した位置になる。

江蘇省徐州市、広さは11,258km²。日本でこれに最も近い県が秋田県になるのだが区分としては市となり、約1,000万人の人が住んでいる。秋田県のざっと10倍くらいである。確かに中国はどこに言っても人、人、人、車、車、車で14億という数字を肌で実感する。
2600年の歴史を持ち、古くは彭城と称した徐州はその中心部の四方を丘陵に囲まれているために、この地の覇権をめぐる争いが絶えなかった。紀元前の項羽と劉邦の戦から三国時代の曹操・呂布・劉備・袁術らによる争奪戦。近いところでは1938年から日本軍もこの地を終戦にいたるまで占領していた。この時の徐州会戦の体験を陸軍報道部員として従軍した火野葦平が綴ったのが「麦と兵隊」で、私が徐州という地名を覚えた軍歌もこれに因るものである。
かつては黄河が流れており、北京と杭州を結ぶ総延長2,500kmの京杭大運河も通っていて大きな河川や湖も点在し、四方の山と豊富な水にも恵まれた土地である。新キャンパスの近くにも観光地になっている水面の広さが7.5km²という果てしなく大きい雲龍湖がある(大濠公園の池のざっと33個分)。以前、すこし太り気味になった息子に雲龍湖の写真をみてダイエットのために湖の周りを走ったらどうかと言ったことがあったが、実際に見てみると走り出したはいいが帰っては来れないだろうという広さだった。今回の旅では父が晩年の趣味にしていたゴムのカタパルトで飛ばす紙飛行機を雲龍湖の公園で息子に飛ばしてもらった。父もきっと満足してくれたことと思っている。


また漢の時代の遺跡も多く漢文化の観光地としても有名であり、訪れた「徐州漢文化景区」では獅子山楚王の陵墓、漢の兵馬俑博物館、水底兵馬俑博物館や漢画像石長廊などレプリカではない本物を観ることができるのはさすが中国だと思った。息子に言わせると多すぎて収蔵場所に困るからだということだったがそうだろうか。



ただとにかく広い。徐州市といっても前述したように秋田県の広さなので3,4日くらいでは到底回り切れない。徐州特産の香包の産地も行きたいところの一つだったが、つぎの機会に持ち越しである。わが家の玄関には息子が持たせてくれた香包の漢方の香りがたちこめている。

ほら、今とみさだめはなつ父の紙飛行機はのる徐州の風に

