2025年 10月 23日
朝焼けと虹と 鈴木千登世
先週の土曜日のこと。部屋の中がオレンジ色に染まっているのに驚いて目が覚めた。窓を開くと空一面鮮やかな朝焼け。
慌てて布団から飛び出しウォーキングの準備をして玄関を出た。
と、目の前に大きな虹のアーチ。目を凝らすと外側にもう一重の虹も見えた。

振り向くと準備している間に少しずつ薄れてしまっていたけれど、なおオレンジに染まる空。

東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
幻想的な光景に人麻呂の歌が不意に浮かんできた。
やわらかでふしぎで少しこわいような光の中をふわふわと歩く。すれ違う人たちとすごいですねと言い合っては別れた。
(このふしぎな空気感が写せないのが残念です(;^ω^))
歩きながら「朝焼け」という言葉はいつからあるのだろうと思った。というのも、昨日のブログで有川知津子さんが「蜜」のことに触れられていたが、連歌をご指導いただく中で連歌の語彙にはない言葉について教えていただくことが多々あった。たとえば「霾(=黄砂)」がそれで、正体がわかったのは近代で、和歌の世界では「霞」として理解されていたそうだ。
「朝焼け」は歳時記には「夏」の季語として載っているけれど、検索しても、平安や中世の時代の和歌に「朝焼け」は見つからなかった。
朝やけがよろこばしいか蝸牛 小林一茶
江戸時代になって小林一茶の句に見つけることができた。一茶は「夕焼け」の句も詠んでいる。ただどちらもまだ季語としては使われていない(「蝸牛」が夏の季語)。
最初に「朝焼け」と口にしたのは誰だったのだろう。このふしぎでうつくしい空を「朝焼けの空」と捉えるのは近代になってからと思うと何とも言えない感慨がわいてきた。
「朝焼け」と最初に口にしたひとへ 朱鷺いろの雲ただ見ています

