2025年 10月 31日
文芸誌「ざんぼあ」Ⅴol.2 大野英子

もう? と思われたかもしれませんが、Ⅴol.1の紹介が9月19日になってしまってごめんなさい。「ざんぼあ」の発行は4月と10月なのです。
今回第二回目の特集は「詩歌の戦後80年」
詩人の松本秀文氏は戦後詩とも現代詩とも呼ばれる詩の「詩法」の変化を、多くの詩論を挙げ、戦前にも遡り「偏向論」として検証されています。
同じく渡辺玄英氏は、本誌シンポジウムで質問されたという「短歌は〈私〉性を自明としているのか?」について深掘りしています。歌壇でも近年、話題に上がることの多いテーマなので興味深く読ませていただきました。
桜川冴子氏は、「短歌の批評性」を前衛短歌とそれ以降の作品を挙げ丁寧に解説しながら、類型が生まれやすい危うさにも言及されています。
われらが有川ちづりんは塚本邦雄と宮柊二の作品を挙げ、戦後短歌における抒情と〈私〉を「幻想と生活感情のあいだ」という観点から両者の相違点と詩法の深め方を記し、現在の短歌を「多様な抒情の可能性を切り拓いている」と力強く記しています。
また、特集にちなんで、詩、短歌それぞれの戦後年表も丁寧に組み立てられています。
「白秋論」リレー第二回目です。
小田鮎子氏は故郷である天草・大江を「五足の靴」のために訪れた白秋の、天草に関する作品を、愛する地元だからこその眼差しを重ねながら、白秋の心情を繙いています。
竹中優子氏は井上陽水の「少年時代」の歌詞の「風あざみ」という陽水の造語から、白秋の世界観と結びつけています。白秋の言葉の自由さを「童心」「原始的感覚」「音楽性」という観点から記し「福岡という土地の原風景が二人の作風の土台にあるのではないか」と纏めています。
いずれも興味深い論ばかりです。
もうひとつの楽しみは、今号から始まる「前号鑑賞」です。
同人鑑賞は詩人、歌人2名ずつ。この欄は、特に難解な詩の鑑賞に悩む方には大いなるナビゲーションとなることでしょう。そして投稿歌の鑑賞は投稿された方々のますますの励みとなることと思います。
個人的には、特集でも短歌の詠みについて投げかけている渡辺玄英氏がとっても気になります。他の欄でも、文語脈の短歌の口語的表現、発見のない日常些事を詠むこと、定型であることなど、短歌への疑問を投げかけています。歌人の間では当たり前と思っている疑問提示は新鮮であり、号が進むにつれて渡辺氏がどのように咀嚼していかれるのか、いかないのか、注視していきたいと思っています。

今号もキュートな裏表紙のイラストです。その作者を紹介してくださっていました。
投稿会員の「塔短歌会」所属、染川ゆりさんでした。染川さんは新聞投稿でも常連で、先日の西日本新聞では短歌はもちろん、詩も紹介されていました。
日本語教師としてアフガニスタンの少年の〈アルミ缶〉への疑問を詩へと昇華させ、温かな眼差しのなかに、地球規模での将来不安も伝わる作品でした。
別件ですが、歌壇の11月号では、われらが有川ちづりんが「9月号作品評」を担当しています。こちらも併せてお読みくださいね。
歩くこと辛いわたしを広き世へ連れ出しくるる歌集また歌誌
2号では「戦後80年」をたどる機会に恵まれました。知らないことがばかり……。
「歌壇」のこともありがとうございます。Cz.

