2025年 09月 26日
中津川勒坐第二歌集 『埼玉は晴れ』 大野英子
新潟市生まれ、現在所沢市在住で、今年傘寿を迎えられます。
二〇一三年にコスモス入会、三年後にはO先生賞を、六年後には随筆賞を受賞され、同年に第一歌集『宇宙地図』を上梓されました。そして昨年、コスモス賞を受賞されるという実力の持ち主です。
理学系の研究者としての眼差しと、筆名に故郷の川と先祖の名を取り入れるほど、地元と親族愛にあふれる作品が魅力的に息づいています。

表紙は光と影が美しい、印象派の画家、セルゲイ・ヴィノグラドフの作品です。
故郷と親族を詠まれる作品から。
新潟で除湿すませた北風は小雲も生さず、埼玉は晴れ
野うさぎををスキーで追つたあの朝のひかりの渦の中のおらたち
春の野で小かご背負ひて杖つきてよもぎ摘む祖母やさしい「や」の字
一首目は、歌集名となった一首。冬型の気圧配置で北西の風が吹くとき新潟では雪になっても、山越えする時に乾燥した空気になるという気象学的見地を、理に傾かず詠まれ、埼玉賛歌のようであり、新潟を思う故郷愛が感じられます。二、三首目はふるさとの思い出。屈託のない少年時代を「おらたち」が際立てて、背中の曲がった祖母の姿を慈しむように詠まれています。
曲り屋を母がゑがいて父が句をつけた色紙の素朴を愛す
詞書に〈「曲屋に馬と燕と幾世代」欅村。〉と添えられ、栞にもされています。

茅葺屋根の伝統的な農村家屋が優しいタッチで描かれた色紙です。これを大切にしてこられ、折々に少年時代の暮らしを懐かしんでおられるのでしょう。
祖の名の六左衛門を今の世にしみじみ継げりわが名は勒坐
ペンネームの中津川はふるさと津南町の山あいを流れる信濃川の支流から取られ、名は
直系の血縁から頂いたという親族愛が隠されていたのです。
友をりて人情ありてじよんのびな津南で飲む酒まことにうんめ
詞書に〈のびのびして居心地が良い。〉と添えられる後半の一首。ひとり暮らしで骨折をされた叔母の身元引受人となり、入院、介護施設の入所のお世話のためにふるさとに通った一連の最後に置かれます。人情溢れる土地柄で過ごして来られた中津川さんだからこそ、優しいお心を持ち続けられてこられたのでしょう。この一首も自然に出てきただろう方言「うんめ」から、苦労して叔母を無事入所させることが出来て、心からリラックスした様子が伝わります。
旅の苦も炉端で聞かす薬売り「とやまさん」とぞ母はよびゐし
地ふぶきをシャリシャリポッポと呼んだ祖母雪を手懐け百年生きた
一首目は、富山の薬売りの行商人を炉端で労う母、二首目の親しみを込めた呼び名は、自然を抗わず受け入れて長生きをされた祖母。ふるさとの静かで温かなくらしが目に浮かぶような作品です。
集中前半には〈親家〉と題された長歌と反歌が三首ずつ詠まれます。
そこには懐かしい越後の自然、暮らし、四季の移り変わりと現在の姿が詠まれ、現在も山守としてたびたび通われている地元愛が伝わってきました。
ふるさとや親族はあくまでも温かく詠まれる中津川さんだからこそ、社会詠は理数系の眼差しも加わり厳しく詠まれます。
ほろ酔ひのウェルニッケ野に影差せり総理年頭所感聴きつつ
こまこまと刀子にて突く野党では政権与党の止めは刺せぬ
ちよこなんと座る子猫の眼で見ればネコ目イヌ科の犬だ岸田は
石の刃で破さり切れるやしがらみのげに蔓延れる累犯の党
一首目は憲法施行七十周年の二〇一七年の安部総理。憲法改正の姿勢を明らかにした部分でしょうか、聴覚情報と意味の理解を司る「ウェルニッケ野」に影がさすと、不安を知的に提示しています。二首目は不甲斐ない野党を、三首目は穏やかそうに見えてそうではない岸田総理を、無抵抗な庶民を子猫の目に託して批判しています。四首目は「新首相。」と詞書のあるうた。リベラルな考えの中津川さんにとっては保守色を薄めてくれるかもしれない石破総理を物名として詠み込み、しがらみだらけの自民党と戦えるだろうかと心配しています。 返り討ちにあってしまいましたが……。どの作品も知的技巧の効いた詠みをされています。
人を殺す動物ランク一位は蚊、二位はニンゲン殺すな人を
習主席の意に従はぬひとつなれ自由の国へ飛びくる黄砂
フレイルになるなと言はる日本語でよろぼふことも叶わぬ日本
ベンサムの一望監視装置があるごとしわれらを見張る街中カメラ
核ごみも地層にこそりのこす今を「人新世」と呼ぶ案、羞し
政治以外にも、戦の途絶えない世界への怒り、独裁色が強まる中国を黄砂に託し、何でも横文字で表現したがる現代への警鐘、街中に溢れる防犯カメラを「パノプティコン」のようだと監獄囚になったかのような思い、「人新生」という言葉に隠された環境破壊を憂う社会全体への怒りも声高にせず、そっと差し出しています。
腕時計買つてもらつた十五より時の監獄の囚人われは
わが身なす原子解かれおほぞらへ拡がりゆかむ未来のある日
望み持ちて上りきたれる一生坂つらつら視ればエッシャーのさか
この歌集のなかでは次々と病が見つかり入退院を繰り返すことも詠まれます。そんな自己をどう詠まれたのか。一首目は時間に縛られるようになった十五歳という年齢を振り返り、二首目はいつか来る「死」を、物質を構成する原子が解かれると理数系の目で詠む。三首目は大志を抱いて上ってきた坂はだまし絵のようだったと、何れも冷静な視線で振り返っています。
死なばごみ死なずば粗大ごみといふれんげ咲く野に今は寝ころぶ
一病で息災なりき三病にふえて身おもし懐さむし
侵略で飢餓でをさなごさへ逝くを高度医療でわれは永らふ
家庭におけるご自身の立場と、まいいかという思いを詠む一首目、内田百閒に「一病息災」という随筆がありますが、次々と病がふえる現実を「懐さむし」と二首共ほのかなユーモアを纏っています。そして三首目、恵まれた日本の高度医療に感謝しながらも、世界情勢を思うとき、その格差にやりきれない思いを詠み、誠実なお人柄が浮かんできます。
我が街に庇の狭き家増えて子等にはあらず「雨宿り」の恋
たなばたの夜空に織女さがすかに眼底診をり星合先生
おだやかに道辺で死せりひぐらしは詠嘆の「かな」うたひ尽くして
後半になると、嘱目詠にも、印象的なお作品が多く詠まれます。昭和の情緒を思わせる一首目。医師の名と真剣なまなざしからのロマンチックな広がり、三首目はひぐらしの死にもやさしさと労いが伝わり感性の豊かさが発揮されています。
折々に、妻への愛に溢れる作品が詠まれますが、あとがきの追記「初校後にがんが見つかり、五月二十一日急逝した妻に本歌集を捧げる。」という一文に衝撃を受けました。
急逝の母に寄りそふ妻の涙らふそくの灯の色にこぼるる
いくたびも妻は実家をふりかへる門のあせびのほの白き宵
妻の悲しみに静かに寄り添う、この二首から本歌集は始まりました。
ひとつまみ何かを足した妻ありて鯖の味噌煮もいま我が好物
箱根にてくつろぐ妻よ歳をかさね君は「湖畔」のひとより佳いね
妻に添ふわたしのごとし副虹はおほきくうすく虹に寄り添ふ
そして甘すぎるのではと思うほど手放しの妻への愛を詠まれる一連が続きますが、それは三首目から、妻ありてこその自分という思いかあってこそなのだという思いにいたりました。
妻臥せば見やうみまねで芋を煮て離ればなれにぽそぽそ食へり
てんでんに散歩にでかけ出くはせば手振りて過ぎる微温の妻夫
シーティーで撮りたる妻の胸にありうたふ小鳥のかたちの翳り
歌集後半にも多く妻への愛が詠まれますが、一首目はコロナ禍の歌ですので「離ればなれに」はコロナに罹患されたのでしょうか。「ぽそぽそ」には煮た芋の仕上がりの悪さと共に離ればなれの心許なさが伝わるオノマトペです。二首目は合流するでない、さりげない夫婦の姿を「微温」という適温から夫婦の長い年月が伝わります。この三首目で歌集は閉じられます。胸の不穏な白い影をせめて愛らしく表現しながらも不安が隠せない「翳り」です。
この歌集は一起、二承、三転、四転と題され、年度順に区切られます。
物語の始まりの「起」の前に、多く妻への愛のうたと人生感が伝わるうたが置かれます。
「一起」には先に挙げた長歌〈親家〉も詠まれ、最初の一病を得ながらもふるさとを思う日常を詠まれます。「二承」では色々な病に苦しみながらコロナ禍へと展開します。「三転」では後期高齢者となられ、深刻になるコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻が始まりこれからの世界情勢や命について深く考察を重ねます。そして「四転」。新たに膵臓の病も加わり、インシュリンが必要な暮らしとなりますが一年かけて快方に向かう中、妻の病の発覚。「結」とならないのが人生です。これからもいくつかの「転」を重ねながら悲しみを乗り越えて、詠み続けて下さることでしょう。
心より奥様のご冥福をお祈りいたします。

てんでんに雲浮かびゐる秋の空わかれはいつもいつもたうとつ

