2025年 11月 08日
徐州訪問の旅 栗山由利
今週の月曜日から、徐州に住む息子を訪ねる上海経由4泊の旅行に行ってきた。息子は中国に行ってもうそろそろ4年になる。わりとまめに様子を知らせてくれていたし、便利なツールを使えば国内に居るのと変わらない状態でやりとりができるので、地図上では遠いところだと分かってはいても実感としては薄かった。
ただ交通網は発達し、帰路は徐州東駅を朝10時40分の高鉄に乗り、自宅に帰り着いたのが夜の9時過ぎで、乗り物に乗っていたのは実質5時間半程度であれば、遠近の感覚は人それぞれだと思うが、私は近い方かなと思っている。
旅の目的は中国の大学内に住んでいる息子の暮らしぶりを大学含め覗いてみたいというのと、ツアーではなかなか見ることができない普通の生活を観てみたいと言うこの二点であった。

息子について言えば、中国での彼はほぼ中国人になっていた。翻って言えばそうでないとまず生活が出来ないと思う。大学の学生が4万人弱、教員が2,000人ほどの中で日本人は一人なのだからそうならざるを得ないのは明らかである。大学の構内への出入りは厳しく、顔認証もしくは身分証明書で管理されている。居住区も構内なのでわれわれが入ろうとすると、厳密にいえば予め手続きが必要だったようで警備員とやり取りをしている息子の口調は結構きつい中国人の話し方そのものだった。後日行った観光地の売店の人に「ちょっと徐州訛りがあるね」と言われたのが嬉しかったとも言っていた。

中国の人も息子が来た頃にくらべると随分と変わったそうだ。翻訳アプリ片手にたどたどしく、しかも変な発音の中国語で話す私に「はいよ!ざくろジュースね」といった感じでざくろ100パーセントのジュースを手渡してくれたおじさんは「子どもが日本に行ってたんだよ」と言ったそうだ。私には言葉は分からなかったが笑顔がたくさんのことを語っていた。4年前、息子がまだ生活圏での会話は苦手だったころは買い物に行っても露骨に嫌な顔をされることもよくある日常だったそうだ。

帰国の日、帰り支度で部屋を出ると毎日部屋の掃除をしてくれていた女性に出くわした。謝謝と再見くらいしか言えない私が声をかけるとなにか答えてくれた。二度目の「謝謝、再見」のあとに大きな声で「水はあるのか」と声かけられたようで夫がないよと答えると、エレベーターホールで待っていた私たちのところに大きな声でなにかしゃべりながら追いかけてきて、ペットボトルを3本私の手に押し付けて行った。なにも話せない私は最大級の笑顔で「謝謝」を繰り返して手を振るだけだった。

一日がにじふよじかんではないにちがひない国 おとなり中国

